165
61 ななしのよっしん
2016/05/21(土) 19:05:46 ID: aAX8q8p0B2
>>60
手元の電子辞書に収録されている同じく電子辞書にはそう記述されてたぞ。多分御宅の提示したのとはバージョン違いなんだろう。
害益と成功は直接結びつかない概念だから。例えばあるブラック企業があったとして、その存在はそこで働く平社員には有害だとしても幹部社員や消費者には有益、という事は往々にしてあるだろ。いずれの側面を評するにしてもそれは経営それ自体の成功不成功とは無関係。
でそこのトップ(≒創立者)が内外から色々と批判を受ける事はあっても、数字に表れる業績そのものを誇大・過少化できないのと同じ事。
だからイスラムの有害性がどうであろうと歴史上の人物として語り継がれるムハンマドの生涯は成功者のそれと言う他ない。何度も言うけど内外、好悪、害益の話とは関係ない事実を申し上げてるだけだから。
商売で荒稼ぎした奴に対してがめつい、守銭奴などと云えばそれは「叩き」の一種だが、その売上や収益性を見積もって成功かどうかを論ずるのは「叩き」とは無関係に成立する行為。内外とか義務義理も関係ない。
62 ななしのよっしん
2016/05/21(土) 19:31:00 ID: aAX8q8p0B2
ムハンマドが一神教の開祖とは全く別のものを目指していたが果たせなかったというならそこに関しては「不成功」だが、そんな話は一切聞かないし、仮にそういった事柄があったとしても同時または別個にイスラムによるアラビアの統一という目標を成し遂げたのであればそれは「成功」だろ。
その点では他の開祖達も(死後の布教が目的で、かつその教えが正しく受け継がれていれば)「成功」だが、一般に刑死や苦悩の日々を成功とは呼ばない以上、自ずとムハンマドはこの世界における「成功者」として評するに値する部分が際立っているという事実がある。
語り継がれるムハンマドという人物はそれだけその目標と実際に彼が成し遂げたとされる業績がよく一致している人物だという事だとだよ。
釈迦や孔子・キリストは本当にこのような形での布教を望んでいたかも怪しく、望んでいなければそれは幾ら布教されようとも失敗に過ぎない。
63 ななしのよっしん
2016/05/22(日) 00:58:08 ID: TpGy0oQE9g
ムハンマドを「栄光の内に没した」と書いているという>>57のブリタニカの実態がわからずじまいだが、本当にそう書いてあるとしても、栄光が宗教的かそうでないかで大分意味が変わる。
宗教religionの同義語には信条creed、教義doctrine、神話myth、魂spirituality、祈祷prayer、迷信superstitionがあって、対義語には事実fact、現実reality、真実truth等。http://w
ムハンマドは宗教的人物だし、じゃあブリタニカの情報は「(宗教的)栄光の内に没した」という意味だったのか?となると現実的栄光ではなかったのか?とも考えられる。もし科学者の記事に「栄光の内に没した」というような内容があれば、その栄光はムハンマドのとは違うだろうし。
しかも辞事典によって内容に細かい違いもあることに注意はいる。
ナポレオンも、フランス革命以降の宗教家や保守派・右翼が「ユダヤ人の操り人形」「隠れユダヤ人」と信じていたし(『反西洋思想』62ページ)、ナポレオンを成功者と呼んだり「純粋にその業績を見積もった結果」ナポレオンは成功者だ、と言うと反発する人いるのでは?フランス人の中にも。「帝王」ならまだしも「悪の帝王」なり「魔王」なりが成功者かというとそうとは限らず。
「どう見ても成功者なのに成功者じゃないと言い張る奴はなぜいるんだ?」と疑問に思うなら、それは成功→繁栄→繁栄を誇る→わが世の春を謳歌する→調子に乗る→思い上がる・神をも畏れぬ
と類義からの連想があるからかもしれないhttp://t
キリスト教や仏教の場合は、連想が逆に働いて「お前の宗教の開祖は敗者だ」と言われても敗者→受難者→殉教者→聖者・神・超越者・至上者、となるんだろう。
64 ななしのよっしん
2016/05/22(日) 01:02:16 ID: TpGy0oQE9g
実際、イスラム教は根本的にユダヤ教やキリスト教から敵視されがちで、どうやらムハンマドは悪魔主義者と信じられている向きもある。"Islam is satanism"と言われもしている
https://
「悪の成功者ムハンマド」ってとこか。
あとはユダヤ教、キリスト教、イスラム教みたいな一神教が被差別民の宗教だとか、宗教学や歴史学の説によくあるね。
木村凌二(2003)「抑圧社会が生んだ一神教の厳格さと国外追放に至る道」
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教は、人類五〇〇〇年の歴史のなかで遅れて登場している。そのためどうか、数多の神々を淘汰して唯一神が登場する、と理解されやすい。だから、一神教世界は多神教世界を見下すことになりがちである。
しかし、精神分析学者の岸田秀が語っているように(『一神教VS多神教』新書館)、一神教は必ずしも優れているわけではないのだ。(…)一神教を生み出したオリエントは肥沃な三日月地帯ともいわれるが、大河の流域平野を除けば人の住みやすい場所ではない。そこで過酷な隷属生活を強いられ、抑圧された人びとも少なくなかった。
そうした虐げられた人びとこそが一神教を支える基盤たりうるという。(…)差別され、抑圧された人びとは、失われたものを埋め合わせようとする意識がことさら強くなる。だからこそ、唯一絶対にして全知全能なる神という観念に共鳴するのだという。(140ページ)
フロイドの仮説に寄り添いながらも、岸田のまなざしはさらに磨きがかかったものになる。それは、一神教が虐げられ抑圧された被差別民の宗教である点に着目したことにある。不正に憤り、侵犯者に復讐する神こそが社会の底辺で喘ぐ人びとによって崇められる、と指摘する。(141ページ)
じゃあムハンマドも被差別民だねと
65 ななしのよっしん
2016/05/22(日) 01:06:57 ID: TpGy0oQE9g
>>55
>キリスト教にしても王の僭称者、謂わば敗者を神にまで祀り上げた
>仏教や儒教についても釈迦・孔子共に権力者になれず苦悩の生涯を送ったという点で共通している
情報源は? 分かりやすくするために話をイエスと釈迦に絞ると
イエスは日本大百科全書に「彼の宣教は独自の特色を備えている」「イエス独特の導入句は、並外れた確信と権威を暗示する」「イエスは、律法を守りえないゆえに神から見捨てられているとみなされていた取税人や罪人と食事をともにし、彼らに救いを約束する」「イエスは、律法を論じ知恵を教える教師、神の国の到来を告げ知らせる預言者、多くの病人を癒す奇跡行為者などの範疇(はんちゅう)を超えていた」
https://
「イエスの神観、人間観が、ユダヤ教を超えた」https://
釈迦も同じように「王子としての教養を積み生活は恵まれていた」「ついに大いなる悟りが開けて、ここに成道(じょうどう)は完成し、ブッダすなわち「悟った人(覚者)」となった」「数々の遺言が残されている。そのおもなものを記す。「わたしには握りこぶしはない、すべてをことごとく説き示した」「法を見るものはわたしを見る。わたしを見るものは法を見る」」
「そして「諸現象(諸行(しょぎょう))は滅び行くものである。怠ることなく精進せよ」が最後のことばとなった。まことに静かな入滅であり、その一生には、他の諸宗教の創始者や聖者などにみられるような迫害や弾圧はまったくない」
https://
「新思想について、初期仏典は62種、ジャイナ教聖典は363種をあげて説明する」「道徳否定―快楽主義、唯物論、虚無主義、決定論、懐疑論、禁欲―苦行主義と概括されよう」「ゴータマ・ブッダはそのような新しい自由思想家の一人」「教団はつねに開かれていて、だれでも自由に出入りすることができ、また完全な平等が行き渡っていた」
https://
66 ななしのよっしん
2016/05/22(日) 01:12:27 ID: TpGy0oQE9g
イエスや釈迦を「敗者」だとか「権力者になれず苦悩の生涯を送った」とは言い切れん。あくまで広めたのは教えであって、キリスト敗北や仏苦悩にはならなかった。
一方ムハンマドに苦悩や敗北がなかったわけじゃない。
高尾利数(2001)「現代社会と宗教:宗教の課題・問題性・展望」
「ムハンマドは,自分たちの信仰の祖が,他ならぬアブラハムであると主張したのであり,それゆえユダヤ教徒もキリスト教徒も他の民族とは根本的に違った「経典の民」だと呼び,親しみと尊敬の念さえ持っていた。
だからこそ「共通の神」であるアッラーから彼が特別で最後的な預言者として啓示を受けたことを,ユダヤ教徒も,そしてキリスト教徒も理解し賛同してくれると思っていたようである。だが彼の期待に反して,これらの「啓典の民」たちは,彼をそのような者としては受け容れてはくれず,むしろ軽蔑したり反対したりした。
そのため彼は次第にユダヤ教徒やキリスト教徒を批判し敵視するようになったのである。そこでムハンマドは,とりわけキリスト教が,ひとりの人間にすぎないナザレのイエスを独一・絶対的な意味での「神の独り子」とし,さらには三位一体の教理において,事実上「神」の高さに引き上げてしまい,
それゆえ最大の罪である「人間の神格化・偶像化」に陥ってしまったと批判するようになったのである。こうして見ると,「神」について明確な定義をしないままで議論しても,無益である場合が多いことが納得されるであろう」(29~30ページ)
>>61-62
>歴史上の人物として語り継がれるムハンマドの生涯は成功者のそれと言う他ない
>内外、好悪、害益の話とは関係ない事実
>ムハンマドという人物はそれだけその目標と実際に彼が成し遂げたとされる業績がよく一致している
情報源は?
67 ななしのよっしん
2016/05/22(日) 04:54:55 ID: aAX8q8p0B2
>>63
シソーラス引いてくれるのは大いに結構なんだが宗教の対義語が現実や真実という事は宗教的栄光は現実でも真実でも事実でもないという話に繫がるんだが御宅自身「宗教的」とは一体何だと思ってるわけだ?私は「宗教的栄光」とかいう現実・真実・事実を離れた概念が存在するとは考えていないし栄光とはあくまで達成感と周囲の賞賛によって本人が実感するものという考えだが。
キリストや釈迦は武力による布教や人が血を流す事を望んでおらず、「剣を鞘に納めなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる。」 と発言している。釈迦も同様に考えていた。
ムハンマドは自ら剣を取り共同体を指揮して彼らを勝利に導いた。つまりキリストや釈迦のような考えは持ち合わせておらず、その征服活動も本人が良しとたものである事が行動からハッキリと窺え、現に「戦え」という言葉が聖典に出て来る。
つまり武力による布教という目的を打ち出しそれを実行・達成した人物であるということ。当然その思想は後代のムスリムにも引き継がれていて、彼らもまた教祖であるムハンマドに倣って行動しているという事。
教会権力や十字軍・三十年戦争などはキリストを見習った結果なのか?
重ねて言うけどムハンマドはその言動から判断しても大宗教の開祖・征服者としての栄誉を望み、実際にそれらを達成した「成功者」だよ。本人が望んだものを本人が手にしたという点がポイント。100m走15秒以内で走るぞって目標立てた人間が実際にそのタイムで走ったら周りが何と云おうと成功だろ。下らないとか高尚でないとかいう批判は幾らでも出来るが成功に変わりはない。
実際はそんな男などでは無かった、そんな物望んでいないというならアラブ人にでも真偽の程を確かめてくれ。彼らの語り継ぐムハンマドが今日に至る人物像の元になっているのだから。
68 ななしのよっしん
2016/05/22(日) 14:19:22 ID: TpGy0oQE9g
>>67
ななしのよっしんID: TpGy0oQE9gが思ったことは、単純に言えば情報源がない部分。>>63で言うなら「とも考えられる」「だろう」ってところなわけ。
それでななしのよっしんID: aAX8q8p0B2のレスには情報源があるのか?単にななしのよっしん?
情報源があるとしたら具体的には何?
69 ななしのよっしん
2016/05/22(日) 16:31:39 ID: aAX8q8p0B2
>>68
御宅が頻りにそういうもんだからご要望にお応えしてキリストの言葉やコーランの一節引いてレスするようにしてるんだけど。
それが>>67のレスだったんだけど。
御宅も繰り言ばっかしてないで御宅の云う「宗教的」って何なのか具体的に説明してみせてよ。ソースはそちらのお好みで掛けて貰って結構だから具体性重視で。
何度も言うけど成功に関しては例えばこういう話だよ。
キリスト;「剣を鞘に納めなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる。」 マタイ26章52節 →全く信徒に守られてきていない=キリストの言が正しければキリスト教徒もいずれ滅びる事になる為、正しく教えを広める事に失敗(滅びなければ嘘を広めた事になる)
ムハンマド;「(従わない異教徒と)戦え」というアッラーの啓示や自らの発言が教典に何箇所も書かれている →それに従いムスリムは戦闘も辞さない布教を行ってきた=教祖の教えが信徒によって守られてきている(&アッラーの啓示にも沿っている)という点で成功
このように「教祖の教えがどれだけ信徒の行動の指針となり、信徒によって守られてきたか、その教えと信徒達の行動がどれだけ乖離しているか」という点で考えてもイスラムの方が乖離が少なく、順守度が高い。
非暴力主義者に近い思想をもつ教祖を戴き暴虐の限りを尽くしてきた者達と、暴力を辞さぬ思想をもつ教祖を戴き同じく暴力を働いて来た者達とでは、どちらがより「敬虔」「信仰心が強い」か?
70 ななしのよっしん
2016/05/23(月) 20:40:24 ID: 8ECAMoPPjG
論点は 信者が敬虔かどうか じゃなく、 ムハンマドが成功者かどうか だろうが
前も言ったようにムハンマドを成功者と見る立場を他の立場は慮ったりしない
教典は信者の間で、辞書や研究書は言語学者や研究者から一般人の間で根拠になるが
教典側を他が配慮する必要もない、逆も同じ
だからソースを引用しなかったんだよ。そういうやり口に大した意味が感じられんから
成功なんてのもそれぞれの人に違いがある以上人それぞれ
そこに信条の違い、生活の違い、仕事の違い、文化の違い、言葉の違いを踏まえれりゃ
誰もが成功者と認める成功者なんぞいない
誰もが認める神も科学もないっての
71 ななしのよっしん
2016/05/24(火) 05:49:35 ID: aAX8q8p0B2
>>70
>他の立場は慮ったりしない
そもそもこの前提がおかしい。これは「異なる立場の相手の事を考慮する人間はこの世にいない」と言ってるのと同じで、御宅自身が「他の立場は慮ったりしない」事を心がけている人間だという事は良く判ったがなぜそれを人に押し付けられるんだ?しかも御宅の大好きなソースもなしに。
ユダヤ人が例えばキリスト教徒やイスラム教徒の立場になって物を考えたりは出来ないとでもいうのか?この世には二重信仰というものも存在し、二つ以上の立場を巧みに使い分けて生きている者もいる。
キリスト教徒やイスラム教徒も戦いの歴史の中で度々互いの肚積もりを探り合い、妥協点を見出しながら交渉してきた史実があるんだが。これが「他の立場は慮ったりしない」者達に出来る事か?
そりゃあそういう「スタンス」は一応とってるだろうな、建前上。
あと御宅自身ソースの提示に「大した意味が感じられん」というなら人に求めるのはイスラムの忌み嫌う血に飢えた豚の如く不実な行為に他ならない。
72 ななしのよっしん
2016/05/31(火) 23:30:18 ID: TpGy0oQE9g
>>70
そうかもしれんが、特定地域を統計学の手法で実数を見せれば、最低でも「統計学的にはこの地域のX人がムハンマドを成功者と思っている」と見せたことになる。実際にはそんなデータ見たことないが。
その代わりといっちゃなんだが、辞事典を参照すれば言語学的・研究的に正確な内容が分かる。要はそういった学問的な正確性がID: aAX8q8p0B2のレスにあるのか?ってこと。
単語一つ熟語一つ取っても、どこの誰か分からない名無しや素人の話より、辞事典の方を使うだろ。
たとえば。ブリタニカの版情報の詳細を質問(>>60)されてもID: aAX8q8p0B2が応じないのは、ID: aAX8q8p0B2が他の立場を「配慮する必要もない」ことの例と言える。だが詳細に情報源を見せる方が情報の精度が上がるだろ、どの道。
>>69
その新約聖書やコーランからの引用、いつどこが出版した版のどのページ(かURL)にあるのかが分からんのだが・・・
とりあえずキリスト教については「全く信徒に(…)広めた事になる)」、イスラム教については「それに従い(…)で成功」、というのがID: aAX8q8p0B2の考えか。繰り返し気味になるが、名無し(俺含む)の考えや聖典よりは、辞事典の方を手がかりにするよ俺は。勉強や仕事や趣味でも、調べ物をするにはそっちの方が役立つし客観的だから。
まずジャパンナレッジ(http://j
つまりコーランは、典拠のない口承、最初の記録、二番目の記録、記録の内の一種類、という四段階の変化があって、今広まっているのは四段階目。
そしてコーランに使われたアラビア文字はもともと母音が無い、子音の区別が無い、長音符号が無いといった不備があった。
73 ななしのよっしん
2016/05/31(火) 23:31:35 ID: TpGy0oQE9g
『デジタル版 集英社世界文学大事典』
「元来,コーランは啓示されるごとに預言者が周囲の書記たちにそのまま語り聞かせ,記憶によって伝達されていて,正式に記録されることはなかった(…)預言者の死後に始まった離反者に対するリッダ戦争で多数のコーラン読誦者(記憶者)が戦死したことから,コーランの消失を防ぐためにカリフが書記の一人,ザイド・イブン・サービトに命じてコーランを結集し記録させたという。
ところが,3代カリフ,ウスマーン(在位644−656)の時,コーランの読み方の違いから軍隊の間に対立が生じたため,カリフは先のザイドのほかに3人の書記に命じて再度コーランの結集を行わせ,数部の写本を作成して主要都市に配布させたという。
その際,結集の方法としては,4人がコーランの読み合わせをし,違いが生じたときにはクライシュ族方言に統一したといわれる。その際前回のテクストが参照された。
しかし,アラビア語の表記法の不備その他の理由から,その後もいくつかの読み方が生じ,今日広く用いられているテクストはその一つの読み方に従っている。元来,アラビア語はセム語の一つとして,子音だけで表記されていた。しかも子音相互を区別する上下の点や長音符号もなかった。」(http://j
『世界大百科事典』2巻(2009年改訂新版・平凡社)にはイスラム教の様々な対立や問題、動揺や崩壊が書かれている。イスラム教にも異端はあって、異なる派閥同士の対立さえある。ナポレオン軍に占領されたのと平行して、18~19世紀にはイスラム国家は弱体化し続け、イスラム法や伝統的社会も崩壊した。
インドはイギリス植民地化。トルコ革命ではカリフ制廃止。技師、軍人、法律家、官吏など新知識層のエリートが登場した。様々な民族の移動や混合が進んだ。ミッレト制による異民族異教徒融和策は、逆に紛争を起こすようになった。ヨーロッパ系の法体系や資本主義が拡大し、宗教法や神秘主義は衰えた。ユダヤ教徒のイスラエル建国運動がパレスチナを中心に起こった。
イスラム教は世俗化・世俗主義と対立する一方、パレスチナでは脱宗教や非宗教主義が上がってきている。
19世紀以降は産業化・都市化・民主主義が進行し、ムラ社会や血縁主義が薄れた。混合裁判所によって宗教法も宗教家も出番が消えていった。神秘主義や軍事等の旧勢力も淘汰され、農村の土地改革が始動した。
74 ななしのよっしん
2016/05/31(火) 23:32:54 ID: TpGy0oQE9g
『世界大百科事典』2巻(2009年改訂新版・平凡社)
「欧米でも日本でも、スンナ派はしばしば正統派と訳され、これに対してハワーリジュ派、シーア派は異端とみなされる傾向にある。(…)
長い歴史の間に、ハワーリジュ派、シーア派とも極端な行動と主張に走るものがあった。アズラク派は無差別な殺戮で恐れられ、イスマーイール派は、コーランには文字どおりの(ザーヒル zahir)解釈のほかに隠された(バーティン batin)奥義的解釈があり、それはムハンマドからアリーを経て代々のイマームに伝授されたと主張し、バーティン派とも呼ばれた。
このような主張は、イスラムと無縁な個人崇拝を容認するものとして、スンナ派から厳しく非難されたが、シーア派の一派にはイマームに超人間的な性格を付与し、最も極端な論をなすものは、アリーおよびその子孫のイマームを神の化身とみなすにいたった。(…)【嶋田 襄平】
[近代のイスラム] ナポレオン軍に占領されたカイロで、歴史家ジャバルティーは、激動のヒジュラ暦1213年(1798:99)最大の事件は、エジプトからのメッカ巡礼がやんで、マムルーク朝時代以来毎年の慣行となっていたキスワ(カーバの覆い)が送れなかったことだと記した。
外からの力の衝撃よりも、内的な力の衰弱が重大視されていた。18世紀を通じてムスリム諸国家の衰退が進み、19世紀には総崩れ的情勢が生じてヨーロッパ支配が拡大した。そのもとでの社会構造の激変、価値観の混乱、文化摩擦、無力感、ことにそこでのイスラム法および伝統的社会組織の解体が、イスラムの危機という意識を強めた。
しかも事態の深刻さは、このような変動や危機がむしろムスリムの権力を導入口としてもたらされた(オスマン帝国、ムハンマド・アリーの国家、カージャール朝、ムガル帝国において)ということである。ここから、イスラムの歴史を反省し<現状>の変革を要求するイスラム改革運動が起こってくることになる。(…)
イスラムを非西欧的価値体系の一つと指定して、イスラム対ヨーロッパという単純な対立の図式を設定し、ヨーロッパ的原理を批判するイスラム勢力というような見方でイスラムの近代史を割り切るのは正しくない。」(311~312ページ)
75 ななしのよっしん
2016/05/31(火) 23:34:28 ID: TpGy0oQE9g
「[現代のイスラム国家論] 19世紀を通じてしだいに決定的なものとしてあらわになってきた政治的・経済的・社会的変動のもとで、<イスラム世界>という観念も、<イスラム国家>のイデオロギーも、ともに解体し崩壊していった。近代のイスラムにおける危機感の主要な内容は、イスラム国家の喪失感(制度・思想の両面における)であったといえる。
それは、シャー・ワリー・ウッラーの子アブド・アルアジーズ'Abd al-'Aziz(1746-1824)が、イギリス人支配下のインドは、もはやイスラム世界の範囲外にあるダール・アルハルブ(戦争の家)であると宣言したファトワー(1803)に始まって、トルコ革命下でのカリフ制廃止(1924)にまでいたる過程のなかで、しだいにまったく癒しがたいものとなっていった。(…)
ヨーロッパの法体系が実質的な力をもち始め、法の二重過程が生じたことは、神授の法としてのイスラム法の絶対性・自己完結性のイデオロギーが手痛く破壊されたということを意味した。ヨーロッパ商品の圧力によるギルド的同業同職組合の解体と地主制経営の拡大による<むら>社会の変質とは、教団組織を掘り崩し、イスラム神秘主義の形骸化をもたらした。
ウラマーに代わって、技師、軍人、法律家、官吏など新しい型の知識層がエリートとして往生した。世界資本主義的編成の深化とともに、いろいろの地域で、もろもろのエスニック・グループ(民族集団)が大衆的レベルで移動し混ざり合う過程がはげしく展開した。
平和と安全の体系であったはずのオスマン帝国のミッレト制は、東方問題のなかで、むしろ紛争の要因へと転化させられた。シオニズムを利用してのパレスティナ問題の設定は、イスラム国家喪失感の増幅による焦燥とジハード論的対応とを鋭く刺激した。
こうして、イスラム国家論は現代イスラムの中心的争点となっている。(…)実際には常に世俗化・世俗主義的行動の傾向を示すような諸国政府も、憲法におけるイスラムの国教規定をめぐる問題や、シャリーアの実行(たとえばハッドのようにコーランに規定された刑罰)をめぐる問題に関して動揺せざるを得なくなっている。
これに対して、パレスティナ人の運動の間では、明確な脱宗教の非宗教主義の立場がイスラム国家論を積極的に克服し止揚するものとして打ち出されるようにもなってきた。【板垣 雄三】」(314ページ)
76 ななしのよっしん
2016/05/31(火) 23:36:27 ID: TpGy0oQE9g
「19世紀以降(…)家族や家の観念は大きく揺らぎ始める。産業構造の変化に伴う都市化の進行とむら共同体の崩壊、あるいは西欧市民社会のイデオロギーの流入は、血縁による絆をしだいに弱めずにはおかなかった。
また社会変動の波は、人びとの行動の規範となっていたイスラムそのものにも及んだ。混合裁判所の設置によってシャリーアが適用される範囲は大幅に制限され、その担い手であるウラマーの役割もしだいに低下していった。イスラム社会の展開以後、ほとんど唯一の社会組織として機能していたタリーカも、19世紀以降は急速に解体化の方向をたどった。
近代化を促進するために旧勢力のマムルークは一掃され、農村でもイクター制の施行以後初めての本格的な土地改革が実施されようとしていた。(…)【佐藤 次高】」(317ページ)
「教祖の教えがどれだけ信徒の行動の指針となり、信徒によって守られてきたか、その教えと信徒達の行動がどれだけ乖離しているか」(>>69)の点ではイスラム教はさほど守られていないし、乖離していると俺は考える。最低でも他の宗教よりマシとは思えない。
77 ななしのよっしん
2016/06/01(水) 05:32:11 ID: aAX8q8p0B2
>>72
>名無し(俺含む)の考えや聖典よりは、辞事典の方を手がかりにするよ俺は
だから此方はその御宅の考えがそうだったて言うならそれをどうにかしようとは思ってないから。
要するに「お前の考えは気に食わない、受け入れたくないが正面からは反論し難いのでソースの提示が不十分といった理由に託けて退けて見せている」とかでないなら、御宅がそういうソース偏重のスタイルを取りたければどうぞとしかいいようがない。
こちらがしている事はここの掲示板の利用規約の範囲で物を言っているだけで、利用規約に発言する際はソースは詳細に示す事とあったらそれに従って書くか初めから書き込まないかしてるから。
大体8ECAMoPPjGはそちらのいう宗教の定義具体的に述べてみてくれっていうこちらの要望にも応じていない訳で、こちらだけが相手の要求に従う何者も無い訳であってね。
78 ななしのよっしん
2016/06/01(水) 06:06:26 ID: aAX8q8p0B2
>>76
>イスラム教はさほど守られていないし、乖離していると俺は考える。最低でも他の宗教よりマシとは思えない
「他の宗教」と言うがキリスト教よりは明らかに乖離していない。
無抵抗主義や内面的自省などはキリストが信徒に戒律として課した事項ではないがそれらのエピソードが載っているにも拘らず信徒がそれを果たさないのは何故か?
「キリスト教精神」はローマによる武力的制圧が一通り完了し、その後武力による統制が効かなくなり始めた事でそれに代わる精神的支配が必要となった為にユダヤ/フェニキア人と共同で行った「再征服運動」の山車として使われた物に過ぎず、始めからキリストという人物をその行動指針として据えたものではなかった。
単純に言えば一種の「仇討ち根性」を引き出す為のお涙頂戴。
「ソース」が無いからお前の話は価値がない、参考にしないというのであれば好きにしてくれ。
ここは固よりそれが義務付けられた場ではなく現にソースなしでの発言も多々ある以上、ソースの提示不提示は各自の判断に委ねられているし、その有無によって発言をどう扱うかの判断も各自のものだ。
「名無し(俺含む)の考えや聖典よりは、辞事典の方を手がかりにするよ俺は。勉強や仕事や趣味でも、調べ物をするにはそっちの方が役立つし客観的だから」は能々承知した。別にアカデミズムの場でもないここでそれを表明するくらいだから他の場でも日々そうしてる事なんだろう。
ただ思想信条はどうであっても血に飢えた豚の様に不実ではある莫れと、こちらもそう繰り返すしかない。
79 ななしのよっしん
2016/06/01(水) 06:59:57 ID: VnuQz0ro+X
>>76
アッラーフアクバル?
アッラーフアクバル。アッラーーーフアクバル!
>>78
アッラーーフアクバル…。
アッラーフアクバル。アッラーーフアクバル?アッラーフアクバル…。
アッラーーフアクバル、アッラーーーフアクバル。
80 ななしのよっしん
2016/06/01(水) 07:03:36 ID: bjQjFSU2eW
81 ななしのよっしん
2016/06/17(金) 18:25:41 ID: m3wfvxlK3r
わからん漢字だから漢字辞典引くわ→コーラン引けアッラーアクバル
わからん英語だから英語辞典引くわ→コーラン引けアッラーアクバル
わからん語句だから百科事典引くわ→コーラン引けアッラーアクバル
なるほど、わからん
82 ななしのよっしん
2016/06/25(土) 17:46:15 ID: TpGy0oQE9g
>>78
試験に備えるために勉強する学生の部屋とか、バイトや仕事で必要になったから調べるスマホとか、そういう非アカデミズムの場であっても、名無しのレスより辞事典の方を使うでしょ。
辞事典より俺の方が言葉に詳しい!とか言いたいの?
83 ななしのよっしん
2016/06/26(日) 09:22:16 ID: aAX8q8p0B2
>>82
だから御宅は日々そうしてきたんでしょ?>教典より辞事典優先
御宅がそう思ってて自身でも日頃からそうしてるんならそれをどうこう言うつもりもないよ。
そんな事ないのにここで相手をやり込めようという目的のためだけに辞事典云々と持ち出してるなら血に飢えた豚の様に不実なのでそれはアッラーフの忌み嫌う所にも違いないという話だよ
84 ななしのよっしん
2016/06/27(月) 17:59:30 ID: TpGy0oQE9g
>>83
えーと・・・それってつまり、日本の学生は過去問や参考書や辞事典よりも
コーランや匿名ネット言論を使っている
ビジネスマンは、事業報告書やニュースや辞事典よりも
コーランや匿名ネット言論を使っている
って言いたいわけ?
85 ななしのよっしん
2016/06/28(火) 14:34:25 ID: aAX8q8p0B2
>>84
御宅TpGy0oQE9gがどうしてるか、だよ。
御宅はこれまで人に対して聖典の章句や他人の言論を振り翳して辞事典に優るモノとしては来なかった人なんでしょ?だからこそ聖典の章句より辞事典の記述を参考にすると言ってる訳でしょ?
時と場所が変われば逆の事を言ってたりとかしてないなら別にそれで結構じゃないのと言ってる訳で。してるなら血に飢えた豚の様に不実なのでムスリムも大いに忌む所なのは請合い
86 ななしのよっしん
2016/06/28(火) 22:17:51 ID: TpGy0oQE9g
>>85
「時と場所が変われば逆の事を言ってたりとかしてない」と自分では思うよ。イスラム教徒はそう思わず「豚」と見下すかもしれないが、俺はそうしてきたと思う。
で、辞事典うんぬんは>>72で既出のはずなんだが・・・。別に”振り翳して”るつもりはないが、まぁとにかく、自分にとって有効度は「名無しネット言論や聖典<辞事典」とは確かに言った。非イスラム圏では大体そうだし。
それで、「別にアカデミズムの場でもないここでそれを表明するくらいだから他の場でも日々そうしてる事なんだろう」(>>78)とあんたが言って「え?」と疑問に思った。別にアカデミズムの場でなくても、名無しのネット言論やコーランよりは辞事典の方が使われるよね?(>>82 >>84)と。
もしかして、あんたaAX8q8p0B2は
わからん漢字だから漢字辞典引くわ→コーラン引けアッラーアクバル
わからん英語だから英語辞典引くわ→コーラン引けアッラーアクバル
わからん語句だから百科事典引くわ→コーラン引けアッラーアクバル
って風なことを言いたいの?
87 ななしのよっしん
2016/06/29(水) 11:32:33 ID: aAX8q8p0B2
>>86
その81にあるような発言はどこの誰が言ったんだ?御宅は81とは全くの別人だと思われるが知ってるならそう主旨の発言した奴引用してくれ。知らないなら81か誰かに確認取ってくれ。
私個人はそんなムスリムは見た事も聞いた事もない。そもそもアラビア語以外クルアーンでもないのに日本語圏でそんな阿呆抜かす奴いるとは思えないんだが御宅はそういう奴がいると思える頭してるんだな(もしかして、アラブ語圏でアラブ人に言われたとかそういう話か?有り得んだろ)。
88 ななしのよっしん
2016/07/04(月) 00:35:08 ID: TpGy0oQE9g
>>81はただのネタか皮肉だろ。ただ、aAX8q8p0B2はそれに反論した様子もないので、別にaAX8q8p0B2としては>>81的思考方法でおkなんだろうか?と思ったんだよ。実際はそうじゃなかったらしいが。
ひとまず、イスラム教徒でない学生達や社会人達の場合、英語は英語辞典で良し、漢字は漢字辞典で良し、語句は百科事典で良しだよな。なら、「イスラム教」という語句についても百科事典(>>73-76)で良しなわけだ。
89 ななしのよっしん
2016/07/15(金) 11:36:40 ID: aAX8q8p0B2
>>88
御宅は自分が「ただのネタか皮肉」と感じたものに対して他人に「真面目な反応」を求め、それが無いことを根拠に一方的な決め付けを試みた。
御宅はここでもやはり不実によって御宅自身の持つ豚の如き醜くさを顕にし、またその継続によってその性質を一層深めた。
90 ななしのよっしん
2016/07/15(金) 23:40:54 ID: m3wfvxlK3r
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