冨樫仕事しろとは、ファン共通の叫びである。
概要
冨樫義博が連載している『HUNTER× HUNTER』の休載率が高いため、ファンからは不満を込めて言われるようになった。
ただし、本気でこの言葉を言い続けると、再び悪夢がやってくる可能性があるので要注意。
休載
HUNTER×HUNTERの休載率
『幽☆遊☆白書』の休載はたった1回きりである。どうしてこうなった
休載率65.7% [2021年52号現在]
連続掲載回数30回 (2011年35・36合併号~2012年16号)
連続休載記録80回 (2019年1号~)
年別休載率記録100.0% (2015年・2019~2021年)HUNTER×HUNTER 休載リスト
2021年 【休載率100.0%】
2020年 【休載率100.0%】
2019年 【休載率100.0%】
2018年 【休載率58.3%】
2017年 【休載率79.2%】
2016年 【休載率77.1%】
2015年 【休載率100.0%※】
2014年 【休載率81.3%】 ←重度の腰痛 ※2022年インタビューでまともに用をたせないほどと記載。
2013年 【休載率95.8%】 ←クラピカ追憶編(読切)
2012年 【休載率70.8%】 ←暗黒大陸編。冨樫インフルに感染し関節痛から腱鞘災を併発
2011年 【休載率66.0%】 ←会長選挙・アルカ編。冨樫体育座りが出来なくなったと告白。
レベルEアニメ化、ハンタ再アニメ化
2010年 【休載率58.3%】 ←幽白文庫版発売
2009年 【休載率95.9%】
2008年 【休載率58.3%】 ←長女誕生
2007年 【休載率83.3%】
2006年 【休載率91.7%】 ←巻末コメント「椅子から動けない日が続いております」。長期休載始まる
2005年 【休載率35.4%】 ←人間ドック、冨樫夫妻の絵本発売、ハンタ21巻「いっぱいいっぱいです」
2004年 【休載率53.1%】 ←冨樫家族旅行、ハンタのパワプロ企画、幽白完全版発売
2003年 【休載率20.8%】 ←キメラ=アント編。冨樫家族とTDS、ハンタ18巻「この巻も大変でした」
2002年 【休載率37.5%】 ←家族で初TDL。冨樫入院。ハンタの企画でサイコロを3万5千回振る
2001年 【休載率33.3%】 ←グリードアイランド編
2000年 【休載率27.1%】 ←ヨークシン編(幻影旅団編)。冨樫エジプト旅行、長男誕生
1999年 【休載率31.3%】 ←天空闘技場編 。冨樫結婚、新婚旅行、ハンタアニメ化
1998年 【休載率8.1%】 ←連載開始、ハンター試験編
※2015年に一度も描かなかった事で、冨樫のジャンプ連続掲載記録は25年でストップしてしまった。
休載の言い訳集
1998年(休載率8.1%)
GWはみっちり仕事。しかしその後に初めての海外が待っている。飛行機のりまくり写真とりまくる
なまけ者の私は以前3回ほどしていた徹夜を週1回に抑えてます。森田さん、それでもキツイッす
1999年(休載率31.3%)
1月6日に武内直子さんと結婚しました。今は新婚旅行先で買い物しまくりです。
ただ今披露宴の準備で忙殺中。実はまだ独身です。う~んこれが出版業界マジック
-1999年8号(38話「ジン=フリークス」掲載) 巻末コメント(休載前)
旅行から帰ってきました。いや~T・S(トルコスペイン)いいとこだ。次は…あ、仕事ですね。ハイ。
-1999年12号(39話「侵入者」掲載)巻末コメント(休載後)
カナヅチの僕でしたが強引に泳げるようになってやりました。次こそ運転免許をぉ
-1999年30号(52話「カストロ」掲載)巻末コメント(休載後)
夏カゼをひいてしまいました。病院へ行き、1秒で計れる体温計の存在にビックリ
-1999年32号(53話「ダブル」掲載)巻末コメント(休載前)
夏休みに京都へ1泊2日の旅行に行きました。大文字焼って何か所もあるんすね。
-1999年42号(57話「約束」掲載)巻末コメント(休載後)
2000年(休載率27.1%)
行ってきましたエジプト!!作品の中でこの感動の一部でも表現できたらと思います。
-2000年8号(73話「9月1日②」掲載)巻末コメント(休載前)
J新年会で先生方とお話しました。荒木先生にお会いして大感激!!影響受けまくりです
-2000年10号(74話「9月1日③」掲載)巻末コメント(休載後)
いよいよもって自動車免許を取ろうと思う。今年中に。遅刻厳禁なのが不安。(原稿も)
(1)自転車でガードレールに衝突。えらいとこに打撲(2)誕生日えらい場所(とこ)で美味しい鴨を食う
-2000年24号(87話「9月3日③」掲載)巻末コメント(休載前)
長男が生まれました。これからも頑張りますので、皆の応援をよろしくお願いします。
-2000年52号(102話「9月4日①」掲載)巻末コメント(休載後)
2001年(休載率33.3%)
都内大雪の翌日、ハムスターのプリンが静かに逝きました。本当に雪の様なコでした。
-2001年11号(108話「9月4日⑦」掲載)巻末コメント(休載後 )
家族そろって体調を崩してしまいました。一番長引いたのが私です。なのに現在79.5kg
-2001年28号(120話「9月6日①」掲載)巻末コメント(休載後)
午前中の電話は本当に辛い。いい加減にしてくれ。電話発明した奴殺す。現在77kg。
-2001年38号(127話「9月10日④」掲載)巻末コメント(休載前)
わけあって長々と休んでしまい、すみません。仕事に集中するため太るのもよしとします
-2001年44号(128話「9月10日⑤」掲載)巻末コメント(休載後)
子供といっしょに起きるのは辛いので寝なければいいと気付いた。問題はいつ寝よか…
-2001年48号(132話「40種の呪文」掲載)巻末コメント(休載前)
ハムスターのむう丸くんが天に召されました。ひまわりの種は1日1粒。肝に銘じます
-2001年51号(133話「呪文以外の防御法」掲載)巻末コメント(休載後)
2002年(休載率37.5%)
(1)TDL初体験。子供そっちのけで楽しみました。(2)カメダス2に両さんを描きました。秋本先生サインありがとうございます。
-2002年3号(135話「いざマサドラへ!①」掲載)巻末コメント(休載後)
入院中に読んだ「リンダリンダラバーソール」。点滴中のオレは、その時確かにタイムスリップした。イカ天のビデオまた見るか。
-2002年22・23号(146話「アベンガネ①」掲載)巻末コメント(休載後)
検査の結果も良好。ほとんど復調しました。御心配と御迷惑をおかけしましたが、何とかがんばっていきますんで、よろしく。
-2002年24号(147話「アベンガネ②」掲載)巻末コメント
150回記念のハンター試験最終課目、双六が終わりました。サイコロを振った回数3万5千回。大変だったけど楽しかったです
2003年(休載率20.8%)
高橋編集長のご冥福を心よりお祈りいたします。描き続けることでお返ししていきたいと思います。
-2003年12号(174話「三つ巴の攻防④」掲載)巻末コメント(休載後)
先週号は、ある企画を進行させるために1週お休みを頂きました。また頑張っていきますのでよろしくお願いします。
-2003年17号(178話「三つ巴の攻防⑧」掲載)巻末コメント(休載後)
東京ディズニーシーへ行ってきました。雨が降って子供は乗り物全てを泣いて拒否しましたが、そっちのけで楽しみました。
-2003年30号(187話「女王」掲載)巻末コメント(休載後)
プリンのサインをいただきました。ありがとうございました。フルコン目指してこれからも集め続けます。
-2003年34号(190話「潜入」掲載)巻末コメント(休載後)
この巻も大変でした。
-『HUNTER×HUNTER』18巻から抜粋(2003年10月3日発売)
自宅で車上荒らしを捕まえた。警官には「相手が刃物持ってなくて本当に良かったね」と言われた。○○人だと99%持ってるらしい
2004年(休載率53.1%)
息子が旅行先で覚えたのは七ならべでした。完全に父親似のインドア派です。
-2004年9号(207話「弱点①」掲載)巻末コメント(休載後)
もっと大変でした。
-『HUNTER×HUNTER』19巻(2004年2月4日発売)
ナックルの能力名、変更を余儀なくされた上、読み方を間違われた。正しくは『ハコワレ』(麻雀用語)
-2004年15号(212話「破水」掲載)巻末コメント(休載前)
パワプロ企画、1000人を超える多くの方の応募ありがとうございました。
-2004年17号(213話「誕生」掲載)巻末コメント(休載後)
-2004年18号(214話「決着」掲載)巻末コメント(休載前)
『幽☆遊☆白書』完全版が8月から刊行されます。頑張って描きました。よろしくお願いします。
-2004年32号(217話「肉樹園」掲載)巻末コメント(休載後)
2005年(休載率35.4%)
いっぱいいっぱいです。
-『HUNTER×HUNTER』21巻から抜粋(2005年2月4日発売)
人間ドックに行きました。白いウンコに感動。みなさんも是非一度。
-2005年24号(240話「8-⑥」掲載)巻末コメント(休載後)
助っ人も呼んでJCの仕事をやってますがとにかく終わりません。誰か助けて下さい。
-2005年26号(242話「7-①」掲載)巻末コメント(休載前)
7月にJC22巻出ます。というか今出すために頑張ってます。よろしくお願いします。
-2005年28号(243話「7-②」掲載)巻末コメント(休載後)
CDを聴く準備さえ億劫なくらいしんどいです。
-2005年39号(251話「6-⑧」掲載)巻末コメント(休載前)
頭痛がします 眠りが浅いです いつも眠いです
-2005年41号(252話「6-⑨」掲載)巻末コメント(休載後)
久しぶりにいっぱい色を塗りました。絵本もかいちゃいました。10月下旬にでます。
久々のカラーです。絵本も…。死にかけの作者を想像してお楽しみいただければ幸いです。
-2005年46号(255話「5-①、2-①」掲載)巻末コメント(休載前)
仕事場の周辺がずっと工事中でなかなか眠れず、体調を崩してしまいました。
-2005年50号(256話「2-②」掲載)巻末コメント(休載後)
2006年(休載率91.7%)
御心配をおかけしました。マイペースながらもまだまだ頑張ります。
-2006年8号(257話「1-①」掲載)巻末コメント(休載後)
寝てる間に自分で自分に関節技をきめたみたいです。ヒザが痛い。
椅子から動けない日が続いております。
-2006年11号(260話「1-④」掲載)巻末コメント(長期休載始まる、約1年8カ月)
2007年(休載率83.3%)
多くの方々に御心配、御迷惑をかけました。それでも待っていて下さった皆様のお陰での再開。頑張ります。
-2007年45号(261話「突入」掲載)巻末コメント(休載後)
2008年(休載率58.3%)
近くまた戻ってまいります。なるべく早く帰ってきます。頑張ります。
-2008年2号(270話「貸し」掲載)巻末コメント(長期休載前)
再開一発目の原稿中いきなりノロの野郎共にやられました。逆に頑張ろうと思います。宜しくお願いします
-2008年14号(271話「分断」掲載)巻末コメント(約3カ月の休載後)
何とかがんばります。なるべく早くに続きが出せるように…。
-2008年24号(280話「直撃」掲載)巻末コメント(長期休載前)
お待たせして申し訳ありませんでした。最近になって免許をとって、身分証明がすごく楽になりました。
-2008年45号(281話「神速(カンムル)」掲載)巻末コメント(約半年の休載後)
2009年(休載率95.9%)
1日も早く再開できるように…何とかがんばります。
-2009年2号(290話「名前」掲載)巻末コメント(長期休載前)
第二子が生まれまして。ええ。ええ。いつのまにか一歳なわけで。ええ。ええ。
-『HUNTER×HUNTER』27巻から抜粋(2009年12月25日発売)
2010年(休載率58.3%)
あけましておめでとうございます。そしてお待たせしてすいません。今年の目標はできる限り描く事です。
-2010年5・6号(291話「自問」掲載)巻末コメント(約1年の休載後)
-2010年26号(310話「始動」掲載)巻末コメント(長期休載前)
2011年(休載率66.0%)
被災地復興のために微力ながら支援を続けるためにも、出来る限り長く頑張ります。お願いします。
-2011年35・36号(311話「期限」掲載)巻末コメント(約1年2カ月の休載後)
体が異様に硬くなり、体育座りが出来なくなっていることに気付きました。
河野晃一郎さんの様な漫画家を目指してます。まぁ河野さん漫画家じゃないんですけど
2012年(休載率70.8%)
インフルに感染し関節痛から腱鞘炎を併発。書くこと出来て良かったね。
ヒキがヒキなので早めに戻ってきたいです。
-2012年16号(340話「特命」掲載)巻末コメント(長期休載前)
2013年(休載率95.8%)
ネーム描き上げた時はまさかこんなにタイムラグが生まれるとは思わずに…。
-2013年1号(クラピカ追憶編前編掲載、約8カ月の休載後)
2014年(休載率81.3%)
大変お待たせしてしまい、すいません。大分ガタが来てますが何とか頑張ります。
-2014年27号(341話「厄災」掲載)巻末コメント(約2年2カ月の休載後)
2015年(休載率100%)
2016年
近年は、体重増加で腰を痛めて連載の休載を余儀なくされていたが、ウォーキングやジョギングで減量にも成功し順調に回復しつつある。今では、腰痛を克服するために始めたランニングが趣味になっている。50歳を間近に控えた現在の目標は、50歳でフルマラソンに挑戦すること。
便座や椅子に座れる幸せ。体も偉いもんで寝たきりの時はウ○コも出ない。
-2016年20号(350話「王子」掲載)巻末コメント(約1年8カ月の休載後)
寝たきり→第3匍匐→ハイハイ→つかまり立ちを経て病院へ
初期のハードワーク
てんで性悪キューピッド(1989年~1990年)
当たり前だが、冨樫にも駆け出しの頃は存在した。
美術教師への道を断念した冨樫は、多くの人がこなしているような、毎日ヒゲを剃り背広を着てきちんと働く“仕事”ができる気がしなかったと言う。そして追い詰められた結果、「日常で仕事ができるマンガ家しかない」と一念発起。大学を中退し、マンガ家を目指して山形から上京した。
引っ越しの荷物が手違いで1週間届かず床にそのまま寝る、机を買う金もないのでタンスを机代わりにして辛い体勢で原稿を描く、手元に500円しかないのにそのうちの400円をゲームで使ってしまう、などの苦労を経た後、貯金が底をつく寸前で連載が決まり、心からホッとしたらしい。
ぐわ~~!!遊ばせてくれ~~。週刊連載が、こんなにきついと思わなかった!!
週に4日休めて、お金がたくさんもらえるって聞いてたのにな~~。
でも、素直にうれしい!まさか、こんなことになるとは思わなかったもんな~~。
3年前まで、トーンはのり付けてはるもんだと思ってたもんな~~。これでもう、思い残すことは…
あ、いけね、借金返さなきゃ…ダイエットしなきゃ…寝なきゃ…
-『てんで性悪キューピッド』単行本1巻から抜粋
とにかく多忙で一週間で合計8時間しか寝られなかった事もあっただの、所持金が168円しか無くて自分が載ってる雑誌も買えないだの、借金もあるので金儲けのためではなく生きるために漫画を描いているだのと作中の空きスペースで愚痴ってはいる。が、この頃の作者コメントのハイテンションぶりからは夢を叶えた達成感が伝わってくるようである。
しかし、喜びも束の間、この作品は7ヶ月ほどで打ち切りを食らってしまう。
『ヘタッピマンガ研究所R』のインタビューによれば、これはウ冠の「富」樫さんの作品だとして、現在の冨樫の中では無かったことになっているらしい。
冨樫は『ジャンプ流 vol.21』においてもこの作品の失敗を認め、連載前から全体的な構想を準備しておかないと本当に“もたない”んだと痛感したと語っている。連載の後半頃には精神的にも疲れ果ててしまい、最終回を迎えられた時は終わってよかったと思うくらいだったらしい。
しかし、連載終了から2~3か月程すると、またウズウズと描きたい気持ちが大きくなっていき、前回の連載の反省や、こうしたい、ああしたい、次はこれをやりたいというのが次々沸いてきたようだ。
幽☆遊☆白書(1990年~1994年)
「高熱出してな。連載当時。でも休めないわけよ。……なぜって?時代さね。」
「(幽白完全版7巻について)連載してた時、週に10~20時間くらいしか寝てない時だな。今の5分の1くらいだな、うんうんうんうん。」
「(読み切り「TWO SHOTS」について)中身すべて下描きなしフリーハンドです。ははは時間ねーっての。殺す気かっての。あんま腹立ってアシスタントも呼ばなかったっての。」
連載当初と最後でこんなに心がかわるのかというくらい、濃い4年ちょいでした。
税金で70%程とられて、1日20時間作業して14時間タダ働きかと思って油断すると夜中走り出したくなってました。当時免許持ってたらやばかった。自分の体と人生と心が解離していたので653万部に余り感慨はありませんでした。自分の数字はゲームの主人公(プレイヤーではなく)的な立ち位置で喜んでいました。ドット絵でバンザイしてるイメージです。
-『創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展』(2018年) 冨樫のコメントより
>逃亡したコトある?
冨樫「あります。しかも冷静に計画的逃亡を企てました。ちなみに隠れた場所は新宿ワシントンホテルでした。」
「今度はとにかく自分の好きなことをやろう、それでダメならしょうがない」と決意した冨樫は、自分が好きなオカルトとバトルを足したもので勝負するのが一番だと思い、『幽☆遊☆白書』の連載をスタートさせる。
初代担当の故・高橋俊昌氏からは「ドラマが描けるのが冨樫君のいいところだ」と言われていたが、冨樫はそれだけでは絶対に長くはもたないと思っていたという。
「仮に人気が出たとしても30週で勢いは落ちるだろうから、そこから先はバトルに転換しよう」と連載を始める前から考えていたらしい。ちょうど30週あたりでアンケート結果が尻すぼみになり、「バトルをやってみるか」という流れができて、狙い通り方向転換は大成功。
(冨樫いわく、この流れのお手本は『キン肉マン』。初めはギャグでキャラを作っておいて、そこからバトルに変わるという流れを参考にしたらしい。少年の心をくすぐる意外性やワクワク感を自分が体感して覚えていたからこそ、このやり方に確信があったと冨樫は『ジャンプ流 vol.21』で語っている。)
人気はどんどん上昇し、単行本は発行部数5000万(2015年までの累計)、アニメは平均視聴率17.6%(全112話)、最高視聴率24.7%を叩き出し、『幽☆遊☆白書』は『DRAGON BALL』や『SLAM DUNK』と共にジャンプ黄金期三本柱と呼ばれるほどの人気作品となった。
そして冨樫は幽白連載中の93年~94年、2年連続で高額納税者番付(長者番付)の文化人第2位(総合73位)に名を連ねることになった。
一躍人気作家となった冨樫は更に忙しくなり、
連載当初から暗黒武術会編の前くらいまで、週に休みが睡眠のための半日しか取れなくなった。
それ以外はほとんど仮眠であり、ストレス発散は寝る時間を削って行うという日が続いたようだ。
しかし、読み切り31ページ(『TWO SHOTS』)と巻頭カラーが立て続けに来たあたりで、
徹夜をすると心臓に痛みが走りだすようになり、徐々にその間隔が縮まってくるようになったという。
そこで「規則正しい生活はムリにしても、寝たい時にきっちり寝て描いたら、どの位のペースで仕事ができるだろうか」と考えて実行したところ、今度は原稿がみるみる遅れ出して、納得のいく出来のものが描けず葛藤していたらしい。
原稿が満足に出来ないストレスを解消する方法は、冨樫にとっては「一人で原稿を上げること」であった。
ストレスのピーク時に何度か一人で描いた原稿は、本人いわく殴り描きの惨々たるものであったが、それでも冨樫は自己満足していたらしい。その時既に「人がどう思おうがどんなに荒れた原稿になろうが一人で描きたいものは描きたいんだ」という気持ちが抑えられなくなっていたという。
A(24-a)-Ph
A=〆切までの日数(当時の冨樫の場合→原稿にかかる時間は週5日、残り2日はネーム)
a=1日の平均睡眠時間(だいたい5時間)
P=原稿の枚数(19~21P)
h=1枚の原稿を完成させるまでにかかる時間(調子によってかなり違うがだいたい4時間)したがって代入すると
5(24-5)-19×4=19時間ここから食事・風呂・トイレなど生活に必要な時間を引くと3~4時間しか残らない
一番ひどい時は机に向かうことができず床に寝た状態で原稿描きました。
最近ではキャラ人気投票発表のカラー原稿の回。ブッシュ風邪でめまいと吐き気に悩まされながら、ほとんど自動書記で描いてました。
オレのこと その④~〆切前夜編~
担「あと何時間位、かかりますかね」 冨「う~~~ん。そぉぉですねェ……」 担「訳すとまる一日位ってとこですか」 冨「そうですね」 担「明日の朝8時過ぎるとアウトです」 冨「アウトですか」 担「アウトです」 冨「ちょっと難しいですね」 担「そうですか。じゃ、明日の8時に」
アシスタント→作品を手伝ってくれる人。作品の99%を担う場合もある。 胃炎→アシスタントにこの病気が多い程、その作家は一部の読者に評価される。
打ち切り→雑誌の良心。落とす→作家の良心。賛否は勝手だが、これをステータスと考えるのは、愚かだ。 急病→命に関わる病気でない限り、休ませてくれないとこもあるらしい。あ…
担当→原作者の同意語の場合あり。 鶴の一声→「それじゃ売れないよ」。
-『幽☆遊☆白書』単行本19巻(最終巻)最終ページの挿絵のキャラの台詞
「仕事で過労死はやだ。ポックリいくなら遊んでいるときか趣味で原稿描いてるときがいい。カラー原稿こわい。読み切りこわい。」
幽白連載放棄事件
これが原因で、一部の古参ファンは「冨樫仕事しろ」とあまり強く言えないのである。
※¹「もう十分だろう。いい加減忍を休ませてやれ。
『死んでも霊界には行きたくない』忍の遺言だ。お前らの物差しで忍を裁かせはしない。忍の魂は渡さない。これからは二人で静かに時を過ごす。
オレ達はもう飽きたんだ。お前らはまた別の敵を見つけ戦い続けるがいい。」
-『幽☆遊☆白書』単行本17巻/完全版14巻/文庫版11巻・樹の台詞
あー スッキリした。
>連載中一番苦しかった所は?
2回目は仙水と幽助が闘ってた辺り。原稿に向かうと、ハキ気がする位漫画を書きたくなくなった時期。
この時位に初めてもう“幽遊”はやめようと編集に頼み込んだ。
>お気に入りの話は?
樹がウラ男の中で雄弁をふるう所。
最後の樹の捨てゼリフ※¹には当時の原作者(オレ)の血の叫びが入ってた(笑)>最後に皆気になってると思うんだけど今後の予定は?
誰にも見せられない様な漫画を一人で描いて、嬉びたい。ウケケ。
考えてねッス
こうして『幽☆遊☆白書』終盤は、これまでの味方キャラと敵国に別れて戦う魔界三国志編が始まったと思ったら、
突然主人公が「トーナメントしようぜ!」と言い出して全部有耶無耶になり、強引に最終回を迎えてしまうという、ある意味伝説の幕引きとなった(ただし、幽助の性格から考えると話の進み方には何の問題もない)。
幽白連載終了は94年7月の出来事であったが、直後の夏コミに冨樫本人がまさかの降臨。
連載終了の内情を吐露した同人誌『ヨシりんでポン!』を無料配布し、ファンを驚愕させた。
(この中には、サイン色紙に幽白の絵を描いてくれと頼まれた冨樫が
「幽遊白書はもう勘弁してけろ!!」と泣いて拒否する話も収録されている。)
そして冨樫はしばらく表舞台から姿を消し、『消えたマンガ家』(大泉実成著)という本でも取り上げられた。
(幽白完全版15巻について)連載やめる32週前から1号あがる度にカレンダーに×(バツ)つけてったんだよな。そんな巻です。
残念ですが、『幽☆遊☆白書』のキャラクターで出来ることは、商業誌ベースではやりつくしてしまいました。
あとは出来上がったキャラクターを壊していくか、読者があきるまで同じことをくり返すかしか残っていませんでした。
この本でやったようにキャラを壊す試みはジャンプでは当然ボツになりました。
そこで常々思っていたことを実行しました。
「もしジャンプで長期連載ができたら自分の意思で作品を終わらせよう。」
アンケートの結果が悪ければ10週で打ち切りというシステムは承知でジャンプにお世話になりました。
逆にそれがはげみとなり、「読者の反響」を意識することで色々勉強ができました。
しかし、それを全く考えないで自己満足だけのためにマンガ描きたくなってしまいました。
その結果できる作品がジャンプ読者のメガネにかなうとはどうしても考えられませんので挑戦を放棄します。
今までの文章を要約します。
わがままでやめました。すいません。
週刊誌で月一連載
レベルE(1995年~1997年)
95年9月にジャンプに戻ってきた冨樫は『レベルE』の連載を始めるが、週刊連載に懲りたのか、これは『週刊少年ジャンプ』としては異例の月に一度の連載であった。
同時に、アシスタントを使わず一人で描くことに挑戦した意欲作でもある。
『ジャンプ流 vol.21』によれば、新担当の矢作康介氏に冨樫が「票を取らないようなマンガを描きたい」「読切の型を全12話くらいで」と提案し、「その後は王道作品をきちんと描きますから」とお願いしてスタートしたのが『レベルE』だと言う。
その頃の冨樫は、『幽白』で王道マンガは描き切ったと思えていたからこそ、「次は打ち切りでもいいから自分のいろんな面を見せたい」という希望を持っていたらしく、「自分の引き出しにはこんなのもあるよ」と一度読者に提示したかったのだそうだ。
本当は1話完結でつながりのない話にしたかったが、1話に登場した王子に人気が出てしまい、彼を主人公にすることにしたという。
しかし、あの王子は裏の裏をいくような性格だったので、彼が主役になるからには話も二転三転させなくてはならず、そういう意味では大変な課題だったが、なるべく読者の予想を裏切れるように作っていったと冨樫は語る。
一人でやりたく思い、月イチになりました。忘れた頃に載ります。御気軽に読んで下さい
精神関係の本を買い、自己診断した結果「要注意」と出た。よし。前よりマシだ。
(レベルEは)完全にストレス解消 したくて始めたのですが、まぁやっぱり制約はあって難しいっす。
-DVD『レベルE』特典冊子・宇宙大図鑑 冨樫のコメントから抜粋
最初の連載からこの頃までは、作品と自分の生活がほぼイコールで同調していたので、読むと古い日記を見返す様なむずがゆい感じになる。
でも他の作品に比べて居心地はそんな悪くない。比較的好き勝手に描けたからだと思う。
比較的、だが。あくまで。そりゃ色々あったけど。
……うーん年齢を重ねて怒りっぽくなった気がする。いや、怒りっぽくというか、我慢できなくなったといった方がいい。とにかく思った事を言わずにいるのが大変難しくなってきている。
何が言いたいかというと、当時の事を思い出して、少しイライラしてきている。
幽白の連載を終えてから冨樫が帰還するまでの1年2ヶ月の間に、『週刊少年ジャンプ』が置かれた状況は一変してしまっていた。
幽白終了に続き『忍空』の連載が中断、そして95年5月に『DRAGON BALL』が終了してしまったことが決定打となり、それまで伸び続けていた『週刊少年ジャンプ』の発行部数が激減、一気に600万部を割ってしまったのである。
異例の月一連載が認められたのは、このことが冨樫と編集部の力関係に何らかの変化をもたらしたからなのかもしれない。
また、『レベルE』連載中の96年には『SLAM DUNK』も終了し、発行部数は下落を続け、97年には『週刊少年マガジン』に発行部数首位の座を奪われてしまう。こうしてジャンプは暗黒期へと突入していった。
『ジャンプ流 vol.21』で当時の担当(矢作氏)が語ったところによると、『レベルE』は『幽白』を全力で描いた後だったので、のびのびと描いてもらうはずだったが、人気を博してしまったゆえに編集部からの要望も多くなってしまったという。
そこで、『レベルE』の次作こそはゆっくり…と思っていたら、冨樫からまさかの「『DRAGON BALL』を目指して描きたいです」宣言があり、『HUNTER×HUNTER』の構想を伝えてきたらしい。
ちょうどその頃、冨樫が(妻となる)武内直子と交際を始めた頃で、そのことでより奮起したのかも、と矢作氏は推察する。
「奥様のおかげですごい作品がきちゃった!」と担当編集としてはとてもありがたかったらしい。
長期休載へ
HUNTER×HUNTER(1998年~不定期連載中)
冨樫は武内直子との同人誌『'98社会復帰宣言』で週刊漫画家として復活することを発表。
『HUNTER×HUNTER』で週刊連載に再挑戦した。
これから10巻20巻とだしていけるようにがんばるつもりです。
だからもう弱音吐きません。逃げません。切れません。と思います。多分。-『HUNTER×HUNTER』単行本1巻から抜粋
>'98の野望
冨樫「週刊連載をしながら運転免許をとり、人類滅亡にそなえて地上最強になる。これが達成されれば怖いものは何もないと思われる。」
武内「(冨樫)王子が免許とったらタント(担当?)さんは青ざめると思う。パスポートもとるんだよね?王子。白くなるタントさん…。」
>好きなまんが
冨樫「雑誌ではアフタヌーン。理由は自由に描かせてくれそうだから。」
『HUNTER×HUNTER』を連載するうえで、 僕の目標のひとつはできる限り長く連載を続けるということなんです。
-黒子のバスケ オフィシャルファンブック CHARACTER BIBLE 藤巻忠俊との対談より
(クラピカ追憶編について)この後(10巻)あたりから色々しんどくなって来たんであんま覚えてないですね。
きっかけは…まあ本格的にしんどくなるとはまだ思ってなかった時なんですぐ原稿にして載せれると思ってたわけですよ。
-『HUNTER×HUNTER』0巻から抜粋
全員死にます。
-『HUNTER×HUNTER』0巻から抜粋
(『ハンター』以外の作品の構想について)僕めちゃくちゃあるんですよね。描きたいやつ。
だってこんなにインターバルを挟みながら『ハンター』描くとは想定してなかったから。(中略)僕は言っちゃうけど、カードバトルですね。高橋和希先生が『遊☆戯☆王』やったじゃないですか?なのでタイミングが難しいんだけど。だいぶ経ってるから、もうやっていいんじゃ…?って気もちょっとあるんです。
しかし、記事冒頭の『HUNTER×HUNTER』休載率を見ても分かる通り、近年では『HUNTER×HUNTER』は休載だらけで、もっぱら週刊連載とは言い難い状態になってしまっている。
これでは「冨樫仕事しろ」と言われてしまうのも仕方ないことかもしれない。
また、近年においてハンタが連載状態で掲載されると「冨樫ですら仕事してるのに」ということで、俺らが狙い撃ちされることもしばしばあるので気をつけられたし。
なお、冨樫の斜め上な行動はハンタだけに留まらない。近年では、幽白文庫版12巻(最終巻)に冨樫が新しく描き下ろした漫画がファンの間で物議を醸した。
謎のパンダが現れて(ハンタの暗喩?ジン=フリークス?)幽白メインキャラクター達を虐殺するという衝撃的な内容だったためである。
『幽☆遊☆白書』を連載していた頃の自分に対して何か思うところでもあるのだろうか。
ちなみに、「19って数は切りが悪くてイライラしてたんだ」という台詞が『HUNTER×HUNTER』3巻で出てくるが、偶然にも『幽☆遊☆白書』は全19巻である。
『HUNTER×HUNTER』遅筆の理由?
遅筆の理由に触れているのかもしれないと思われる発言集
関連動画
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『幽☆遊☆白書』(単行本全19巻・完全版全15巻・文庫版全12巻)
レベルE(単行本全3巻・文庫版上下2巻)
HUNTER×HUNTER(単行本1巻~)
関連書籍
関連項目
- 冨樫義博
- 冨樫休め
- 冨樫休んだ
- 冨樫は二度描く
- 仕事しろ
- てんで性悪キューピッド
- 幽☆遊☆白書
- レベルE
- HUNTER×HUNTER
- 武内直子
- もうちっとだけ続くんじゃ - 結果的に作家負担のラインを越えてしまった一事例。
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