川崎フロンターレとは、川崎市をホームタウンとするJリーグのサッカークラブである。
ホームスタジアムは等々力陸上競技場。
概要
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1955年に富士通サッカー部として設立。1997年にJリーグ準会員に承認され、1999年にJリーグへ加盟。チーム名の「フロンターレ(Frontale)」は、イタリア語で「正面の」「前飾り」を意味しており、常に最前線で挑戦し続けるフロンティアスピリッツを体現し、正面から正々堂々と戦うチームの姿勢を表現したものである。
エンブレムは川崎市の花 つつじ、チームマスコット イルカ、チームカラーを基に、世界に向けて開かれた活力と、魅力ある臨海都市 川崎をシンボライズしている。チームカラーの水色と黒は、クラブ創成期に業務提携を結んでいたブラジルのグレミオのチームカラーを模していた名残である。
クラブマスコットは先進技術やスピードをモチーフとしているふろん太、カブレラ。
また、毎試合、選手入場前にサポーターが川崎市民の歌『好きです かわさき 愛の街』を歌うことが慣例となっている。
現在は、J1リーグ優勝4回とJリーグでも屈指の強豪チームへと成長しており、2022 FIFAワールドカップでは三笘薫、田中碧、守田英正、谷口彰悟、板倉滉らチームの出身者がベスト16入りに貢献している。
クラブの歴史
創成期
前身の富士通サッカー部が1992年より旧JFLに参入。1996年に「富士通川崎フットボールクラブ」へと改称。
1997年にチーム名を現在の「川崎フロンターレ」に改め、Jリーグ準会員に承認される。Jリーグ昇格を目指したこの年は、ベッチーニョや中西哲生、向島健といったJリーグでの実績を持つ即戦力を補強。さらにブラジルの名門グレミオと業務提携を結ぶ。しかし、この年の旧JFLでは2位とわずか勝ち点1差の3位に終わり、惜しくもJリーグ昇格を逃す。
1998年、ブラジル人監督のベットが監督に就任。最後の開催となった旧JFLではヴァルディネイ、トゥットのブラジル人2トップが規格外の攻撃力を発揮。特にヴァルディネイは33得点という記録的なゴール量産を見せる。東京ガスとのし烈な首位争いを繰り広げることとなり、勝ち点わずか1及ばず優勝を逃し、シーズン2位でJ1参入決定戦に回ることになる。だが、1回戦でアビスパ福岡にVゴールで敗れ、翌年に創設されるJリーグディヴィジョン2(J2リーグ)に参戦することが決まる。
J2初年度の1999年だったが、開幕3連敗とスタートダッシュに失敗。この結果、5月にベットが解任となり、松本育夫が監督に就任。松本との確執で岩本輝雄が主将を剥奪される事件が起きるものの、新たに主将に就任した中西がチームをまとめ、森川拓巳の加入によって課題だった守備が安定するようになる。攻撃面ではティンガとツゥットのブラジル人コンビが活躍。7月に入って首位に立つとそのままシーズンを終え、初代のJ2リーグ優勝チームとなると同時にJ1リーグ昇格を決める。シーズン終了後、松本は監督を退任しクラブの社長に就任。
J1リーグ初挑戦となった2000年、ヘッドコーチだったゼッカが監督に就任。元鹿島アントラーズの選手を多く獲得するも攻撃の中心だったトゥットとティンガが退団。補強の失敗もあって開幕から低迷し、わずか10試合でゼッカが解任になる。後任に今井敏明が就任した後もチームの成績は振るわず、1stステージでは延長戦でのVゴールでセレッソ大阪の初優勝を阻止するが、年間順位最下位に終わり、1年でJ2リーグに降格となる
J2リーグでは3年間を過ごすことになるが、この時期に後にクラブの象徴となる中村憲剛、圧倒的な得点力を持つジュニーニョが加入。彼らを中心とした攻撃的なスタイルの礎が確立された時期でもあり、関塚隆監督が就任した2004年には勝ち点105、総得点104という圧倒的な数字を残し、2位大宮アルディージャに勝ち点18差をつけるぶっちぎりの独走状態で2度目のJ2リーグ優勝を果たし、4年ぶりにJ1へ復帰する。37得点を挙げたジュニーニョは得点王に輝いている。
成長期からシルバーコレクターへ
ジュニーニョ、中村憲剛を擁した攻撃力はJ1でも十分に力を発揮し、昇格1年目の2006年は一桁順位の8位という成績を残す。そして、2006年開幕戦で我那覇和樹がハットトリックを達成し6-0、第2節ではジュニーニョがハットトリックを達成して7-0というド派手なスタートを切る。これで勢いづいたチームは、自慢の攻撃力を前面に出し、ワールドカップでの中断期間を首位で折り返す。後半戦に入っても勢いは衰えず、最後まで優勝争いを繰り広げ、シーズン2位と大躍進を遂げる。この年のチームはジュニーニョ、我那覇、中村憲剛、谷口博之の4人が二桁得点を記録し、総得点数はリーグ新記録の84得点を記録した。
2007年には、我那覇和樹が試合後に受けた疲労回復の静脈注射(点滴)がJリーグのドーピング(禁止薬物使用)規定違反と認定され長期の出場停止処分を受けたり[1]、2008年には開幕直後に起用法を不満としたフッキが突如退団、関塚監督が体調不良で一時指揮を執れなくなるなどの数々のアクシデントに見舞われるが、鄭大世や川島永嗣らの台頭もあり、チームは毎年優勝争いに加わるほどの強豪チームへと成長していった。一方、2007年のナビスコカップ準優勝、2008年リーグ2位とあと一歩でタイトルを逃し続けていることから、シルバーコレクターと揶揄する声も挙がるようになっていた。
2009年は関塚が監督に復帰。ジュニーニョと鄭大世の2トップの活躍もあって終盤戦に首位に立つが、第32節に大分トリニータに敗れ首位から転落すると、鹿島アントラーズの逃げ切りを許し2年連続で2位に終わる。一方、ナビスコカップでも2度目の決勝進出を果たすがFC東京に敗れ準優勝に終わる。また、決勝戦後の表彰式において、一部選手が首にかけて頂いた準優勝メダルを外すといった行動をとったことが問題となり、準優勝賞金5000万円の自主返還などの処分が発表される。この年を最後に関塚監督が退任。
風間革命
2010年は川島、鄭大世と主力の海外移籍が相次ぎ、レナチーニョが采配に不満を訴え、練習ボイコットからブラジルへ無断帰国し退団するなど激震が走る。この年は5位で終えたものの、エースのジュニーニョが鹿島に移籍した2011年は新監督に相馬直樹を迎えたもののチームは低迷。得点力が大幅に低下し11位に終わる。過渡期を向けたチームは2012年も開幕から低空飛行が続いていた。
そんな中で2012年4月に相馬を解任し、解説者としても有名になっていた風間八宏が監督に就任。独特の戦術スタイルを導入した風間は小林悠や大島僚太、谷口彰悟ら若手(自分の息子2人も含め)を辛抱強く起用し、成長させる。
就任1年目は8位に終わったものの、大久保嘉人が加入した2013年は徐々に調子を上げて3位に入り、4年ぶりにAFCチャンピオンズリーグ出場権を獲得。26得点を記録した大久保は得点王を獲得。2014年と2015年は2年連続で6位に終わるものの、中村憲剛とのホットラインですっかりストライカーとして覚醒した大久保は2014年に18得点、2015年に23得点とJリーグ史上初の3年連続得点王のタイトルを手にする。
2016年は1stステージ開幕戦を前年優勝広島を下した後上位対決で浦和に敗北するもその後順調に勝ち星を積み重ね一時は首位に立った。しかし残り2試合で下位の福岡に引き分けと2位の鹿島が勝利を収めたことで順位が入れ替わり最終戦こそ大宮に勝利したものの結局1ndステージは2位で終えた。2ndステージは開幕戦の仙台戦から多摩川クラシコ(FC東京)戦まで小林が全てゴールを挙げる好調を魅せ、神奈川ダービー(湘南戦)ではジュニーニョのクラブ記録を更新する6試合連続ゴールを挙げた。最終的にはクラブ史上新記録となる15戦無敗も記録。最終的には鳥栖戦で敗れ、8試合連続ゴールのかかった小林もノーゴールに終わるが無敗を16に伸ばした。
しかし、終盤は成績は落ち込み最終戦のG大阪戦でも逆転負けし浦和に次ぐ年間2位でクラブ史上初のJリーグチャンピオンシップ出場となった。チャンピオンシップ準決勝はホーム開催となったが、金崎夢生の一発に沈み鹿島に0-1で敗れ、決勝進出とはならず、総合順位としては年間3位でシーズンを終えた。なお、中村憲剛がリーグ最優秀選手に選出されている。
一方、天皇杯では順調に勝ち進み、準決勝では大宮を下して翌2017年シーズンのACL本戦出場権獲得を果たした。2017年1月1日に行われた天皇杯決勝(クラブ史上初の元日決戦)では、鹿島に先制されるもののその後小林のゴールで追いついて同点とし、延長戦へと持ち込んだものの、この試合を最後に鹿島を退団するファブリシオに決勝点を決められ敗戦、準優勝となった。
この年を最後に風間が退任する。
上記の通り2005年にJ1再昇格後以来、J1リーグ準優勝4回、Jリーグカップ準優勝4回、天皇杯準優勝1回を経験するなど、あと一歩のところで優勝まで届かずにいたため、シルバーコレクター、無冠ターレなどと揶揄されていた。
悲願の優勝
鬼木達が監督に就任した中で迎えた2017年はキャプテンの小林悠が移籍した大久保の穴を埋める形でチームの得点源として活躍。開幕戦こそ勝利を収めたものの前半戦に多くの負傷者を出したために一時は9位まで下がったが、連敗はなく安定したシーズンを迎えた。その後、守備陣の安定と負傷者が後並み復帰したことで19節での敗戦以降は、リーグ戦では15試合負けなかった。
21節終了時点では、最大7点差まであった首位鹿島が勝ちきれない試合の中で順調に勝ち点を積み重ね33節で勝ち点差2まで縮めた。そして最終節大宮戦開始1分で先制点を決めたのち小林がハットトリックを決め大勝し、対する鹿島は引き分けに終わったことで勝ち点が並んだものの得失点差で鹿島を大きく上回ったことで順位が入れ替わった。
これにより1999年のJ2発足初年度に所属していたクラブ史上初にしてオリジナル10以外3クラブ目のJ1リーグ優勝となった。
また、優勝監督賞を鬼木達が受賞したのを始め最終節にハットトリックを達成し23得点を記録し得点王となった小林が最優秀選手賞となりJリーグ史上6人目となるダブル受賞を達成。また小林に含むエウシーニョ、車屋、中村がベストイレブンに、さらにこの4人に加え、谷口、阿部、大島の7選手が優秀選手賞にそれぞれ選出された。
一方ACLではグループステージ4戦連続引き分けという珍記録となるも残り2戦を勝利を収めてけっようトーナメント進出。準々決勝では浦和とホームでは勝利を収めるもアウェー戦で大敗したことで準決勝進出を逃した。
Jリーグカップ(ルヴァンカップ)では前身のヤマザキナビスコカップを含めて8年ぶり4度目の決勝進出を果たした。決勝戦はセレッソ大阪と対戦し、シュート数こそ相手を上回るも決められず後半アディクションタイムでカウンターを受けてた後追加点を奪われ敗退。これにより2000年・2007年・2009年に続きまたしても決勝で無得点のまま敗戦し、準優勝となった。
黄金時代突入
2018年は史上3クラブ目となる最終節を待たずしてのリーグ優勝を達成。これにより、Jリーグ史上5チーム目、オリジナル10以外では史上初となる連覇を果たした。最終的に得点数(57得点)と失点数(27失点、Jリーグ史上3位 )と両項目でリーグトップを記録した。移籍2年目となった家長昭博がこの年のJリーグ最優秀選手賞を受賞。
2019年はリーグ戦では4位に終わったものの、ルヴァンカップ(Jリーグカップ)決勝で札幌と対戦。PK戦を制し5回目の挑戦で悲願のルヴァンカップ優勝を果たした。
2020年は、8年連続開幕戦引き分けを皮切りにコロナ渦の影響でリーグ戦が中断と出鼻を挫かれる形となった。
しかし再開後、8月15日の札幌戦でJ1で途中出場選手の三笘薫と小林がそれぞれ2ゴールを挙げ2人が複数得点を挙げた史上初の記録を始め小林がジュニーニョのクラブ最多得点記録を更新した。
第11節C大阪戦では、Vゴール方式廃止された2003年以降では同一シーズンでのJ1新記録(10連勝)を達成した。第22節の広島戦を2-0で勝利しJリーグ史上初となる2度目の10連勝を記録。第25節のFC東京戦に勝利して12連勝を達成。11月18日に開催された第30節の横浜FM戦で3-1で勝利し、クラブ史上初の神奈川ダービー(横浜FM、横浜FC、湘南)6戦全勝。
11月25日、G大阪戦で5-0で勝利し2年ぶり3回目のリーグ優勝を成し遂げた。これにより勝ち点は75となり、2003年以降で最多記録を更新、シーズン24勝も2003年以降で最多記録、4試合を残しての優勝はJ1史上最速。
前回優勝(2018年)も2節残してリーグ優勝を決めているので、2回以上リーグ優勝を最終節を待たずして決めたのはJリーグ史上初である。
そしてメモリアル大会(第100回)となった天皇杯では、コロナ渦の影響による特例で準決勝から出場し、J3優勝の秋田を破り、迎えた決勝(G大坂)戦。
前半は無得点のまま迎えた後半10分にレアンドロ・ダミアンのスルーパスに反応して抜け出した三笘が流し込んで先制。これを守り切り1-0で制して勝利。
これによりクラブ初の天皇杯優勝と2016年の鹿島以来同シーズン複数タイトルを獲得した。そして、二冠達成という快挙の中でクラブのバンディエラである中村憲剛が現役を引退する。
2021年も他チームを圧倒的な強さでねじ伏せての開幕5連勝を飾り、5月16日の札幌戦に勝利するとJリーグ記録となる22試合連続無敗記録を樹立。最終的に30試合まで記録を伸ばす。シーズン折り返しの時点で既に首位を独走しており、川崎を止められるチームは無いとさえ言われていた。しかし、夏に主力に成長していた田中碧、三笘薫が相次いで欧州へ移籍するとチーム力が低下。ACLではラウンド16で敗退し、リーグでも横浜FMの追い上げを許してしまう。しかし、レアンドロ・ダミアンが前線で大車輪の活躍を見せ、旗手怜央、脇坂泰斗、橘田健人が成長を遂げたことで持ち直し、最終的に勝ち点90越えを達成してのリーグ連覇を成し遂げる。
2022年は最後まで優勝争いを演じ、一時は首位横浜F・マリノスに勝ち点2差まで肉薄したものの、レアンドロ・ダミアンら主力の負傷が影響し、6年ぶりとなるシーズン無冠に終わる。
2023年は主将の谷口彰悟がカタールへ移籍。開幕戦の横浜FM戦を落とすと、かつての王者はらしくない不安定な戦いを見せる。特に谷口を失った守備陣はジェジエウが怪我で長期離脱を強いられ、苦しい台所事情となっていた。一時は調子を取り戻すが、第22節から3連敗を喫するなど波に乗り切ることができず、かつて圧倒的な強さを誇った元王者は一度も優勝争いに食い込むことなく8位でシーズンを終了。鬼木体制では最低の成績となった。
天皇杯では、二度のJ1勢撃破を果たした高知ユナイテッドSCやルヴァンカップ王者のアビスパ福岡などを破り、3年ぶりに決勝へ進出する。柏レイソルとの決勝は0-0のままPK戦まで突入。10人目までもつれ込んだ死闘はGKチョン・ソンリョンが自ら決め、直後に相手GKのPKを止める活躍を見せ、3年ぶり2度目の優勝を果たす。
クラブの特徴
Jリーグの中でも随一の攻撃力を持つクラブ。地域密着を心がけており、Jリーグスタジアム観戦者調査では2010年から2019年まで10年連続で地域貢献度1位に選ばれた実績がある。かつて川崎に在籍していた某緑色のチームが騒動を起こしたこともあって当初市民から冷ややかな目で見られていたが、地道な活動が実を結び今日に至っている。
また、スカウトも優秀であり、ジュニーニョ、鄭大世(チョン・テセ)、マギヌン、ヴィトール・ジュニオール、レナチーニョなどといった優良外国人を発掘している。フッキ?そんな人知りませんよ。
ここ最近は外国人の他に無名大学からの新人発掘にも定評があり、クラブのバンディエラである中村憲剛がその代表格で、2010年度加入の小林悠や實藤友紀らもその筆頭である。
企画力にも定評があり、中にはJリーグ一との声もある。
予想外の企業・団体とコラボしたり算数ドリルを作ったりと斬新な企画を次々と打ち出している。例えば、南極で始球式を行ったり、ハーフタイムにスーパーフォーミュラカーを走らせたり・・・
挙句の果てには天体戦士サンレッドとのコラボし、「ファイト!川崎フロンターレ」(TVK 金曜22:30~)内で特別版(4話)を放送した。
さらに、ついには2012年の新体制発表会をニコニコ生放送で中継してしまった(中村憲剛・伊藤宏樹・小林悠各選手が出演するという豪華演出で)。
2012年には川崎浴場組合連合会のポスターで「テルマエ・ロマエ」とコラボするなど、今後も斬新な企画に期待がかかる。
2013年からは公認の同人誌を売ると言う予想の斜め上を行く手に出たあげく、2015年の新体制発表会見ではなんと、コミケットスペシャル6へ川崎市観光協会、川崎市経済労働局、ねこのしっぽと共同で企業参加することが決定。また、公認美少女キャラクターとして「カワサキまるこ」が誕生。一体、このクラブはどこに向かおうとしているのやら。
主なタイトル
国内タイトル
- J1リーグ:4回
2017年、2018年、2020年、2021年 - 天皇杯:2回
2020年、2023年 - Jリーグカップ:1回
2019年 - スーパーカップ:3回
2019年、2021年、2024年 - J2リーグ:2回
1999年、2004年
個人タイトル
- Jリーグ最優秀選手賞
- Jリーグベストイレブン
- 2006年: 中村憲剛、 谷口博之
- 2007年: 中村憲剛、 ジュニーニョ
- 2008年: 中村憲剛
- 2009年: 中村憲剛、 川島永嗣
- 2010年: 中村憲剛
- 2013年: 大久保嘉人
- 2014年: 大久保嘉人
- 2015年: 大久保嘉人
- 2016年: 小林悠、 中村憲剛
- 2017年: 小林悠、 中村憲剛、 車屋紳太郎、 エウシーニョ
- 2018年: 家長昭博、 中村憲剛、 大島僚太、 車屋紳太郎、 エウシーニョ、 谷口彰悟、 チョン・ソンリョン
- 2020年: 家長昭博、 三笘薫、 田中碧、 守田英正、 山根視来、 登里亭平、 谷口彰悟、 ジェジエウ、 チョン・ソンリョン
- 2021年: レアンドロ・ダミアン、 家長昭博、 旗手怜央、 脇坂泰斗、 山根視来、 谷口彰悟、 ジェジエウ
- 2022年: 家長昭博、 マルシーニョ、 脇坂泰斗、 山根視来、 谷口彰悟
- 2023年: 脇坂泰斗
- J1リーグ得点王
- Jリーグカップ最優秀選手賞
- Jリーグカップニューヒーロー賞
- J2リーグ得点王
現在の所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
- | 監督 | 鬼木達 | 1974.4.20 | 2017 | 川崎フロンターレ コーチ | ||
1 | GK | チョン・ソンリョン | 1985.1.4 | 2016 | 水原三星ブルーウィングス | ||
2 | DF | 高井幸大 | 2004.9.4 | 2023 | 川崎フロンターレU-18 | 【H】 | |
4 | DF | ジェジエウ | 1994.3.5 | 2023 | パラナ・クルーベ | ||
5 | DF | 佐々木旭 | 2000.1.26 | 2022 | 流通経済大学 | ||
6 | MF | ゼ・ヒカルド | 1999.2.3 | 2024 | ゴイアスEC | 【完】 | |
7 | DF | 車屋紳太郎 | 1992.4.5 | 2014 | 筑波大学 | ||
8 | MF | 橘田健人 | 1998.5.29 | 2020 | 桐蔭横浜大学 | ||
9 | FW | エリソン | 1999.4.13 | 2024 | ゴイアスEC | 【完】 | |
10 | MF | 大島僚太 | 1993.1.23 | 2011 | 静岡学園高校 | 【H】 | |
11 | FW | 小林悠 | 1987.9.23 | 2010 | 拓殖大学 | ||
14 | MF | 脇坂泰斗(C) | 1995.6.11 | 2018 | 阪南大学 | ||
15 | DF | 田邉秀斗 | 2002.5.5 | 2021 | ジェフユナイテッド千葉 | ||
17 | FW | 遠野大弥 | 1999.3.14 | 2021 | アビスパ福岡 | ||
19 | MF | 河原創 | 1998.3.13 | 2024 | サガン鳥栖 | 【完】 | |
20 | FW | 山田新 | 2000.5.30 | 2023 | 桐蔭横浜大学 | 【H】 | |
21 | GK | 安藤駿介 | 1990.8.10 | 2014 | 湘南ベルマーレ | 【H】 | |
22 | GK | 早坂勇希 | 1999.5.22 | 2021 | 桐蔭横浜大学 | 【H】 | |
23 | FW | マルシーニョ | 1995.5.16 | 2021 | 重慶両江競技足球俱楽部 | ||
24 | FW | 宮城天 | 2001.6.2 | 2021 | モンテディオ山形 | 【復】【H】 | |
26 | MF | 山内日向汰 | 2001.5.13 | 2023 | 桐蔭横浜大学 | 【卒】【H】 | |
28 | MF | パトリッキ・ヴェロン | 2004.9.8 | 2024 | ECバイーア | 【完】 | |
30 | MF | 瀬川祐輔 | 1994.2.7 | 2023 | 湘南ベルマーレ | ||
31 | DF | ファン・ウェルメスケルケン・際 | 1994.6.28 | 2024 | NECナイメヘン | 【完】 | |
32 | FW | 神田奏真 | 2005.12.29 | 2024 | 静岡学園高校 | 【卒】 | |
34 | MF | 由井航太 | 2005.6.10 | 2023 | 川崎フロンターレU-18 | 【昇】【H】 | |
35 | DF | 丸山祐市 | 1989.6.16 | 2024 | 名古屋グランパス | 【完】 | |
36 | DF | 神橋良汰 | 2002.6.16 | 2024 | 早稲田大学(在学中) | 【特】 | |
39 | DF | 土屋櫂大 | 2006.5.12 | 2024 | 川崎フロンターレU-15 | 【2】 | |
40 | GK | 松澤成音 | 2007.11.10 | 2024 | 川崎フロンターレU-15 | 【2】 | |
41 | MF | 家長昭博 | 1986.6.13 | 2017 | 大宮アルディージャ | ||
44 | DF | セサル・アイダル | 2001.3.31 | 2024 | デポルテス・トリマ | 【レ】 | |
77 | MF | 山本悠樹 | 1997.11.6 | 2024 | ガンバ大阪 | 【完】 | |
98 | GK | 山口琉偉 | 1998.5.28 | 2024 | FC町田ゼルビア | 【レ】 |
※備考欄は【完】=完全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別指定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手
過去に所属したおもな選手
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ニコニコ大百科に記事があるOBの動向
- 川島永嗣(現ジュビロ磐田)
- 鈴木隆行(引退)
- 稲本潤一(現南葛SC)
- 山瀬功治(現レノファ山口FC)
- 大久保嘉人(引退)
- 中村憲剛(引退)
- 森本貴幸(引退)
- 板倉滉(現ボルシアMG)
- 守田英正(現スポルティングCP)
- 田中碧(現デュッセルドルフ)
- 旗手怜央(現セルティックFC)
- 三笘薫(現ブライトン)
- 齋藤学(現ベガルタ仙台)
歴代監督
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
斉藤和夫 | 1997年~1997年9月 | ||
ジョゼ | 1997年9月~12月 | ||
ベット | 1998年~1999年4月 | ||
松本育夫 | 1999年4月~12月 | J1リーグ昇格(1999年) | |
ゼッカ | 2000年~2000年5月 | ||
今井敏明 | 2000年5月~9月 | ||
小林寛 | 2000年9月~12月 | J2リーグ降格(2000年) | |
堀井美晴 | 2001年~2001年7月 | ||
石崎信弘 | 2001年7月~2003年 | ||
関塚隆 | 2004年~2008年4月 | J2リーグ優勝&J1リーグ昇格(2004年) | |
高畑勉 | 2008年4月~12月 | ||
関塚隆 | 2009年 | ||
高畑勉 | 2010年 | ||
相馬直樹 | 2011年~2012年4月 | ||
風間八宏 | 2012年4月~2016年 | ||
鬼木達 | 2017年~ | ・J1リーグ優勝(2017年、2018年、2020年、2021年) ・ルヴァンカップ優勝(2019年) ・天皇杯優勝(2020年、2023年) |
関連動画
関連動画(ネタ編)
上記に代表されるように、ネタ的なイベントや個性的な選手が多く、家族連れに非常に人気がある。
特に毎年恒例のファン感謝祭のステージ芸は異様な完成度を誇る。
また、会場ではガンプラも販売している。
関連リンク
関連項目
- Jリーグ - Jリーグチーム一覧
- J1リーグ(2000年、2005年 - )
- J2リーグ(1999年、2001年 - 2004年)
- サッカー
- 神奈川県
- 川崎市
- 好きです かわさき 愛の街
- 川崎ブレイブサンダース(Bリーグ所属のプロバスケチーム。2016年よりコラボ企画で交流。)
- ヴェルディ川崎
- 等々力陸上競技場
- 多摩川クラシコ
- 富士通
- シルバーコレクター(もう過去の話)
脚注
- *2008年にスポーツ仲裁裁判所で審理される事になったが、仲裁の結果は我那覇にドーピングの事実が認められないとされ、かつ、Jリーグ側に仲裁費用の負担を求める異例の裁定となった。これに対し、当時のJリーグのチェアマンだった川淵三郎らは我那覇に対して濡れ衣を着せたことを認めていない。詳しくは木村元彦著書の『争うは本意ならねど』を参照。
親記事
子記事
兄弟記事
- 北海道コンサドーレ札幌
- 浦和レッドダイヤモンズ
- 京都サンガF.C.
- 柏レイソル
- FC東京
- 東京ヴェルディ
- サガン鳥栖
- 鹿島アントラーズ
- アビスパ福岡
- 名古屋グランパス
- ガンバ大阪
- ジュビロ磐田
- セレッソ大阪
- 横浜F・マリノス
- アルビレックス新潟
- サンフレッチェ広島
- 湘南ベルマーレ
- ヴィッセル神戸
- FC町田ゼルビア
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