トニ・クロース(Toni Kroos, 1990年1月4日 - )とは、ドイツ出身の元サッカー選手である。
元サッカードイツ代表。
概要
旧東ドイツのグライフスヴァルト出身。FCバイエルン・ミュンヘンの下部組織出身。2004年からはレアル・マドリードでプレー。両クラブで通算6回UEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験。特に2016年から2018年にかけてマドリーのCL3連覇に中心選手として大きく貢献している。
ドイツ代表としても100試合出場。長年不動のプレーメーカーとして君臨し、2014 FIFAワールドカップでは優勝を経験している。
1歳年下の弟であるフェリックス・クロースも元プロサッカー選手であり、ブンデスリーガやドイツのアンダー代表でプレーした経歴を持っている。
味方に対して正確無比なパスを通すスタイルはメトロノームに例えられ、「精密機械」「ギャルソン(男性ウエイター)」の異名が付いている。
2019年には半生を描いたドキュメンタリー映画「Kroos」が公開。日本でもアマゾンプライムで視聴できる。
経歴
幼少期
父は元レスリング選手で、母は旧東ドイツの元バドミントン王者で教員というアスリート家系に生まれる。弟のフェリックスと共に勉学よりもボールを追いかけることを好んだ少年時代を過ごし、7歳のときに父親がコーチを務めるグライフスヴァルダーSCでサッカーを始める。幼い頃は将来を嘱望されるような天才肌の選手ではなかったが、両親から受けた倫理的な教育もあってサッカーに真面目に取り組み、ピッチ上でのハードワークは惜しまなかった。
12歳になった2002年に父親が職場を移したのをきっかけにハンザ・ロストックの下部組織へ弟と共に移籍。真面目な性格と日々の努力もあってこの頃から実力をつけていき、各国の名門クラブが参加するイタリアで開催された16歳以下の大会で大きな注目を集めるようになる。
バイエルン・ミュンヘン
2006年、ドイツの名門バイエルン・ミュンヘンのユースに加入。イングランドのチェルシーFCからもオファーがあったが誘いを断り、自国の最高峰のクラブでプレーすることを選択。
2007年にはバイエルンとプロ契約を結ぶ。当初はドイツ4部に属するバイエルン・ミュンヘンⅡでプレーしていたが、すぐにトップチームに合流。2007年9月26日のエネルギー・コットプス戦で17歳にしてブンデスリーガデビューを果たすと、わずか18分間の出場で2アシストを記録する衝撃のデビューを飾る。敵地でおこなわれたUEFAカップのレッドスター・ベオグラード戦では後半36分から出場すると、1ゴール1アシストの大活躍でチームを逆転勝利に導く。この活躍にドイツ国内での注目度が飛躍的に上がり、クラブがメディアに対してインタビューを無期限に禁止する程であった。
もっとも多くのスター選手が名を連ねるバイエルンで常時出場機会を得ることは難しく、2008-2009シーズン前半戦でリーグ戦7試合のみの出場にとどまった。
レヴァークーゼンへのレンタル
2009年1月の冬の移籍マーケットで、出場機会を得るためにバイヤー・レヴァークーゼンへレンタル移籍。2009年4月18日のvflヴォルフスブルク戦においてブンデスリーガ初ゴールを記録する。シーズン終了後には、レンタル期間を2010年7月にまで延長する。
2009-2010シーズン、前バイエルン監督のユップ・ハインケスがレヴァークーゼンの監督に就任。ハインケスの指導によって成長を遂げると、開幕からチームの主力としてプレー。以前よりもゴールに絡むプレーが増えたことでシュテファン・キースリングとのコンビはブンデスリーガ屈指のデュオと称され、レヴァークーゼンの前半戦首位ターンに大きく貢献することに。後半戦にチームは失速したが、ハインケスの下で充実した時間を過ごしたことで9ゴール8アシストという飛躍のシーズンとなり、ドイツ紙が選ぶシーズンのベストイレブンに選出。保有元であるバイエルンの名誉会長フランツ・ベッケンバウアーからも称賛のコメントを寄せられる。
バイエルン復帰
2010-2011シーズンにバイエルンに復帰するが、監督であったルイス・ファン・ハールのシステマチックな戦術と独善的な指導方法に馴染めず、期待通りのプレーを見せられずにいた。レギュラー獲得までは至らず、公式戦2ゴール3アシストと物足りない成績に終わる。
2011-2012シーズンにレヴァークーゼン時代に信頼関係を築いたハインケスが監督に就任すると風向きが変わる。ハインケスからは主力として扱われ、レヴァークーゼンの頃のように役割が整理されたことで本来の輝きを放つようになる。チームは全てのコンペティションで準優勝に終わるが、公式戦通算14アシストを記録するなどクロースにとってはようやくバイエルンの中心選手になれたシーズンとなった。
2012-2013シーズンは、守備力の高いハビ・マルティネスとコンビを組むようになったこともあって中盤でプレーメーカーの仕事に専念しやすくなり、バイエルンの司令塔として存在感をさらに増していく。第28節にはブンデスリーガ史上最速となるリーグ優勝を勝ち取り、自身にとってプロキャリアで初のビッグタイトル獲得となった。CLではラウンド16のアーセナル戦で貴重なアウェイゴールとなる先制ゴールを奪っている。この年、バイエルンはリーグ、CL、DFBポカールの三冠(トレブル)を達成し、その立役者の一人となった。もっともシーズン終盤の怪我によってCL決勝とDFBポカール決勝は欠場となった。
2013-2014シーズンになると、恩師のハインケスが勇退し、名将ジョゼップ・グアルディオラが監督に就任。ポゼッションスタイルを導入するグアルディオラのスタイルにも適応し、マリオ・ゲッツェやチアゴ・アルカンタラと共に高いボール支配力を発揮する。2014年3月25日のヘルタ・ベルリン戦でゴールを決め、チームのブンデスリーガ連覇を決定づける。しかし、給与面を巡ってクラブとの契約延長交渉が難航し、次第にバイエルンとの関係が悪化。当時、グアルディオラとの確執も報道されたが、後に本人は否定しており、選手として成長できたと感謝のコメントを残している。
レアル・マドリード
2014年7月17日、スペイン ラ・リーガの名門レアル・マドリードに6年契約で移籍することが発表される。背番号は「8」。公式戦デビューとなったUEFAスーパーカップのセビージャ戦でパス成功率96%という圧巻のスタッツを記録。シーズン開幕後もカルロ・アンチェロッティ監督からの信頼を得て、以降長らくコンビを組むルカ・モドリッチと共にマドリーの中盤を仕切る中心選手となる。2014年10月25日のラ・リーガ第9節宿敵FCバルセロナとのエル・クラシコではモドリッチと共にシャビ、アンドレス・イニエスタを擁するバルサの中盤を圧倒してしまう。11月9日の第11節ラージョ・バジェカーノ戦ではラ・リーガ初ゴールを含む1ゴール2アシストの活躍を見せる。移籍初年度でチームに欠かせない存在となり、ラ・リーガの選手で唯一シーズンのパス成功数が3000本を超え、成功率は驚異の92%を記録している。
移籍2年目となった2015-2016シーズンは堅い信頼関係を築いていたアンチェロッティが退任したことで当初は調子が上がらずにいたが、シーズン途中にレジェンドのジネディーヌ・ジダンが監督に就任すると前シーズンの輝きを取り戻すようになる。ジダンは中盤の底にカゼミーロを固定したことでクロースとモドリッチの守備の負担を軽減させたため、BBCトリオと呼ばれた強力な3トップに正確無比なパスを通せるようになる。特に2016年1月3日のバレンシア戦ではパス成功率100%を記録。ラ・リーガでは10アシストを記録。5月28日のCL決勝では、アトレティコ・マドリードとの同都市対決を制し優勝。ドイツ人選手としては初となる異なるクラブでビッグイヤーを獲得したプレイヤーとなった。
2016-2017シーズンのラ・リーガでは怪我で離脱した時期がありながらも圧巻のパフォーマンスを披露。10月12日にはクラブとの契約を2022年まで延長したことでますます充実し、モドリッチ、カゼミロと共に世界最高と称された中盤を形成。プレスキックのキッカーとしてもセルヒオ・ラモスの劇的なゴールをいくつも演出。リーグ2位となる12アシストに加え、相手の厳しいプレッシャーを無効化するミスのない繋ぎでリズムを作り出し、ラ・リーガ優勝と史上初となるCL連覇の二冠達成に大きく貢献。なお、この年のCL準々決勝では古巣であるバイエルンとの初対決が実現している。
2017-2018シーズンは、相棒のモドリッチがコンディションを落としたこともあって負担が増えてしまい、シーズン前半戦は苦戦を強いられる。チームが早々にラ・リーガのタイトル戦線から脱落したことでCLに比重を置くようになり、シーズン後半戦は復調したモドリッチと共に攻守に奮闘。CL決勝まで勝ち上がり、決勝ではリヴァプールを下して前人未到のCL3連覇を達成する。
2018-2019シーズン、ラ・リーガ開幕戦のヘタフェCF戦では118本のパスのうち116本のパスを通すという圧巻のパフォーマンスを披露。チームはエースのクリスティアーノ・ロナウドが退団したことで攻撃陣が得点力不足に陥り、ワールドカップの疲労を抱えるモドリッチの調整が遅れていたことで負担が大きくなり自身のパフォーマンスも低下。2018年12月のFIFAクラブワールドカップでは、個人として史上最多となる5度目の優勝を飾るが、ラ・リーガでは早々に優勝戦線から脱落。CLでもラウンド16で敗れる失意のシーズンとなった。
チーム内でベテランになってきた2019-2020シーズンの前半戦は若いフェデリコ・バルベルデが台頭したことにより守備面での負担が軽減され、前年の不調を払拭し、中盤で抜群の安定感を発揮。新型コロナウィルスによる中断期間明けには、限界説の囁かれたモドリッチが完全復調したことによってCL3連覇の頃のマドリーの中盤の支配力が戻ってくる。左右両脚から放たれる正確無比なキックで攻撃陣をリードし、得意のプレスキックによってセットプレーでのゴールも演出。ビルドアップの場面でも絶大な貢献を見せ、シーズン中に30歳を迎えながらも目を見張る程の存在感を発揮。2020年6月から連続での無敗記録を作り、自身にとって2度目となるラ・リーガ優勝を果たす。さらに、このシーズンのUEFA認定によるラ・リーガベストイレブンにも選出される。
2020-2021シーズンは、2020年9月26日ラ・リーガ第3節ベティス戦で左中臀筋負傷によって前半アディショナルタイムに交代となり、戦線を離脱。1カ月程で復帰はしたものの、負傷を抱えた状態が続き、ジダン監督の方針もあってシーズン前半戦はローテーションによってスタメンから外れる試合が増える。それでもコンディションが回復すると、持ち前のキック精度でゴールを演出。2021年4月10日ラ・リーガ第30節FCバルセロナとのエル・クラシコではFKからの直接ゴールが決勝ゴールとなる。負傷が相次ぎ離脱が多かったシーズンだったが、アシスト数は4シーズンぶりに二桁に到達している。
2021-2022シーズンは開幕前に負った鼠蹊部の負傷が当初の予想よりも長引き、シーズン序盤を棒に振ることになり、2021年9月28日のCL戦でシェリフ戦でシーズン初出場となる。堅守速攻型のスタイルに舵を切ったチームにおいても相変わらず重要な役割を担い、ラ・リーガでの首位独走に貢献。2022年3月5日のラ・リーガ第27節レアル・ソシエダ戦でハムストリングを負傷し、強度の部分で不安が見えるようになったことで途中交代になる試合が増えたものの、パス成功率94.4%を記録する相変わらずの精密機械ぶりでラ・リーガとCLの二冠獲得に貢献する。
2022-23シーズンは前年よりもコンディションが整ったこともあり、プレーメーカーとしての存在感を取り戻す。カゼミーロが移籍したこともあってアンカーの位置で起用される機会も増え、不安定な戦いが目立った後半戦でも奮闘。公式戦通算53試合に出場し、2023年6月21日には契約を2024年夏まで延長。
2023-24シーズンは、開幕当初こそルカ・モドリッチと共に控えに回ることが多かったが、徐々にスタメンで起用されるようになり、怪我人が多いチームをベテランとして牽引する。正確無比なキックは健在で、シーズン前半戦はリーグトップタイの6アシストを記録。2024年4月30日のCL準決勝1st leg古巣でもあるバイエルン・ミュンヘン戦では芸術的なスルーパスでヴィニシウス・ジュニオールの先制ゴールをアシスト。自身4度目となるリーガ優勝を決めた後の5月21日、EURO2024を最後に現役を引退することを表明。兼ねてから明言していた通り、トップレベルを維持したまま現役を終えることとなった。サンティアゴ・ベルナベウでの最後の試合となったリーガ最終節のベティス戦ではピッチを去る際に涙を浮かべる感動のお別れとなった。マドリーでのラストマッチとなった6月1日のCL決勝ボルシア・ドルトムント戦では、正確なキックによるCKからダニエル・カルバハルの先制ゴールをアシスト。見事自身にとって通算6回目となるビッグイヤー獲得というこれ以上はない最高の結果でマドリーに別れを告げる。
ドイツ代表
15歳だった2005年から各年代でのドイツ代表でプレーしており、2007年8月には韓国で開催された2007 FIFA U-17ワールドカップにU-17ドイツ代表として出場。チームの中心選手として活躍し、グループリーグのガーナ戦では2ゴールを挙げるなど5得点4アシストの成績を残し、ドイツの3位入賞に貢献。大会の最優秀選手に贈られるゴールデンボール賞に選出されている。
2010年3月3日、アルゼンチンとの親善試合で20歳にしてフル代表デビューを果たす。その後、ヨアヒム・レーヴ監督に才能を認められ、代表に定着。2010年6月に南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップのメンバーにも選ばれると、3位決定戦までの7試合のうち全て途中出場ながら4試合に出場。ワールドカップ後の2011年9月6日におこなわれたポーランドとの親善試合で代表初ゴールをマーク。
2012年にはポーランドとウクライナで開催されたUEFA EURO2012に出場。メフメト・エジル、バスティアン・シュバインシュタイガー、サミ・ケディラが名を連ねるドイツの中盤においてレギュラーを獲得できずにいたが、グループリーグ3試合全てに途中出場。準々決勝では出番が無かったが、準決勝のイタリア戦ではスタメンに抜擢され、イタリアのキーマンであるアンドレア・ピルロのマークを担当。しかし、このときは名手ピルロを抑えきれず、ドイツは1-2で敗れている。
2014年ワールドカップ欧州予選の期間にレーヴ監督が中盤センターに3枚を置いた4-1-4-1のフォーメーションを採用するようになったことでレギュラーに定着するようになる。ドイツ代表がバイエルンと同じようにポゼッションスタイルを志向するようになったのも追い風となった。
2014年6月には、ブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップに出場。2度目のワールドカップではチームの中心選手に成長し、決勝までの7試合全てにスタメンとして出場。高い戦術眼と正確なパスワークで高い得点力を見せたドイツの攻撃陣をリードする重要な役割を担っていき、準々決勝のフランス戦ではFKからマッツ・フンメルスの決勝ゴールをアシスト。準決勝のブラジル戦では、前半11分にトーマス・ミュラーのゴールをアシストすると、24分と26分に連続してゴールを奪い、前半だけで2ゴール1アシストを記録。後にミネイロンの惨劇と呼ばれた7ゴールを奪っての歴史的大勝を飾った試合においてMOMに選ばれる。決勝のアルゼンチン戦では延長戦を含む120分間を戦い抜き、ワールドカップ優勝を果たす。24歳にして、CLとワールドカップの両方を制した選手となる。FIFAが選出する大会ベストイレブンに選出され、FIFAの分析システムでは、同大会に出場した選手では最高評価となる9.79ポイントを得ている。
この大会でのパフォーマンスをあのヨハン・クライフが高く評価し、この年のFIFAバロンドールの最終候補に入らなかったことに対して異議を唱えた程だった。
2016年6月、フランスで開催された2016 UEFA EURO2016に出場。すっかり代表の中盤の大黒柱になり、チームに欠かせない選手として6試合全てにスタメンで出場。PK戦でもつれ込んだ準々決勝のイタリア戦では1人目のキッカーを任され、きっちり成功している。準決勝で開催国のフランスに敗れはしたが、ワールドカップに続いて大会のベストイレブンに選ばれている。
EURO2016後にルーカス・ポドルスキが代表を引退したことでエジルが背番号10を付けるようになり、それに伴ってレアル・マドリードと同じ背番号8を継承する。
2018年6月、ロシアで開催された2018 FIFAワールドカップに出場。初戦のメキシコ戦に敗れる波乱のスタートとなった中、第2戦のスウェーデン戦では試合終了直前に劇的なFKによる決勝ゴールを決めドイツのピンチを一度は救う。しかし、第3戦の韓国に敗れ、前回王者ながらグループリーグで姿を消す失意の大会となる。
2020年10月30日のUEFAネーションズリーグ第4節スイス戦ではドイツ代表通算100試合出場を達成。しかし、この頃のドイツ代表はワールドカップから続く不安定な試合内容によって低迷しており、主軸であったクロースにも国内メディアからの批判が集まった。
2021年6月にはUEFA EURO 2021に出場。死のグループと呼ばれたグループリーグを2位で通過したものの、ラウンド16でイングランドに敗れ、敗退。期待通りのパフォーマンスを見せられず、メディアの中には戦犯扱いし辛辣に批判する者もいた。
大会後の7月2日、自身の公式ツイッターにおいて今後レアル・マドリードでのプレーに集中したことを理由にドイツ代表からの引退を発表する。
だが、2024年2月22日、自身のインスタグラムにおいて代表復帰を表明。3月22日のフランス戦で約3年ぶりに代表の試合に出場すると、開始わずか7秒でフロリアン・ヴィルツのゴールをアシストするなど勝利に貢献。3月26日のオランダ戦でも決勝ゴールをアシストしており、あらためて存在感の大きさをアピールする。
プロサッカー選手として最後の大会となることを表明して臨んだEURO2024では、初戦のスコットランド戦で102本中101本のパスを成功させるという脅威のスタッツを残す。続くハンガリー戦でも合計124本のパスを成功させる圧巻のスタッツを記録。大会を通してドイツの心臓として正確なパスワークで攻撃陣を操り、チームにおいて重要な役割を担う。準々決勝のスペイン戦では120分を戦い抜いたものの、チームは延長戦の末に敗れ、稀代のマエストロはこの試合を最後に現役を引退。大会を通してハイパフォーマンスを見せたことが高く評価され、引退を惜しむ声が続出する。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2007-08 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 12 | 0 | |
2008-09 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 7 | 0 | |
レヴァークーゼン(loan) | ブンデスリーガ | 10 | 1 | ||
2009-10 | レヴァークーゼン(loan) | ブンデスリーガ | 33 | 9 | |
2010-11 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 27 | 1 | |
2011-12 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 31 | 4 | |
2012-13 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 24 | 6 | |
2013-14 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 29 | 2 | |
2014-15 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 36 | 2 | |
2015-16 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 32 | 1 | |
2016-17 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 29 | 3 | |
2017-18 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 27 | 5 | |
2018-19 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 28 | 0 | |
2019-20 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 35 | 4 | |
2020-21 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 28 | 3 | |
2021-22 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 28 | 1 | |
2022-23 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 30 | 2 | |
2023-24 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 33 | 1 |
個人タイトル
プレースタイル
中盤センターであればアンカーもトップ下もこなせる選手であるが、もっとも能力を発揮できるポジションは左のインサイドハーフ。最大の武器は何と言っても両脚から放たれる世界最高レベルの正確無比なキックの精度であり、基本的に低めのポジションを取りながら最終ラインからのボールを引き出し、自慢のキックでボールを散らして攻撃を組み立てるプレーメーカー。
レアル・マドリードに移籍してからは、ビルドアップの際に味方のサイドバックが高い位置を取った後方のスペースへと引いてボールを展開させる。この一連の動きは「クロースロール」とも呼ばれ、サッカーの戦術として広く浸透するようになった。
ショートレンジ、ミドルレンジ問わずパスの精度が高いのが特徴的で、状況に応じてうまく使い分けることができる。クロースの場合は、ラ・リーガで90%以上のパス成功率を記録したことがあるほどミスが少なく、ピンポイントで味方にボールを届ける技術が高い。特に、逆サイドの選手へ対角線に送るサイドチェンジは得意技であり、レアル・マドリードがCL3連覇を達成したときの大きな武器となっていた。
試合中相手PA内に入ることは多くないが、正確なキックを活かしたミドルシュートも特徴的であり、強いキックを正確にゴールへパスするイメージのシュートが多い。FKのキッカーとしてピンポイントで味方に合わせるボールも得意であり、クリスティアーノ・ロナウドやセルヒオ・ラモスといった空中戦に強い選手のゴールを数多くアシストしている。
守備面では、対人の守備を好むスタイルであり、前線の守備があまり期待できないレアル・マドリードでは中盤のみならず前線まで飛び出してプレッシャーをかけることが多い。タフに戦える選手である反面、ボールホルダーに対して食いつきすぎる傾向があるため、中盤にスペースを与えてしまうのが欠点。アンカーで起用されたときは自身の両脇のエリアから簡単にボールを運ばれることがある。
エピソード
- 2015年6月に高校生の頃から7年間交際していた女性と結婚。長男と長女を授かっている。
- バイエルン時代の2012年、CL決勝で惜しくも敗れ優勝を逃すと、試合後悔しさのあまりアルコールを過剰摂取し、救急車で運ばれた。その後は反省し、完全に断酒したとのこと。
- 2017年正月に、2014年ワールドカップでのミネイロンの惨劇の際、ブラジル対ドイツのスコアが1-7であったことから、「2017」年の「17」の数字をブラジルとドイツの国旗に置き換え、ブラジル人から猛烈な反発される。チームメイトであるブラジル代表のマルセロからも「永遠に他者への“尊重”を!」と間接的ながらチクリと牽制されている。
- SNSではたびたび炎上を繰り返しており、「メキシコで、クロース選手のドキュメンタリー作品をアマゾン・プライムで見ることができますか?」というコメントを引用し、「メキシコにアマゾン・プライムがあるとは思わないので、こちらからどうぞ」と返答。当然、メキシコ人から反感を買っている。
- ビッグマッチでも緊張しない性格らしく、弟のフェリックス曰く、「ワールドカップ決勝の5分前でも電話で雑談ができる」
- 10年以上同じモデルの白いクラシックタイプのスパイク(アディダス 11pro FG)を履き続けている。その理由は、自分でもよく分からないらしい。
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