戦闘機とは、広義で言えば武装した軍用飛行機、正確には敵の飛行機を撃墜することを目的とした飛行機のことである。空軍の花形。現在はジェット機が主流だが、時代によってプロペラ機だったりもするし、その時代の技術や思想の結晶ともいえる。
概要
戦う飛行機は全部戦闘機…ではない。敵攻撃機・爆撃機の撃墜や、味方の攻撃機・爆撃機を護衛しそれらを狙う敵戦闘機を撃墜することを主任務とする武装した飛行機を指す。
大雑把に言えば、「敵の飛行機を撃墜することが目的の飛行機」を戦闘機と呼ぶのである。爆弾やミサイルで地上や船を攻撃する飛行機は戦闘機ではなく、爆撃機・攻撃機と呼ぶ。当然、輸送機や偵察機、哨戒機も「戦闘機」ではない。ブルーインパルス(練習機)も知らない人からよく戦闘機と間違えられる。
まあその辺の境目は近年あやふやになってきているのだが(後述)、ともかく、用途により上記のような使い分けがされている。ネット上でうかつに誤用すると笑われることもあるので注意だ。
少し専門的な言い方をすると「航空優勢」(空の上で敵航空機の活動を阻害し、味方航空機の安全が確保されている状態。制空権とも)を確保するための飛行機が「戦闘機」である。
そのへん、戦闘用の艦が全部「戦艦」と言われたり、戦闘用車両が全部「戦車」と呼ばれてしまったりするのと似ている。
戦闘機パイロット
戦闘機を操縦する人のことを戦闘機パイロットという。映画『トップガン』シリーズなどではパイロットのカッコよさが描かれ、映画『永遠の0』などではパイロットの悲劇が描かれるなど、創作の中で取り上げられることも多く、子供たちがあこがれる職業である。自衛隊の現役戦闘機パイロットの中にも『トップガン』を見てパイロットにあこがれた人も多い。
轟音を響かせ音速以上で身軽に飛び回れることから、戦闘機のパイロットとして憧れや将来の夢とされる場合もあるが狭き門。入ったところで運転免許のようにすぐに乗せてもらえず、何年も勉強して「じゃあまずは練習機から」と道のりは長い。(誤解のないようにいえば練習機=原付のように簡単ではない)
もちろん華麗な飛行ができても軍隊の指揮下でありその国の税金で飛んでいるので、命令無視や自分勝手な飛行をすればクビにされても文句は言えない。「ほんの僅かでも見逃しがあったら命に係わる」ということで、掃除やベッドメイキングなど細かいところまでケチをつけられる。
「じゃあ超絶に頭が良くて几帳面な真面目ならなれるか?」といえば話は別で、視力が悪かったらダメ(眼鏡・レーシックも不可)、虫歯があったら治療済でもダメなど身体基準も高い。
兵器として
飛行機と言うのはとても強力な兵器であり、敵の飛行機を放っておいたらまともな戦闘にはならない。空から爆弾が雨あられと降っていては人間はおろか、陸上では最強の存在である戦車だって容易に破壊されてしまうし、上空からの偵察によってこっちの陣地の様子が筒抜けになってしまう。
迎撃を行う味方の戦闘機がいなければ、地上標的を殺す気満々に特化した攻撃機・爆撃機のような連中が我が物顔で飛び回り、地上は成すすべなく死屍累々のワンサイドゲームにもなりうる。
陸軍や海軍にも高射砲や地対空ミサイル・艦対空ミサイルなど兵器やレーダーもあるが、航空機ほどの機動性はなく、射程外から破壊されてしまうリスクも無い訳ではない。
この為、近現代の戦争では敵の航空機を撃墜して空を飛ばせないようにする事が重要視されるようになり、その為の航空機が戦闘機である。つまり空対空を主な任務としている。
欠点
もちろん良いところばかりではなく…
燃費が悪い。アフターバーナー(→推力増強装置)なんて全開にしようもんなら恐ろしい速度で燃料を消費する。空中給油も可能とはいえ危険空域のど真ん中に鈍重な空中給油機なんて飛ばせないため、交代制で同じ空域に留まるにしてもコストがかかる。
単価が高い。開発費用はそれ以上に高い。連絡機・練習機・早期警戒管制機・対潜哨戒機などは民間機をベースに作られる場合もあり一部部品も流用できるが、戦闘機は機密性や専門性から民間機の改造では作れない欠点もある。予算さえあればポンと名機が出てくるわけではないため開発期間もかかる。
運用には滑走路や後方支援(兵站)が必要不可欠、デリケートなため整備に専門知識が必要、パイロット育成の費用や時間が多く必要、(現時点では)無人機では代替が難しい。
また離陸前に破壊されては意味がなく、滑走路が必要なため戦闘ヘリやVTOLのように前線後方に補給地点を設けることもできない。無論滑走路が破壊されれば使用不可能であり、長大な滑走路は隠匿や防御が難しいし前線付近に滑走路なんて置けない。
空母(艦載機)であれば危険性の高い訓練を戦時以外も反復する必要がある。
最新機種などは機密情報の塊であるため、セキュリティの不足による情報漏洩、パイロットはもちろん開発関係者に近付く敵国のスパイなどにも注意しなくてはならない。
形式
第一次世界大戦から第二次世界大戦まではレシプロエンジンを持つプロペラ機での機関銃を使用しての攻撃が主流であった。第二次世界大戦後期にはジェット戦闘機が登場し、1953年に超音速戦闘機が配備され、1958年にはミサイルによる初撃墜、1978年にはフライ・バイ・ワイヤを搭載した戦闘機が、2005年にステルス戦闘機が登場するなど、大きな発展をとげている。
現在はレーダーはもちろん暗視装置・熱線映像装置(赤外線=熱分布の視覚化)の登場やその発達によって、灯火管制下の夜間でも目標を捜索・捕捉・攻撃可能。
戦闘機は高速性、上昇性、旋回性を重視される傾向にあり、乗員は1~2名。主武装は機関砲および空対空ミサイル。近年は軍用機のマルチロール化(それまで専用の機体でやっていた任務を一つの機種でこなせるようにする)が進み、戦闘機と攻撃機の性能を併せ持った機種が開発されている。また、ステルス性能も重視され始めている。
世代[1]
近年では戦闘機を第○世代と呼んで区別することがあるが、昔からこのような区分けがあったわけではない。
これはロッキード・マーティンが自社製品であるF-22やF-35を「第5世代」と呼び、他社製品を旧世代として「第4世代」とすることで差別化を図ろうとしたのが最初である。当然旧世代扱いされた戦闘機のメーカーは不快感を露わにしたが、戦闘機の特徴を世代で区分けする方法は一般の人間にもわかりやすいと受け入れられ、そのまま定着してしまった。
歴史
第一次世界大戦
20世紀に入ってライト兄弟が飛行機を実現してから、戦場に姿を現すまでそう時間は掛からなかった。
第一次世界大戦が勃発した頃にはヨーロッパ諸国には数少ない航空機が配備されており、それらの機体は偵察任務に投入された。対峙する両軍が間接砲撃を誘導するためには敵の塹壕を正確に捉えた偵察写真が必要であり、そして敵が自軍の前線の塹壕と防御の体制を撮影しようとするのを防ぐことも同様に重要となった。その結果、最初の戦闘用航空機、戦闘機が出現し、航空優勢獲得競争が始まった。[2]
最初はレンガやハンマー等を、コックピットから直接敵機に向かって投げつけたり(「紅の豚」の物語終盤にあるシーンと大体一緒)、パイロットが直接拳銃等を撃ち合いっていたが、やがて本格的な機関銃搭載機へと繋がっていく(世界で最初に飛行機から投下され敵の命を奪った「爆弾」は「スイカ」であったといわれている)。機首に搭載してプロペラを貫通しないように発射を調節する同調機銃の開発も第一次大戦中である。
第一次世界大戦中に戦闘機とその運用法は格段に洗練されていったが、まだまだ未熟な部分も多く存在した。
戦間期
第一次世界大戦から第二次世界大戦の間、すなわち戦間期において航空機技術の発展に伴い、優速で高空を飛ぶ攻撃機があれば、攻撃機を迎撃する戦闘機はともかくとして護衛する戦闘機は不要ではないか、という声が列強各国の軍関係者から漏れ始めた。とくに海軍は当時空母での運用だけを考えていたので空母に入れる航空機には上限があったのでより深刻だった。すなわち「戦闘機不要論(無用論)」の始まりである。
当時の日本もご他聞に漏れずこの意見に乗っていたがその意見はさらに過激なもので、当時の戦闘機では爆撃機に追いつけない、大型の攻撃機の旋回銃があれば戦闘機など不要だから戦闘機搭乗員を減らして攻撃機搭乗員とすれば良い、という意見だった。
主流派は大型攻撃機論といわれ、大西瀧治郎や新田慎一が唱えていたが、これと対立していた戦闘機パイロットの源田実や岡本基春も戦闘機無用論者といわれることになる。なぜなら当時急降下爆撃機がまだ存在せず、これを開発したのが戦闘機パイロットたちだからだ。さらに源田は単座急降下爆撃機という現代でいう戦闘爆撃機の着想で表彰されていた。後に源田は制空隊を考案して戦闘機の価値を飛躍させもした。しかし第二次上海事変で大型攻撃機論者は戦闘機はいらないといって出撃して撃墜されていった。これにて大型攻撃機論はおわった。だがアメリカではB-17やB-29で大型攻撃機論を成功させていると言える。戦闘機無用論に基づく搭乗員枠の縮小は昭和12年から15年の間だったが、さらに太平洋戦争直前に再び勢いを盛り返して戦闘機パイロットを攻撃機に移動させるなどしている。
(戦闘機不要論の顛末をうけて各国では双発戦闘機の開発に取り掛かることになる。長距離を飛行できる戦闘機が求められたからである。もっとも、開発された機体の多くは単発戦闘機に対して不利は否めず、主力とはなり得なかった。ただ、その余力のある機体スペースを生かして夜戦に転用されていたりもして名機が生まれてもいる)
第二次世界大戦
そして第二次世界大戦が勃発するころには単葉・引込み脚、密閉式の操縦席というレシプロエンジン(プロペラ機)戦闘機の最終完成形が現れた。第二次世界大戦では各国がこうしたレシプロ戦闘機を多数生産し、太平洋からヨーロッパに至る広い戦域でかつて無い規模の空戦が繰り広げられたが、並行して対空・対地ロケット弾や誘導兵器、レーダー、ジェットエンジンなどの新基軸も次々実用化されていった。
プロペラ機の欠点として音速突破が困難な点があったが、第二次世界大戦後の戦闘機は大出力のジェットエンジンの搭載によって音速突破が可能になった。またエンジン出力に余裕が出たためそれまで搭載されていた機関銃も機関砲(口径20mm以上)、さらにはガトリング砲(アメリカではM61バルカン)へと変わっていくだけでなく大型のレーダーやミサイルを装備するようになっていった。
1960年代[3]
1960年代、米国の軍用航空技術陣は趨勢を読み、「空対空ミサイルが十分に高性能なら、それを搭載する戦闘機は『格闘戦』をする必要はなくなるだろう」という結論に飛びついてしまった。空対空ミサイルの飛翔距離が10kmやそれ以上にもなれば発射母機のパイロットは敵機を目視することができず、「味方撃ち」のリスクが生じるのだが、技術者はこのリスクを甘く見ていたのである。
もしベトナム戦争中に米軍機が味方を空対空ミサイルで撃墜してしまうという事態が頻発すれば、ホワイトハウスがどんな弁明を用意したところで政権の人気が高くなることはまずありえない。まして中立国の民間機や同盟軍の将官が乗った輸送機を攻撃してしまったりしたら外交上の大ピンチになってしまう。
こうして国防総省はインドシナ半島空域においては、スパローやファルコンといった中射程ミサイルについてはパイロットが目視で敵機を確認した後でなければ発射してはならないと命令した。F-4は本来の長所である視程外からのミサイル攻撃を封じられた。敵のミグに懐に飛び込まれて格闘戦になっても固定武装は無く、おまけに搭載しているターボジェットエンジンの出力/重量比が高くないので敵機に翻弄される結果となった。
このベトナムでの空戦を猛省し、米国の軍用機メーカーは電子戦だけでなく目視距離での格闘戦にも負けることのない新世代の戦闘機を開発し始め、これがF-14/F-15/F-16になった。
現代
現在、機関砲(M61バルカン含む)はあくまで補助的な装備であって、現代の空戦は地上の警戒管制組織やAWACSなどの支援を前提とした視界外射程(BVR)でのミサイル戦が常識となっている。
ただし、ベトナム戦同様複雑な交戦規定が足をひっぱる場合もある。
以前は敵地上空に侵入し、敵機を殲滅し航空優勢を確保する制空戦闘機、自軍基地に接近した敵機を阻止する迎撃戦闘機、爆撃任務をメインに行う戦闘爆撃機など用途別に分かれていたが、現代では、エンジンや機体制御方法の発達、レーダーなどの進化などによりこれらの区分が曖昧となったマルチロール(多用途)化が進んでいるため単純な用途・運用方法による区別は意味を成していない(Mig-31など一部例外を除く)。
これは皮肉にも最初の戦闘機不要論に合致しているという意見もある。すなわち、高速かつ高機動である程度迎撃する戦闘機も排除できる航空機が現れたことから、純粋な戦闘機は不要になってしまったのである。
最近ではレーダーやセンサーなどのアビオニクス(Aviation+electronics=航空電子工学)機器の改良、搭載兵器の発達により対地・対空任務マルチロール化だけでなくステルス性の重視、ネットワーク化が戦闘機開発におけるトレンドとなっている。
ただ無人機(UAV)などが実用化・実戦運用が進んでいる現在、ミサイルキャリアーと化している戦闘機にとって三度目の戦闘機不要論の時代に突入しているとみる人もいる。
果たして戦闘機が今後も今の姿をとどめていられるのであろうか、それは誰にもわからないことである。
その他
お絵カキコ
戦闘機
翼の形一覧
関連項目
脚注
- *「人工知能の都市伝説」監修:松田卓也 宝島社 2016 pp.17-18
- *「21世紀のエア・パワー」 石津朋之 ウィリアムソン・マーレー 芙蓉書房出版 2006 p.70
- *「日本の兵器が世界を救う」兵頭二十八 徳間書店 2017 pp.259-262
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