「フッ、随分待たせたようだな……。大和型戦艦二番艦、武蔵。参る!」
武蔵(むさし)とは、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する、大日本帝國軍の戦艦武蔵をモチーフにした艦娘である。
この概要、武蔵に任せてもらおうか!
先の夏イベントでクリア報酬として配布された大和の姉妹艦。
2013年11月1日~11月27日の期間開催されていたイベント「決戦!鉄底海峡を抜けて!」の最終面である「サーモン海域最深部」(通称:E-5)をクリアすると、その報酬として貰えた。
なお、その後長らく本実装に至っておらず、「先行実装から本実装まで掛かった期間」の最長記録を更新し続けていたが、イベント終了から約7ヶ月経過した2014年7月4日のアップデートで、ようやく大型艦/新型艦建造に実装された。
大型艦建造に実装後、これまでに二度、期間限定で建造成功率が上昇している。一度目は2015年3月13日~3月27日までで、これは後述する戦艦武蔵の発見を記念してのもの。二度目は2017年12月27日~(終了日未定)で、こちらは2018年冬イベントの「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)」での史実艦となるためである。なお、二度目に関しては未所持提督で特に上昇するとのこと。
姉妹艦なだけあって、姉の大和と同等のモンスター火力と大喰らい。
長門型の倍以上の燃料弾薬を食い、一度の入渠で4桁の鋼材を使う代わり、初期状態で他の戦艦の改のフル改修済み状態並の能力を誇る。
航空機386機に随伴艦ごとフルボッコにされてようやく沈んだ姉も姉だが、爆弾44発・ロケット9発・魚雷25発(米軍発表)の直撃を受け続けてなお5時間以上も洋上に留まり続けた武蔵の耐久力は、米軍をして「モンスター」と言わしめたほど。しばらくは動けていたという点を反映したのか、地味に大和よりHPが1高い(ただし、対空は大和を下回る。これは武蔵の轟沈後、大和がその戦訓から大幅に対空兵装を増やしたことを反映している)。
大和が色々な方面で有名でもあり、純粋な「大和撫子」といった外見をしているのに対し、武蔵は褐色肌に銀髪(薄い金髪?)ツインテールにツリ目に眼鏡と色んな属性を詰め込まれ、胸部装甲に至っては大盛りの装甲の上にさらに追加装甲を纏って増している大和とは逆に、サラシしか巻いていない(実際はおっぱい持ち上げ装甲とかも付いているが、立ち絵ではちょうど腕で隠されてサラシオンリーにしか見えない)。立ち絵公開の時点で魚雷を暴発させてしまった提督は数知れないが、中破するとさらにとんでもないことに。サラシが真ん中で切れて今にもオープンしそうな格好になる。
そして彼女、なんと下も履いてないのである。2015年10月にグッドスマイルカンパニーから発売されたフィギュアにより明らかにされたスカートの中身は大事なところに胸同様、サラシが申し訳なく巻かれているだけであった。つまり武蔵はパイパ(ry
海外艦ではなく純国産の艦なのに何故こんな外人っぽい肌の色をしているのかと言うと、武蔵は甲板や装甲の色を変な色に特徴的な色に何度か塗り替えているという史実から来る。
進水時からして甲板がダークグレーに塗装されていたと言うのもさる事ながら、レイテ沖の決戦に向かう際に外部装甲を銀鼠色(■←こんな色)に塗り替えるという余計な改装を施している([1]このせいで武蔵乗組員には「死装束」「武蔵は囮」、他艦からも縁起が悪いと大不評を買い、実際決戦では目立ちすぎてフルボッコにされてしまった。改造すると運のステータスが10から9に下がるという微妙な不運艦設定をされているのもこのせいだろうか。ただこのフルボッコも米軍の攻撃の大半を引き受ける形となっており、このお陰で攻撃を免れた艦もいると思われる。艦娘となった武蔵も「いいぞ! 当ててこい! 私はここだ!!」と敵の攻撃を勇んで受け止める勇猛なセリフが聞かれる。
また、外見や身なりがワイルドで魔物っ娘っぽいのも、レイテ沖海戦時、その常軌を逸したタフさに半ば呆れた米軍が「モンスター」と呼んだ史実や、記録小説『戦艦武蔵』の著者である吉村昭が「戦争という狂気の中に生まれた奇怪な生物」として武蔵を描いたことに由来しているものと思われる。
性格は端的に言えば長門、那智と同様に武人肌である。
姉御肌で口調も男性的。同じメガネ戦艦こと霧島のアネキ成分を吸い取って生まれたのかと思うほど。
……と思えば、時報セリフでうたた寝をする、生まれの長崎名物に詳しくリクエストするなどなかなか茶目っ気のある部分もあるため、彼女を迎えることのできた提督は是非秘書艦にしてそのギャップを堪能してもらいたいところである。
なお、改造するとデレてくれるようになる。元がツンと言う訳ではないのでツンデレではないが、クーデレと言った所か。改造前は秘書艦にしてお触りしようとしても「遊んで欲しいのかい?」と余裕の態度であしらわれてしまうのだが、改造後に同じ事をすると「そういう事も嫌いでは無いが・・・凱旋の後でな。」と。凱旋の後なら「そういう事」もまんざらではないそうだ(後述の改二では公私問わない相棒として認めてくれている)
新たなお触りOK勢が誕生したのであった。
フッ、相棒よこの武蔵の改二、随分待たせたな!!
2018年2月18日の「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)」開始に伴うアップデート(正確には前日16日中に完了予定だったが、メンテ延長により正式な開始が17日深夜になった)で武蔵に改二が実装。彼女の最期の戦いだったレイテ沖海戦をモチーフにした作戦に満を持しての登場となった。改装レベルは89・・・だが、彼女の改二に伴う資材は膨大で
「弾薬9900・鋼材9600・改装設計図3枚・新型砲煩兵装資材3個・戦闘詳報1部」
・・・という前代未聞の資材が必要になる(一応18年の冬イベントの海域突破報酬として上記のうち改装設計図と兵装資材と戦闘詳報は必要分の入手が可能)大規模イベントのため改装は計画的に。
世界最大の戦艦である大和型の改二は伊達ではなく、最大の特徴は味方陣営初の『5番スロットの実装』である。これによって各種ボイラー缶と補強増設スロット(装備選択の幅が広く、武蔵改二にとって実質的な6番スロット)に改良型艦本式タービンを積めば低速戦艦として「高速化+観測弾着射撃」を両立出来る当初唯一無二の特性を手にしていた。それ以外にも(太字は観測弾着射撃発動装備)
- 主砲×2+水偵+徹甲弾+電探で徹甲弾の特効倍率の増加(1.08⇒1.10)と命中補正(武蔵の場合持参の15m二重測距儀+21号電探改と組み合わせることで命中+9の恩恵を得られる)
- 主砲×2+水偵+徹甲弾+水上戦闘機で航空戦艦並みの制空支援をしつつ弾着射撃が出来る
- 主砲×2+水偵+徹甲弾+三式弾で水上艦に対してだけでなく地上目標に対しても特効が得られる(徹甲弾の特効と三式弾の特効は重複はしない)
- 主砲×2+水偵+徹甲弾+対空電探+12cm三十連装噴進砲改二(補強スロット装備)で対空カットインと両立
など、様々な運用が出来るようになった。他にも何故かカ号観測機やソナーも装備出来るようになっている・・・史実では確かに零式聴音機を艦首に装備しているし、後部の航空甲板も水上機母艦並みに広い大和型ならカ号観測機の運用も出来そうだが・・・なお、システム上戦艦は対潜攻撃が出来ないのでこれらの装備を付けても命中や回避の補正しか付かない。
意匠もそれまでのサラシ姿に大和と色違いのセーラー服を肩掛けしていた改までと違い、改二ではしっかり着込んだ上に上部甲板をイメージした黒いマントを羽織る、愛用していた穴あきのグローブも新調するなど大和と比べてもお洒落になっている(サラシは引き続き身に着けており、中破時に確認できる)。なお彼女のトレードマークである眼鏡は改二ではフチなしのリムレスタイプになっており、ゲーム画面だと一見掛けてないようにも見える(解像度の問題で図鑑や中破時及びHTML化した第二期からは鼻当て部分が判るようになっている)
艤装というか持参装備も希少装備が目白押しであり、月間ランカーや一部のイベント報酬だった「試製51cm連装砲」「15m二重測距儀+21号電探改」「新型高圧缶」に加えて、新装備の「10㎝連装高角砲改+増設機銃」で武装しており、大和型と云えば他の戦艦との大きな識別点でありトレードマークであった三連装砲塔が連装化により無くなっており、連装化した3基の砲塔の内一基を右腕で構えて持つスタイルになっている(改装前の大和型は三基全て艤装に固定されており、三番砲塔のみ大和は後背部、武蔵は右側面に寄せている)
これは「仮称798番艦」通称『超大和型』戦艦の装備に準じる構成であり、大和型とほぼ同サイズの船体に51㎝連装砲塔3基、15.5cm三連装副砲を全廃する代わりに長10cm連装砲を対空火器として艦上に張り巡らせた艦として計画された(戦局の移行で計画のみで中止された)
提督との関係も「提督」呼びから終始「相棒」と呼ぶようになり、より距離が近づいた印象を受ける(季節限定ボイスだと改までのと混在しているので一部「提督」呼びは残っている)
更に大きな変化として改二になり時報も一新された。改二になる事で時報が追加された艦娘は数多いが、改二になって時報が変わるのは武蔵改二が初である。基本的には改での時報の続きという趣で史実での仲間(第二艦隊の大和・摩耶・鳥海・島風・清霜・浜風)以外にも別行動だった時雨(佐世保鎮守府所属だった時雨とは長崎?がりと思われる)との会話に加えてアイオワにも声を掛けられて演習を受けるという交流範囲の広さを誇る。料理もそれなりにこなすようで、夕食には特製カレーを振舞っている。ちなみに改の時報であったメタ発言(18:00及び放置時)は無くなった。
季節限定ボイスでは自身の建造時に極秘故に目隠しを担当した大鷹に対する礼を述べたり、瑞雲祭りで盛り上がる日向と伊勢に「どうなってる!?」と困惑する様子も(その後の狼狽振りから瑞雲を持たされた模様。ちなみに武蔵は瑞雲は装備不可である・・・のだが、大和は改二重で装備出来る「解せぬ」)
2022年6月7日の大和改二・同改二重実装に伴い、武蔵改二も仕様変更。補助増設施設に一部副砲(それ迄の高角砲に加え、大和型の副砲である15.5cm三連装砲系統。主砲及び副砲、兵装種は問わない)・史実での装備電探「15m測距儀+21号電探改二」と派生型である「15m二重測距儀改+21号電探改二+熟練射撃指揮所」が装備出来るようになり更に使い勝手が良くなったのみならず、特殊砲撃『第一戦隊、突撃!主砲、全力斉射ッ!』が追加。現状大和改二と並んで砲撃戦における最大戦力としてゆるぎないポジションを担う。
余談
余談だがホテルと名高い大和をも越える豪華かつ充実した内装を持っていたと言われる。
武蔵の内装を見た大和側のスタッフが「おい武蔵ずるいぞ!」と武蔵と同等の調度品を大和にも入れようとしたのだが、調度品が手に入らなかったのか、武蔵の建造を請け負っていた長崎造船所が豪華客船を作っていた事もある所だったというノウハウの違いが現れたのか、完成してみるとやっぱり武蔵の方が豪華だったらしい。
大和の「ホテル」に対して武蔵は「御殿」と呼ばれていたのだが、大和と違って武蔵の中で勉強会が開かれたりした事は特に無かった。
また、この内装の豪華さとは関係なしに「武蔵体操学校」という異名もあった。
当時海軍では、機械化による肉体労働の減少・配属部署ごとに決まった作業しかしない事による筋肉使用の偏りからくる体力低下を防止するため、海軍体操という体操を教範を作って実施していたのだが、武蔵の初代艦長である有馬馨大佐がこの海軍体操にやたら熱心だった事による異名である。
この武蔵の史実、伊達ではないぜ。
建造中のエピソード
1938年3月29日、三菱長崎造船所にて「第二号艦」と仮称される艦の建造が開始された。これが後の「武蔵」となる。だが、この世界を代表する巨艦の建造には並々ならぬ労苦があり、いくつものエピソードが残されている。これは吉村昭の記録小説『戦艦武蔵』に詳しい。
- 上記の有馬初代艦長ですら、腕章を忘れたら検問を通して貰えなかった。
- 正式な設計図が届いたのは、発注を受けてから4ヶ月後。その前に届いた設計図には、全長・全幅・排水量が不明のままだった。
- 造船所がある長崎は坂や入り組んだ地形が多いため、武蔵クラスの戦艦を建造するとなると、高台からは丸見えになってしまうという難点があった。そのため、造船所では建造中の武蔵の艦体すべてを棕櫚の簾で覆い、その詳細を隠しながら建造していた(簾の材質が棕櫚でなければならなかった理由は、他の素材だと溶接の火花で燃えてしまうため)。
- その簾の材料となる棕櫚も膨大な量が必要になったため、急遽全国からかき集めることに。そのため全国の市場から棕櫚繊維が消え、悪質な買い占めの疑いで警察の手入れまで受ける羽目に。
- 造船所の対岸に米英の領事館があったので、目隠しのためだけに倉庫を建築。
- 観察されないように、高台にあったグラバー邸を三菱重工業が買い取る。
- 設計図一枚紛失しただけで、担当部署の作業員全員が特高の取り調べ(拷問)を受けた。なお、犯人の少年作業員は一家ごと満州に「島流し」にされて現地で行方不明に。
- 進水式の日は、艦体を一般市民に見られないように、長崎市全体に外出禁止令が出る。
- 同じく進水式では、出席する皇族すら平服で式場に入り、中で軍服に着替えたという。
後に米軍の情報士官たちをも仰天させた「二号艦」建造の秘密保持水準は上記のように徹底しており、長崎の人々ですらまともに武蔵建造の光景を直視することができなかった。このような厳戒態勢で着々と形作られていく異形の巨大戦艦を、「魔物」「おばけ」と呼んだ長崎の人々もいたとか。
こうした努力の末に、ようやく進水式を迎えた「二号艦」だが、ここでも一騒ぎが起こる。
「一号艦(大和)」の進水式は、あらかじめ注水したドックに浮かんだ艦をタグボートで引っ張り出す方式だったが、「二号艦」はスロープを拵えて陸から海に滑り落とす方式であった。このとき、武蔵のあまりの巨体故に長崎港内では高波が起こり、対岸では床上浸水した家も出たという。「一号艦」が呉工廠で割りとすんなり誕生したのと比較すれば、「二号艦」が如何に凄まじい難産だったかわかるというものだろう。
ともあれ、こうして進水した「第二号艦」は、正式に「武蔵」と名付けられ、1942年8月5日に就工した姉の「大和」の建造中に明らかになった不具合に対応するための仕様変更が相次ぎ、本来は42年12月に完成する予定だったが、太平洋戦争の開戦によって工期が半年近く繰り上げられた。
四方山話 ~戦艦「武蔵」と軽空母「隼鷹」と軽空母「大鷹」~
余談だが武蔵建造当時、隣のドックで建造されていたのが、日本郵船発注の輸送船「橿原丸」――後の改装空母・隼鷹であった事はあまり知られていない。
武蔵の進水式前日、武蔵の常軌を逸した重量に、鉄骨入りの厚さ一メートルのコンクリート製進水スロープが裂けるというトラブルが発生した。幸いこれは大きな事故には繋がらず進水式は成功裏に終わったものの、このとき進水式の担当者は、武蔵の進水が失敗し艦橋が倒壊しようものなら、隣で建造中の橿原丸も武蔵の巨体に粉砕され、造船所は倒産してしまうだろうと戦々恐々だったという。
こうして武蔵は橿原丸より先に進水したのだが、武蔵進水後もドックは棕櫚で覆われたままで、周辺住民には「武蔵はもう一隻いる」等と噂が広まった。
そしてある時造船所が火災に見舞われると言うトラブルがあり、棕櫚ごしにドックの中の橿原丸の姿が浮かび上がって映し出されると、周辺住民はその船影を見て「やはり武蔵はもう一隻いたんだ」と錯覚したと言う。
他にも二隻の縁は進水式当時だけでなく、武蔵轟沈後に生き残った武蔵搭乗員の一部の送還を軽空母の隼鷹が受け持っている。艦これ劇中では触れられていない事実であるが、これも奇縁という他ない。
と、ここまで「橿原丸」の話をしたのだが、この時期に長崎造船所で建造されていた貨客船改め軽空母はもう一隻いた。「春日丸」-後の改装空母「大鷹」である。
武蔵や橿原丸に先んじて9月19日に進水していた春日丸は、進水後艤装岸壁に移動する「武蔵」の艦体に寄り添って隠すことで防諜に貢献したのだという。
とはいっても、「大和」の艤装中にその艦体を隠していたという「鳳翔」同様、全長263mの武蔵に対して全長180mの春日丸がどこまで隠せたのかは疑問だが。
奮戦から戦没まで
こうして完成した「武蔵」は横須賀鎮守府に編入され、いよいよその実力を発揮する……といかなかったのは諸兄もご存知の通りである。
1943年、「武蔵」はトラック諸島に進出し、2月11日には姉の「大和」から連合艦隊旗艦の任を受け継ぎ、連合艦隊長官の山本五十六を艦上に迎える。
だが、それから僅か二ヶ月の4月18日、山本五十六長官は戦死し、「武蔵」の初任務は、駆逐艦「秋雲」と共に長官の遺骨を日本に持ち帰ることとなった。
その後、トラックにとんぼ返りした「武蔵」を待っていたのは、「大和」共々泊地にとどめ置かれ、「武蔵御殿」と揶揄される日々だった。
そして、1944年10月、フィリピンに来襲した米軍を迎え撃つべく、「捷一号作戦」が発動された。
「武蔵」ら主力艦隊に与えられた命令は、レイテ湾に向かってくる米輸送船団および上陸部隊の殲滅。
艦体を銀鼠色に塗り替え[2]た「武蔵」を含む主力艦隊は、10月22日、ブルネイを発ってレイテ湾に向かうが、翌23日、その途中のパラワン水道で米潜水艦の待ち伏せを受け、「愛宕」「摩耶」が沈没、「高雄」が大破してしまう。
そして10月24日、シブヤン海に到達した「武蔵」に、待ち構えていた米機動部隊の艦載機が文字通り“殺到”した。
6回に渡る空襲により、爆弾の被弾17以上、魚雷の被雷20以上、至近弾18以上(上記の米軍側の記録と異なっているのは日本側の記録のため)という、世界船舶史上最悪の被弾数を記録する猛攻を受けた。ちなみに当時「武蔵」を攻撃した米軍のパイロットは「船ではなくまるで地上の要塞を攻撃しているようだった」とその当時の印象を振り返っている。
もはや船のものとも思えぬ程の重傷を負いながらも4時間以上浮き続けていた「武蔵」であるが、遂に力尽きる時が来た。広範囲に渡る浸水による速力低下により艦隊から落伍した「武蔵」は既に艦首側からゆるやかに沈没しつつあり、他の艦艇によるあの手この手の延命治療や応急処置も遂に功を奏すことはなかった。傷ついた身体を辛うじて海面に留めた「武蔵」は、仲間たちや姉の「大和」と今生の別れを交わした後、夜間に二度の爆発を起こしながら静かにシブヤン海に沈んでいったという。
余談……と言う訳でもないが、米軍の猛攻撃を受けてもしばらく浮いていた事について、これは被弾箇所が運良く(?)艦全体にバラけていたためで、急激に傾いたりすることが無かったためである。皮肉にもこのことが米軍にとっての教訓となり、後に大和を撃沈する際は左舷への集中攻撃が行われ、大和は大きくバランスを崩すこととなり、武蔵よりも攻撃を受けてから早く沈んでしまう結果となった(狙ったわけじゃなく偶然そうなった、という説もあるが)。
なお、「武蔵」の名を持つ艦としては三代目である。初代は明治初期にアメリカから購入した蒸気スクーナー「武蔵艦」。二代目は葛城型汽帆船の3番艦。ちなみに二代目の同型艦(葛城型2番艦)に、初代の「大和」がいる。
戦艦「武蔵」、発見さる
去る2015年3月3日(日本時間)、マイクロソフト創始者の一人ポール・アレン氏が出資する調査隊によって、シブヤン海水深約1kmの海底で武蔵と思われる船体が発見されたという衝撃のニュースがツイッターにて報じられた。
かつて戦艦武蔵の随伴艦であった駆逐艦「清霜」の記録などにより、武蔵が沈没した地点はある程度予測されてはいたものの、戦後にその場所を調査しても武蔵の艦体が確認できず、長らく沈没地点は詳らかではなかった。
このため、沈没途中に自重と浮力が吊り合ってしまい、着底することなく今も海流に乗って世界中の海を漂流しているという説も出ていた程であった武蔵であるが、姉の『大和』から遅れること約30年、シブヤン海の水底に静かに眠る武蔵の姿が確認されると、世紀の大発見に日本中が沸くこととなった。
ちなみにポール・アレン氏側は、沈没した船体の艦首にあしらわれた菊花御紋、通常のそれより遥かに巨大な錨を決め手とし、この沈没船を戦艦武蔵であると特定したとの事。
発見された事について、旧日本海軍の戦死者や海上自衛隊の殉職者の慰霊などを目的とした活動を行っている公益財団法人「水交会」は、「(本当に武蔵ならば)世紀の大発見だ」とコメントしている。
関連動画も・・・まあ、気になるな。
新しい関連静画が来たようだ。いってやれ。
改二
ありがたい、関連商品は大事だ!
この関連項目の本当の力、味わうが良い!
- 艦隊これくしょん~艦これ~
- 大和型戦艦
- 大和(艦これ)
- 武蔵(艦これ)
- 眼鏡っ娘 / 眼鏡っ艦娘艦隊
- 武闘派メガネに定評のある三菱長崎造船所
- 入渠時間613,200:00:00
- 春日丸(艦これ)※建造時に目隠しを担当。武蔵本人からも「世話になった」の発言アリ
- 隼鷹(艦これ)※同時期に隣の船渠で建造。二次創作では酒飲み仲間として仲が良い
2013年 秋イベント「決戦!鉄底海峡を抜けて!」 新規実装艦娘 |
阿賀野型軽巡洋艦 - 阿賀野 能代 矢矧 伊号潜水艦 - 伊8 伊19 大和型戦艦 - 武蔵 |
脚注
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