ナーロッパとは、みんな大好き剣と魔法のファンタジーRPG風異世界のことである。
この言葉はいわゆる「なろう系作品に関する蔑称」、
それと「気軽な創作に極めて便利な世界観の概念」という2つの側面を持つ。
ナードと言う意味も含まれているとかいないとか。
ここで言うヨーロッパとは実際の欧州の事ではなく、ファンタジーRPGによく見られる世界観を指す。
異世界に転移・転生するなろう系と称される作品群での行先が余りにもテンプレートである事から付けられた侮蔑的俗称が発祥ではあるが、語感や語呂の良さ、またアマチュア小説自体に向けるスラング・蔑称もそれほど忌避されない風潮から喜んで使うなろう作家も居る。
また主人公の召喚・転生先であるかどうか(転移や転生でない場合現地主人公と呼ばれる)、主人公のチートの有無はその世界のナーロッパ性を規定はしない(よくナーロッパとセットで語られるほどに異世界・チート設定の相性がいいのは確かであるが)。
この言葉が広く使われ出したのは2019年8月頃からになるが、単語自体はその以前から存在が確認されている。
記事タイトルこそ「ナーロッパ」ではあるが、なろう系と言う言葉が必ずしも小説家になろうでの連載を前提としていないのと同様に、以下に挙げた特徴に収まるものは、「小説家になろう」発の作品群以外にも存在する。
そもそも「剣と魔法のファンタジー世界」自体が20世紀の時点から存在していたのは、「ドラゴンクエスト」や「スレイヤーズ」の名前をわざわざ挙げなおさなくともご存知であるはずだろう。
小説家になろうで初めて生まれて定着した概念だと思われがちな「冒険者ギルド」ですらも80年代後期のロードス島戦記にその名前が存在しているのが確認される。
レベルやスキルの概念がある小説・漫画も「フォーチュンクエスト」や「魔法陣グルグル」など、90年代の時点に存在していたものをあげることが容易である。
これらのナーロッパ的特徴を持つファンタジー世界は「中世ヨーロッパ風」とよく表現されるが、それらが同時に現実の中世ヨーロッパとは全然違う文明レベルであることは頻繁に指摘され続けて来た。(なおこれも既に80年代末に言われていたことである!)
そもそもwikipediaによると一口に中世ヨーロッパと言っても5世紀〜10世紀の前期、11世紀〜13世紀の盛期、14~15世紀の後期に分かれており全部合わせると1000年前後と非常に長い期間にわたる。またヨーロッパと言う括りもそれだけで地理的にかなり広い地域を指す言葉である。それだけ広い範囲について文明・文化・宗教等が一様なはずもなく、本来は中世ヨーロッパなどと言う言葉一つでカテゴライズ出来る物ではない。下で挙げている事例も必ずしも正確ではない。
そして何故それら時代を跨いだ混合が発生しているかというと、世界最古のTRPGたる「ダンジョン&ドラゴンズ」をはじめとする初期ファンタジー達が昔のヨーロッパの神話伝承群を時代や地理をごちゃ混ぜにしながらつまみ食いして「剣と魔法のファンタジーRPG」の土台イメージを作り、更にそれが参考にした昔の騎士道物語などについては当然歴史考証など行なっていないものであるため、尚更にイメージが実際の中世を離れて行ったからと言うのが強い説である。
無論、創作上「その方が都合がいいから」と言う理由も少なからず含む。汚かったり治安が悪かったりする世界の物語を描きたい人は居ない訳ではないがそこをこそ描きたい人は少数派だろう。
ナーロッパに於けるヨーロッパとは、あくまでも冒頭の通り「ファンタジーRPGによく見られる中世ヨーロッパ風の世界観」なのであり、それら「中世ヨーロッパ風を名乗るが実物の中世ヨーロッパとは全然違う世界観」のことを指し示す名前が必要とされていたところに、共通認識的ニュアンス(と若干の揶揄)をもって表現できる言葉がやって来たのが「ナーロッパ」だと言えるだろう。
よってこの表現を使っている人は共通認識を取るために言っている場合もあり、揶揄として言っているとは限らない場合もあることに注意したい(無論揶揄のために定義認定しようとしている場合もあるが、それは当然いい態度ではない)。
ナーロッパという呼び名が嫌だという場合は、昔ながらの「剣と魔法の世界(Sword & Sorcery)」という言い方をするのもいいだろう。
ちなみによくドラクエ風と言われることもあるが、実際のドラクエはナンバリング毎に結構違う世界観を持っているのであんまりイメージ指標にならなかったりする。
一口にナーロッパと呼ばれるものでも作者や作品の数が膨大な分多種多様であり、以下に挙げた特徴に収まらない「ナーロッパ」も存在し得ることを始めに記載しておく。
基本的にDQに見られるような中世風剣と魔法のファンタジー世界をベースにしているが、それに加えてMMOのようなステータス・スキル又はクラスシステムが実装されているなど、より強く「ゲーム的世界」を際立たせた設定の物が目立つ。
レベルだけある、スキルの概念のみ存在する、クラスの呼称など作品により設定は様々だが、そう言う物があるならばステータスと言う概念を踏襲していると言える。このステータスが存在する世界観だと、全ての住人がそれを認知して自然現象、或いは神の加護的なものとして受け入れている場合が多い。
ステータスと言う演出は小説家になろうが誕生する遥か以前、ダイの大冒険などゲーム原作やゲーム風世界を題材にした作品でも見られる物だが、このタイプのナーロッパでは演出ではなく本当にステータスと言う概念が存在するのである。
一例を出すならレベルやHP、MPなどの載ったウィンドウが「ステータスオープン!」の声とともに開かれるのは、どの作品がそうなのかタイトルが出てこなくともあまりにも有名であろう。
90年代以前でもメタ的表現を許容するフワッとした作風なら「実在のステータス」はあったが、そう言ったタイプではない作品において「可視化された宿命=打破すべき壁あるいは目標」等シリアスなテーマとしてさえ描けるようになったのはなろう系のもたらした大きな影響と言える。
ナーロッパの看板の様に扱われるステータスシステムは確かに最大の特徴と目されるほど広く採用されるが、言うまでもなくこう言ったゲーム的システムの無いファンタジー作品も多数ある。
「冒険者」及び「冒険者ギルド」がかなりの高確率で存在するのもナーロッパの特徴である。名称は違っても似たような職業や組織が存在するケースも少なくない。
ここで言う冒険者とはナーロッパ以前からある「剣と魔法の世界」でお馴染みのゲーム的職業の事であり、採取や探索、討伐や護衛と言った危険な仕事を請け負って遂行するフリーランス的な職業、生業を指す。
コンピュータRPGと言うよりTRPGからの系譜と言えるが、冒険者はゲーム内にキャラクターシートで作成したプレイヤーキャラを登場させるガジェット的な設定(あるいは方便)なのでナーロッパと相性がいいのは当然である。異世界にほっぽり出された主人公がまず最初に冒険者と言う仕事の有無を確認する展開もよくある。こうしたならず者の何でも屋的な職業は実際にも存在しただろうが、そこに雇われ狩人や武者修行の自由騎士、諸国漫遊の吟遊詩人などのイメージを重ねて生み出されたと思われる。ともあれモンスターの闊歩する世界でもないとこうも活発な業界にはなり得ない。
冒険者を取りまとめる(と言うにはふんわりしている)冒険者ギルドも多くの作品に登場する。依頼を募集し冒険者に斡旋するという役割は大抵の作品で同じだが、同時に領地や国境の壁を越えて支部を有し、全世界でほぼ同じサービスが受けられると言うかなり中世にあるまじき特徴を備え存在している場合が多い。この矛盾を解消するためにしばしば前述のステータスを絡めた世界的宗教が設定に利用される(ステータスを司る神を信奉する教会がギルドの最大の後ろ盾になる、など)。
また奴隷制度と言うのも、冒険者と並んで多種多様なキャラクターを登場させる窓口として設定されている。冒険者にパーティーメンバーとして買われる事もある。身売りや犯罪奴隷など身の上は様々だが、獣人族などの種族が苛烈に差別を受ける世界ではそう言った者達は奴隷に押し込まれている事が多い。
なお実際の中世ヨーロッパでは社会の中に労働力としての奴隷はおらず(僅かにはいたかも知れないが)、敗戦国の国民などが奴隷貿易の商品として大量に輸出されていた。
かなりの割合のナーロッパにおいて、冒険者の潜るダンジョンは上記のステータスと合わせて非常にゲーム的な設定を採用している。
TRPGのステージ設定で適当な自然洞穴にたまたまゴブリンやらドラゴンやらが棲みついたとか、古代の魔法使いが罠満載の館を作って自身の秘宝を隠したなどがよくあるが、そういう事ではない。
ここで言うゲーム的とは、例を挙げるなら「作中において、普通の洞窟と違う『ダンジョン』として認識されている」「どこからともなくモンスターや宝箱が無限にポップする」「そもそもダンジョン自体がポップする」「最奥部には自然に棲みついたのではなく『設定』された強大なボスがいる」と言った特徴を言う。ボスを倒した場合は作品の世界観設定によってダンジョンが消滅したり一定期間後にリポップしたりと言った処理になるのだが、いずれにしろ道中と合わせてハクスラ型のダンジョンを体験するゲームをそのまま現実にしたような物となっている。但し作中においては確かに現実なので、賭けるものは潜行者の命である。
こう言ったゲーム的設定を生かし、逆に主人公がダンジョン経営に回るのも定番となっている。
登場モンスターについても、倒した死体が残り素材等を取れる世界観もあれば、死ぬと跡形もなく消滅して経験値とドロップ品だけが残る非常にゲーム的な作品もある。また多くの設定では通常の動植物との違いとして「魔石」と言う物を体内に持っており、換金や素材に使える物とされる。
ステータスと言う概念を受け入れがたい人ならば、恐らくこのナーロッパ的ゲーム風ダンジョンやモンスター(特に倒すと消えるタイプ)の設定も同様に苦手なのではないだろうか。
作品世界の文明レベルや制度、インフラがどう考えても中世ではなく近世(中世ヨーロッパは下水道などない)、場合によっては地球の現代文明を追い越している(空中都市や転移魔法での輸送など)のもよく見られる。そこまで行くとファンタジーと言うよりマジックパンクと呼ぶべきかも知れない。逆にかなり便利な魔法が一般庶民まで浸透している世界観で何故かそれが農業や輸送に全く生かされていないなど本当に中世レベルの場合もある。
史実では暗くて臭くて居住性が劣悪だった城塞都市も、ナーロッパにおいてはガラス窓を使用するなどし広く快適で活気ある街とアレンジされるのもよくある特徴だろう。とは言えなろう文化以前のファンタジー作品でもよくこうなっており、ナーロッパ限定ではないのだが。
(なろう発の複数のアニメ作品において全く同じ城塞都市の背景が使われているのが一部から熱烈なツッコミを受けているが、それはむしろ現実の逼迫するアニメ制作現場と言う全くの別問題である)
文明レベルの多様さに関連し、医療や衛生観念、またはそれに関する制度やインフラも作品ごとに違いがあり過ぎて「ナーロッパ」で括って語れる部分はそれ程多くない。
衛生面で例外的に比較的多く採用される設定は「スライムに下水を処理させるシステム」だろうか。この場合、現代日本ほどではないにしろ相当な清潔さのある都市が実現できる。また下水道のトラブル解消の依頼が冒険者に斡旋されることもよくある。他には誰でも【清潔】のような魔法が使える設定にしそもそも衛生面の問題がほぼない世界観にしてしまうこともある。
実際の中世並みに不潔な世界観に、主人公が現代知識チートの一環として公衆衛生の概念を導入するのも定番展開の一つである。
医療全般で言うと、回復魔法やポーションと言った存在により作者が設定を作る余地が大きすぎるためか益々一纏めには出来ない。魔法を前提とした医療制度や商売面を描いたり、獣人など特定の種族だけが罹る病気があるなどファンタジーならではの設定構築がなされる作品も少なくはないが、メインテーマに据えるなどしない限りはいくら凝っても過剰になるだけの部分ではある。
後述の宗教にも関係してくるが、現実の地球では洋の東西を問わず疫病が流行った際には大規模な祈祷などの特別な宗教行為が歴史上何度も行われてきた。それらには民の心を落ち着けて集団免疫の獲得まで社会を持たせる効果があると言われている。こういった疫病時の大きな祭事はナーロッパ的世界ではあまり見られなかったものだが、コロナのパンデミックに影響されて導入する作品は今後現れるかも知れない。
統治スタイルとしては中央集権の絶対王政はあまり見られず、貴族が領地を支配する封建制度が多い。こういった実質的な力があるが王ほどではない貴族と言う存在は、敵としても味方としても、また主人公のポジションとしても非常に便利なのである。結果的には歴史上の中世に近いと言えるが、そんな貴族の子女が通う魔法学校、騎士学校的なものが王都に存在すると話は違ってくる。この設定で考えられる影響は余りにも大きすぎるが、まず貴族の跡取りを王の名でまとめて預かる以上王の権力・権威はリアル中世と比較して大分強いのではないだろうか。
尚、作中での王政や貴族制度などの穴だらけ振りをナーロッパの特徴に含める意見もあるが、酷い統治や変わった制度など史実でも枚挙に暇がない。そこは面白いものとして読ませられない作者の手腕の問題なのでナーロッパ概念と結び付けるのは早計である。
識字率は特筆しない限り高いと思われる。具体的には、主人公に絡んでくる体を洗うと言う概念がなさそうなチンピラでも冒険者ギルドで依頼書の扱いに不自由しないレベルである。逆にリアリティやダークな雰囲気を出したかったり、教育チートでの改善によるギャップを描きたい場合は低く抑えられる傾向にある。
言語も同様で、特筆がなければ国をまたいでも普通に通じている設定が多い。ただし異世界人ともなると、言語がわかるチートなりスキルなり無いと流石に会話不可能な程度に言葉が違うのが一般的である。
識字率の高さと言語の通じの良さに共通するのは、物語の進行の妨げとなりうる要素が排除されるのが基本となっている点である。この「特筆があれば識字率が低く、言語が通じない」構造は中世のみならず現実世界のデフォルトである「読み書きに不自由するのも言葉が通じないのも普通」とは逆であると言える。
また教育機関として、統治の項で述べた魔法学校的な存在も広く採用される。ハリー・ポッターのような寄宿学校の始まりは中世末期なので中世的設定とはあまり言い難く、むしろナーロッパの場合1~2世代前のライトノベルの学園異能バトルものの流れを汲んでいる。モンスターと戦う力を育むなどの具体的な目標があるためか、所謂青春小説によくある鬱屈した日々やらニヒリズムに糊塗されたモラトリアムやらといった要素が入り込む隙はまずない。
日本製ヨーロッパ風ファンタジー≒JRPGでの宗教と言うのはキリスト教を形ばかりカリカチュアライズ(戯画化)したものが殆どで、ナーロッパも例外を除けばほぼそれに倣った世界的宗教が設定されている。それはステータスを司っていたり、キリスト教がモデルっぽいのに多神教だったり、時には作品テーマが神への反逆を肯定していたりととてもそのものとは言い難い。
JRPG風世界観全般が実際の中世ヨーロッパと最大のギャップを有しているのが、恐らく宗教観である。
日本人が宗教を多少意識するのは冠婚葬祭盆正月、あとは不安がある時の願掛けとか、古くは立小便避けの鳥居が壁に書かれていたりとかその位であろう。ともかく神や仏を強く意識するような形ではなくJRPG・ナーロッパ宗教にもそのふんわりした感覚は反映されているが、そこに実際のキリスト教徒が感じるであろうシリアスさは皆無。
キリスト教徒にとって宗教とは「神も悪魔も天国も地獄も確かに存在する」「神に背いたら地獄行きが決まる」と言う非常にシリアスな物である。更に中世で言うなら、例えばある貴族が教会から破門された場合「今すぐ討伐すべき山賊扱いしてもいい」レベルでの存在全否定を意味する程の強い影響力がある。このように精神面でも、中世なら権力面でも絶対であり、神への反逆などとんでもない。
また海外製の古典や名作でも多神教設定のものが多いが、やはり主人公たる英雄が神の尖兵として何のてらいもなく悪を撃滅するのを最終的には全肯定するヒロイックファンタジーの根底には「一神教徒が考えた多神教世界」というものを感じざるを得ない。逆に向こうから見た日本製ファンタジーも平気で神に逆らったり虚仮にしたり、相当な違和感がある事だろう。
以上のことを日本育ちの日本人が肌で感じることは極めて困難で、創作で描くとなると輪をかけて難しい。ましてや主人公が神に会って転移・転生するタイプの作品ともなると、神をキャラクター化してしまう以上その世界の宗教をシリアスな神秘として描くことはほぼ不可能となる。
多くのRPGやMMOなどがそうであるように、国による通貨の違いは通商がテーマなど特別に描写したい場合を除いては基本的にない。あっても両替の場面などはアッサリ流すか省略される。召喚された時点で財布の中に入っている日本円は当然ながら異世界ではお金としては使用不可能である。但し精密な細工の珍品として高額で売れる場合が多い。
なお実際の中世の貨幣は統一が推進されるまでは国どころか領単位でさえ違う有様であり、ナーロッパのように人がダイナミックな移動を気軽にできる世界とは程遠いものであった。
ナーロッパとはある種の揶揄されうる世界観の類型=テンプレートである事は間違いない。
ナーロッパと言うフォーマットを作者と読者で共有する事により、作者読者双方にとって作中説明の負荷が低くて済む&何でもできる自由な世界を舞台に出来るというメリットが得られる。概念的にはRPGツクールVXAceまで存在したRTP(ランタイムパッケージ・ゲームデータ容量を削減するためにプレイヤー側のPCに入れる素材データ集)に近い。
但しあくまでも世界観についてであり、侮蔑的ニュアンスを含めているのを良い事に「なろう系でよくある展開」「なろう系的つまらなさ」までナーロッパと言う言葉に内包させるのは正確には正しくはない。
ナーロッパではよくある事、のようなジョークは成立するがそれはそれこれはこれである。
そして「ゲーム風ファンタジー世界」というのはあくまでも表層的なテンプレに過ぎない。実に多くの作品で「何故そのような世界観・システムとなっているのか」「魔法やモンスター、魔王と言った存在が文明や文化、風俗にどういった影響を与えているか」が考えられており内容も千差万別である。またなろう系の象徴として揶揄どころか嫌悪すら度々受ける主人公のチートについても、世界に選ばれた守護者や歪んだ世界の反存在と言った世界観そのものと切り離せない重要な設定、役割が付与される作品も多い。
アマチュア小説家の中には所謂設定厨と呼ばれる人種、中学二年生のメンタルを保ったまま大人の知識と技術を得た様な人間がゴロゴロおり、「なろう系」と言う言葉に付随する薄っぺらそうなイメージとは逆にむしろ設定が凝りすぎ、重すぎて物語のテンポに弊害をもたらしているケースも散見どころではなく数多く見受けられるのもここに言及しておく。凝った設定を物語の中で面白いものとして自然に読者に受け入れてもらうには相応の筆力が必要となる。
システムや社会、文明といった点に不自然なツッコミどころがある作品は本当に作者が何も考えていない場合も、「設定を練って敢えてそうしている」事もある。批判が正しいかは作品を読まないと分からないので留意すべき。
もちろん作者によっては取材や研究をし「古代と前期中世の中間をイメージした世界観」と言ったある程度リアリティを重視したものを構築する場合もある。
前述のとおり作者や作品によって設定は多種多様なため、ナーロッパと言う言葉が示す範囲を決めるのは困難である。そもそもこの種の悪口的なニュアンスを多分に含む言葉は悪意を持って使用すれば対象がどこまでも広がってしまうもので、益々ハッキリと決めることは難しい。
とは言え中世ヨーロッパ風ファンタジーと言う土台から外れることは恐らくはない(と思われる)。和風、中華風のような架空世界をナーロッパと呼ぶのはいくら何でも違和感が勝るだろう。
ナーロッパと言う呼称が相応しいかどうか悩ましい境界線として、ナーロッパの先祖の一つと言えるウィザードリィ内に好例がある。職業として侍や忍者と言う当時としては突飛なものが存在するが、その裏付けのために外国人の考える間違った江戸時代そのものな国が設定されている。同じようにナーロッパ的な世界を舞台にしたなろう系作品でも、あからさまに日本をモデルにした国が存在する事がある。世界全体がナーロッパでも物語の舞台がその日本っぽい国から1ミリたりとも外に出ない場合、それはナーロッパなのか?という命題が存在し得るのである。
また、幼女戦記と言う作品がある。舞台となる世界は「魔法が存在するが、文明が第一次大戦ぐらいまで発展した」時代設定となっており、昔はナーロッパだったかもしれないが現在もそう呼べるかは分からない。
そう言ったわけで正確な範囲は決めようが無く、こんなどうでもいい事で考え過ぎてハゲを誘発するのはお勧めしない。余談だが多くのナーロッパでは、主人公が凄まじいチートを持って文明に介入する場合でもハゲの治療は極めて困難な奇跡のような所業(場合によっては死者の蘇生以上)とされている。
よくあるファンタジーRPG世界、を枕詞として埼玉県川越市を思い出す人も多いだろう。
確かにあれもテンプレRPG世界ではあるが、コンシューマ→RPGツクール→VIPRPGと来た流れの延長線上にある「設定の必然性がない冒険者が作中にあんまりいない」「勇者と魔王が当たり前のように漫才コンビなどRPGあるあるを下敷きにしたネタ」と言った点もそうだが、そもそも一個のゲーム作品らしく作中で世界観が完結している(ゲームと呼ぶべきかどうかはともかく)。→川越ではよくあること
MMOとTRPGの影響を強く受けて構築され、チートの暴力で時代の停滞やシステムの理不尽を打破或いは破壊されるのが存在意義になりがちな世界観ナーロッパとは立ち位置が違う。川越はチートと言う異分子ではなく、万遍なく狂っている登場人物などの作中作用で勝手に爆発する。
しかしそれ以前に「よくあるファンタジーRPG世界の埼玉県川越市」が作者および作品群の名刺代わりになるほど知られているのはワンアンドオンリーの独創的な世界観と呼ぶべきであり、何でもかんでもナーロッパに入れようとするのは川越や地球の消滅、取って付けた様な社会問題提起や教訓でのエンディングを招くことになる。
なお補足ではあるが、ソードアート・オンラインの桐ヶ谷和人が住んでいる街が埼玉県の川越市がモチーフであるのもある種の助長している可能性はある。ただしSAOのWEB版は川原氏の個人サイトで小説家になろうが開設される以前から連載されていたものであり、姉妹作であるアクセル・ワールドもWEB版の連載はArcadiaの方であったことから、小説家になろうと川原氏はほぼ関係ない。
ナーロッパに限らず「剣と魔法のファンタジー世界」の共通認識を得たいのであれば、TRPG方面のルールブックを漁ると良いだろう。
「TRPGのファンタジー世界あるある」についての話は80年代末からよく行われていたことが解る資料も置いておこう。
ナーロッパ - ピクシブ百科事典…本項と補完し合う内容となっている。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/11/29(金) 16:00
最終更新:2024/11/29(金) 16:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。