曖昧さ回避
オードリー(Audrey)とは、以下を表す。
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本稿では1.について記述する。
お笑いコンビ「オードリー」
オードリーとは、若林正恭と春日俊彰による、ケイダッシュステージ所属のお笑いコンビ。
メンバー
- 若林正恭 (わかばやし まさやす)
- オードリーのツッコミ、ネタ作り担当、エッセイスト
1978年9月20日生まれ、東京都中央区入船出身(わかりやすく隣接する築地と説明することもある)。小6時に杉並区久我山に移住。O型、身長169cm
個人の詳細については「若林正恭」の記事を参照。
個人の詳細については「春日俊彰」の記事を参照。
概要
芸風
主に「ズレ漫才」と呼ばれる漫才を行う。この名称は若林が命名し、ネタ作りも若林が担当している。
話を進めようとする若林に対し、春日が唐突且つ意味不明なツッコミをしたり突拍子もないボケで割り込み、それに対し若林がツッコミ返したり、冷静且つ毒舌気味にあしらったりたしなめたりする。これをスピーディーにテンポ良く続けることが彼らの漫才の持ち味である。
出囃子が鳴り、舞台袖などから現れた若林はすぐにセンターマイクに向かうが、一方の春日は大きく胸を張って遅めに登場し、センターマイクにゆっくりと歩み寄って行く。先にマイクに着いた若林は「えーオードリーと言う者でございますけれどもね、今日も若林 ・春日で頑張って漫才をやって行きたいなと思いますけども」などと自己紹介を始めるが、遅れてやってきた春日がその挨拶に割り込み、客席に向かって「皆さん、夢でお逢いして以来ですね」「皆さん、春日のここ(片腕を広げ中を指差しながら)、空いてますよ?」などの自意識過剰な挨拶を行う。その後、若林が「だいぶ寝汗かいたと思いますけれども」「埋まってたことないんですけどもね」などと毒舌気味にあしらう。すると春日が嘲笑うかのような不敵な笑みを浮かべながら客席に向かって「ヘッ!」と言い放つのが通例(その後若林が「相変わらず口から屁こいてるんですけども」などとあしらってネタに入ることもある)。ネタの終わりは、若林は普通にお辞儀をし、春日は左手を高く上げ「バァイ」と言って締める。昔は一般的に2人ともお辞儀をして締めることもあった。
また漫才の話し始めなどに、若林が客に向かって「皆さんもデートの経験がお有りだと思いますけれどもね」などと言うと、春日が即座に「そんな訳ねえだろ!」と若林にツッコミを入れ、すかさず若林が「失礼だろ!」とツッコミ返す、という定番の流れがある。会話の内容はネタによって違うが、春日が客に向かって限度を超えた失礼な言葉を放った際のパターンとして見られる。その際、若林が春日に「お客さんに謝りなさい」と諭すと、春日が客席に向かって満面の笑みで左手を突き出しながら「ゴメンネ」と謝る。この時の左手は何かを持っているような形をしているが、これは客にお詫びの意味を込めたお茶を差し出しているつもりなのだという。また、このやり取りの後に春日が「ただしお前だけはっ!…」と客席のとある方向を指差して暴言を続けようとするのを若林が「指差すな!」などとツッコむことが多い。
漫才中、若林が春日に対して「お前と漫才やってらんねーよ」などと発言すると、春日が「お前それ本気で言ってるのか?」と返し、若林が「いや本気で言ってたらお前と一緒に漫才やってねーよ」などと返すと「ヘヘヘヘヘッ」と互いに笑い合うという、コンビ愛を見せるような定番の流れがある。若林が笑っても春日が一切笑わず真顔だったり、若林のノリに合わせないというパターンもある。また、春日が「お前と漫才やってらんねーよ」と発言し、若林が「お前それ本気で言ってるのか?」と返すと、「いや本気だったらお前の財布から金盗らねーよ」と告白し、若林が「へへへへh 笑えねーよ!」とツッコミをするパターンもある。元々はネタの中盤に入れていた流れだが、近年はオチとして、笑いあってネタを締めることが多い。
春日はテレビなどに出る際、ワックスで固めた八二分けのテクノカットという昭和初期のようなヘアースタイルをしているが、若林はツッコミの際に意識的に額やテクノカットの水平にカットされたモミアゲ部分をひっぱたき、それによってテクノカットの部分がネタが進むにつれ赤くなっていく。現在は肩の前あたりを叩いてツッコむことも多い。
かなりスタイルが崩されているが、内容的には「しゃべくり漫才」に分類される。「漫才コント」ネタもあり、近年は春日が漫才からコントに入る際、あからさまな振りでコントに入り、若林が「最近漫才コントの入り方覚えたんですよ」「最近設定の振り方覚えたんですよ」などと小馬鹿にした発言をしてコントに移行する。
略歴
コンビ結成前
共に日本大学第二中学校出身。中学2年生の時にクラスメイトとなり、若林の前の席が春日だったことから仲良くなる。若林はラグビー部(ポジションはスクラムハーフで、関東大会に出場経験有)、春日は水泳部に所属。1994年に日本大学第二高等学校に進学し、再びクラスメイトになる。共に高等部から入部が許可されるアメリカンフットボール部に入部した(ポジションは若林がランニングバック、春日がディフェンスエンド)。この経験から、『NFL倶楽部』(日テレG+、日本テレビ)の司会を務めるようになり、スーパーボウル中継の日本テレビPR大使として、2010年から毎年会場に赴きゲスト出演している。
1997年、共に日本大学第二高等学校を卒業。春日は一浪して日本大学商学部経営学科(秘密で龍谷大学も受けたが落ちた)、若林は東洋大学文学部第二部にそれぞれ進学し卒業している(春日は一浪した上更に1年休学したため2年遅れで卒業)。中学・高校時代の同級生には、後述の谷口大輔の他、アイルランドに渡りエイダン・オブライエン厩舎の厩務員になった人物がおり、後に担当馬を第30回ジャパンカップに出走させるため一時帰国した際のスポーツ新聞のインタビューで、オードリーについても語ったことがある。この同級生曰く、「学生当時とは2人のキャラクターが違っている」らしく、春日は勤勉でおとなしく真面目である一方、若林はやんちゃなグループに属していたという。
若林は小学生時代からお笑いをやりたいと思っていた。若林は小学校6年生の1年間は越境通学をしており、通学時に満員電車に一緒に乗っていたサラリーマンを見て「あぁ、俺はこんなつまんない顔したサラリーマンにはなりたくねぇな」と思ったのがキッカケ。そして深夜のバラエティ番組でビートたけしが暴れていたり、とんねるずがチェッカーズのことを蹴っていたりするところを見て、「なんだこの大人達は、俺もこんな大人になりたい」と思い、芸人を志したという。一方の春日は元々はプロデューサーとしてテレビに携わることを希望していたという。
高校生の時、アメリカンフットボールで関東代表に選ばれていた春日を見て「(相方は)春日がいい」と思い、高校3年生の時からお笑いの世界に誘うようになり、大学に進学した後も誘い続けていた。しかし一方で、「よくつるんでいた11人グループの中で面白い奴から順に声を掛けてき、上から8番目に電話を掛けた相手が春日だった」という話もある。また、元々は谷口大輔というもう1人の同級生もお笑いの世界に引き入れる予定だったが、谷口の家業のパン屋が傾いてしまったため断念した。谷口とはその後も仲が良く、度々オードリーの学生時代を振り返る時に顔を出している。まだ若林影が薄かった頃に卒アルで谷口が若林と間違えられて若林の写真に加工が入ったのは黒歴史。
コンビ結成後
2000年4月、コンビ結成。事務所主催のライブに「若林春日」で参加しようとしたが、「コンビ名がないと参加できない」と言われ、春日がその場で思いついた「ナイスミドル」というコンビ名でのデビューを余儀なくされる。
当初は爆笑問題のようなスタイルの漫才を目指し、若林がボケ、春日がツッコミだった(相田みつををモチーフとした「わかを」、「味覚」などのネタがある)。しかししばらくは伸び悩む時期が続き、同期の中でも特に落ちこぼれてしまった。若林は解散や引退を何度も考えたという。
2005年4月、事務所社長と寿司屋に行った際、コンビ名を変える流れになり「うにいくら」と「オードリー」の2択を迫られた。「うにいくら」はその場が寿司屋だから社長の思いつきだと判断し、現在のコンビ名「オードリー」を選択した。社長は、「華が無い2人なので、華のあるオードリー・ヘプバーンから採った」としている。その他のコンビ名の候補として「チーズワイン」と「兼定」などもあった。
下積み時代は新宿のモノマネショーパブ「そっくり館キサラ」に出演。この縁もあり若林が「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」に出演したこともある。この経験は現在でも大きく生かされ、ビトタケシやバーモント秀樹といった「ショーパブ芸人」との絆が続いている。傍ら、単独ライブの会場をおさえる費用がもったいないという理由で、春日の自宅アパート「むつみ荘」に客を招いて月1で「小声トーク」というトークライブを行っていた。間取りは6畳1間なので客席は10席ほどしかなく、売れていなかったのでどれだけ告知や呼び込みをしても大抵は定員割れで7~8人ほどしか来なかったという。
春日がツッコミだった頃、本人は出来ているつもりだったらしいのだが実際はツッコミ間違いが多く、結成6年目の時に『エンタの神様』(日本テレビ系列)の若手オーディションにおいて、彼らのネタを見た構成作家に「どう見ても春日はツッコミとしてポンコツでまったく伸び代がない」と指摘された。それを受け若林は自分達のトークライブの映像を見直したところ、春日のツッコミ間違いを数えてみたら2時間で28回(31回中)もあったという。しかしその映像を見て、「春日が変なところでツッコむのを『おいそれ違うだろ!』と指摘する部分が一番お客さんの反応が良い」ということに気付き、「じゃあそれをそのまま漫才にすればいいんだ」という発想に辿り着く。こうして、2006年頃から「春日の間の悪いツッコミに対して、若林が逆にツッコミを返す」という現在のスタイルに変更。春日の「八二分けのテクノカットにピンクベスト」もこの頃から始まった。しかし、その新しいスタイルでもオーディションには落ち続け、事務所と作家に否定され続けた。
漫才のスタイルを変えてからしばらくして、ラ・ママで行われた渡辺正行主催のオーディションに参加。そこで主催の渡辺正行本人から「これはM-1の決勝に行ける漫才だよ」と絶賛された。そこで多くのアドバイスを渡辺から貰い、若林はその日の帰り道に原付を運転しながら、渡辺に称賛された感動で涙が止まらなかったという。
前述した漫才の中にコンビ愛を見せるような「ヘヘヘヘヘッ」というやり取りは、このネタ見せで渡辺にアドバイスされたことで出来たものである。渡辺は、「(ツッコミが激しすぎて)お客さん引かない?」と指摘し、「激しいツッコミは漫才の中だけ、本当は2人は仲が良いということがお客さんに伝わるような部分を入れるといい」とアドバイスした。その1ヶ月後、同オーディションに再び参加。そこで若林が用意したのがそのやり取りの形だった。それを見た渡辺は再びオードリーを賞賛し、それ以来、2回戦落ちの常連であった『M-1グランプリ』(朝日放送、テレビ朝日系列)や、全くオンエアされることのなかった『爆笑オンエアバトル』(NHK)でも結果を残せるようになった。
2006年5月に「インパクト!」(フジテレビ系列)の第4回で地上波初出演。この時に披露した藤岡弘、と中尾彬のものまねは現在でも度々披露することがある。また、駆け出しの頃には『桂芸能社ポンッ!』(TBS系列)に数回VTRを送っている。VTRの内容は、床に置いたフラフープの輪に入った春日を若手芸人ら(同じ事務所のビックスモールンなど)が熱湯鉄砲で集中攻撃したり、松明で背中を炙ったりしてどこまで輪から出ないで耐え得るかという、若手芸人ならではのギリギリのリアクション芸であった。若林はこのVTRを見た当時の彼女に「お願いだから普通に就職して」と言われた。その後春日が『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日系列)の潜水企画でプチブレイク。この年の10月、新宿のシアターモリエールにて初の単独ライブとなる「シャンプーおじさん」を行った。ちなみにこのライブ名は、倹約家の春日がコインシャワーを4分で済ませたいがために、シャンプーをしながら自宅からコインシャワーに移動する様子を近所の子供達が目撃し、春日に付けたあだ名がそれである。また、2009年から2012年までやっていたオードリーにとってテレビ・ラジオを通して初の冠番組でもあったラジオ名も「オードリーのシャンプーおじさん」(文化放送)であった。
2008年1月1日、「ぐるぐるナインティナイン」(日本テレビ系列)の「ぐるナイ番外 おもしろ荘へいらっしゃい! レア芸人だけで生放送 祭りだオッパッピー!」に出演し、地上波の放送で初めて漫才を披露。以降徐々に知名度をあげる。そしてこの年の第8回『M-1グランプリ』では敗者復活戦から決勝進出を果たす。ファーストステージ(いわゆる「1本目」)のネタでは終盤に春日が噛んでしまうものの、若林の見事な返しによりそれすら笑いになってしまうほどの勢いでファーストラウンドを1位通過、最終決戦へ進出する。最終決戦はネタの選択を誤ったこともありNON STYLEに敗れて準優勝に終わり、優勝こそ逃したもののこれをキッカケに大ブレイクを果たした。2009年1月1日、M-1でのブレイクにより「新春お笑い大賞2009!!」(フジテレビ系列)でニューウェーブ大賞1位(視聴者による電話投票で212,036票中76,009票獲得)となった。
2009年8月30日、『24時間テレビ「愛は地球を救う」』(日本テレビ系列)に出演した際、先に春日、次に若林が新型インフルエンザの疑いがあるA型インフルエンザに感染し、完全に回復するまで活動を休業することになった。2010年1月、『オレたち!クイズMAN』(TBS系列)にて、春日が神奈川県相模原市でスタントマン指導のもと、スタントの仕事を体験しながらクイズ問題を出題するという企画に参加。クレーン車から吊されたワイヤーに引っ張られながら、地面に敷いていたマットに空中から着地した際、左足に痛みを訴えた。その後病院で検査したところ、左足関節が骨折していることが判明。この件に関してTBSは謝罪コメントを発表し、春日は一時休養。同月29日の『笑っていいとも!』(フジテレビ系列)で復帰。2022年初めには相次いで新型コロナウイルス感染が確認されるも、回復後の番組で披露したネタでキスを披露して「免疫できてるんで」などとネタにしたりもした。
2011年9月、2年間に渡り出演していた『笑っていいとも!』を卒業。10月から当時の『笑っていいとも!』の裏番組であった『ヒルナンデス!』(日本テレビ系列)に水曜レギュラーで出演が始まる。裏番組への急な番組移籍により、当時はタモリとの不仲説など様々な噂が立ったが、事務所の意向ということで落ち着いている(その後もオードリーとタモリは『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系列)などでも普通に共演している)。
ニホンモニターが毎年調査している『番組出演本数ランキング』では、2010年に507本の番組に出演し1位を獲得した。2011年は424本で5位。近年ではピンの活動も増え、両者とも毎年ランキング10位以内をキープしている。特筆すべきはこのランキングが帯番組を各日1番組とカウントする特性上帯番組のレギュラーを持つタレントが上位を占めやすい中で、オードリーは帯番組の連日レギュラー出演なく上位にランキングされていることである。この事から、「2010年代最高のテレビスター」と称する向きも大きく、2020年度ランキング1位(若林が4位、春日が7位)の博多大吉も「帯番組に出演せずこの順位は素晴らしい、実質1位は若林だ」と讃えて発言を残している。
またオードリーの2人がレギュラーとして出演した2016年2月24日(水)放送の「ヒルナンデス!」で、『630万回の耐久テストに耐えた椅子』として商品紹介していたIKEAの椅子に、春日が全体重を掛けながら勢いよく何回も座り、後半は若林も春日の肩に手を添えて力を加えていたことから、その椅子の脚が音を上げて折れるという放送事故が起こる。その後2人は謝罪しているが、「オードリーが壊した椅子」として売上が上がった他、翌年以降もネタとして2月24日には毎年トレンドに浮上するなど一大持ちネタとなった。
メディア出演 (現在のレギュラー番組:2021年6月付)
テレビ
- スクール革命!(日本テレビ、2009年4月5日- )
- ヒルナンデス!(日本テレビ、2011年10月5日- )水曜日レギュラー
- オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。(中京テレビ、2012年4月7日- )MC
- ソレダメ!~あなたの常識は非常識!?~(テレビ東京、2015年4月15日- )MC:若林、パネラー:春日
- 日向坂で会いましょう(テレビ東京、2019年4月8日- )MC
- あちこちオードリー~春日の店あいてますよ?~(テレビ東京、2019年10月5日- )MC
- のぞき見ドキュメント 100カメ(NHK総合、2022年4月5日-)MC
ラジオ
不定期、期間限定レギュラー、単発
- NFL倶楽部(日テレG+、2010年9月16日- /日本テレビ、2010年9月17日- )毎年NFL開幕シーズンの9月-2月末まで放送
- とんぱちオードリー→ばちくるオードリー(フジテレビ、2014年10月12日以降不定期)フェイクドキュメンタリーを観てコメントするスタジオMC等。民放キー局地上波初冠番組
- ニンゲン観察バラエティ モニタリング(TBS、2017年1月26日- )準レギュラー
- オードリーと選の夜(テレビ朝日、2021年9月27日以降不定期)
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