建武政権とは、後醍醐天皇を中心とした建武の新政の際に整備された政府のことである。あくまでも便宜的な呼称なので、建武政権という確固とした用語が存在するわけではない。
概要
1333年足利尊氏による六波羅探題攻略と新田義貞(と足利義詮)による鎌倉の攻略によって鎌倉幕府が滅亡した後、後醍醐天皇による建武の新政が開始された。
昨今の研究では決して後醍醐天皇の個人的なパーソナリティに依拠するものではなく、鎌倉時代後期からの徳政論の唱和や天皇親政の傾向が強かった大覚寺統の政策路線などを引き継いだもの、という評価が強いものとなっている。また決して武士だけが冷遇されたわけではなく、上級貴族が次第に中級貴族のものになっていた八卿の任についたり、完全に家産化していた知行国を大幅に入れ替えられたり、といった具合にのちの世の先例になるように様々な政策が行われたのである。
しかし結局恩賞問題をさばききれないまま散発的な旧北条氏勢力の反乱が相次ぎ、ついに中先代の乱をきっかけにこれらの政策の結果を見ることなくして政権は崩壊に向かうのである。
とはいえ室町幕府においても鎌倉幕府と建武政権両者の政策が引き継がれていることが近年明らかにされており、次第にその姿も明らかにされつつあるようだ。
政権中枢の各機構
雑訴決断所
所領裁判について行う機関である。
上流廷臣 | 中流廷臣 | 下流廷臣 | 武士 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
(大納言以上) | (中納言・参議) | 弁官級吏僚 | 法曹吏僚 | |||
一番 (畿内・東海道) |
不明 | 不明 | 中御門宣明 甘露寺藤長 |
小槻冬直 小槻清澄 中原師言 中原章方 坂上明清 |
富部信連 三宮道守 |
|
二番 (東山道・北陸道) |
万里小路宣房 | 中御門冬定 洞院実世 葉室長光 |
藤原清藤 | 清原頼元 中原章兼 中原師治 |
斎藤基夏 小田時知 太田道大 |
長井宗衡 能登前司知藤 上野前司宣通 |
三番 (山陰道・山陽道) |
葉室長隆 万里小路藤房 中御門経宣 堀川光継 |
千種忠顕 | 小槻匡遠 中原師右 中原師香 中原章有 |
長井挙冬 伊賀兼光 二階堂道要 太田定連 |
上杉道勲 楠木正成 藤原信重 |
|
四番 (西海道・南海道) |
正親町三条公明 平惟継 吉田資房 葉室光顕 |
中御門経季 岡崎範国 藤原貞有 |
中原師利 坂上明成 中原秀清 小槻言春 |
佐々木時信 飯尾頼連 小田貞知 二階堂道儀 |
結城親光 高師泰 安威資脩 |
やがて処理が追い付かなくなり八番制に変更され、旧関東系吏僚の登用など組織の拡大が行われた。
上流廷臣 | 中流廷臣 | 下流廷臣 | 武士 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
(大納言以上) | (中納言・参議) | 弁官級吏僚 | 法曹吏僚 | |||
一番(畿内) | 今出川兼季 | 万里小路藤房 源資国 |
中御門経季 | 清原頼元 中原章有 中原秀清 清原康基 |
宇都宮公綱 伊賀兼光 富部信連 楠木正成 |
飯尾覚民 三宮道守 |
二番(東海道) | 久我長通 | 洞院実世 坊門清忠 |
中御門宣明 冷泉定親 |
小槻冬直 中原師利 中原章世 中原道昭 |
小田時知 上杉道勲 町野信宗 藤原長家 |
布施道乗 |
三番(東山道) | 洞院公賢 堀河具親 |
中御門冬定 三条実治 |
中御門宗兼 藤原宗成 |
小槻匡遠 中原章興 |
長井高広 佐々木如覚 |
高師直 斎藤基夏 諏訪円忠 |
四番(北陸道) | 吉田定房 | 三条実任 日野資明 |
甘露寺藤長 藤原清藤 |
小槻言春 中原師右 中原章方 中原重尚 |
二階堂道蘊 佐々木高貞 飯尾貞連 藤尾維則 |
飯河光瑜 |
五番(山陰道) | 万里小路宣房 | 勧修寺経顕 平範高 葉室長光 |
藤原正経 | 中原師治 坂上明成 中原章兼 中原真恵 |
二階堂道要 二階堂成藤 名和長年 藤原信重 |
雑賀西阿 |
六番(山陽道) | 葉室長隆 | 平惟継 平宗経 |
菅原在登 中原章香 中原師香 中原章顕 安倍盛宣 |
太田道大 結城親光 津戸道元 長井貞重 門真寂意 |
||
七番(南海道) | 九条光経 中御門経宣 吉田資房 |
高倉光守 | 坂上明清 泰尚 藤原康綱 |
佐々木時信 長井宗衡 行円 |
後藤行重 三須倫篤 国年 |
|
八番(西海道) | 三条公明 四条隆資 堀河光継 |
岡崎範国 | 中原職政 中原章緒 高橋俊春 |
小田貞知 佐々木道誉 明石行連 |
飯尾頼連 引田妙玄 |
記録所
「記録所寄人」
「記録所被定下寄人詰番事
番方 | 筆頭 | 構成員 |
---|---|---|
一番(1、2、11、12、21、22日) | ?政経 | |
二番(3、4、15、16、25、26日) | 洞院実夏 | |
三番(5、6、15、16、25、26日) | 中御門宣明 | |
四番(7、8、16、17、27、28日) | 高倉光守 | |
五番(9、10、19、20、29、30日) | 甘露寺藤長 |
その他
恩賞方
番方 | 人物 |
---|---|
一番(東海道・東山道) | |
二番(北陸道) | |
三番(畿内・山陽道・山陰道) | |
四番(南海道・西海道) |
窪所・武者所
基本的には天皇の親衛隊的な存在であるが、武者所は洛中の警護を行う機構でもあった。
梅松論
定窪所番事
すでに足利尊氏が離反した後なので、基本的には反尊氏派である。
番方 | 人物 |
---|---|
一番 | |
二番 | |
三番 | |
四番 |
定武者所結番事
もちろんこれも足利尊氏離反後の資料のため新田色の強いものとなっている
番方 | 人物 |
---|---|
一番 | |
二番 | |
三番 | |
四番 | |
五番 | |
六番 |
その他
鎌倉将軍府
諸奉行
関東廂番
詳しくは関東廂番の記事を参照。
陸奥将軍府
式評定衆
引付奉行人
番方 | 頭人 | 構成員 | 合奉行 |
---|---|---|---|
一番 | 二階堂行朝 | 椙原七郎入道 | |
二番 | 結城親朝 | 豊前孫五郎 | |
三番 | 二階堂顕行 | 斎藤五郎 |
諸奉行
知行国主・国司・守護
鎌倉時代後期になるともはや知行国主が国司と呼ばれるようになり、本来の名国司は名誉職と化しており、守護クラスの上位武士などが代々就任するなどの状態になっていた。そこで、持明院統の人事を廃止するついでに本来の意味の国司の復活まで行われ、実際に任地に赴く国司まで現れたのだった。
しかし、守護が存続されたことで、最終的にぐちゃぐちゃになり、室町幕府の守護につながっていくとされる。
※面倒なので南朝から補任されたものもすべて記載。
※年号はすべて14世紀。
国 | 国務管掌者 | 国司 | 守護 | 特別職 |
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陸奥国 | 北畠顕家 33/8/5~38/5/22 ↓ 義良親王? 36/3/10頃 北畠親房 (国務を後見) 33/11/29~35/12/22 ↓ 広橋経泰 (国務代行?) 35/12月~40/6月 北畠顕信 38/閏7/26~42/10月 |
? ~33年8月 ↓ 北畠顕家 33/8/5~36/3/2 ↓ 義良親王 36/3/10~39/3月 北畠顕信 (陸奥介) 38年、42年等に微証 |
不設置 (結城宗広) (陸奥国検断職) 33/10/5~36/3月 ↓ (結城親朝?) (陸奥国検断職代行?) 37/8月~41/5/16 |
足利尊氏 (鎮守府将軍) 33/6/25~35/11/26 結城道忠 (陸奥国吏務職代行) 安威資脩 (陸奥国吏務職代行) ともに33年9月頃 北畠顕家 (鎮守府将軍) 35/11/12~38/5/22 北畠顕信 (鎮守府将軍) 38/閏7/26~42/10月 |
出羽国 | 葉室光顕 33/8/15~35/冬 ↓ 北畠顕家 35/11/2~36/3/2 ↓ 北畠顕信 41/2月頃 |
? ~33年8月 ↓ 葉室光顕 33/8/15~35/冬 |
不設置 | 葉室光顕 (秋田城介) 33/8/15~35/冬 北畠顕家 (鎮守府将軍) 35/11/12~38/5/22 北畠顕信 (?) 41年頃 中院具信 (出羽大将) 41/2月頃 |
上野国 | 新田義貞 33/8月~38/閏7/2 成良親王 (知行国主?) |
? ~33年8月 ↓ 新田義貞 (上野介) 33/8/5?~38/閏7/2 成良親王 (上野守) 34/1/13~35/12/5 |
新田義貞 33/8月~38/閏7/2 |
|
下野国 | 小山秀朝 ~35/7/22 北畠顕家 (知行国主) 33/3/2~38/5/22 小山常犬丸 35/8/30~36年秋 |
? ~33年8月 ↓ 小山秀朝 33/8月~35/7/22 ↓ 北畠道世? 36年秋~39年冬 |
小山秀朝 33/7月~35/7/22 ↓ 小山常犬丸 35/8/30~36年秋 |
春日顕国 (鎮守府副将軍・下野常陸大将) 36/4月~44/3/8 |
常陸国 | 吉田定房 (知行国主) 33/9月頃 足利尊氏 ~35/11月 ↓ 北畠顕家 (知行国主) 36/3/2~38/5/22 春日顕国 36/4月~44/3/8 北畠顕信 (知行国主) 39/7月~ 北畠親房 38/9月~43/11/11 |
? ~33年8月 ↓ 佐竹義篤 35/11月 ↓ 中院信世 43/11月 |
小田治久 33/7月~41/11月 |
春日顕国 (鎮守府副将軍・下野常陸大将) 36/4月~44/3/8 |
下総国 | 千葉貞胤 ~36/11月 |
? ~33年8月 ↓ 千葉貞胤 33/8月~36/11月 |
千葉貞胤 33/7月~36/11月 |
千葉貞胤 (下総国在庁大介職) 33/7月~36/11月 |
上総国 | 足利尊氏 ~35/11月 |
? ~33年8月 ↓ 足利上総介 (おそらく足利尊氏) ~35/11月 ↓ 千葉胤重 36/4月頃 |
足利尊氏 ~35/11月 |
|
安房国 | 事実上足利氏 (足利直義?) |
? ~33年8月 ↓ 上杉憲顕 36/10月頃 |
不明 | |
武蔵国 | 足利尊氏 ~35/11/26 |
? ~33年8月 ↓ 足利尊氏 33/8/5~35/11/26 |
足利尊氏 ~35/11/26 |
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相模国 | (新田義貞) (鎌倉制圧時?) 足利尊氏 ~35/11月 (足利千寿王) (鎌倉殿) 33/6月~35/12月 |
? ~33年11月 ↓ 足利直義 33/11/8~33/12/4 |
不設置 (足利直義) |
成良親王 (鎌倉御所) 33/11月~35/7月 足利尊氏 (征東証軍) 35/8/9~35/11/26 |
伊豆国 | 足利尊氏? |
? 33/6月頃 ↓ 上杉重能 34/1月、35/2月等に微証 |
足利尊氏 34/8/15頃 |
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駿河国 | 脇屋義助? 33/8月~? ↓ 足利尊氏 ~35/11月 |
? ~33年8月 ↓ 脇屋義助 33/8月~? 武田石和政義 36/1/1頃 |
足利尊氏 ~35/11月 |
|
遠江国 | 足利直義 33/8月~35/11月 ↓ 新田義貞 or 脇屋義助 宗良親王 (知行国主?) |
? ~33年8月 ↓ 宇都宮貞泰 34/9/27頃 ↓ 新田一門? 35/11月?~36年? |
今川範国 ~35/11月 |
井伊某 (介) 36/8頃~37/9月頃に微証 |
三河国 | 足利尊氏 33/5月?~35/11月 |
橘知任 33年に微証 ↓ 吉見頼隆 ~35/10/27 |
足利尊氏 33/5月?~35/11月 |
大井田義氏 (三河大将) 36/4月~36/9月 |
尾張国 | 足利尊氏? 洞院実世 (知行国主?) 36/5月?~36/12月? |
? ↓ 斯波高経 34/9月頃 ↓ 海老名季景 35/1月頃 ↓ 洞院実世 36/5/25~36/12月 |
? ↓ 足利一門? ↓ 新田一門? |
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美濃国 | 久我長通 (知行国主) ~33/10月 但馬宮 (国務?) 36/10月 |
? ↓ 堀口貞義? 33年? ↓ 堀口貞満 35年?~36/10月 |
不明 (土岐頼貞?) 34/1月に微証 |
|
甲斐国 | 武田石和貞信? | ? ↓ 武田石和貞信 ~36/1月 |
武田石和政義 ~36/1月 |
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信濃国 | 護良親王 (知行国主) ~33/8月 ↓ 清原某 ~34/3月 ↓ 白川資英 33/3/15~35/4/7 ↓ ? (清原某の再任?) ~35/7/13 ↓ 堀川光継 35/8/30~36/12月 |
? ~33/8月 ↓ 清原某 ~34/3月 ↓ 白川資英 33/3/15~35/4/7 ↓ (清原某の再任?) ~35/7/13 ↓ 堀川光継 35/8/30~36/12月 |
小笠原貞宗 ~35/11月 |
村上信貞 (信濃惣大将 or 信濃大将軍) |
飛騨国 | ? | ? | 岩松経家 33/7/19~36/7月 |
|
越後国 | 新田義貞 33/8月?~38/閏7/2 新田義宗 40/6月~41/10月頃 |
? ~33年8月 ↓ 新田義貞 33/8月?~36/2月? ↓ 新田義顕 36/2月?~37/3/6 |
新田義貞 33/8月?~38/閏7/2 |
|
佐渡国 | 千種忠顕 (知行国主) 33/5月~36/6/5 千種忠顕弟 33/5月?~36/12月 |
中原秀清 33/5月~36/5月 |
不明 (足利兄弟のどちらか?) |
|
越中国 | 中院定清 ~35/9月 |
? (ここも中院定清か) ↓ 中院定清 ~35/12/22 |
普門俊清? ~35/11月 |
中院定清 (特別国司) ? (北陸道惣大将軍) 33/4月~7月 太海貞光 (越中国合戦大将) 33/5/17~33/7/12頃 |
能登国 | 護良親王 (知行国主) ~36/10月 中院良定 ~36/10月 (この後知行国主昇格か?) |
中院良定 ~36/10月 |
吉見頼為 ~35/9月 |
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加賀国 | 花山院家? | ? (中院良定の可能性) ↓ 五条頼元 33/8/5~35/1/13 ↓ 花山院某 35/3/25頃 ↓ 瓜生照? 36/11月~38/月頃 |
不明 (富樫家明?) |
|
越前国 | 中御門冬定? (知行国主?) ~34/3月 ↓ 脇屋義助? 34/3月?~34/8月 ↓ 足利尊氏 34/8月?~35/2月 ↓ 新田義貞 35/2月~38/閏7/2 ↓ 脇屋義助 38/閏7月~40/8月 |
? ~33年8月 ↓ 中御門宗重 33/8/5~34/3/25 ↓ 脇屋義助? 34/3月~34/8月 ↓ 足利尊氏 34/8月?~35/2月 (以後新田義貞が名国司を補任した可能性あり) |
堀口貞義 33/2/28~34/8月頃 ↓ 斯波高経 ~35/2月 ↓ 堀口貞経 ~36/10月? ↓ 新田義貞? 36/10月~38/閏7/2 ↓ 脇屋義助? 38/閏7月~40/8月 |
井上孫次郎右衛門尉 (国司代) 35/1月頃 平内太郎 (守護代) 35/1月頃 塩津熊替 (国上使) 35/1月頃 片山兵庫助 (国上使) 35/1月頃 |
若狭国 | 多門坊良忠 33/5月?~33/8月 ↓ 洞院公賢 (知行国主) 33/8/10~34/9月 ↓ 伊賀兼光 34/9月?~36/6月 ↓ 新田義貞 36/8月~38/閏7/2 |
? 33/5月?~33/8月 ↓ 伊賀兼光 33/8月~34/9月 ↓ 伊賀兼光 34/9月?~36/6月 ↓ 新田義貞 36/8月~38/閏7/2? |
多門坊良忠 33/5月~ ↓ 布志那雅清 33/8/31頃 ↓ 布志那光清? 36/1月~6月 ↓ 新田義貞 36/8月~38/閏7/2 |
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近江国 | 洞院公賢 (知行国主) ~36/5月 |
? ↓ 勘解由小路兼綱 33/11月~35/5/23 |
六角時信 33/5月~34/12月 ↓ 六角千寿丸 35/7/28~36/5/13頃 |
? (国上使) 佐々木道誉 (軍勢大将) 33/5月~6月 |
伊賀国 | 東大寺 (造営料国主) ~36/5月 山田禅門? (国司上人) ~36/5月 |
? ↓ 岡崎範国 34/1/21~34/12/27頃 ↓ 里見時成? (誤記の可能性あり) |
千葉貞胤 36/2/18頃 |
|
伊勢国 |
吉田定房 |
? |
不明 (結城親光?) ↓ 愛洲宗実? 39/9月頃 |
北畠顕能 ~38年夏 |
志摩国 | 北畠親房 37/9月頃 |
不設置? | 伊勢から統括 | |
紀伊国 | 護良親王 (知行国主) 33/6月~34/10月 足利尊氏 34/10月~35/10月 四条隆貞 (知行国主?) 35/10月~52/5月 ↓ 後村上天皇 (分国主) 60/4月頃 |
? (四条隆俊?) 33/6月~34/10月 ↓ ? (足利一門の誰か?) 34/10月~35/10月 ↓ 四条隆資? 35/10月?~52/5月 |
(保田宗顕?) 33/7/10頃 浅間覚心 ~37年? 浅間忠成 37年~38年頃 保田宗兼 ~64/7月 |
斯波高経 (紀伊大将軍) 34/11月 四条隆俊 (紀伊宮方大将) 52年~60年頃 |
和泉国 | 護良親王 (知行国主) 33/6月~34/10月 四条隆資 (知行国主?) 33/6月?~34/10月 ↓ 近衛経忠 (知行国主) 34/10月~36/6月 ↓ 四条隆資 (知行国主?) 36/6月~52/5月? ↓ 楠木正儀 54年~69/1月 |
四条隆貞 33/6月=34年春? ↓ 日野朝光 34年春?~34/10月 ↓ 堀川光継 34/10月~35/2月 ↓ 小田時知 35/2月~36/6月 和田高家 33/7?~36/5月 四条隆資 36/6月?~37年 和田正武 ~60/7月 |
楠木正成 33/7~36/5/25 楠木正右 36/6月~38年春 楠木正行 ~48/1/5 四条隆資 (守護権代行?) 48/1月頃 楠木正儀 ~69/1月 |
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河内国 | 楠木正成 33/8月~36/5/25 四条隆資 33/6月頃 楠木正行 ~48/1/5 四条隆資 48/1月 楠木正儀 (知行国主) 54年~69/1月 |
? ↓ 楠木正成 33/8月~36/5/25 楠木正行 ~48/1/5 ↓ 四条隆資 (国司代行) 48/1月 楠木正儀 (知行国主) 54/9月~69/1月 |
楠木正成 33/7~36/5/25 四条隆資 (守護権代行) 36/6月頃 楠木正行 ~48/1/5 四条隆資 (守護権代行) 48/1月頃 楠木正儀 48/1月~69/1月 |
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大和国 | 興福寺 (知行国主) 乗円 (興福寺別当) 33/5月~33/6/14 ↓ 覚実 (興福寺別当) 33/6/14~36/11/24 |
不設置 | 不設置 | |
山城国 | 不設置 | 不設置 | [検非違使別当] 洞院実世 33/5月~33/12月 ↓ 万里小路藤綱 33/12月~34/10月 ↓ 九条光経 34/10月~35/11月 ↓ 勧修寺経顕 35/11月~36/4月 ↓ 北畠顕家 36/2月~36/4月 ↓ 勧修寺経顕 36/4月~37/1月 [京都市司] 中原章香 (東市正) 33/5月~34/10月 ↓ 名和長年 (東市正) 33/11月~36/6/30 中原章有 (西市正) 33/5月~36/6月 [征夷大将軍] 護良親王 ~33/6/13 成良親王 35/8/1~36/2/7 宗良親王 52/閏2/6~53/3/12 |
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摂津国 | 楠木正成 33/8月?~36/5/25 四条隆資 33/6月頃 楠木正行 ~48/1月 楠木正儀 ~69/1月 |
楠木正成 (若干否定説あり) 33/8月~35/10月 ↓ 津守国夏 35/10月~35/11月 ↓ 熱田昌能 35/11月~36/10月 |
楠木正成 33/7月~36/5/25 楠木正行? ~48/1月 楠木正儀 ~69/1月 |
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丹波国 | 千種忠顕 (知行国主) 33/6月頃~36/1月? 千種顕経 (知行国主) 51/閏2月頃 |
千種忠顕 33/6月頃~34/1月 ↓ ? 34年 千種顕経 (知行国主) 51/閏2月頃 |
碓井盛景? 33年~36年 ↓ 江田行義? 39/6月 荻野朝忠 43/11月~45/5月 |
? (国上使) 34/8月頃 性勝法親王 (宮大将) 36/5月頃 三位中将宮 (宮大将) 52/5月頃 |
丹後国 | 護良親王 (知行国主) 33/6月~33/12月 洞院公賢 (知行国主) 34/4月頃 |
?定恒 33/6月 ↓ 宇波貞重 33/12月?~36/66月 |
不明 |
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但馬国 | 千種忠顕 (知行国主) 33/6月~36/5月? |
名和長年? 33/6月?~34/8月 ↓ 結城親光 35年~36/1月 |
太田政常? 33/7月?~43年 山名時氏 51/11月~63/9月 |
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因幡国 | 名和長年 33/5月~36/6/30 |
名和信貞? 33/5月~36/1月 ↓ 長井貞泰 36/2月~36/6月 |
海老名維則? 33/7月~36/1月 山名時氏 51/11月~63/9月 |
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伯耆国 | 名和長年 33/3/3~36/6/30 |
名和長年 33/3/3~36/6/30 |
名和長年? 33/7月?~36/6/30 山名時氏 51/11月~63/9月 |
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出雲国 | 塩冶高貞 33/閏2/23~35/9月 ↓ 名和長年 35/12月~36/6/30 |
? 33/6月~35/12月 |
塩冶高貞 33/7月~35/9月 名和長年? 35/9/25~36/6/30 富田秀貞 51/7~52/8月以前 山名時氏 52/8月~63/9月 |
|
隠岐国 | 塩冶高貞 33/6月~35/12月 ↓ 名和長年 35/12月~36/6/30 |
塩冶高貞 33/6月~35/12月 ↓ 河南泰秀? 35/12月~36/6月 |
塩冶高貞 33/7月~35/12月 ↓ 名和長年? 35/12月?~36/6/30 |
|
石見国 | ? 33/6~33/8月? ↓ 吉見頼隆 35/5月頃 日野邦光 (知行国主) 40/3月~41/2月頃 |
? ~33/8月 ↓ 吉見頼隆 35/5月頃 日野邦光 40/3月~41/2月頃 |
在職者不明 ↓ 高津道性? 35/10月頃 大井田義氏 40/3月~41/2月 |
高津長幸 (軍勢大将) 33/4月 高津道性 (南方大将) 35/10月~41/2月 三隈信性 (南方大将) 36/7月~55/3月 足利直冬 (南方惣追捕使) 54/11月~63/9月 |
播磨国 | 大覚寺統親王の誰か (知行国主) 33/6月~34/4月 新田義貞 33/11月~36/10月 |
? 33/6月~33/8月 ↓ 園基宣 33/8/23~33/10/29 ↓ 新田義貞 33/11月~36/10月 |
赤松円心 33/6月、34/8月等に微証あり 新田義貞 ~36/10月 |
赤松円心 (宮方大将) 33/2月~33/6月 江田行義 (軍勢大将) 36/3月~36/5月 大館氏明 (軍勢大将) 36/3月~36/5月 |
美作国 | 富田師泰 33/6月?~36/6月? |
富田秀貞 33/6月?~ |
富田師泰? 33/7月?~36/6月 名和高重? 42年頃 富田秀貞 51/7月頃 山名時氏 51/11月~63/9月 |
江田行義 (美作大将) 36/3月~36/5月 |
備前国 | 万里小路藤房 (知行国主?) 33/6月?~35/10月 |
万里小路藤房? 33/6月?~34/1月? ↓ 万里小路仲房 34/1/13~37/1/18 |
松田盛朝 33/7月~35/12月 |
伊東宣祐 (備前大将軍) 33/閏2月~33/7月 |
備中国 | 不明 | 中原師利 33/6月頃~33/8月 ↓ 土居通増 33/8月?~35/1月 ↓ 五条頼元 35/1/13~37/1月? |
在職者不明 | 大井田氏経 (備前備中大将) 36/4月~36/5月 |
備後国 | 不明 | ? ~33/8月 ↓ 中原師利 33/8/23~36/3/2 ↓ 河野通綱? 36/3月?~37/3月 |
朝山時綱 33/7月?~35/11月 ↓ 朝山景連 35/11月~36/4月 |
吉田高冬 (備後大将) 36/4月~38/3月頃 |
安芸国 | 中御門経季 (知行国主) 33/6月頃~33/10月 ↓ 万里小路宣房 (知行国主) ~36/6月 中御門宣明 34/6月頃 大内裏造営料国 34/1月~36/6月 |
中御門経季 33/6月頃~33/10月 ↓ 中御門宣明 34/6月~34/7月頃 ↓ 足立遠宣 34/9月頃 |
武田信武 33/7月~35/11月 |
万里小路継平 (石見安芸大将) 38/33月頃 |
周防国 | 東大寺 (永代知行) ~33/6月 ↓ 俊海 33/6月~33/10月 ↓ 東大寺 (永代知行) 33/10月~ 恵鎮 (国司上人) 33/10月~36/6月 大内裏造営料国 34/1月~36/6月 俊才 (国司上人) 36/6月~36/8月 |
不設置か | 鷲頭長弘 33/7月?~36/3月 大内弘世 51年~63年春 |
大内弘直 (周防大将) 36年春~36/7/7 |
長門国 | 万里小路宣房 (知行国主) 33/6月~36/6月? |
万里小路宣房 33/6月~36/1月 ↓ ? 36/1月~36/6月 |
厚東武実 33/7月~36/1月 厚東義武 58年~62年初頭 |
足利直冬 (南方惣追捕使) 54/11月~63/9月 |
淡路国 | 高倉範保? (知行国主) 36/3月~36/5月頃 |
? 33/6月頃 ↓ 椙原泰綱 36/3月頃 |
長沼秀行? 33/7月?~36/1月? |
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阿波国 | 細川和氏 33/7月?~35/10月 |
? 33/6月頃 ↓ 細川和氏 33/7月?~35/10月 ↓ 小笠原頼氏 35/11月?~36年 ↓ 小笠原義盛 31/1月~31/7月 小笠原長宗? 37/8月~62/7月 |
小笠原長義 34/5/12頃 小笠原義盛 ~37/7月 小笠原頼清? 37/8月?~51/4月? |
小笠原頼清 (阿波大将) 36/2月~51/4/11 |
讃岐国 | 不明 | ? 33/6月頃 ↓ 大島義政 35/11月~35/12月 |
高松頼重? 34/11月~35/12月 |
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伊予国 | 西園寺公宗 (知行国主) 33/5月~33/6月 ↓ 西園寺公宗 (知行国主) 33/6月~35/6月 ↓ 西園寺公重 (知行国主) 33/7/12~36/6月 西園寺大納言 (知行国主) 68/10月頃 |
冷泉定親 33/6月~36/3月 ↓ 大中臣蔭直 36/3/2~36/6月 ↓ 四条有資 36/9月~39/12月頃 碓井某 68/3月頃 |
河野通綱 33/7月~36/10月 大館氏明 37/3月~42/9月 河野通直 65/5/10~71/1月 |
大館氏明 (伊予大将軍) 37/3月~42/9月 脇屋義助 (四国大将軍) 41/9月~42/5月 |
土佐国 | 阿野実廉 (知行国主) ~36/10月 |
? 33/6月頃 ↓ 阿野実廉 33/6月~33/12月 ↓ 伊賀兼光 33/12月~36/6月 |
伊賀兼光 33/12月~36/6月 |
満良親王 (四国大将軍宮) 37/9月~40/1月 |
豊前国 | 坂上明清 33/7月~35/8月頃 |
坂上明清 33/7月~35/8月頃 ↓ 五条良遠 58年~63年 坊門資世 67/12月頃 |
少弐貞経 33/7月?~35/8/12 ↓ 少弐頼尚 ~36/12月 少弐頼澄 61/1月~65/閏9/23頃 |
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豊後国 | 高辻在登 (知行国主) 33/6月~36/6月 |
高辻在登 33/6月~35/10月 ↓ 島津実忠 35年冬~36/3月以前 大友貞順 (私称?) 36/3月~36/11月頃 |
大友貞宗 33/7月~33/12/3 ↓ 大友千代松丸 33/12月~36/1月 大友貞載 (守護名代) 33/12月~36/12月 大友出羽正全 (守護名代) 35/12月~36/1月 大友氏時 ~58/12月 大友氏継 72年~76年 阿蘇惟武 93/2~ |
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筑前国 | 高辻在登 (知行国主) 33/5月~36/6月 菊池武光 54/4~65/閏9月頃 |
? 33/6月頃 ↓ 吉良貞義 ~36/6月 菊池武尚 55/10月頃? 菊池菊童丸 69/12/3頃 |
少弐貞経? 33/7月?~35/8月? ↓ 少弐頼尚 35/9月~36/2月 菊池武光 51/7月頃 少弐頼澄 61/8月?~72/8月? |
二条師基 (太宰権帥) 33/5月~8月 勧修寺経顕 (太宰大弐) ~35/12月 平惟継 (太宰権帥) 36/3月~11月 少弐頼澄 (太宰府執行職・太宰少弐) 61/8月~72/8月 泰良親王 (太宰帥) 75/5月頃 懐良親王 (征西将軍宮) 36/9月~75年夏 良成親王 (後征西将軍宮) 75/10月以前~96/10月 |
筑後国 | 万里小路宣房 (知行国主) ~36/6月? 少弐貞経 33/8月頃 菊池武光 51/9月~72/11月 菊池賀々丸 75/5月~77/1月頃 |
万里小路宣房 33/10月頃 ↓ 少弐頼尚 33/10月~36/2月 五条良氏? 少弐頼尚 52/12月~57/12月 恵良惟澄 58/8月頃 平光季? 五条良遠? 五条頼治 84/3月~90/1月頃 |
宇都宮冬綱 33/6月~36/3月 宇都宮隆房 (国大将の可能性も) 59/8/6頃 少弐頼尚 52/11月~57/12月 菊池武安? 70/12月~71年末頃 大友氏継 71年末~76年頃 菊池武安? 71/8月~75年夏頃 菊池賀々丸? 74/6月~77/5月 菊池武義 (守護名代) 74/6月~77/1月 菊池武安 (守護名代) 74/6月~75年夏頃 |
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肥前国 | 吉田定房 (知行国主) 34/6月~35/2月頃 東大寺 (造営料国主) 33/8月頃 小槻冬直 33/7月~34/6月頃 菊池武光 51夏~72/8月 菊池武澄 (国務代行) ~57/7月 筑後頼俊 (国務代行) ~59/8/6 菊池武照 (国務代行) 57年秋~59/8月 菊池武安 (国務代行) 59/8月~72/8月 菊池武安 72/8月~75年夏 菊池澄安 75年夏~77/1月 |
小槻冬直 33/7月~34/1/29頃 ↓ 松浦峯定 34/8月~36/8月頃 菊池武澄 ~57/7月 菊池武照 57年秋~59/8月 菊池武安 59/8月~72/8月 菊池澄安 75年夏~77/1月 |
大友貞宗 ~33/12月 ↓ 大友千代松丸 33/12月~36/1月 大友貞載 (守護名代) 33/12月~36/12月 大友氏時 55/12月~58/12月 菊池武光 51年夏~72/8月 菊池武安 72/8月~75年夏 菊池澄安 75年夏~77/1月 相良前頼 85/2/17~ |
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壱岐国 | 不明 | 宇土高俊 33/6月~36年 |
不明 | |
対馬国 | 不明 | ? 33/6月頃 ↓ 菊池武茂 34年~43/7月 |
少弐貞経 33/7月~35/8月 ↓ 少弐頼尚 33/9月~36/2月 宗盛国 (守護代・対馬島地頭) 11/6月~44/7月頃 少弐頼尚? 52/11月~57/12月 |
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肥後国 |
菊池武重 菊池乙阿迦丸 |
菊池武重 33/7月~38/12月 菊池武光 47/11月~72/8月 菊池武政 72/11月~74/5月 菊池賀々丸 77/5月~92/10月 |
大友貞宗? ~33/12月 ↓ 大友千代松丸 33/12月~36/2月 大友貞載 (守護名代) 33/12月~35/12月 菊池武光 ~72/11月? 菊池武政 72/11月?~74/5月 菊池賀々丸 74/5月~92/10月 |
相良前頼 (九州惣奉行) 85/2月~92/11月 【阿蘇大宮司】 宇治惟時 31/10月~32年末 ↓ 宇治惟直 32末~36/3/2 ↓ 宇治惟時 36/10月~51/2月 ↓ 宇治惟村 51/2月~61/2月 宇治惟澄 (宮方) 56/6月~64/7月 宇治惟村 64/7月~ 宇治惟武 (宮方) 64/10月~77/1月 宇治惟政 (宮方) 77/3月~93/2月 阿蘇惟兼 (宮方) もはや15世紀である |
日向国 | 俊雅 (知行国主?) 33/6月頃 足利尊氏? 34年頃~35/10月 |
? 33/6月頃 ↓ 中原康綱 34/9月~34/12月 恵良惟澄 49/10月~56/6月 宇治惟武 75/6月~77/1月 宇治惟政 77/3月?~93/2月 |
島津貞久 33/6月~36/1月 ↓ 島津貞久 36/8月~ 宇治惟武 75/6/13~77/1月 宇治惟政 93/2/9~ |
恵良惟澄 (日向国吏務職) 49/10/5~50/4月 宇治惟武 (日向国国司職) 75/6月~77/1月 宇治惟政 (日向国国司職) 93/2月~ 肝付兼重 (日向大将私称) 35/12月~52/7月 |
大隅国 | 二条道平? (知行国主) 34/4月~35/2月頃 |
? 33/6月頃 ↓ 千葉胤貞 34/12月~35/12月頃 相良定頼 52年~57年 |
島津貞久 33/4/28~36/1月 島津氏久 36/10月~60/12月 |
三条泰季 (薩摩大隅大将) 36/10月頃 |
薩摩国 | 島津貞久 33/5月?~36/1月 三条泰季 (知行国主) 42/5月?~48/8月 |
? 33/6月頃 ↓ 中原師右 33/8月~33/3/10 |
島津貞久 33/5月~36/1月 ↓ 宇治惟時 36/3月~43/4月 宇治惟時 50/11月~52/閏2月頃 |
三条泰季 (薩摩大隅大将) 36/3月~48/8月頃 懐良親王 (征西将軍宮) 36/9月~75年夏 |
関連項目
此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀綸旨
召人 早馬 虚騒動
生頸 還俗 自由出家
俄大名 迷者
安堵 恩賞 虚軍
本領ハナルヽ訴訟人 文書入タル細葛
追従 讒人 禅律僧 下克上スル成出者
器用ノ堪否沙汰モナク モルル人ナキ決断所
キツケヌ冠上ノキヌ 持モナラハヌ杓持テ 内裏マシワリ珍シヤ
賢者カホナル伝奏ハ 我モ我モトミユレトモ
巧ナリケル詐ハ ヲロカナルニヤヲトルラム
為中美物ニアキミチテ マナ板烏帽子ユカメツヽ 気色メキタル京侍
タソカレ時ニ成ヌレハ ウカレテアリク色好 イクソハクソヤ数不知 内裏ヲカミト名付タル
人ノ妻鞆ノウカレメハ ヨソノミル目モ心地アシ
尾羽ヲレユカムエセ小鷹 手コトニ誰モスエタレト 鳥トル事ハ更ニナシ
鉛作ノオホ刀 太刀ヨリオホキニコシラヘテ 前サカリニソ指ホラス
ハサラ扇ノ五骨 ヒロコシヤセ馬薄小袖
日銭ノ質ノ古具足 関東武士ノカコ出仕
下衆上臈ノキハモナク 大口ニキル美精好
鎧直垂猶不捨 弓モ引ヱヌ犬追物
落馬矢数ニマサリタリ 誰ヲ師匠トナケレトモ
遍ハヤル小笠懸 事新キ風情也
京鎌倉ヲコキマセテ 一座ソロハヌエセ連歌
在々所々ノ歌連歌 点者ニナラヌ人ソナキ
譜第非成ノ差別ナク 自由狼藉ノ世界也
犬田楽ハ関東ノ ホロフル物ト云ナカラ 田楽ハナヲハヤル也
茶香十炷ノ寄合モ 鎌倉釣ニ有鹿ト 都ハイトヽ倍増ス
町コトニ立篝屋ハ 荒涼五間板三枚
幕引マワス役所鞆 其数シラス満々リ
諸人ノ敷地不定 半作ノ家是多シ
去年火災ノ空地共 クソ福ニコソナリニケレ
適ノコル家々ハ 点定セラレテ置去ヌ
非職ノ兵仗ハヤリツヽ 路次ノ礼儀辻々ハナシ
花山桃林サヒシクテ 牛馬華洛ニ遍満ス
四夷ヲシツメシ鎌倉ノ 右大将家ノ掟ヨリ 只品有シ武士モミナ ナメンタラニソ今ハナル
朝ニ牛馬ヲ飼ナカラ 夕ニ賞アル功臣ハ 左右ニオヨハヌ事ソカシ
サセル忠功ナケレトモ 過分ノ昇進スルモアリ 定テ損ソアルラント 仰テ信ヲトルハカリ
天下一統メズラシヤ 御代ニ生テサマザマノ 事ヲミキクゾ不思議ナル
京童ノ口ズサミ 十分ノ一ヲモラスナリ
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