ナリタトップロード 単語

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ナリタトップロード

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想いはひとつ、頂点への

振り返ればそこには、素らしきライバルとの覇を競った日々がある。
闘の末に咲かせた菊の大輪がある。だが君はひたむきに走り続けていく。
しのぎを削った友たちがターフを去った後も、世代の誇りを胸に抱き、新たなる戦いに挑む。
君と、そしてみんなの想いはひとつ。頂点トップへのロード

JRA「ヒーロー列伝」No.53 ナリタトップロードexit

ナリタトップロードとは、1996年生まれの日本競走馬種牡馬である。栗毛

1999年菊花賞に勝った名である。しかしそれよりは、3年連続の天皇賞春3着の記録、そして勝ちの実績以上にファン援を集めたことが有名かもしれない。
略称トップロードトプロあとNTR(Narita Top Road)。

な勝ち
1999年:菊花賞(GI)、弥生賞(GII)、きさらぎ賞(GIII)
2001年:阪神大賞典(GII)
2002年:京都記念(GII)、阪神大賞典(GII)、京都大賞典(GII)

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
ナリタトップロード(ウマ娘)を参照してください。

概要

サッカーボーイ*フローラルマジック、アファームド1996年生まれ。

1998年デビューし、1999年には菊花賞を含めた重賞3つを獲得。皐月賞テイエムオペラオーダービーアドマイヤベガと共に次世代を担う存在として期待された。だが2000年古馬王道全制覇するオペラオーと、オペラオーにこそ及ばずともオペラオー以外には先着を許さなかったメイショウドトウの陰に隠れてしまう。2001年以降は台頭する新勢力とも戦い、オペラオー引退した後の2002年には古馬王道における1999年クラシック世代最後の壁として重賞3つを勝利する活躍を見せた。同年に引退

そのまま種牡馬入りし、サッカーボーイの後継種牡馬となることが期待されたが、2005年11月7日午前1時心不全死亡した。

生涯

1996年-1999年:デビューからクラシックまで

1996年4月4日北海道沙流門別町(現・日高町)の佐々木牧場で生まれる。牧場の期待であった。
サッカーボーイ *フローラルマジック Affirmedという血統。サッカーボーイといえばイッちゃった三白眼で有名なだが、ナリタトップロードはおっとりとした子供っぽいだったという。

1998年東・芳夫厩舎に入厩。騎手には当時デビュー4年だった同厩舎所属の若手・「ナベちゃん」こと渡辺薫彦が選ばれた。12月デビュー戦はで稍重の馬場にのめってクビ差の2着。3週後の2戦で初勝利を挙げた。

99年・春

1999年1月福寿草特別(500万下)から始動。好位追走からメンバー最速の上がりを見せるも行った行ったの競馬となり巧みにペースを制した名手ペリエのスリリングサンデー天才武豊トゥザヴィクトリーをとらえ切れず3着に敗れた。しかし内容は評価され4戦きさらぎ賞(GIII)に格上挑戦、2番人気に支持され見事勝利した。当時25歳デビュー5年となった渡辺騎手にとって初の重賞勝利であった。
さらに3月弥生賞(GII)でも2番人気で出走、クラシック最有力と見られていた1番人気アドマイヤベガの追込を抑えて優勝する。ナリタトップロードは一躍クラシック戦線の注に躍り出た。

期待に乗せてくれた師匠師に是非GIタイトルを! 渡辺騎手は並々ならぬ決意でクラシックに望む。降る皐月賞(GI)当日は、1番人気こそ単勝2.7倍のアドマイヤベガに譲ったが、単勝3.3倍の2番人気を確保。全な2強対決の図式である。しかし、たっぷりと分を含んだどろんこ馬場に苦しむトップロードの外から、次元の違う脚で飛んできた栗毛がすべてをぶち抜いていった。トップロードオースミブライトに続く3着。
勝ったのは5番人気テイエムオペラオー上はデビュー4年和田竜二。人共にGI初制覇を搔っ攫われてしまった。

辱を期す日本ダービー(GI)渡辺ダービー初騎乗であったが、前走の内容と直線の長い府中での適正を評価されたトップロードは1番人気に推された。11番手という中団やや後方からレースを進め、めに動いたオペラオーを追って残り400mから200mまで1ハロン109という過酷なラップ叩き合いに持ち込み[1]ゴール前でついにオペラオーを競り潰した……と思いきや! 大外を皐月賞6着・アドマイヤベガ武豊がさらりとかわしていったのだった。
昨年までは「ユタカダービーを勝てない」とまで言われていた武騎手が、初のダービー連覇騎手となった間であった。ダービー初騎乗で1番人気を背負っていた渡辺騎手は、武騎手の姿が「に見えた」という。呆然とする和田騎手に、渡辺騎手は検量室で人もはばからず泣いた

99年・秋

今日こそは

届かないこともあれば
抜き去られることもある
油断も許されない

だがこの緊迫した空気
そう悪いものでもない
強敵達と競り合う日々は
自分を強くしていくのだから

その実感にを震わせながら
今日こそは駆け上がろう
の前にある頂点への

JRA「名馬の肖像」ナリタトップロードexit

休養後、初戦の京都新聞杯(GII)では、またもアドマイヤベガ&武に差し切られ2着。まるでダービー再現のようなレース内容に、これは騎手の差が……という話が当然出たのだが、師は馬主を説得してまで渡辺騎手上に残した。

そして、アドマイヤベガテイエムオペラオーに続く3番人気で迎えた菊花賞(GI) 。4コーナー出口で先頭に立ったトップロード渡辺騎手の執念の追いに応え、オペラオーラスカルスズカの追撃をぎ切り、見事に優勝する。渡辺騎手師共にGI初制覇。師った間である。にはワタナベコールが鳴りいた。

トップロード遂に、遂にやった! 渡辺やったー!渡辺やったーガッツポーズ
うれしい!うれしい! 渡辺やったぞサッカーボーイも喜んでいる!

関西テレビ 杉本清アナウンサー

……とはいえ、には一身以上あったオペラオーとの差は、クビ差にまで縮まっていた。

年末、有馬記念(GI)に出走。トップロードは単勝6.8倍の4番人気に支持され、12.0倍の5番人気であるオペラオーを上回る4歳(現3歳)の代表にく。だが、レース本番では1番から終始馬場の悪いところを走らされ、7着に惨敗。これはまあ仕方がいところ……ではあるのだが、ステイヤーズステークスから中2週の強行軍というクソ過酷ローテだったオペラオーは、か前方でグラスワンダースペシャルウィークタイム差なしの名勝負を演じていた。当然、JRA賞最優秀4歳オペラオーに持っていかれてしまった。

この年のライバルとの対決は、テイエムオペラオーに2勝2敗、アドマイヤベガとは3勝2敗。クラシック3強と呼ばれた中ではトップロードが最も勝ち越していた。年末の時点では、この彼ら3強に菊花賞3着のラスカルスズカを加えた4頭が、世紀末の古路線を引っっていくものと思われた。

……それが、全な1強体制となり、しかもぽっと出の2番手が残り3頭を脇役に追いやるなど、が予想しえただろうか。

2000年:世紀末覇王の影で

00年春

迎えた世紀末の初戦は京都記念(GII)テイエムオペラオーとの再戦である。前年、オペラオーに先着を許したのは中山競馬場のみ。斤量はナリタトップロードの方が1kg重いとはいえ、得意の京都競馬場では負けられない。抜け出したオペラオーを猛然と外から追い込み、よし快勝!! ……と思ったら、なんとオペラオーが差し返し、2着に敗れてしまう。せめて同斤量だったら!

だが、そんなたらればの望みはあっさり打ち砕かれる。再戦となった阪神大賞典(GII)ではマークしていたオペラオーに最後の100mで一にして突き放され、さらにはラスカルスズカにも交わされて3着。この負け以後、トップロード営にとっては「良きライバル」だったテイエムオペラオー背中が「巨大な」に変わるのである。

天皇賞(春)(GI)では、菊花賞再現を狙ってオペラオーよりも前での競馬を試みたが、逆に競り潰され、加えてラスカルスズカにも再び交わされ3着。オペラオーを正面から負かしに行っての敗であった。

梅雨時ということで回避した宝塚記念(晴れ・良馬場だった)オペラオー勝利し、ヒーロー列伝ポスターを作ってもらった一方、菊花賞以降療養していたアドマイヤベガ繋靭帯炎を発症し念の引退菊花賞天皇賞で鎬を削ったラスカルスズカも右前脚屈腱炎を発症し絶望……。トップロードはそんなニュースを聞きながら、の休養を終えた。

00年秋

初戦は京都大賞典(GII)。ここにはやっぱりというべきか、オペラオーも来ていた。上がり3ハロン33.5の剛脚を繰り出すトップロードだが、オペラオーゴール前で少し追い出しただけ(ムチ不使用)で33.3の末脚を披露し、一にしてトップロードを交わしてしまった。なんだこれは!? もはや絶望しかない。強い…絶対に強い……!

続く天皇賞(秋)(GI)が降り、コースは重馬場と化した。先頭集団後方を維持するのがやっとで、オペラオーの5着に敗。収得賞金も加算できず、ジャパンカップ今年からの新ルールに則り除外されるという更なる屈辱を味わうになる。オペラオーと同じ舞台にも立てないとは……。

仕方なく出走したステイヤーズステークス(GII)。本来なら菊花賞が出てくるレースではない。例年にべるとっぽいメンバーったとはいえ、当然「勝たなければいけない」レースだったのだが……。タガジョーノーブルメジロロンザン、ホットシークレット、サンエムエックスの4頭がアホみたいな大逃げをうち、直線入り口で置かれ過ぎたトップロードは勝手に潰れたメジロロンザン以外の3頭(いわゆるステイヤー三羽烏)をとらえきれず、4着。あまりの衝撃に、当時実況に対応していなかった2ch競馬鯖落ちした。

外からホットシークレット! そして! ナリタトップロードは届かないのかどうか!
GI、ここでは負けられないが負けた!!

フジテレビ 吉田伸男アナウンサー

ひでぇ実況である。 

流石にこれはい切れない負けだったか、とうとうナベちゃんは降ろされ、有馬記念ベテラン的場均が騎乗することになる。しかし有馬も9着。そもそもトップロードは大跳びのせいで小回りコーナーがたくさんあるとスピードを出し切れず、中山の長距離はどうも駄だったのだ騎手は関係なかった。

テイエムオペラオー古馬王道全制覇と満票による年度代表馬の栄誉に浴する中、ナリタトップロードは遂に勝利を上げられないまま、年を終えてしまった。更にこの年のGIでは、昨年までは準OPに過ぎなかったメイショウドトウ(実はトップロードと同じ)が本格化し、3月日経賞での敗戦以降、オペラオー以外のには先着を一切許さない「史上最強の2番手」になっていた。
このため、いつの間にかドトウこそがオペラオー最大のライバルと見なされ、トップロードは「その他大勢」のポジションに甘んじることになった。実際、今では「オペラオーライバル」といえばドトウを挙げる人がほとんどのはずだ。

2001年:苦闘は続く

01年春

2001年初戦は再びの京都記念。1番人気で出走し……3着に敗れる。ここで的場騎手調教師転向のため引退するのだが、後任の騎手はなんと、再びの渡辺薫彦であった。
実のところ、師は暮れの荒れた中山コースではが乗ってもナリタトップロードは苦戦すると覚悟していた。乗り代わりに的場騎手を推挙したのは腕前ももちろんだが、仮に勝っても翌引退が決定していたからである。勝敗に関わらず、なるべく渡辺騎手を下げずに、再びトップロードコンビを組めるようにする段取りだったのだ。

師の配慮とファンの期待に応えるべく、渡辺騎手の気合の入り方は普通ではなかったのだろう。阪神大賞典では斤量59キロを背負いながら、直線入り口で先頭に並び掛けると物凄い勢いでぶっ飛ばし、後続に8身差でゴールを駆け抜けた。

ナリタトップロードだ! 久々味わう勝利の美
渡辺薫彦です! ナベちゃんやりました! 渡辺薫彦とナリタトップロード!
あの菊花賞以来、久々味わう勝利の美! 圧勝です!圧勝、レコードタイムです!

関西テレビ 馬場鉄志アナウンサー

勝ち時計3:02.5は当時の芝3000m世界レコード[2]である。惜敗続きだったトップロードの圧勝にファンは沸き立ち、テイエムオペラオーへの辱に期待を膨らませた。

しかし、天皇賞(春)当日は。そう、トプロ苦手の濡れた馬場だ……。4コーナー出口先頭の積極策(仕掛けともいう)も実らず、トップロードは残り200mで力尽き、オペラオーメイショウドトウに交わされて3着。先行しても追い込んでもオペラオーが負かせない……。オペラオーだけならまだしも、それに続くドトウにもかなわない……。

梅雨時ということで回避した宝塚記念(晴れ・良馬場だった)では、ドトウが遂にオペラオーを下し、ヒーロー列伝ポスターを作ってもらった。トップロードはそんなニュースを聞きながら、の休養を終えた。

01年秋

やっぱり初戦は京都大賞典。まくりから逃げ込みを図るステイゴールドを、ナリタトップロードは敢然と追い込む。だが外からはテイエムオペラオーステゴオペラオーが交わすか!と思った間、トップロードが躓き、渡辺騎手が前方へ投げ出されるように落 ステゴオペラオー掛けて斜行し、トップロードはこの2頭に挟まれ進路をなくしたのだ。ステイゴールド失格となり、オペラオーが繰り上げ1着。ステゴ上の後藤騎手オペラオー馬主に詰め寄られる一幕もあった。
物凄く手な落、起き上がれない渡辺騎手スタンドには女性ファンのすすり泣きがき、馬券師たちも「あれはナベ、死んだんじゃないか……?」とになって帰路に就いたものである。

かろうじて渡辺騎手事だったものの、トップロードの方は押そうがこうが何をしようと体がスクんで動かない状態に陥ってしまう。まともに歩けないので房に戻すことにすら苦労するありさまで、当然ながら天皇賞(秋)は回避となった。今でこそ「渡辺ジャンプステークス」とかいうステゴ黒歴史を弄る不謹慎ネタにされているが、笑い話にでもしないとやってられないくらい酷い事故だった。営は医の協力のもと、1カ半をかけて少しずつトップロードのスクみをほぐていった。

どうにかこうにか出走にこぎつけたジャパンカップ(GI)では、ジャングルポケットオペラオーの熱闘の後ろで3着を確保する。相変わらずオペラオーには勝てなかったが、ようやく(あちらに致命的な不利があったとはいえ)メイショウドトウに先着することができた。
もっとも、このレースを見て「あぁ、トップロードは、オペラオーよりどうしようもなく弱いんだなぁ…」と嘆息したファンは多かったことだろう。なにしろ、このレースでは2着に負けてしまったオペラオーに余裕で3身ちぎられているのである。

苦手な中山有馬記念ではマンハッタンカフェか後方、安定の10着に終わる。ちなみにこのレースラストランとなったオペラオーは5着、ドトウは4着であった。この年のJRA賞・最優秀父内国産馬部門でトップロードは最多の87票を集めたが、該当なしの票数に負け、受賞は逃した。

ナリタトップロードは、とうとう、古になってから一度もテイエムオペラオーに先着できなかった。
論、オペラオーに勝てなかったのはトップロードだけではない。しかしクラシック戦線での「ライバル」と認め合っていたトップロード営にとっては、この結果は屈辱的というしかなかった。
もっとも、どんな形であれオペラオーに2回先着することができたはドトウ以外にはもう一頭しかおらず、その一頭こそはナリタトップロードである。そこはもっと評価されるべき

02年:99世代・最後の壁として

02年:春

さて、の上のタンコブ恐ろしい同期であったテイエムオペラオーメイショウドトウ引退したんである。新たに99年クラシック世代を背負ったナリタトップロードの時代が来る。

開幕戦、京都記念60kgの酷量を背負いながらも、マチカネキンノホシを競り落として勝利
阪神大賞典も前年の年度代表馬ジャングルポケットが2着確保に苦しむ中、余裕の連覇。おおおおお! ファンはここに来ての連勝に采を送り、3度天皇賞(春)では彼を一番人気に支持した。

が、直線速めに抜け出したマンハッタンカフェが交わせず、後ろからは武豊に乗り変わったジャングルポケットにも差されて3着。春天3年連続3着」という、有馬記念3連続3着のナイスネイチャに匹敵する記録が達成されたのであった。

梅雨時ということで回避した宝塚記念(晴れ・良馬場だった)では、01年世代のダンツフレーム勝利ジャンポケといいマンカフェといい、ヒーロー列伝に選ばれたクロフネといい、この世代の後輩やたら強いなぁ……え? ヒーロー列伝ポスターを作ってもらえるんですか!? やったー!!
……と、そんなちょっと嬉しいニュースを聞きながら、トップロード最後の夏休みは終わった。

02年:秋

ベストパートナー渡辺騎手は負傷療養中。しかし四位洋文への乗り変わりもなんのその、京都大賞典では直線入り口から先頭を譲らない強いレースツルマルボーイタップダンスシチーらを完封する。

世代交代?なんだそれは!? 関係ない! ナリタトップロードです!

関西テレビ 馬場鉄志アナウンサー

新世代の筆頭たるマンカフェジャンポケがいなかったのは放っておいてやってくれ…

余勢をかって天皇賞(秋)に進むナリタトップロード。強敵マンハッタンカフェ凱旋門賞遠征、ジャングルポケットは故障で不在と、またとないチャンスであった。ところが、よりにもよってこの年は東京競馬場が改修工事に入り、開催が中山競馬場に変更。しかも前日には トプロにとって最悪の条件である。
レース本番ではトドメとばかりに、トップロードの入った1スタート地点は整地状態が良くなく、沼のようになっていた。ダッシュがつかず望まぬ後方からの競馬、それでも直線ではよく追い込んだのだが……。勝ったシンボリクリスエスにはわずかに、わずかに届かず、2着。

次走・ジャパンカップ中山代替開催。安定の10着だった。営は引退レースとして苦手の中山を避けて香港国際競走を予定し、出走準備に入った。
ところが、なんと3年間GI勝利にもかかわらず、ナリタトップロードは有馬記念出走ファン投票1位の栄誉にいた。クラシック3強の突、世紀末覇王への懸命の抵抗、大一番で勝ち切れずとも健気に走るその姿、だった同期引退後も戦いつづける雄姿――そうした諸々の要素がこの得票を呼んだのだろうか。
営はファンへの感謝の意味も込め、有馬記念への出走を決断した。上には怪から復帰したベストパートナーナベちゃん。苦手なの中、苦手な中山で、過去最高の4着に頑って、現役生活を終えた。

結局、古になってからGIには勝てなかった。しかし、ラストラン後にスタンド前に帰ってきた時の歓は、もしかすると勝ったシンボリクリスエスに対するものよりも大きかったかもしれない。

引退後:種牡馬として

サッカーボーイの後継種牡馬として期待されて種牡馬入りしたのであるが、種牡馬入り3年死亡。少ない産駒からベッラレイアのような重賞勝ちを出しているので、期待出来ただけに、非常に残念である。

評価

菊花賞には勝っているし、世界レコードだって出している。重賞7勝、酷量60kgを背負って重賞勝ち[3]GIIを5勝はメジロマックイーンと並ぶ当時の最多勝記録[4]だ。並みのGIでなかったことは間違いない。

しかしながら、とにもかくにも、どうしようもなく、底して勝ち運から見放されただった。濡れた馬場が苦手なのにやたらを呼んでしまったり、中山競馬場が苦手なのにルール変更や東京競馬場改修工事のでやたらと中山で走らされたり、ステゴに突き飛ばされて不調で走れなかったり、それ以外でも出るレース出るレースオペラオーに遭遇したり、あまりにも芸術的な運のさだった。ちなみに中山を苦手としたのは大跳びのストライド走法が原因。こう見ると、むしろ弥生賞はよく勝てたものだと思える。

師と渡辺騎手に言わせれば、全盛期は年間未勝利だった4歳から5歳にかけて(要は落事故まで)。GIIを3勝もした6歳時には既にピークを過ぎており前年までのようなガツンとくる手応えは失われていたとのこと。師は良かった時期に良馬場東京競馬場競馬をできなかったことが心残りだという。なんという巡り合わせの悪さだ。

栗毛筋肉々の体はパドック写真で物凄く見栄えがするであった。ほぼ文句テイエムオペラオーメイショウドトウよりも良い体であったと言って良いだろう。しかしながら戦績やレースに行っての底力では、その二頭に一枚も二枚も劣ると言わざるをえない。って体だけじゃいんだなぁ、と教えられた競馬ファンも多かったことだろう。

大きな故障は一度もせず、条件が合ったレースでは好走するで、苦手だった中山悪と落による競走中止を除けば常に3着以内をキープした。何気に賞金も10億円近く稼いでいる。この額はテイエムオペラオーにこそかに届かないものの、先に引退したメイショウドトウを上回る歴代6位の記録だった。GI 1勝としては、ステイゴールドに次ぐ額であり、内に限れば最高記録だった[5][6]。何とも馬主孝行なであった。

渡辺薫彦は全30戦中25戦に騎乗。この頃の渡辺騎手は未熟な若手でしかなく、正直、もっと良い騎手が乗るべきだという意見も強かった。しかしこコンビと、テイエムオペラオー和田騎手コンビが、アドマイヤベガ武豊に挑み、苦しみながらもそれぞれクラシックを勝ち取った様は清々しいものであった。最近は若手がGIを咲かせる場面をあまり見ない。外国人ばっかりではなく、若手騎手を素質に乗せてあげて欲しいものである。特に社台の……。

栗毛流星のグッドルキングホース1991年レオダーバン以来の父内国産馬クラシックホースに似ず性格も良かったようだ。惜しいレース続きが多くのファンされたナリタトップロード。直線入り口からこのだけを見ていたおかげで、レースの勝ちが分からなくなったファンも多い。

戦績

日付 競走名 格付け 開催競技場 距離 天気 馬場 騎手 頭数 人気 着順
1998年(旧3歳)
1 1998/12/5 3歳新 阪神 2000 渡辺薫彦 11 1 2
2 1998/12/27 3歳新 阪神 2000 渡辺薫彦 13 1 1
1999年(旧4歳)
3 1999/1/10 福寿草特別 500万下 京都 2000 渡辺薫彦 15 3 3
4 1999/2/7 きさらぎ賞 GIII 京都 1800 渡辺薫彦 15 2 1
5 1999/3/7 報知杯弥生賞 GII 中山 2000 渡辺薫彦 15 2 1
6 1999/4/18 皐月賞 GI 中山 2000 渡辺薫彦 17 2 3
7 1999/6/6 東京優駿 GI 東京 芝2400 渡辺薫彦 18 1 2
8 1999/10/17 京都新聞杯 GII 京都 2200 渡辺薫彦 18 1 2
9 1999/11/7 菊花賞 GI 京都 3000 渡辺薫彦 15 3 1
10 1999/12/26 有馬記念 GI 中山 2500 渡辺薫彦 14 4 7
2000年(旧5歳)
11 2000/2/20 京都記念 GII 京都 2200 渡辺薫彦 11 2 2
12 2000/3/19 阪神大賞典 GII 阪神 3000 渡辺薫彦 9 3 3
13 2000/4/30 天皇賞(春) GI 京都 3200 渡辺薫彦 12 2 3
14 2000/10/8 京都大賞典 GII 京都 芝2400 渡辺薫彦 12 2 2
15 2000/10/29 天皇賞(秋) GI 東京 2000 渡辺薫彦 16 3 5
16 2000/12/2 ステイヤーズS GII 中山 3600 渡辺薫彦 11 1 4
17 2000/12/24 有馬記念 GI 中山 2500 的場均 16 3 9
2001年(現5歳)
18 2001/2/17 京都記念 GII 京都 2200 的場均 14 1 3
19 2001/3/18 阪神大賞典 GII 阪神 3000 渡辺薫彦 12 1 1
20 2001/4/29 天皇賞(春) GI 京都 3200 渡辺薫彦 12 2 3
21 2001/10/7 京都大賞典 GII 京都 芝2400 渡辺薫彦 7 2
22 2001/11/25 ジャパンC GI 東京 芝2400 渡辺薫彦 15 5 3
23 2001/12/23 有馬記念 GI 中山 2500 渡辺薫彦 13 4 10
2002年(現6歳)
24 2002/2/16 京都記念 GII 京都 2200 渡辺薫彦 9 3 1
25 2002/3/17 阪神大賞典 GII 阪神 3000 渡辺薫彦 9 1 1
26 2002/4/28 天皇賞(春) GI 京都 3200 渡辺薫彦 11 1 3
27 2002/10/6 京都大賞典 GII 京都 芝2400 四位洋文 8 1 1
28 2002/10/27 天皇賞(秋) GI 中山 2000 四位洋文 18 2 2
29 2002/11/24 ジャパンC GI 中山 2200 四位洋文 16 2 10
30 2002/12/22 有馬記念 GI 中山 2500 渡辺薫彦 14 4 4

血統表

サッカーボーイ
1985 栃栗毛
*ディクタス
1967 栗毛
Sanctus Fine Top
Sanelta
Doronic Worden
Dulzetta
ダイナサッシュ
1979 鹿毛
*ノーザンテースト Northern Dancer
Lady Victoria
*ロイヤルサッシュ Princely Gift
Sash of Honour
*フローラルマジック
Floral Magic
1985 黒鹿毛
FNo.18
Affirmed
1975 栗毛
Exclusive Native Raise a Native
Exclusive
Won't Tell You Crafty Admiral
Scarlet Ribbon
Rare Lady
1990 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Double Agent Double Jay
Conniver
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 5×4(9.38%)

主な産駒

関連動画

関連コミュニティ

関連項目

脚注

  1. *東京競馬場改修前のダービーで後半のラップに10台が記録された一の区間。
  2. *世界レコードとしては2014年トーホウジャッカル更新するまで13年間、阪神3000mのコースレコードとしては2022年アスクビクターモア更新するまで21年間も残り続けていた。
  3. *ナリタトップロード以降、2022年現在まで60kg以上の斤量を背負って重賞勝利するは現れていない。
  4. *2006年バランスオブゲーム記録更新
  5. *ステイゴールドGI勝利香港ヴァーズによるものである。
  6. *現在シュヴァルグランによって双方の記録とも更新された。
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