想いはひとつ、頂点への道
振り返ればそこには、素晴らしきライバルとの覇を競った日々がある。
激闘の末に咲かせた菊の大輪がある。だが君はひたむきに走り続けていく。
しのぎを削った友たちがターフを去った後も、世代の誇りを胸に抱き、新たなる戦いに挑む。
君と、そしてみんなの想いはひとつ。頂点への道。
ナリタトップロードとは、1996年生まれの日本の競走馬・種牡馬である。栗毛の牡馬。
1999年の菊花賞に勝った名馬である。しかしそれよりは、3年連続の天皇賞春3着の珍記録、そして勝ち鞍の実績以上にファンの声援を集めたことが有名かもしれない。
略称はトップロード、トプロ。あとNTR(Narita Top Road)。
主な勝ち鞍
1999年:菊花賞(GI)、弥生賞(GII)、きさらぎ賞(GIII)
2001年:阪神大賞典(GII)
2002年:京都記念(GII)、阪神大賞典(GII)、京都大賞典(GII)
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「ナリタトップロード(ウマ娘)」を参照してください。 |
父サッカーボーイ、母*フローラルマジック、母父アファームド。1996年生まれ。
1998年にデビューし、1999年には菊花賞を含めた重賞3つを獲得。皐月賞馬テイエムオペラオー、ダービー馬アドマイヤベガと共に次世代を担う存在として期待された。だが2000年は古馬王道を完全制覇するオペラオーと、オペラオーにこそ及ばずともオペラオー以外には先着を許さなかったメイショウドトウの陰に隠れてしまう。2001年以降は台頭する新興勢力とも戦い、オペラオーが引退した後の2002年には古馬王道における1999年クラシック世代最後の壁として重賞3つを勝利する活躍を見せた。同年に引退。
そのまま種牡馬入りし、サッカーボーイの後継種牡馬となることが期待されたが、2005年に11月7日午前1時に心不全で死亡した。
1996年4月4日に北海道沙流郡門別町(現・日高町)の佐々木牧場で生まれる。牧場の期待馬であった。
父サッカーボーイ 母*フローラルマジック 母父Affirmedという血統。サッカーボーイといえばイッちゃった三白眼で有名な凶暴馬だが、ナリタトップロードはおっとりとした子供っぽい馬だったという。
1998年、栗東・沖芳夫厩舎に入厩。主戦騎手には当時デビュー4年目だった同厩舎所属の若手・「ナベちゃん」こと渡辺薫彦が選ばれた。12月のデビュー戦は雨で稍重の馬場にのめってクビ差の2着。3週後の2戦目で初勝利を挙げた。
1999年は1月の福寿草特別(500万下)から始動。好位追走からメンバー最速の上がりを見せるも行った行ったの競馬となり巧みにペースを制した名手ペリエのスリリングサンデーと天才武豊のトゥザヴィクトリーをとらえ切れず3着に敗れた。しかし内容は評価され4戦目はきさらぎ賞(GIII)に格上挑戦、2番人気に支持され見事勝利した。当時25歳、デビュー5年目となった渡辺騎手にとって初の重賞勝利であった。
さらに3月の弥生賞(GII)でも2番人気で出走、クラシック最有力と見られていた1番人気・アドマイヤベガの追込を抑えて優勝する。ナリタトップロードは一躍クラシック戦線の注目馬に躍り出た。
期待馬に乗せてくれた師匠・沖師に是非GIのタイトルを! 渡辺騎手は並々ならぬ決意で春のクラシックに望む。雨降る皐月賞(GI)当日は、1番人気こそ単勝2.7倍のアドマイヤベガに譲ったが、単勝3.3倍の2番人気を確保。完全な2強対決の図式である。しかし、たっぷりと水分を含んだどろんこ馬場に苦しむトップロードの外から、次元の違う脚で飛んできた栗毛の馬がすべてをぶち抜いていった。トップロードはオースミブライトに続く3着。
勝ったのは5番人気のテイエムオペラオー。鞍上はデビュー4年目の和田竜二。人馬共にGI初制覇を搔っ攫われてしまった。
雪辱を期す日本ダービー(GI)、渡辺はダービー初騎乗であったが、前走の内容と直線の長い府中での適正を評価されたトップロードは1番人気に推された。11番手という中団やや後方からレースを進め、早めに動いたオペラオーを追って残り400mから200mまで1ハロン10秒9という過酷なラップの叩き合いに持ち込み[1]、ゴール前でついにオペラオーを競り潰した……と思いきや! 大外を皐月賞6着・アドマイヤベガ&武豊がさらりとかわしていったのだった。
昨年までは「ユタカはダービーを勝てない」とまで言われていた武騎手が、初のダービー連覇騎手となった瞬間であった。ダービー初騎乗で1番人気を背負っていた渡辺騎手は、武騎手の姿が「鬼に見えた」という。呆然とする和田騎手を尻目に、渡辺騎手は検量室で人目もはばからず泣いた。
今日こそは
届かないこともあれば
抜き去られることもある
一瞬の油断も許されないだがこの緊迫した空気
そう悪いものでもない
強敵達と競り合う日々は
自分を強くしていくのだから
休養後、秋初戦の京都新聞杯(GII)では、またもアドマイヤベガ&武に差し切られ2着。まるでダービーの再現のようなレース内容に、これは騎手の差が……という話が当然出たのだが、沖師は馬主を説得してまで渡辺騎手を鞍上に残した。
そして、アドマイヤベガ、テイエムオペラオーに続く3番人気で迎えた菊花賞(GI) 。4コーナー出口で先頭に立ったトップロードは渡辺騎手の執念の追いに応え、オペラオーとラスカルスズカの追撃を凌ぎ切り、見事に優勝する。渡辺騎手、沖師共にGI初制覇。師弟の夢が叶った瞬間である。淀にはワタナベ・コールが鳴り響いた。
トップロード遂に、遂にやった! 渡辺やったー!渡辺やったーガッツポーズ!
うれしい!うれしい! 渡辺やったぞ~! サッカーボーイも喜んでいる!
……とはいえ、春には一馬身以上あった筈のオペラオーとの差は、クビ差にまで縮まっていた。
年末、有馬記念(GI)に出走。トップロードは単勝6.8倍の4番人気に支持され、12.0倍の5番人気であるオペラオーを上回る4歳馬(現3歳)の代表に輝く。だが、レース本番では1番枠から終始馬場の悪いところを走らされ、7着に惨敗。これはまあ仕方が無いところ……ではあるのだが、ステイヤーズステークスから中2週の強行軍というクソ過酷ローテだった筈のオペラオーは、遥か前方でグラスワンダーやスペシャルウィークとタイム差なしの名勝負を演じていた。当然、JRA賞最優秀4歳牡馬はオペラオーに持っていかれてしまった。
この年のライバル馬との対決は、テイエムオペラオーに2勝2敗、アドマイヤベガとは3勝2敗。クラシック3強と呼ばれた中ではトップロードが最も勝ち越していた。年末の時点では、この彼ら3強に菊花賞3着のラスカルスズカを加えた4頭が、世紀末の古馬路線を引っ張っていくものと思われた。
……それが、完全な1強体制となり、しかもぽっと出の2番手が残り3頭を脇役に追いやるなど、誰が予想しえただろうか。
迎えた世紀末の初戦は京都記念(GII)。テイエムオペラオーとの再戦である。前年、オペラオーに先着を許したのは中山競馬場のみ。斤量はナリタトップロードの方が1kg重いとはいえ、得意の京都競馬場では負けられない。抜け出したオペラオーを猛然と外から追い込み、よし快勝!! ……と思ったら、なんとオペラオーが差し返し、2着に敗れてしまう。せめて同斤量だったら!
だが、そんなたらればの望みはあっさり打ち砕かれる。再戦となった阪神大賞典(GII)ではマークしていたオペラオーに最後の100mで一瞬にして突き放され、さらにはラスカルスズカにも交わされて3着。この負け以後、トップロード陣営にとっては「良きライバル」だった筈のテイエムオペラオーの背中が「巨大な壁」に変わるのである。
天皇賞(春)(GI)では、菊花賞の再現を狙ってオペラオーよりも前での競馬を試みたが、逆に競り潰され、加えてラスカルスズカにも再び交わされ3着。オペラオーを正面から負かしに行っての完敗であった。
梅雨時ということで回避した宝塚記念(晴れ・良馬場だった)でオペラオーが勝利し、ヒーロー列伝ポスターを作ってもらった一方、菊花賞以降療養していたアドマイヤベガは繋靭帯炎を発症し無念の引退、菊花賞や天皇賞で鎬を削ったラスカルスズカも右前脚屈腱炎を発症し秋絶望……。トップロードはそんなニュースを聞きながら、夏の休養を終えた。
秋初戦は京都大賞典(GII)。ここにはやっぱりというべきか、オペラオーも来ていた。上がり3ハロン33.5秒の剛脚を繰り出すトップロードだが、オペラオーはゴール前で少し追い出しただけ(ムチ不使用)で33.3秒の末脚を披露し、一瞬にしてトップロードを交わしてしまった。なんだこれは!? もはや絶望しかない。強い…絶対に強い……!
続く天皇賞(秋)(GI)は雨が降り、コースは重馬場と化した。先頭集団後方を維持するのがやっとで、オペラオーの5着に完敗。収得賞金も加算できず、ジャパンカップは今年からの新ルールに則り除外されるという更なる屈辱を味わう羽目になる。オペラオーと同じ舞台にも立てないとは……。
仕方なく出走したステイヤーズステークス(GII)。本来なら菊花賞馬が出てくるレースではない。例年に比べると骨っぽいメンバーが揃ったとはいえ、当然「勝たなければいけない」レースだったのだが……。タガジョーノーブル、メジロロンザン、ホットシークレット、サンエムエックスの4頭がアホみたいな大逃げをうち、直線入り口で置かれ過ぎたトップロードは勝手に潰れたメジロロンザン以外の3頭(いわゆるステイヤー三羽烏)をとらえきれず、4着。あまりの衝撃に、当時実況に対応していなかった2chの競馬板は鯖落ちした。
外からホットシークレット! そして! ナリタトップロードは届かないのかどうか!
GI馬、ここでは負けられないが負けた!!
ひでぇ実況である。
流石にこれは庇い切れない負けだったか、とうとうナベちゃんは降ろされ、有馬記念はベテランの的場均が騎乗することになる。しかし有馬も9着。そもそもトップロードは大跳びのせいで小回りコーナーがたくさんあるとスピードを出し切れず、中山の長距離はどうも駄目だったのだ。騎手は関係なかった。
テイエムオペラオーが古馬王道完全制覇と満票による年度代表馬の栄誉に浴する中、ナリタトップロードは遂に勝利を上げられないまま、年を終えてしまった。更にこの年のGIでは、昨年までは準OP馬に過ぎなかったメイショウドトウ(実は母父がトップロードと同じ)が本格化し、3月の日経賞での敗戦以降、オペラオー以外の馬には先着を一切許さない「史上最強の2番手」になっていた。
このため、いつの間にかドトウこそがオペラオー最大のライバルと見なされ、トップロードは「その他大勢」のポジションに甘んじることになった。実際、今では「オペラオーのライバル」といえばドトウを挙げる人がほとんどのはずだ。
2001年初戦は再びの京都記念。1番人気で出走し……3着に敗れる。ここで的場騎手は調教師転向のため引退するのだが、後任の主戦騎手はなんと、再びの渡辺薫彦であった。
実のところ、沖師は暮れの荒れた中山コースでは誰が乗ってもナリタトップロードは苦戦すると覚悟していた。乗り代わりに的場騎手を推挙したのは腕前ももちろんだが、仮に勝っても翌春の引退が決定していたからである。勝敗に関わらず、なるべく渡辺騎手の株を下げずに、再びトップロードとコンビを組めるようにする段取りだったのだ。
師の配慮とファンの期待に応えるべく、渡辺騎手の気合の入り方は普通ではなかったのだろう。阪神大賞典では斤量59キロを背負いながら、直線入り口で先頭に並び掛けると物凄い勢いでぶっ飛ばし、後続に8馬身差でゴール板を駆け抜けた。
ナリタトップロードだ! 久々に味わう勝利の美酒!
渡辺薫彦です! ナベちゃんやりました! 渡辺薫彦とナリタトップロード!
あの菊花賞以来、久々に味わう勝利の美酒! 圧勝です!圧勝、レコードタイムです!
勝ち時計3:02.5は当時の芝3000m世界レコード[2]である。惜敗続きだったトップロードの圧勝にファンは沸き立ち、テイエムオペラオーへの雪辱に期待を膨らませた。
しかし、天皇賞(春)当日は雨。そう、トプロ苦手の濡れた馬場だ……。4コーナー出口先頭の積極策(早仕掛けともいう)も実らず、トップロードは残り200mで力尽き、オペラオーとメイショウドトウに交わされて3着。先行しても追い込んでもオペラオーが負かせない……。オペラオーだけならまだしも、それに続くドトウにもかなわない……。
梅雨時ということで回避した宝塚記念(晴れ・良馬場だった)では、ドトウが遂にオペラオーを下し、ヒーロー列伝ポスターを作ってもらった。トップロードはそんなニュースを聞きながら、夏の休養を終えた。
やっぱり秋初戦は京都大賞典。まくりからの逃げ込みを図るステイゴールドを、ナリタトップロードは敢然と追い込む。だが外からはテイエムオペラオー、粘るステゴをオペラオーが交わすか!と思った瞬間、トップロードが躓き、渡辺騎手が前方へ投げ出されるように落馬! ステゴがオペラオー目掛けて斜行し、トップロードはこの2頭に挟まれ進路をなくしたのだ。ステイゴールドは失格となり、オペラオーが繰り上げ1着。ステゴ鞍上の後藤騎手がオペラオーの馬主に詰め寄られる一幕もあった。
物凄く派手な落馬、起き上がれない渡辺騎手。スタンドには女性ファンのすすり泣きが響き、馬券師たちも「あれはナベ、死んだんじゃないか……?」と真っ青になって帰路に就いたものである。
かろうじて渡辺騎手は無事だったものの、トップロードの方は押そうが曳こうが何をしようと体がスクんで動かない状態に陥ってしまう。まともに歩けないので馬房に戻すことにすら苦労するありさまで、当然ながら天皇賞(秋)は回避となった。今でこそ「渡辺ジャンプステークス」とかいうステゴの黒歴史を弄る不謹慎ネタにされているが、笑い話にでもしないとやってられないくらい酷い事故だった。陣営は獣医の協力のもと、1カ月半をかけて少しずつトップロードのスクみをほぐていった。
どうにかこうにか出走にこぎつけたジャパンカップ(GI)では、ジャングルポケットとオペラオーの熱闘の後ろで3着を確保する。相変わらずオペラオーには勝てなかったが、ようやく(あちらに致命的な不利があったとはいえ)メイショウドトウに先着することができた。
もっとも、このレースを見て「あぁ、トップロードは、オペラオーよりどうしようもなく弱いんだなぁ…」と嘆息したファンは多かったことだろう。なにしろ、このレースでは2着に負けてしまったオペラオーに余裕で3馬身ちぎられているのである。
苦手な中山の有馬記念ではマンハッタンカフェの遥か後方、安定の10着に終わる。ちなみにこのレースがラストランとなったオペラオーは5着、ドトウは4着であった。この年のJRA賞・最優秀父内国産馬部門でトップロードは最多の87票を集めたが、該当馬なしの票数に負け、受賞は逃した。
ナリタトップロードは、とうとう、古馬になってから一度もテイエムオペラオーに先着できなかった。
無論、オペラオーに勝てなかったのはトップロードだけではない。しかしクラシック戦線での「ライバル」と認め合っていた筈のトップロード陣営にとっては、この結果は屈辱的というしかなかった。
もっとも、どんな形であれオペラオーに2回先着することができた馬はドトウ以外にはもう一頭しかおらず、その一頭こそはナリタトップロードである。そこはもっと評価されるべき。
さて、目の上のタンコブ恐ろしい同期であったテイエムオペラオーとメイショウドトウが引退したんである。新たに99年クラシック世代を背負ったナリタトップロードの時代が来る。
開幕戦、京都記念は60kgの酷量を背負いながらも、マチカネキンノホシを競り落として勝利。
阪神大賞典も前年の年度代表馬ジャングルポケットが2着確保に苦しむ中、余裕の連覇。おおおおお! ファンはここに来ての連勝に喝采を送り、3度目の天皇賞(春)では彼を一番人気に支持した。
が、直線速めに抜け出したマンハッタンカフェが交わせず、後ろからは武豊に乗り変わったジャングルポケットにも差されて3着。「春天3年連続3着」という、有馬記念3連続3着のナイスネイチャに匹敵する珍記録が達成されたのであった。
梅雨時ということで回避した宝塚記念(晴れ・良馬場だった)では、01年世代のダンツフレームが勝利。ジャンポケといいマンカフェといい、ヒーロー列伝に選ばれたクロフネといい、この世代の後輩やたら強いなぁ……え? 僕もヒーロー列伝ポスターを作ってもらえるんですか!? やったー!!
……と、そんなちょっと嬉しいニュースを聞きながら、トップロード最後の夏休みは終わった。
ベストパートナーの渡辺騎手は負傷療養中。しかし四位洋文への乗り変わりもなんのその、京都大賞典では直線入り口から先頭を譲らない強いレースでツルマルボーイやタップダンスシチーらを完封する。
新世代の筆頭たるマンカフェとジャンポケがいなかったのは放っておいてやってくれ…
余勢をかって天皇賞(秋)に進むナリタトップロード。強敵マンハッタンカフェは凱旋門賞遠征、ジャングルポケットは故障で不在と、またとないチャンスであった。ところが、よりにもよってこの年は東京競馬場が改修工事に入り、開催が中山競馬場に変更。しかも前日には雨! トプロにとって最悪の条件である。
レース本番ではトドメとばかりに、トップロードの入った1枠のスタート地点は整地状態が良くなく、沼のようになっていた。ダッシュがつかず望まぬ後方からの競馬、それでも直線ではよく追い込んだのだが……。勝ったシンボリクリスエスにはわずかに、わずかに届かず、2着。
次走・ジャパンカップも中山代替開催。安定の10着だった。陣営は引退レースとして苦手の中山を避けて香港国際競走を予定し、出走準備に入った。
ところが、なんと3年間GI未勝利にもかかわらず、ナリタトップロードは有馬記念出走ファン投票1位の栄誉に輝いた。クラシック3強の激突、世紀末覇王への懸命の抵抗、大一番で勝ち切れずとも健気に走るその姿、主だった同期の引退後も戦いつづける雄姿――そうした諸々の要素がこの得票を呼んだのだろうか。
陣営はファンへの感謝の意味も込め、有馬記念への出走を決断した。鞍上には怪我から復帰したベストパートナー・ナベちゃん。苦手な雨の中、苦手な中山で、過去最高の4着に頑張って、現役生活を終えた。
結局、古馬になってからGIには勝てなかった。しかし、ラストラン後にスタンド前に帰ってきた時の歓声は、もしかすると勝ったシンボリクリスエスに対するものよりも大きかったかもしれない。
サッカーボーイの後継種牡馬として期待されて種牡馬入りしたのであるが、種牡馬入り3年目に死亡。少ない産駒からベッラレイアのような重賞勝ち馬を出しているので、期待出来ただけに、非常に残念である。
菊花賞には勝っているし、世界レコードだって出している。重賞7勝、酷量60kgを背負って重賞勝ち[3]、GIIを5勝はメジロマックイーンと並ぶ当時の最多勝記録[4]だ。並みのGI馬でなかったことは間違いない。
しかしながら、とにもかくにも、どうしようもなく、徹底して勝ち運から見放された馬だった。濡れた馬場が苦手なのにやたら雨を呼んでしまったり、中山競馬場が苦手なのにルール変更や東京競馬場改修工事の影響でやたらと中山で走らされたり、ステゴに突き飛ばされて不調で走れなかったり、それ以外でも出るレース出るレースでオペラオーに遭遇したり、あまりにも芸術的な運の無さだった。ちなみに雨と中山を苦手としたのは大跳びのストライド走法が原因。こう見ると、むしろ弥生賞はよく勝てたものだと思える。
沖師と渡辺騎手に言わせれば、全盛期は年間未勝利だった4歳から5歳春にかけて(要は落馬事故まで)。GIIを3勝もした6歳時には既にピークを過ぎており前年までのようなガツンとくる手応えは失われていたとのこと。沖師は良かった時期に良馬場の東京競馬場で競馬をできなかったことが心残りだという。なんという巡り合わせの悪さだ。
輝く栗毛に筋肉隆々の馬体はパドックや写真で物凄く見栄えがする馬であった。ほぼ文句無くテイエムオペラオーやメイショウドトウよりも良い馬体であったと言って良いだろう。しかしながら戦績やレースに行っての底力では、その二頭に一枚も二枚も劣ると言わざるをえない。馬って馬体だけじゃ無いんだなぁ、と教えられた競馬ファンも多かったことだろう。
大きな故障は一度もせず、条件が合ったレースでは好走する馬で、苦手だった中山・道悪と落馬による競走中止を除けば常に3着以内をキープした。何気に賞金も10億円近く稼いでいる。この額はテイエムオペラオーにこそ遥かに届かないものの、先に引退したメイショウドトウを上回る歴代6位の記録だった。GI 1勝馬としては、ステイゴールドに次ぐ額であり、国内に限れば最高記録だった[5][6]。何とも馬主孝行な馬であった。
渡辺薫彦は全30戦中25戦に騎乗。この頃の渡辺騎手は未熟な若手でしかなく、正直、もっと良い騎手が乗るべきだという意見も強かった。しかしこのコンビと、テイエムオペラオーと和田騎手のコンビが、アドマイヤベガと武豊に挑み、苦しみながらもそれぞれクラシックを勝ち取った様は清々しいものであった。最近は若手がGIで花を咲かせる場面をあまり見ない。外国人ばっかりではなく、若手騎手を素質馬に乗せてあげて欲しいものである。特に社台の馬……。
栗毛大流星のグッドルッキングホース。1991年レオダーバン以来の父内国産馬の牡馬クラシックホース。父に似ず性格も良かったようだ。惜しいレース続きが多くのファンに愛されたナリタトップロード。直線入り口からこの馬だけを見ていたおかげで、レースの勝ち馬が分からなくなったファンも多い。
日付 | 競走名 | 格付け | 開催競技場 | 距離 | 天気 | 馬場 | 騎手 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1998年(旧3歳) | |||||||||||
1 | 1998/12/5 | 3歳新馬 | 阪神 | 芝2000 | 雨 | 稍 | 渡辺薫彦 | 11 | 1 | 2 | |
2 | 1998/12/27 | 3歳新馬 | 阪神 | 芝2000 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 13 | 1 | 1 | |
1999年(旧4歳) | |||||||||||
3 | 1999/1/10 | 福寿草特別 | 500万下 | 京都 | 芝2000 | 曇 | 良 | 渡辺薫彦 | 15 | 3 | 3 |
4 | 1999/2/7 | きさらぎ賞 | GIII | 京都 | 芝1800 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 15 | 2 | 1 |
5 | 1999/3/7 | 報知杯弥生賞 | GII | 中山 | 芝2000 | 雨 | 稍 | 渡辺薫彦 | 15 | 2 | 1 |
6 | 1999/4/18 | 皐月賞 | GI | 中山 | 芝2000 | 雨 | 良 | 渡辺薫彦 | 17 | 2 | 3 |
7 | 1999/6/6 | 東京優駿 | GI | 東京 | 芝2400 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 18 | 1 | 2 |
8 | 1999/10/17 | 京都新聞杯 | GII | 京都 | 芝2200 | 曇 | 良 | 渡辺薫彦 | 18 | 1 | 2 |
9 | 1999/11/7 | 菊花賞 | GI | 京都 | 芝3000 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 15 | 3 | 1 |
10 | 1999/12/26 | 有馬記念 | GI | 中山 | 芝2500 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 14 | 4 | 7 |
2000年(旧5歳) | |||||||||||
11 | 2000/2/20 | 京都記念 | GII | 京都 | 芝2200 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 11 | 2 | 2 |
12 | 2000/3/19 | 阪神大賞典 | GII | 阪神 | 芝3000 | 曇 | 稍 | 渡辺薫彦 | 9 | 3 | 3 |
13 | 2000/4/30 | 天皇賞(春) | GI | 京都 | 芝3200 | 曇 | 良 | 渡辺薫彦 | 12 | 2 | 3 |
14 | 2000/10/8 | 京都大賞典 | GII | 京都 | 芝2400 | 曇 | 良 | 渡辺薫彦 | 12 | 2 | 2 |
15 | 2000/10/29 | 天皇賞(秋) | GI | 東京 | 芝2000 | 曇 | 重 | 渡辺薫彦 | 16 | 3 | 5 |
16 | 2000/12/2 | ステイヤーズS | GII | 中山 | 芝3600 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 11 | 1 | 4 |
17 | 2000/12/24 | 有馬記念 | GI | 中山 | 芝2500 | 晴 | 良 | 的場均 | 16 | 3 | 9 |
2001年(現5歳) | |||||||||||
18 | 2001/2/17 | 京都記念 | GII | 京都 | 芝2200 | 晴 | 良 | 的場均 | 14 | 1 | 3 |
19 | 2001/3/18 | 阪神大賞典 | GII | 阪神 | 芝3000 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 12 | 1 | 1 |
20 | 2001/4/29 | 天皇賞(春) | GI | 京都 | 芝3200 | 雨 | 良 | 渡辺薫彦 | 12 | 2 | 3 |
21 | 2001/10/7 | 京都大賞典 | GII | 京都 | 芝2400 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 7 | 2 | 中 |
22 | 2001/11/25 | ジャパンC | GI | 東京 | 芝2400 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 15 | 5 | 3 |
23 | 2001/12/23 | 有馬記念 | GI | 中山 | 芝2500 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 13 | 4 | 10 |
2002年(現6歳) | |||||||||||
24 | 2002/2/16 | 京都記念 | GII | 京都 | 芝2200 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 9 | 3 | 1 |
25 | 2002/3/17 | 阪神大賞典 | GII | 阪神 | 芝3000 | 晴 | 良 | 渡辺薫彦 | 9 | 1 | 1 |
26 | 2002/4/28 | 天皇賞(春) | GI | 京都 | 芝3200 | 曇 | 良 | 渡辺薫彦 | 11 | 1 | 3 |
27 | 2002/10/6 | 京都大賞典 | GII | 京都 | 芝2400 | 曇 | 良 | 四位洋文 | 8 | 1 | 1 |
28 | 2002/10/27 | 天皇賞(秋) | GI | 中山 | 芝2000 | 晴 | 良 | 四位洋文 | 18 | 2 | 2 |
29 | 2002/11/24 | ジャパンC | GI | 中山 | 芝2200 | 曇 | 良 | 四位洋文 | 16 | 2 | 10 |
30 | 2002/12/22 | 有馬記念 | GI | 中山 | 芝2500 | 曇 | 稍 | 渡辺薫彦 | 14 | 4 | 4 |
サッカーボーイ 1985 栃栗毛 |
*ディクタス 1967 栗毛 |
Sanctus | Fine Top |
Sanelta | |||
Doronic | Worden | ||
Dulzetta | |||
ダイナサッシュ 1979 鹿毛 |
*ノーザンテースト | Northern Dancer | |
Lady Victoria | |||
*ロイヤルサッシュ | Princely Gift | ||
Sash of Honour | |||
*フローラルマジック Floral Magic 1985 黒鹿毛 FNo.18 |
Affirmed 1975 栗毛 |
Exclusive Native | Raise a Native |
Exclusive | |||
Won't Tell You | Crafty Admiral | ||
Scarlet Ribbon | |||
Rare Lady 1990 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah | |
Lalun | |||
Double Agent | Double Jay | ||
Conniver | |||
競走馬の4代血統表 |
掲示板
195 ななしのよっしん
2024/01/02(火) 12:55:09 ID: 7p8wzj0mjL
宝塚に一度でも出ていたらどうだったのかは気になるところだ
00年は無理そうだけど他の年はチャンスあったかもしれないよね
196 ななしのよっしん
2024/01/07(日) 09:27:01 ID: aBwyCh7DX+
出なかったということはノーチャンなんや…悲しいけど
何故なら「もしも」は当時の馬の数だけ無数に存在するから
この馬だけ自分に都合の良い「もしも」を加えた地点で詮無い話だ…
出て欲しかったのはそうだがこの馬が重たい馬場苦手なのは周知の事実で距離も短いから梅雨の時期は避けたいと調教師が言っていたのを俺は正しいと思うよ…
197 ななしのよっしん
2024/08/27(火) 05:21:41 ID: 9Aqsl6A0RD
日高町で赤い羽の募金の返礼として500円募金するとナリタトップロードのピンバッジが貰えるとの事。
日高町限定なだけにこっちも欲しい。
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/21(土) 22:00
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