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天下統一の概念について

下」という概念はもともと中国から来ています。日本では飛鳥時代奈良時代げながら使われてましたが、その後平安時代になりれ、鎌倉時代源頼朝が「下の創」とったことから、武政権の中では下という言葉が重要視されてきました。

では、「」とはなんなのか?と書きますが、これはWikipedia歴史では
為政者及び支配者の支配領域」であり、これは日本よりも本家中国中国史のほうがわかりやすいでしょう。
そして「天下統一」とはなんなのか?それは「支配領域における政局を正統な地位で一本化する」ことであり、
こちらも日本より本家中国中国史の方がわかりやすいかと思われます。

天下統一≠全国制覇、日本統一の根拠 (日本国領土の変遷)

これは歴史研究において、散々言われておりますが、「」というものは「日本」というものではありません。これはなぜかと言われると「日本というの領域は、時代によって変わる」という大きな理由があるからです。これは日本史を年表で見るとすぐわかります。(全て検索すると出ます)

」とは?「日本」とは?

従わない者がいる≠天下統一ではない

これは実に簡単な話です。なぜなら「体制に従わない者がいない」国家は厳密には存在しないからです。現代日本では千島列島竹島日本の支配から離れ、沖縄では一部の人間独立を持ちかけています。これをもって「日本というは統一国家の体をなしていない」というのはただの頭のおかしい人です。

戦国時代に話を戻します。豊臣秀吉は1590年に下を統一しました。しかしその後も反乱は起こっています秀吉によって権益を奪われた人物達が反乱を起こし、それぞれ葛西大崎北一仙北九戸政実の乱と呼ばれる反乱を起こしました。そして秀吉の死後、関ヶ原の戦いと呼ばれる石田三成らを中心とする豊臣政権体制側への反乱が起きました。

では、これをもって「豊臣政権は下を統一した中央政権ではない」と言えるのでしょうか。もちろん言えません
これは大坂の陣原の乱が発生した徳政権にも全く同じことがいえます

さらに話を戻し、本来天下統一」「下」のとなった中国を向けます。中国における統一王はそれぞれ「」「殷」「」「前漢」「後漢」「」「隋」「唐」「元」「清」などがあります。他にも明などが有名ですが、面倒なので同時代の中国周辺に他の王がない統一王に絞りました。ですが、これらのの支配領域は全て違います

例をあげれば強大とされる「元」ではチベット地区や高麗地区まで領域となっておりますが、後漢はこれらの領域を支配できていません。しかし、これをもって後漢下を統一できていない」というのは当然誤りです。ちなみに最初の統一王である天下統一期間はわずか10年足らずです。もっというと前漢から簒奪した外戚の王莽が建てた新王は、最初期から反発や反乱が発生していましたが、天下統一を成し遂げた統一王です。

これら豊臣・徳・ひいては日本中国の王朝の「下」「統一」を考慮した上で、織田信長天下統一を見た時、はたして上杉景勝を始めとする一部の反乱だけで「織田信長天下統一できていないと言えるのか、甚だ疑問であります

敵対した当の上杉景勝自身、織田信長を「日ノ本六十余州」と表現している時点で、答えはでているのでは?

…就中勝好時代出生、携箭、六拾余州以越後一相支、遂一戦可滅亡事、死後之思出、
勝幅ニ者甚不相応歟、若又出万死、一生者、日域無双之可為英雄歟、死生之面
歓悦下之誉、人々其羨可為巨多歟、兼者常州之儀、頼朝来承伝…

                (佐竹古文書 上杉景勝書状 1582年5月朔日 抜) 

大事なのは、政権や勢の支配強弱と下の統一は全く別物ということである。信長の築いた政権は、確かに秀吉家康が築いた政権よりも脆弱である。しかしそこから勝手に逆算してその偉業まで消し去るのはあまりに配慮のない話ではなかろうか?

ティムールやアレキサンダー、ナポレオンを「築いた帝国(政権)がすぐに衰退したからその偉業意味」なんて評する人はまさかいないだろう

天下静謐と織田信長・豊臣秀吉の天下

下=畿内という発想は、16世紀においては半分正しく半分が誤りである。織田信長の中では畿内=だったのである。これは信長に限ったことではなく、当時の共通認識であったと歴史研究では金子氏らによって述べられている。殊に、織田信長の「下布武」における下は畿内をし、畿内安寧をもって足利義昭とともに上した、というのは定説化されており、恐らく議論の余地はないだろう。そしてこれは、足利義昭の上をもってされている。

しかし、その後織田信長は「下布武」より先の「下静謐」を志しはじめる

まず、「下静謐」のルーツは何か?概念的には諸説あるが、一般的には室町幕府代将軍である足利尊氏の祈祷文がルーツとされている。ここで足利尊氏ははっきりと「下静謐」を願ったのである。

さて、戦国時代下静謐となる文言が残された資料いくつかある。ここでは有名な2つを出すことにする。

下御静謐の条、禁中の儀、毎度油断あるべからざるの事

十三年(1570年) 織田信長から足利義昭へ 殿中御掟追加

就勅定染筆、仍関東不残州果被任倫命、下静謐処、九州楯儀以下略)」

十三年(1585年) 羽柴秀吉から島津義久へ 惣島津文書

下静謐」という文言は、足利尊氏から使われ、この概念と言葉が受け継がれて織田信長豊臣秀吉に続いており、彼らの天下統一政策でも重要な認識としてあったことが明らかである。

織田信長下静謐という文言を使い始めたのは、永十三年(1570年)からであるとされている。この年、信長三好義継朝倉義景を始めとする、俗に言う信長包囲網と呼ばれる敵との戦いの最中であった。下布武を標榜し、将軍を元に畿内安寧をはかる信長の構想は、転換を余儀なくされた。これが下静謐の志を抱くきっかけになったと言われている。

しかし、正元年(1573年)に、足利義昭織田信長が本格対立し、信長が義昭を追放して幕府を滅ぼすという事件が起きる。これにより、織田信長下静謐の担い手である将軍を失ったのである。金子氏をはじめ、この時点あるいはその後に「信長下に対する概念が変わった」、すなわち、従来の下=畿内の認識をめることになった、とされている。

さて、ここで下静謐」の文言がある豊臣秀吉の惣にも触れる。惣とは、またの名を平和とも言われ、大名間の私闘を禁じたものである。諸説はあるが秀吉豊臣政権の確立天下統一に大きく貢献したものであるとされている。

しかし、秀吉の惣が最初に行われたのは多賀重経にあてた書状から、正十二年(1584年)のこととされている。もちろん秀吉は、関白にもなっていなければ、豊臣政権もできていないにも関わらず秀吉は惣を出したのである。

必然、気になるのは、秀吉が何をバックボーンとして惣を出したかである。その根拠は、羽柴秀吉ではなく徳川家康の書状に記されている

「(中略)、異議者、落着、其付信長如御在世之時、各由、氏直へ申理(以下略)」

正十年(1582年)10月28日 徳川家康から水谷伊勢守(水谷勝俊)宛 徳川家康書状写

この書状は、徳川家康が惣について初めて述べたものとして著名であるが、ここにおいて大事なのは、家康織田の体制の中にあること、そして織田信長が惣を出し下の安寧化を実行したということである。

必然、秀吉天下統一政策において重要視した、惣バックボーンについても、当初は織田政権背景にしたものであることが明らかとなっている。このあたりは秀吉家康関東外交や惣について詳しく書かれている宮川氏、谷口氏の歴史見解が詳しいと思われる。

織田信長下=畿内を中心としたものという説に関しては、当初は正しいものであったが、時代が進むに連れて誤ったものとなった、というのが現状に即しているだろう。このあたりは金子氏、桐野氏の歴史見解が詳しい。

そんなのおまえの「個人見解」だろ?

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そもそも下=当時の日本本州九州四国など)という概念は、豊臣秀吉本人が否定している。

秀吉の唐入り計画の書状や、亀井茲矩の官職(琉球守、台州守)は非常に有名な話。
当時は琉球や台州(台湾)だけではなく、朝鮮日本の麾下という認識があった。
背景には朝鮮対馬宗氏の丁未条約による誤解やすれ違いがあり、秀吉の唐入りが実行された
後も、それは続いていくことになった。このあたりは「やる夫が徳川家康になるようです
その21話「沈みゆく日輪」が丁寧に書かれている。(宣伝)

今日常識と当時の常識ははたして同じなのか?

秀吉も天下統一をしていない?

これは全くの逆である秀吉がやっていないのは、天下統一ではなく日本統一という部分である。
当たり前だが信長家康もやっていない。繰り返すが、下というものは為政者の支配領域が及ぶ範囲
ことであって、日本全土のことではないのである。ちなみに現代日本もやっていない

現代日本では、日本の全領土を本州北海道四国九州沖縄とその付属領土とされており、この中には北海道北方領土島根県竹島も含まれている。しかし、現在両領土は日本政府の支配下にない竹島大韓民国北方領土ロシア連邦が実効支配している。

簡単に言えば、北方領土竹島は「日本」には含まれるが、「下」には含まれていない。(一応返還要はしているが)

琉球台湾夷・朝鮮なども当時、これと同じことが言える。

衛星国(衛星勢力)の概念

衛星とは、宗(宗)に追従しながら、半独立で動く国家のことである。概念自体は似たような言葉で昔からあったが、1944年イギリス首相チャーチルが「地球(宗)の周りを回る衛星」と擬えたことにより、今日一般的な概念となっている。

戦国時代に話を戻す。戦国時代徳川家康織田信長衛星であった。家康独立した大名として地位を築き、織田信長と同盟関係を結びながらも、織田信長軍事行動に協し、その都度信長のために兵を率いて参している。晩年に行けば行くほど、信長家康の関係は君と臣のそれに近い状態になったが、厳密には微妙に異なるのである。(ちなみに逆パターン浅井長政長宗我部元親である。)

しかし、この話は何も信長家康の関係に限ったことではなく、戦国時代のみならずままあることであった。しかもどこからどこまでが衛星で、どこからどこまでが臣というのは区分が非常に難しい衛星(勢)は宗(宗)のが弱くなると、離反したり独立したりした。逆に、宗たるや勢パワーが強いと衛星たるや勢が進んで下に入り、自らの地位保全や益安堵と引き換えにすることがままあった。

モンゴル帝国などのように、勢範囲が広がれば広がるほど、衛星衛星国家など、緩やかな支配体制が築かれることになるが、歴史研究などでは基本的に衛星国家衛星は宗国家、宗の支配下として扱われることが多い。(ナポレオン研究が代表的である。)

正十年(1582年)6月1日織田信長下はどこからどこまでか?日本の歴史における天下統一政権とべて実権に差はあるのか?ゲームメディア思い込みではなく歴史見解ではどうなっているのか?

俗説・講談を嫌う?

このユーザー記事で「通俗・講談を嫌いすぎている」という話が出たので、ついでにこれも記述しておく。正直、好き嫌いどうこう言われると、別に嫌いではない。モノによるといったところである

例えば有名な俗説などでは「徳川家康三方ヶ原ウンコを漏らす」などがある。徳川家康武田信玄三方ヶ原の戦いで敗れた際、恐怖した家康が焼き味噌脱糞し、臣に笑われたというもの。逃げる時にもタダ飯食ってババアに追われたなど、ユーラスエピソードは結構ある。

が、こういうエピソードはあくまでネタであり、またネタにならず他人が不快になるものもある、ということが結構ある

こちらも例をあげる。永三年(1560年)、今川義元織田信長を攻めた際、織田の弱兵を不甲斐なく思った今川義元は、既に勝ったと思い敵地どん中の田楽狭間で宴を行った。付近の農民達が一様にこぞって歓迎し、ガンガン今川兵に与え、すっかり酔っ払って油断した。そこを織田信長に突かれ、哀れ義元はマヌケにも織田の策略にかかって討死した。これが桶狭間の戦いだ、というものである

こういった類の話はネタと言う名で人物を卑下することがあり、扱いには注意が必要である。

ちなみに、俗説や講談の類の弊については、現代社会の方がよくわかりやすいゴシップ誌の俗説によって著名人風評被害を被るのは現代では常となっており、昨今ではまとめブログSNSもあって、よりそういう話が拡散みにされやすくなった。

一応名前せるが、某二刀流アスリートの俗話について「先輩悪口で言っていた」とか「札幌風俗で女遊びをしていた」という与太話が拡散された時、その信者が非常に多くの誹謗中傷を受けたということもある。

偽の程や人格議論はともかくとして、当人は笑いやネタのつもりでも、他の人にとっては一方的悪口や罵倒に見えるということは多々あり、特に人物評についてのネタは避けた方がいいというのが持論である。

対話を拒否するな

一応見た時に時間があれば返信してます(小
毎日その記事見ているわけではないのでその辺はご容赦ください
というか「遅えなコイツ何やってるんだよ」とか思った時は見てない時が多いので
勝手に書き換えちゃってください。こっちも違和感感じる部分は調べて書き加えます。
むしろ「これでいい?」「こうでいい?」と聞かれるとマジレス長文オッスオッスするので嫌なら聞かないでください。

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77 西崎慧文斎
2017/01/30(月) 16:46:03 ID: 88DIpBLesQ
私はこれまで基地外だなんて一言も言ってないのに、あれこれと話を大きくするのがお好きなようで。

全国統一という表現に関しては、金子先生および谷口先生の文献でそのように表現されていたため、そのまま用いてしまいました。これにより混乱を招いたのであれば、そこはお詫びいたします。
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78 西崎慧文斎
2017/01/30(月) 16:47:52 ID: 88DIpBLesQ
しかし同時に、両先生とも「下という概念は結構曖昧」という事に言及しており、その上で著作中では「全国統一」「日本の統一」という表現を使用しています。金子先生の場合は「敢えて天下統一という言葉を使わなかった理由」とわざわざ説明付きで述べています。

そうした説明が必要であると考えられて、実際>>74で疑問が挙げられているように、世間一般的に天下統一全国統一を別の定義としては考えられていないのが現実なのかと私は考えます。
もちろん歴史学界的にはそこを分けて考える必要があるのでしょうけど、ここは学界ではなく広く一般に説明する百科事典なので、「天下統一全国統一は別」という断りなしに話すのは乱暴すぎると感じます。

「楽でええ身分」だとか「狂気の沙汰」だとか散々な言われようですけど、記述に質問疑問がある以上は質問させていただきます方の考えでは「織田信長天下統一はした。全国統一はしていない」という事で宜しいでしょうか?
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79 西崎慧文斎
2017/01/30(月) 17:24:23 ID: 88DIpBLesQ
失礼しました、>>67で根拠を提示していただいた事についてのお礼が抜けていました。ありがとうございました

ただ、>>70と同様の疑問を私も抱きました。
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80 ななしのよっしん
2017/01/30(月) 19:18:22 ID: htbEleNZ0J
>>78
別に質問すること自体は特に何も問題にしていない
こっちが問題にしているのは、ちゃんとこちらが答えているにも関わらず
人を変人奇人扱いすることだ。今自分で「散々な言われよう」と言っているじゃないか。
こっちに言うときは意にも留めないで自分が言われたら嫌だと言うのはおかしいだろ
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81 ななしのよっしん
2017/01/30(月) 19:25:17 ID: htbEleNZ0J
>>下という概念は結構曖昧

それに関しては既にこちらも把握しているし、これに関しては自分もそうだと思っている。

>>全国統一という表現を優先

ただこれに関しては自分としては氏の意見に反対だな。そもそも
政権自体曖昧な根拠の元に成り立っており、結局積もり積もって
幕末の尊王攘夷運動や討幕運動に繋がっている。「曖昧な意義を持つ武政権と下」を
近代以降の厳格的な一元支配を意味する「全国統一」で表してしまうのは史実からも逸脱しかねない。
そもそも「全国統一」の概念で言えば、武政権どれをとっても「やっていない」で終わってしまうので
全くれないというのもある。「曖昧な武政権」だからこそ「曖昧な天下統一という概念」の方がりやすくもある。
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82 ななしのよっしん
2017/01/30(月) 19:31:52 ID: htbEleNZ0J
>>世間一般的に天下統一全国統一を別の定義としては考えられていないのが現実
>>「天下統一全国統一は別」という断りなしに話すのは乱暴すぎると感じます

戦国時代の関係する史料などでたまに言及されているが、知らない人がいるというのも確かに一理ある
おいおい時間がある頃に色々と説明文を追加したり善処しようと思う

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83 西崎慧文斎
2017/01/31(火) 21:19:08 ID: 88DIpBLesQ
秀吉包囲網」の掲示板>>142で、あまりにも不適当と言わざるを得ない発言がありましたので、こちらでも警告させていただきます

自分の気に入らない構成や内容に編集されたなら、記事の存在する意味がない、記事削除も考える。というのは大百科私物化と言われても仕方ないくらいの発言です。
もし実際にそのような行動を行った場合、編集権停止などの重い処分を申請することも検討せざるをえません。
自重ください。
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84 ななしのよっしん
2017/01/31(火) 23:24:34 ID: INFaN161Cw
ここはあんただけの物じゃねえんだわ
消滅なんて考えるぐらいなら出てってくれないか
あんたは多方面で迷惑かけてるから辞められてもも困らんわ
特に歴史クラスタはな
その程度の存在であると自覚しろよ。Wikipediaとか他来られても役に立てん
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85 ななしのよっしん
2017/02/03(金) 21:00:09 ID: htbEleNZ0J
そうですかw
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86 西崎慧文斎
2017/02/14(火) 21:16:06 ID: 88DIpBLesQ
秀吉包囲網掲示板で述べたのですが反応がいので、こちらにも書きこんでおきます。

過去関白の記事でも摘されていたかと思いますが、他の記事の見出しへリンクを貼る際は「何番の見出し」へのリンクは避け、アンカーの利用をお願いします。
今後リンク先の記事が編集される事で、見出しの順番が変わったりする事はあり得ますし、そうなってもリンク元の方が気付くとは限りません(もちろんリンク先の方はリンクが貼られているとは分かりません)。
そうなると、本来の意図とは異なる見出しに飛んでしまうようになってしまいます。ですので、リンク先の方にアンカーを埋め込むなどしてください。
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