御童カズヒコ単語

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ミドウカズヒコ
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御童カズヒコ(みどう かずひこ)」とは、第28回講談社漫画賞児童部門を受賞した「ウルトラ忍法帖シリーズで知られる漫画家である。

人前で話をするのが大の苦手。緊しちゃってダメです^^
サイン会とかも理w
その上、男子校出身なので女性と話をするのも苦手。
が入れば気なんだけどねえ^^

御堂カズヒコと誤記される事がある。

概要

1961年12月17日静岡県伊東市で生まれた後、福島県を経て宮城県に移った為、出身地は宮城県仙台市としている。

東北学院高校の頃から漫画を描きはじめ、東京デザイナー学院に進学する為に上京
は、全日本硬式空手道連盟第2代会長を務めた剛武空手千葉二郎」な為、の後継者とされていた中での上京だったが、実は「漫画なんかじゃ飯が食えなくてすぐ実家に戻ってくる」と考えていたとの事。

東京デザイナー学院中退後の1981年友人との共同名義「フジオ・カズヒコ」で描いた漫画「らんちきDAY by DAY」を小学館少年ビッグコミックに掲載して漫画家デビューを果たすも、翌1982年友人が就職した為コンビを解散。「御童カズヒコ」として少年ビッグコミック増刊号にて「かってにシティー」を発表してピンの漫画家として再デビューし、少年ビッグコミックにて「風雲フレフレ丸」を、少年ビッグコミック増刊にて「おセンセーショ」「パンティーちゃんSOS」「Lastぱんくヒーロー」「スクールロック」の読み切り作品を発表した。

※ピンの漫画家として再デビューした際のペンネーム「御童カズヒコ」は、漫画家永井豪」の作品に登場する「身堂」の名字を、漫画家の「御厨さと美」と歌手俳優の「宇崎童」の名字漢字に置き換えたもの。

1983年以降は講談社週刊少年マガジンマガジンSPECIALにて、「グーチョキパー」「らじかるDreamin’」「いただきます!!」「あくまでデブル」といった得意のラブコメギャグコメディ作品を連載した。

その後は、えっち漫画ゲーム雑誌に漫画を描きつつ、講談社コミックボンボンを中心に活動するようになり、同誌にて「にくったらシェリフ」「元祖温泉ガッドンバ」を連載後、1991年より自身の代名詞的作品となる「ウルトラ忍法帖シリーズの連載を開始した。ウルトラ忍法帖は「疾風 ウルトラ忍法帖」「ウルトラ忍法帖 寿」「ウルトラ忍法帖 」「ウルトラ忍法帖 」とタイトルを変えつつ13年に及ぶ連載となった。

以降はウルトラ忍法帖シリーズ行してデラックスボンボンにて「がぎぐげゴジラくん」「大貝獣物語」を掲載しつつ、「須王マンボの介」名義でコアマガジン社の「アリスクラブ」などでロリ主人公にしたコメディ漫画を発表した。

2001年には、コミックボンボンにて得意のSFコメディ作品「電光石火ニトロ」を連載。2008年にはマガジンZ編集部がYahoo!コミックで展開したWebコミックヒーロークロスライン」にて「ウサ探」を連載した。

その後は50代をこえて漫画家として活動しつつ、2018年5月18日円谷プロの意向で電子版の配信が停止した「ウルトラ忍法帖シリーズの再配信を希望し、食がんが肝臓に転移したステージ4の病身をおして尽力。2024年8月29日より電子書籍版が順次再配信された。

しかし、代表作「ウルトラ忍法帖シリーズの再配信開始から数日後の2024年9月4日、闘病を続けていた食ガンにより永眠した。享年62歳。

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1 ななしのよっしん
2024/11/02(土) 14:37:09 ID: 1Dxcf7yyg/
この人、帯ひろ志池原しげとの3人がオタクじゃなく昔のキッズ向けだった頃の画を忠実に守ってた最後のボンボン世代って感じ
これ以降はほるまりんを除いてモダンな画作家立つ様になってボンボンという名のマガジンZと化していった様な憶えがある
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2 ななしのよっしん
2024/11/23(土) 10:32:21 ID: kBG7+xEEwK
エロいギャグ漫画描いてたのに、本人も含めて実家は実績ある空手一族だったんだな……。
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