自転車ロードレースにおけるドーピングの歴史単語

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この記事では、自転車ロードレースにおけるドーピング事件について解説とともに列挙する。

まず、これを見て欲しい。

この表が何を意味しているか分かるだろうか。

世界最高の自転車競技ツール・ド・フランス
その1996年から15年間の総合トップ10の選手たちにまつわる表なのだが…

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位 9位 10位
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年

記事タイトルから察せてしまう方も多いだろうが、

実は色のついているのは、ドーピングしたことのある選手の順位である。

  • で塗られているのは、ドーピングが認められ成績を剥奪された選手。
  • で塗られているのは、選手キャリアの中でドーピングによる制裁を受けたことがある選手。
  • 黄色は、制裁を受けたことはなかったが後にドーピングをしていたことを認めている選手。
  • ※印は同一人物で、ドーピング疑惑の捜の途中で、慈善団体への多額の寄付と引き換えに捜を打ち切って貰った選手である。

……多くねぇ?

つまり、1996年-2010年の15年間で、ツール・ド・フランスの総合優勝者(繰り上げを含まない)のうちドーピングシロなのは2008年覇者[1]たった一人である。

2005年に至っては、総合トップ10のうち、3人が成績剝奪、5人が制裁を受けたことがあり、シロなのは2人[2][3]だけ。

もちろん、黄色は「現役中一度でも」ドーピングをしたことがある選手であるから、ツール・ド・フランスのこの成績をおで得たとは限らないのだが、そういう問題ではないことは明らかだろう。

たった15年前まで、ロードレースはドーピング天国だった

自転車競技におけるドーピング問題は非常に根深い。どれくらい根深いかというと、「どれくらい根深いか」の説明のために挙げる例を何にしようか多すぎて困るほどである。箇条書きでいくつか挙げるなら、

といった具合。かつての自転車ロードレース界がいかにドーピングまみれだったかが理解できるのではないだろうか。

2020年代の今となってはさすがにドーピングは息を潜めつつあるが、このトラウマは根深く、ちょっと強い選手ならドーピング疑惑はいわゆる有名税のようなもので、受けて当然という扱いである。

歴史

前史

ドーピング自体が禁止されていなかった時代は、あまりドーピングの身体への有さが意識されなかった時代でもある。禁止どころか、厳しいレースを生き抜くために必要だとさえ考えられていたのである。これにはそもそも依存性や副作用のない痛み止めや疲労回復手段そのものが乏しかったという技術の発達の問題が背景にあるため、現代とはあまりにも状況が違うことは念頭に置いておかなければならない。

また、違法でないということは手段としてアリということでもあり、ドーピングを後ろめたいものだと考えること自体が非常にしい発想だった。例えば、第二次世界大戦直後の最強ライダーで、グランツールを7勝して「チャンピオンの中のチャンピオン」と呼ばれたファウスト・コッピは、インタビューで「自転車選手がアンフェタミンを使っていないと思ってるらとは、サイクリングについて話す価値がい」と言い切っている。

しかし、そういったの乱用がもたらす悪はしばしば表沙汰になった。

違法化

そんな中、ツール・ド・フランスドクターであったピエール・デュマの尽力によりドーピングの危険性が認知され始め、1965年フランスで初めての反ドーピング法が可決され、パフォーマンス向上の使用が禁止となる。これを受けツール・ド・フランスでも翌1966年からドーピングが始まったのだが……。

などの問題があったこと、何よりパフォーマンス向上の禁止は個人の自由の侵であるとほとんどの選手が考えていたことにより、「ドーピング=政府による弾圧」という構図が出来上がってしまい、多くの選手が検を拒否した。その中核にいたのが当時最強のライダーで、1961年から1964年までツール・ド・フランス4連覇を飾ったジャックアンクティルだった。彼は、「自転車選手がだけで走れると思うのは愚か者だけだ」と然と物使用を認め、反ドーピング法にも強く反対していた。一方、彼の強力なライバルとして知られたレイモン・プリドールは逆に検を歓迎しており、ツール・ド・フランスでのドーピングを最初に受けた人物でもある。プリドールらが検を受けた翌日、検に反対する選手達は抗議の一環としてレースゆっくりしか走らない事実上のストライキを実行した。プリドールストライキに参加せず後方でストライキを見守るだけだったが、これによって彼は仲間からの信頼を損なったという。[6]

しかし、そういった選手間の雰囲気をよそに、世間のドーピングに対する忌避感は強まっていくことで、選手たちも襟を正さざるを得なくなっていく。そのきっかけになったのが、トムシンプソン事件だった。

1965年世界選手権の覇者で、現在で言うモニュメントも3勝するなどして当時のイギリスリーダーであったトムシンプソンが、1967年ツール・ド・フランス第13ステージ、難所モン・ヴァントゥーの登りでジグザグにフラつき出したかと思うと転倒、帰らぬ人になってしまったのである。死因については様々な憶測が上がり、契約に関する問題で精神的に追い込まれていたことや、猛暑による熱射病などとされたが、後に体内からアンフェタミンアルコールが検出され、ドーピングも含めたあらゆる要素が組み合わさって致命的な原因になってしまったのだった。イギリス英雄の死は非常に大きなショックを与え、倒れた地点の近くに建てられた記念碑には今も巡礼者が絶えないほか、ドーピングによる悪を多くの人がはっきりと認識するようになっていった。

その後、ドーピングへの規制は強まる……が、それで選手たちがドーピングをやめるかというとそんなことはなかった。に引っ掛からない新を探し、尿は他人の尿でごまかす。厳しくなる検を何とかして乗り切ろう、という、いたちごっこの時代が始まっていくのである。

この時代、ドーピングでよくあるのは、に二種類。一つはよくイメージされる物のドーピングである。1970-80年代になると、コカインモルヒネアンフェタミンといったドーピングじゃなくてもアウトシロモノは流石に鳴りを潜め、代わりにステロイドの使用が流行。本来は体内で自然にされるホルモンを外部から摂取することで通常以上の筋合成を促すもので、陸上ベン・ジョンソンが使っていたドーピングでもある。

もう一つは、血液ドーピングである。これは物ではなく、あらかじめ抜いていた血を競技前に自分自身の体内に戻すことによって、赤血球の絶対量と濃度を増やし、酸素運搬力の向上を狙うものであった。1985年になってIOCが禁止としたが、まだ技術が進んでおらず、検方法が確立されていなかったため、爆発的に流行したとされる。

EPOの時代

1990年代に入り、規制規制逃れのいたちごっこに、悪い意味で革命をもたらしたのがEPO、エリスロポエチンという物質だった。腎臓から分泌される糖タンパクであるEPOは、造血幹細胞赤血球になるまでのプロセスに関わるいわゆる造血因子で、たく言えば、EPOは赤血球を増加させる機を持つということになる。

つまり、先述の血液ドーピング同様、合成EPOを外部から摂取することで、赤血球を増やす=筋肉への酸素運搬力が向上するため持久力が高まる効果がある。厄介なのがEPOは体内で自然に生成され、その量は人によって異なること。つまりEPOや赤血球異常に多いことが判明しても、「そういう体質」と言いってしまえる。[7]そして自然生成されたEPOと外部から摂取した合成EPOとの区別が非常に困難だったことである。このため多くの選手がEPOに手を出したが、赤血球濃度が増えるということは血漿の割合が減り、血液度を増すということであるため、高血圧血管が詰まるリスクがあった。一説によれば、1987年から1991年の間に18人ものヨーロッパプロ自転車レーサー死亡しており、それにEPOの副作用があったのではないかと言われている。

最も厄介なのが、先述の事情のために、EPOには有効な規制手段を打てなかった事である。つまり検側としては手の出しようがなく、ドーピングしてでも勝ちたいのか?」という倫理の問題に訴えることしかできなかった。しかもその倫理的な訴えも、「規制されていない以上、勝利の為なら使えるものは全て使って当然」という考えのもと多くの選手に使われていた当時の状況下では効果がかった。

「自分もドーピングしなければ、ドーピングしている他選手たちに淘汰されるほかない」

うそういう段階にまで至ってしまっていたのである。

この頃で悪名高いのが、ミケーレ・フェラーリというスポーツドクターだった。大学スポーツ医学博士号を取った彼は、トレーニングパフォーマンスの関係を研究し、プロサイクリストのためのトレーニングプログラム開発に心血を注いでいた。非常に多くのチームや選手にアドバイスを与えたことで知られていたが、EPOの検陽性を回避するための専門知識が極めて豊富であり、彼の導のもと多くの選手がバレないようなEPO使用を行っていた。

フェスティナ事件

1998年7月8日ツール開幕を3日に控えたこの日、参加チームの一つであるフェスティナ・ロータストレーナーが運転するチーム車両が検問によって止められたところ、トランクからはEPO200回分、ヒト成長ホルモン80テストステロ160カプセルといった大量の物と注射が発見された。レース自体で規制されていなくてもこれはフランス法律に引っ掛かった。何より外部から摂取したものかわからないから規制が難しいだけであってこのようにモロバレの品と注射器の発見は流石アウトだった。

フェスティナの監督は当初は選手たちが使用していたことを否定し、そのままツールは開幕。しかし警察フェスティナのオフィス宅捜した結果、物の使い方に関する詳細な手順などが書き込まれた書類(選手向け)が押収。監督も言い逃れできず、チームぐるみでのドーピング使用が露呈ツール運営は事態を重く見てフェスティナの全選手を第6ステージをもって除外。これにより前年の世界選手権覇者ローラン・ブロシャールや前年まで山岳賞4連覇を達成していたリシャールヴィランクら9人がレースから除外された。

しかし事態はこれで終わらなかった。フェスティナの選手たちが除外された同日、今度は別のチームTVMチームチーム車両から大量のEPOが押収されたと報道があり、これをきっかけにTVMの選手は深夜まで警察の捜を受けながらレースを続けざるをえなくなったのである。

これによって他チームの選手もマスコミの取材攻勢に遭う。選手達は自分たちを犯罪者扱いするようなマスコミ警察に憤りを隠さず、世界ランキング一位に君臨するローラン・ジャラベールが中心となりストライキが勃発。TVMの選手が徹夜の取り調べを受けた翌日第17ステージでは、TVM選手を先頭にスローペースで追走する抗議走行を行いレース中止になってしまう。それだけにとどまらず、ジャラベールと所属するチームオンセ、そしてこれに同調した4チーム抗議の意味を込めて大会から去った

これだけではまだ終わらず、第18ステージ直前には山岳賞ジャージを着ていたロドルフォ・マッシが、ホテル部屋からステロイドが見つかったために現行犯逮捕レースから除外される。またTVMチームも結局この第18ステージをもってチーム全員が棄権した。最後の第21ステージが終わり、マルコパンターニがイタリア人として33年ぶりの総合優勝を飾ったころには、最初189人いた選手は96人にまで減っていた。

なお、ローラン・ジャラベールマルコパンターニも、このときEPOを使用していたことが後に判明している。

ランス・アームストロング

そんな大事件のあった翌1999年ツールでは、ドーピングは鳴りを潜め、しかも自転車界にスターが舞い戻ってきた。USポスタルチームエースランス・アームストロングである。1993年にわずか21歳で世界選手権を制覇して一躍注を浴びながらも、1996年ステージ3の精巣、しかもにまで転移している重度の物に侵されていることが判明。チームから見放され契約解除の憂きにあうも奇跡的に回復し、より前にさえできなかったツール・ド・フランス総合優勝にまで上り詰めた、努力の人だった。この時、6分以上という大差を2位につけての優勝だったため、ドーピングを疑うもあった。しかし、物検の結果、彼が湿の治療に用いていたコルチコイドが引っかかってしまった[8]以外は一切の陽性判定が出なかったため、昨年の苦い記憶を吹き飛ばす新しくさわやかとして、自転車界に新たな時代をもたらしたのだった。

彼はその後、これまで5人が達成していたツール・ド・フランス5勝に5連覇で並ぶと、最終的にその連覇を7(2005年)にまで伸ばし、ツール・ド・フランス総合7勝という、前人未到のかしい記録を打ち立て、これをに現役を退いた。

この7連覇はやはりほとんどが2位に大差をつけての圧勝であり、1勝のときのように、常にドーピング疑惑の厳しいを受け続けていた。

例えば、元自転車選手のスポーツジャーナリストだったポール・キメージは彼を「サイクリング界の」と呼んで憚らなかったし、以前からミケーレ・フェラーリとの接触があり、その時以降ドーピングを続けているのではないか、というも多かった。実際フェラーリ博士との接触はかなりあったのだが、彼はドーピングを否定した。

2004年ツールの直前にはイギリスサンデータイム記者アームストロングマッサージ師を務めていた女性インタビューして作ったドーピング告発本を出版。この女性には記者から5000ポンドの大金が送られており、らがアームストロングは直ちに名誉毀損の訴訟を展開。UCIが彼を実と結論付ける報告書を出したことで和解サンデータイムは謝罪文を掲載した。

多くのドーピングを疑うはあったが、現に彼は「世界一を受けた」と自称するほど多くの物検を受けたにもかかわらず、彼は違法物に陽性反応を示したことはく、本人も

If you consider my situation: a guy who comes back from arguably, you know, a death sentence, why would I then enter into a sport and dope myself up and risk my life again? That's crazy. I would never do that. No. No way.

(私の状況を考えてみて欲しい。ほとんど死刑宣告を受けたようなところから生還した男、つまり私がまたスポーツ世界に戻って、どうしてドーピングで命を危険にさらそうとするだろうか? 馬鹿げてる。そんなことするはずがない。絶対に。)

──ランス・アームストロング2005年インタビューにて 

というように、強くドーピングを否定していた。実際、彼は非常に高い評価を受け続け、スポーツイラストレイテッド誌のスポーツマン・オブザイヤーや、AP通信年間最優秀男性アスリート、ESPNのESPY賞最優秀男性アスリート、BBC年間最優秀スポーツ選手賞海外選手部門などを受賞。また、ランス・アームストロング財団を設立して世界のがん患者への支援を行った。ドーピングを疑う者たちが結局直接的な拠を一つたりとも出せなかったこともあり、疑念の正体は、突然アメリカ人によってツール・ド・フランス最多勝を持っていかれたヨーロッパ人の嫉妬と見るもあった。

2006年のツール

さて、アームストロングクリーンに業界を引っっているにもかかわらず、ロードレース界には未だEPOを筆頭にドーピングがはびこっていた。フェスティナ事件のあった1998年ツールで、別のチーム2004年になって新たに当時ドーピングチームぐるみでしていたと判明したり、フェラーリ博士が有罪判決を受けたことで彼の導を受けた者に捜の手が伸び、何人かの選手はドーピングをしていたことが明るみになったり。

そんな中、アームストロング不在の2006年ツール開幕の1ヵ前、スペイン警察動いた。オペラシオン・プエルト」、作戦と名付けられたそれは、リバティ・セグロス・ヴュルトチームドクターを務めたエウフェミアーノ・フエンテスがライダーに対してドーピングを行っていることを明るみにするため宅捜索の結果1000回分のステロイドや、数個もの血液パックを筆頭に山ほどの拠が出たため逮捕されたことに始まる、スペイン警察による大規模なドーピング摘発作戦だった。これを受け、ツール開幕前までに13人が出場できないという措置を下された。ヴュルトの9名全員[9]と、フエンテスとかかわりがあったとみられた4人である。この除外された13人には、昨年ツールの総合2位から5位までの4人が含まれており、引退した総合1位(アームストロング)を含め、大本命不在で始まったが、最終的にアームストロングの元チームメイトで次点の優勝補とされていたフロイドランディスが優勝した……

……はずだったのだが、このランディス、終盤第17ステージの直後のドーピングで陽性が出ており、優勝が剥奪2位に入ったオスカル・ペレイロが繰り上げ優勝となった。このような事態は1904年[10]以来約100年ぶりであり、物で優勝を取り消されたのはツール・ド・フランス史上初めてのことだった。また、この時除外された、個人的にフエンテスとかかわりがあった4人の一人であるヤン・ウルリッヒは、1997年ツール優勝者であり、アームストロングの7連覇中も3度2位に入る実力者だったのだが、この除外でチーム解雇され、拾ってくれる者もおらず引退を余儀なくされた。2000年シドニー五輪自転車ロードレースメダリストでもある彼はドイツ人として初めてツール・ド・フランスを制し、ドイツでの自転車ブームの火付け役になった選手だが、このドーピングからの引退劇によって自らの手で自転車ブームを終わらせたとも言われている。

峠をこえて

オペラシオン・プエルト」の捜と法的手続きはグダグダとして進まず、法的な処罰に関しては多くの選手が処罰を免れるか、処分が軽微に留まった。[11]

また、現在もそうだが原則としてWADAの『世界アンチドーピング規程』は、アンチドーピング規則違反の「時効」を10年間と定めており、つまり10年以上前のドーピングに関しては告白しても制裁対にならないため、この頃には1990年代ドーピング使用を告白する引退選手も現れた。[12]

しかしそれでも、サイクリング史上最大規模のドーピング摘発事件の一つとなった「オペラシオン・プエルト」のは大きく、WADAを中心により厳格なドーピング管理体制が整備されるきっかけとなり、スポーツ界全体のドーピング対策の強化を促す契機となった。

なお、UCI(自転車競技連合)はというと、「オペラシオン・プエルト」の対応にかなり消極的であり、それどころか血液検査DNA照合の明らかな引き延ばしを行った[13]。大規模スキャンダルが起きたにもかかわらず、責任所在が不明瞭で、も本格的に処分されない状態に多くのファン滅。「ドーピングを見逃している」「自浄力が低い」といった印を与え、UCIの信用を失墜させるきっかけとなった。

アームストロングの崩壊

そんな中、他の選手のドーピング批判したり、クリーンスポーツの重要性を訴える発言もしていたことから、「反ドーピングの顔」として自身を売り出していたアームストロングに、遂に本格的な捜の手が迫っていた。そのきっかけは、元チームメイトランディスが2010年にようやくドーピングを認めた際に、「アームストロングも含め、USポスタルチームぐるみで行っていた」と内部告発したことだった。これを機に、元チームメイトや関係者が立て続けに閉ざされた口を開き始めた。

特に長年アームストロングの強力なアシストとして仕えていたタイラーハミルトン[14]ら関係者が2011年テレビ番組の取材に語った内容が決定的なを与えた。その内容は、

というように、アームストロング含むチーム全体の組織的ドーピング、そして当時のUCIがその拠を握りつぶしていた可性など、一連のスキャンダルの核心に迫るものであった。放送後、アームストロング側は強く反発。CBSに対し謝罪と取り消しを要したが、この放送がきっかけとなり、USADA米国ドーピング機関)による本格的な調が加速していくことになる。

そして、2012年6月に、USADAは調報告書を開した。

The evidence shows beyond any doubt that the US Postal Service Pro Cycling Team ran the most sophisticated, professionalized and successful doping program that sport has ever seen.

(拠は、USポスタルサービスプロサイクリングチームが、スポーツがこれまで経験した中で最も巧妙で、最も組織的に管理され、最も成功したドーピング計画運営していたことを、疑う余地なく示している。)

──USADAの調報告書「Reasoned Decision」より

これによれば、USADAアームストロング1998年から2011年にかけてUSポスタルにおける組織的なドーピング導していたと断定10月開された報告書は、11人の元チームメイト言をはじめとして本編200ページ拠集1000ページに及ぶ膨大な物で、科学的分析・物的記録言が網羅された決定版であり、一連の行為をスポーツ史上最も巧妙で、組織的で、成功したドーピング計画」と結論づけたものだった。これは、「反ドーピングの顔」「で苦しむ人たちの希望」であったアームストロングの名を地の底に叩き落すのに十分すぎるほど詳細な報告書であった。

アームストロングは直ちに抗議したがくも8月の時点で異議申し立てを取り下げ、それを受けたUSADAは彼に対し、競技からの永久追放1998年8月以降の全成績の抹消を決定。ここまでまったく動かなかったUCIだが、過去アームストロングから10万ドルの献金を受け取っていたことをUSADAバラされた結果、ようやく重いを上げてUSADAの裁定を追認。ツール7連覇を含む、からの生還以降の全成績剥奪、永久出場停止処分を下した。

2013年1月17日に放映されたインタビュー番組で、とうとうアームストロングは、EPOを含む各種のパフォーマンス向上血液ドーピング物検合格書類の偽造などを認め、ツールでの7回の優勝それぞれでドーピングが役立っていたと語った。

その後

アームストロング事件は、アームストロング個人の名に留まらず、UCI、ひいては自転車ロードレースそのものの信用を粉々に破壊した。なんたって、発覚から10年以上経った2025年現在でさえ、

という状態なのだ。ランス・アームストロング自転車界にどれだけのを与えたかわかるだろう。

もともとドーピング問題に悩まされてきた歴史のあった自転車ロードレース界で、反ドーピングの旗振り役だった英雄さえドーピング常習者だったという衝撃と失望はあまりに大きく、ファンや一般市民の間で競技そのものへの不信感が高まり、アームストロングとは関係ない自転車チームであってもスポンサーの撤退の傾向がみられた。

UCIには隠蔽やもみ消しの疑惑や透明性の欠如への批判が付きまとい、会長を交代して第三者委員会による検証が行われた。ツール・ド・フランスも、その最多勝記録の剥奪によって「ロードレースで最も権威あるレース」から「ドーピングの祭典」へと印は地に落ちた。

自転車ロードレース界はドーピング対策の強化と信頼回復が急務、至上命題となり、ドーピングへの決別、クリーン志向はようやく選手間で大々的に共有されるようになった。これと前後して、ドーピングに関して一切寛容の姿勢を取らないと言しているチームスカイ大躍進を遂げたのも、印回復に寄与した。

2020年代となった今では、ほとんどドーピングスキャンダルが見られなくなっている。強いてあげれば、グランツールで総合2勝を含む6度の表台経験を持つコロンビアのナイロ・キンタナが、2022年ツール総合6位入賞の直後にWADAは禁止していないがUCIが副作用の観点から禁止している鎮痛剤トラドールの陽性が出てこの成績を剥奪されているくらいか。この件では、キンタナの最盛期はもう過ぎていたこと、これを受けて過去にさかのぼった再検で今回のみの検出だったこと、何よりトラドールをWADAは禁止していない=ドーピングを犯したわけではないことから、2022年ツール成績剥奪以外の制裁は受けていない。

とはいえ、ドーピング天国の時代があった自転車ロードレースが抱えるトラウマは深く、先述の通り、ちょっと強い選手はドーピング疑惑を受けて当たり前の状態である。他のスポーツであれば、「○○ドーピングに違いない!」と根拠もないのに騒ぎ立てれば嫉妬か難か、なんにせよちょっとヤバい扱いされがちだが、自転車ロードレースでは別である。

最後に、2020年代最強自転車選手であり、成績とパフォーマンスすごいだけでドーピング疑惑を受け続けている[15]、タデイ・ポガチャ[16]の発言を紹介する。

Because of cycling before my time, in any sport, if someone is winning, there’s always jealousy and haters ... I tell you now, it's not worth it. Taking anything to risk your health is stupid.

(の時代より前の自転車競技のせいで、どんなスポーツでも、かが勝てば、そこには常に嫉妬と憎悪がある。今はっきり言うけど、そんなことをする価値はないよ。自分の健康を危険にさらすようなことは、愚かだ。)

──タデイ・ポガチャル、2024年ツール・ド・フランス総合優勝後のインタビュー

これを、自転車競技そのものによるドーピングへの決別宣言と見てもよいし、先に引用したまだバレてなかった頃のアームストロングそっくりととらえるのも自由である。筆者としては、自転車ロードレースドーピング時代という悪夢を払拭して、新たな時代へ歩みを進めていることを、切に願うばかりである。

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *カルロス・サストレ。グランツールトップ10入りを15回も果たしたが、選手人生でただの一度も物陽性反応が出たことはなかった。
  2. *8位のカデル・エヴァンスオーストラリア史上最高の自転車選手で、引退記念に彼の名を冠したレースが用意されたほど。このレースは今も存続している。
  3. *10位のオスカル・ペレイロ。翌2006年ツール2位に入り、後に1位ドーピングが判明し繰り上げ総合優勝となった。なお自身も陽性になったのだが、喘息の治療が引っかかってしまったことが明されたため無罪となった。
  4. *ただし異論がある。1886年にウェールズの選手がボルドー~パリレース中に死亡したのが最古であるとIOCの記事にあるが、ボルドー~パリの初開催は1891年である。1896年にこの大会で2位に入ったウェールズアーサーリントンが大会の2か後に死亡しており、それがドーピング摘されており、それと混同されている可性がある。
  5. *ヌット・イェンセン。1960年ローマ五輪レース中転倒して死亡し、トレーナーの供述から奮剤を使用していたことが明らかになった。
  6. *しかし、実績に反してアンクティルよりもプリドールのほうが民の人気は高かった。これはアンクティルが苛な性格と、後述するシンプソン事件後もドーピングを擁護したことで嫌われ者だった側面が強い。当然フランス政府からの覚えもプリドールの方がめでたく、プリドールレジオンドヌール勲章をもらっているにもかかわらず、史上最初のツール5勝の実績のあるアンクティルは受賞していない。
  7. *ただし、「体質」で誤魔化せるのにも限度があるため、どう考えてもおかしいほどにEPOが濃ければアウトであった。
  8. *ちなみに使っているという申請があってしかるべきだったが、うっかりしていなかった。うっかりなら仕方ないね
  9. *オペラシオン・プエルトで捜になったのはうち5名で、残る4人は関係なかったのだが、チームに必要な人数の下限を下回ったため出場できなくなった。
  10. *まだ第2回の創設期。総合1位モーリスガランを含め上位4人が途中で電車ショートカットを使っていたことがバレたため、5位だったアンリコルネが繰り上げ優勝となった。
  11. *またフエンテスが「自転車以外の選手にもやった」と民の関心を引いたが、スペイン当局は自転車しか眼中になかったのかそちらが明らかになることはなかった。サッカーへの波及を恐れたからとされ、多くの批判を浴びた。
  12. *制裁逃れのために時効を待って告白するのは明らかにズルいのだが、むしろそれこそがWADAの狙いであり、「もう制裁対ではないから正直に話せる」という環境を作っているフシがある。
  13. *例えば、「オペラシオン・プエルト」でやり玉に挙がった選手の中でもトップクラスだったアレハンドロバルベルデの検と制裁が行われたのは2010年になってのことだった。
  14. *この言と同時に、自身の2004年アテネ五輪金メダルUSADA米国ドーピング機関)へ返還している
  15. *時期にもよるが、「Pogacar」の検索サジェストにはDopeとかDrugsとかがよく出る
  16. *フェスティナ事件より後の1998年9月に生まれている
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自転車ロードレースにおけるドーピングの歴史

219 ななしのよっしん
2025/11/02(日) 12:02:36 ID: 4EnrA0U19f
アームストロングが盛大にやらかしたおかげで、ドーピングに関する規制強化とコンプラ意識の普及が一気に進んだのが皮な話
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220 ななしのよっしん
2025/11/03(月) 21:19:42 ID: R1LZCLxUgw
人間限界を突き詰めるアスリートの大会じゃなくて
物による強化人間テスト場じゃないっすか
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221 ななしのよっしん
2025/11/03(月) 22:57:34 ID: 0ebLMobI6n
ドーピングがこれほど蔓延するということはそれだけチームとしての連携や戦術以前に身体力がモノをいうスポーツだということの
日本相撲のように他人種の参入を許さなかった背景があるけど、仮にアメリカロードレースが発達してたらそれこそ黒人天国の領域で今のポガチャルなんかカエル小便ほどの扱いだった可性もあるな
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222 ななしのよっしん
2025/11/04(火) 01:15:42 ID: Wbm9pcAy/q
自転車具にも金かかるから、身体力一つで無双したい黒人にしてもやや選びにくい種なんじゃないかな
あとドーピングが蔓延する理由はむしろ効果が薄めでバレにくいからってのもある気もする
投擲とか女子距離とかドーピング全盛期トンデモ記録が未だに抜かれてないことが現代選手の潔明してるとこがあり、その突然越えたらまずクスリ疑われるけども
自転車ロードレースその他のも大きいし自転車部分の進化でも伸びしろがあり、この記録は確実にやってますわって判断がややしにくい種だと思うよ
クスリやるだけでお手軽に勝てる種ってわけではない
そもそもバレてないだけでヤってるやつがどんだけいるかわかったもんじゃない世界だしね
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223 ななしのよっしん
2025/11/05(水) 19:39:10 ID: vkwWn4XDYn
>>222ドーピングっていう概念がない世界線から書き込んでんのか?やってるかどうかかの主観で決めてると思ってる?
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224 ななしのよっしん
2025/11/06(木) 00:01:54 ID: Wbm9pcAy/q
で陰性なんだからシロでいいんじゃないの?
→でもアームストロングも検で陽性になったことがかったよ

本文読まずに書き込むのやめてもらっていいですか
とそのごまかしいたちごっこ
で引っかかるようなマヌケはそうそういないのが大前提
その上で投擲や女子陸上は言ってしまえばドーピングする「だけ」で数十年抜かれないような記録がポーンと出るほど効果がわかりやすい競技で
自転車はそうではない、って話してるんだよ
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225 ななしのよっしん
2025/11/06(木) 17:58:50 ID: 9nScyssLAQ
タイラーハミルトンの「シークレットレース」は本当に名著。みんなも読むべき。
そんでもって読むとドーピングは『二流選手が一流になるため』じゃなくて『一流選手が人になるため』ということがよくわかる。
フィクション雑魚が手を出す話なんてしょせんフィクションでしかなかったというところか。
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226 ななしのよっしん
2025/11/06(木) 23:45:41 ID: EzJp/0qGbv
忌むべき歴史ではあるけど逆にドーピングって凄いんだなと思った
ちょっと打つだけで打ってない選手ぶっちぎりで引き離して連覇し続けられるとは
その分寿命も大幅に削ったろうけど

怖い
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227 ななしのよっしん
2025/11/10(月) 18:46:46 ID: SKPlGdRaOh
陸上で昔の世界記録は全部抹消しよう!という提案があったが、これ見るとこういう提案が出てくるのも仕方ないと思ってしまった。
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228 ななしのよっしん
2025/11/16(日) 20:57:55 ID: b8jQ9G2UNL
いのはこの記事より何年も前に立てられたであろうランス・アームストロングの記事のスレの流れの代わりっぷりがこの記事のデータを支持してるところ。
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