サッカー日本代表とは、日本の、男子サッカーにおける国を代表するチームである。
日本サッカー協会(JFA)によって選出される。
オリンピックのサッカー日本代表については『U-23サッカー日本代表』の項を参照。
女子のサッカー日本代表については『なでしこJAPAN』の項を参照のこと。
サッカーのナショナルチーム | |||
日本代表 | |||
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基本情報 | |||
国旗 | ![]() |
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協会 | JFA | ||
大陸 | AFC(アジア) | ||
FIFA加盟 | 1929年 | ||
FIFAコード | JPN | ||
監督 | 森保一 | ||
FIFAワールドカップ | |||
出場 | 7回 | ||
最高成績 | ベスト16(3回) | ||
AFCアジアカップ | |||
出場 | 10回 | ||
最高成績 | 優勝(4回) |
現在のユニフォームカラーは青、サブカラーに白。青の由来としては昔日本代表は選抜チームという形ではなく1つのクラブや大学などを日本代表チームとしており、優勝を果たした1930年極東選手権に大半の選手を送り込んでいた東京帝国大学のユニフォームが青だったために、そのまま採用されたと考えられている。
呼び名は単に代表もしくは日本代表で、監督の名前+ジャパン(トルシエジャパンなど)で特定の監督の時代のサッカー日本代表を呼ぶことも多い。2006年W杯から「SAMURAI BLUE(サムライブルー)」という愛称がつけられたが、「なでしこジャパン」に比べてあまり定着せず今ではJFA程度しか使用していない。
Jリーグ発足以前ではアジアでも勝てないことが多かったが、近年ではアジアでもトップクラスの強豪国となっており、AFCアジアカップでは歴代最多となる4回の優勝を記録している。
ヨーロッパ・南米の強豪国と比べて、公式戦においては未だ大きな実力差があるものの、00年代以降はワールドカップの決勝トーナメントにも進出するなど、アジアの代表的なチームとして世界レベルでも戦えるチームへと成長している。近年では、欧州のクラブに所属している選手が増えており、ワールドカップ本大会でのベスト8入りが目標となっている。
最初の代表チームの試合が行われたのは1917年。長い間国際大会では本大会に出場することも難しかったが、1930年の第9回極東選手権で初タイトルを獲得。オリンピックでは1936年のベルリンオリンピックに出場し、1回戦で優勝候補のスウェーデンを相手に大金星を奪い(ベルリンの奇跡)、ベスト8に進出している。
時は流れ、1960年代に後に日本サッカーの父と呼ばれたデットマール・クラマーを顧問として招聘しチームを強化。1964年の東京オリンピックではベスト4進出を果たし、釜本邦茂を擁した1968年メキシコオリンピックでは3位となり、銅メダルを獲得。が、1972年のミュンヘン五輪以降は予選敗退に甘んじる大会が続き、予選突破は1996年のアトランタ五輪になって再びようやく達成された。
1991年のプロリーグ(Jリーグ)発足によって、日本サッカー界の実力は飛躍的に上昇し、アトランタ五輪出場の他、オフト監督に率いられた日本代表チームは1992年自国開催のAFCアジアカップで初優勝。
日本国内でもサッカー人気が一気に上昇し、プレイ人口も増大した。
FIFAワールドカップ予選には1954年大会から参加しているが、当時は日本サッカーがアマチュアだったこともあってむしろオリンピックの方に力を入れており、アジア予選を突破できずにいた。1986 FIFAワールドカップアジア予選で韓国に2連敗して敗退したことでプロ化の機運は高まり、1992年のJリーグ発足に至った。また、1991年よりオリンピックのサッカー競技が23歳以下の大会となったこともあり、JFAの設定する最大の目標はワールドカップへと変更となった。
1992年に初の外国人監督となるハンス・オフトを招聘。当初はラモス瑠偉ら主力から反発されたオフトだったが、まずダイナスティカップ1992で優勝を飾る。さらには、自国開催となったAFCアジアカップ1992では、決勝のサウジアラビア戦で高木琢也のゴールを守り切り、初優勝。結果を残せたことでラモスもオフトの方針に従うようになり、ワールドカップ初出場に向け、これまでにないほど機運が高まっていた。
そしてカタール・ドーハでの集中開催となった1994 FIFAワールドカップのアジア最終予選では、最初の2試合に躓きながらも、北朝鮮戦、そして韓国戦を三浦知良の活躍で連勝、最終戦を残して地区1位に上りつめる。日本代表結成から77年目にしてついに本戦出場かと期待されたが、最終・イラク戦でロスタイムに同点弾を決められて敗退、2位3位が共に勝利したため3位に転落し、惜しくも出場を逃した(ドーハの悲劇)。
ドーハの悲劇の後、悲願のワールドカップ初優勝に向けてファルカンを監督として招聘するも、アジア大会ベスト8敗退を受けてわずか1年で解任。後任として日本国内で屈指の名将とされていた加茂周を監督に迎える。1996年アトランタ五輪でブラジルを破る大金星(マイアミの奇跡)のメンバーである中田英寿や川口能活らが加わり、ワールドカップ初出場への機運はこれまでにないほど高まっていた。
1998 FIFAワールドカップ・フランス大会・アジア最終予選では、一時は敗退の危機に直面し、加茂周が解任される事態へと発展する。だが、後任としてコーチから昇格した岡田武史のもとでチームの立て直しに成功すると、第3代表決定戦では中田英寿の3ゴール全てに絡む活躍と岡野雅行のVゴールによってイランを破り、とうとう本大会出場を決める(ジョホールバルの歓喜)。本大会では大会直前でエースであった三浦知良が落選するという激震が走る中、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカを相手に3戦全敗でグループステージ敗退したものの、日本国内でのサッカーワールドカップと日本代表への注目度はますます上がる。大会後、中心選手に成長した中田英寿はイタリア・セリエAへ移籍し活躍。その後続く日本人選手の欧州での活躍の先駆けとなる。
その後、監督に就任したフランス人のフィリップ・トルシエのもと若年層の強化に着手。小野伸二や稲本潤一らを擁した1999年のワールドユースでは準優勝、2000年のシドニー五輪ではベスト8と好成績を残し、トルシエは彼らをチームの中心とし、フラット3と呼ばれた攻撃的な戦術を推し進めていく。韓国との共催となった2002 FIFAワールドカップ・日韓大会では初戦のベルギー戦で初の勝ち点1を手にすると、第2戦のロシア戦で稲本潤一が決勝ゴールを決め、歴史的なワールドカップ初勝利を飾る。結局、自国開催というアドバンテージもあり、2勝1分で決勝トーナメントに初進出を果たす。しかし、ラウンド16ではトルシエの奇策が裏目に出る格好でトルコに敗れ、ベスト16で姿を消すことに。なお、日本が稲本潤一の決勝ゴールによって歴史的初勝利を挙げたグループステージ第2戦のロシア戦は、平均視聴率66.1%という驚異的な高視聴率を記録している。
トルシエの後任にはサッカーの神様と呼ばれたジーコが就任。2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会では、円熟期に入った黄金世代を中心としたメンバーで大いに期待されたが、ジーコの監督経験の乏しさと選手の自主性を求めたが故の選手間の軋轢、チームの中心として期待された中村俊輔の不調などが重なり、初戦のオーストラリア戦を逆転負けで落とし、第3戦のブラジル戦で大敗したことにより2敗1分でグループステージ敗退となる。「史上最強」と謳われたチームは大きく期待を裏切る結果となった。大会後、中田英寿が29歳の若さで現役引退を表明する。
当時、次回大会へ向けて名将と名高いイビチャ・オシム氏を監督に迎え、チームを根本から作り直す動きが強まった。氏のモットーである「考えて走るサッカー」をテーマに、鋭いパスと緻密かつ多様なフォーメーションを駆使する新たなプレイスタイルが作り上げられ、親善試合などで見せた、それまでの日本代表とは大きく違うプレイは、荒削りながらも次代の活躍を期待させるものであった。
が、当のオシム氏が2007年に脳梗塞で倒れてしまい、監督業続行が事実上不可能となったため、岡田武史が招聘された。奇しくも1998年のワールドカップのときと同じく、代理監督としての就任であった。
こうして迎えた2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会では、オシムと比べて岡田への期待感が低かったことや、直前の親善試合で4連敗したこともあって、前大会とは対照的に国内の期待は圧倒的に薄かった。
が、土壇場でエースであった中村俊輔をレギュラーから外し、守備を中心に据えた戦術に変更したことが功を奏したか、初戦のカメルーン戦を1トップで起用された本田圭佑のゴールで勝利すると、第3戦のデンマーク戦にも3-1で勝利し、薄い期待とは裏腹に2勝1敗でグループ2位となり決勝トーナメントに進出。
決勝トーナメント1回戦でパラグアイにPK戦で敗れるも他国開催でのワールドカップ初のベスト16入りを果たし、国内では日本代表の人気が一気に再燃した。また、この大会後から日本人選手の海外移籍が加速するようになり、日本サッカーが新たなフェイズへと突入した大会ともなった。
そして、2010年ワールドカップをもって岡田は代表を退き、その後任に、イタリアの名門クラブの監督を歴任したベテラン、アルベルト・ザッケローニ氏を迎え、新たなスタートを切った。
AFCアジアカップでは2000年、2004年と連覇している。2007年大会では4位に終わっていた。アルベルト・ザッケローニ監督就任後の2011年大会では、数々の厳しい判定に苦しめられながらも本田圭佑や香川真司ら海外のクラブに所属するタレントの活躍もあって再びアジア王者に返り咲いた。4度の優勝は、参加国中トップの数字である。その後のワールドカップ・アジア予選でも圧倒的な強さで突破を決め、欧州の強豪国との親善試合で互角に渡り合うなど、「ザックJAPAN」はこれまでに無いほどの大きな期待と支持を集めていた。
だが、肝心の2014 FIFAワールドカップブラジル大会では、攻撃力の強化を持って大会に臨むも肝心の本大会予選では得点力は鳴りを潜め、2013年から続く失点癖が抜けず初戦のコートジボアール戦では本田の先制ゴールも、後半のディディエ・ドログバ投入から相次いで失点。その後のギリシャ戦ではスコアレスドロー、コロンビア戦では4失点を喫し、1分2敗とグループリーグ最下位で大会を終えた。
2014 FIFAワールドカップ大会終了後、アルベルト・ザッケローニ氏が退任を表明した。後任には、サッカーメキシコ代表や、エスパニョールを率いたメキシコ人監督、ハビエル・アギーレ氏が就任。
ハビエル・アギーレ監督就任後のAFCアジアカップ2015年大会では、前回大会に引き続き連覇がかかっていたが、グループリーグを首位で通過しながら、UAEとのPK戦の末、敗北。5大会ぶりのベスト8という不甲斐ない結果に終わってしまった。
AFCアジアカップ2015終了後、ベスト8という成績と過去の八百長疑惑を理由にハビエル・アギーレ監督の解任が発表された。後任には元アルジェリア代表監督のヴァヒド・ハリルホジッチ氏が就任。
2018 FIFAワールドカップ大会一か月前にハリルホジッチ監督を解任。後任に西野朗が大会終了までという形で就任。一連の騒動や代表の成績不振も重なり国内の期待は圧倒的に薄かった。
こうして始まったロシア大会では蓋を開けてみると、グループリーグ初戦のコロンビア戦では相手が10人になるという思わぬ展開になると、大迫勇也の決勝ゴールによって歴史的白星を挙げる。次戦のセネガル戦では引き分け、最終戦ポーランド戦では物議をかもすもグループリーグ2位で通過した。
決勝トーナメント1回戦でベルギーに一時は2点リードするも後半で同点に追いつかれアディッショナルで逆転を許し敗退となった。
大会終了後、当初の予定通り西野朗氏の退任を表明した。後任は森保一氏がオリンピック代表監督を兼任する形で就任。2020年11月のオーストリア遠征では全員が海外組で構成されるなど、タレント力では過去最高と言える陣容ではあったが、2019年のAFCアジアカップでは準優勝、メダル獲得が期待された東京五輪では3位決定戦で敗れるなど、森保の偏った選手選考や選手任せの采配から何かと批判が集まり、低調な戦いぶりから国民の代表離れが深刻なものとなってしまう。2022ワールドカップ・アジア最終予選でも一時は敗退の危機に直面するが、予選途中のシステム変更が功を奏し、本大会出場を勝ち取る。
2022 FIFAワールドカップ・カタール大会では、ドイツ、スペインという強豪と同じ組に入ったことで日本国内での期待値は薄く、森保JAPANに対する国民の期待値も低いままだった。だが、グループリーグ初戦のドイツ戦では前半こそ劣勢に立たされ1点のリードを許すが、後半に投入した堂安律、浅野拓磨のゴールで何と歴史的な大金星を飾り、世界中を驚かせることになる。この快挙に冷めていた国内のサッカー熱が一気に高まるようになり、何かと批判されていた森保監督を称賛する手のひら返しが続出するようになった。続くコスタリカ戦は低調な出来で敗れるが、第3戦のスペイン戦では前半に1点リードを許しながら、またも後半に投入した三笘薫・堂安の活躍によって逆転勝利を飾り、グループ首位での2大会連続での決勝トーナメント進出を果たす。しかし、ラウンド16のクロアチア戦ではPK戦の末に敗れ、目標として掲げていたベスト8進出はまたも果たせなかった。
ワールドカップ後、森保監督が引き続き代表監督を務めることになる。2023年の代表戦ではドイツとのアウェイ戦に1-4と完勝するなど10連勝という快進撃を見せたこともあり、2024年1月にカタールで開催されたAFCアジアカップ2023では優勝候補の大本命と見られていた。しかし、三笘薫、冨安健洋、久保建英ら主力の多くが怪我を抱えたまま大会に入ったことに加え、21歳のGK鈴木彩艶を抜擢したことで守備の不安定さが露呈。加えて、伊東純也が週刊誌報道の影響で大会中に代表から離脱。こういった問題点を抱えたまま迎えたグループD第2節のイラク戦では、アジアカップでは35年ぶりとなるグループリーグでの敗北を喫すると、準々決勝のイラン戦では、前半に先制するも後半は相手の講じた日本対策を打開することができずに1-2で逆転負け。史上最強と呼ばれたチームはベスト8で敗退という大きく期待を裏切る結果に終わってしまった。
ワールドカップを戦った監督は太字。代行は除く。国旗が付いているのは外国人監督。
(ほか多数)
掲示板
2329 ななしのよっしん
2025/03/21(金) 20:23:41 ID: KXSW7ZDTx4
なんかメディアに対して報道してくれって監督がお願いするぐらいの注目度になってしまっているんだな
2330 ななしのよっしん
2025/03/21(金) 23:17:37 ID: KGUJOP4Qdf
>>2329
NASAのアポロ計画とちょっと似てる。
初の月面着陸を成功させた11号を除くと、世間の目が最も注がれたのは13号の事故。
ジョホールバルは知らなくてもドーハは知ってるからね。
大衆が求めてるのは自身に害が及ばない悲劇や失敗というのがよく分かる。
2331 ななしのよっしん
2025/03/21(金) 23:22:00 ID: IFI9rIIKGV
そういや前評判覆して善戦した南アフリカロシアカタール大会より
2006と2014年の時メディア総出でぶっ叩かれて注目されてたな
提供: E-DE3A(天馬)
提供: ナグラ
提供: ロードカナロア
提供: 狩猫
提供: saya
急上昇ワード改
最終更新:2025/03/23(日) 00:00
最終更新:2025/03/22(土) 23:00
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