アレイシ・エスパルガロとは、スペイン・グラノリェース出身のオートバイレーサーである。
1989年7月30日生まれ。
2005年からMotoGPへの参戦を始める。
2010年に20歳の若さでプラマックレーシングから最大排気量クラスへのフル参戦を果たした。
2015年にスズキワークスへ移籍した。
2017年からはアプリリアワークスから参戦している。
2022年第3戦アルゼンチンGPにおいて、ポールポジションから初優勝。MotoGP200戦目にしての初優勝、下位クラスを含めて優勝経験が無かったため、世界選手権283戦目としても初優勝である。
ゼッケンは41番を使用している。
アレイシが若い頃に宇井陽一が125ccクラスで絶頂期を迎えており、宇井の走りに感銘を受けた。
アレイシはGPデビュー時から宇井の付けていた41番を使用している。
宇井と一緒に写る画像もちらほら上がっている。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5
ヘルメットは2015年までフランスのSHARK、2016年からはインドネシアのKYTを使っている。
KYTはインドネシアのジャカルタに本社を持つTCK社によって生産されている。
イタリアのSUOMYなどと協力関係にあり、デザインはイタリア、生産はインドネシアで行っている。
レーシングスーツはフランスのIXONと契約している。
蛍光黄色と蛍光ピンクが好みの色で、気分によって使い分けている。2017年は黄色のゼッケン、2018年はピンク色のゼッケンだった。
双子の子供が生まれた後は、ピンクと黄色で染め分けたゼッケンを使うようになった。ピンクが娘、黄色が息子という意味。
1989年7月30日にスペインカタルーニャ州バルセロナ近郊のグラノリェースで生まれた。ここはカタルーニャサーキットのすぐ近くで、実家近くの学校にいるとサーキットからエンジン音がいつも聞こえてきたという。
2004年にスペイン選手権(現在の名称はCEV)で史上最年少チャンピオンになった。その記録は2013年にファビオ・クアッタハッホが更新するまで続いた。
2005年に15歳8ヶ月でMotoGPへの参戦を始めた。この年は125ccクラスでランキング16位だった。ちなみにこのときのチームはセードルフ・レーシングチームといい、オランダのサッカー選手クラレンス・セードルフが所有していたチームである。MotoGP公式にもこのチームの記事がある。
若い頃から身長が高かった(現在の身長は180cm)。ゆえに125ccクラスのバイクでは小さすぎる。自分には大きなバイクが合うと信じ、大きなバイクのカテゴリーに積極的に応募していった。
2006年はBQRというプライベートチームから前半に125ccクラス、後半250ccクラスに参戦した。
2007年はBlusensというプライベートチームから250ccに参戦。15位以上のポイント獲得が11回。
2008年はLotusというプライベートチームから250ccクラスに参戦。シングルフィニッシュが9回。
2009年のシーズンはCampetellaというプライベートチームから250ccクラスに参戦するはずだったが、リーマンショックの不景気の影響でシーズン直前に契約破棄されてしまう。
この年はスペイン選手権でMoto2のマシンのテスト走行を繰り返しながら代役参戦を繰り返した。
第7戦オランダGPと第9戦ドイツGPは、ガボール・タルマクシが抜けた後の250ccのチームで代役参戦、4位と7位に入るという好成績を残した。
ちなみにガボール・タルマクシは最大排気量クラスのチーム・スコットにシーズン途中から参戦していた。ハンガリーのスポンサーを引き連れ、資金繰りに苦しむ同チームの救世主となった。資金調達力に難がある高橋裕紀を押しのけての参戦となり、不景気時の厳しさを印象づけた。
アレイシは2009年の第12戦インディアナポリスGPと第13戦のサンマリノGPで、ミカ・カリオの代役を探していた最大排気量クラスのプラマックレーシングに応募して、見事に代役参戦を果たした。最大排気量クラスのマシンに初めて乗ると転倒するのがごく普通なのだが、転びもせず好走して13位と11位に入りポイントを獲得している。
2009年の第16戦マレーシアGPと第17戦バレンシアGPになると今度はニッコロ・カネパが負傷欠場、プラマックレーシングは代役としてアレイシに参戦を依頼した。またしてもアレイシは好走し、11位と13位でポイントを獲得した。
この代役参戦が評価され、2010年にプラマックレーシングから最大排気量クラスにフル参戦することが決まった。
代役参戦で結果を出して認められて出世するというのは誰もが思いつくシンデレラ・ストーリーだが、なかなかそう簡単に実現するものではない。慣れないバイクに手こずり、派手に転倒することが多い。ところがアレイシは見事な集中力で適応し、転倒せずに好走を果たしたのだった。
2010年4月に20歳8ヶ月でMotoGP最大排気量クラスへのフル参戦を開始したアレイシは、ほとんどのレースでチームメイトのミカ・カリオを上回り、ポイントを12回獲得した。
普通なら残留が決まるのだが、ランディ・ドプニエとロリス・カピロッシに押し出され、プラマックレーシングのシートを失ってしまった。
アレイシにはすぐに声が掛かり、Moto2名門チームのポンス・レーシングから参戦が決まった。
2011年にはポンス・レーシングのエースとしてゼッケン40番を背負い、表彰台1回を含むシングルフィニッシュ6回を記録する。身長180cmの彼にはMoto2マシンは小さすぎるようで、彼にしては今ひとつの成績になった。
「Moto2が一番難しいカテゴリーだ。ちょっとのセッティングミスで20位にまで落ちてしまう」とコメントしたのはこの頃である。
自分には大きいバイクが合っていると自覚しているアレイシは最大排気量クラスで就職活動し、2012年からはアンヘルニエトチーム(旧称チームアスパー)でCRTマシンであるARTマシンを走らせることが決まった。
CRTマシンはプロトタイプのフレームに市販車エンジンを載せたマシンのことである。
ARTはAprilia Racing Technologyの略称で、アプリリアがCRTのために作った会社である。
「CRTにART」という、イタリア人の駄洒落であった。
このARTマシンはエンジンもフレームもアプリリアが用意するもので、なかなか完成度が高かった。エンジンパワーは今ひとつだがとにかく乗りやすい、というのがアレイシとランディのART評だった。
アレイシとチームメイトのランディ・ドプニエは何度も好走を繰り返した。
2012年のアレイシはシングルフィニッシュ2回を含むポイント獲得16回。
2013年のアレイシはシングルフィニッシュ6回を含むポイント獲得16回。
2014年はスイス国内のイタリア語圏に本拠地があるフォワードレーシングに移籍した。
この年から、オープンマシンが出走可能になった。マニエッティ・マレリの低レベルな電子制御ソフトを使うことを義務づけられたマシンのことである。
アレイシが手にしたのは2013年版のヤマハのマシンであった。開幕戦カタールGPでなんと4位を獲得する。これは最大排気量クラスにおけるアレイシの最高位だった。
第7戦オランダGPでは予選最速タイムを叩き出しポールポジションを初めて獲得。
第14戦アラゴンGPは、スタート時は曇天だったが雨が降ってのマシン乗り換えレースになった。白旗が振られてから真っ先にピットインして雨用マシンに乗り換えたアレイシは見事2位に入り、最大排気量クラスで初めて表彰台に上がった。
ちなみにこのレース、アラゴンに向かないヤマハのマシンで予選もイマイチだったホルヘ・ロレンソが早めに乗り換えて優勝。アラゴンに向くホンダのマシンのマルク・マルケスとダニ・ペドロサが乗り換えを遅らせてしまい濡れた路面で2台とも転倒リタイヤするという、大波乱のレースだった。
3位には2014年シーズンドゥカティワークスで絶不調だったカル・クラッチローが入っている。最後の直線でアレイシと接触しつつゴールインした。マシンが2台並ぶとサイドスリップが効いて2台とも接近してしまうのだが、その好例である。
2014年はオープンマシン勢でも首位に立ち、アレイシは実力をしっかりアピールした。
2015年からはダヴィデ・ブリヴィオ監督率いるスズキワークスに移籍した。
ここまでずっとプライベートチームに所属していたが、念願のワークスライダーの座を掴んだ。ワークスチームはメーカーの威信を賭けた存在なので部品も最先端の新品ばかりである。ライダーが望めばいくらでも工場で部品を作ってくれるので、まさに王様である。プライベートチームの時に比べてお給料も良い。
アレイシの感想は「エンジンパワーが弱いけど非常に乗りやすい」というものだった。
第7戦カタルーニャGPでは予選最速タイムを叩き出しポールポジションを獲得。予選2番手にはスズキワークスのチームメイトのマーヴェリック・ヴィニャーレスが入った。
2015年はスズキワークス復帰初年度だったが、アレイシはシングルフィニッシュ10回、マーヴェリック・ヴィニャーレスはルーキーながらシングルフィニッシュ6回、とまずまずの成績だった。
2016年になるとアレイシは少し苦戦してしまう。この年からミシュランタイヤが導入され、その特性を理解し適応するのにやや時間を要した。
2015年までのブリヂストンタイヤはフロントタイヤのグリップが良いのに対し、2016年からのミシュランタイヤはフロントタイヤが今ひとつでリアタイヤのグリップが良い。
ブリヂストンタイヤの乗り方でミシュランタイヤに乗るとフロントから滑るスリップダウンになるが、アレイシはまさにそのパターンになってしまう。アレイシはしっかりハードブレーキングするタイプで、フロントに頼るライディングスタイルだった。
2016年開幕戦カタールGPのころには自信喪失に陥っていて、日曜決勝の直前にはピットの中で涙を流すほどだったという。それまでレースで泣いたことなど一度もなかったのだが、ミシュランのフロントタイヤのせいで動揺してしまったのだ。(※この記事が資料)
アレイシが苦しむ間にマーヴェリック・ヴィニャーレスは一気に成長し、第4戦フランスGPで3位獲得。そのころにはヤマハワークスから引き抜きの声が掛かるほどの存在になっていた。
第5戦イタリアGPの直前にマーヴェリックはヤマハワークスへの移籍を決断、その代わりにドゥカティワークスのアンドレア・イアンノーネがスズキワークスに来ると決まった。
ならばアレイシ・エスパルガロの残留は堅いだろう。開発の方向の継続性からして、ワークスライダー2名とも替えることは考えられない・・・これが大方の予想だった。
ところがスズキワークスのダヴィデ・ブリヴィオ監督はアレイシ・エスパルガロを交代させると主張、アレイシの残留を望むスズキ本社を説き伏せて、アレイシ更迭&アレックス・リンス加入を決めた。(※この記事が資料)
ダヴィデ・ブリヴィオ監督は将来性のある活きの良い若手を獲得するのが大好きな人で、どうしてもアレックス・リンスを入れたかったらしい。第5戦イタリアGPの直前にはアレイシに厳しい評価を伝えている。
残留を望んでいたアレイシにとってはショックな出来事だったが、アレイシはめげずに奮戦を続ける。結局この年は8回のシングルフィニッシュを獲得した。
2017年シーズンはアプリリアワークスから声が掛かった。
「スズキワークスよりも少し格が落ちるワークス」というのが周囲の人の評価だったが、いきなりカタールGPで6位を獲得し2015年から参戦を始めたアプリリアワークスにとって最高位をもたらす。2017年は、転倒がやや多いもののシングルフィニッシュ6回を獲得した。
2018年は一転して不調に陥った。チームの予算が少なく、またアプリリアの開発も迷走し、マシンの完成度がいまいちだった。シングルフィニッシュ僅か2回に留まった。
ちなみにアプリリアワークスに移籍してからは多忙を極めており、テストに次ぐテストでなかなか家に帰れないほどになった。アプリリアワークスは成績が悪いのでテストの制限が緩められており、アレイシもミサノサーキットやムジェロサーキットでのテストに何度も参加していた。この記事で「テストがとても多い」、この記事で「毎週テストをしていて、3ヶ月で10日しか家に帰っていない」と語っている。
身長180cmと大柄で、大きなバイクのカテゴリーに合う。小さなバイクは小さなライダーが開発を務めることがほとんどで小さなライダー向きに仕上がっている。また、小さなバイクに大柄なライダーが乗ると体がはみ出て空気抵抗を受けてしまう。
かなりブレーキングを頑張るタイプであり、フロントタイヤの安定性を重んじる傾向がある。
スズキワークス時代も青木宣篤さんに「アレイシのブレーキングは非常にハード」と評されていた。
フロントブレーキをハードに使いながら奥まで突っ込んで走るタイプで、いわゆるレイトブレーキング(late braking 遅いタイミングのブレーキング)の使い手である。この動画のオレンジ色のマシンの軌跡が、アレイシ好みの走行ラインと言える。
2009年や2010年のドゥカティは典型的なV型エンジンのマシンで、曲がらないことで有名だったが、アレイシはしっかり乗りこなし好成績を残している。
2016年末のバレンシアテストでアルヴァロ・バウティスタの乗っていたアプリリアマシンを受け取るとすぐに電子制御の設定を変え、電子制御を効かせずエンジンパワーを活かす方向にした。(※この記事の中盤に書かれている) アルヴァロはかなり電子制御を効かせてコーナーでの安定性を保つタイプだったらしいが、アレイシはその逆で、電子制御を止めてストレートでの加速を出すようにしたのだった。
後述するようにアレイシには「ライダーとの関係を悪くするのはいけないことだ」という考えがあり、危険な走行で他ライダーに迷惑を掛けることを好まない。わりとクリーンなライダーのうちに入る。
結構な激情家で有名で、メカニックに対して不満を隠さないタイプである。
ステファン・ブラドルは「アレイシがすこし怒りっぽくて変わった性格の持ち主であることはパドックでは有名だ」と語っている。
スズキワークスの首脳である寺田覚プロジェクトリーダーはこの記事で「ご存じのとおり、アレイシは熱血漢で感情も比較的ストレートに出すタイプです。順位がいいとハッピーだし、逆にリザルトが悪いときはとても不機嫌です」と語っている。
実際にアレイシは2018年1月の時点で3年以上同じチームに続けて在籍したことがない。全て2年以下でチームから出て行っている。チーム監督から「アレイシと付き合うのはちょっと大変だなあ・・・」と思われているのかもしれない。(※2018年5月17日にアプリリアワークスと2019~2020年の2年契約を結び、ついにその法則が崩れた)
その反面、どのチームに行っても即座に適応し、すぐに結果を出している。
2014年のオーストラリアGPでは4コーナーでステファン・ブラドルに追突され、電子制御のケーブルが破損し、電子制御が上手く機能しなくなってエンジンへ燃料を上手く送ることができなくなり、エンジンが壊れてしまった。
このエンジンはオーストラリアGPで使い始めた新品エンジンで、次のマレーシアGPでも使う予定だった。セパン・インターナショナルサーキットは直線が長くエンジンパワーが必要とされ、新品に近いエンジンで走ることが好成績を残す上で非常に重要となる。
オーストラリアGPだけでなくマレーシアGPも台無しにされたアレイシは激怒し、コースサイドにマシンを止め、カウルを叩き割って怒りを表現している。
これが2014年オーストラリアGPアレイシカウル破壊事件であるが、アレイシの性格がよく出ている。
この後にアレイシはスズキワークスへ移籍した。
かつてスズキワークスには3位に入りながらもマシンを破壊してから蹴りを浴びせてその場を去り、表彰式出席をもサボり、そのレースが終わった途端に解雇されたジョン・コシンスキーがいた。
いったいどうなることかと関係者は心配したが、アレイシは無事にスズキワークスでの2年間を終えた。
メカニックやマシンに対しては怒りや不満を隠さないが、ライダーに対しては割合控えめである。
弟のポル・エスパルガロは他ライダーに対して突っかかっていくことがしばしばあった。
2009年サンマリノGP125ccクラス決勝ではアンドレア・イアンノーネに向けて駆け寄り猛抗議。(この動画の7分20秒あたりで走っているのがポル)
2015年アメリカGP決勝の11コーナーでスコット・レディングに接触され転倒した後、Twitterでスコット・レディングに怒りのリプを飛ばして大喧嘩している。
ポルはそういうタイプなのだが、アレイシはあまりそういう風にしない。ライダーに向けて食ってかかることは割合少なく、メディアやTwitterを通じて喧嘩することも比較的に少ない。
メカニックなどに怒るだけ怒ると気分がスッキリするのか、他ライダーに対して大変なナイスガイで、
社交的であり、良い友人関係を結ぶ。SNSには他ライダーとトレーニングする画像が大量に上がっている。
MotoGPは生き馬の目を抜くビジネス世界で、他ライダーとあまり仲良くしようとしない風潮が強い。仮に仲良くするとしても、ほんの数人に限るライダーが多い。ところがアレイシは例外的存在で、顔が広く、色んなライダーと仲良くしようとする。
チームメイトと険悪な仲になったことが無く、常に上手くやっている。「チームメイトと良い関係を結ばないなんて愚かなことですよ」とこの記事の最終盤で発言している。
スポンサーが少ないというのが、アレイシの競技生活の一大特徴と言える。
弟のポル・エスパルガロは、若い頃からモンスターエナジー(米国のエナジードリンク企業)やhp(ヒューレット・パッカード 米国のパソコン企業)の支援を受けてきたのだが、アレイシはそういう個人スポンサーがとても少ない。
アレイシにはモンスターエナジーもレッドブル(オーストリアのエナジードリンク企業)もスポンサーに付いたことがない。2014~2016年にbatteryというフィンランドのエナジードリンク企業がスポンサーについてヘルメットの側面に名前が載っていたが、2017年以降はそれもなくなってしまった。
アレイシはサングラスメーカーや時計メーカーの支援を受けていない。そうしたメーカーの支援を受けるライダーが多いのだが、アレイシには声がかからない。
スポンサーがほとんどない心細い状況で、凄まじい集中力を発揮して少ないチャンスを確実にものにして結果を出し、ワークスチームの席を掴んできたのがアレイシである。これはまさに偉業と言っていいだろう。
そのためか、アレイシには「自分はスポンサー無しでここまで這い上がってきたんだ」という自負が強く、スポンサーに恵まれてシートを得たライダーに対して対抗心が燃えあがるようである。
2018年アルゼンチンGPはハーフウェットで行われ、各ライダーがミスをする大荒れの展開となった。そのレース中にダニロ・ペトルッチがアレイシに対して危険な走行をして、アレイシに迷惑をかけた。アレイシはレース後にTwitterで不満を表明、インタビューでもダニロ・ペトルッチに対して批判をしている。
それに対してプラマックレーシングは、公式サイトでダニロ・ペトルッチを擁護した。
アレイシはTwitterでプラマックレーシングに対し、「嘘だ!デタラメだ!ダニロ・ペトルッチはいつもああいう危険走行をしている!」と猛批判。
それに対して、フランチェスコ・グイドッティ(プラマックレーシングの監督。ダニロ・ペトルッチの上司に当たる)が「ダニロ・ペトルッチがしたことは去年のアレイシよりもずっとソフトだ(※2017年のアルゼンチンGPでアレイシはドヴィを転倒させている)たわごとをTwitterで言うのはやめろ、運営の安全委員会で言え」と激しい口調で反撃した。
それに対してさらにアレイシは反撃。「あなたは僕に指図する立場の人じゃないでしょう!確かに僕はドヴィを転倒させましたが謝罪したし、逆ギレして『たわごと』と言ったりしていないですよ!もちろん、嘘をついて世間を騙そうとはしていません!」とリプを飛ばした。
そこにアレイシのチームメイトのスコット・レディングがフランチェスコ・グイドッティ監督に対して「ダニロ・ペトルッチが事故を引き起こしてないですって?ペトルッチは昔、チームメイトを転倒させてましたよね」と横から茶々を入れているのが非常に面白い。(2016年アラゴンGPの際、スコット・レディングはプラマックに所属していたが、チームメイトのダニロ・ペトルッチに転倒させられた。そのときレディングは「ダニロ・ペトルッチは脳味噌がない」と激怒していた)」
ラウンド1までは、まあ、よくあることで、レース後の興奮状態ならいくらでも起こりうる口論である。ところが、ここにシャヴィエル・シメオンが割り込んでしまい、事態は「アレイシ対シメオン」となったのである。
シャヴィエル・シメオンが「結局のところ、文句を言うのはいつも同じ人で、メディアの興味を引きたい人たちです。今回の件で文句を言う資格があるのはジャック・ミラーだけでしょう。彼は30秒のリードを得るはずだったのに、運営のせいで1秒程度のリードに縮められたんですから」とツイートした。
ハーフウェット(MotoGP)の記事にあるように、2018年アルゼンチンGPでジャックが得るはずだったリードは7秒程度で、30秒というのはシメオンの勘違いなのだが、そこはまあ重要な事ではない。
シメオンに横やりを入れられたアレイシはシメオンに対して怒り心頭、次のようなツイートをした。
「ジャックだけってことはないよ、もっと多くの人が、色んなことに不満を言う資格があるさ。色んな事というのは例えば・・・故郷にお金持ちが多くいて、レースに出るためにチームにお金を払っているお財布ライダーのことさ!」
2018年のシャヴィエル・シメオンは、フランス・ストラスブールに本拠地を持つクロワジ・ヨーロッパという企業の支援を受けて、最大排気量クラスのアヴィンティアレーシングに参戦することができた。同社は、河川に豪華客船を巡航させる分野でヨーロッパ最大の企業である。ベルギーはフランス語圏なので、ベルギー人のシャヴィエル・シメオンを支援することにした。つまり、シメオンは典型的なお財布ライダーで、スポンサーの力でシートを得たライダーだったのだ。
これに対しシメオンは「君は最大排気量クラス以外では0勝なのに、機会を幸運に得て最大排気量クラスにあがったんじゃないのか」と反論していて、さらに続行となった。
シメオンが「君も僕も同じように支援を受けてレースをしているだろう、MotoGPのライダーは大体同じだ」というとアレイシは「君の状況と僕の状況を比較しないでほしいな。自転車と貨物自動車を比較するようなものじゃないか。君と僕は状況が大違いなんだ!」と反撃。
シメオンが「君はf**kingな愚か者だってわかったよ。僕に対して注意と時間を割いてくれてありがとう」というと、アレイシは「それは嬉しいことだ。来年、君が望むなら僕のスポンサーになってくれていいよ。来年の君は(成績不振でライダーを解雇されて)時間がたっぷりあるだろうからね!」とまたキツいことを言って、これで舌戦終わりとなった。
いや~・・・ 本場ヨーロッパの舌戦は、ひと味違うなあ・・・
この舌戦事件ラウンド2でわかることは、アレイシの心の根底に流れるお財布ライダーへの屈折した感情であろう。スポンサーにまるで恵まれなかったアレイシは、スポンサーに恵まれるお財布ライダーへ厳しい感情を抱きやすいのである。
多くのライダーと同じように、アレイシも個人マネージャーを雇っている。
マネージャーとは契約交渉の代理人であり、ライダーと何か契約をしたいのなら、まずはマネージャーに接触しなければならない。
MotoGPライダーがチームと交わす契約書は分厚いもので、肖像権や達成目標や機密保持など細かく、全てにわたってしっかり目を通すことができるマネージャーが重宝される。
2019年現在のマネージャーはアルベルト・ヴァレーラ(Albert Valera)である。
ホルヘ・ロレンソの友人で経済系の大学卒、1984年生まれでかなり若い。Twitterアカウントや、Instagramアカウントがある。
アレイシのSNSにしばしば登場する。画像1、画像2、画像3、画像4
一番最初の仕事がホルヘ・ロレンソのマネージャー職で、リッキー・カルドゥスやホルヘ・マルティン、さらにはアレイシのマネージャーも兼務するようになった。
マネージャーつながりで、アレイシとマルティン、アレイシとリッキー、アレイシとロレンソ、ロレンソとマルティンは仲が良く、一緒にトレーニングする風景がよく見られる。
アレイシとマルティン 画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6
アレイシとリッキー 画像1、画像2、画像3
アレイシとロレンソ 画像1
ロレンソとマルティン 動画1、画像1、画像2
アレイシのレースに帯同し、アレイシのSNSにしばしば出てくる人がもう1人いる。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6
この人はホアン・ラクエヴァ(Joan Lacueva)といい、アレイシの広報担当の人である。このSNSによると、スペイン・バルセロナのポンペウ・ファブラ大学出身で、2015年にアレイシがスズキワークス入りしたと同時にアレイシ専属の広報担当者になり、レース中に殺到するマスコミを整理するようになった。「時間ですので次の質問で最後にしてください」「その質問は政治的すぎるので、勘弁していただけますか」などと、そういう風にインタビューを管理する。
Twitterアカウントや、Instagramアカウントがある。
2017年1月、約59年振りにカンプノウ(FCバルセロナの本拠地)を訪れた。
父親。
アレイシの弟。
1991年6月10日生まれで、アレイシよりも1歳10ヶ月年下である。
2006年のカタルーニャGPにて15歳8日でデビューを飾る。13位に入り最年少ポイント獲得記録を樹立。
2007年から125ccクラスにフル参戦開始。ポルトガルGPで初表彰台を獲得する。
2009年に初勝利を上げ、125ccクラスランキング4位。
2010年125ccクラスランキング3位。
2011年にMoto2クラスへ移る。前半戦は苦しんだが後半戦に表彰台を2回獲得した。
2012年Moto2クラスランキング2位。
2013年Moto2クラスチャンピオン。格好いいチャンピオン動画も作られた。
2014年からはヤマハサテライトの名門プライベートチームであるTech3で最大排気量クラスに参戦。
2017年にKTMワークスへ移籍した。
2015年と2016年は鈴鹿8耐に出場、ヤマハワークス連覇に貢献した。
同年代のマルク・マルケスとは犬猿の仲で、表彰台やパルクフェルメで一切口をきかなかった。とはいえ、最近は多少は顔を合わせるようになったようだ。
ブラッドリー・スミスも同年代のライバルなのでほとんど口をきかなかったが、2015年の鈴鹿8耐でやっと交流するようになった。
ポルはライダースーツの尻にPolyccio(ポリッチョ)と書いている。Polyccioはおそらく本名だろうと思われる。
個人スポンサーとしてhp(ヒューレット・パッカード 米国のPCメーカー)から支援を受けている。
ポルの嫁。つまりアレイシにとって義理の妹。
Twitterアカウント、Instagramアカウントがある。
2018年7月21日にポルと結婚した。画像1、画像2、画像3
アレイシ夫妻とポル夫妻の4人で行動することがしばしばあり、カンプノウへサッカー観戦したりしている。
アレイシやポルの妹。
Twitterアカウント、Instagramアカウントがある。アレイシのSNSにもたまに出てくる。画像1、画像2
アレイシの嫁。
Twitterアカウント、Instagramアカウントがある。
アレイシとは幼なじみで、2006年頃から交際を始め、2014年8月23日にバルセロナで結婚式を挙げた。画像1、画像2、画像3
アレイシのレースに帯同し、スターティンググリッドでその姿を見かけることができる。画像1、画像2
建築学の学位を持っている。この画像では、建築関連のことで講義をしている。
2018年1月1日に双子を妊娠していると発表し、2018年6月5日に出産した。
アレイシの娘。2019年3月7日に両親がコメントを出している。声明1、声明2
自転車トレーニングが大好きで、SNSに大量の画像が上がっている。画像1、画像2、画像3
アレイシが住んでいるのはアンドラ公国で、ピレネー山脈の真ん中にあり、道の起伏が大きく、気温も高山気候で涼しい。自転車トレーニングをするには最適の場所である。
2017年日本GPのときには富士山に上っている。
アレイシは自転車競技やトライアスロン(水泳・自転車・マラソンを行い長距離を走破する競技)の大会にいくつも出場している。
画像 | 場所 | 大会公式サイト |
画像 | スペイン南部アンダルシア州 | リンク |
画像 | カタルーニャサーキットを4~6人で交替しつつ24時間走る | リンク |
画像 | スペイン・メノルカ島のトライアスロン | リンク |
画像 | イタリア・ペスカラのトライアスロン | リンク |
画像 | スペイン・カタルーニャ州 | リンク |
画像 | スペイン・アラゴン州 | リンク |
画像 | 南アフリカのケープエピック | リンク |
このうち最後の大会はプロ選手も多数参加する本格的なマウンテンバイク大会で、「ケープエピック」と呼ばれる。毎年違うルートに2人1組で挑戦する8日間のステージレース。
2018年12月28日には、Movistar Teamという自転車競技のチームが「来季はアレイシ・エスパルガロをチームに迎え入れる」とツイートし、アレイシもそれを引用ツイートしている。この12月28日はスペイン語圏のエイプリルフールなので、他愛のない嘘を言っても許される。アレイシは多数の大会に参加しているので、本当のことを言っているようにしか見えない。
2018年サンマリノGPでは、マルコ・パンターニという有名な自転車選手を模したスペシャルヘルメットを被っていた。画像1 マルコの母親とも対面している。画像1
オフロード車で土の路面を走るトレーニングをしている。 画像1、画像2、画像3
アンドレア・ドヴィツィオーゾなど、オフロード車トレーニングにおいてとんでもなく高いジャンプをするMotoGPライダーは多いのだが、アレイシはあまりジャンプをしない。ジャンプをすると着地失敗したときの負傷リスクが大きいので、ジャンプをしないMotoGPライダーは何人か見られるが、アレイシはそのうちの1人と言える。
クロスカントリースキー(雪道での総合的な走力を競う。冬季オリンピック採用競技)が好きで、冬になるとその手の画像が次々とアップロードされる。画像1、画像2、画像3
アレイシが住んでいるのはアンドラ公国で、ピレネー山脈のど真ん中にあり、冬になると雪がどっさり降る。スキーをいくらでも行うことができる。
ゴンドラとかロープウェイなどというものを使わず、山道を歩いて登っていく。画像1、画像2、画像3
アレイシのSNSにはジムでの画像もちらほら上がっている。ぶら下がったり、バランスボールに乗っかったり、ロープを引っ張ったり、と色々なことをしている。
一方で、強烈な筋トレはあまり多くない。ホルヘ・ロレンソは筋トレ大好きだが、それとは対照的。
アレイシの体格は、2019年1月1日時点のMotoGP公式サイトの発表では180cm・66kgである。これはかなり高身長・軽体重の部類に入る。
MotoGPの操縦においては、身長が高くて手足が長いと前後の荷重移動を行いやすくて有利になるし、体重が軽いほど車速が伸びやすくなって有利である。
この記事では、185cm・78kgのスコット・レディングがアレイシの体重の少なさを羨ましがっている。「アレイシの体重が少なくて、ショックを受けましたよ」「アレイシは体脂肪が全然ないんです」と語っている。
アレイシの肉体を写す画像を見ると、ほっそりとしたマッチョ(細マッチョ)という感じ。画像1、画像2、画像3、画像4
親日家で、日本料理好きである。
ラーメン(うどんに見える)を食べるアレイシ 画像1
鍋をつつくアレイシ 画像1
弁当を食べるアレイシ 画像1
寿司を食べるアレイシ 画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6
きどぐちという東京・青山の寿司屋に行ったアレイシ 画像1
寿司処 山里という浜松の寿司屋に行ったアレイシ 画像1、画像2(同店は2014年限りで閉店、現在は全く同じ場所に寿し半 和楽という寿司屋が営業している)
東京・築地市場の寿司屋を訪れたアレイシ 画像1
寿し屋の勘八(東京・銀座周辺にいくつか店舗がある有名店)に行ったアレイシ 画像1
バルセロナのKoy Shunkaに行ったアレイシ 画像1
この店は松久秀樹さんという料理人が開いた創作日本料理店で、現地の評判が非常によく、FCバルセロナの選手も訪れるほどの名店である。
さらには日本料理店(寿司屋)を2017年の冬に開いている。名前はGINZA41。
場所はアレイシ邸のあるアンドラ公国で、この場所にある。公式webサイト、Instagramアカウント、Facebookアカウントあり。 画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6
愛犬家で、2匹のビーグルを飼っている。名前はPippaとZukiで、後者はスズキが由来である。画像1、画像2、画像3
Pippaは、2013年1月のInstagram開設直後の頃から飼っていた。2014年の結婚式にも来ていた。
スズキワークス入りが決まったあとの2014年11月、まだ仔犬のZukiがアレイシ邸にやってきた。
PippaとZukiは見分けることができる。背中が黒い方がZukiである。画像1、画像2、画像3
スズキワークス時代のサインボードには、ビーグル2匹の絵が描かれていた。
藤原らんかにも、ビーグル2匹とともに絵を描かれている。画像1、画像2
日本GPにビーグルを連れてきてアレイシに会わせる日本人ファンがいる。そのビーグルと写真に写ることがある。画像1、画像2、画像3
アレイシのSNSにはシベリアンハスキーの画像が出てくる。画像1、画像2、画像3
このシベリアンハスキーはEinaという。アレイシの犬ではなく、ポル・エスパルガロの犬である。アレイシがZukiを飼い始めた2014年11月に、ポルもEinaを飼い始めた。
ポルの家にやってきたときはまさに生まれたての仔犬だった。画像1、画像2、画像3
そこから急速に巨大化し、2ヶ月でこの大きさになり、4年後はこの大きさになっている。
アレイシはterranovaCNC101(テラノヴァ・CNC・101)というペットフード専門店を経営している。公式Instagramがある。店舗の場所はここ。
これはスペインやアンドラ公国に135ヶ所の店舗を持つチェーン店で、公式Twitterもある。
最後の101はアレイシの店舗の番号。2016年11月に開店した。
ちなみに、アレイシの妻ラウラさんの母親も同チェーンの店舗を持っていたようで、この画像で店舗開設が紹介されている。店舗番号は102、公式Facebookあり。現在は閉鎖してしまったらしい。
ホルヘ・ロレンソも同チェーンの店舗を持っていて、故郷のパルマ・デ・マヨルカにて開業している。店舗番号は99番。場所はここ。
弟のポル・エスパルガロとは大変に仲が良い。ポルと別のカテゴリーで参戦しているときは、ポルのレース中に必ずポルのピットへ行き、ピットウォールから身を乗り出して懸命に応援していた。動画1、動画2、動画3
FCバルセロナの大ファンで、SNSにはバルサの画像が多数上がっていて、スターティンググリッドでバルサのタオルを見せていたことがある。夫婦でカンプノウを訪れている。「ポルはサッカーが好きだけど、大好きってわけじゃない。一方、僕はサッカーが大好きだ」と、この記事で言っている。
RBAレーシング(2019年のチーム名はBOEスカルライダー無限)というMoto3クラスのチームの設立に関わった。このため、同チームの選手がパルクフェルメに入る好成績を挙げると、必ずアレイシが祝福に訪れている。同チームに在籍するガブリエル・ロドリゴとアレイシは関係良好で、しばしばSNSに画像が出てくる。画像1、画像2、画像3
秋葉原に出没するアレイシ 画像1、画像2、画像3
東京都荒川区のスタジオか何かで忍者のコスプレをするアレイシ 画像1
エアバッグが起動してビビるアレイシ 動画1
現在の自宅はアンドラ公国のラ・マサナ教区にある。アンドラ公国は実家のあるカタルーニャ州の隣である。ピレネー山脈の中にあるので冬は雪が積もり、このように雪かきをせねばならない。 雪道を華麗にドリフトして車庫入れする動画もある。
自宅からの写真はいくつか上がっていて、緑豊かな山の斜面にある。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5
アレイシの愛車の1つはランドローバーのMINI 1300。同社はイギリスに本社がある自動車メーカーで、ローバーのミニはMr.ビーンの愛車としても知られる。アレイシのSNSにも画像が出てくる。画像1、画像2 実はなんとこのミニは、ポルが結婚祝いとして贈ったものである(ライディングスポーツ2015年1月号)。この画像でも、ポルが贈ったと書かれている。
近視で、子供の頃は眼鏡をかけていた。画像1、画像2、画像3 16歳の頃には眼鏡をかけなくなった。
MotoGPに初めて参戦したときのチームメイトはアルヴァロ・バウティスタである。 そのためアルヴァロとは関係良好で、一緒に写る写真も多い。画像1、画像2、画像3、画像4
アプリリアワークスではイタリア語を話している。2012~2013年の間アンヘルニエトチームにいたときチーフメカがイタリア人で、イタリア語を学んでいた。「語学は得意なんです」とこの記事で語っている。
英語も得意で、英語圏の人に上手ですねと褒められるほど。この記事によると、アレイシがスペイン選手権を走っていたときアメリカ人のチームメイトがいて、アレイシの父がそのチームメイトに「ウチに住まないか」と誘ったという。そのアメリカ人チームメイトと同居して長い時間英語で会話することで、英語が上達したらしい。
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最終更新:2024/05/10(金) 17:00
最終更新:2024/05/10(金) 17:00
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