シガーとは、
- Cigar(英単語)。葉巻タバコのこと。
- 1990年生まれのアメリカの競走馬(綴りは1と同じくCigar)。第1回ドバイワールドカップ優勝や破竹の16連勝などで有名。馬名はメキシコ湾にある航空チェックポイントから。
- アントン・シガー(Anton Chigurh)。映画「ノーカントリー(No Country for Old Men)」に登場するハビエル・バルデム演ずる殺し屋。バルデムはこの役で2007年アカデミー助演男優賞を受賞した。
本項では2について述べる。
概要
出自
父Palace Music、母Solar Slew、母父Seattle Slewという血統。
父*パレスミュージックは英愛ダービーを勝ったノーザンダンサー産駒ザミンストレルの子で、チャンピオンSを勝ち、BCマイル2着がある[1]。シガー以外の代表産駒にジャパンカップでトウカイテイオーの2着に入ったナチュラリズムがおり、日本でもリース供用されたことがある。
母ソーラースルーは7戦未勝利で、牝系がアルゼンチンの土着牝系だったことからシガーを産んですぐに輸出されている。シガーの活躍後にアメリカに戻ってきたが、プエルトリコ最優秀3歳牝馬という凄いのかよく分からない受賞歴がある姉ムルカ以外のきょうだいに目立った活躍馬はいない。
母父シアトルスルーはアメリカで史上初めて無敗の三冠を達成した名馬であり、種牡馬としても大成功を収めている。詳細は個別記事を参照。
さて、このような血統構成の本馬は、競走馬産地としてはあまり主流ではないメリーランド州で母を所有したアレン・E・ポールソンによって生産され、アレックス・ハッシンガー・ジュニア調教師に預けられた[2]。マッチョな名馬が多いアメリカ競馬では珍しくすらりとした脚の長い馬で、一見牝馬のように見えなくもない馬体だった。
ちなみにシガーの名の由来は綴りこそ同じだが葉巻タバコではなく、上記の通り航空チェックポイントの名前である。これは馬主がガルフストリーム・エアロスペース社という航空機メーカーのオーナーも務めていたためで、シガーの1歳年上で2歳にして欧州年度代表馬に選ばれるという快挙を成し遂げた*アラジも同様だった。
前半生
3歳になり、同馬主の偉大な先輩である*アラジが競馬場を去った約3ヶ月後の1993年2月21日になって、シガーはようやくダート6ハロンのレースでデビューを迎えたが、ここは7着に敗戦。約2ヶ月後の5月9日に同距離で迎えた2戦目は6頭立ての4番人気と低評価だった上、出負けから必死に追って馬群に取り付くという競馬になったが最後はあっさり抜け出して勝ち上がった。
勝ち上がりこそダートだったものの、パワー型に見えない上に父系が芝向きの系統であったことから、以降は芝レースを中心に使われた。アメリカはダート中心なので、シガーは主流路線から早々に外れていったということになる。ついでに言えば三冠第一戦のケンタッキーダービーはシガーが勝ち上がる1週前に既に終わっている。
さて、初芝挑戦となったシガーはまず8.5ハロンの一般競走で4着。次走も逃げ馬に届かず後ろからも差されての3着だったが、3戦目では何頭かいる重賞馬から3kgほどのハンデを貰ったこともあり、直線入り口で先頭に立ってそのまま押し切り2勝目となった。
しかし、ここからが連敗街道の始まりとなってしまう。次戦の1マイルの一般競走で2着、重賞初出走のアスコットH(GIII)は3着、11月のヴォランテH(GIII)も逃げ馬を捉えられず2着。同月のハリウッドダービー(GI・芝9ハロン)は上位人気が総崩れとなった挙句、有力馬の1頭だった愛2000ギニー2着馬ファザーランドが故障で予後不良となるなど荒れたレースとなり、シガーも14頭中10番人気の人気薄だったとはいえ何の見せ場もなく11着に大敗。
悪いことは重なるもので、レース後に膝に骨片が見つかり、長期休養となった。
休養中に名門のウィリアム・I・モット厩舎に転厩したシガーは8ヶ月の休養を経て1994年7月に復帰し、ここは逃げる競馬を試みたが、直線で失速し4着敗退。8月の次走は逃げるのをやめてこれまでの戦法だった好位追走に切り替えたが伸びがなく3着、後に主戦騎手となるジェリー・ベイリー騎手を迎えて出走した9月の一般競走も直線で失速して7着。来日したこともある女性騎手のジュリー・クローン騎手を迎えた10月の一般競走でも、この年の二冠馬*タバスコキャットを前走で破っていたアナカウンティドフォーに突き放されて3着に敗れた。
芝で11戦もして僅か1勝。何の話にもならないレベルではなく一応善戦しているとはいえ、読む方も書く方もあくびが出るような戦績である。言い方は悪いが、この時点のシガーの戦績はどこにでも腐るほどいるような凡馬のそれだった。
これには流石にモット調教師もうんざりしていたらしく、気分転換させてやろうとでも考えたのか、シガーの次走は12戦ぶりのダートとなり、10月28日にニューヨーク・アケダクト競馬場で行われる1マイルの一般競走に決定。鞍上は現在でも活躍するマイク・スミス騎手が休養明け2戦以来の騎乗となった。
断言しよう。これが後の大記録の始まりとなることなど、誰一人として予想だにしていなかった。
火のついた「Cigar」
このレースで1番人気となったのは、9戦2勝で重賞には出走歴すら無いゴールデンプローヴァーという馬で、シガーは6頭立ての3番人気だった。そのレベルの馬に1番人気を奪われる辺りで当時のシガーの評価も分かろうというものである。
ところがレースが始まると、シガーはスタートがあまり良くなかったにも関わらずハナを切ったゴールデンプローヴァーに猛然と競りかけていく。そして向こう正面で早々と先頭に立ったシガーは悠々と走り続け、結局2着ゴールデンプローヴァーに8馬身差をつけて圧勝してしまった。
後世から見ればこのレースで大記録に火がついたのだが、同コースで行われた次走のNYRAマイルH(GI・1マイル)でシガーが人気になることはなかった。何しろこのレースのメンバー構成はそれなりに豪華だったのだ。
- GI5勝、前走BCクラシックこそ大敗だがそれを除いた近走は安定感抜群のデヴィルヒズデュー
- GI3勝、前年BCクラシック2着・エクリプス賞[3]最優秀古馬牡馬受賞と勢いを示し続けるバートランド
- ヴォスバーグS(GI)の勝ち馬ハーラン
- 前年のホイットニーH(GI)の勝ち馬ブランズウィック
これらのメンバー相手では、流石に前走圧勝とはいえ重賞馬ですらないシガーは12頭立ての6番人気止まりであり、斤量もトップハンデのデヴィルヒズデューから6kgほど軽かった。
デヴィルヒズデューの主戦でもあったスミス騎手は当然同馬を選択し、対するシガーはこの後引退までの相棒となるベイリー騎手が2度目の騎乗となった。
スタートが切られると、シガーは逃げたバートランドを見るように好位4番手で追走。向こう正面で早くも先頭を奪うと、直後につけていたデヴィルヒズデューのスミス騎手も前走でシガーはタダ者ではないと勘づいていたのかそれをマークするように進出したが、3コーナー辺りから差は広がる一方。直線に入ったときには既にほぼ勝負はついており、なんとデヴィルヒズデューを7馬身もちぎり捨てて圧勝し2連勝。人々からは「こんなに強い馬だったとは!」という驚きとともに称えられた。
5歳(1995年)シーズンは始動戦を何事もなく勝って3連勝とし、2月のドンH(GI・9ハロン)に挑戦。ここでは単勝1倍台の支持を集めたGI6勝の前年年度代表馬ホーリーブルが最大の強敵として立ち塞がり、シガーは2番人気。ハンデはホーリーブルが127ポンド(約57.6kg)、シガーは115ポンド(約52.2kg)となった。
迎えたレースは内枠だったシガーが逃げを身上とするホーリーブルのハナを叩いて逃げ、ホーリーブルがそれに並びかけて並走気味に進む展開となったが、ホーリーブルは不運にも向こう正面で競走中止。これでシガーは独走となり、結局5馬身半差をつけて4連勝を達成した。
一方のホーリーブルは競走能力喪失級の故障であり、これを最後に引退。シガーの4連勝よりもホーリーブルの引退のほうが騒ぎになるという少し後味の悪いレースとなってしまった。
次走のガルフストリームパークH(GI・10ハロン)では逆にシガーがトップハンデを背負う立場となったが、斤量差が最大でも3kg程度ではハンデが無いも同然であり、本来のスタイルである先行抜け出しを披露してあっさり5連勝。前年のBCクラシック勝ち馬コンサーン、GI6勝馬ベストパルとそれを前走で破ったアージェントリクエスト、8連勝中のシルバーゴブリンなど相手が一気に強化され、ハンデ差もほとんど無くなったオークローンH(9ハロン)では仕掛けどころで同じような位置にいたシルバーゴブリンの騎手が入れたムチが顔面に当たるというアクシデントを物ともせず、6連勝でGI4勝目。負けることを忘れたかのような走りを披露し続けるシガーの走りはこの辺りになると相当なものと気づかれ始めた。
BCクラシックへ
5月のピムリコスペシャルH(GI・9.5ハロン)ではデヴィルヒズデューとコンサーンとの再戦となったが、両馬との斤量差がたったの1ポンド(約0.4kg)では負けようがなく、デヴィルヒズデューらを子供扱いして逃げ切り、悠々と7連勝。敗れたデヴィルヒズデューはこれを最後に引退となった。
次走は3年前に財政難からリニューアルオープンしたボストン郊外のサフォークダウンズ競馬場が実力馬を呼ぶために用意した高額賞金レースであるマサチューセッツH(格付け無し)となったが、賞金だけが売りと言って差し支えないようなレースだったためメンバーも大したことがなく、あっさり好位から抜け出して8連勝を達成。格付け無しのレースではあったが、これまでで最も高い1着賞金65万ドルを獲得した。
続けて馬主の自宅がある西海岸に遠征してハリウッドゴールドカップ(GI・10ハロン)に出走。遠征初戦で当然トップハンデ、しかも相手には再戦となる強豪のコンサーン、ベストパル、アージェントリクエストが含まれていたため一筋縄では行かないように思われたが、結局好位からの抜け出しといういつも通りの競馬を見せ、前年のパシフィッククラシックS(GI・10ハロン)の勝ち馬ティナーズウェイに3馬身半差をつけ9連勝。東海岸へ戻っての初戦となるウッドワードS(GI・9ハロン)は定量戦のため「こんなのと同じ斤量で走らせて勝てるわけねーよJK」ということで回避馬が続出して結局6頭立てとなり、何の問題もなく3番手から馬なりで抜け出し10連勝。
次戦のジョッキークラブゴールドカップも定量戦だったが、ここではシガーに最後に勝った相手のアナカウンティドフォー(前々走ホイットニーHを制してGI馬となっていた)、前年のチャンピオンSの勝ち馬デルニエアンプルール、そして何と言ってもこの年ケンタッキーダービーとベルモントSを制した二冠馬で、トラヴァーズSも勝っていた3歳馬のトップクラスである*サンダーガルチなどの強敵が揃い、特にシガーと*サンダーガルチに関しては「勝った方が今年の最強馬」「このレースで年度代表馬が決まる」とまで言われた。
そしてシガーが単勝1.35倍、*サンダーガルチが単勝4.05倍、残りの5頭は全て単勝10倍以上という一騎打ちムードの中でレースが開始。シガーは*サンダーガルチと並んでいつも通り好位からレースを進め、直線入り口で先頭に立つと、追い込んできたアナカウンティドフォーをデビュー戦大敗以来の湿った馬場に苦しみながらも1馬身退け、11連勝を達成した。
一方の*サンダーガルチは3コーナーで早々に失速し、シガーから15馬身も離された5着。更に左前脚の故障が判明してそのまま引退してしまった。
さて、この年の締めくくりとしてシガーはベルモントパーク競馬場で行われたBCクラシックに挑戦。アナカウンティドフォーや前年覇者コンサーン、ハリウッドゴールドカップ2着の後にパシフィッククラシックS2連覇を達成したティナーズウェイも出走してきたが当然有力馬はそれらだけではなく、
- エクリプスS・英インターナショナルSを含めて8連勝中、ゴドルフィンが誇る中距離の雄ホーリング
- 前年のスーパーダービー(GI)を含む重賞4勝の*ソウルオブザマター
- 三冠競走こそ棒に振ったもののデビューから5戦4勝で底を見せていない*フレンチデピュティ
- GI2連勝中のピークスアンドヴァレーズ
など、錚々たるメンバーが揃った。それでもシガーは単勝1.7倍の1番人気だったが、あいにくレース前に雨が降り続いて馬場が重くなり、稍重馬場でも苦労したシガーにとっては大苦戦が予想され、出走取消まで検討される事態となった。
しかし蓋を開けてみると、シガーはハイペースの3番手から3コーナーで仕掛け、4コーナー辺りではもう先頭。そのまま美しいフォームで伸び続けるシガーは後続の追い込みを楽々抑え、「Racing Superstar!」という実況の賛辞に迎えられながら12連勝のゴールを通過。レース史上初めて2分の壁を破る1分59秒58(重馬場での2分切りは未だにこれが唯一)という時計を叩き出すおまけ付きの、本当に出走取消が検討されたのか疑いたくなるような好内容での勝利だった。
5歳シーズンはGI8勝を含む10戦10勝という完璧な成績で、年間獲得賞金は*サンデーサイレンスが持っていた北米記録を更新する481万9000ドル。エクリプス賞では最優秀古馬牡馬に選出され、306票中304票の圧倒的支持を集めて、メリーランド州産馬としては1939・40年のシャルドン以来史上2頭目となる年度代表馬にも選出された。満票じゃないのが不思議なくらいだ。
栄光は馬だけに留まらず、馬主のポールソンは最優秀馬主、モット調教師は最優秀調教師、ベイリー騎手は最優秀騎手に選出された。
第1回ドバイワールドカップ
6歳となった1996年は2月のドンHから始動。今度はシガーがGI8勝・BCディスタフ2年連続2着の名牝ヘヴンリープライズらに5kg以上のハンデを与える側となったが、それでも単勝1.2倍の断然人気となり、レースでは3番手から3コーナーで仕掛けて先頭に立つと後は悠々流すだけという余裕の勝利で同競走連覇を達成、13連勝となった。
しかし、シガーはこのレース中に右前脚の蹄を傷めてしまっていた。このため調教も行わずにしばらく休養していたのだが、次走は思わぬところからやって来た。
この年、ドバイでは総賞金400万ドル、1着賞金240万ドルという世界最高賞金のレース・ドバイワールドカップが創設されており、シガーは主催するモハメド殿下からその第1回の目玉として招待を受けたのである。負傷により調教を休んでいたシガーは当然万全ではなかったのだが、陣営は果敢にもこれを承諾。かくして陣営は、名前の由来となったチェックポイント「シガー」を経てドバイへ渡った。
迎えたレースはBCクラシックで2着だったルキャリエールや*ソウルオブザマター、ホーリングといった再戦となる相手に加え、前年のキングジョージで*ラムタラの2着となった後に愛チャンピオンSを勝った*ペンタイア、豪州GI5勝のデーンウイン、そして日本からは前年にダート重賞6連勝を達成したライブリマウントが参戦、これらを含めた全11頭立てで争われた。そしてレースはいつも通りの好位抜け出しで押し切ろうとしたところを勢いよく追い込んできた*ソウルオブザマターに並ばれたが、そこからおよそ300mにも及ぶ叩き合いを凄まじい根性で凌ぎきって辛くも14連勝。着差は16連勝中はおろかキャリアを通して勝った全19戦の中でも最もギリギリとなる半馬身差であった。
この激戦を切り抜けたことで、「斤量が軽い」「レコード勝ちがない」「接戦を経験していない」ということでシガーを歴史的名馬の1頭に数えることを疑問視していた古参の関係者は黙り込むしか無くなり、ドバイWCというレースもこの一戦によって一気に国際的な注目を集めることになった。
歴史的記録への挑戦
ドバイWCを勝って帰国したシガーは称賛とともに迎えられ、シガーを競馬場に呼び込もうと各地の競馬場の誘致合戦が加熱。シガーが出走するレースでは賞金を増額すると発表した競馬場が相次いだが、結局帰国初戦は前年も勝ったサフォークダウンズ競馬場のマサチューセッツHに決定。大したメンバーが出てこなかったのは相変わらずだったためシガーの斤量は130ポンド(約59kg)となり、他馬より7~10kgほど重い斤量となった。しかし蓋を開けてみると酷量を考慮して抑え気味の競馬をしても十分であり、ちょっとゴーサインを出しただけで後は馬なりのまま圧勝。危なげなく15連勝を飾った。
こうなると不滅の大記録であるサイテーションの16連勝が意識されるところであった。16連勝目に挑戦するのは連覇がかかる6月のハリウッドゴールドカップの予定だったが、軽度の負傷のためこれを回避。代わって記録樹立を賭けて挑んだのは、アーリントンパーク競馬場が特別に企画した7月13日のレース、その名も「アーリントン・サイテーションチャレンジ」だった。
このレースはとんでもない大盤振る舞いだった。願いましては1着賞金75万ドル、2着15万ドル、3着8万2500ドル、4着4万5000ドル、5着2万2500ドル、更に普通は賞金が貰えない6着以下の馬にも一律5000ドルときたもんで、〆て総賞金107万5000ドルという、同競馬場最大のGI・アーリントンミリオンも真っ青の出血大サービス。このため我こそはという強豪が集い、中でもBCジュヴェナイル・フロリダダービーを勝った3歳馬アンブライドルズソングは前走に続いて130ポンドを背負ったシガーから5kgほど軽い斤量だったこともあって対シガーの最有力候補となった。
16時44分。全米にTV中継され、アメリカ中の競馬ファンが固唾を飲んで見守る中いよいよ大記録への挑戦のゲートが開くと、シガーはアンブライドルズソングと並んで5~6番手を追走。ゴーサインが出るといつも通りの豪快な進出を見せ、逃げていた2年前のBCクラシック3着馬ドラマティックゴールドに4コーナーで並びかけてそのまま先頭を奪うと後は突き放す一方。大歓声に包まれる中で直線を突き抜けて見事16連勝を達成し、45年ぶりに大記録に並んだシガーとベイリー騎手にはおよそ20分にもわたる拍手喝采が送られた。
連勝の終焉、そして引退
歴史的記録に並んだシガーは17連勝という新記録を目指して西海岸に飛び、1ヶ月後のパシフィッククラシックS(GI・10ハロン)に参戦。相手は対戦経験のあるティナーズウェイ(本競走3連覇がかかっている)とドラマティックゴールド、シガーが挑戦予定だったハリウッドゴールドカップを4連勝で制したサイフォンなど5頭がいたが、このレースは定量戦だったためシガーの優位は疑いようがなく、シガーの単勝オッズはなんと1.1倍。まず間違いなくシガーは17連勝を達成するだろうと思われていた。
しかし、競馬に絶対は無かった。1ハロン平均11秒台、1マイルが1分33秒3という殺人的なハイペースで逃げたサイフォンを深追いしたシガーはお釣りが無くなってしまい、4番手でマークしていたサイフォンの同厩のブービー人気馬デアアンドゴーに直線入り口で一気に交わされて3馬身半差の2着。連勝は16でストップし、デアアンドゴー陣営が喜びを露わにするのとは対照的に、シガーの17連勝を見に来た多くのファンはお通夜状態となってしまった。ベイリー騎手は超ハイペースを深追いして敗因を作ったと非難を浴びたが、2年間にもわたる遠征続きでの疲労や完治していなかった蹄にも敗因はあった可能性は否めないだろう。
さて、巻き返しを狙ったシガーはウッドワードSに出走。ルキャリエールやサイテーションチャレンジ3着馬エルティッシュ、そして6連勝中のスマートストライクなどが相手となったが、前走の反省を活かして少し離れた4番手から4角で先頭を奪うとあとは突き放す一方。2着ルキャリエールに4馬身差をつけて連覇を達成し、健在をアピールした。
次走ジョッキークラブゴールドカップでは前走の復活で印象を強めたことから、プリークネスSの勝ち馬ルイカトルズ、ベルモントSの勝ち馬エディターズノート、両競走2着馬スキップアウェイなどの3歳強豪勢を相手に単勝1.2倍の支持を集めるも、迎えたレースではルイカトルズとスキップアウェイが大逃げを打つ展開となり、そこから抜け出したスキップアウェイをアタマ差捉えきれず2着。スキップアウェイはこの後新たな米国最強馬へ登り詰めることとなる。
そしてシガーは33戦目のラストランとして、この年はカナダ・ウッドバイン競馬場で行われたBCクラシックに出走。デアアンドゴー、ルイカトルズ、エディターズノート、ドラマティックゴールド、ドバイWC5着馬タマヤズという対戦済みのメンバーに加え、前年のプール・デッセ・デ・プーラン(仏2000ギニー)2着アティキャス、トラヴァーズSを勝った3歳馬ウィルズウェイ、この頃はまだシルバーコレクター止まりだった日本馬タイキブリザードなど12頭のライバルが顔を揃えた。そして単勝1.65倍という前年以上の支持を集めて迎えたレースでは中団から3コーナーで仕掛けるいつも通りの競馬となり、直線では地元の有力馬マウントササフラ、重賞5勝馬アルファベットスープ、そしてルイカトルズと4頭並んでの熱い叩き合いを展開。着差が上からハナ・アタマ・1/2馬身という僅差のゴールとなったが僅かにアルファベットスープがルイカトルズを抑え込んでの初GI制覇となり、シガーはその2頭に続く惜しい3着。これを最後に競走馬を引退した。
合計獲得賞金は1000万ドルの大台に僅かに届かず999万9815ドルだったが、これは当時の立派な世界記録。この年の年間獲得賞金491万ドルも、自身が前年に打ち立てた年間獲得賞金記録を更に塗り替えるものだった。そしてエクリプス賞でも最優秀古馬牡馬・年度代表馬を2年続けて獲得。翌年にはガルフストリームパーク競馬場にシガー像が作られ、シガーがGI初勝利を挙げたアケダクト競馬場のNYRAマイルHはシガーマイルHに改称された。米・ブラッドホース社が1999年に選定した「20世紀の米国名馬100選」では18位に選ばれ、2002年には殿堂入りを果たしている。
33戦19勝、GI競走11勝。トップクラスで戦い続け、時に遠くドバイにも遠征しながら16連勝を達成した強さはおそらく永遠に色褪せないだろう。先行からスッと抜け出すソツのない勝ち方が身上で、滑らかに加速するレースぶりと並んでも簡単には抜かせない勝負根性が持ち味だった。そして経歴からも分かる通りタフな馬で、連戦も輸送も厭わなかった。見た目と裏腹なのは馬場適性だけではなかったようである。
4歳中頃まで泣かず飛ばずだった馬とは思えない躍進ぶりは、馬に適切なレースを選んであげることの大切さと難しさを教えてくれる。日本で言えばタマモクロスのような成り上がりは上昇志向の強いアメリカ人に強烈に訴えたらしく、その人気は凄まじいものがあった。引退レースの1週間後にニューヨークで特製のトラックに乗って引退記念パレードが行われ、引退式が行われたマディソン・スクエア・ガーデンには1万6000人ものファンが詰めかけて別れを惜しんだというから、下手な人間のアイドルも真っ青のアイドルホースだったことが伺える。
余生
数々の記録を手土産に引退したシガーだったが、世紀の名馬の産駒に期待していたのは当然ファンだけでなく生産者も同じであり、引退後は日本を含めて世界各国で誘致合戦が繰り広げられた。最終的にアイルランドの大勢力・クールモアが権利の75%を取得し、2500万ドル(当時の日本円で30億円)ものシンジケートを組まれて種牡馬入り。そしてクールモアが運営するケンタッキー州アシュフォードスタッドで種牡馬生活をスタートしたシガーは初年度の種付け料を7万5000ドルと設定され、34頭の牝馬を集めたものの……この34頭がただの1頭も受胎しない。
流石におかしいということで慌てて検査してみると、なんとシガーは無精子症であることが判明。クールモア側の損失は保険で補填されたものの、2年間の治療もむなしく、遂にシガーは1頭の産駒も残せないこととなってしまったのである。これほどの名馬の産駒が、それも予後不良になったわけでもないのに得られないというのは間違いなくファン心理としても生産者心理としても競馬界にとって甚大な損失だった。ちなみに無精子症になった原因は現在に至るまで判明していない。
遺伝子を残す道を閉ざされたシガーはケンタッキーホースパークに移住。同地でシガーが達成できなかった数少ない記録である満票での年度代表馬を獲得した当時唯一の馬であった[4]ジョンヘンリーと並ぶ人気者となったシガーは全米から訪れる多くのファンと触れ合いながら穏やかな余生を送り、2014年10月8日に24歳で静かにこの世を去った。
血統表
*パレスミュージック Palace Music 1981 栗毛 |
The Minstrel 1974 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Fleur | Victoria Park | ||
Flaming Page | |||
Come My Prince 1972 芦毛 |
Prince John | Princequillo | |
Not Afraid | |||
Come Hither Look | Turn-to | ||
Mumtaz | |||
Solar Slew 1982 黒鹿毛 FNo.2-g |
Seattle Slew 1974 黒鹿毛 |
Bold Reasoning | Boldnesian |
Reason to Earn | |||
My Charmer | Poker | ||
Fair Charmer | |||
Gold Sun 1974 鹿毛 |
Solazo | Beau Max | |
Solar System | |||
Jungle Queen | Claro | ||
Agrippine | |||
競走馬の4代血統表 |
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関連項目
脚注
- *その前年も2位入線したが進路妨害で9着降着となっている。
- *当初はポールソンの妻のマドレーヌ夫人の名義だったが、後にBCジュヴェナイルフィリーズを勝ったイライザと交換する形でポールソンの名義となっている。
- *日本で言うJRA賞で、1971年発足。概ね日本と同じような構成だが、関係者表彰はJRA賞と同じ騎手・調教師・見習騎手の表彰に加えて最優秀馬主・最優秀生産者の表彰がある。
- *後に2015年の三冠馬アメリカンファラオが満票で年度代表馬を受賞している。
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