Honda FCとは、静岡県浜松市を本拠地に置く、JFL所属のサッカークラブである。
正式名称は「本田技研工業株式会社フットボールクラブ」である。
概要
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本田技研工業サッカー部を前身としており、名前は変わっているものの実業団形式は維持している。
トップチームは過去にプロ契約選手が多く在籍したセミプロに近い体制だった時期もあったが、現在は本社の方針により、若干名のプロ契約者以外は全員本田技研工業の正社員である(超重要事項)。2020年末までは、監督1名・選手4名(内、Jリーグクラブからのレンタルが3名)の計5名のプロ契約を行っていたが、引退や移籍により、2021年以降は、再びプロ契約した選手なしの完全アマチュア選手のみのチームとなってる。
そのトップチームはJリーグ所属チームを始めとするプロチームに対して強さを発揮して且つ目立った報道をされた時、たまに2ちゃんねるのスレッドとかで、Honda FCについて知らない人から『社員選手は派遣社員か契約社員なんでしょ?』とよく疑われる。この際だから改めて述べるが、社員選手は全員本当に正社員である。また、2002年から2013年までの12年間は本社命令により、単なる移籍加入はもちろん、OBの出戻りも出来ない状況であった。
なお、Honda FCについて、大体下記のような感じでイメージされるのはよくあること。
16 :名無しさん@恐縮です:2013/10/10(木) 10:03:50.04 ID:UBM7TOfz0
ホンダはJFLで我が道を突き進んでるなぁ・・・
まぁ契約社員って扱いかもしれないけど、プロになれなかったり
Jから弾き出された選手の受け皿としてはしっかりして魅力的な
クラブだろうな。
その分入るにも入ってからも競争は激しいだろうけど21 :名無しさん@恐縮です:2013/10/10(木) 10:40:59.82 ID:g4tvstv2O
ホンダは天皇杯でよくJ1倒してる
Jに通用するかはホンダが基準だよなぁ※2ch「芸スポ速報+板」のスレッド『【サッカー/清水エスパルス】格下・ホンダに完封負け!期待のサブ組、アピール失敗』より
まぁ、この年の天皇杯は、静岡県予選決勝で藤枝MYFCに負けて3年連続予選敗退したんですけどね。(小声)
…さて、Honda FCは本田技研工業内の数あるサッカークラブの中でも所謂「本社側のクラブ」であるわけだが、結成当初から浜松製作所がある浜松市を拠点としている。こういう形態は他競技の本社チームにも通ずる。例えば、ラグビーや男子ハンドボールの本社側のクラブも鈴鹿製作所がある三重県鈴鹿市を拠点としており、野球と陸上競技の本社側のクラブも製作所がある埼玉県狭山市を拠点としている。これら本社側のクラブに所属する正社員選手は、午前は本業、午後はトレーニングという日々を過ごすことになる。当然、選手引退をした後は、通常の従業員と同じ労働時間で従事することになる。
2013-2014シーズンのユニフォーム。ただ、レプリカには胸・背の番号と右肩のJFLロゴが無い。また、アウェイ用のレプリカ(白)は販売されていない。なお、新デザインのレプリカは毎回夏頃に発売予定となっている。 |
一方、本社側のクラブではない、本田技研工業グループ内のその他のクラブの大半は同好会扱いで、且つ各々の製作所運営のクラブとされている。クラブ名称に地域名が加えられているので見分けが付き易い。これら同好会扱いのクラブに所属する選手は、1日の本業(8時間前後)が終わった後にトレーニングを行う。
ちなみに浜松製作所には、「本田浜松サッカー部」という浜松製作所側のサッカークラブも存在している。こちらのクラブには、Honda FCのOBも参加している。
Honda FC以外の本田技研工業グループのサッカークラブ
本田浜松サッカー部について
本田技研工業浜松製作所浜友会サッカー部として1954年に創設した。実はHonda FCの前身である本田技研工業サッカー部(以下「本社側」)の母体でもある。そのため引き続きHonda FCと並行して存続することになる。2012年に静岡県社会人リーグ1部で最下位になったのを最後に活動停止し、リーグから脱退した。
なお、1970年代末期から1980年代にかけて東海社会人リーグに所属していたこともあり、グループ内では狭山や鈴鹿と同様に古豪に位置するものの、同じホームタウン内にいる本社側の存在もあって知名度は低い。
Jリーグ参入を目指していた2度の過去
実はこのクラブ、過去にJリーグ参入を目指していた時期が2度あった。Wikipediaの当クラブの項目にもこのことが掲載されてあるので、知っている方もいるだろう。このことについて、Honda FCの特集が掲載されていた『サッカー批評』第38号から一部を引用して以下に記する。
1度目(Jリーグ発足前)
Jリーグ参入を目指すにあたり、本社チームよりも結成が早かった埼玉製作所の本田技研工業狭山サッカー部(現:ホンダルミノッソ狭山FC)と合併し、且つ埼玉県浦和市(現在のさいたま市浦和区)を本拠地にすべくための計画が進められていた。
実はコレ、浜松製作所側を中心に進んでいた計画であり、尚且つ、東京の本社側は一切知らされていなかったという。後で本社にばれて、計画は本社預かりとなり、最終的には現在も本拠地とする浜松から目指す方向へとなった。それは、本田技研工業という企業的立場から「今まで応援してくださってきた浜松のお客様を裏切るわけにはいかない。」ということもあったからだとのこと。
しかし、最終的に静岡県から加盟できたのは、後に「清水エスパルス」と名を変える、当時静岡県リーグ1部所属の清水FCのみだった。…というかそれ以前に、本田技研工業自体は静岡県からのJリーグ初年度加盟争いから早々と降りており、何故そうしたのかは現在に至るまで明かされていない。その後、他チームから選手を引き抜かれ、JSL(日本サッカーリーグ。Jリーグの前身となる社会人リーグ。)1部の強豪として鳴らした本田技研工業サッカー部は、しばらくの間弱体化を余儀なくされたのだった。
現在、このとき加盟できなかった原因の一部として「本業以外には手を出さない」という本社主義も挙げられているが、本当にそれも原因の一部であったのかは、関係者からの話など明確なソースは出ていないので不明である。
2度目(1997年)
前シーズンはJリーグ準会員も含む強豪クラブを抑えて見事優勝し、それをも踏まえて改めてJリーグ参入を目指す本田技研工業サッカー部の受け皿となるべく「浜松FC」が発足した。
しかし、後にJリーグ準会員ともなったが、その3ヵ月後準会員を返上する破目となるが、それには以下の理由がある。
当初、本田技研工業側はこの浜松FCを地域のクラブとして認知されるべく、極力前面に出ることを避けた。ところが、浜松を本拠とする複数の大企業が、ホンダ色を嫌った形でJリーグ参入を目指すクラブの足を引っ張ったらしく、結局断念することになったという。なお、浜松は特に地元行政とホンダのライバル企業であり且つ世界的な同種企業でもあるスズキの結びつきが強いと噂されているので(※2014年現在の浜松市長のバックとして鈴木修・スズキ代表取締役会長兼社長がいる)、その影響も少なからずあったとされる。
Wikipediaには「当時は史上最悪の製造不況および通貨危機前夜の時期であったため、産業都市である地元・浜松市内では地元紙などの影響から本田技研のJリーグ参戦に対し否定的な見方が支配的であった。」と書かれてあるが、サッカー批評第38号にこのことは言及されていないので、結局のところその時期が直接Jリーグ参戦に影響を与えるものであったかは不明である。
また、浜松市政側も浜松市政側で、クラブのJリーグ参入に向けて積極的に動いた形跡もなく、「『ホンダ』というブランドが担保になるなら協力するよ」と当初は言っておいて、時がある程度経過した頃に「ホンダがやるなら応援するよ」という態度に変わっていた。この頃のホンダの社長であった川本信彦は「話違うじゃん!」と嘆いていた。そりゃ、協力してもらえるスタンスだったのが、単に「応援するよ」っていうスタンスに変えられるとねぇ・・・。これもサッカー批評38号に掲載されているので、古本屋で見掛けたら要チェック。当たり前だが、Jリーグ参入にはホームタウンの行政の協力を取り付けなければならない。
あれが、最後の本気、でした。
今後は企業チームとして、ずっと、やっていくしかない…そう思いましたね。
つまり…お察しください。
なお、現在のJFLへの参入における記者会見にて、「(Honda FCを中核チームとして)浜松を本拠にJリーグ参入を目指す団体が現れるのなら、ホームスタジアムの譲渡など協力する。」などと発言していたが、現在のところそういった団体は現れていないので、このことは既に無かったことにされているようである。
…だが、こういった経緯の一部について、なんとジュビロ磐田のサポーターからこんな指摘があった。
393 :U-名無しさん@実況はサッカーch:2013/05/12(日) 14:44:22.16 ID:Xw31Bk9d0
勘違いしている人が結構いるけど、ヤマハ発動機がJリーグに
参入しようとしたとき浜松をホームタウンにしようとした、
それに対してスズキは全く反対していない。
なんでヤマハは浜松を断念して磐田にしたか、それはまずひとつは
浜松でスタジアムが用意できなかったこと、もうひとつは
この件に関してまるで浜松市民が冷淡だったこと。
それに対して磐田市民からは「ヤマハ発動機が浜松でJリーグに入るのは
仕方ないが、もしそれが無理だったらぜひ磐田で」という声が
大きかった。
394 :U-名無しさん@実況はサッカーch:2013/05/12(日) 14:52:43.36 ID:Xw31Bk9d0
浜松市民にありがちな勘違い
1.ヤマハ発動機は浜松は眼中になく始めから磐田をホームタウンにしてJリーグに参戦したかった
2.ヤマハ発動機は浜松をホームタウンにしてJリーグに参戦したかったが、スズキの社長に反対されて断念した
1も2も全く間違いで事実と異なる。
ヤマハ発動機は浜松でJに参戦したかったし、それに対してスズキも全く反対
していなかったが、とにかく浜松市も浜松市民もそれに関してまるで冷淡で
ほとんどヤマ発の浜松でJにという希望をマジメに相手せずスルーしたと言っていい。
どうしても清水市からJクラブを必死で頑張った清水市や清水市民とはまるで対極。
402 :U-名無しさん@実況はサッカーch:2013/05/12(日) 16:19:42.94
ID:8Rzyuw/i0
393,394の通りでHONDA自身、J入りに興味持ってたわけで
浜松に、てか浜北にスタ作ってヤマ発と共有って当初は言ってたのよ
ところが行政側がまったく興味を持たず、やりたければ自分達でやれときた
修ちゃんが間に入ってもそれだったことでHONDAはプロ化をやめて
ヤマ発は磐田をホームにすることになって
一方で清水は官民総出でアピール
どっちがオリ10になれるかは結構はっきりしてたんかもね
鈴木修・スズキ代表取締役会長兼社長と言えば、言わずと知れた中日ドラゴンズを応援している人物でもあることから、野球好きの人間として知られる。しかし、実際のところ、そんな彼が浜松市をホームタウンにするJリーグクラブの誕生に案外、(どちらかと言うと)協力的な人物だったとしたら…?
当然、この書き込みを裏付けるソースが無いので、結局のところ、この書き込みはまだ信用できるわけではないが、誰か詳しい人いたら掲示板でご指摘願いたい。
なぜ浜松市をホームタウンに拘り続けているのか?
先程のJリーグ参入計画を読んで「チームのプロ化を諦めていなかったのなら、他クラブのように国替え(ホームタウン移転)すれば解決したはずじゃないか」という疑問が浮かんだ方も居ると思うだろう。しかし、どうやらそれは、本田技研工業という会社自体のポリシーに反するもののようだ。以下、再び『サッカー批評』第38号より引用させてもらう。
この言葉は創業者の本田宗一郎による教えなのだが、それがどのようにサッカークラブの運営と関係しているのか?インタビューを受けた関係者は「スポーツであれ、本業であれ、地元に根付いて、地元の人たちを大切にする。そういった人間尊重というのが大きかった」と述べ、これがHonda FCと(国替えした)他クラブとの違いと説明している。そのため、Honda FCは現在も「プロ化ありき」ではなく「ホームタウンありき」で浜松市に残り続けている。
「Jリーグを目指さないクラブに未来はない」…2ちゃんねるの国内サッカー板で、そういう風なレスポンスを見たことがある。しかし、今後もHonda FCを愛する浜松市民が居る限り、そしてHonda FCがその愛に応えて、浜松市に根を張り続ける限り、アマチュアに徹していようとも未来はあるものと考える。そして、再びプロ化とJリーグ参入への実現を目指していくかは、浜松市民の声、そして行動力に掛かっていると言えよう。
なお、2012年シーズンからは、フロント側が浜松市内での知名度向上に本腰を入れ直している模様で、リーグ開幕前には市長表敬のため浜松市役所を訪問したり、ポイントを貯めるとオリジナルグッズが貰えるというメンバーズカードを新たに発行している(今のところグッズはTシャツのみ)。コレをキッカケに、往々は周囲の後押しがあるクラブへの道を再び歩み始めるのか、それとも…。
新戦力獲得の制限
現在のトップチームには毎シーズン新戦力を獲得する際にある条件があった。
それは「クラブに加入できるのは基本的に新卒選手のみ」であるという制限である。大体が高校卒業(クラブユースの選手であっても高卒ならO.K.)か大学卒業の二択であり、専門学校などの各種学校や専修学校を卒業した選手を獲得したという例は過去に無い。
但し、2012年に入団したFWの河野大星の経歴(東海大付仰星高サッカー部→アルビレックス新潟シンガポール→姫路獨協大サッカー部)を観る限り、現役の新卒でなくても、とりあえず高校か大学の新卒であれば獲得は可能である。残念ながら河野は2013年に引退してしまったが、翌2014年には、似た経緯の人間であり、元Jリーガーでもある原田開(FW、経歴:ジュビロ磐田U-18→湘南ベルマーレ→順天堂大学蹴球部)が入団してきた。
なお、「新規入団は新卒選手だけ」という状況は、クラブ名称が現在の名称に変更した2002年から2013年まで続き、2014年からは新卒選手に加え、過去にJリーガーとして羽ばたいていったOBを若干名、プロ契約の形で呼び戻している。なお、こうなった理由として、出来る限り社員選手のみでの構成する体制を維持するためのものであると推測される。
そういうわけで、新卒選手を時間を掛けて育成しながら戦力にしていくことが基本であるのが、現在の台所事情である(つまり、毎年における選手の入れ替えが他クラブと比べて少ない。詳しく書くと、Honda FCの選手はプロ契約以外の選手は全員正社員であるため、選手は例え本社のサッカーチームから戦力外になったとしても、そのまま退社の流れとはならず、会社側が定年退職まで雇用するという事情もあるので、そもそも選手の入れ替えを大々的に行うこと自体できないのである)。実際に、主力の怪我もあって、異名にそぐわぬような信じ難い順位で前期を折り返したり、シーズンを終えてしまう状況が既に出てしまっており、2008年の世界恐慌が起こった時は、一時期解散の危機に立たされたこともある。
そして2011年、天皇杯静岡県予選決勝で、Honda FCから観れば格下である静岡産業大サッカー部に1-3で破れ、本大会出場を逃してしまう(やっちまった…)。ちなみにこの時の出場を逃したお陰で、それまで県内最多だった天皇杯出場回数がジュビロ磐田と並んでしまった。(この年を持って引退するFWの新田純也は、『週刊サッカーマガジン』No.1393に掲載された引退インタビューにて、この試合の後、チームは浜松製作所の所長から呼び出しを喰らったことを明かしている。)
さらに2012年、今度は予選準決勝で浜松大サッカー部に1-2と競り負けて2年連続で本大会出場を逃すが、それ以上に大学チームに2年連続で負けた挙句予選決勝に進出できなかったという失態を犯してしまった(もうダメかもわからんね…)。しかも決勝点の取られ方(トドメ)が試合終了間際という、サポーターにとっては昨年の悪夢が蘇ったかのような感じであった。これにより、県内の天皇杯出場回数最多チームが(ry。(ちなみに、2012年の静岡県代表は、予選決勝で藤枝MYFCをPK戦の末下した浜松大サッカー部となった。)
というわけで、Honda FCはまたプロ契約が出来るようになったとはいえ、今後も新卒選手を育成しながら戦力にしていくのが基本であることに変わりはないのだ。その上で、リーグ優勝並びに天皇杯での打倒Jリーグクラブをシーズン毎の目標にして、戦っていかなければならないのである。
Honda FCから巣立った選手及びスタッフについて
メインスタンド側にはHonda FCの歴代成績とそのメンバーについての碑が掲載されている。写真右端はHonda FCからJリーグクラブへ移籍した選手達の名前が書かれた碑である。 |
旧JFL開幕前のJSL時代までに遡って計算すると、現在のJFL所属クラブで選手のJリーグ所属クラブへの移籍が1番多いのはHonda FCである。
古くからは北澤豪、石川康、本田泰人、黒崎久志といった面々がおり、最近だと村松大輔、早坂良太、中村祐哉、浅田大樹が挙げられる。また、スタッフの引き抜きもあり、主に監督だった安間貴義や吉澤英生が挙げられる。
基本的にHonda FCは、所属選手がJリーグやJFLなどに所属するプロクラブ並びに他の社会人クラブへ移籍する際は躊躇無く大いに後押ししてくれる。先述した通り、戦力として獲得できるのは基本的に新卒選手のみなので、戦力ダウンであることに変わりは無いが、それが現在にまで至るクラブの方針であるので仕方が無い。(文句があるなら親会社に掛け合ったほうがいいかもしれない。)
ただ、それでもサポーターやファンなどからしたら歯がゆいのである。特に、新JFLから年代別代表(U-19日本代表)に選出された選手であった村松の移籍については誰もがため息をついた。年代別代表に選ばれたことで、クラブのみならず新JFLの大きな広告塔にもなるはずであったからだ。しかし、何だかんだで最終的にはこれらの面々も、その意思を尊重する形で移籍を後押しするのである。
一方で、他クラブからオファーがあったものの、自らの意思で残留している選手もいる。一例としてチームの切り札として活躍したMFであった元選手の吉村和紘にはセレッソ大阪からのオファーがあったらしいが、彼は引退までHonda FCに所属し続けた。なお、彼は週刊サッカーマガジンからのインタビューで「個人的にプロに魅力を感じなかったからこのクラブ(Honda FC)に入った」と語っている。また、JFL通算最多得点記録保持者であるFWだった元選手の新田純也も高校時代唯一オファーをくれたチームであったことなどから、他クラブのオファーを断り現役引退までHonda FCに所属した。
ホームスタジアム「Honda都田サッカー場」
メインスタンドから観たピッチ上。バックスタンド中央の白い看板にはHonda FCのクラブエンブレムの一部分と『H's pride』の文字が赤く描かれている。(写真:2012年8月18日 TM:vs東海学園大学サッカー部(雨天延期)) |
正式名称は「本田技研工業都田サッカー場」、場所は浜名区都田町にある。正直、公共交通の便は非常に悪い。記事作成主は2011年度の松本山雅FC戦にて実際に行き、肌で感じてきた。浜松市に新幹線で来た人は、「試合終了後短時間で浜松駅へ移動」するのは諦めようか。
なお、このスタジアムは、2度目のJ参入挑戦時が成功したら17000人収容のJ1規格に生まれ変わる予定だった。当時の改修に関しては、親会社である本田技研工業本社自体が見積もった金額の倍である50億円程度が必要とされていた。故に改修を断念したという。F1に100億円以上軽く使っておいてそれはないだろうに…。
ピッチ芝の手入れの様子。(写真:2013年3月9日 第15回JFL開幕前) |
全体の収容人数は4000人、内メインスタンドの収容人数が1498人である。但し、ゴール裏はないので、サポーター集団は基本的にバックスタンド側のなるべく端での応援となる(メインスタンド側から観て、Honda FCサポーターは左側、アウェイクラブのサポーターは右側、が各々の定位置となる)。とはいえ、記者用や放送用のブースがあるなど、施設の作りは本格的である。メインスタンドは屋根付きだが、屋根は最前列辺りにまで延ばしていない。バックスタンドはピッチ外の芝生の上に敷設されており、席に向かう際は芝生の上を歩くことになる。照明は1995年に柏レイソルから、同クラブのJリーグ昇格によるホームスタジアムの改修にて交換されたものを譲り受けたもので、この年は後に日本へ帰化する呂比須ワグナーが柏から移籍してきたので、「ロペスが照明灯を背負ってやってきた」と言われたという。
その昔、旧JFLの試合ではアウェイ側のクラブのシュートがバーやポストにばかり当たってしまうことが多かったので、「都田には魔物が棲む」と言われ各クラブから恐れられていた。しかし旧JFLからJ2と現在のJFLに分かれて以降は、この場を克服するクラブが増えてきた。中でも圧巻だったのは2007年シーズンの流通経済大学サッカー部で、Honda FCから6-0と大勝している。
バックスタンドから観たピッチ上。バックスタンド側はピッチ内との仕切りがスポンサーの看板しかないため、メインスタンド側よりもピッチが身近に感じる。メインスタンド中央には、アナログの丸時計と「HONDA」の赤いロゴが掲げられている。(写真:2013年8月3日 第15回JFL第23節:vsカマタマーレ讃岐) |
Honda都田サッカー場は練習場も兼ねているので「Honda都田グラウンド」とも呼ばれる。Honda FCの練習場はこの他に、浜名区細江町の本田技研工業浜松製作所細江工場付近にある「Honda細江グラウンド」がある。なお、両地とも本田技研工業主催の少年サッカー大会の会場としても使用される。
スタジアム内の販売コーナーについてだが、どちらかというとメインスタンド側に偏っている感じであり、一応バックスタンド側にも入場口付近に販売コーナーはあるもののグッズの種類はメインスタンド側が多かったり、飲食物は基本的にメインスタンド側にしか売られていないので注意が必要である。なお、スタジアム内にはダイドードリンコの自動販売機が1台だけあるが、それもメインスタンド側にある。ちなみにダイドードリンコが発行するポイントカードは使えないタイプの自動販売機である。
スタジアムまでのアクセス
看板その1。浜松大学(現:常葉大学浜松キャンパス)の看板が一緒にある。なお、その場所はスタジアムから近い。 | 看板その2。その1の看板の直ぐ奥に、この浜松餃子屋の看板が立ててある。浜松市に来たら行き帰りに是非寄ろう。 |
電車・バス・自家用車と色々手段はあるが詳しくは各自調べるなり問い合わせのこと。初版記事作成主が使っている手段は「県外から自家用車で行く」としており、東名高速道路浜松西ICから降りて十字交差点から左に曲がってずっと進むと案内看板が観えるので(写真参照)、その案内通りに進んで到着、というルートでスタジアムを訪れていた。なお、一般駐車場はスタジアム外にあるので注意が必要だ。
公共交通機関でのアクセスについては、特にサッカーには詳しくない別の執筆者が2021年時点の状況を調べたところ、スタジアムの前に「本田サッカー場」というバス停があり、ここを通るバスは遠鉄バスの「46-テ」となる。公式サイトでもこのアクセスが掲載されている。しかし、本数は1時間に1本程度であり、浜松駅からの始発は11時半ごろ(サッカー場着12:15ごろ)、本田サッカー場前の浜松駅行きの終バスは15時半ごろである(平日/土日祝で若干時刻が変動する)。
代替手段として、東に歩いて10分程度のところに、「56」のバス停である「前原南」or「相羽内科入口」or「前原」、南西に15分程度歩くと「46」が停まるバス停「都田口」もあるため、上記時間外であればこのバスを使うことになる。ただし、56は平日であれば20:22が終バスだが、土日祝は終バスが19:12になる。46の都田口は平日は19時ごろ、土日祝は19時半ごろが終バスである。
- 20:14or21:24発の46-テのテクノ・都田方面(浜松駅行きと逆)に乗り、終点の都田駅前で降りる
- 都田駅(夜の無人ローカル駅)から天竜浜名湖鉄道・天竜二俣行きのワンマンディーゼル列車(21:02or21:53発)に乗る
- 西鹿島駅で遠州鉄道の電車(21:20or22:20発)に乗り換えて新浜松駅(浜松の市街地)まで戻る
なお、鉄道・バスともに他社のICカードは一切使えないので注意。
なお、2013年時点でのHonda FCサポーターによると一番無難なのは…
217 :U-名無しさん@実況はサッカーch:2013/09/03(火) 22:16:15.51 ID:hjC6QMDO0
町田ですが、質問です。
都田サッカー場18時キックオフということは20時試合終了ということになりますが、
この時間にもうバスはないですよね? 公共交通機関使って観戦は無理と考えるべき
なんでしょうか?
218 :U-名無しさん@実況はサッカーch:2013/09/04(水) 00:22:49.55 ID:WwlcSF2k0
そもそも歩ける距離にバス停あったっけと思って調べてみたら「都田口」ってバス停から徒歩15分か
でも最終バスが19:44なんで多分無理
ttp://info.entetsu.co.jp/navi/pc/dispjikokutable.aspx?tp=HTML&bs=280090&pn=1&nw=0
219 :U-名無しさん@実況はサッカーch:2013/09/04(水) 03:04:08.47 ID:oPFeXAvu0
>>217
以前なら20時台にもバスがあったのだが 現在では その前に終了しているな・・・
他のバス停も当たってみたが どこも無理。
タクシーで帰るしかない。時間は30分くらい、タクシー代は4,000円程度。
220 :217:2013/09/04(水) 20:40:54.23 ID:tjrvXveZ0
>>218-219
回答ありがとう。
おとなしくレンタカーで浜松入りすることを考えます。
221 :U-名無しさん@実況はサッカーch:2013/09/05(木) 23:17:00.40 ID:lB02DaKB0
>>220
公共交通機関では不可能とお答えしましたが,実は裏技がありました
ただし これはあくまでも理屈の上の話です
鉄道ミステリー真っ青?の裏技とは
注意!初めての所、しかも夜では到底お勧めできません、悪しからず。
遠州鉄道バス・都田口バス停→(遠州鉄道バス)→天竜浜名湖鉄道・都田駅・
→(天竜浜名湖鉄道)→遠州鉄道西鹿島線・西鹿島駅→(遠州鉄道)→遠州鉄道新浜松駅
→(徒歩)→JR東海・浜松駅
という裏ルート?があります
私も昔、西鹿島駅→都田駅→都田口というのを一回だけありますが
私でも 昼間でしたが 心細かったです。なお 西鹿島・都田駅間は凄い山の中で
都田駅は無人駅です。
ここは素直にレンタカーで おいでくださいませ
222 :U-名無しさん@実況はサッカーch:2013/09/05(木) 23:59:55.88 ID:lB02DaKB0
>>221
天竜浜名湖鉄道の20時34分都田駅発天竜二俣駅行きの列車に間に合うには
20時05分遠州鉄道バス都田口バス停発の都田駅行きバスに乗る必要がありますから
19時45分になったらサッカー場を出る必要があります
昼ならともかく夜は無理があります
…というわけで、特にナイターゲームではレンタカー(というか自家用車)で行くのが一番無難な模様(デイゲームでもレンタカーで行ったほうが何かと便利かも知れない。なんせバスの本数・時間帯が(以下略))。浜松駅周辺はレンタカー店が沢山あるので、試合当日前までに調べて予約しておこう。
マスコットキャラクター「パッサーロ」
“やぁ皆!オイラ、パッサーロ!” |
かつて浜松市の市鳥と制定されていたツバメをモチーフにしたマスコットキャラクターである。(????「(ガタッ!!)」、???「(ガタッ!!)」)
「パッサーロ」とはポルトガル語で「小鳥」という意味である。(????「ピヨッ!?」)
一人称は「オイラ」。
試合開始直前・直後とハーフタイム時にはピッチ内に登場。特に試合開始直前には「ウィーーーーン!」というおっさん声さわやかな声で飛行機ポーズを作りながら走ってメインスタンドのホーム側観客席前に登場し、スタジアムを盛り上げてくれる。とりあえずこんな動きをしてます。なお、試合開始直前・直後とハーフタイム時に限り、アウェイ側観客席前には来ない模様。仕方ないね。
試合開始前後にはメインスタンド側のグッズ販売コーナー辺りや入場口辺りにおり、気軽に声をかければ握手したり記念撮影を快くさせてくれるナイスガイでもある。そういう時間帯に限って時々、アウェイ側の客席内に突如登場したりもするが。
なお、JFLをよく知るサッカーファンからは『パッサーロ師匠』とも呼ばれている。(???????「(ガタッ!!)」)
くれぐれも「パッサーロの頭を取ろう」なんてことはしないように。
なお、2011年の大震災にてジュビロ磐田とのトレーニングマッチが震災復興支援のためのイベントも兼ねて行われた際に、ジュビロ磐田のマスコットであるジュビロくんやジュビィちゃんと一緒に募金活動をしていた。(参照)
そして2016年、今度は唐突に日本テレビ系のバラエティ番組『有吉反省会』にVTR出演したのであった。(参照)
下部組織
下部組織である「Honda FC スクール」はJリーグ所属クラブ並みに充実しており、U-18/U-15/U-12/U-10の「育成スクール」と、小学生のみが対象の「普及スクール」の2つがある。
「Honda FC スクール」出身の選手として、U-15チームに所属していたジュビロ磐田所属選手の松浦拓弥と徳島ヴォルティス所属選手の太田圭輔が挙げられる。そのほかU-18チームからトップチームへ昇格した選手が現在2名いる他(勿論昇格した彼らは現在、浜松製作所勤務の社員として、サッカーと仕事を両立している)、2010年にはU-12からJFAアカデミーのセレクションに合格した選手も出ている。その他、U-18チームからトップへ昇格できなかったことがきっかけで、ブラジル留学を決意した選手もいる(産経新聞より)。
実績としては主にU-18チームがクラブユース選手権やJリーグユースカップへの出場がある。また、U-12チームも2012年に県大会であるNTT西日本グループ杯で優勝している(外部リンク)。
かつては「ホンダFCレディース」という女子チームも在ったが、現在は解散しており、所属していた多くの選手はジュビロ磐田の下部組織である「ヤマハジュビロレディース(現:ジュビロ磐田レディース)」に移籍している。
U-18チーム廃止問題
そして、本社の判断により、2013年度を以ってU-18チームが廃止となる予定であり、2012年4月18日付の中日新聞にこのことが掲載されている(何故か地元紙である静岡新聞には未だに掲載されていない)。この廃止予定は、中日新聞に掲載される1年近く前から発覚しており、あるサッカーライターの取材に対し当時のトップチーム監督である大久保貴広がこのことについて触れていた時もあったが、クラブからの公式発表は長らくなかった。むしろ長すぎなぐらい。
なお、今回の廃止の件は、何とか存続させようと若干名のU-18チームのOBが署名活動を展開したものの、結果的にクラブ側が署名受け取りを拒否したため、廃止の方向は100%に近い確率で変更できないと思われる。
余談だが、U-18チームについては、2009年度のJリーグユースカップでの大分トリニータ戦を取材した「J's GOAL」の記者が「磐田と清水という2大クラブに挟まれた地域で選手育成を行う難しさの打開に向けて更なるHondaらしさの発揮に期待したい」とコメントしているのだが、この記事を読んだサッカーファン、そしてこの記事を書いたその記者からしたら、まさか2年後にチーム廃止が決定しようとは想像もしていなかっただろう。
2013年の第15回JFL第20節(vs 佐川印刷SC)のハーフタイム中に下部組織「Honda FC スクール」の紹介があり、今季でU-18チームの活動が終わることが改めて報告された。並行して、その時点ではU-18チームのメンバーが11人にも満たしていなかったため、試合に出るために選手を緊急で追加募集していることも改めて発表された。U-18チームは果たして、集大成として最後にどんなものを魅せてくれるのだろうか…。
Honda FCを取材するメディアについて
「よく取材している」…とは一応言えるのが静岡新聞とニッカンスポーツである。そういうニュアンスで述べたのは、現在は基本どちらも結果のみを掲載しているだけであり、且つHonda FCについての詳細な記事が掲載されるにしても、それが多いのは大体この2社ぐらいだからである。静岡新聞は地元なので兎も角、何故ニッカンスポーツもなのかというと、実は静岡県内で発行されるニッカンスポーツには静岡県内スポーツの特集枠があり、そこに不定期に取材されたHonda FCの記事が掲載されたりする。ニッカンスポーツ公式サイトにはかつて地域別のニュース項目があり、取材される度に公式サイトにも掲載されていた。その公式サイトには今でもあんな記事やこんな記事が残っていたりする。
なお、2014年には静岡県向けのスポニチにHonda FCに関する記事がデカデカと掲載された。
おもなタイトル
- JFL:10回
2001年、2002年、2006年、2008年、2014年、2016年、2017年、2018年、2019年、2023年 - 旧JFL:1回
1996年 - JSL2部:2回
1993年、1994年 - 全国社会人サッカー選手権大会:2回
1974年、1999年 - 東海社会人サッカーリーグ1部:2回
1973年、1974年
過去に所属したおもな選手
- 北澤豪(1987 - 1991)
- 勝矢寿延(1984 - 1991)
- 関塚隆(1984 - 1991)
- 古川昌明(1987 - 1990)
- 黒崎比差支(1987 - 1991)
- 本田泰人(1988 - 1992)
- 石川康(1989 - 1992)
- 長谷川祥之(1991 - 1992)
- ロペス(1995 - 1996)
- 村主博正(1995 - 1997)
- マルクス(1997 - 1999)
- 古橋達弥(1999 - 2004)
関連動画
第87回天皇杯での、鹿島アントラーズとの一戦。知る人ぞ知るHonda FCの歴史上の因縁の相手でもある。というのは、Jリーグ開幕前に本田技研工業サッカー部所属のレギュラー選手の大半が、このクラブに移籍したからである。鹿島アントラーズとの関係の詳細については、こちらに書かれているので是非読んでみて欲しい。
2010年シーズン第16節のアウェイ戦(vs FC琉球)。
ミッドフィールダーの西望実によるロングシュートでの先制は必見だ。
関連項目
クラブ公式サイト
関連サイト
静岡新聞:スポーツコーナー「サッカーJFL ホンダFC 情報一覧」
記事作成にあたっての参考文献
- MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 - 画像掲載時の参考
脚注
- *かつては系列会社「ホンダロック」のサッカーチーム「ホンダロックSC」だったが、2023年にホンダロックの全株式が「ミネベアミツミ」に譲渡され子会社の「ミネベアミツミ アクセスソリューションズ」となり、クラブ名も「ミネベアミツミFC」に変更された。
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- なし
兄弟記事
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