- 小沢 一郎(小澤 一郎)は、日本の政治家。衆議院議員(18期)。
- 過去に自由民主党幹事長、新進党党首、自由党(1998年)党首、民主党代表(第6代)・国民の生活が第一代表(初代)、生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党代表などを務めた。
- 父は小沢佐重喜(元衆議院議員、元運輸相・逓信相・建設相)、いわゆる二世議員である。
経歴
2012年7月 社会保障・税一体改革法案に反発し離党。その後国民の生活が第一結成、党首に就任。
2012年11月 2審も無罪判決。上告断念で無罪判決が確定。日本未来の党に合流。
2012年12月末 日本未来の党の議員を率いて生活の党(現 自由党)を立ち上げ、党首に就任。
2020年9月 国民民主党の一部と共に新たな立憲民主党に合流
2021年10月 小選挙区比例代表並立制導入以来初めて小選挙区で敗れて比例復活
関連動画
書き起こし
民主党の、小沢一郎です。
政治とは何か、その答えはひとつしかありません。
国民が、安心して暮らせるようにすることです。
それこそが、政治の役割であり、それを実現することが、政治家の使命であります。
では、今の日本に、政治はあるのでしょうか。
自由競争と改革という美名のもと、国民は一方的に重い負担を強いられ、さまざまな格差が、社会を壊そうとしています。
国と、国民との契約である年金、介護、医療さえ信じられない状態になっています。
今こそ、日本にまともな政治を取り戻そうではありませんか。
そして、国民が安心して生活を送れる国にしようではありませんか。
この国を立て直すチャンスは、今しかありません。
国民の利益を守り、日本の将来を守るため、私は、38年間の政治生活のすべてを賭けます。
国民の生活が第一を実現する、私は必ずやります。
年金って本当にもらえるのでしょうか?
年金制度の一元化で、消えない年金をつくります。
国民年金、厚生年金、共済年金など、ばらばらになっている年金制度を一つにまとめます。
すべての国民が、同じ年金に加入しているので、転職を繰り返しても、記録が消えてしまうことはありません。
また、消費税は、福祉目的税とし、全額年金の基礎部分に当てます。
したがって、誰もが、確実にもらえるようになります。
もちろん、消費税率は、今の5パーセントのままです。
年金のムダ使いはこれからも続くんですか?
誠実に納められた保険料を、年金以外の目的に流用する、この異常な制度は直ちに廃止します。
今までに流用された金額は、実に、6兆4000億円になります。
特に、大規模リゾート施設、グリーンピアの施設運営には3700億円がつぎ込まれています。
もう二度と、流用はさせません。
保険料の記録が気がかりです。
年金通帳で、記録を確認できるようにします。
銀行の、預金通帳のように、自分が納めた保険料の、全記録が記載された年金通帳を、すべての加入者に交付します。
もちろん、誤りは訂正して正しい履歴を記入します。
現行の年金手帳や、政府自民党が検討している年金カードは、国側が一方的に記録、管理するものです。
この年金手帳は、自分がいつ、どれだけ保険料を納付したかという記録を、手元に残しておきます。
いつでも、自分で確認できるのでとても安心です。
公開当時の雰囲気
時は2007年夏。第21回参議院議員通常選挙を7月29日に控えた時期じゃった。安倍さんが首相になって初めての国政選挙でね、盛り上がってたわけだよ。いろんな意味で。年金記録問題なんかでワイドショーは騒いでたっけ。
そんな7月9日、ニココニコ動画の公式動画として民主党の代表であるところの彼がビッグゲストとして迎えた動画が公開されたわけです(起きろ、日本! - ニコニコ動画 開発者ブログ(新着情報))。
公開されたはいいんだけど、まぁ、いろいろと「アレ」なコメントが相次いだわけですよ。運営の判断により、公開されたその日のうちにコメント機能が停止されてしまいました(小沢一郎さんの動画について)。
その夜にはいろんな「小沢動画」がうpされては消され、消されてはうpされと盛り上がったっけなぁ。
まぁ結局、翌日にはコメントが再開されたわけですが、その条件として・・・
ニコニコ動画の可能性を広げるために今回はあえて、コメントの監視をおこなわせていただくことにしました。みなさんのご理解とご協力をお願いいたします。
小沢一郎さんの動画へのコメント入力を再開しました - ニコニコ動画 開発者ブログ(新着情報)より抜粋
と、色々なことになっていました。荒らしはやめましょうね。
政治手法
- 自民党総務局長時代の1983年第13回参議院議員通常選挙において、京都府第2区(中選挙区)で欠員が2名発生したのだが、執行部の反対を押し切って「2人擁立」を主張し2人とも当選させた(谷垣禎一と野中広務)。「選挙の小沢」と評されるきっかけとなった出来事である。
- 自民党幹事長時代の1990年第39回衆議院議員選挙において、当時の世間の最大の関心事だった「リクルート事件」の逆風に晒されながらも、経団連関連企業から選挙資金300億円を集めて勝利。「剛腕」と称された。
- 同1990年、金丸信を代表とする北朝鮮訪問団に参加する。
- 同1990年、湾岸戦争の際にペルシャ湾に自衛隊を派遣することを提案。外務省などの猛反対を押し切って法案を提出したものの、野党ら左派勢力の反対で廃案となった(後にPKO協力法が成立)。
- 1991年10月10日、自民党総裁選に出馬を表明した候補者らと自身の個人事務所でそれぞれ面談した(小沢面接)。このシーンは現在においても「経世会支配」「剛腕小沢」の象徴的な場面として語り継がれている。
- 派閥や政党を作っては解散を繰り返し、その度に政党の資金を持ち逃げするため、「壊し屋」の異名を持つ。
- 小選挙区制・党首討論制・政治倫理審査会を政界で初めて導入させた。記者クラブ制度の撤廃も持論である。
- 2007年のいわゆる「大連立」騒動において、自民党との連立に前向きであることを示唆したが、党内の反発を買ってしまい断念した。
注目を集めた発言
- 「日本は一朝で数千頭の核弾頭を持てる」(2002年)
- 「内閣法制局に憲法解釈を確立する権限はない。その任にあるのは内閣だ」(2003年)
- 「核武装の論議をすれば“非核3原則を守る”という言葉も国民や国際社会に受け入れられない」(2006年)
- 「国防の任に当たる防衛庁が内閣府の一外局でしかない状態は良いことではない」(2006年)
- 「中国東北部の騎馬民族が朝鮮半島に南下して日本に渡り大和朝廷を作ったのは歴史的な事実。天皇も 『桓武天皇の生母は百済の王女だった』と認めている」(2009年)
- 「韓国国民が受け入れて歓迎すれば天皇の訪韓は可能である」(2009年)
- 「国家元首が天皇であることは疑うべくもない」(1999年)
- 「アメリカもこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。軍事戦略的にアメリカの極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ。後は日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う。アメリカに唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持ち、少なくとも日本に関係する事柄についてはもっと役割を分担すべきだ。そうすればアメリカの役割は減る」(2009年)
- 「沖縄に海兵隊の実戦部隊はいらない」(2010年)
- 「誰もが自然の気持ちで靖国神社に行くべきであると思う。私もそのような自分の気持ちが沸いてきた時、今までも参拝してきたしするつもりである。国務大臣であろうがなかろうが今後も行きたい。A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない。たまたま敗戦によって戦勝国から戦犯とされた人もいる」(1986年)
- 「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかない」(2009年)
- 「民主党が与党になったら領土問題に蹴りをつける。尖閣諸島は歴史的に見ても日本の固有の領土だ。それを明確にさせる。自公政権のように弥縫策で先送りすることはしない。教科書云々の前に日韓の考え方の差を埋めるために、しっかり話し合いをすべきだ。話し合いを避けて教科書に載せる載せないの類は順序が違う。事実上韓国が実力支配しているわけだから、それを放置しておいて俺の領土だと言ってもどうしようもない」(2008年)
- 「中国の政権が抱える矛盾がチベット問題を契機として持ち上がった。共産主義独裁の政権と政治の自由は、原理からいって成り立たない。共産党政権が時代の変化に応じて生き延びようとするなら、自分自身が変化しなければいけない」(2008年)
- 「永住外国人に地方参政権を与えることについての国際社会の状況は、アメリカをはじめ未だ多くの国が、国籍の取得を要件としているのは事実だが、地方参政権の付与が主権を侵害する、或いは主権国家としての日本の存在を脅かすものであるという反対派の主張は、必ずしも今日的な社会の中で絶対的なものであるとは言えない。永住者に対する参政権の付与は、憲法上・制度上許容されるべき範囲のものである」(2008年)
- 「自公政権打倒のためには共産党を含めた全野党による選挙協力も辞さない」(2007年)
- 「排他的なキリスト教を背景とした文明は、欧米社会の行き詰まっている姿そのもの。仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという、非常に心の広い度量の大きい宗教・哲学」(2009年)
- 「自由競争、自由貿易の原則は誰も否定できないが、今、アメリカが主張しているTPPをそのまますぐ受け入れることとは別問題。日本の国民生活をちゃんと守るシステムを作ったうえで、吟味してやらなければならない」(2011年)
- 「アメリカでもオバマさんという黒人を選んでまで世の中を変えようと選択した」(2010年)
- 「アメリカ人は好きだが、どうも単細胞なところがあってだめだ」(2010年)
- 「さんざん悪いことをして紳士面しているからイギリスは好きではない。しかし、祖国のために戦う軍隊も自分たちの意思で作ったという意識がある。自分たち自身の社会であり、国であるという民主主義の基本の意識が徹底している」(2010年)
- 「ニートは『誰の迷惑にもなっていない』と言うかもしれないが、親の稼ぎで食わしてもらっているうえ、国民全体で支える公共的サービスは享受している。病気でもない働き盛りの若者が、漠然と他人に寄生して生きているなどとんでもない。政府は『少子高齢化の進む人口減少社会で、経済の活力を一段と失わせかねない』として、今後ニートの就職支援に本腰を入れるというが、果たしてそんな次元の話なのか。僕に言わせれば対策は簡単だ。一定の猶予を与えて、親が子供を家から追い出せばいい。無理矢理でも自分の力で人生を生きさせるのだ。追い詰められれば、彼らも必死に考えて行動するはずだ。それでも働きたくないというなら、勝手にすればいい。その代わり、親の世話には一切ならず、他人に迷惑(犯罪も含む)もかけず、公共的サービスも受けないことだ。無人島でも行って自給自足の生活でもすればいい」(2005年)
- 「東京電力の責任に転嫁したって意味がない。東京電力が悪い、あいつが悪い、こいつが悪いということを言っている。どうでもいいことならそれでいいが、原発の放射能汚染の問題は、ここまで来ると、東電に責任を転嫁しても意味がない。政府が先頭に立って、政府が対応の主体とならねばいかんというのが、私の議論だ。東電はもう、現実何もできないだろう」(2011年)
- 「マヤ暦を研究した方がいいんじゃないか。だって、世界中の指導者が代わる可能性があるわけでしょう。アメリカ、フランス、ロシア、韓国は大統領選挙があるし、中国は国家主席が代わる。EUもグチャグチャでしょう。世界中がカオスの年になる。もちろん、日本も例外ではありません」(2012年)
- 「原発は、使用済燃料の処分について、技術的に解決できていない。故に、これを何時までも続けて行く訳には行かないもので経過的な発電方法と認識している。であるので、新しいエネルギー問題が解決できていない現在、止める訳には行かない。ただし、福島の事故が起きてしまった現在、再稼動するためには国民に十分に納得させる必要がある。ところが、政府の発表などでは情報の隠蔽がなされ、これに対応しているとは言えない」(2012年)
- 「必要最低限の原発はすぐには止められないと思う。原発を『今すぐ止めろ』ではない。個人は少し節約すれば何とかなるが産業用電気は一定量確保できないと。すぐ止めろとは暴論だが将来的に新エネルギーにとっていくべき。エネルギー開発に予算をつぎ込む」(2012年)
- 「私の亡き父も、票田こそ残してくれたが遺産はなかった」(1983年)
- 「日本人は特殊な人種だ。世界から特殊学級扱いされている。バカじゃないか」(2003年)
- 「僕は選挙担当だから。選挙以外(裁判沙汰など)のことは他の人に聞いてください」(2009年)
- 「担ぐ神輿は軽くてパーがいい。担ぎ手の思うがままに動く」(1982年)
週刊文春の報道について
週刊文春2012年6月21日号において、小沢一郎夫人の和子氏が2011年11月に小沢と離婚したこと、東日本大震災発生時に放射能を恐れて小沢が秘書と逃げたこと、さらに小沢に愛人・隠し子がいることを暴露したとする手紙が記事に掲載された。
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1442
まだ強い余震がある中、お変りございませんか。
この度の大震災ではさぞご苦労があったと思います。ご家族ご親類はご無事でいらっしゃったでしょうか。何のお手伝いもできず申し訳けありません。被害の余りの大きさに胸がつぶれる思いです。長年お世話になった方々のご不幸を知り、何もできない自分を情なく思っています。
このような未曾有の大災害にあって、本来政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて、秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました。お礼の手紙にこのようなことを申し上げるのは大変申し訳けなく、ショックを受けられると思いますが、いずれお話しなければと思っていましたので、この手紙を差し上げました。お聞き苦しいと思いますが、今迄のことを申し上げます。
八年前小沢の隠し子の存在が明らかになりました。●●●●●といい、もう二十才をすぎました。三年つきあった女性との間の子で、その人が別の人と結婚するから引きとれといわれたそうです。それで、私との結婚前からつき合っていた★★★★★という女性に、一生毎月金銭を払う約束で養子にさせたということです。小沢が言うには、この★★★★★という人と結婚するつもりだったが水商売の女は選挙に向かないと反対され、誰れでもいいから金のある女と結婚することにしたところが、たまたま田中角栄先生が紹介したから私と結婚したというのです。そして「どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう」と言い、謝るどころか「お前に選挙を手つだってもらった覚えはない。何もしていないのにうぬぼれるな」と言われました。あげく「あいつ(★★★★★)とは別れられないが、お前となら別れられるからいつでも離婚してやる」とまで言われました。
その言葉で三十年間皆様に支えられて頑張ってきたという自負心が粉々になり、一時は自殺まで考えました。息子達に支えられ何とか現在までやってきましたが、今でも、悔しさと空しさに心が乱れることがあります。お世話になった方々に申し訳なく、又、説明もできず、もしお会いしてやさしい言葉をかけていたゞいたら、自分が抑えられず涙が止まらなくなるのが分かり岩手に帰れなくなりました。選挙の時には、皆さんがご苦労されているのに、どうしても「小沢をお願いします」とは言えず、申し訳なさに歯を食いしばって耐えていました。隠し子がわかって以来、別棟を建てて別居しています。
SPさんや秘書の手前、料理や洗濯は変らずやっていました。用事の時は、小沢は私に直接言わず、秘書が出入りしていました。それでも離婚しなかったのは、小沢が政治家としていざという時には、郷里と日本の為に役立つかもしれないのに、私が水をさすようなことをしていいのかという思いがあり、私自身が我慢すればと、ずっと耐えてきました。
ところが、三月十一日、大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか害になることがはっきりわかりました。三月十一日、あの大震災の中で、お世話になった方々の無事もわからず、岩手にいたら何かできることがあったのではと何一つできない自分が情なく仕方がありませんでした。そんな中、三月十六日の朝、第一秘書の川辺が私の所へ来て、「内々の放射能の情報を得たので、先生の命令で秘書達を逃がしました。私の家族も既に大阪に逃がしました。」と胸をはって言うのです。あげく、「先生も逃げますので、奥さんも息子さん達もどこか逃げる所を考えて下さい」と言うのです。
福島ですら原発周辺のみの避難勧告しかでていないのに、政治家が東京から真っ先に逃げるというのです。私は仰天して「国会議員が真っ先に逃げてどうするの! なんですぐ岩手に帰らないのか! 内々の情報があるならなぜ国民に知らせないか」と聞きました。川辺が言うには、岩手に帰らないのは知事から来るなと言われたからで、国民に知らせないのは大混乱を起こすからだというのです。国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。何十年もお世話になっている地元を見捨てて逃げるというのです。
私は激怒して「私は逃げません。政治家が真っ先に逃げだすとは何事ですか」と怒鳴りました。川辺はあわてて男達は逃げませんと言いつくろい、小沢に報告に行きました。小沢は「じゃあしょうがない。食料の備蓄はあるから、塩を買い占めるように」と言って書生に買いに行かせました。その後は家に鍵をかけて閉じこもり全く外に出なくなりました。復興法案の審議にも出ていません。女性秘書達と川辺の家族は一ヵ月余り戻ってきませんでした。二日遅れで届いた岩手日日には三月十五日国会議員六人が県庁に行き、知事と会談したとありました。彼らに一緒に岩手に行こうと誘われても党員資格停止処分を理由に断っていたこともわかりました。知事に止められたのではなく放射能が怖くて行かなかったのです。
三月二十一日「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやって下さい」と書生が言いに来ました。しかしそのような情報は一切発表されていませんでしたので、私が「他の人と同じ様に水道水を使います」と言いましたら、それなら先生のご飯は僕達で作りますと断ってきました。それ以来、書生達が料理をし、洗濯まで買った水でやろうとしていました。東京都が乳幼児になるべく水道水を避けるようにと指示したのはその二日後です。すぐにそれは解除になりました。
三月二十五日になってついに小沢は耐えられなくなったようで旅行カバンを持ってどこかに逃げだしました。去年、京都の土地を探していたようですのでそこに逃げたのかもしれません。その直後、テレビやマスコミが小沢はどこに行った? こんな時に何をしているかと騒ぎだし、自宅前にテレビカメラが三、四台置かれ、二十人位のマスコミが押しかけました。それで、あわてて避難先から三月二十八日に岩手県庁に行ったのです。
ご存知のように被災地には行ってません。四月に入ってからも家に閉じこもり連日、夜若手議員を集めて酒を飲みながら菅内閣打倒計画をたて始めました。菅さんが放射能の情報を隠していると思ったらしく相談を始めました。自衛隊幹部や文科省の役人に情報収集をしたようですが、発表以外の事実は得られず、それなら菅内閣を倒し、誰でもいいから首相にすえて情報を入手しようと考えたようです。この結果、不信任決議がだされ政治が停滞したことはご存知と思います。
この大震災の中にあって何ら復興の手助けもせず、放射能の情報だけが欲しいというのです。本当に情けなく強い憤りを感じておりました。実は小沢は、数年前から京都から出馬したいと言い出しており後援会長にまで相談していました。もう岩手のことは頭になかったのでしょう。こんな人間を後援会の皆さんにお願いしていたかと思うと申し訳けなく恥づかしく思っています。更に五月には長野の別荘地に土地を買い設計図を書いています。多くの方々が大切なご家族を失い何もかも流され仮設住宅すら充分でなく不自由な避難生活を送られている時に、何ら痛痒を感じず、自分の為の避難場所の設計をしています。■■■という建設会社の話ではオフィス0という会社名義で土地を買い、秘書の仲里が担当しているということでした。
天皇・皇后両陛下が岩手に入られた日には、千葉に風評被害の視察と称して釣りに出かけました。千葉の漁協で風評がひどいと陳情を受けると「放射能はどんどんひどくなる」と発言し、釣りを中止し、漁協からもらった魚も捨てさせたそうです。風評で苦しむ産地から届いた野菜も放射能をおそれて鳥の餌にする他は捨てたそうです。かってない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく、自分の保身の為に国政を動かそうするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています。
長い間お世話になった皆さんにご恩返しができないかと考えています。せめて離婚の慰謝料を受け取ったら岩手に義捐金として送るつもりです。今岩手で頑張っている方々がすばらしい岩手を作ってくれることを信じています。ご一家には、本当に長い間お励ましお支えを頂きましたこと心から感謝しております。ありがとうございました。七月には別の所に住所を移しました。ご一家のご多幸を心より祈り上げております。
小澤和子
ただし、この手紙について「筆跡が夫人のものではない」などの指摘もあり、真偽は不明である。
http://portirland.blogspot.jp/2012/06/blog-post_24.html
関連チャンネル
関連項目
- 政治
- 民主党
- 小沢一郎すべてを語る -ニコニコ公式ブロマガ
- 小沢一郎チャンネル
- 小沢☆自爆乙☆一郎
- オザワる
- お縄一郎
- 貪官汚吏
- オザワマン
- 新投てき種目「小沢シューティング」
- 小沢チルドレン
- おざわ・・・おざわ・・・
- 「小沢一郎の正体」で検索
- 悪代官
- 政治家の一覧
- 民主党議員の記事一覧
- 18
- 0pt