志村けんのだいじょうぶだぁとは、1987年~1993年にフジテレビ系列で放送されていたコント主体のバラエティ番組である。通称は「だいじょうぶだぁ」。
概要
1987年11月16日放送開始。
この「だいじょうぶだぁ」が始まる前のフジテレビ月曜20時台には単発ドラマ枠「月曜ドラマランド」が、そして月曜21時台には萩本欽一の代表作の一つであるコント番組「欽ドン!」シリーズが放送されていた。この「ドラマ>バラエティ」という流れだった編成を見直し、「バラエティ>ドラマ」という形へ変更。月曜20時台に「だいじょうぶだぁ」、月曜21時台には現在も続くドラマ枠「月9」がこの1987年秋改編で同時に始まった。
「だいじょうぶだぁ」が始まるとたちまちに人気となり、志村けんの人気を不動のものにした。
「8時だョ!全員集合」「ドリフ大爆笑」「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」と、すでに「ドリフターズの志村けん」「カトケンコンビの志村けん」というポジションで人気を得ていた志村けんであったが、当番組ではついに独り立ちした一人のコメディアンとして人気者となり、名実ともに日本を代表するお笑い界のトップランナーとなった。
形式としてはショートコントであり、ネタもドリフ以来の日常をテーマとしてる事が多い。しかし、メインの志村けんの本物と見間違えるばかりの演技と脇を固めた田代まさしをはじめ松本典子、桑野信義、特に息がぴったりな石野陽子(現:いしのようこ)との掛け合いは見るものに笑いの渦を与え、人気を博していった。
この番組の最大の特徴は志村けんをはじめとした、各々のキャラクターの性格なり扮装が強烈であった事である。例えばもはや説明不要の変なおじさんは志村の願望を具現化したものであり、ぱっと見は変態であるがその姿の破壊力に誰しも抱腹絶倒したことであろう。
番組の流れとしては「コント30分→クイズ15分(なんだろな、なんでもねーよ)→人間ルーレット5分→ゲスト歌手の歌5分」であった。無論、多少のズレはあったが、スペシャルなどの場合を除いて概ねこのような感じであった。なお、時折全編コントの回や、番組後期にはクイズをオープニングにやってからコントに入ることもあった。
また、時代がバブル全盛期と言う事もあり、スタジオ観覧客へのプレゼントコーナー「人間ルーレット」の景品も非常に豪華であった(例:ココ山岡のダイヤモンドリング・ハワイ旅行・ステレオコンポなど)
番組の安定期であった1989~1992年には「だいじょうぶだぁファミリー」として東京都内での舞台公演が年1回行われ、その模様は番組内でも紹介された。
かくして、1980年代後半から1990年代前半の志村けんの黄金期を代表した同番組であるが、次第に「世界まる見え!テレビ特捜部」(日本テレビ)などの裏番組に視聴率を食われていったこと、さらにレギュラーの石野陽子、松本典子が1992年一杯で卒業し、次第に勢いが衰えていった。
コーナーのリニューアルなども行ったものの、1993年9月27日、「だいじょうぶだぁ」はレギュラー番組での放送を終了。しかし当初から特番として継続すると告知されており、後番組の「志村けんはいかがでしょう」(こちらは旅ロケとスタジオ公開コントの二本立て)開始以降も並行してときおり特番として放送され、新作コントも作られていた。
なお、2005年から2008年まで「志村けんのだいじょうぶだぁII」という深夜番組が放送されたが、主に「志村運送物語」というロングコントをメインにしていた為、以前のようなショートコントだけというスタイルでは無かった(深夜番組の予算ではかつてのようにいくつもセットを組めない事情もあった)。一方でこの番組の開始当初はタイトルに合わせてか元祖「だいじょうぶだぁ」時代のコントを傑作選という形で放送していたが既に田代まさしの映像が地上波NGになっている時代であり、田代抜きのコントだけでは数が限られたのかほどなく志村メイン番組が深夜枠に移行してからのショートコントの放送に置き換えられていったという。
一方で、この番組がきっかけで2007年より地上波で「だいじょうぶだぁ」のスペシャル番組が復活している。10%前後の視聴率を安定してキープしていることもあり、志村けんが亡くなる直前の2020年3月まで1年に3~4回程度継続的に制作・放送されていた。
2020年3月に志村けんが新型コロナウィルス感染により急逝した後、志村の所属事務所であり「だいじょうぶだぁ」の著作権も保有しているイザワオフィスが「だいじょうぶだぁ」で放送されたコントをセレクトした公式動画を同年4月17日より2021年4月17日までの1年間の予定で、YouTubeにて期間限定公開。全10本が公開され、第2弾から第10弾については広告を付けてその収入を新型コロナウィルスの最前線で戦う関係者のために日本赤十字社へ寄付する旨も発表している。
この公開に際して、イザワオフィスの公式コメントとして本番組が諸事情によりテレビなどで放送される機会がなく、今後についても残念ながら限りなくゼロに近い状況であり「本来であれば処分されるのを待つのみ」であることや、「志村けんの全盛期とも言える時期の作品が、このまま人々の目に触れられず、再び世に出ないまま葬り去られてしまうことに対して、大きな葛藤がありました」と記している(CSでは「フジテレビ721」(当時)や「ファミリー劇場」での再放送が中断を挟みつつ何度か行われていたものの、2010年の田代まさしの3度目の逮捕以降途絶えたままとなっていた)。
この地上波テレビ等で放送が困難になってしまった理由の一つと考えられる田代まさしの出演シーンについてもYouTube公開版ではカットされずそのまま収録されており、オールドファンや往年の名コンビとしての活躍を知らない若い世代からも再評価が起こった。
なお、イザワオフィスによるYouTube公開版に関してはゲストが出演したコントは収録されておらず、田代を含むレギュラー陣のみが出演したコントにより構成されている。
主なレギュラー陣
- 志村けん
- 田代まさし
- 元々は桑野信義と同じシャネルズ(後のラッツ&スター)の一員としてサブボーカルを担当していたが、1980年代半ばよりタレントとしてソロ活動を始めるようになる。その折に志村けんが田代のお笑いセンスを見出し、この番組で実質的な相方役に大抜擢され、「だいじょうぶだぁ」でコメディアンとしての才能を開花させる。志村とのコントでは基本的にツッコミ役で、「師匠」と呼んだ志村との掛け合いは評価が高かった。一方で自らがメインのコントも多く、二枚目も三枚目もボケもやってのけただけでなく、クイズや人間ルーレットでは実質的に進行役も務めるなどオールマイティさを発揮。1990年代にはマルチタレントとして自らも冠番組も持つ売れっ子となっていった。
- 桑野信義
- 石野陽子
- 当初からのメンバー。「ドリフ大爆笑」へのゲスト出演がきっかけで志村からオファーを受け、当初は3か月だけとの約束で出演をはじめたが、徐々に数々のコントで志村の相手役を務めるようになると、アドリブも即座に打ち返す息のあった名パートナーへと成長。当時の視聴者に大きな印象を残し、最終的には5年あまり出演した。一時期志村との熱愛報道が出たときは、その報道を逆手にとってコントに仕立てた事もある。変なおじさんではセクハラの被害になっている(未然に防いだこともある)。番組全盛期の最中に何故か松本と一緒に降板したが次番組の「志村けんはいかがでしょう」で復帰。こちらでは「だいじょうぶだぁ」末期からの流れで志村の相手役は主に渡辺美奈代が務めたことから、脇を固めることが多かったものの、時折行われた志村との2人コントでは変わらぬキレを見せたほか、「おハナ坊」コントが蘇ったこともあった。
- 松本典子
- 渡辺美奈代
ゲスト
ゲストは多数に及ぶので、ちょくちょく出ていた者やインパクトの強いものを特に記した。太字のゲストは特に強烈な印象を残す。
主なコント
これまた数が多いので、代表的なものやインパクトの強いものを書く。なお、特徴としてある程度のテンプレートがあるので、話の流れが掴みやすいのが特徴である。
ご存知、じいさんばあさん
第1回から全期間放送された本番組の代表的なコント。概ね放送開始後に行われ、舞台形式の公開コントとして行われることが多かった。志村扮するばあさんと、田代扮するじいさん、孫役の松本(降板後は渡辺)の3人で織り成すお約束ギャグの詰め合わせである。前半は田代のフリに対して志村がとんちんかんな答え、もしくはボケをぶちかまし、孫が脇を抑える流れであるが、後半部分は松本のボケを田代と志村が突っ込み、その話題を収拾しようとする田代に対して、パントマイムを用いて志村が蒸し返すのが流れとなっている。
お約束ギャグは言葉遊びがほとんどであるが、とにかく矢継ぎ早のテンポや間の取り方に定評がある。
番組後期において、じいさんとばあさんが歌をだした。
最初のうちはコントの流れが固定されていなかったので、オチやお約束ギャグが一定されていなかった。
- 「ばあさんよ!」「じいさんよぅ…うわ~お!」(冒頭)
- 「だ~れのせいでもありゃしない~、みんなおいらが悪いのさ~、アーチンポコチンポコリーン~♪」
- (最後の締め)「アハハ、ウフフ、エヘへのオホホでだっふんだ、ぼくらの合言葉はだっふんだ、それではみなさんまた後で(もしくは「また来週」)」
ひとみばあさん
志村けんの十八番であるばあさんコントの究極である。行動や言動がどこかとぼけているひとみばあさんがマッサージ師役やキャディ役で客役の田代を散々振り回す形式となっている。「ンフンフンフ…」と喘ぐので、それを咎められて呼吸できなくなったり、ゴルフのクラブを選ぶのに観光案内になったりと、視聴者にはぼけてるのか本気なのかわからなくなってしまう。なお、ひとみばあさんにはモデルがあるようで、志村けんもひとみばあさんが一番のお気に入りであるようだ。
- 「ひとみと申します。ひーちゃんと呼んでください・・・」
- (志村)「ンフンフ…」
(田代)「うるせーよ!黙っててくれよ!」
(志村)「・・・プハー!!!息していいですか??」
(田代)「息はいいよ!!」
芸者コント
柄本明と志村けんの売れない芸者の時事ネタ中心の愚痴の言いあいであるが、しみったれた金の貸し借りの言いあいになるのが流れとなる。このコントは志村がツッコミ役となる事が多く、柄本の狂気に満ちた存在感に食われてしまうことが多い。柄本はこのコント以外にもたびたびゲスト出演しているが、たいてい破天荒なキャラクターを演じているため、志村の存在感を食い、共演者も唖然とさせる場面がしばしば見られる。志村が突っ込みに徹してるから仕方ないね。
好きになった人
あらゆるシチュエーションのドラマ仕立てのあと、最後に都はるみの「好きになった人」に合わせて出演者全員が踊って落とす形式のコント。これで「好きになった人」を知った小学生は多いはず。汎用性が高いのであらゆるコントのオチで使用されたり、定番のコントと思わせておいて突然イントロが流れ始めてて結局「好きになった人」に切り替わったり、イントロが流れても突然止まったり、終わってしまって、逆に志村達が踊らせろと悔しがったり悲しむという変化球もあった。
ウンジャラゲ
元々はハナ肇とクレイジーキャッツの持ち歌である。その踊りを志村以下、レギュラー陣が様々な格好に扮装して踊る形式となった。そのうち、視聴者からの投稿も増えていった。まさにだいじょうぶだぁの人気を裏付けるものである。イザワオフィスによるYouTube公式配信の「だいじょうぶだぁ」では全ての回でエンディング的に収録された。
パイのパイ体操
フジテレビの往年の幼児番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」のパロディコント。オープニングテーマ(「ピンポンパン」で使われた挿入歌のワンフレーズを流用)とともに、お兄さん役の志村とお姉さん役の石野が登場し、子供たちをスタジオに呼び出す。やんちゃな子供役の田代と松本を幼児番組らしからぬ仕切り方でおとなしくさせた後、石野の呼びかけで「今週の踊り」として踊るのが「パイのパイ体操」である。踊りも歌詞も「パイのパイのパーイ」「チンチロリン」「プリンプリンプリン」「ブーラブラ」と、見方を変えれば完全に下ネタという令和の時代より緩かった当時でも子供が真似すると親が怒りそうな、かなりスレスレなコントであった。踊り終わると「また来週!」ですぐ終わってしまうあっさりしたコントだったため、出演者を時代劇風や老人、バカ殿様の面々にするなどキャラクターを変えたバージョンを複数作ったアレンジ程度に終わり、当時はそこまで長く続いたレギュラーコントではなかった。
ところが、志村没後に配信されたイザワオフィスによるYouTube公式配信の「だいじょうぶだぁ」では全ての回にバージョンの違う「パイのパイ体操」が収録、しかも1本を除いてはオープニングコントに選ばれており、その内容の強烈なインパクトとともに、今地上波で流せないという理由の一端も垣間見せている感がある。
なお、「パイのパイ体操」は「ピンポンパン」で使われた曲の替え歌ではなく、「だいじょうぶだぁ」の音楽を担当していたたかしまあきひこが書き下ろした番組オリジナルの曲である。
ご、ご、五時ぃ!?
1989年8月に初回が放送されて以降、1992年の石野の降板直前まで多数制作され、短くても10分超、特番や全編コント回で時間に余裕がある場合は20分近くも放映された「だいじょうぶだぁ」の代表的な人気ロングコント。志村と石野の夫婦コントである。志村が出張なりゴルフなりということで明日は朝5時起きだから早く寝るぞと告げられ、石野が「ご、ご、五時ぃ!?」と聞き返すのが定番。「5時の夫婦」「就寝コント」「けん&陽子 夫婦の会話」など呼び方は様々だが、番組のDVD-BOXに収録されている本作品のタイトルは「ねごと 5時の夫婦」となっている。
当初は上記のやり取りがいきなり始まって寝床で石野が寝ようとする志村にちょっかいを出し続ける形だったが、やがて「ご、ご、五時ぃ!?」が登場するまでひとしきり夫婦の会話や他愛のない口ゲンカ、近所や志村の同僚の話(実際は番組スタッフの失敗話や暴露ネタだったことが多い)をひとしきりやっているうちに、石野の無駄遣いや豪遊などがバレて志村が怒ると(このコントでは志村は倹約家的に演じている)、石野が「私の事愛してないのね」「長い間お世話になりました」と逆切れ、弱った志村が心を込めて「陽子、愛してるよ」と言うと一転石野が喜びの舞とともに機嫌を直したところで、志村が明朝の「出張」か「接待ゴルフ」を切り出してようやく「ご、ご、五時ぃ!?」となった。なお、「「5時」の夫婦」が定番になると、ときおり「明日も早いんでしょ?」「早くないよ。8時。」「ウソッ!?…ご、五時ぃ!?って言いたかったのに…」という変化版もあった(でも結局その先は同じになる)。
ひと騒動終わりようやく2人とも寝るものの、志村が、「小池バカタレ!」、石野が「なんということを…(と叫びながらむっくり起き上がる)」などとそれぞれがおかしな寝言を言い合って結局寝れないまま朝を迎えるというオチと、石野が翌朝の志村の起こし方や明日の準備と称して志村が寝床に入っても騒ぎ続け、眠れない志村にまた怒られ収拾がつかず仲直りしたあとに2人の前にカメラを呼び出して、お約束の一つだった静電気で物を飛ばすネタをカメラに向かって一緒にやってズームアウトしながら二人が何かスタッフにメッセージを送る、という2パターンの締めが主流だった。
舞台はいつも同じ寝室で、多少の小道具は使われるも基本はシンプルなものだが、志村と石野の二人だけで要所にお約束(時期によって様々なパターンがあった)を交えつつ、どこまで台本でどこからアドリブかわからないフリートークのような絶妙の会話の応酬が毎回繰り広げられた。基本的に石野が話を進める役割で、段取りを間違ってあたふたする場面が時々あったことから、毎回ストーリーはあった模様。
時にどちらかの段取り間違いで話の流れがおかしくなったり、笑い上戸の石野が、志村のギャグや自らのミスで笑いが止まらなくなってもそのまま放送されるおおらかさが逆に自然な雰囲気を印象を与えていた。
なお、実際の志村(1950年生)と石野(1968年生)は18歳離れているも地の姿で演じており、設定上も年の差夫婦であった。ただ、志村が当時は40歳前後ということもあってか、世代のギャップをネタにしたことはあれど、見た目は夫婦コントの雰囲気に違和感を感じさせることはなかった。
- 「ご、ご、五時ぃ!?」
- 「そこまでいう、早見優、ショーユ、ラー油、アイラブユー」(このあと、手を何度もタッチする儀式のようなことをして仲直りというのが流れ。2人の手の合わせ方は順番もあって複雑だったが息もピッタリ合わせていた)
- 「そこまでいう、早見優、北天佑引退、大乃国引退、ショーユ(以降は上と一緒)」(放送時期によってはこういうのもあったが、当時は相撲ブームで引退力士が増えたり人気力士が現れるごとにショーユの前の部分がどんどん伸びていった)
- 「小池バカタレ」(志村の寝言。小池とは番組スタッフの演出補(=AD))
- 「なんということを…」(石野の寝言。これまたことあるごとにでてきている)
おハナ坊
とぼけてマイペースな小学生の女の子おハナ坊(石野)とお父さん(志村)の親子コント。お母さんは買い物に行ったきり帰ってこない。学校から帰ってきたおハナ坊はお父さんと遊ぼうとするが、お父さんはいつも「世の中平和だ」と言いながら新聞ばかり読んで相手にしてくれない。そこでおハナ坊は一人で遊びはじめたり、何かに挑戦したりするが、決まって珍現象が起こってどんどんエスカレートしていき、最後は大騒ぎになるオチ。
長年のドリフコントで編み出された珍現象がふんだんに使われ、これになかなかかみ合わないおハナ坊とお父さんの会話が加わることで強烈なインパクトを残した。たいてい家が舞台だが、ときおり外に出て珍現象を巻き起こすパターンもあった。
なお、当初石野の役名は普通に「陽子」だったのが、突然「おハナ坊」に変わる。最初の1~2回は「ボクはおハナ坊じゃない!」と石野が抵抗するやり取りもあったがすぐに定着。やがておハナ坊は「ご、ご、五時ぃ?」の妻とともに石野の代表的なキャラクターとなった。
とぼけた子供と親の会話がかみあわず、ひとりで遊ぶ子供が珍現象に驚くも親にまともに取り合ってもらえないままどんどんエスカレートしていく作りは、「8時だョ!全員集合」の母ちゃんコントで志村演じる「ケン坊」が登場して騒動を起こすコントが下地になっていたと思われるが、石野演じるおハナ坊は、とぼけた部分に石野独特の天然感が加わって新たなキャラクターに仕上がっており、一方で志村のお父さんも微妙にとぼけていて、単にツッコむだけでなく逆におハナ坊に乗ったりアドリブと思しきボケを重ねるほか、定番的な2人で息を合わせたギャグもあり、また違ったテイストになっていた。
後番組の「志村けんはいかがでしょう」でも数回演じられたほか、(年月が経ったためかこの時のおハナ坊は若干言葉遣いがスレてた)。また2014年の志村の舞台「志村魂」ではテレビでの最後の放映から実に約20年ぶりとされる再演がされた。
例外もあったが、「らんま1/2」のBGMが決まってオープニングテーマとして使われていた。
- 「(志)おハナ坊、帰ってきた時はただいまって言うんだよ、ただいま!」「(石)おかえり」「(志)そうじゃなくて!」
- (おハナ坊がイライラすると)「(石)ダーッ!」「(志)ダーじゃない!」「(石)ドーッ!」「(志)ドーじゃない!」「(一緒に)ハッ!!(と2人とも両手を合わせる)」「(志)合わせるんじゃない!!」
- 「あ゛~・・・」(おハナ坊が失敗するとうめき、お父さんも一緒にうめき、お父さんの「止め」のポーズでやめる)
デシ男
どうみても池沼要領の悪い口癖が「デシ!」な男のコントである。登場当初は石野との2人コントで石野にデシ男が物事を教わるもさっぱり理解せず、石野がイライラする流れだった。その後はデシ男が様々なことに挑戦するものの、しっちゃかめっちゃかにして、首にされるオチになった。ネタ的はともかく、容姿や行動が危険水域である。
いいよなおじさん
松本と石野が行楽などで楽しんでいるところに「~はいいよなぁ、うん…」と言いながら突然割り込み、講釈たれたり、相手の持ってるものを色々拝借したりする。どうみても変質者なので、最後には逃げられるオチである。
イエイエおじさん
何に対しても「イエイエ」としか言わないおじさん。どういうわけかクイズに出演した際にすべて「イエイエ」で正解になる答え(遺影など)が出た為、全問正解した事もある。志村が著書の中で言及するほど印象のあるキャラクターであったそうだが、出せるシチュエーションがなかなかなく登場は少なかった。
ぼけ老人
その名の通り、ぼけたじいさんの志村が「陽子さんよぉ~、飯ぁまだか?」といい、嫁の石野が「さっき食べたばかりでしょ」と返すと「さっきから、ばあさんの姿がみえねぇんだけど」と志村が返す。石野は「おばあちゃんは3年前に死んだでしょ」とまた返し、その問答の繰り返しのネタである。番組内ではばあさんに扮する機会の多い志村だが、このコントではめずらしくじいさんを演じている。なお、このコントにはモデルがあり、志村の亡父が事故にあったためコントよろしく同じような問答を繰り返すレベルの認知障害となった経験がモデルであるという。
DJコント
志村と田代がヒッピー風のDJに扮して、最初に田代がうまく決めるのだが、志村のチョイスがよろしくないので全然空気の読めてない選曲になってしまうオチである。最初のタッチで外してみたり、お互いに向かい合わせにならない、志村のチョイスにあわせて踊ったり、オチもそれになぞらえてるなど、結構小ネタが多い。放映初期に見られたコントである。
キャベツばかりをかじってた
かぐや姫の代表曲の一つ「赤ちょうちん」にインスパイアされたコント。志村と石野が演ずる昭和の貧乏カップルが「赤ちょうちん」の歌詞に沿った同棲生活を送るのだが、「雨が続くと仕事もせずに キャベツばかりをかじってた」という箇所に来ると二人が必死にキャベツをかじり続ける。これが執拗に続くので二人は困憊していくという可笑しみが見所である。
ちなみに、後年石野の代わりに優香が出演するリメイクバージョンや、「天才!志村どうぶつ園」(日本テレビ)にてチンパンジーのパンくんと組んだバージョンも作られている。
パロディCM
当時話題となったCMをパロディにしたものである。「やっぱり猫が好き」や「東北新幹線東京延伸」、「初代セフィーロ」などが題材になった。どれも実際にはだいじょうぶだぁの番宣であったが、登場人物を本人に似せてるものもあれば、だいじょうぶだぁの登場人物に変えているものもある。
ご存じ!雷様
「ドリフ大爆笑」でおなじみのコントをパロディ化したものである。セットもそのままにオチもそのままである。田代が「ダメだこりゃ」と言いながら、志村と退場をし、雲が崩れるオチの後に桑野が最後に墨をかけられ「この番組はフィクションです。実際の人物とは関係ありません」と注意書きをする3段落ちとなっている。いかりやの位置を田代、仲本の位置は志村、高木の位置を桑野が演じている。割合に使用されており、パロディCMや時代劇コントにも登場した。また「志村けんのバカ殿様」にも出演している。田代まさしが逮捕された後はダチョウ倶楽部の肥後が後継を勤めている。
時代劇パロディ
さまざまな時代劇をパロっており、とくに多いのは必殺仕事人のパロディである。出陣の辺りから殺しまでのパートをテーマとしている。渡辺徹がゲストの場合は良く見られたコントである。志村は主に三味線屋の勇次役が多かったが、三味線で首をつろうとして逆に引っ張られたりなどした。渡辺徹は飾り職人の秀役で登場、デブキャラだった当時は髪飾りを削る代わりに鰹節を削っているのがお約束であった。
また柄本明が出た時は遠山の金さんに扮していた。本来ならば桜吹雪をチラつかせるところ、柄本独特の面長の風体ゆえに、桜吹雪を見せる間もなく悪人が白状するという落ちである。
ラッシャー木村
番組後期に出てきたキャラクターで桑野信義が演じている。喧嘩などのシチュエーションでスポーツ行進曲と共に登場、ダジャレでその場を収めると「オレは兄貴が待っているから」といい、「テレビの前の良い子の皆、歯ぁ磨けよ、ババンバ、バンバンバン~」とカトちゃんのセリフを言いながら立ち去るが、障害物に当たるオチとなっている。これもまた「志村けんのバカ殿様」に出演した。
桑野のダジャレは出演者一同の爆笑を呼ぶものもあればイマイチのものもあり、たとえ一旦オチても「ちゃんと締まるまで終わらせない」という志村らの圧により桑野が半ば涙目になりながらさらにダジャレをひねり出そうと苦悶するのも恒例であった。
ヤクルトマン
番組後期に登場した志村演じるヤクルト大好きなヒーロー。メインの松本典子が当時のヤクルトスワローズの選手であった笘篠賢治と婚約・結婚した事から登場したものと思われる。笘篠と松本の交際が公になって以降、この一件は番組内で定番のいじられネタとなっており、その代表的なものであった。
原始人コント
原始時代を題材としたコントで「ウホウホ」としか言わない。身振り手振りで色々な事に挑戦するも、いま一つ上手くいかなかったり、おかしな結果になる。
博士コント
志村扮する博士と田代扮する助手の織り成すコントで、ステレオタイプの博士な志村の服装は何故か下にズボンをはいていない。作るものは割かし実用的なので、本物の天才なのかもしれないが人体実験とか無茶やらかすと残念な結果のオチとなる。なお、発明品を起動させるにはスイッチを使うのだが、スイッチを入れる際に軽くステップ踏み気味に入れるのがミソである。発明品の名前は特徴をそのまま言う身も蓋もないものである。なお、同じ時期はとんねるずが同じコントをやっていた。
典子とまさし
松本が「私を滅茶苦茶にして!」的な妄想を繰り広げながら、マーシーの冷静な突っ込みや思わせぶりな表情等々で笑いをとるコント。だいたいマーシーがひどい目に遭うオチ。このシリーズも1989年8月に初回が制作されて以降、多数制作された。
ほかにも、松本と田代が部屋の中で思わせぶりな会話や叫び声を上げるのを両親役の志村と石野が聞きつけ、慌てて部屋の中に飛び込むと何のことはない…というパターンもあった。
シリアス無言劇
みんなのトラウマ番組中期から放映された作品。基本的には無言ということなので、セリフは一切でない。内容は基本的に別れがテーマなことも多く、悲劇に終わることが多い。この話に時間が裂かれる事が多く、BGMとして一貫して使われた宗次郎によるオカリナの曲「悲しみの果て」が悲壮感をより高めている。これはそもそも志村が「人を笑わせるならば、泣かせるのも簡単」ということから始まったものである。無論、それまでの雰囲気から一変してるのと基本悲劇なので、とてもでないが見てられないと思った人も多いはず。何故作ったし。不定期でいつどのタイミングで放送されるかもわからなかったため、突然暗い雰囲気の映像と共に「悲しみの果て」が流れ始めると違う意味で身構えた視聴者も多かったと思われる。
余談だが、通常のコントで「悲しみの果て」を流して「なんで死んじゃったんだよ~」「死んでねえよ!」といったギャグに次番組の「志村けんはいかがでしょう」になってからも使われるほどこの曲のインパクトは強烈だった。
但し、オチで救われるケースが稀にあったほか、無言劇と思わせておいて最後で違うコントに変わる引っかけもあった。
変なおじさん
志村けんの代表的なキャラクターである。変なおじさんは志村の願望を具現化したものであり、容姿や行動はいわゆる変質者に近い。但し、番組初期においては現代まで知られるラクダシャツに股引ではなく、普通の服装もしていた。大まかな流れは女性(初期を除いて基本的には石野がターゲット)にあの手この手でちょっかいを出そうとして、田代に見つかり、踊って顔で落とすというパターンである。但し、一度も相手にされなかった時はガン凹みしてたようで、構ってちゃん的なところも見られる。
色んなものに変装をしているが、変装だけではなく例えば絵画の顔が変なおじさんだったとか、ぬいぐるみに化けてたとか、とにかく何にでも変装できる事に定評がある。その中でも注目されるのが寅さんパロディでゲストに倍賞千恵子、つまり「本物のさくら」を迎えて、セットも非常に作りこんだものとなっている。倍賞本人は余程気に入ったのか、後述するとおり変なおばさんとして登場している。
このようにあの手この手でちょっかいを出そうとしてる変なおじさんだが、時として下手なホラー顔負けの恐怖で言い寄る場面もあり、また汎用性も高いので前述のシリアス無言劇のオチとして用いられたこともあるほか、映像技術を駆使した異世界で石野を追いかけ回す幻想的なパターンもあった。
変なおじさんの派生キャラとして変なおばさんと言うもある。こちらは研ナオコ、一度だけ倍賞千恵子が扮しており、これも非常に強烈なキャラクターである。なお、変なおじさんの歌は「ハイサイおじさん」からヒントを得ている。
流しのコント
番組末期のすわしんじがメインのコント。子だくさん(因みに何故か隣に住んでいるご主人に似ているらしい)の貧乏な流しが志村達に替え歌を披露するが、内容は今では放送コードに引っかかりそうなブラック&最低な下ネタな内容ばかりである。
修行僧
お坊さん役の桑野が座禅で志村に警策で叩かれると何故か悶える。不審に思った志村がまた叩くと桑野がさらに悶える。志村はどこからか持ってきた蝋燭を桑野に垂らすと興奮しながら「南無~!」と感じるのである(但し、半分ほんとに熱がっている)。他のコントでも流用され、変なおじさんのオチでも使われた。
クイズコーナー
コントが終了すると、CMをはさんでスタジオ公開収録のクイズコーナー「なんだろな、なんでもねえよ」。司会は志村、田代(最初期は挨拶だけですぐ回答者に回っていた)、松本(卒業後は渡辺)。レギュラー回答者は石野、桑野のほかは時期によって異なり、番組後期はこのコーナーのみのレギュラーもいたほか、基本的に毎回ゲストが登場した(コントにも出演したゲストか、最後の歌のコーナーで歌うゲスト歌手)。主なテーマとしては「方言クイズ」や「リアクションクイズ」、桑野を含む5人のコーラス隊が同時に別の歌を歌うので曲名を当てる数を競う「コーラス隊」クイズなどである(この時は松本が回答者に回る)。志村や田代がヒントも与えながら回答者がそれぞれ回答をするのだが桑野だけはへんちくりんな答えでぼけるのがお約束である。その後志村が「残り10秒です」とコールするとシンキングタイムの音楽が流れ、司会者3人が曲に合わせて踊るのが定番であったが、曲の最後の「チーン」に合わせて志村と田代は股間を突き出すも、松本は恥ずかしがっていつもやらないので時々志村や田代に突っ込まれていた。
人間ルーレット
抽選で当たった観客(4人一組で応募)が参加するルーレットで針が人間である。抽選の際に志村がぼけるのがお約束である。ごく初期は間違い探しクイズを出題してその成績で挑戦回数を決めたり、3回までやり直し出来たりしていたが、その後一発勝負に単純化された。
様々な商品があり、大当たりの金色のマス「ケンちゃん賞」と銀色のマス「マーシー賞」(当初はなかった)になると主に旅行などの景品であった。その他にもウォークマンであったり、ココ山岡の宝石など、時代が反映されていた一方(よほどの品でない限り4人全員分用意されていた)、ハズレ枠として「トイレットペーパー1年分」も設定されていた。また、同じ商品はハガキで応募した視聴者へもプレゼントされていたほか、末期はルーレットの内枠に色が付けられ、ルーレットが止まった色に割り当てられた観客に番組のノベルティグッズがプレゼントされたことから、本編の賞品とは別に観客が一喜一憂する声が聞かれた。
ルーレットが「ケンちゃん賞」や「マーシー賞」からわずかに外れて止まった時は、志村の裁量でルーレットを動かしておまけで「ケンちゃん賞」や「マーシー賞」を獲得させたり、「トイレットペーパー1年分」になったときも「これだけじゃかわいそうだから…」と志村の裁量でほかの賞品もプラスするなど割と太っ腹であった。
ゲスト関係の逸話やその他
- ゲストには色んな人が来たのだが、その中でも太地喜和子は志村けんのファンという事でたびたびゲスト出演していた。彼女は1992年に事故死した際にはシリアス無言ドラマ風の追悼番組が番組内で組まれた。
- 同じくゲストで登場した吉幾三は出演する際は強烈な下ネタを連呼するのがお約束である。放映時は自主規制も緩かったので無修正であるが、今の基準であればピーピーピーな内容である。なお、どうも撮影時はリアルで酔っ払い状態という説もある。
- 柄本明は前述したとおり、ゲストでたびたび出演していたが本業は俳優である。本人曰く「コメディは志村さんとしかやらない」
- ドリフのメンバーからのゲストは実は加藤茶のみである。だいじょうぶだぁ以外ではバカ殿様で高木ブーが出演している。
- 劇中で使われた音楽は同じフジテレビ系列だからであろうか、「らんま1/2」のものが非常に多かった。また東映特撮のBGMの使用率も高く、西部劇コントでは「超人機メタルダー」、時代劇コントでは「世界忍者戦ジライヤ」、他には「特救指令ソルブレイン」などのBGMが使用された。
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CSですら再放送が難しい状況となっているため、2009年、2010年に発売されたDVD-BOXは当時のコントを見ることができる数少ない手段となっている。
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