- JR東日本が保有・運行する鉄道路線及び、運行系統の名称。(やまのてせん)
- 神戸市交通局が運営する神戸市営地下鉄の鉄道路線の名称。一般的には「西神・山手線」の一部。(やまてせん)
- 元阪和電気鉄道の鉄道路線で、南海鉄道時代の阪和線の名称。(やまのてせん)
- ニコニコ動画でMAD動画を制作・投稿する動画投稿者。1.の路線に由来する。 →変態4ドアの人
本項では、1.について記述する。
概要
山手線とは、東京都千代田区にある東京駅から主要駅(上野、池袋、新宿、渋谷、品川)をつないで東京駅に戻ってくる、JR東日本が保有・運行する運転系統である。東京都心部の交通を支える大動脈で、JR東日本の経営を支えるドル箱路線の1つ。
東京の中でも特に需要の高い地区を殆ど網羅しており、首都圏鉄道網の最も中心的・象徴的な路線。迷った時でも、とりあえず山手線一つだけでも覚えておけば大体の拠点にはいずれ辿り着く。
地図を見れば分かる通り、鉄道網は山手線を基準に放射状に伸びており、私鉄の終点は山手線の円周上にある。逆に、円内は中央線以外の地上路線はなく、地下鉄のテリトリーになっている。これは実際に各路線が山手線を基準として建設された為で、行政にそう認識させる程に特別な路線だと分かる。
時代や需要による変化は並行路線が受け持つ事が多く、山手線自体は殆ど影響を受けず、長年に渡って各駅停車のみが周回している。分かりやすく安定した独立性も人気の理由の一つだろう。
反面、混雑率や本数は高いがトップではない。重要すぎる余り、並行路線・バイパス線・縦断する地下路線が数多く存在して実際の利用が分散されている。また環状線で主要地区の大半を通るという事は、逆に言えば一つの目的地に向かうには遠回りになりやすい。このため中長距離の移動では地下鉄が優先され推奨経路から外れやすく、発着点次第では重要なのに最も使用機会の少ない路線にもなり得る。
2021年度までに山手線全駅へのホームドア設置が決定。
これに伴い「6扉車×2両」(計104両)は、2010年3月22日(月)より2011年8月までに新造される「4扉車×2両」(計104両)へ置き換えられた。
また、2010年3月22日(月)より6扉車の「ラッシュ時の座席格納」も廃止。座席は終日利用できるようになった。
使用車両はE235系0番台。E235系の量産先行車は2015年11月30日から営業運転を開始したものの、初日から多数のトラブルが発生し一時運用中断(翌年3月7日復帰)。2016年5月22日より量産車も運転を開始した。E231系500番台は2020年1月20日の最終運行をもって全車E235系に置き換えられた。
2012年に東北縦貫線完成により、空きスペースを利用した、新駅開業案が発表された。場所は品川駅~田町駅間で、駅名は2018年6月に公募の上、2018年12月4日に高輪ゲートウェイ駅に決まった。泉岳寺は…?高輪は…?
2016年8月20日から路線記号(JY)と駅ナンバリングが追加された。なお、高輪ゲートウェイ駅に相当する番号は開業までは欠番とされていた。
路線図
※下の路線図はそれぞれ2011年3月・2018年12月に描かれたもののため、現在とは状況が一部異なります。
山手線と一部区間を併走している京浜東北線・埼京線・湘南新宿ラインの停車駅についても掲載する。なお、山手線ダイヤの始発(終点)駅は大崎駅である。
歴史
山手線の歴史は、1885年3月1日に日本鉄道が品川線(品川~新宿~赤羽)を開業させたことから始まる。
1872年10月14日に官設鉄道新橋(初代。後の汐留駅(廃止))~横浜間(現在の東海道本線)が本開業したのに続き、1883年7月28日に日本鉄道上野~熊谷間(現在の東北本線・高崎線)が開業した。
1872年6月12日:品川駅、1883年7月28日:上野駅開業
当時の日本政府は外貨獲得手段を生糸に依存しており、主な生産地である北関東から輸出港のある横浜までを結ぶ鉄道路線の建設が急務であった。しかし、上野駅と新橋駅を直接結ぶには資金的にも技術的にも難しく、やむなく品川駅から新宿駅を経由して赤羽駅に至る路線である品川線を建設することになり、1885年3月1日に開業した。
1885年3月1日:渋谷駅・新宿駅、3月16日:目黒駅・目白駅開業
また、日本鉄道には海岸線(現在の常磐線)という常磐炭田で掘り出された石炭を東京方面に運ぶ路線もあった。起点の田端駅から直接品川線に乗り入れ出来るようにするため、1903年4月1日に短絡線の豊島線が開業した。既設の目白駅に繋ぐ計画であったが、用地取得などで難航したため池袋駅を新設してこれを分岐駅にすることにした。
また、山手線と官鉄の行き来は品川駅での方向転換が必要で不便だとして、軍の要望で短絡線が建設された。これが官鉄大井支線として1901年8月1日に開業し、方向転換せずに貨物列車を走らせることが出来るようなった(併せて大崎駅も開業)。
1896年4月1日:田端駅、1901年2月25日:大崎駅、1903年4月1日:池袋駅・大塚駅・巣鴨駅、1905年4月1日:日暮里駅、1906年9月23日:代々木駅(甲武鉄道)、10月30日:原宿駅・恵比寿駅開業
ちなみに、豊島線が開業する前の1901年8月8日に、品川線と豊島線を合わせて山手線に改称している。
1906年11月1日に日本鉄道は国有化された。1909年10月12日に路線名が決定した際も引き続き山手線の名称は継承されたが、現在は赤羽線となっている池袋~赤羽間は山手線の本線、池袋~田端間は山手線の支線とされた。
様々な問題から日本鉄道が断念した新橋駅(初代)と上野駅を直結する鉄道路線であったが、高架鉄道としてこの区間を建設する構想が東京市区改正計画によって立案され、1896年の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場(後の東京駅)を建設することが可決された。日清戦争・日露戦争の影響で何度も足踏みするが、戦後の1908年に東海道本線の延伸工事もようやく本格化した。
新橋駅(初代)からそのまま延伸するのではなく、そこから西に新駅を新設して銀座を迂回するルートが採用され、1909年12月16日に烏森駅が開業したのを皮切りに、1910年6月25日には有楽町駅まで延伸され、9月15日には東京駅の仮駅として呉服橋駅(廃止)が開業した。1914年12月20日にようやく東京駅までが開業し、烏森駅が新橋駅(二代目)に、新橋駅(初代)が汐留駅(旅客営業を廃止、貨物駅に転換)に改称された。
ちなみに、烏森駅は日本初の高架駅である。また、烏森駅は電車線、新橋駅(初代)は列車線の駅として併用されていた。
1909年12月16日:田町駅・浜松町駅・新橋駅(二代目。開業当時は烏森駅)、1910年6月25日:有楽町駅、9月15日:高田馬場駅、11月15日:駒込駅、1911年10月15日:五反田駅、1912年7月11日:鶯谷駅、1914年11月15日:新大久保駅、12月20日:東京駅開業
1919年3月1日に中央本線が東京駅まで乗り入れてくると、山手線と中央本線との直通運転が開始された。中央本線の中野駅を出た電車は、新宿駅を経由して東京駅から山手線に乗り入れ、品川駅や渋谷駅を通って再び新宿駅を経由して上野駅に向かうという半環状運転(通称:「の」の字運転)であった。
1919年3月1日:神田駅開業
1925年11月1日にようやく東北本線の神田~上野間が開業し、山手線の環状運転が開始された。
1925年11月1日:秋葉原駅(旅客営業)・御徒町駅開業
1949年に日本国有鉄道(国鉄)が発足、1956年に京浜東北線と山手線の分離運転があったり、1971年4月20日に(現時点では)山手線最後の新駅となる西日暮里駅開業があったりしたが、山手線の運用自体に大きな変化はなかった。
1972年には運用実態に合わせ、山手線は品川駅~田端駅間が本線となり、それまで山手線の本線でありながら実質支線扱いとなっていた池袋駅~赤羽駅間が山手線から分離され、赤羽線となった。
1971年4月20日:西日暮里駅開業
1987年にはJRが発足し、山手線(および直通先の東海道本線・東北本線・赤羽線)は東日本旅客鉄道(JR東日本)の路線となる。
2010年6月26日、恵比寿駅にて国内のJR在来線で初となるホームドアを先行設置。次いで8月28日には目黒駅もホームドアを設置。2年ほどの検証期間を経たのち、2012年度の大崎駅・池袋駅への設置を皮切りに山手線各駅で導入が進んでいる。2017年3月までに、工事予定のため先延ばしとされた5駅[1]を除いて、全24駅のホームドア設置が完了。残りの駅についても、大規模工事が終わり次第2021年度までに設置される見通し。
2020年6月:埼京線・湘南新宿ラインのホームが移設され乗り換えが便利に
2023年11月:渋谷駅のホーム改良工事が完了、山手線のホームは再び島式1面2線に(但しホームは使用停止にしたもう1面のスペースを使って拡幅されている。)
豆知識
- 山手線は外回りと内回りで方向を表記している。左側通行なので、左回りが内回り・右回りが外回り。
- 電車や駅の案内では〇〇・〇〇方面といったように表示・放送する。この〇〇に入るのは東京・上野・池袋・新宿・渋谷・品川のうち、電車の進行方向で直近の2駅となっている。(例:池袋駅の場合は新宿・渋谷方面と上野・東京方面)
- ホームドアに引かれている線は内回りが太線1本、外回りが細線2本となっている。
- この区別は山手線独特のもので、京浜東北線など他路線では両方向とも太線1本となっている。
- 外回りの放送は男性(田中一永)が、内回りの放送は女性(向山佳比子)が担当している。
路線名称としての山手線と運転系統としての山手線
路線名称としての山手線は品川~田端間を渋谷・新宿・池袋経由で結ぶ20.6kmの鉄道路線であり、環状にはなっていない。これは「歴史」節で解説したように、当初は繋がっていなかった東海道本線と東北本線を結ぶために止むなく迂回して開業した路線であることに起因している。
現在環状運転を行っている運転系統としての山手線(34.5km)は、品川~田端間の山手線に加え、東京~田端間の東北本線、および東京~品川間の東海道本線をあわせた区間の名称となる。
路線名称としての山手線には、運転系統としての山手線のほか、同様に運転系統である「埼京線」「湘南新宿ライン」、また成田エクスプレスなどの特急列車も乗り入れている。これらの列車は山手線とは別の線路を走行し、その線路はもともと貨物列車を通すために建設されたことから「山手貨物線」と呼ばれている。
……というのはあくまで書類上の話。路線名称を厳密に適用する必要があるのは運賃計算や趣味分野(乗りつぶし集計など)のごく一部にすぎず、世間一般および旅客案内上において「山手線」と呼ぶ場合は運転系統としての山手線だけを指していると考えて差し支えない。本記事でもこの内容については記事冒頭で解説せず、豆知識のひとつに留めることとする。
なお、山手線ダイヤの基準駅は大崎駅であり、大崎駅から一周して戻ってきた列車は大崎駅にて列車番号を変更し新たな一周を始めることとなる。一方、駅ナンバリングは東京駅を基準にしている(記事冒頭の定義文はこちらに準拠)。だから、「山手線の駅名全部言って」と言われたときは東京駅または大崎駅から始めるのが好ましいだろう。
関連動画
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関連項目
脚注
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兄弟記事
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