瑞鳳(ずいほう)とは、『艦隊これくしょん~艦これ』に登場する、大日本帝国海軍の軽空母「瑞鳳」をモデルにした艦娘である。
概要は…って、あれ? ぁっ♡
提督?格納庫まさぐるの止めてくれない? んぅっ♡ っていうか、邪魔っ!
2013年6月5日のアップデートで、西方海域の実装に合わせて夕張とともに追加実装された艦娘。提督諸氏から「づほ」「づほちゃん」という愛称が挙がれば、それは彼女のことである。
他の多くの空母系艦娘と同様の弓道着に加え、振り袖の巫女服をミックスしたような出で立ちの艦娘。ロングヘアーの上側をポニーテールの様に結い上げているが、結い上げてない下側に関しては通常時、中破時とも毛先まで描かれていないため、イラストによって作者の独自解釈が入ることも多い。
本人曰く「小柄なボディ」と自称するだけあって軽空母勢の中では頭身が低めであり、中破時に露わになる身体は華奢な腕・貧乳慎ましやかな胸元・腹筋のかけらも見当たらないイカ腹・くびれのないウエストという完全な幼児体型であることから、ひときわ幼げな印象を受ける[1]。そのためか、台詞も若干甘えたような口調のものが多い。
外見年齢相応の茶目っ気と礼儀正しさが同居したような性格。一部の台詞からは祥鳳のみならず軽空母勢への仲間意識を強く持っているらしいことが感じられる。
提督に対しては、朝は食事を作るのを頼んだり、昼にはお手製の卵焼きを勧めたり[2]、おやつにスイーツをおねだりしたり、夜には呑み(!?)[3]に誘ったりと世話を焼きつ焼かれつ、夜更かしすれば心配し…と結構な具合に心を開いてくれていたりする。鳳翔さんが「お艦」なら、彼女の振る舞いはさしずめ甘え上手な幼な妻である。可愛いぞぅ!
彼女を秘書艦にして母港でつつくと、艦載機博士よろしく装備兵装である各種艦載機を紹介してくれる。どうやら着陸脚フェチのようだ。
さらに勢い余って艦載機にちょっかいをかける素振りを見せつつ、理性をかなぐり捨てて本能の赴くまま彼女の格納庫(意味深)をまさぐりにまさぐりまくった(意味深)提督も多いのではないだろうか。こんなに優しくていたいけなロリっ娘になんて破廉恥なことを!
祥鳳型軽空母2番艦だが、1番艦の祥鳳とは担当のキャストや絵師が異なっており、お互いに姉妹であると明言する台詞がないばかりか言及する機会さえごく少ない。デザインはむしろ五航戦の翔鶴・瑞鶴姉妹に近いものとなっている。
ただし、祥鳳と全く異なる方向性でデザインされたという訳でもなく、両者とも飛行甲板が弓になっている点は共通している。瑞鳳の弓が紅白の縞模様になっているのは、元ネタの方の飛行甲板の艦尾部分がその様に塗装されていたため。鉢巻とリボン、草履についても同様の理由から。
これらは、祥鳳が潜水母艦剣埼として竣工した後で改装されたのに対し、瑞鳳は高速給油艦高崎として建造している途中での仕様変更(中途で潜水母艦化計画を経由)により軽空母となったという出自の相違に由来すると考えられる。設計上まったく無関係な2隻の艦が、空母改造後に書類上では同型艦としてまとめられていたと理解すればよい[4]。
入手難易度が高い(後述)ためか書籍での登場は比較的少なく、出番は『鶴翼の絆』1巻で主人公の瑞鶴と会話したり、コミックアンソロジーにちょこちょこ登場したりする程度に留まっている。また幸運艦として名高い瑞鶴や雪風と違って、瑞鳳が幸運に恵まれる描写もあんまり無い。どういうことなの……。
が、この度2015年1月に刊行されたノベライズ新作『艦隊これくしょん -艦これ- 瑞の海、鳳の空』にて遂に主役格として抜擢されることとなった。遂に軽空母の時代が来たのだ!
高速給油艦とかに戻しちゃ駄目だからね
小沢艦隊の本当の力、見せてやりましょ!
改装するとステータスだけでなく容姿も変わる(初期の頃では)数少ない艦娘の一人であり、レイテ沖海戦時の甲板塗装をモチーフにしたものに変化する。同じくレイテ沖仕様に着替えるちとちよのような極端な変化はなく着衣の色が変わっただけなのだが、ちゃんと図鑑には改装後の物も別に登録されるので、育てておいて損は無い。改装すると袴の裾に「づほ」と書かれる(改装前の裾には書かれていない)。これは飛行機から見間違えないように、飛行甲板に「づほ」と書かれていた史実より。上述の愛称「づほ」はこの表記に由来する。
性能は軽空母の中では平均的。艦これでは28ノットが高速と低速の境目となっているので速力はギリギリ高速である(瑞鳳の速力は28ノット)。祥鳳と同等のステータスだが、運が光っておりその数値は30。飛龍の35に次ぐ高さであり、改造するとあの瑞鶴と同じ40に…まさに正規空母並みである(その他は他の軽空母と変わらなかったり)。ちなみに、この運の高さは『空母機動部隊として最後まで残って戦った』、もしくは『南太平洋海戦で一撃轟沈の危機が迫ったが運良く回避出来た』という戦史に由来するという説もある。
改装前では30機、改装後では48機の搭載能力を持ち、どちらも一番最後のスロットの搭載数が少なめとなっている。この少ないスロットには戦闘機や艦爆などを乗せても打撃力や制空力に欠けるので、機銃を載せたり彩雲を載せる提督が多いようである。
中破以上した時にドック入りさせると「温泉、入りたいなっ」というが、この元ネタは仙台の秋保温泉の「ホテル瑞鳳」からではないかと言われている。ちなみに「ホテル瑞鳳」の瑞鳳の由来は初代仙台藩主伊達政宗の墓所である「瑞鳳殿」からではないかと思われる。
ここからは完全に余談となるが、その当のホテル瑞鳳もまた2014年5月に某テレビ番組で紹介された事があり、その日はホテルの公式HPが深夜過ぎまで見れなくなったという事件があった。それどころか翌年1月に艦これアニメが放映開始されると瑞鳳が出演していない事を残念がったり、そのツイートが続々RTされる事態に驚いたり、さらにはホテル瑞鳳特製の卵料理(カニ玉の甘酢ソースがけ、スクランブルエッグ、etc...)を投稿したり、アニメが最終回を迎えた時には「続編に瑞鳳が出演したら、提督の皆様がホテル瑞鳳へ訪れたくなるようなとっておきの卵料理を提供したい」とも表明している。気になる人はホテル瑞鳳のtwitterを見に行ってみると面白いかもしれない。
ちなみに「瑞鳳が卵焼きを推すのはホテル瑞鳳が元ネタ?」という噂もあるが、ホテル瑞鳳では卵焼きを推した事はないらしい。
レア度はSRで悪くないんだけれど、入手大変なのよー入手がぁ
話題に出せば大半が盛り上がるであろう彼女だが、そこまで高い人気を持っている訳ではない。原因として出現率の異様な低さが1つとして上がっている。
まず、前提となるレア度はSR(金背景)。金剛型四姉妹や夕張、殆どの正規空母達と同じレア度であり、軽空母全体でもトップクラス。
改造するとレア度が1段階増えH(ホロ)に、さらに他の艦と同じく改造後に付く菊水に似た模様も入る。
建造の場合、彼女ら祥鳳型の所要時間は2時間40分。瑞鳳のSRに対して祥鳳はR(銀背景)[5]である為、レア度による優先順位から大半は祥鳳が登場することとなる。
ドロップの場合、通常海域での出現が確認されていたのは4-2ボス戦程度しかなかったため、「軽空母が瑞鳳以外全員揃っている」「瑞鳳より先に五航戦が揃った」といった状況[6]が起こりうる。
2013年12月から2014年1月にかけて開催されたイベントではE-2海域全域でのドロップが報告されていた。
なお、現在は2014年2月26日のアップデートにより追加された5-4海域でのボスドロップも確認されている。 こちらは周回が容易(ある編成でボス確定)のため、多少難易度は下がったのかもしれない。
ただ5-4は現状最深部の海域であり、ここへ至るには毛根が死滅しかねない程の凶悪な難易度を誇る海域を幾つも突破しなければならない。5-4や4-2以外でもドロップが確認されているが大半が難所の海域で、しかもボスドロップ限定となっている。ちなみに大型建造でも建造可能ではあるが、やはり低確率である。
彼女を轟沈してしまった提督曰く、 「彼女の轟沈の台詞は散っていく桜より儚く、もう会えない親友以上に彼女に会えないかもしれない」と語っている。慢心ダメ、ゼッタイ。
瑞鳳です! 大規模改装しちゃいました!
ぎゅぅう~っと、もっと頑張ります!
2018年2月に行われた冬イベント「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)」。前イベントでは西村艦隊にスポットが当たったこともあり、このイベントでは栗田艦隊だけではなく、瑞鳳達が悲劇的な最後を迎えた小沢艦隊も注目されるであろう、と予想されていた。
そしてその予想を裏付けるように、瑞鶴にも決戦modeグラが実装され、他も数多くの艦娘に新規グラフィックが実装される中、小沢艦隊でも重要なポジションをしめていたはずの瑞鳳には、特に何もなかった。だが、逆にそれが何かのフラグになっているのではないか、と想像する提督も少なからずいた。
そんな中、2月21日にイベントの後段作戦を実装するためのオンメンテが実施された。そのオンメンテと共に、新たな改二艦が実装される、という運営の告知に、界隈が一斉に湧くことになる。
このオンメンテは多少トラブルが発生したりしたが、その中で「瑞鳳改二」の実装、さらにコンバート改装「瑞鳳改二乙」の実装までが通知された。
こうして、軽空母としては久しぶり(艦種変更も含めると熊野航改二以来、純粋な軽空母では実に隼鷹改二以来[7]となる)にして、軽空母初のコンバート改装となる「瑞鳳改二」「瑞鳳改二乙」が実装された。改装レベルはどちらもLv80。改二から改二乙への改造とそれ以降のコンバートには、設計図や戦闘詳報は使わないが、資源の他に高速建造材(いわゆるバーナー)や開発資材(ネジではない)を消費する。あと、これまで同様近代化改修はリセットされるのでご注意。
「瑞鳳改二」は純粋なステータス強化で、耐久値は(元重巡の鈴熊を除くと)軽空母トップ、他のステータスも軒並み上昇。搭載機数も21-18-12-6と、瑞鳳改の18-12-12-6から合計9機増加して合計57機とちとちよ航改二に迫っている。また射程が中射程になったのもポイント。元々高かった運もさらに上昇し、初期値で42になる。
服装は、ちょうど瑞鶴改二と同じくレイテ決戦カラーのままであるが、自信の表れのような不敵な笑みを浮かべている。また、前垂れ式飛行甲板を装備し、「づほ」の文字もそちらに移動している。
なお、ある部分については、改二になっても別に増量された様子はない模様。現実は非情である。
「瑞鳳改二乙」は、射程がそのままで「長」になったのと、分類が護衛空母になったのが特徴。要は「潜水艦絶対殺すガールズ」の仲間入りである。なお、搭載機数は18-15-15-2の計50機に減少する。
瑞鳳改二乙に対潜先生爆雷攻撃を行わせるには、自身の対潜値が65以上、かつ対潜値が7以上の艦載機を搭載する必要がある。
また、対空と運が軽空母トップであり、念願の「正規空母にも負けない」活躍が十分出来る性能を手に入れたことになる。燃費も良好であり、まとめると「龍驤改二と同水準の燃費で雲龍並みの火力持ち」である。
服装は、こちらも瑞鶴の改二甲と同じように、最初の紅白カラーに戻っている。いわば「レイテを超えた瑞鳳」というべきか。なお、迷彩カラーでなくなったためか、回避が瑞鳳改二より大幅に落ちている。
なお、改二や改二乙でも以前通りに格納庫はまさぐれるので、ご心配なく。いや憲兵さん違うんです
戦史とかいつ見るの? 今でっ…いや、別に、いつでもいいけど。
前述の通り、元々は高速給油艦、高崎として建造されていた(起工は1935年6月20日)。
ただし高崎はロンドン海軍軍縮条約による空母の保有制限をかいくぐるため、戦時には迅速に空母に改装可能な設計がなされていた。1936年6月19日に進水するもその状態でしばらく放置。その後、条約から日本が脱退し、建造途中でより改装が容易な潜水母艦(潜水空母ではなく、洋上で潜水艦に補給・整備が出来る艦のこと)へと仕様変更がなされ、さらに航空母艦へと仕様が変更された。艦名も高崎から瑞鳳へと改名し、工事再開。1940年12月27日に竣工し航空母艦として誕生、佐世保鎮守府に配属された。1941年2月20日から3月24日にかけて、第十二航空戦隊の着艦訓練に協力。4月10日、第三航空戦隊所属となる。僚艦には鳳翔がいた。
開戦当初は最前線に出る事は無く、試験航海も兼ねて本土・台湾間の航空機輸送作戦に従事していた。1942年4月の日本本土初空襲(ドーリットル空襲)時、瑞鳳は空襲を終えて撤退する米機動部隊の追撃を行ったが、発見する事が出来ず帰投した。この一ヵ月後の1942年5月4日に姉妹艦の祥鳳が珊瑚海海戦で沈没してしまっている。
1942年6月5日、ミッドウェー海戦では鳳翔とともに予備戦力として参加。両艦の搭載機はいずれも旧式と、主力はあくまでも第一航空艦隊の空母4隻であった。しかし空母4隻を喪失した後、残存空母であった瑞鳳に攻撃の命令が下る。瑞鳳隊の艦攻には航空魚雷が搭載されていなかったため、緩降下爆撃が攻撃手段として選択された。8日、米艦隊とはついに遭遇せず、9日に残存の攻略部隊は北方へと向かい、陽動のためアリューシャン方面の米軍拠点ダッチハーバーを空襲していた第二機動部隊と合流。大湊へ帰投した。帰投後、艦隊司令の山本五十六より感状を承っている。
ミッドウェー海戦後の1942年7月14日には再編成が行われ、瑞鳳は翔鶴・瑞鶴とともに栄えある第一航空戦隊へと配属された。瑞鳳は練度不足を憂慮され、本土に温存される予定であった。しかし第二次ソロモン海戦で龍驤が撃沈された事を受け、急遽補充要員として進出が決定。
再編から約3ヶ月後の10月26日、瑞鳳ら第三艦隊はソロモン方面へ進出、南太平洋において米機動部隊と衝突した。しかし第一次攻撃隊発進後の5時40分頃、瑞鳳は偵察中のSBDドーントレス2機の奇襲に遭う。瑞鳳側は敵襲に全く気づいておらず、SBDが投下した爆弾のうち一発が後部リフト付近に命中した。多数の死傷者を出し、着艦機能を喪失するが、幸いにも航行能力に支障をきたさずに済んでいる。瑞鳳の運が高いのはここから来ているのかもしれない。
7時27分頃、機動部隊本隊は米攻撃隊の空襲を受ける。瑞鳳からは14機の直掩機が発艦し、SBD2機を撃墜した。この攻撃で旗艦翔鶴が爆弾を6発被弾し大破。瑞鳳は翔鶴と一緒に戦場を離脱した。
一航戦第一次攻撃隊62機(うち瑞鳳9機。全機艦戦)は米機動部隊へ向けて進撃していた。途中、米空母ホーネットから発進した攻撃隊とすれ違うが、両軍ともに手出しはせず素通した。しかし次のエンタープライズ隊とすれ違った時、第一次攻撃隊の最後尾に付いていた瑞鳳の零戦隊が反転攻撃。指揮官機を含む5機を撃墜する。だが瑞鳳側も2機が空戦で撃墜され、さらに2機の零戦と誘導の九九艦爆1機が未帰還となった。
この後、第一次攻撃隊はホーネットを発見。爆弾3発と魚雷1本を命中させ、最終的に沈没へと追い込んだ。しかし瑞鳳隊は前述の反転攻撃のため攻撃隊に追随できず、瑞鳳隊の護衛機を欠いた攻撃隊は苦戦を強いられ、艦爆・艦攻隊は多大な損害を被ってしまった。なお、生き残った瑞鳳隊は瑞鶴へと着艦している。
海戦後、瑞鳳は佐世保工廠で修理を行い、1943年1月、ニューギニアへ向かう輸送船団護衛のため、トラックにいた瑞鳳から零戦20機と九七式艦攻8機がウエワクに進出。船団を空から護った。
1月29日にはガダルカナル島撤退作戦の支援を行い、2月26日、ウエワクの北北西にて、瑞鳳所属の九七式艦爆が船団に忍び寄る敵潜水艦を探知。60キロ爆弾2発を投下し、味方の駆逐艦も掃討を手伝ったが撃沈には至らなかった。3月3日に生起したビスマルク海海戦では船団の護衛のため15機の零戦を派遣したが、米軍の新戦術「反跳爆撃」により輸送船団はおろか護衛の駆逐艦をも壊滅する手痛い敗北を喫した。
4月2日からは「い号作戦」に参加、瑞鳳航空隊の一部を南方の陸上基地へ貸し出している。
その後は本土・トラック間の輸送任務や硫黄島近海の索敵に従事。10月下旬、米潜水艦「スケート」に雷撃されるも難を逃れる。
1944年初頭も本土・トラック間を往復。1月29日、横須賀寄港。4月8日、第一航空戦隊所属だった瑞鳳は大鳳の完成をもって古巣の第三航空戦隊へと配置換えとなった。
同年6月、絶対国防圏の要であるサイパン島に米軍が襲来。日本軍は第一機動艦隊を派遣し、ここにマリアナ沖海戦が生起する。第三航空戦隊の一員として参加した瑞鳳は千歳・千代田達とともに前衛部隊を編成、大鳳ら機動艦隊本隊(甲・乙部隊)の前面に展開し、米艦載機の攻撃を吸収する役目を担った。
19日、7時30分。一機艦最初の攻撃隊として、瑞鳳の24機(艦戦6 爆装零戦15 艦攻3)を含む、三航戦第一次攻撃隊66機が発艦(艦戦14 爆装零戦44 艦攻8)。[8]攻撃隊は電探装備の天山に誘導されて米艦隊を目指し、天山隊は攻撃隊の突入を助けるため途中分離してチャフを散布した。しかし散布時点で攻撃隊は米軍側に捕捉されており、9時35分頃にF6F約62機の奇襲攻撃を受けてしまう。数に劣る直掩隊は瞬く間に劣勢に陥り、爆戦隊は大損害を受けつつも突撃に移るが、戦艦に命中1、重巡に至近弾1を与えただけに留まった。結果として、三航戦第一次攻撃隊は42機を喪失(艦戦8 爆装零戦32 艦攻2)して帰還した。
三航戦攻撃隊の発艦後、続けて一航戦・二航戦攻撃隊が米艦隊に向けて発進したが、いずれも三航戦と同じく大規模な奇襲攻撃を受け、目立った戦果を挙げられずにいた。なお三航戦は、一・二航戦攻撃隊の緊急着艦を受け入れていたため、続けて行われる予定であった第二次攻撃の機会を失っている。
20日。前日の攻撃が失敗に終わり、かつ甲部隊の大鳳と翔鶴を敵潜水艦の攻撃で失いながらも、一機艦は戦闘を継続していた。再捕捉した米艦隊へ瑞鶴が薄暮攻撃を試みるが接敵できず失敗。17時30分、前衛部隊は米艦載機の空襲に曝されたが、瑞鳳は幸運にも無傷で済んでいる。
21日に艦隊は退却を開始、敵の追撃を振り切って24日には内地に帰還した。瑞鳳は前衛部隊の中でも前方に位置していたにも関わらず無傷で海戦を切り抜けており、その強運さがうががえる。だが皮肉にも、彼女が身を挺して守るはずだった本隊は敵潜水艦の襲撃や航空攻撃によって、翔鶴、大鳳、飛鷹が撃沈される憂き目を見ている。
マリアナ沖海戦が敗北に終わったあと、海軍上層部はサイパン奪還を目論んで殴り込み部隊を編成しようとしていた。この部隊に瑞鳳達残存空母6隻を組み込み、約350機の戦闘機で制空権を奪取、陸軍の上陸を援護する予定であったが、当の陸軍から「打算無し」と言われて拒否されてしまった。さらに現場の連合艦隊司令部も奪還作戦には消極的だったため、当初は奪還作戦に乗り気だった昭和天皇も折れて中止が決定。
その後、硫黄島に米軍機襲来の報が飛び込む。これを受けて海軍は「いざという時に手元に空母が無いのは心もとない」とし、緊急迎撃用の空母に無傷の瑞鳳、千歳、千代田を指定した。
7月29日、横須賀を出港した瑞鳳は父島へ向かう輸送船団を護衛。8月4日に呉に到着、同月30日まで訓練に従事。
再編後の機動部隊の一員として各地を転戦してきた歴戦艦の瑞鳳だが、搭乗員の消耗は相当深刻なものであった。
1944年10月、日本の喉元であるフィリピンに米軍が迫る。日本軍は捷一号作戦を発令し、海軍は持てる艦隊戦力を全てフィリピン沖へと出撃させた。ここまで生き残っていた瑞鳳も小沢機動部隊こと第三艦隊の一員として作戦に参加。瑞鶴や千歳、千代田と同じように、航空攻撃から身を守るべく船体を迷彩で染めていた。
瑞鳳ら第三艦隊に課せられた任務は米軍の航空兵力を引き寄せて、主力の陸海軍基地航空隊や、レイテ湾に突入する栗田艦隊を助ける事だった。作戦完遂のためどうにか定数近い艦載機を集めた三航戦であったが、圧倒的な戦力を誇る米軍航空隊の猛攻に曝されれば全滅必至であった。
10月19日、大分に停泊していた小沢艦隊は終日物資や人員の積み込みを行った。この時に報道班が乗り込んだ。瑞鳳に報道員が乗り込むのは今回が初めてだったという。
翌日の20日午前8時、曇り空の大分を小沢艦隊が出港する。伊予灘で、遅れて大分を離陸した航空機16機が瑞鳳に着艦。午後、対潜警戒航行序列を組んで豊後水道を南下。決戦の地へと向かっていった。
道中は穏やかではなかった。22日、雷跡を見張り員が発見したことで総員戦闘配置が発令される。ところが敵潜水艦を発見できず。配置は解除されたが、念のため2機の哨戒機が発艦した。
23日午前6時、命令により索敵機2機を出撃させる。だが敵艦隊及び航空隊は発見できず。そして10時頃には主力の栗田艦隊が敵襲を受けているとの緊急電報が入った。見つけてほしい囮艦隊よりも先に主力隊が発見された格好だった。このため小沢長官は夕方に艦隊の予定位置を無線で送信。敵にわざと傍受させて引き寄せる狙いがあった。
24日午前9時、ついに攻撃隊出撃の命令が下る。11時に索敵機から敵の位置が報告され、瑞鳳から零戦8機、爆撃機4機が発進していった。しかし敵航空隊の待ち伏せに遭い、空母の攻撃に失敗。3機が瑞鳳に戻ってきた。これにより空母群は殆どの航空機を失った。15時頃、敵の哨戒機が出現。ようやく発見して貰えた瞬間だった。日本空母発見の報を聞いた米側の指揮官ハルゼー大将は「真珠湾以来の宿敵の息の根を止める」とし、指揮下の機動部隊を全力投入した。サンベルナルジノ海峡はガラ空きとなり、囮艦隊の役割はしっかりと果たされたのだった。
そして10月25日、ついに小沢機動部隊に米攻撃隊が飛来する。わずか18機の直掩機に対し、米軍はのべ500機以上におよぶ攻撃隊を繰り出してきたのだった。
8時15分。第一波の80機が襲来。8時35分、瑞鳳の後部甲板に爆弾一発が直撃。リフトを貫通し、リフト機械室が破壊されてしまった。2分後には旗艦瑞鶴も被弾し小沢機動部隊は激しい爆弾の驟雨に晒される。爆弾2発を受けた瑞鳳は操舵不能となり、格納庫が炎上。8時58分、護衛の駆逐艦「秋月」が沈没。軽巡「多摩」が被弾により落伍、艦隊より離れた。9時37分、被弾により傾いていた千歳が沈没。
第二波は9時58分に始まり、千代田も被弾。機関に火災が発生し航行不能、以降は漂流。敵は瑞鶴、大淀、伊勢に攻撃を集中させ、瑞鳳にも攻撃の手が及んだ。踏みとどまる瑞鳳は対空砲で反撃し、敵機を撃退。直撃弾を受ける事は無かったが多数の至近弾が飛んできて、破孔が生じる。また、この頃から船体が傾斜し始める。
11時頃、一旦空襲が止んだ。この間に瑞鳳乗組員は艦内の整理を行い、次の戦闘に備えた。正午近くには昼食を取り始めている。
第三波は午後1時6分に始まった。1時17分、瑞鳳の船体後部に魚雷が命中し右へ傾斜。28分から至近弾を7発受け、50分には第二缶室使用不能、速力は僅か6ノットにまで低下した。2時5分には遂に航行不能に陥った。2時14分には旗艦瑞鶴が沈没。旗艦沈没後も満身創痍の体で浮いていた瑞鳳であったが、約20機の敵機に襲撃される。対空砲や噴進砲で抵抗を続けるも、母艦側が回避を優先したため中々命中弾が出ない。F6Fが飛来し、船体に機銃掃射を浴びせる。空襲の合間を縫って、負傷者の手当てや弾薬の整理が行われたが乗員の疲労は限界に近かった。さらに浸水により傾斜も増してゆく。
2時30分頃、雷撃機の編隊が右前方より超低空で接近。放たれた魚雷のうち1本が航海艦橋の真横に直撃し、多数の死者を出した。これが致命傷となり、飛行甲板の右舷が波に洗われるほど傾斜が悪化する。沈没寸前と見て、敵は攻撃の手を緩めたが、3時頃に2本目の魚雷も命中。ここにきて杉浦艦長は退艦を決意。総員に飛行甲板へ上がるよう命じた。そして総員退去の命令が下され、生存者は海に飛び込んだ。
3時27分、浸水により船体を真っ二つにして艦尾から沈んで行った。沈没した瑞鳳の乗組員は航空戦艦「伊勢」と駆逐艦「桑」(未実装)によって救助された。
瑞鳳に乗艦していた報道員は戦闘の様子を撮影しており、そのフィルムは無事に回収された。その映像は11月9日のニュース映画で放映された。
米軍艦載機による執拗な集中攻撃を受けた末、瑞鶴、千歳、千代田は戦没し、瑞鳳も最終的に爆弾2発、至近弾82発、魚雷2本の被害を受けて沈没する。
この海戦で第三航空戦隊が全滅、そして第三艦隊の上級組織である第一機動艦隊が11月15日に解散したことにより、日本機動部隊は事実上消滅した。[9]
姉妹艦の祥鳳が沈んでから自身も沈没するまでの約2年5ヶ月、策敵や航空機輸送といった後方任務に徹しつつ大きな海戦にも参加した瑞鳳は小柄な体に似合わない大きな戦歴を持っていると言えるだろう。
ちなみに瑞鳳ら敵航空兵力の引き寄せを行ったにも関わらず栗田艦隊はレイテ湾を目前にして反転。作戦は失敗に終わっている。後世に激しい議論を巻き起こすこととなった、俗に言われる栗田ターンである。
関連静画もしっかり頼むわね!
そうね、MMD登場しちゃいますか!
9月16日に完成。作成者曰く「まさぐっていたらできた」とのこと。
関連動画よ!提督、お弁当広げましょ!私の作った玉子焼き、食べる?
数は少なくても、関連コミュニティだから!
関連項目も大事よねぇ…って、提督ぅ、仕事、しようよぉ…
- 艦隊これくしょん~艦これ~
- 祥鳳型航空母艦
- 祥鳳(艦これ)
- 瑞鳳(艦これ)
- 龍鳳型航空母艦
- 卵焼き
- 提督LOVE勢
- 小松真奈
- 龍驤(艦これ) - 貧乳仲間
- 大鳳(艦これ) - 貧乳仲間
- まさぐりたい、その格納庫 ←本項へのリダイレクト
- たべりゅ教
- 艦隊これくしょん -艦これ- 瑞の海、鳳の空
瑞鳳を愛しすぎた提督の声、募集してます
脚注
- *貧乳ネタ方面はさすがにRJこと龍驤が被害担当艦として全部持っていった感があり、瑞鳳がネタにされることはかなり少ない。これもレア度の高い幸運艦の恩恵か。
……ちなみに、艦これRPGのリプレイ『願いは海を越えて』第1巻では小松真奈氏が瑞鳳のプレイヤーとして参加したのだが、そのとある場面でダイス目と氏の轟運の結果、瑞鳳は貧乳などではなく正規空母並みの胸部装甲を誇る隠れ巨乳という某RJや某TH涙目の新設定が追加される事態となった。 - *2013年8月の提督人事発表の「今月の海上護衛総隊」からのコメントによれば、12時の時報の台詞「お昼です!提督、お弁当広げましょ♪私の作った玉子焼き、食べるぅ?」は10回以上もリテイクした魂の台詞である。
- *上述のように外見は明らかに未成年というかょぅι゛ょのように感じられるが、時報ボイスで提督に酒の付き合いを勧める物があるため、キャラクターとしての瑞鳳は順当に考えれば飲酒が可能な年齢として設定されていると思われる。所謂合法ロリ枠。ただし、居酒屋でウーロン茶やオレンジジュースを注文している可能性ももちろん考えられるので、結局は提督個々人の解釈次第というところか。
艦娘の外見年齢とモデルとなった艦の艦歴が一致しないことをさて置いた余談として、史実では1935年6月に高速給油艦「高崎」として起工、計画変更を経て44年10月に戦没したことから、9年4ヶ月の生涯を過ごした事になる。2014年現在で生誕79年。 - *更に、公式類別(書類上の型)では空母化した千歳・千代田も祥鳳型に含まれているという。
- *では祥鳳はハズレなのか?と言うとそういう訳でもなく、運以外のステータスは姉妹艦らしく瑞鳳と拮抗した運用し易いものとなっている。複数建造で出現したとしても、近代化改修の素材として対空向上要員は貴重である。大型建造で出たら涙目だが。
- *最近ではドロップ確認海域の増加もあって入手難易度は多少緩和されてきている。
- *大鷹改二は最初から改二まで実装されていたので例外とする。
- *この時の爆戦は旧式の二一型に爆弾投下器を付けたものであり、ゲーム内の零式艦戦62型(爆戦)とは異なるものである。
- *隼鷹や鳳翔などは戦没を免れ、葛城のようにその後建造された空母もあるが、根本となる燃料や搭乗員(空母発着艦や洋上飛行など、空母艦載機の搭乗員は陸上基地を利用する飛行以上に技術が必要となる)が徹底的に不足しており、もはや再建の余裕は残されていなかった。
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