オウム真理教とは、新興宗教の皮を被ったカルト教団、犯罪テロ組織である。通称「オウム」。
概要
教祖・麻原彰晃(本名:松本智津夫)が1984年に設立したヨガサークル「オウム神仙の会」がルーツ。麻原が座禅で空中浮揚ができると謳い話題となる。
1987年に宗教団体「オウム真理教」に改組。その後の新興宗教ブームに乗じて積極的にメディアに出演した(当時各種テレビ番組に麻原が宗教家として、ごく普通に出演していた)。1990年には政教分離原則を完全に無視して「真理党」を結成し衆議院選挙に麻原以下信者が出馬。独特な選挙活動で注目されたが全員落選している。
しかし、これにさかのぼる1989年には、敵対していた坂本堤弁護士を一家ごと惨殺し山中に遺棄していた。このほかにも、凶悪な犯罪と反社会活動に手を染め、やがて国家転覆し麻原による独裁国家の建設を目指すようになる。
前述の全員落選がより一層教団をテロへの傾倒に拍車をかけたともいわれる。
サリンやVXガス、ホスゲンなど、知識さえあれば比較的容易に生産できる化学兵器で殺人やテロ行為を行い、脱会信者を暴行し死亡させるなど凶悪事件を起こし日本のみならず世界を震撼させた。
1995年5月16日に教祖の麻原が逮捕。宗教法人指定も解除され、破壊活動防止法の適用も検討された。過去にこの法律、適用・検討されたのは日本共産党、オウムなどごく数例のみである。なお、2017年現在もこの法律の適用事例は本件含めて1度も無い。
2000年に「アーレフ」に改称。その後幹部の一人だった上祐史浩が2007年に脱会して宗教団体「ひかりの輪」を設立し分裂。
なお、アーレフは2008年に「Aleph」に改称した。
また、2014年~2015年ごろに山田美沙子を代表とした団体がAlephから分派。山田が代表であることから、公安は「山田らの集団」を便宜的な呼称としており、報道でも使用されている。
死刑囚達のその後
一連の事件による裁判で宮前一明(旧姓岡崎)、麻原、横山真人、端本悟、小池泰男(旧姓林)、早川紀代秀、豊田亨、広瀬健一、井上嘉浩、新実智光、土谷正実、中川智正、遠藤誠一の13人に対する死刑判決が確定(確定順に記載)。
2018年1月の高橋克也の判決確定を以ってオウム事件関連裁判が全て終結したことに伴い死刑執行が時間の問題と見る向きが強くなった矢先、同年3月14日に13人中7人が東京拘置所から各地方の絞首台が設置された拘置所に移送された。移送先は宮前・横山が名古屋拘置所、小池が宮城刑務所仙台拘置支所、早川が福岡拘置所、井上・新見が大阪拘置所、中川が広島拘置所である。同一事件で複数名の死刑囚がいる場合原則同日に処刑を行うという慣例から、この収監先分散がその下準備ではないかと推測されていた。
そして同年7月6日に麻原・土谷・遠藤・井上・新実・中川・早川が処刑されている。この日の一斉執行は
と様々な点で異例の出来事であった。残る6人も7月26日に刑が執行され、オウム死刑囚はこの日を以て全員が処刑されたことになる。
主な重大事件
坂本弁護士一家殺害事件
1989年11月4日未明、オウムの反社会性を追及していた坂本堤弁護士の住むアパートに押し入り、坂本弁護士と妻、息子を殺害した。坂本弁護士は新潟県上越市、妻は富山県魚津市、息子は長野県大町市の山中にそれぞれ埋められた。
この事件の際、事前にTBSのワイドショー「3時にあいましょう」のスタッフが坂本弁護士のインタビューテープを教団関係者に見せていた。教団側はこのテープを放送しないことを要求し放送自粛をさせ、このインタビューから再び両者間で話し合いをしたものの交渉が決裂し、結果的に坂本弁護士殺害を決意させたという重大な過失を犯した「TBSビデオ事件」も発生した。
ジャーナリズムの基本である「情報源の隠匿」に反し、なおかつ殺害事件発生後も隠蔽し続けた姿勢が重大問題となり、事件の発覚した1996年に当時管轄の郵政省(現:総務省)から厳重注意を受けた。この事件によりかつて「報道のTBS」とまで言われた同社の信頼は失墜し、現在も頻発する数々の不祥事につながると見る意見も多い。
また、神奈川県警は匿名で「坂本弁護士の長男は長野県の山中に埋められている」という文章と具体的な場所を示した地図が送られてきた(後に実行犯の一人であった岡崎一明の送ったものと判明)ため長野県警と合同で捜索を行なったが発見できなかった。事件現場にオウムの教団ロゴをかたどったバッジが落ちていた、などの事件とオウムとの関係性を臭わす物証などがあったにも拘らず結果的に放置してしまった事から、初動捜査のミスを犯したことがこの事件の長期化を促すこととなったという意見もある。
なお、坂本弁護士の取材をしていたジャーナリストの江川紹子は、この事件をきっかけに坂本の遺志を継ぎオウム批判の急先鋒として活動していく。
亀戸異臭事件
1993年6月28日と7月2日に東京都江東区亀戸の教団施設から異臭が発生した事件。けが人等が発生しなかったため単に「異臭事件」とされたが、地下鉄サリン事件後の強制捜査によって、この事件が炭疽菌噴霧の生物兵器テロであったことが判明した。
結局未遂に終わり、それまでにも生物兵器によるテロの失敗を重ねていた教団は、サリンをはじめとした化学兵器の開発へと転換していくこととなる。
松本サリン事件
1994年6月27日深夜、長野県松本市の住宅地で化学兵器のサリンを散布し死者8名、負傷者660名というテロ事件を起こした。
当時オウムは松本支部の立ち退き問題でオウム側の敗訴が濃厚になっていたことがこの事件を引き起こすきっかけとなった。裁判担当の判事の殺害を目論み、住んでいた官舎近くの住宅地にサリンを散布した。
この事件では、第一通報者であった男性をマスコミが真犯人として冤罪報道を行った。彼とその妻もサリン被害者であり、妻は後遺症による重度の障害を負い2008年に死去した。マスコミは誤報に関しての謝罪は行ったが第一通報者への直接謝罪は行っていない。
(彼を「重要参考人」とし犯人の疑いが高い人物として公にし捜査した長野県警、県警を統括する国家公安委員会、また事件の真犯人であったオウム真理教は直接謝罪を行っている)
地下鉄サリン事件
1995年3月20日朝、東京の営団地下鉄(現:東京メトロ)丸ノ内線、日比谷線、千代田線の電車内でサリンを散布し乗客や駅員らが死傷。2022年現在で死亡者14名、重軽症者約6,300名の大惨事となった。警察によるオウムの強制捜査を察知した教団が、捜査のかく乱を目的に起こした。
この3路線が標的となったのは、一説にはいずれも官公庁が集中する霞が関駅を通っており、官公庁の重役や公務員、警察関係者の抹殺も同時に可能だったためとされる。
通勤のラッシュアワーの時間帯に事件が起こったため数多くの被害者が発生。都内にあった解毒剤が使い果たされてしまい、全国の病院・薬品卸会社に収集令が出される事態となった。
そこで、日本中の「パム」が航空便と新幹線によるリレー作戦でかき集められ、到着した薬品は即座に警察車両先導によって各医療機関に配布。特に新幹線では「こだま」を使い沿線の医薬品卸「スズケン」の営業所から集めた薬剤を東京まで送る方法が展開された。
また、テレビでは原因が「サリン」と断定されてからは、松本サリンでの経験をもとに解毒治療法を伝えた長野県の医師もいた。
サリン解毒剤である「パム」と「硫酸アトロピン」は国内では当時希少な薬品で通常の病院にはあまり置かれていない薬である上、副作用も存在する劇薬でもあり、採算性が良くないため製造元の住友製薬は一時製造中止を検討していたが、「(系列会社で)有機リン系農薬を作っている以上解毒剤を用意するのは当然の責務」という会社幹部の方針により運よく国内でも製造が続けられていた。
この解毒作戦は聖路加病院医師団の活躍も大きく報じられ、後年プロジェクトXにて特集も行われている。
(聖路加病院では、偶然にも院長回診日とも重なったことでPRビデオの撮影がこの日にある予定であり、詳細かつ鮮明な記録映像が残されている。院長来院日で的確な判断が早期に行えたという幸運もあった。)
1995年におきた衝撃的な事件として、阪神・淡路大震災に並び語り継がれている。日本のみならず海外にも衝撃を与え、「化学兵器テロの事例」として各国の軍隊のマニュアルで紹介されている。
2020年の3月10日には、サリン中毒により低酸素脳症に陥り闘病生活を送っていた50代女性が死去し、死者は14人となった。
著名人の殺害計画
創価学会の池田大作名誉会長、漫画家の小林よしのり、幸福の科学の大川隆法総裁、衆議院議員の小沢一郎・細川護熙、タレントのデーブ・スペクター、ジャーナリストの江川紹子などの暗殺を計画していた(いずれも未遂)。
小林よしのりは自身の作品『ゴーマニズム宣言』においてオウムを批判していたため名前が挙がった。
江川紹子は自宅の郵便受けにホスゲンガスを注入されたが、事前に察知し犯行を行った信者が逃げたため軽症で済んだ。
また、國松警察庁長官狙撃事件も当時はオウムによる犯行であるという見方が強かった。(公訴時効成立により真相不明)
オウムの社会的影響
世界初の無差別科学テロ
オウム真理教による一連のサリン事件は、世界初の無差別科学テロとして日本はもとより世界中に影響を与えた。
これにより、地下鉄の駅構内からゴミ箱が撤去されたり、海外でも北京の鉄道各駅において手荷物のX線検査がおこなわれるようになるなどテロ対策の強化が図られた。
新興宗教に対する不信
オウムは1980年代末には、すでにその異常性が一部週刊誌などで報じられていた。ところがオウムはそれを逆手に取り「国家を牛耳ろうとしている創価学会など圧力団体による陰謀だ」「宗教弾圧反対」などとして反撃し、「信教の自由」を名目としてその秘密性を高めていった。それによる社会への攻撃行為が、一連のオウム事件である。
また、宗教法人の収入(御布施)が非課税であることが、一連のオウム軍備武装化に対して巨額の費用を投資できた一因であるという説も根強い。(オウムでは国家襲撃用に実際に軍用ヘリの購入に成功していたほか、各種化学兵器の莫大な開発費にこれらが充てられたことは想像に難くない。但し、多くの兵器開発は失敗若しくは頓挫に終わっている。)
これにより半ば聖域化していた「宗教」に対する世間の目はより一層厳しくなった。
現在でも宗教法人の非課税制度や破防法の適用除外に対する批判の声は大きい。
オウマーの誕生
地下鉄サリン事件以降、一連のオウムに対する犯罪が明らとになり、各マスメディアは大手を振ってオウム叩きができるようになった。そのため、一般生活と全く異なったオウム信者たちの生活を暴露するような番組が連日放送され、電波ソングのようなオウムソングも毎日のようにテレビやラジオで流された。
これにより、信者以外の形で「オウム真理教」に興味を持つ「オウマー」と呼ばれるマニアが誕生した。彼らはオウム関連の資料を競って収集し、ホームページなどで公開したり、上九一色村物語のような同人ゲームの素材にしたりした。
ニコニコ動画に上がっているオウム関連の楽曲やビデオ映像も、彼らが集めてアップロードしたものである。
子供たちへの影響
当時の子供たちにとって、普通の生活とは全く異なる「オウム真理教」はあたかもコメディーのように扱われた。
たとえば学校で「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこー」という彰晃マーチをリコーダーで演奏したり、
あるいは「しょう子ちゃん」という名前の女の子に「尊師」とあだ名をつけてからかったりした。
サイドビジネス
オウム真理教に対する一連の捜査が行われるまでは、東京都内で教団による数々なサイドビジネスが行われていた。弁当屋「オウムのお弁当屋さん」や、ラーメン屋「うまかろう安かろう亭」など様々な業態があり、なかでも秋葉原で営業していた激安パソコンショップ「マハーポーシャ」はパソコンショップ全盛期の秋葉原における伝説の一つでもある。
これらサイドビジネスでは、従業員として信者を「修行」名目でタダで使い、人件費が一切かからなかったのでかなりの利益をあげていたらしい。
ニコニコ動画での扱い
吹いたら負けの関連で、宗教の教義をもじった吹いたらポアというタグが存在する。
不謹慎な内容ではあるのでタグの使用・閲覧には注意が必要である。→吹いたらポア
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