グロリアムンディ 単語


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グロリアムンディ

1.0万文字の記事

グロリアムンディGloria Mundi)とは、2018年生まれの日本競走馬である。鹿毛

な勝ち
2023年:ダイオライト記念Jpn平安ステークスGⅢ

生産者はノーザンファーム。所有者は吉田和美
中央時代は大久保志厩舎で管理されていた。地方転入後は船橋川島正一厩舎に所属している。

概要

キングカメハメハ*ベットーレ、Blu Air Forceという血統。
NHKマイルカップ日本ダービーを勝った変則二冠馬で、種牡馬入り後も2010年、11年にリーディングサイアーを獲得するなど大活躍した名種牡馬ドゥラメンテアパパネロードカナロアといった芝で活躍した産駒も居れば、ホッコータルマエチュウワウィザードなどのダートも輩出するなど、芝ダート問わないオールラウンダーな種牡馬でもある。
イタリアの芝GⅢを勝つなどしたイタリアで、繁殖のために日本輸入された。グロリアムンディはその第3
はこのベットーレが繁殖として持ち込まれるまで日本との接点がほぼゼロだったマイナーロベルト系種牡馬。ちなみに名前がめちゃくちゃ似ているが、2015年頃にGⅠを3勝するなどして活躍した海外Air Force Blueではない。

名は薔薇の品種の一つである『グロリア・ムンディ』からそのまま付けられた。環境や気によってはでも元気に開し、一年中楽しむことが出来る「四季咲き」と呼ばれる系統の薔薇である。

その薔薇は咲く場所を探して

2歳 芝での開花

秋華賞デーだった2020年10月18日の都芝2000m 2歳新デビュー福永祐一を背に1番人気での出走となった。
レースでは中団に位置取り、第4コーナーで外に出ると一頭だけ脚が違うかのような快な末脚で差し切り、2着と1.1/2馬身差の快勝。上の福永も「走ります。楽しみなです。次は重賞を使ってもいいくらいです。」とグロリアムンディの強さに惚れ込み、太鼓判を押した。

そのコメント通り、次走に選んだのは阪神2000mの京都2歳ステークスGⅢ[1]
上の福永レース前に「グロリアムンディかシャフリヤール[2]クラシックに挑みたい。
」と語っており、名手福永がそれほど入れ込むのも頷けるほどの新馬戦の内容などから、既にアイビーS 2着の実績を兼ね備えていた素質ラーゴムと拮抗しながらもキャリア1戦ながら1番人気に支持される。
レースでは後方寄りの位置取りで進んだが第4コーナーで外に出れず仕方なく内に切り込むも、内では各が殺到し団子状態になっていたので得意の末脚を活かしきれず4着に敗れた。

新馬戦快勝で綺麗に咲いたのも束の間、満足のいく結果を得ることが出来ぬままクラシックを見据えつつも2歳シーズンを終え、3歳からの巻き返しを図った。

3歳 砂での開花

その後、クラシックに出るため若駒ステークスに1番人気で出走するも3着。皐月賞出走のラストチャンスだったすみれステークスでは2着。その後も2勝クラシック出走をして芝の1勝クラスで奮闘するも好走止まりで、デビューから付き合ってくれている鞍上一緒に名前を挙げた馬しれっと日本ダービー3勝を決めるなどしていた。

時は流れて年の瀬の12月クラシックは終了し、グロリアムンディも芝に固執せず新しい挑戦をする事になった。それがダート挑戦である。

阪神ダート2000m 3歳以上1勝クラスに変わらず福永祐一を背に出走。
ダート転向初戦だったこともあり2番人気の支持ではあったが、終わってみれば2着を4馬身離す圧勝。新馬戦から変わらず手綱を取ってきた福永も約1年ぶりとなる勝利に「信頼していました。強かったです。」と喜んだ。

中1週で挑んだ2勝クラス中山ダート2400m 香取特別では今まで手綱を取ってくれていた福永香港スプリントの落事故による怪で離脱してしまった為、ミルコ・デムーロに乗り替わりとなった。
初の乗り替わりや距離延長などを心配され今回も2番人気だったが、めに先頭へ抜け出すと猛追するダノンラスターをクビ差やり過ごして連勝。3勝を挙げた。

クラシック期は苦杯をめたものの、思い切ったダート転向でもう一咲かす事に成功したグロリアムンディ。このままダートに照準を合わせ、古シーズンを迎えるのだった。

4歳春 開花宣言、予期せぬ宣言

3勝クラスに昇格しての4歳初戦は1月の中ダート1800m ステークスを中3週で出走。連勝の中、今度はミルコであるクリスチャン・デムーロに乗り替わったが、前走から600mの大胆な距離短縮と強気なレース間隔を嫌われてまたも2番人気だった。
レースではいつもの先行策での競馬を行い、逃げハヤブサナンデクンを上がり最速の脚で捉えて3連勝。念願のOPクラス入りを果たした。

一旦休養を挟んでOP昇格初戦は3月の中ダート1800m 名古屋城ステークス。ここで相棒である福永が怪から復帰し、2戦ぶりに手綱を握る事になった。
ダート転向から敗で3連勝中である事などを評価され、ここでようやくダートでは初めて1番人気(単勝1.9倍)に支持される。その圧倒的な人気に応え、直線で先頭に立つとそのまま加速し2着に2馬身差をつける破4連勝を挙げ、OP初挑戦で初勝利となった。

そしてそのままの勢いでダート重賞への出走に駒を進める事になる。
選んだのは4月アンタレスステークスGⅢ。このままの勢いで初重賞制覇と行きたいところだったが、やはり重賞となると強力なライバルたちも増える。
同じく連勝中で一気に重賞挑戦となるマルシュロレーヌの半バーデンヴァイラー、その年の佐賀記念勝ちで前走の名古屋大賞典はアタマ差の2着だったケイアイパープル重賞2勝で前走の東海Sでは2着だったオーヴェルニュ、一昨年のこのレースの勝ちで前走の東京大賞典で3着だったウェスタールンド、そして昨年末にラストランとなった東京大賞典で前人未到の4連覇を達成したGⅠ級5勝オメガパフューム...。

 

...ん?

 

そう、このレースには自身の所属する大久保厩舎の先輩チュウワウィザードしのぎを削ったオメガパフューム昨年末での引退を撤回して出走してきたのである。

とは言っても既にオメガパフューム7歳で、斤量もグロリアムンディとは3キロも離れた59キロ。更に戦のミルコ・デムーロが裏の皐月賞ジャスティンパレスに乗る上が初コンビ横山和生に乗り替わっていたことなどもあり、拮抗はしながらも最終的にグロリアムンディが1番人気オメガパフューム2番人気となった。ちなみに同じ理由でグロリアムンディの方も戦の福永から乗り替わった坂井瑠星との初コンビであった。
レースでは相変わらず王道の先行競馬を選択し、直線では抜け出たケイアイパープルを制して先頭に躍り出る。直線ももう半ば、このまま快勝かと思いきやその後ろからオメガパフューム斤量をものともしないような末脚を発揮。そのまま一気に差され、オメガパフュームと1/2馬身差の2着に敗れてしまった。ダート転向後初めての敗北であり、重賞タイトルまでもう少しといったところだった。

オメガパフュームには敗れたものの好走を続けていた他にはしっかりと先着しており、2着に敗れたことで収得賞金的に帝王賞出走は絶望的だったが、競馬ファンからはOP戦や重賞などを使ってチャンピオンズカップJBCクラシック東京大賞典に備えるだろうと大方予想されていた。

ただ続報がいまま5月に突入。するとnetkeibaの単独ページにある次走予定にこんな記載がなされる。

 

 

           
 次走予定:宝塚記念 
           

 

 

......ん???

 

 

なんとグロリアムンディの次走予定として表示されていたのは阪神2200mの宝塚記念GⅠ
ここに来て5走ぶり、年にすると約8かぶりダートレース全連対中のによる突然の芝GⅠレース出走表明に競馬ファンたちが「何故...?」と困惑する一方、あくまでも予定でありnetkeibaの次走予定はソースが明確でない場合も多い為いつか変わるだろうと冷静な者も居た。

だがそのまま5月の間は変わらず、とうとう各報道グロリアムンディの宝塚記念出走が正式に報じられた。当初はファン投票収得賞金の面でも出走は難しいと思われていたが、想定よりも回避が続出したので普通に出られることになった[3]

この大胆な次走選択に関して管理する大久保調教師は「牧場オーナーサイドからこういうお話を頂きました。」「ダートを使い出してから体もしっかりしてきた。もう1度、芝に挑戦したいと思います。」とコメント。この芝挑戦はあくまでもリベンジであると語った。ボスエンカウントしたせいで帝王賞に出れなくてヤケクソになったわけではい。

相棒福永祐一を背に、同コースすみれSで2着経験があったことなどから前走ダートの割には17頭中13番人気とそこそこな支持を集める。営的にはが降って重馬場になってほしかったようだが、結果的に良馬場での出走となった。
レースではすたこらサッサと逃げパンサラッサが作り出した1000m通過576という異常ペースに巻き込まれたせいか終始後方寄りの追走となり、直線も見せ場く後方のまま芝のリベンジは12着に終わった。人気よりは上だったね。

4歳秋 逆風は強く

宝塚記念後は流石レコードペースに疲れたのか夏バテを起こしてしまい夏競馬は使えず、体調が回復してきた中で次走を9月に行われる韓国重賞コリアカップと予定していたが、取得レーティングが十分ではなかったせいで韓国側から招待のがかからず、初の海外挑戦は白紙となった。

少し可哀想なに遭ってからは次走をシリウスSと予定していたがそれもくなり、JBCクラシックも相変わらず収得賞金的に出られなさそうだったりと紆余曲折あった結果、12月チャンピオンズカップGⅠにぶっつけ本番で出走する事になった。ここでも収得賞金的に出られるかあやふやで出走想定の時点では除外の可性すらあったが、メイショウハリオやいつの間にか同じようにダートに転向していたラーゴムなどが回避したことでなんとか除外は免れた。
ゴタゴタしている間に戦の福永クラウンプライドという新しい相棒でこのレースに出走する事が決まっており、グロリアムンディには短期で来日した名手ライアン・ムーアが騎乗することになった。
ダートGⅠ初出走、重賞勝利ながらまだオメガパフュームに遭遇した以外でダートでは底を見せていないこと、中ダート1800mは自身が過去2勝を挙げている得意コースであること、上のムーアが先週のジャパンカップヴェラアズール勝利していた事などから、前年覇者で前走のJBCクラシックを快勝していたテーオーケインズに次ぐ2番人気に支持される。
最内の1枠1番に納まり、いよいよ念願のダートGⅠ挑戦...!高まる中ボルテージを感じ取るかのように、ゲート大人しく待っていたグロリアムンディの前脚も今か今かと待ちきれない様子で動いていた。
いよいよ発走!とその時、
グロリアムンディはゲートいた間に軽く立ち上がってしまう。そして彼が納まっていたのは11番スタートダッシュ失敗した間からあっという間に他が前に出て来てしまい後方寄りの位置になった上に囲まれる形になってしまう。
その後は中ダートでは大ロスになってしまう外を回したくないムーアの判断もあって内の方で大人しく追走。直線では群を縫って前に出たいところだったが前の各密集状態で全然抜け出すことが出来ず、そのまま初のダートGⅠ挑戦はまた12着であった。自身の主戦が乗っていたと、一緒に付いてきた僚馬は2着・3着と健闘した。

ダートGⅠ初挑戦はほろ苦い結果に終わったがムーア理のない騎乗をしてくれた為かダメージは少なく、次走は年末の東京大賞典上を福永に戻して向かうことになった。福永はこの直前に来年2月末に騎手引退して調教師に転向する事が発表されており、時期的にも最後の大井GⅠ挑戦となる事で注されていた。
しかし東京大賞典本番から5日前の24日、追い切り中に脚を少し捻ってしまった事で万全な状態での出走が困難だとしてグロリアムンディは東京大賞典からの回避を発表。営的にも苦しい決断ではあったが、まだ4歳で先も長いが為の判断であった。

5歳春 満開

脚を労わりながら臨戦過程を整え、5歳初戦は3月ダイオライト記念Jpnに決定。戦だった福永はこの直前に騎手引退した為、グロリアムンディは福永が可がっていた後輩 川田将雅へ乗り替わりとなった。
惨敗からの休み明けだったものの競馬ファンはまだ彼の強さを信じており、当日は2.2倍の1番人気に推された。
レースではスタートからハナするメイショウフンジンと、捲って途中からハナしてきたテリオスベルが先頭でやり合い、他の有力もその2頭を無視出来ず追いかけるような展開となったがグロリアムンディは先頭集団に付いていかず冷静に中団の位置に単独で構え、抜け出す機会をっていた。
最終コーナー上が促すとグロリアムンディは一気にスパートをかけ、後続をバテさせて逃げ残りを図ろうとしていた逃げ2頭を直線に入るころには既に捕まえる。そしてそのまま沈んでいく各にグングン突き放し、終わってみれば2着のテリオスベルからは9馬身をつける大圧勝で念願の重賞タイトルを手に入れた
このダイオライト記念9馬身勝利というのは2011年スマートファルコン記録した8馬身勝利を上回る着差で、少なくともダイオライト記念JRA解放された1996年以降では史上最大着差である。

帝王賞への出走を標にそのままの勢いで5月平安ステークスGⅢに出走。上には引き続き川田将雅が跨った。
前走の名古屋大賞典を同じく上川田将勝利していたハギノアレグリアスとの2強体制と見られており、当日はわずかに0.1オッズ差でグロリアムンディが1番人気となった。
レースでは終始先団に位置取り、最終コーナーに入る頃には既に先頭に立ってそのまま直線でもグングン伸びて後続を置き去りにし、最終的に2着のハギノアレグリアスから2.1/2馬身差をつける快勝で重賞連勝。2歳時から焦がれていたJRA重賞タイトルは今回で初の獲得となった。

賞金も事に加算できたし、力も見せつけた!このままの勢いでいざ帝王賞へ...!
...とその前に、ここで地方交流重賞出走ボーダー収得賞金に関する話を改めてしておこう。

帝王賞地方競馬(NAR)で行われる地方交流重賞の為、中央所属のが出走可な頭数には制限がある帝王賞に出走出来る中央の数は7頭までと決められており、出走を予定している中央の中で収得賞金の獲得金額上位7頭がその中央に自動的に当てはめられる。この収得賞金というのはOP・L以下のレースでは1着のみ重賞では1着と2着のが獲得する事が出来るいわゆるランクポイントのようなものである。なお正確には1年以内に出走したレース2年以内に出走したGⅠレースで獲得した収得賞金に関してはボーナスとして加算され、それを加えた「出走決定賞金」によって決定される。詳しいことは「収得賞金」の記事を参照。
要するに収得賞金を稼ぐにはレースで沢山勝つ、もしくは重賞GⅠで連対する(2着以内に入る)のが大切なのだ。

ここから本題になるが平安S発走前まで帝王賞出走中央の出走決定賞金がこんな感じである。

テーオーケインズ  4億3500万
メイショウハリオ  3億200万
ジュンライトボルト 2億7000万
クラウンプライド  1億7900万
ノットゥルノ    1億5850万
プロミストウォリア 1億3700万
ハギノアレグリアス 1億1100万
~出走ボーダー~
グロリアムンディ  8350万

 

ここにグロリアムンディが平安S 1着で獲得した賞金を追加してみよう。

テーオーケインズ  4億3500万
メイショウハリオ  3億200万
ジュンライトボルト 2億7000万
クラウンプライド  1億7900万
ノットゥルノ    1億5850万
プロミストウォリア 1億3700万
グロリアムンディ  1億2150万
~出走ボーダー~
ハギノアレグリアス 1億1100万

 

これで帝王賞出走ボーダーに見事に乗ることが出来たね!やったねムンディ!

 

...おや、何か忘れているような...。

 

そう、収得賞金重賞では2着にも入る

 

そして平安Sの2着に入ったのは

ハギノアレグリアである。

 

......ではそんなハギノアレグリアスに入った賞金も入れて先程のボーダーを見てみよう。

 

テーオーケインズ  4億3500万
メイショウハリオ  3億200万
ジュンライトボルト 2億7000万
クラウンプライド  1億7900万
ノットゥルノ    1億5850万
プロミストウォリア 1億3700万
ハギノアレグリア 1億2600
~出走ボーダー~
グロリアムンディ  1億2150万

 

なんと決定賞金450万円差でグロリアムンディは帝王賞の中央から弾かれる事が確定してしまった

この事実残念がる競馬ファンも多くはなかったが、これもまたダートたちによるレースとは別の厳しい競争なのである。

今年も帝王賞へ出られないことが確定したグロリアムンディは宝塚記念には出走せずチャンピオンズカップを最大標に調整を続ける事となった。

5歳秋 逆風再び

放牧を挟んで5歳シーズンに突入。しかしグロリアムンディは今年もアレに怯えることになる。
それが去年出走表明はしたがお呼びがかからなかった韓国際競走である。ちなみに去年は1頭だけであったが、この年から2頭選出されるようになった。
今年も相変わらずコリアカップに出走を表明していたが、韓国側は当初クラウンプライドメイショウハリオの2頭を招待しており、グロリアムンディは補欠1番手のポジションであった。
ただ、メイショウハリオがその招待を辞退したことでグロリアムンディは繰り上がり、今年こそ初の海外遠征となるコリアカップGⅢに正式に出走する事が決定した。自身を重賞タイトルに導いてくれた川田クラウンプライドを優先した為、上には昨年のアンタレスSぶりとなる坂井瑠星を迎えた。
レースでは前の外を回って追走するストレス競馬を選択。直線を向いて先頭に立ったクラウンプライドへ並びかける一幕もあったが、その後はどんどん突き放されてしまい最終的にクラウンプライドから10馬身離された2着に敗れた。敗はしたが2着の収得賞金1700万円を持ち帰ることに成功し、そのまま帰した。

後は昨年通りチャンピオンズカップGⅠに出走。坂井同期レモンポップに跨り、川田も相変わらずクラウンプライドを選択したので上がになるか心配されていたが、この年イクイノックスに跨るなどして絶好調だったクリストフ・ルメールに決定した。
海外帰りや昨年の苦い思い出もあり8番人気での出走。今年はスタートを失敗せずいいポジションレースを進めれていたが、最終コーナーに入ると突然手応えがくなり昨年を下回る13着での入線となった。

その後は昨年脚の捻りで念の回避をした東京大賞典JpnⅠ)に短期で来日していたトム・マーカンドを背に事出走。ただ中2週の出走にもかかわらず-16キロと大幅な体重減を心配され7番人気の支持だった。
レースでは相変わらず前競馬を選択するも、直線に入ってマーカンドがどれだけを入れても伸びずに前の集団に3馬身離された6着に敗れ5歳シーズンを終えた。

6歳 また蕾から

年が明けて6歳になったグロリアムンディ営は思い切ってサウジアラビアGⅠサウジカップに登録してみるも招待される事はく、この年から4月へ移動した川崎記念JpnⅠ)へ出走する事になった。
上は3度コンビとなる坂井瑠星。惨敗が続いてはいたが体重は事に東京大賞典から+17キロと戻り、調教パドックでも調子が良さそうだったのでセラフィックコールに次ぐ2番人気の支持を集める。
レースでは綺麗スタートを決めて前に立ついつものスタイルで1番人気セラフィックコールを内に閉じ込める理想の形になるも、向こう正面の方から次第に手応えがくなっていき、直線でも全く伸びずに中央勢最下位・地方2頭にも先着される9着と大敗。
競馬ファンからは故障も疑われたが別にそんなこともいようで、上の坂井レース後に「ペースが上がってから手応えがくなった。」とコメントを出していたが昨年の平安Sなどを見るにそんなやわでもさそうだった為か却って大敗の原因究明が難しいままであった。一部ではグロリアムンディのメンタル面を心配するもあった。

連覇をして5月平安ステークスGⅢ幸英明を背に出走するもまたも直線で伸びを欠き8着。復調が先だと帝王賞はパスして7月プロキオンステークスGⅢに出走するも12着と連敗。

その後営が立て直しに尽力し、相変わらずの間は休養させて調子を整え10月リステッド競走 ブラジルカップに出走した。ハンディキャップ競走の為、重賞2勝のグロリアムンディはトップハンデ58.5キロを背負うことになり8番人気上も初コンビとなる北村宏司になった。
レースでは相変わらず前進気勢を見せて先団に取り付くと今回はそのままのポジション手応えよく直線に先頭で突入上がを入れるとそれに応えて伸びてみせ、猛追する各を振り切ってクビ差の復活勝利を遂げた。トップハンデに泣かされてから2年、今度はグロリアムンディ自身がその立場になったのだった。

その後は3年連続となるチャンピオンズカップGⅠに出走。上は変わらず久々の勝ちを届けてくれた北村宏司だったがスランプが長かったのと過去2年のこのレースの成績を鑑みて最低人気の16番人気だった。
レースでは出遅れることなく先団に位置するポジションだったが途中から何頭か外から上がってきた為に包まれるような格好になる一幕もあり、直線の仕舞いでは伸びきれなかったが自身のチャンピオンズカップ最高着順となる9着で入線した。

7歳 新天地でまた咲く日まで

年明け7歳も現役を続行。次走には2月佐賀記念Jpnを選択したがトンネルが長かったせいで収得賞金ボーナスがいつの間にか消滅し、またしても弾かれそうになっていたがテーオードレフォンが直前で回避したことで滑り込むことに成功。1週間前での出走正式決定だった為、上確保が難しかったのか地元佐賀所属の山口勲が跨ることになった。
レースでは単独3番手を追走して前を行くメイショウフンジンクラウンプライドを見るようなポジションへ。そのまま追走を続け、コーナーノットゥルノ、直線で地方シンメデージーには抜かれたものの5着を7馬身離す4着と健闘した。

その後間もなく中央の競走馬登録を抹消し、地方競馬へ移籍する事になった。佐賀記念も出れるか危うい状態だったのを鑑みて、出走機会をめての前向きな移籍とのこと。
しばらく所属先未定のまま行方不明のような状態だったが、ブリリアントカップに出走するグリューヴルムの併せとして追い切り動画に出演する形で健在な事が確認され、その後正式に船橋川島正一厩舎所属となった。

地方移籍初戦の皐月盃(OP)では御神本訓史を背に出走。生憎の不良馬場で仕掛けもめになり後半は脚が鈍ったものの3着だった。

立て直して出走した地方2戦中原オープン。OP戦ながら重賞級のメンバーが集まったが、ひるまず逃げを敢行すると直線でそのまま突き放して7馬身差の快勝。地方へ行っても依然健在である事をアピールした。

中央で開を繰り返した不屈のグロリアムンディ。
今度は初タイトルを掴んだ地方舞台で、また力強く咲き誇るのを期待したいものだ。

血統表

キングカメハメハ
2001 鹿毛
Kingmambo
1990 鹿毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Miesque Nureyev
Pasadoble
*マンファ
1991 黒鹿毛
*ラストタイクー *トライマイベスト
Mill Princess
Pilot Bird Blakeney
The Dancer
*ベットーレ
2009 鹿毛
FNo.8-i
Ble Air Force
1997 鹿毛
Sri Pekan Red Ransom
Lady Godolphin
Carillon Miss The Minstrel
Sex Appeal
Happy Sue
2003 鹿毛
City On a Hill Rahy
*ヴィルダモーレ
Fun Lover Lahib
Funun

クロスNorthern Dancer 5×5×5(9.38%)、Sex Appeal 5×4(9.38%)

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関連リンク

関連項目

脚注

  1. *当時の京都競馬場は改修工事を行っていた為、阪神開催だった。
  2. *グロリアムンディが勝利した1週間後、福永祐一を背に新勝ちを収めていた。
  3. *また、宝塚記念は当時の前年からの62年間で3回しかフルゲートになったことがGⅠで、営もそのことを見越していたと思われる。ちなみに、そのうちの1回は直前で出走取消があったのでフルゲートで出走した例は2回。
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