懐かし外人(もしくは懐かし助っ人)とは、プロ野球の世界で、あまり成績を残していない外国人選手、変わったエピソードのある選手、あるいはカルト的人気を誇っていた外国人選手たちを指す。
毎年、プロ野球の各球団には2~3人程度、多い球団(巨人や中日、楽天など)には4~5人の外国人選手が入団する。しかし、日本でブレイクするのはほんの一握りだけ。あとは、すべてがネタ外人と化し姿を消す。その中でも、何か特筆すべきことをやってのけた選手が“懐かし外人”と呼ばれる。
ロバート・ローズ(元横浜)やランディ・バース(元阪神)など、実績を残した選手も懐かし外人と言われるが、それは普通の野球ファンの方のみで、我々コアな野球ファンはダメ外人やネタキャラ外人を懐かし外人と呼ぶ。
本項では、懐かし外人を所属していたリーグごとに記述していく。なお、両リーグに所属した経験がある選手は、基本的には所属期間が長いリーグの方に記述していく。
(所属年数が同じ場合は先に所属していたリーグを優先。一部例外の選手アリ。)
「あー、こんな選手いたな」「この選手そんなエピソードあるんだ」という感じでなるべく多くの選手を広く浅くピックアップし、軽く読める記事を目標とする。
また、優秀な成績を残した選手であっても、変わったエピソードや成績、事件や言動のあった選手も一部記述する場合もある。ネタではなく活躍した外国人選手については「助っ人外国人」の項目も参照していただきたい。ネタを含む選手もいるので一部重複して記載されている選手もいる。
大百科記事のある選手名は太字で表示。
※自由契約後、移籍・再契約した選手が記載されている場合があります。ご了承下さい。
名前 | 在籍 | 所属 | 概要 |
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ジョー・ペピトーン | 1973年- 1974年 |
ヤクルト | NPB史上最悪の外国人選手の呼び声も。問題行動は数え切れない。彼の問題行動の詳細はWikipediaで。 |
シクスト・レスカーノ | 1987年 | 大洋 | 「140km/hの速球が怖くなった。体力の限界」と言ってシーズン中に現役引退を表明。 |
リック・ランセロッティ | 1987年- 1988年 |
広島 | 登録名「リチャード・ランス」 最低打率(.218)最多三振(114個)で本塁打王(39本)のタイトルを獲得。 「ランスにゴン!」と言われ親しまれた。 |
ルパート・ジョーンズ | 1988年 | 阪神 | NPB史上初の背番号「00」 来日時、既に肩を悲惨なほど故障していた(返球は全て下手投げだった)。 |
ホアン・アイケルバーガー | 1989年 | ヤクルト | サヨナラ暴投という前代未聞の珍事態をやらかしたいわば逆サヨナラ男。 当時、ヤクルトの監督であった関根潤三氏が「名前がおもしろかったから獲った」と発言。 |
陳義信 | 1989年- 1990年 |
中日 | NPBにおいて下の名前を登録名にした初のアジア人。 登録名は「義信(ヨシノブ)」 |
ベニー・ディステファーノ | 1990年 | 中日 | NPB史上初のオープン戦退場者。星野喧嘩野球の象徴的な乱闘要員。 |
ジョーイ・マイヤー | 1990年 | 大洋 | 人気者のカルロス・ポンセを二軍に追いやってまで獲得した巨漢の大砲。打率.275、本塁打26本と打撃成績はまあまあであったが、鈍足と守備のまずさが問題視され一年で解雇された。 ちなみに、元横綱の曙太郎のいとこである。 |
フェリックス・ペルドモ | 1992年 1996年- 1999年 |
広島 | 内野手として入団し、途中で投手に転向した。1999年には再び内野手登録に戻るが、投手としても何度も登板している。 しかし、この年は外国人野手と投手はそれぞれ二人までしか登録してはならないルールになっており、内野手登録のペルドモをマウンドに送るのはルール違反ではないものの限りなくグレーであった。 |
マット・ステアーズ | 1993年 | 中日 | 日本ではパッとしなかったが、その後2011年(43歳)までMLBでプレーするなど息の長い選手だった。 通算12球団在籍は当時史上1位。通算代打本塁打23本はMLB記録。 |
レックス・ハドラー | 1993年 | ヤクルト | 寄食家として有名。ミミズを踊り食いし、チームメイトをドン引きさせ「ミミズ男」のあだ名をメディアにつけられる。その後アリやセミまで食べていた。 打率.300、本塁打14本を記録するなど貢献度は大きかった。 |
ロブ・ディアー | 1994年 | 阪神 | 2億7000万円の大型扇風機。MLB史上最低のシーズン打率.179を記録、通算三振数も1379と非常に多かった。ちなみに通算本塁打数は226本。 三振かホームランかという典型的なバッターだった。 |
ダン・グラッデン | 1994年 | 巨人 | リードオフマンとして期待され入団したものの、守備走塁は明らかに劣化していた。危険球退場ルールが導入されるきっかけとなる、ヤクルトの中西捕手との乱闘が有名。 |
ヘンリー・コトー | 1994年 | 巨人 | 佐々岡真司に食らった頭部死球が有名である(当時の珍プレー好プレーでも取り上げられた)。佐々岡は危険球退場となるのだが、明らかにコトーの避け方が下手なせいで当たった死球であったため、惨事ではなくネタ扱いされていた。 左投手に強く、日本シリーズでも優秀選手賞に輝くなど活躍したものの、守備のまずさもあり一年で解雇された。 |
エリック・ヒルマン | 1995年- 1998年 |
ロッテ 巨人 |
ロッテ時代は伊良部、小宮山とともにエースとして活躍。 巨人移籍後「肩に小錦が乗っているようだ」「肩にジャックナイフが刺さっているようだ」と登板拒否を繰り返し「Mr.違和感」といわれるようになってしまい、ナベツネから「金をやるから出て行け」とまで言われてしまいシーズン途中解雇となってしまった。 後に左肩回旋筋腱板の全層断裂が判明。違和感が事実であった事が判明。 |
ジェフ・マント | 1996年 | 巨人 | ナベツネ「クスリとマントは逆から読んだらダメなんだ」 |
バルビーノ・ガルベス | 1996年- 2000年 |
巨人 | 96年16勝で最多勝受賞。そのオフに出演したCMにて「カルシウムブソク、シテイマセンカ?」のフレーズで人気を博す。打者としても優秀でNPBで唯一「1シーズンに2度満塁本塁打を放った投手」でもある。 しかし98年、判定に不服を抱き、球審の橘高に向かってボールを投げつけ、「シーズン残り試合出場停止」という処分を受けた。 |
クレイグ・ワーシントン | 1996年 | 阪神 | 「打ってクレイグ、たのんマース」 バースとマース、1字違いで大違い。 |
ケヴィン・マース | 1996年 | ||
マイク・グリーンウェル | 1997年 | 阪神 | 球団史上最高額の年俸3億円超で入団。自打球で骨折後「野球を辞めろという神のお告げ」と突然引退宣言をし帰国してしまった。実働期間はなんと8日、ある意味で伝説の助っ人。「史上最悪の詐欺師」と揶揄されることも。 ちなみにボストン・レッドソックスのチーム殿堂入り選手でもある。 |
フィル・ハイアット | 1997年 | 阪神 | 「ハイ、アウト!」夫人のミスティ・ハイアットは元ソフトボール代表選手。 |
ルイス・デロスサントス | 1997年 | 巨人 | 「台湾のイチロー」の触れ込みで入団。 蓋を開けてみれば鈍足(暴走)&拙守&極度の打撃不振と全く使い物にならなかった。 長嶋茂雄監督はゴールデングラブ賞を受賞したと思い込んでいたが、台湾球界時代の3年間で62失策だった。 |
ペドロ・カステヤーノ | 1997年 | 巨人 | ルイスが使い物にならず緊急補強として来日。しかし結果はお察しください。 |
マリアーノ・ダンカン | 1998年 | 巨人 | 前年のルイスやカステヤーノの失敗を踏まえて獲得。MLB通算1247安打の実績を誇り、期待されていたが…。 |
李鍾範 | 1998年- 2001年 |
中日 | Jリーという愛称でも知られた「韓国の核弾頭」 日本のプロ野球ファンからも敬愛された宣銅烈投手を慕って中日に入団した。 ファイト溢れる積極果敢なプレーから彼を評価するファンも多かったが、死球による骨折以降成績が急降下した。 |
李尚勲 | 1998年- 1999年 |
登録名は「サムソン・リー」ロン毛の金髪が特徴的な左腕のピッチャー。 二年目の途中にリリーフに転向、ストッパーの宣銅烈に繋ぐ鉄壁のリリーフ陣の一角となった。 |
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ホセ・マラベ | 1998年 | 横浜 | 開幕2試合のみ活躍。「振ったところにボールが来ない」という迷言を残す。 |
マーク・エーカー | 1998年- 1999年 |
ヤクルト | 先発11試合で防御率2.34と安定感を見せるも、0勝2敗でシーズンを終える。 ムエンゴに泣かされたのでたぶんエーカー本人の責任ではないはず。 |
ダレル・メイ | 1998年- 2001年 |
阪神 巨人 |
野村克也監督との確執で中傷ビラを配ったり、死球で松井秀喜を怒らせるなど問題行動は多かったものの、阪神、巨人でローテーションの中心として活躍するなど実力は確かなものだった。 |
デーブ・ニルソン | 2000年 | 中日 | 登録名「ディンゴ」 日本で活躍できなかったが、シドニー五輪の日本戦でホームランを放つ。 |
ヘクター・アルモンテ | 2001年- 2002年 |
巨人 | ドカベンの岩鬼正美のように口に葉っぱを咥えてマウンドに。 「オレはまだ眠っている。」という謎の迷言を残す。 |
デーブ・ドスター | 2001年 | 横浜 | 主砲ロバート・ローズの慰留に失敗したため獲得した両助っ人。ドスターはローズよりもはるかに守備は良かったもののチャンスに弱く、ズーバーは規定打席未達ながらも打率.310を残すが2HRしか放てず(膝の故障のせいと言われている)両名とも一年限りで退団となった。 |
ジョン・ズーバー | |||
ケビン・ミラー | 2003年契約→来日拒否 | 中日 | 来日拒否後、ボストン・レッドソックスに入団。これにより、中日はしばらくアメリカから選手を獲得できなかった。 その後、代わりに獲得したアレックス・オチョアが大活躍。 ちなみにメジャーリーグ公式チャンネルの番組内において、川崎宗則とのインタビューで爆笑しているのは彼。 |
ジミー・ハースト | 2003年 | 広島 | 「カープのボブ・サップ」と期待されていた。 |
クリス・ブロック | 2003年- 2004年 |
広島 | 投手なのに打率.318,2本塁打,6二塁打。代打で起用され死球を受けたり、三盗をしたことも。 |
スティーブ・コックス | 2003年 | 横浜 | 3年7億円で契約するも15試合出場のみ。契約を残り2年を残し退団。 おまけのつもりで獲得したタイロン・ウッズの方が大当たりだったというオチまでつく。 |
マット・ホワイトサイド | 2003年 | 横浜 | 守護神と期待されて入団するも、救援失敗が続きわずか3ヶ月で自由契約。 |
クリス・レイサム | 2003年- 2004年 |
巨人 | 二死でボールをスタンドに投げ入れ、高橋尚成の完封勝利を逃す原因となる。 |
トッド・ベッツ | 2003年 | ヤクルト | ロベルト・ペタジーニの穴を埋めるべく入団するも、それなりの活躍は出来ず。 初来日時、球団関係者にベッツと全く無関係の観光客を取材されたエピソードは有名。 |
マイク・キンケード | 2004年 | 阪神 | 26試合で死球が12個。 |
ダン・ミセリ | 2005年 | 巨人 | 防御率23.63。浅草観光をして帰っていった。 |
ゲーブ・キャプラー | 2005年 | 巨人 | 打率1割台と極度の不振だったが起用され続けた。 巨人退団後、日本の生活スタイルや食生活に馴染めなかったと語り、「日本に言ったことを後悔している」とコメントを残した。 |
リック・ガトームソン | 2005年-2008年 | ヤクルト ソフトバンク |
本塁打やノーヒットノーランを記録するなど輝かしい実績もあるが、ホークスに在籍時の2007年にドーピング違反で処分された。 ただし、ここで摘発されたのはフィナステリド、要するに毛生え薬である (現在は禁止薬物から除外されている)。 |
ケビン・ウィット | 2005年 2007年 |
横浜 楽天 |
ミセリとのプロとは思えぬ低レベルな対戦は「ニコニコ迷勝負」に数えられるほどであった。 |
李炳圭 | 2007年- 2009年 |
中日 | 案の定である。韓国のイチローの触れ込みで入団した「赤兎馬」 しかし故障の影響で走攻守全てにおいて中途半端だった。 一方でポストシーズンでは無類の強さを発揮した。 |
ルイス・ゴンザレス | 2007年- 2008年 |
巨人 | ドーピングが発覚し、1年間出場停止処分。その直後、球団から解雇された。 |
ジャレッド・フェルナンデス | 2007年 | 広島 | NPB初の純正ナックルボーラー。 |
エステバン・ジャン | 2007年 | 阪神 | ボーク王。たった1年で歴代通算ボーク数の9位タイに名を連ねる。しかも、ボーク直後の投球で危険球退場を受けたことが2度。 |
アーロン・ガイエル | 2007年- 2011年 |
ヤクルト | 「魔将ガイエル」空間を歪める程度の能力を持つとされ、「一飛安」や「左ゴ本」といった奇妙なヒットを記録した。 低打率にもかかわらず四死球が多く非常に高い出塁率を記録し、1イニング2死球のプロ野球最多タイ記録をマークしたりもしていた。 |
トラビス・ヒューズ | 2008年 | 横浜 | ピッチャーヒューズ!やる大矢のお気に入りという設定があった。 炎上すると「ヒューズが飛んだ」と揶揄された。 |
ダニエル・リオス | 2008年 | ヤクルト | 禁止薬物使用で解雇。 |
スコット・シーボル | 2008年- 2009年 |
広島 | シーボル先生。25番という男から背番号とポジションを引き継ぐ。 |
ケビン・メンチ | 2009年 | 阪神 | 「グリーンウェルの再来」 大砲として期待されるもHR0、打点2という低成績に終わってしまった。 |
マキシモ・ネルソン | 2008年- 2012年 |
中日 | 2010年キャンプ地に移動する際、手荷物の鞄から実弾が見つかり銃刀法違反容疑で逮捕された。故意ではなく、本人も深く反省していたため後に釈放。NPBから三ヶ月の出場停止処分が下された。 成績自体は中日黄金時代の中にあって開幕投手を務めたり、吉見・チェンらとともにシーズン通してローテーションを守るなど安定した活躍を見せた。 |
スコット・ドーマン | 2009年 | 広島 | 敗戦処理で投球回0/3(要するに1アウトも取れず降板)を2試合記録。 2試合目は対千葉ロッテ戦、1イニング15失点を喫した戦犯のひとりとなる。 |
ジャスティン・ヒューバー | 2010年 | 広島 | 野村謙二郎監督が直々に獲得した選手。ビーバーでもヒーハーでもない。 |
ディオニス・セサル | 2010年 | 中日 | ディオニス☆自演乙☆セサル。セサる。どこで守れるメキシコリーグの首位打者という前評判で入団。 しかし、どこを守らせても下手、打撃もイマイチだった。 |
ジョエル・グスマン | 2011年 | 中日 | 館山キラー。しかし他の投手からは…。 |
ブライアン・バニスター | 2011年 | 巨人 | プレーせずに引退。 |
ラスティ・ライアル | 2011年 | 巨人 | さよなライアル。 |
ブレント・リーチ | 2011年 | 横浜 | 震災時、様々な理由から来日できなくなり、NPB史上初の制限選手に。 その後、来日するも精彩を欠いた。 |
クレイトン・ハミルトン | 2011年- 2012年 |
横浜- DeNA |
現役選手と思えないほどファンサービスを熱心に行っていたが、成績は振るわず。 |
ブランドン・マン | 2011年- 2012年 2019年 |
横浜- DeNA ロッテ |
ハミルトンと共に人当たりの良さで人気だったが、結果は残せず。 様々なチームを渡り歩き7年後にロッテに入団。 交流戦では古巣の横浜戦に登板し、横浜在籍時に仲の良かった筒香嘉智を打ち取る恩返しなど中継ぎでまずまず活躍をするも、シーズン中盤に故障。オフに戦力外になった。 |
王溢正 | 2010年- 2013年 |
横浜- DeNA |
「横浜にもこんな選手がいるんだ!(*^◯^*)」 日本では活躍できなかったが、後に台湾代表や選抜チームのメンバーとして度々来日している。 |
ジョン・ボウカー | 2012年- 2013年 2014年 |
巨人 楽天 |
開幕から大不振で退団濃厚だったが、ポストシーズンで大活躍。さらに日本シリーズ前、球団から「結果を残さなければ残留は無い」と通告されていたが、7打点を挙げ優秀選手賞に。「ファンを裏切ったままでは帰れない」と、一軍確約無し、年俸の大幅減ながらも巨人に残留。ネット上では「BOW」「『ボウちゃん欲しい?ん?』『あーげないwwww』」などネタキャラに仕立て上げられたりとファンから色んな意味で愛された選手だった。 |
ブルックス・コンラッド | 2013年 | 阪神 | 主軸候補として期待され獲得。オープン戦の活躍を評価され開幕から起用されたものの、新井兄弟とのポジション争いに絡めるはずもなく、本塁打ゼロ・打点ゼロでシーズンを終える。 |
クリス・ラルー | 2013年 | ヤクルト | 来日初登板・初先発試合で1試合3ボーク・1イニング2ボーク。同年のセ・リーグ最多ボークを記録。さらに、秋田での試合で壇蜜に悩殺され大炎上。 |
ナイジャー・モーガン | 2013年 | DeNA | 「メジャーで最もクレイジーな男」「悪童」など前評判は最悪なものだった。しかし、いざ来日してみると底抜けに明るい性格でチームとファンを盛り上げ続けた。 試合中は「トニー・プラッシュ」という別人格でプレイ。腕で「T」のポーズ、ヒーローインタビューでの「アバヨ!」相手チームのファンであろうとコミュニケーションを取るなどファンサービスにも熱心だった。 プレー、人気の両面でチームに貢献したものの、金銭面で折り合いがつかず1年限りでの退団。多くのファンが彼の退団を惜しんでいた。 |
ユリエスキ・グリエル | 2014年- 2015年 |
DeNA | キューバの至宝。その前評判通り14年度はシーズン途中加入ながら.305、11HRと活躍した。しかし翌年、怪我を理由に来日拒否。同じく契約が内定していた弟のルルデス・グリエルとともに一度もチームに合流することなく契約解除となった。飛行機嫌い、日本食が苦手など繊細な面もある選手でもあった。 その後アメリカに亡命、アストロズのワールドシリーズ制覇に貢献する。 |
フレデリク・セペダ | 2014年- 2015年 |
巨人 | キューバのレジェンド。しかし成績は在籍2年間で.163(15年は21打数無安打.000)と、全く活躍できなかった。一方で、二軍降格後も真面目に練習したり他の選手にアドバイスを送ったりと人間性の高さは評価が高かった。 |
フアン・フランシスコ | 2015年 | 巨人 | サードの村田修一らの不調により緊急補強。しかし、18打席で11三振と扇風機っぷりを発揮。鈍足なうえにサヨナラインフィールドフライを献上するなど守備の判断も非常に悪かった。 オーバーウエイトで来日した点や、二軍降格後、練習をサボったり首脳陣やチームメイトを無視するなど素行面にも問題があった。 |
マイク・ザガースキー | 2015年 2016年 |
広島 DeNA |
183cm109kgとかなりぽっちゃりとした体格。投球後に転んだ姿が「かわいい」と評判になったりした。マイナー時代スコット・マシソンとルームメイトで猫を数匹飼っていた。なおザガースキー本人は猫アレルギー持ち。好物はハイチュウで、同僚の前田健太や三浦大輔から大量のハイチュウをプレゼントされ喜んでいた。 |
デュアン・ビロウ | 2015年 | DeNA | 初登板で1回1/3を自責点5(四球5)、防御率33.75と散々なデビュー。 試合後、中畑清監督から「プロのレベルではない。」「今日でその名前を忘れよう…」と酷評された。 |
ローガン・オンドルセク | 2015- 2016年 |
ヤクルト | 15年はロマン、バーネットとともに必勝パターンとして活躍。しかし翌年、助っ人陣のリーダー格であったバーネットの退団以降、練習をサボり話し込む、登板拒否など怠慢な態度が目立つようになる。 6月に味方のエラーから救援失敗。その際にベンチで首脳陣、チームメイトに暴言を吐くなど悪態をつき無期限の自宅謹慎処分に。 その後、謝罪はしたものの、本人が「首脳陣との対立から精神的に立ち直ることが困難」ということでシーズン途中での退団となった。 |
ホセ・ガルシア | 2016年 | 巨人 | 得点力不足に悩んでいた巨人がシーズン途中に獲得。しかし、4試合で7打数無安打と結果を残せずわずか4ヶ月でシーズン途中退団。帰国時、飛行機の乗り継ぎ先であるフランスにて消息不明に。(亡命したとされている。) |
ジェイミー・ロマック | 2016年 | DeNA | バルディリス退団の穴埋めとして獲得。長距離砲として期待されたものの85打席で8安打2打点打率.113(三振30)と散々な結果に終わる。 シーズン途中温厚なアレックス・ラミレス監督に「我慢の限界にきている」とコメントさせるなど期待を大きく裏切り続けた。 |
マイク・ブロードウェイ | 2016年 | DeNA | 「ブロードウェイミュージカル」 MAX160キロ超えの速球を売りにシーズン途中加入。 しかしデビュー戦で初球をいきなり被弾。その後も1回3安打5失点と大炎上。「全ベイが泣いた」「エリック・コーディエの再来」と揶揄された。 |
リカルド・ナニータ | 2016年 | 中日 | 長打は少ないがシュアなバッティングで活躍。 「ナニータ!ナニータ!ナニータ!オイ!オイ!オイ!」という耳に残る独特なコールが話題に。この応援は本人も気に入っていたようで、Twitterで時折つぶやいていた。 |
ラウル・バルデス | 2015- 2017年 |
中日 | 愛称はバルデスおじさん。安定感抜群の投球を見せるも、毎回打線の援護に恵まれない。 そんな姿を見かねたファンたちが17年に「#バルデスをオールスターに」という運動をSNSで展開、監督推薦で出場した。 |
エリアン・エレラ | 2016年- 2017年 |
DeNA | 内野ならどこでも守れるユーティリティ。助っ人獲得にことごとく失敗したDeNAが緊急獲得。便利屋として重宝され人柄の良さもありファンから愛された。タレントの菊地亜美と顔がそっくり。それが元で菊地亜美がDeNAファンになり、エリアンの事をお兄ちゃんと呼び気にかけていた。 |
ロマン・メンデス | 2017年 | 阪神 | リリーフ陣の強化、前年活躍したドリスが肘の不安で再契約に至らない可能性などを踏まえて獲得。(後にドリスはキャンプ前に再契約) 同時期に在籍していたドリス、マテオと「長身・黒人・ドレッドヘアー・髭」といった外見的特長が似ており、三人そろってリリーフ投手という事もあり見分けがつかないと一部のファンの間で話題になった。 |
ライアン・ブレイシア | 2017年 | 広島 | MAX159キロの直球が武器のリリーフ投手。 何故かどの映像や写真を見ても首が斜めに曲がっていた。 翌年レッドソックスに入団。34試合登板で防御率1.60、10ホールドでワールドシリーズ制覇に貢献した。 |
ジョー・ウィーランド | 2017年- 2018年 |
DeNA | ローテーションの一角として活躍し初年度は10勝を挙げる活躍。 特筆すべきは高い打撃能力であり、シーズン3HRを放つなど投打で活躍し、8番に投手を置くラミレス采配に合致する選手であった。 打撃面では広島戦を得意にしており、打率.538 3HR 9打点をマーク、代打で起用されサヨナラに繋がる四球を選んだこともあった。 |
ヤンガービス・ソラーテ | 2019年 | 阪神 | メジャー時代の愛称は「セクシータイム」。 加入直後にサヨナラHRを放つも守備面に難があり二軍落ち。 その後「モチベーションが上がらない」事を理由に一軍昇格を拒否し、自由契約に。 この件は、契約時と異なる起用法でストレスが溜まっていた、前年に奥さんを亡くしており精神的に不安定であった、などの情報が指摘されている。 |
名前 | 在籍 | 所属 | 概要 |
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マニー | 1964年 | 大毎 | 苗字が放送コードに引っかかるため登録名をマニーに。 ちなみにフルネームは「フランク・マンコビッチ」。←反転で読めます、気になる方はどうぞ。 |
アルト・ロペス | 1968年- 1973年 |
東京- ロッテ ヤクルト |
オリオンズが「ヘクター・ロペス」と勘違いして獲得した選手として、トリビアの泉で紹介されたことが有名。 しかし、そんなフロントの失態とは裏腹な大活躍を見せる。 |
バール・スノー | 1974年 | 日本ハム | 初任給を持ち逃げし、失踪。パ・リーグ初の無期限失格選手に。 ちなみに、日本ハム初のカタカナ登録の選手でもある。 |
フランク・ハワーソ | 1975年 | 太平洋クラブ | メジャーの本塁打王として入団。しかし、既に膝の状態が限界を超えており、歩く事さえさえままならない状態だった。その後開幕戦1試合のみ出場し、シーズン途中(5月)に退団した。更に退団時に金銭面で一悶着があった。 |
リチャード・デービス | 1984年- 1988年 |
近鉄 | 東尾修から死球を受けて激昂、マウンドに走り寄り東尾を殴打した。 ベストナインに選出されるなど活躍したが、大麻不法所持で逮捕、解雇された。 |
ベン・オグリビー | 1987年- 1988年 |
近鉄 | 非常に真面目で紳士的な人柄で知られた。某掲示板風に言えば「ぐう聖」。 |
ビル・マドロック | 1988年 | ロッテ | 元メジャーの首位打者(4度受賞)。しかしピークをとっくに過ぎた状態で来日したため成績は振るわず。サザエさんのOP曲が応援歌に使用されていた。 川崎球場には「マドロック立ち入り禁止」の落書きが書かれていた。 |
マイク・イースラー | 1988年- 1989年 |
日本ハム | 細かすぎて伝わらない独特の打法で話題に。成績の方は2年間(NPB)で.302となかなかの活躍を見せた。なお本人は落下しない。 |
ジム・トレーバー | 1990年- 1991年 |
近鉄 | 乱闘の際、ロッテの金田正一監督に顔面を蹴られるが、退場処分を受けたのはトレーバーのみ。 ちなみにその試合を、当時小学生で後にプロ入りする石川雅規と藤田太陽が観戦していた。 |
マット・ウインタース | 1990年- 1994年 |
日本ハム | 踊るホームラン王。ファンやメディアに笑顔で対応したり、たまに手品も披露する、イニング間に相手のチアダンサーと踊るなどファンサービスにも積極的に取り組んでいた。 |
ドン・シュルジー | 1990年- 1992年 |
オリックス | パ・リーグが指名打者制を導入して以降初めての投手による本塁打を記録(現在でも唯一)。 |
ケルビン・トーベ | 1992年- 1993年 |
オリックス | 初年度は打率は.305と活躍するも、二年目にNPB野手ワーストの53打席連続無安打という不名誉な記録を打ち立ててしまった。 |
ホセ・トレンティーノ | 1993年 | 西武 | デストラーデの後釜として入団したが、結果はお察しください。 |
メル・ホール | 1993年- 1995年 |
ロッテ 中日 |
ヤンキースの4番打者として鳴り物入りで来日。1年目はチーム4冠と期待に応えた。 しかし、自分の打席が終わると隣室でテレビゲームをする、自分の経歴を棚に上げ、チームメイトのミューレンをパシリにした挙句いじめるなど、非常に素行が悪く問題児であった。 後にチームメイトだった愛甲猛氏が自著で「史上最低の野球選手」と酷評。 引退後に数々の罪を重ねて禁固45年の刑を受けた。 |
ブライアン・トラックスラー | 1994年 | ダイエー | 175cmと小柄ながら100kgを肥える体型で「コロコロちゃん」の愛称で親しまれた。人気者ではあったが大の酒好きによる不摂生が祟って一年で解雇。 大好きな酒は職だけでなく命までも奪ってしまう。2004年に肝硬変によりわずか37年の生涯を終えることとなってしまった。 |
ケビン・ミッチェル | 1995年 | ダイエー | 駒田徳広以来、初打席満塁ホーマーを放ったが、5月に故障を理由に勝手に帰国、7月に再来日した際に「チームがまさかこのようになっているとは思っていなかった」という迷言を残す。しかし8月に再度勝手に帰国、そのまま退団となった。その際金銭面で球団と揉め、「金と共に去りぬ」とも揶揄された。引退後も相変わらずなようで、実の父親とトラブルの末に殴打し逮捕された事も…。 |
ティム・マッキントッシュ | 1995年 | 日本ハム | アイケルバーガー、ハートグレイブス、シュールストロムと並びNPB史上最長の登録名(8文字)。 アメリカ時代は捕手としてもプレーしていたため、阪神大震災復興支援の日本人と外国人の対抗戦でマスクを被る予定であったが、それを待たずして解雇されてしまった。 |
ピート・インカビリア | 1995年 | ロッテ | 「マイナー落ちしたことのないメジャーリーガー」として入団。しかし日本の野球に全く馴染めず低迷。応援団からも応援拒否された事も。 その後乱闘で脱臼しキャリア初の二軍落ち。 |
ホセ・ヌーニェス | 1996年- 1997年 |
ダイエー | 三塁線へのバントの打球を、息を吹きかけてファールにしようとしたプレーで有名。後に某野球ゲームのオープニング映像にてオマージュされる。 |
ジェームス・ボニチ | 1997年- 1998年 |
オリックス | 二軍で三冠王。しかし一軍ではヒットを打てず。 |
エリック・シュールストロム | 1998年- 2001年 |
日本ハム 広島 |
選手としては平凡な成績。引退後、広島のスカウトとして覚醒、優良助っ人を多数発掘するなど第二の野球人生で大成功した男。 |
アーキー・シアンフロッコ | 1999年 | 西武 | マルティネスの後釜として入団したが…。また、同年にブロッサー、ジンターも獲得したが、結果はお察しください。 |
コーリー・ポール | 1998年- 2001年 |
西武 | 上記選手の不振のため入団したが、翌年以降フェルナンデスやカブレラ、マクレーンなどの選手におしだれて2軍幽閉。その2軍では2年連続で三冠王獲得。01年にイースタン・リーグで記録した27本塁打は大森剛と並んで当時の最多タイ記録。(09年に中田翔が30本塁打で更新) |
許銘傑 | 2000年- 2013年 |
西武 オリックス |
許さん。2011年から2013年の登録名は「ミンチェ」。 |
トニー・ミッチェル | 2001年 | ダイエー | ケビン・ミッチェルの従兄弟。 TV番組で「ミッチェルの助っ人日記」というコーナーを担当していた。 ケビンと異なり温厚な性格だったが、乱闘時に大暴れ。その際に脱げたヘルメットの下に汗よけのために着用していた白の水泳帽が露わとなり「水泳帽の悪魔」として一部で話題に。 |
ジェレミー・パウエル | 2001年- 2008年 |
近鉄 オリックス 巨人 ソフトバンク |
オリックス在籍時の登録名「JP」。 最多勝を獲得するなど活躍したが、二重契約問題で株を下げてしまった。 |
陳文賓 | 2003年 | ダイエー | 日本と台湾間で初のトレード。しかし活躍できなかった。 |
リック・ショート | 2003年 2006年- 2009年 |
ロッテ 楽天 |
名前がショートであるにも関わらず、日本球界では一度も遊撃手を守ったことがなかった。 楽天時代には首位打者を獲得するなどシュアな打撃で活躍した。 |
ヘクター・カラスコ | 2004年 | 近鉄 | 炎上した中継ぎ投手が「~スコ」と言われるようになった元凶。 ロングリリーフとしての適正はあったものの、抑えとしての適性はイマイチであった。 |
グレッグ・ラロッカ | 2004年- 2005年 2006年 2007年- 2010年 |
広島 ヤクルト オリックス |
とにかく死球が多く、07年にはNPB1シーズン最多死球である28死球を記録した。死球記録達成時にはオリックスが死球新記録グッズを発売していた。 故障が多かったものの、堅実な守備と勝負強い打撃でファンを沸かせた。 |
ルイス・ロペス | 2005年 | 楽天 | ロ・ロ・ロペスのワンマンショー♪ 楽天の初代助っ人。球団初の死球と満塁本塁打をそれぞれ記録したが、成績はいまひとつだった。 |
トニー・バティスタ | 2005年 | ソフトバンク | 独特の打法(呉)で活躍したメジャーリーガー。2年15億6000万で入団するも1年限りで退団。 石川雅規から死球を受けた直後の乱闘回避シーンは有名。 |
クリストファー・ギッセル | 2006年- 2007年 |
西武 | 外国人ワーストタイ記録となる9連敗。 |
ジェーソン・ジョンソン | 2007年 | 西武 | 松坂大輔の穴を埋めるため、3億5000万で入団したが、目立った活躍はできず。 |
ドミンゴ・グスマン | 2002年- 2008年 |
横浜 中日 楽天 |
横浜、中日時代はローテーション投手として活躍。楽天移籍後リリーフに転向。しかし救援失敗が続き「~ンゴw」の元ネタとなってしまう。 1試合4ボーク,1イニング3ボークの日本記録,18打席連続三振の世界記録という珍記録を複数持っている。 |
ヒラム・ボカチカ | 2008年- 2009年 |
西武 | オナカスイタネ! |
カルロス・ムニス | 2009年- 2010年 |
ロッテ | 二軍で首位打者を獲得する活躍。しかし一軍では結果が出ず。 帰国後ブラジルへ亡命し、2013年WBCにブラジル代表として出場。 |
ランディ・ルイーズ | 2010年- 2012年 |
楽天 DeNA |
ファーストしか守れないにも関わらず、守備は当時の主力・山崎武司以下だった。 涌井キラー。しかしそれ以外の投手では・・・。 |
金泰均 | 2010年- 2011年 |
ロッテ | ユニホームの背ネーム表記が「TAEKYUN」だったため、「たえきゅん」と呼ばれた。 1年目はHR王争いをするなど成績は残したが、2年目に統一球が導入されると全く対応出来ず、成績不振で二軍降格後、契約解除。 契約解消の理由を「日本では野球が面白くなかったため」など発言し、去っていった。 |
ブラッド・ペニー | 2012年 | ソフトバンク | わずか1ヶ月程度の在籍。数々の問題行動や発言でファンを呆れさせた。 |
ユニエスキー・ベタンコート | 2014年 | オリックス | 開幕から極度の打撃不振。故障と成績不振で二軍落ち。 故障の原因である外反母趾の手術のため帰国するも、戻ってこず解雇された。二軍では試合を欠場、練習をサボるなどやる気を喪失していた模様。 |
コーディ・ランサム | 2014年 | 西武 | 妙に中毒性のある応援歌が一部で「ランサム病」と呼ばれていた。 「レッツゴ-コ-ディ-ラ-ンサ-ムラ-ンサ-ムラ↑-ンサ-ム レッツゴ-コ-ディ-ラ-ンサ-ム オッオッオッオオー」 |
ケビン・ユーキリス | 2014年 | 楽天 | メジャー復帰したケーシー・マギーの穴を埋めるべく年俸3億円で契約。 元レッドソックスの4番打者ということもあり期待されたが振るわず。 その後怪我の治療のために帰国し、日本に戻ることなく引退した。 |
ルーク・ファンミル | 2014年 | 楽天 | NPB球団所属経験がある選手で歴代最長身の216cm。 故に登場曲は「進撃の巨人」の「紅蓮の弓矢」。 |
チャッド・ハフマン | 2014年- 2015年 |
ロッテ | 「ハフ満足!」どんな走塁時は常に全力疾走、フェンス際だろうと取れそうな打球にはダイビングするなど、常に全力でプレーする姿はファンから評価が高かった。 |
ウェイド・ルブラン | 2015年 | 西武 | 来日時、空港で「Youは何しに日本へ?」の取材を偶然受ける。 その後密着取材となったが、活躍できず。 西武退団後に、様々なチームを渡り歩いた末マリナーズで主力投手になった。 |
アンソニー・セラテリ | 2015年 | 西武 | 投手、捕手以外のポジションならどこでも出来る両打ちのユーティリティプレイヤー。 更に、シーズンオフには映像会社の社長と俳優もこなすなど多才であった。 |
ジョニー・ゴームズ | 2016年 | 楽天 | メジャー通算162本塁打の実績を引っさげ来日、リーダーシップを発揮することを期待されていた。しかし成績を残せず家庭の事情を理由に帰国。その後、コミュニケーションが上手く取れない点や、初めて経験した大地震に恐怖を覚えた点(福岡遠征中に熊本地震に遭遇)を理由に本人から退団申し出た。 |
エリック・コーディエ | 2016年 | オリックス | MAX160キロの速球が武器の抑え候補として入団。しかしストライクを全く取れない超ノーコンピッチャー。対中日戦では3者連続四球を与え1死も取らずに降板、中日打線は文字通り手も足も出せなかった(四球)。 ファンから「ウンコーディエ」とまで揶揄され、登板する度掲示板では「ディエーwww」の文字が踊った。 |
ブライアン・ボグセビッグ | 2016年 | オリックス | 糸井を超える俊足、打って走れる選手として獲得。 しかし、打率.187、3HR15打点4盗塁と期待を大きく裏切った。 |
アンディ・バンヘッケン | 2016年 | 西武 | 韓国野球での活躍が評価され先発として獲得。 しかし10試合に先発し、0勝4敗防御率6.31と期待を大きく裏切り、シーズン途中の7月に解雇された。 退団時「もっとチャンスが欲しかった」とコメントを残す。 |
ヤマイコ・ナバーロ | 2016年 | ロッテ | KBO外国人選手シーズン48本塁打のシーズン記録を達成し鳴り物入りで入団。 しかしキャンプ途中で、拳銃の実包1発を所持が判明、銃刀法違反容疑で逮捕。 その後不起訴処分となり、1ヶ月の出場停止後に出場。 シーズン通して打率.217、10HR44打点と期待された結果は残せなかった。 |
ブライアン・シュリッター | 2017年 | 西武 | 手薄なリリーフ陣の穴を埋めるために入団。シーズン中盤まではセットアッパーとして活躍するも、終盤戦に対策され打ち込まれる場面が目立った。 登板すると掲示板で「シュレッダー」という所謂暖簾スレが立ち「御社」と呼ばれ一部のファンに親しまれていた。 |
ジミー・パラデス | 2017年 | ロッテ | デスパイネの抜けた穴を埋めるために獲得。しかし同時期に入団したダフィーとともに開幕から極度の不振でチーム低迷の一因となってしまう。 武士が居合い斬りするようなフォームで空振りを連発したため「サムライスイング」と揶揄された。 |
ロエル・サントス | 2017年 | ロッテ | ダフィー、パラデスのコンビが開幕から不振、チーム成績も大きく低迷したため緊急獲得したWBCキューバ代表選手。 俊足が持ち味で、長所を活かすために走り打ちをすることも多かった。 ただし盗塁や走塁の技術はイマイチだった。 |
ジョシュ・コラレス | 2017年- 2018年 |
楽天 | 独立リーグから格安で獲得してきた投手。 優勝争い真っ只中の試合で先発したものの炎上、後続の投手も炎上し17失点の大敗。以降楽天が失速したためこの試合が「コラレスショック」と命名されてしまった(擁護すると彼以外に登板した投手も全員炎上している)。 翌年も残留するも、一軍登板0に終わった。 |
クリス・マレーロ | 2017年- 2019年 |
オリックス | シーズン途中加入ながら20HRを放つ活躍を見せた。 日本でのデビュー戦で本塁打を放つも、ホームベースを踏み忘れアウトに。 以降の試合ではHRを打つと両足でしっかりと本塁を踏むパフォーマンスをするようになった。 同年には、NPB公式戦通算10万号本塁打を放っている。 |
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最終更新:2024/11/09(土) 07:00
最終更新:2024/11/09(土) 07:00
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