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【 東方昭和伝第六部 軍部台頭編 】
  [ 昭和11(1936)3月 ~ 昭和12(1937)7月 ]

 事態が危険な方向に進んでいることが見えていても、立である以上、止める権限はない。そうした天皇の立場を理解する者すら周りにいない。歴代天皇味わうことのなかった過酷な運命が待ち構えているであろうことを思うと、西園寺を流さずにはいられなかったのだろう。そして西園寺の憂慮は、現実のものとなるのである。

なできごと ≫ 広田内閣成立 軍部大臣現役武官制復活 「南北併進」の策決定 日独防共協定締結 綏遠事件 西安事件 内閣流産事件 内閣成立 スターリンの「大粛清」 食い逃げ解散 第20回衆議院総選挙 第1次近衛内閣成立

出演

≪ 役名・肩書き・演者 肩書きは原則として作中の現職。元職は特記のみ ≫

宮中

政治家

官僚

陸軍

海軍

要人

民間人・工作員

そのほかモブ役として、魂魄妖忌(偉そうな軍人)森近霖之助(文官)こーりん小物射命丸文マスコミレイセン兵士高木社長(随時)

 

用語解説

軍部大臣現役武官制 (ぐんぶだいじん―げんえきぶかんせい)

 軍部大臣(陸軍大臣・海軍大臣)に就任できるのは現役の武官に限定する、という制度。明治33年の第2次山縣有朋内閣陸軍長州閥系)下で、「大臣及総務長官(=次官)ニ任セラルルモノハ現役将官ヲ以テス」と定められた。大正2年の第1次山本兵衛内閣海軍・政友会支持)時に、当時の護運動をうけて「現役」の文字を削る決定がなされ、予備役や退役軍人でも大臣に就任できる環境が制度上は成立したが、実際には現役の大将中将(予備役・退役であっても、現役に復帰する処置が取られてから)が軍部大臣に就任し続けた。
 現役将官であることは大臣資格者の範囲を狭めるとともに、現役軍人であるがゆえに、柔軟性求められる政の世界において、軍部大臣の行動が軍の統帥ヒエラルキーに拘束されてしまうという問題点があった。

古 (うちもうこ 内モンゴル

 モンゴル遊牧民の活動地域(モンゴリア)のうち、おおよそゴビ砂漠以南~万里の長城以北の地域。中華民国時代に設置されていた察哈爾省(ちゃはる―しょう)は、この地域の中心部族「チャハル部」(大元ウルス、すなわちフビライ・ハーン帝国の末裔と思われ、清王朝した際に元の玉璽を伝えた)に由来する。また、察哈爾省の西隣の包頭(パオトウ)を中心とする地域には綏遠省(すいえん―しょう)が置かれた。
 ロシ(ソ連)響下にある蒙古(ゴビ砂漠以北、概ね現・モンゴル国)に対し、蒙古は中国が支配権を確保しようと躍起になっており、これに反発する現地の遊牧諸侯が自治・独立運動を展開していた。

粛軍演説(しゅくぐんえんぜつ)

 昭和11年5月7日衆議院会議で行われた、民政党代議士斎藤隆夫による演説。正確には「粛軍に関する質問演説」。二・二六事件の後始末として底的な軍部革正(粛軍)を要するとともに、軍人勅諭を引いて軍部による政治干渉を批判。さらに軍人と結託する政治家・腐敗した政党をも批判する、1時間25分に及ぶ大演説となった。民や他政党の議員、新聞からも賞され、この演説の載せられた官報は、官報など読んだことのない人々すらも奪い合って手にするというほどであったという。

 

人物評伝

キャスティングされいなくて、作中登場回数の多い人物につき

寺内寿一(てらうち ひさいち 1899~1946)

 昭和期の陸軍軍人。最終階級は大将、加えて元帥府に列する。伯爵。第18代総理大臣・寺内正毅(まさたけ。元帥陸軍大将シベリア出兵・米騒動時の首相)の長男陸軍大学21期卒業同期生はノモンハン事件時の関東官・植田謙吉、二・二六事件時の官・香椎など。
 血統と親の七光りで昇進していっただけのマヌケであり、閑院宮参謀総長ともども、この時代の典的な陸軍の神輿。細かな気配りで部下に人気があったという逸話も、単なる良の子息としての育ちの良さに由来するものにすぎない。陸軍大臣在任中の言動は、次官の梅津美治郎や統制の実力者・武藤章の作文朗読しているだけのようなものであった。
 昭和12年議会での腹切り問答」事件で広田内閣を瓦解させてしまった後、教育総監。間もなく、支那事変勃発により組織された北支那方面令官となって、事変初期の戦指導にあたる。大東亜戦争では一貫して南軍総司令。東条内閣総辞職時の重臣会議で、小国昭畑俊六らとともに後継首声もあがったが、南方から呼びもどすのは難しいとの理由で大命は小磯に下った。終戦時、シンガポールにて現地イギリス軍に対し伏文書調印。翌年、マレーシアで勾留中に病死。

徳王 (とくおう 1902~1966)

 の徳王・厳白虎。内古チャハル部・西スニト旗出身の遊牧諸侯。本名デムチクドンロブ。「チンギス・ハーン30代の子孫」を称し、内古・外古・ザバイカルを統一した大モンゴル国立をす汎運動を展開。1933年、同じ独立ユンデンワンチュク(王)とともに内古王会議を開催して、中華民国政府に高度自治を要。34年、(綏遠省の寺院都市)に地方自治政務委員会(政会)の立が認められて、その秘書長となった。
 日の満洲支配が確立すると、これに接近。36年、関東軍の支援のもと蒙古軍政府を立てて軍事行動を起こし、中華民国軍との衝突を招く(綏遠事件)。支那事変の勃発で日本軍が本格的に蒙古へ進出してくると、これに呼応し、フフホト蒙古聯盟自治政府を設立。39年、他の遊牧諸侯政権を集合した蒙古聯合自治政府(42年蒙古自治邦)が成立し、そ主席となった。しかしこのころになると、モンゴルの自治・独立を認めようとしない日本軍との関係が悪化。蒋介石のもとへ逃亡する計画を企てたこともあったが失敗し、結局、傀儡遊牧政権主席を日本の敗戦まで務めることになる。
 戦共内戦においては蒋介石政権のもとでのモンゴル人政樹立指すが、中国共産党軍に敗。戦犯として捕らえられ、禁固刑(63年釈放)。

湯浅 (ゆあさ くらへい 1874~1940)

 昭和期の宮中官僚男爵東京大卒業後、内務省入省。関東大震災において、後藤新平内務大臣の招請により警視総監に就任し、治安対策にあたる。虎ノ門事件(摂政宮暗殺未遂事件)の発生により懲免官となるが、間もなく内務次官として復帰。若槻礼次郎内務大臣のもとで、普通選挙法制定に関わる。斎藤内閣成立の際に内務大臣補として名前が挙がったが、昭和8年宮内大臣就任。昭和11年二・二六事件に際しては、木戸幸一内大臣府秘書官長・広従次長らとともに「反乱軍鎮圧」の天皇・宮中としての姿勢を示す導的役割を果たした。
 事件後、害された斎藤実のあとを継いで内大臣に転任。元老・西園公望が老衰のため、総理大臣奏薦の任から遠ざかるのと入れ替わってその目を担うようになり宇垣一成(流産)から米内光政まで6名の首相を奏薦した。
 なお、男爵位は死去に際して叙爵されたものであり、湯浅は史唯一の爵無しの内大臣であった。

十郎 (はやし せんじゅうろう 1876~1943

 昭和期の陸軍軍人・政治家。最終階級は大将。第33代内閣総理大臣陸軍大学校17期、同期生に南次郎渡辺太郎陸軍省・参謀本部の勤務歴なく大将に昇進したしい例。貌に似ず、周囲の意見に流される面があり、石原莞爾からはあからさまに傀儡扱いされた。朝鮮官在任中に起こった満洲事変において、参謀本部の示なく軍を満洲へ進め、「越境将軍」の異名をとる。
 派と統派閥抗争激化するなか、閑院宮参謀総長の引きにより真崎甚三郎を退ける形で斎藤内閣陸軍大臣に就任。それまで派と見られていたが、統の永鉄山を軍務局長に据えるや、柳平助次官など派将官を次々と省部ポストから退ける統派人事を行う。二・二六事件後の粛軍人事響で予備役に編入されたが宇垣一成の対馬として石原莞爾らによって担ぎ出され宇垣の組閣が流産すると、広田内閣の後継に就任した。
 政綱で「祭政一致」などとぶちあげて周囲をドン引きさせた内閣は弱体で、政党懲罰を称して突如起こした「食い逃げ解散」選挙に大敗。特段の実績を挙げることなく4月で退陣に追い込まれ、名前をもじって「何もせんじゅうろう内閣と揶揄された。

末次信正(すえつぐ のぶまさ 1880~1944)

 昭和期の海軍軍人。最終階級は大将海軍学校27期。海軍大学校甲種7期は首席で卒業した秀才肌。対強硬姿勢と軍縮反対をする、海軍「艦隊」の実質的首領であり、ワシントンロンドン軍縮条約に対してしく抵抗。政友会幹事長の恪と通じ、統帥権干犯問題の一を担った。平沼一郎崎甚三郎など政・軍の右勢力としく、その縁で近衛文麿にも接近。第1次近衛内閣において、急死した馬場鍈一の後任の内務大臣に就任することになるが、ここでもその強硬さを発揮して、対中和の動きを潰す役割を果たした(有名な「爾後政府手とせず」明の発案者ともいわれる)。
 日独伊三国同盟に賛成し、他の艦派軍人です躇する米開戦論公然張する姿勢は宮中・政界から忌避され、伏見宮博恭王までもが末次を嫌っていた。米内光政とも険悪な関係で、宴席で殴り合い寸前に発展したこともある。それでも一部強派軍人からの支持は絶大で、第3次近衛内閣総辞職時に後継を狙う動きがあり、東条内閣倒閣運動においては、岡田啓介が海軍の押さえとし米内海軍大臣・末次令部総長の連立を模索した(昭和天は独白録で「末次の総長就任に反対した」と述べている)。
 政治家としての評価は劣悪だが、軍人としては潜水艦活用法の目や、長官在職中の猛訓練で連合艦の戦闘力を向上させるなどの功績が挙げられる。

関連動画

 第六部の参考資料

之「山本五十六(上)」(新潮文庫
之「井上成美」(新潮文庫
之「米内光政」(新潮文庫
阿部博行「石原莞爾 生涯とその時代(上)」(法政大学出版局)
阿部牧郎「英雄 小説石原莞爾」(祥伝社
阿部牧郎「勇断の外相 重」(新潮社
青柳恵介「の男次郎」(新潮文庫
太郎昭和歴史6 昭和政党」(小学館
NHK取材班、臼井勝美「学良の昭和史最後の言」(角川書店
アランブロック鈴木税訳「対列伝 ヒトラースターリン第2巻」
・生出寿「米内光政」(徳間文庫
大杉一雄「日中戦争への華北問題と衝突への分岐点」(講談社学術文庫
太田諜報員 ゾルゲ、尾崎秀実、そしてスメドレー」(講談社
太田満州裏史 甘粕岸信介が背負ったもの」(講談社
岡崎「重・東郷とその時代」(PHP文庫
勝田夫「重臣たちの昭和史(上)(下)」(文芸春秋
北岡伸一「日本近代5 政党から軍部へ」(中央公論新社
北川二「黙してゆかむ 広田毅の生涯」(講談社文庫
・北博昭「二・二六事件検証」(朝日新聞社)
・北康利「次郎 占領を背負った男(上)」(講談社文庫
児島襄「史説 山下奉文」(文春文庫
児島襄「天皇 二・二六事件」(文春文庫
児島襄「第二次大戦 ヒトラーの戦い2」(文春文庫
斎藤勉「スターリン秘録」(扶桑社文庫
・佐治芳石原莞爾 天才戦略の肖像」(経済界)
ジョン・ダワー「吉田茂とその時代(上)」(中公文庫)
三郎「落日燃ゆ」(新潮文庫
夕日将軍 小説石原莞爾」(河出文庫
近衛文麿」(河出書房新社
筒井清忠「昭和十年代の陸軍政治」(岩波書店
筒井清忠「二・二六事件とその時代」(ちくま学芸文庫
筒井清忠「近衛文麿 教養義的ポピュリストの悲劇」(岩波現代文庫)
戸川佐武「昭和の宰相第2巻 近衛文麿と重臣たち」(講談社
戸川幸夫「人間提督 山本五十六」(人社)
豊田「孤高の外相 重」(講談社
中田整一「盗聴二・二六事件」(文春文庫
日本国政治学会太平洋戦争への 日中戦争<上>」(朝日新聞社)
服部二「広田毅 『悲劇の宰相』の実像」(中新書
・原秀男「二・二六事件軍法会議」(文芸春秋
・原彬久「岸信介」(岩波新書
・原彬久「吉田茂」(岩波新書
・半一利ほか「あの戦争になぜ負けたのか」(文春新書
坂野潤治「昭和史の決定的間」(ちくま新書
福田和也「昭和天皇 第四部 二・二六事件」(文芸春秋
福田和也「地ひらく 石原莞爾昭和」(文芸春秋
・保阪正康「東條英機天皇の時代」(ちくま文庫
・保阪正康「吉田茂という逆説」(中公文庫)
吉田俊雄「五人の海軍大臣」(文春文庫
渡邉行男「垣一成」(中新書

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1 文ちゃん
2011/02/27(日) 09:01:43 ID: jzPOUUDdOy
今後のアリスちゃんと幽香様とルナサの扱われ方を思うと微妙な気持ちになります。幽香ゆゆ様フェードアウトするだろうし。
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2 eleven
2011/02/27(日) 12:09:17 ID: vk9YP+EYay
ルナサはともかくとして、アリスは他キャラとの絡みもあるし、そこまで酷い扱いにはならないと思います。(論、近衛総理在席中ににやったことについてはきちんと言及するつもりですが)。ゆうかりんは失脚するとはいえ東京裁判まで出番はあります。ゆゆ様は…仕方ないね。でも、西園寺と園三羽物語は、西園寺の死も含めてセットとして、最後まで生き残った木戸幸一の戦いまで描き切るつもりです。
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3 eleven
2011/02/27(日) 12:19:34 ID: vk9YP+EYay
東条については、東条英機が軍部の代表者・独裁的権力者として一般に認知されていることも考慮し、他の登場人物よりは細かく描いていく予定です。
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4 ななしのよっしん
2011/03/09(水) 23:12:43 ID: bUhYLnYF+n
うp主も言ってるように、垣と石原が手を組んだ内閣ってのは見たかったですね……。
そうでなくとも、垣が首相陸軍大臣に永田板垣が入り、その下に石原東條がつく、という構図(海軍内)。 そして蔵相に高橋是清が入って外交に重吉田、若槻、幣原といった面々がっていたらと考えると妄想がばさばさと動きますね。

粒がっているのに、それが上手く混ざり合ってくれないのが何とももどかしいところです。 それが面いとも言うのですが。
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5 ななしのよっしん
2015/07/02(木) 01:47:04 ID: NLiTOoeo2n
武藤章が組閣干渉したときのセリフに「入閣予定者のうち、次の五人に不満がある。これは海軍も同意見です」という文言があるのですが、海軍も組閣干渉に賛成だったのでしょうか?
第十九章「広田内閣と西安事件」【前編:日独防共協定編】 11分30あたり
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13715774exit

武藤も若手将校の突き上げに苦しんでいたようですが、擁護できませんね。(『昭和十年代の陸軍政治筒井清忠 岩波書店
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