【 東方昭和伝第六部 軍部台頭編 】 [ 昭和11年(1936年)3月 ~ 昭和12年(1937年)7月 ]
≪ 主なできごと ≫ 広田内閣成立 軍部大臣現役武官制復活 「南北併進」の国策決定 日独防共協定締結 綏遠事件 西安事件 宇垣内閣流産事件 林内閣成立 スターリンの「大粛清」 食い逃げ解散 第20回衆議院総選挙 第1次近衛内閣成立
出演
≪ 役名・肩書き・演者 肩書きは原則として作中の現職。元職は特記のみ ≫
宮中
- 昭和天皇 (第124代天皇) ・・・ 東風谷早苗
- 西園寺公望 (元老 公爵 元・総理大臣) ・・・ 西行寺幽々子
- 原田熊雄 (西園寺元老秘書 男爵) ・・・ 魂魄妖夢
- 木戸幸一 (宗秩寮総裁 侯爵) ・・・ 八雲藍
- 平沼騏一郎 (枢密院議長 男爵) ・・・ 四季映姫・ヤマザナドゥ
- 広田弘毅 (第32代総理大臣 近衛内閣外務大臣) ・・・ ルナサ・プリズムリバー
- 近衛文麿 (第34代総理大臣 公爵 元・貴族院議長) ・・・ アリス・マーガトロイド
- 宇垣一成 (陸軍大将 元・陸軍大臣) ・・・ 伊吹萃香
- 若槻礼次郎 (重臣 男爵 元・総理大臣) ・・・ 綿月豊姫
- 風見章 (近衛内閣書記官長) ・・・ メディスン・メランコリー
- 松岡洋右 (南満州鉄道総裁) ・・・ 因幡てゐ
- 岸 信介 (満洲国実業部総務司長 満洲国総務庁次長) ・・・ 黒谷ヤマメ
- 吉田 茂 (駐英大使) ・・・ 博麗霊夢
- 賀屋興宣 (大蔵省理財局長 近衛内閣大蔵大臣) ・・・ 秋静葉
- 重光 葵 (駐ソ連大使) ・・・ 永江衣玖
- 梅津美治郎 (中将 陸軍次官) ・・・ 朱鷺子
- 板垣征四郎 (中将 関東軍参謀長) ・・・ 魅魔
- 東条英機 (中将 関東軍参謀長) ・・・ 鍵山雛
- 石原莞爾 (少将 参謀本部作戦課長 戦争指導課長) ・・・ 風見幽香
- 武藤 章 (中佐 陸軍省軍事課高級課員) ・・・ リグル・ナイトバグ
- 田中隆吉 (中佐 関東軍参謀 徳化特務機関長) ・・・ ルーミア
- 辰巳栄一 (中佐 駐英大使館付武官) ・・・ 八海山辰巳(黄昏酒場)
- 磯部浅一 (元・大尉 二・二六事件死刑囚) ・・・ サニーミルク
- 伏見宮博恭王 (元帥海軍大将 皇族 軍令部総長) ・・・ 蓬莱山輝夜
- 永野修身 (大将 広田内閣海軍大臣) ・・・ チルノ
- 米内光政 (中将 連合艦隊司令長官 林内閣および近衛内閣海軍大臣) ・・・ 上白沢慧音
- 山本五十六 (中将 海軍次官) ・・・ 藤原妹紅
- 井上成美 (少将 海軍省出仕兼軍令部出仕) ・・・河城にとり
外国要人
- 蒋介石 (国民政府主席 軍事委員長) ・・・ 紅美鈴
- 張学良 (国民政府西北剿匪副総司令) ・・・ 小悪魔(東方project)
- 毛沢東 (中国共産党政治局主席 軍事委員会主席) ・・・ レミリア・スカーレット
- 周恩来 (中国共産党軍事委員会副主席) ・・・ 十六夜咲夜
- ヨシフ・スターリン (ソ連共産党書記長) ・・・ 比那名居天子
- アドルフ・ヒトラー (ドイツ第三帝国総統) ・・・ フランドール・スカーレット
- ジョセフ・グルー (合衆国駐日大使) ・・・ 洩矢諏訪子
そのほかモブ役として、魂魄妖忌(偉そうな軍人)・森近霖之助(文官)・こーりん(小物)・射命丸文(マスコミ)・レイセン(兵士)・高木社長(随時)
用語解説
軍部大臣現役武官制 (ぐんぶだいじん―げんえきぶかんせい)
軍部大臣(陸軍大臣・海軍大臣)に就任できるのは現役の武官に限定する、という制度。明治33年の第2次山縣有朋内閣(陸軍・長州藩閥系)下で、「大臣及総務長官(=次官)ニ任セラルルモノハ現役将官ヲ以テス」と定められた。大正2年の第1次山本権兵衛内閣(海軍・政友会支持)時に、当時の護憲運動の影響をうけて「現役」の文字を削る決定がなされ、予備役や退役軍人でも大臣に就任できる環境が制度上は成立したが、実際には現役の大将・中将(予備役・退役であっても、現役に復帰する処置が取られてから)が軍部大臣に就任し続けた。
現役将官であることは大臣資格者の範囲を狭めるとともに、現役軍人であるがゆえに、柔軟性が求められる政治の世界において、軍部大臣の行動が軍の統帥ヒエラルキーに拘束されてしまうという問題点があった。
モンゴル遊牧民の活動地域(モンゴリア)のうち、おおよそゴビ砂漠以南~万里の長城以北の地域。中華民国時代に設置されていた察哈爾省(ちゃはる―しょう)は、この地域の中心部族「チャハル部」(大元ウルス、すなわちフビライ・ハーンの帝国の末裔と思われ、清王朝に服した際に元朝の玉璽を伝えた)に由来する。また、察哈爾省の西隣の包頭(パオトウ)を中心とする地域には綏遠省(すいえん―しょう)が置かれた。
ロシア(ソ連)の影響下にある外蒙古(ゴビ砂漠以北、概ね現・モンゴル国)に対し、内蒙古は中国が支配権を確保しようと躍起になっており、これに反発する現地の遊牧諸侯が自治・独立運動を展開していた。
粛軍演説(しゅくぐんえんぜつ)
昭和11年5月7日の衆議院本会議で行われた、民政党代議士・斎藤隆夫による演説。正確には「粛軍に関する質問演説」。二・二六事件の後始末として徹底的な軍部革正(粛軍)を要求するとともに、軍人勅諭を引いて軍部による政治干渉を批判。さらに軍人と結託する親軍政治家・腐敗した政党をも批判する、1時間25分に及ぶ大演説となった。国民や他政党の議員、新聞各紙からも激賞され、この演説の載せられた官報は、官報など読んだことのない人々すらも奪い合って手にするというほどであったという。
人物評伝
※キャスティングされいなくて、作中登場回数の多い人物につき
昭和期の陸軍軍人。最終階級は大将、加えて元帥府に列する。伯爵。第18代総理大臣・寺内正毅(まさたけ。元帥陸軍大将。シベリア出兵・米騒動時の首相)の長男。陸軍大学21期卒業、同期生はノモンハン事件時の関東軍司令官・植田謙吉、二・二六事件時の戒厳司令官・香椎浩平など。
血統と親の七光りで昇進していっただけのマヌケであり、閑院宮参謀総長ともども、この時代の典型的な陸軍の神輿。細かな気配りで部下に人気があったという逸話も、単なる良家の子息としての育ちの良さに由来するものにすぎない。陸軍大臣在任中の言動は、次官の梅津美治郎や統制派の実力者・武藤章の作文を朗読しているだけのようなものであった。
昭和12年議会での「腹切り問答」事件で広田内閣を瓦解させてしまった後、教育総監。間もなく、支那事変勃発により組織された北支那方面軍司令官となって、事変初期の戦争指導にあたる。大東亜戦争では一貫して南方軍総司令官。東条内閣総辞職時の重臣会議で、小磯国昭・畑俊六らとともに後継首相の声もあがったが、南方から呼びもどすのは難しいとの理由で大命は小磯に下った。終戦時、シンガポールにて現地イギリス軍に対し降伏文書調印。翌年、マレーシアで勾留中に病死。
徳王 (とくおう 1902~1966)
東呉の徳王・厳白虎。内蒙古チャハル部・西スニト旗出身の遊牧諸侯。本名デムチュクドンロブ。「チンギス・ハーン30代目の子孫」を称し、内蒙古・外蒙古・ザバイカルを統一した大モンゴル国の樹立を目指す汎蒙古主義運動を展開。1933年、同じ独立派のユンデンワンチュク(雲王)とともに内蒙古王侯会議を開催して、中華民国政府に高度自治を要求。34年、百霊廟(綏遠省の寺院都市)に蒙古地方自治政務委員会(蒙政会)の樹立が認められて、その秘書長となった。
日本の満洲支配が確立すると、これに接近。36年、関東軍の支援のもとに蒙古軍政府を立てて軍事行動を起こし、中華民国軍との衝突を招く(綏遠事件)。支那事変の勃発で日本軍が本格的に内蒙古へ進出してくると、これに呼応し、フフホトで蒙古聯盟自治政府を設立。39年、他の遊牧諸侯政権を集合した蒙古聯合自治政府(42年、蒙古自治邦)が成立し、その主席となった。しかしこのころになると、モンゴルの自治・独立を認めようとしない日本軍との関係が悪化。蒋介石のもとへ逃亡する計画を企てたこともあったが失敗し、結局、傀儡遊牧政権の主席を日本の敗戦まで務めることになる。
戦後の国共内戦においては蒋介石政権のもとでのモンゴル人政権樹立を目指すが、中国共産党軍に敗北。戦犯として捕らえられ、禁固刑(63年釈放)。
昭和期の宮中官僚。男爵。東京帝大卒業後、内務省入省。関東大震災において、後藤新平内務大臣の招請により警視総監に就任し、治安対策にあたる。虎ノ門事件(摂政宮暗殺未遂事件)の発生により懲戒免官となるが、間もなく内務次官として復帰。若槻礼次郎内務大臣のもとで、普通選挙法制定に関わる。斎藤実内閣成立の際に内務大臣候補として名前が挙がったが、昭和8年に宮内大臣就任。昭和11年の二・二六事件に際しては、木戸幸一内大臣府秘書官長・広橋忠隆侍従次長らとともに「反乱軍鎮圧」の天皇・宮中としての姿勢を示す主導的役割を果たした。
事件後、殺害された斎藤実のあとを継いで内大臣に転任。元老・西園寺公望が老衰のため、総理大臣奏薦の任から遠ざかるのと入れ替わってその役目を担うようになり、宇垣一成(流産)から米内光政まで6名の首相を奏薦した。
なお、男爵位は死去に際して叙爵されたものであり、湯浅は史上唯一の爵位無しの内大臣であった。
昭和期の陸軍軍人・政治家。最終階級は大将。第33代内閣総理大臣。陸軍大学校17期、同期生に南次郎・渡辺錠太郎。陸軍省・参謀本部の勤務歴なく大将に昇進した珍しい例。風貌に似ず、周囲の意見に流される面があり、石原莞爾からはあからさまに傀儡扱いされた。朝鮮軍司令官在任中に起こった満洲事変において、参謀本部の指示なく軍を満洲へ進め、「越境将軍」の異名をとる。
皇道派と統制派の派閥抗争が激化するなか、閑院宮参謀総長の引きにより、真崎甚三郎を退ける形で斎藤内閣陸軍大臣に就任。それまで皇道派と見られていたが、統制派の永田鉄山を軍務局長に据えるや、柳川平助次官など皇道派将官を次々と省部ポストから退ける統制派人事を行う。二・二六事件後の粛軍人事の影響で予備役に編入されたが、宇垣一成の対抗馬として石原莞爾らによって担ぎ出され、宇垣の組閣が流産すると、広田内閣の後継に就任した。
政綱で「祭政一致」などとぶちあげて周囲をドン引きさせた内閣は弱体で、政党懲罰を称して突如起こした「食い逃げ解散」選挙に大敗。特段の実績を挙げることなく4カ月で退陣に追い込まれ、名前をもじって「何もせんじゅうろう内閣」と揶揄された。
末次信正(すえつぐ のぶまさ 1880~1944)
昭和期の海軍軍人。最終階級は大将。海軍兵学校27期。海軍大学校甲種7期は首席で卒業した秀才肌。対米強硬姿勢と軍縮反対を主張する、海軍「艦隊派」の実質的首領であり、ワシントン・ロンドン両軍縮条約に対して激しく抵抗。政友会幹事長の森恪と通じ、統帥権干犯問題の一翼を担った。平沼騏一郎や真崎甚三郎など政・軍の右派勢力と親しく、その縁で近衛文麿にも接近。第1次近衛内閣において、急死した馬場鍈一の後任の内務大臣に就任することになるが、ここでもその強硬さを発揮して、対中和平の動きを潰す役割を果たした(有名な「爾後國民政府を對手とせず」声明の発案者ともいわれる)。
日独伊三国同盟に賛成し、他の艦隊派軍人ですら躊躇する対米開戦論を公然と主張する姿勢は宮中・政界から忌避され、伏見宮博恭王までもが末次を嫌っていた。米内光政とも険悪な関係で、宴席で殴り合い寸前に発展したこともある。それでも一部強硬派軍人からの支持は絶大で、第3次近衛内閣総辞職時に後継を狙う動きがあり、東条内閣倒閣運動においては、岡田啓介が海軍の押さえとして米内海軍大臣・末次軍令部総長の連立を模索した(昭和天皇は独白録で「末次の総長就任に反対した」と述べている)。
政治家としての評価は劣悪だが、軍人としては潜水艦活用法の着目や、長官在職中の猛訓練で連合艦隊の戦闘力を向上させるなどの功績が挙げられる。
関連動画
第六部の参考資料
・阿川弘之「山本五十六(上)」(新潮文庫)
・阿川弘之「井上成美」(新潮文庫)
・阿川弘之「米内光政」(新潮文庫)
・阿部博行「石原莞爾 生涯とその時代(上)」(法政大学出版局)
・阿部牧郎「英雄の魂 小説石原莞爾」(祥伝社)
・阿部牧郎「勇断の外相 重光葵」(新潮社)
・青柳恵介「風の男白洲次郎」(新潮文庫)
・粟屋憲太郎「昭和の歴史6 昭和の政党」(小学館)
・NHK取材班、臼井勝美「張学良の昭和史最後の証言」(角川書店)
・アラン・ブロック、鈴木主税訳「対比列伝 ヒトラーとスターリン第2巻」
・生出寿「米内光政」(徳間文庫)
・大杉一雄「日中戦争への道 満蒙華北問題と衝突への分岐点」(講談社学術文庫)
・太田尚樹「赤い諜報員 ゾルゲ、尾崎秀実、そしてスメドレー」(講談社)
・太田尚樹「満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの」(講談社)
・岡崎久彦「重光・東郷とその時代」(PHP文庫)
・勝田龍夫「重臣たちの昭和史(上)(下)」(文芸春秋)
・北岡伸一「日本の近代5 政党から軍部へ」(中央公論新社)
・北川晃二「黙してゆかむ 広田弘毅の生涯」(講談社文庫)
・北博昭「二・二六事件全検証」(朝日新聞社)
・北康利「白洲次郎 占領を背負った男(上)」(講談社文庫)
・児島襄「史説 山下奉文」(文春文庫)
・児島襄「天皇Ⅲ 二・二六事件」(文春文庫)
・児島襄「第二次大戦 ヒトラーの戦い2」(文春文庫)
・斎藤勉「スターリン秘録」(扶桑社文庫)
・佐治芳彦「石原莞爾 天才戦略家の肖像」(経済界)
・ジョン・ダワー「吉田茂とその時代(上)」(中公文庫)
・城山三郎「落日燃ゆ」(新潮文庫)
・杉森久英「夕日将軍 小説・石原莞爾」(河出文庫)
・杉森久英「近衛文麿」(河出書房新社)
・筒井清忠「昭和十年代の陸軍と政治」(岩波書店)
・筒井清忠「二・二六事件とその時代」(ちくま学芸文庫)
・筒井清忠「近衛文麿 教養主義的ポピュリストの悲劇」(岩波現代文庫)
・戸川猪佐武「昭和の宰相第2巻 近衛文麿と重臣たち」(講談社)
・戸川幸夫「人間提督 山本五十六」(光人社)
・豊田穣「孤高の外相 重光葵」(講談社)
・中田整一「盗聴二・二六事件」(文春文庫)
・日本国際政治学会「太平洋戦争への道 日中戦争<上>」(朝日新聞社)
・服部龍二「広田弘毅 『悲劇の宰相』の実像」(中公新書)
・原秀男「二・二六事件軍法会議」(文芸春秋)
・原彬久「岸信介」(岩波新書)
・原彬久「吉田茂」(岩波新書)
・半藤一利ほか「あの戦争になぜ負けたのか」(文春新書)
・坂野潤治「昭和史の決定的瞬間」(ちくま新書)
・福田和也「昭和天皇 第四部 二・二六事件」(文芸春秋)
・福田和也「地ひらく 石原莞爾と昭和の夢」(文芸春秋)
・保阪正康「東條英機と天皇の時代」(ちくま文庫)
・保阪正康「吉田茂という逆説」(中公文庫)
・吉田俊雄「五人の海軍大臣」(文春文庫)
・渡邉行男「宇垣一成」(中公新書)
関連項目
- 1
- 0pt


