中国地方とは、日本の本州最西部にある地方である。別名として、山陰山陽地方、陰陽地方、西国などがある。
概要
中国地方 | |
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面積 | 31,922.26Km2 |
推計人口 | 7,504,995人 |
人口密度 | 235.1人/km2 |
域内総生産 | 27兆4420億円 |
データ基準日 | 2012年10月30日 |
鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県の5県で構成され、これらは「中国5県」とも呼ばれる。地域区分では「中国・四国地方」「中四国」のように、四国と一緒に呼称される場合も多い。
また、鳥取県・島根県・山口県北部を山陰地方、岡山県・広島県・山口県南部を山陽地方(もしくは瀬戸内)などと呼ぶこともある(例:山陽新幹線、山陽自動車道、山陰本線、瀬戸内工業地域など)。山陽については内陸部と沿岸部をそれぞれ北部と南部に分ける場合もある。
中国地方の県と主な市
中国地方の各県と主な市の人口を記す。人口は2020年国勢調査の速報値。1000人未満は四捨五入。
県名 | 鳥取県 55.3万人 |
島根県 67.1万人 |
岡山県 188.8万人 |
広島県 280.0万人 |
山口県 134.2万人 |
県庁所在地 人口 |
鳥取市 18.8万人 中核市 |
松江市 20.4万人 中核市 |
岡山市 72.5万人 政令市 |
広島市 120.1万人 政令市 |
山口市 19.4万人 |
米子市 14.7万人 |
出雲市 17.3万人 |
倉敷市 47.5万人 中核市 |
福山市 46.1万人 中核市 |
下関市 25.5万人 中核市 |
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倉吉市 4.6万人 |
浜田市 5.5万人 |
津山市 10.0万人 |
呉市 21.5万人 中核市 |
宇部市 16.3万人 |
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境港市 3.3万人 |
益田市 4.5万人 |
総社市 6.9万人 |
東広島市 19.7万人 |
周南市 13.8万人 |
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- | 安来市 3.7万人 |
玉野市 5.7万人 |
尾道市 13.1万人 |
岩国市 12.9万人 |
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- | 雲南市 3.6万人 |
笠岡市 4.6万人 |
廿日市市 11.4万人 |
防府市 11.4万人 |
呼称の由来
中国地方の呼称の由来については主に3つの説がある。
- 律令では畿内からの距離に応じて国を「近国」「中国」「遠国」に分類していて「中国」がまとまっている地域だったから。
- 大陸との窓口など西の拠点であった大宰府と都の中間にあった国々の地域だったから。
- 日本神話の葦原中国(あしはらのなかつくに)があったと思われる地域だったから。
いずれも決定打に欠け、由来ははっきりとわからないのが実情。使用例は太平記でも確認されるが日本の地域区分として定着したのは明治の終わりに国定教科書に記載されて以降と思われる。
山陰と山陽
中国地方を山陰と山陽に分けることもあるがこれは五畿七道の山陰道と山陽道に由来する。意味は山地の北(陰)側・南(陽)側の意味で決して山陰にネガティブな意味はない。五畿七道に従えば山陰の東側は現在の京都府北部まで、山陽も兵庫県南部まで含まれるが現在では中国地方の範囲内で使われることが多い。また、山口県北部にあたる長門国は山陽道だが中国地方の日本海側という意味で山陰地方に含まれることがある。
地理
脊梁山脈として中国山地が東西に横たわっている。中国山地には花崗岩が広く見られこれが風化した砂が砂丘やたたら製鉄に用いられた砂鉄の起源となっている。最高峰は独立峰の大山(1729m)で日本屈指の名峰。大山(だいせん)の他に蒜山(ひるぜん)や氷ノ山(ひょうのせん)と全国に70ほどある「山」を「セン」と読む山のほとんどが鳥取県・岡山県・島根県に集中している。「山」という漢字の「セン」の音は仏教用語に多く見られる呉音であることから渡来人との関わりが推定される。最長河川は江の川(194㎞)で中国山地を横切る先行河川の典型例。別名中国太郎だが中国次郎や中国三郎と呼ばれる河川はない。主な湖沼には面積が全国5位と7位の中海と宍道湖がある。また鳥取県の湖山池は日本最大の池。海岸線は瀬戸内海側では入り組んでいて島が多いが日本海側ではなめらかで島は少ない。他に代表的な地形として秋吉台は3億5千万年前に堆積した石灰岩が隆起した日本最大のカルスト台地である。
気候
気候は脊梁山脈の中国山地を境に大きく異なる。山地北側(山陰)は日本海側気候で、北寄りの季節風が吹きつける冬季を中心に降水量・降雪量が多くなる。南側(山陽)は瀬戸内海式気候で、年間を通して降水量が少なく晴天日数が多い。春は偏西風の影響で全域で黄砂が観測され景色がかすむ。
なお、気象庁の地域区分では山口県は九州北部に分類されている。
名所・名物
中国地方の名所は数あるが特筆すべきは4つの世界遺産があることである。名物としては農産物は大規模な平地が少ないため果樹栽培が盛ん。水産物は境港(鳥取県)や浜田港(島根県)が日本トップクラスの水揚げ量を誇る漁港であり瀬戸内では牡蠣養殖が盛ん。
山口県 |
島根県 |
鳥取県 |
広島県 |
岡山県 |
歴史
通史
古代、現在の中国地方には吉備と出雲という畿内に並ぶ勢力が存在していた。現在も残る岡山県の大規模な前方後円墳や島根県の出雲大社などの建造物、桃太郎伝説の原型とされ大和が吉備の勢力を服従させたことを示すと考えられる温羅伝説、日本神話の出雲を舞台とする神話群(出雲神話)などからかつての存在感がうかがえる。
平安時代末期には平清盛が厳島神社を保護し平家一門が壇ノ浦で滅亡した。鎌倉時代には隠岐が流刑地として後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流され、後に隠岐を脱出した後醍醐天皇は伯耆で倒幕の兵を挙げた。
戦国時代には初め尼子経久と大内義隆が争い、その中で毛利元就が勢力を伸ばし中国制覇に至る。織田信長の中国攻めには豊臣秀吉が派遣され鳥取の飢え殺し、備中高松城の水攻め、中国大返しなどの逸話が残る。他に村上水軍やギリサンこと宇喜多直家と地味にギリワン宮部長房が有名。この時期に石見銀山の銀産出が最盛期を迎え南蛮貿易を通して世界経済に影響を与えた。
関ヶ原の戦いで当主の毛利輝元が西軍の総大将となった毛利家は戦後長門・周防の二国に減封された。中国地方には新たに安芸・備後(現在の広島県)に福島正則、備前・備中・美作(現在の岡山県)に小早川秀秋、出雲・隠岐に堀尾吉晴と有力外様大名が封ぜられたがいずれも江戸初期に改易され、その後に親藩や幕府に近い大名に分割支配されるようになった。
幕末には長州藩(毛利家)から吉田松陰とその門下生を始め幕末の志士を多く輩出し倒幕の中心勢力となり明治以降も山口県からは伊藤博文ほか総理大臣を多く輩出している。
近代以降呉鎮守府を始め瀬戸内に軍需工場が設置され工業が発展していった。それ故に太平洋戦争中に主要都市への空襲と広島への原爆投下で甚大な被害を受けたが戦後に復興を果たし現代では太平洋ベルトの一角を担っている。一方山陰では空襲被害は無かったものの戦後の高度成長期でも工業発展が遅れ山陽側と経済格差が拡大している。現に鳥取・島根の県の人口が岡山市の人口より少ない。また山陰2県の人口を合わせて(約130万人)も山口県の人口(約140万人)に及ばず広島県の人口(約280万人)の半分以下である。
行政区分の変遷
律令国
現在の県は基本的に2~3の律令国が合わさったものになっている。備前・備中・備後・美作は吉備国が分割されたもので当初備前国には小豆島も含まれていたが江戸時代までに讃岐国に移された。
山陰道 | 山陽道 | |||||||||||
律令国 | 石見国 | 出雲国 | 隠岐国 | 伯耆国 | 因幡国 | 長門国 | 周防国 | 安芸国 | 備後国 | 備中国 | 備前国 | 美作国 |
現在 | 島根県 | 鳥取県 | 山口県 | 広島県 | 岡山県 |
廃藩置県
明治4年7月の廃藩置県直後は幕末の藩を県に置き換えただけだったが同年10月に大規模な整理統合(第一次府県統合)が行われると中国地方では備後国が分割された以外は律令国に基づいた統合となった。
その後小規模な変更があったのちに明治9年4月に再び全国的に大規模な統合(第二次府県統合)が行われ隠岐が鳥取県である以外は現在と同じ形になった。これでおしまいかと思いきや同年8月に鳥取県が島根県に編入され消滅する事態となる。
島根県下での鳥取はインフラ整備の遅れなど住民の不満の高まりにより分県運動がおこり明治14年に鳥取県が再設置され現在の中国地方の形となった。
明治4年10月 | 明治9年8月 |
律令国 | 長門国 | 周防国 | 安芸国 | 備後国 | 備中国 | 備前国 | 美作国 | |
明治4年 | 山口県 | 広島県 | 深津県(小田県) | 岡山県 | 北条県 | |||
明治8年 | 山口県 | 広島県 | 岡山県 | 北条県 | ||||
明治9年 | 山口県 | 広島県 | 岡山県 |
律令国 | 石見国 | 出雲国 | 隠岐国 | 伯耆国 | 因幡国 |
明治4年10月 | 浜田県 | 島根県 | 鳥取県 | ||
明治4年12月 | 浜田県 | 島根県 | 鳥取県 | ||
明治9年4月 | 島根県 | 鳥取県 | |||
明治9年8月 | 島根県 | ||||
明治14年 | 島根県 | 鳥取県 |
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関連項目
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