ミスターシービー単語

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ミスターシービー
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83年、菊花賞

そのは、タブーを犯した。
最後方から、上りで一気に先頭に出る。

そうか。
タブーは人が作るものにすぎない。”

そのの名は、ミスターシービー。

はいつも非常識だ。

2012年菊花賞CMより

ミスターシービーとは、1980年生まれの日本競走馬種牡馬である。黒鹿毛

シンザン以来19年振り三頭にして、史上初の父内国産馬クラシック三冠
おそらく、史上最もファンされた三冠馬である。

な勝ち
1983年:クラシック三冠[皐月賞(八大競走)、東京優駿(八大競走)、菊花賞(八大競走)]、共同通信杯4歳ステークス弥生賞
1984年:天皇賞(秋)(GI)

1983年優駿賞最優秀4歳、最優秀父内国産馬年度代表馬
1984年優駿賞最優秀父内国産馬

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
ミスターシービー(ウマ娘)を参照してください。

生い立ち

トウショウボーイ シービークイン トピオという血統。は同じレースデビューしたという奇縁を持っていた(同じレースにはグリーングラスも出ていたのだが)トウショウボーイは言うまでも競馬史上に誇る「天馬」。重賞3勝の活躍であった。ミスターシービーはどちらかと言うとに似ていたという。

実はこの配合は本来実現しないであった。トウショウボーイ日高種馬農協所有の種牡馬シービークイン河の。種付けの権利がかったのである。しかし、当時種牡馬入りしたばかりだったトウショウボーイ不人気で、良血のはほとんど集まらない状態だった。そこへやってきた重賞3勝の。「逃す手はいだろ」と担当者の独断で種付けしてしまったのである。

もちろんばれて大いに怒られたという。だがミスターシービーが活躍し、トウショウボーイに種付け依頼が殺到するようになると、逆にその判断を称揚されるようになったそうな。

ミスターシービーという名前は「千明(CHIGIRA)牧場(BOKUJYOU)」を代表するという意味が込められている取って置きの名前だった。あれ?でも1934年生まれのに同じ名前がいたような…。あれは障害だからいいんだよ!

スピードであり、ミスターシービーも丸みのある如何にもスピードのありそうなであった。関係者は「これはスピード抜群な、逃げになるのではないか」と期待したのだった。…が、ミスターシービーには一つ問題があったのである。

気性がしかったのだ。このため、有体に言ってレースが下手だった。

新馬戦こそ先行してあっさり勝つが、二戦では大きく出遅れ。しかも引っ掛かって前を強引に追いかけて、ようやく首差の辛勝。三戦には更に大きく出遅れてしまう。

ところが、直線で猛然と追い込んで、ウメノシンオーに頭差届かなかったものの二着に突っ込む。その脚に上の吉永正人騎手は、追い込みとしての可性を見出したのである。

三冠への挑戦権獲得

共同通信杯弥生賞とも前半は死んだ振りして、1000m過ぎから一気に伸びて抜け出すというパターン重賞を二連勝。皐月賞には一番人気で乗り込んだ。

この時の皐月賞田んぼみたいな不良馬場だった。ライバルと見做されたのはメジロモンスニー。ちなみにこのレースには他に、カツラギエースニホンピロウイナーが出走していたという後から考えると物凄いメンバーが集まっていたのだった。ミスターシービーは序盤で不利をった事もあり後方追走。しかしミスターシービーは向こう正面から徐々に進出。直線入り口でカツラギエースを捕らえると、泥だらけの体で猛然と抜け出し、追いすがるメジロモンスニーを半身抑え切った。

続くダービートウショウボーイ辱が掛ったこのレース、ミスターシービーは1.9倍の一番人気。しかし何とミスターシービーはいきなり出遅れる。しかし吉永騎手は慌てることなく1コーナーをに21頭中18番で入って行った。ダービーポジション?なんすかそれ?。当時の常識的にはありえないレース運びに場内は大きくざわめいた。しかし3コーナー過ぎから徐々に上がって行き、4コーナーではキクノフラッシュブルーダーバンを跳ね飛ばして大外に持ち出す。そして直線では々に先頭。おいおい、こんな乱暴なレースして大丈夫か?ファンハラハラしたのだが。いいや、まったく問題ない。メジロモンスニー追い込みなんて添え物にもならない強さで圧勝した。

二冠馬カツトップエース以来。当然三冠馬の期待が掛かるところだったのだが…。

なにしろ、あのシンザン以来、三冠馬は19年の長きに渡って出ていなかったのである。その間に三冠の壁に跳ね返された二冠馬タニノムーティエヒカルイマイカブラヤオーカツトップエースの4頭にのぼり、いずれも菊花賞を前にトラブルが生じて挑戦すら出来ない有様(タニノムーティエ喉鳴りを押して一応出走はした)。あんまりにも出ないので「三冠馬はもう出ないのではないか?」とまで言われていたのだ。

19年ぶりの三冠馬

果たしてミスターシービーもに蹄を傷め、風邪を生じて調整が遅れに遅れる。どうにか出走した京都新聞杯では期待を裏切る4着に敗れてしまう。このレースの勝ちはあのカツラギエースであり、展開が向かず、調整不足(プラス12kg)だった事を考えれば悲観するほどの内容ではかったのであるが、「ああ、やっぱり三冠馬理か」多くのファンはこの時点で偉業達成の撃を諦め始めていた。

そして菊花賞。前走よりも人気を落としたとはいえ、一番人気のミスターシービー。…だったのだが。

なんと、スタートから抑えて最後尾を追走する形になったのである。なんとも良い度胸だよなぁ吉永騎手。そのままのんびり2コーナーシンガリ通過。場内は大きくざわめいた。(おいおい、あんなところから届くのか…?)

更にとんでもない事が起こったのは、向こう正面であった。吉永騎手群を追走しながら仕掛けのタイミングを計っていた。その時、斜め前方にアテイスポート上の菅原騎手を認めたのである。菅原騎手はこの前年、ホリスキー菊花賞を勝っていた。吉永騎手を掛けた。

「ヤッさん!ヤッさんが去年行ったのはこの辺だったかな!」すると菅原騎手は後ろを振り返って怒鳴った。

「おう!ぼちぼち行けや!」

それを聞いて、吉永騎手はほんの少し、シービーの手綱を緩めた。

すると、それまで行きたいのに吉永騎手に手綱を絞られていたミスターシービーは「待ってました!」とばかりにスパートを始めてしまったのである。ボチボチどころではい。慌てて手綱を絞る吉永騎手だったが、火がついたシービーは止まらない。京都競馬場の3コーナーの坂の上り、シービーは大外を通って一気に先頭に並び掛けてしまう。

「なにやってんだ!」ありえないレース運びに京都競馬場に悲鳴が満ちる。しかし今回驚いたのはファンだけではない。松山康久調教師も「なんて事をするんだ!」と思わず立ち上がってしまったという。京都の3コーナーからの上り下りは「ゆっくり上り、ゆっくり下る」のが常識。しかしシービーは下りではくも先頭。直線で20頭の追い込みを受けて立つ事となった。

いくらなんでも駄だろう。捕まるに決まってる。馬主絶望し、ファンは思わずを閉じた。

しかしシービーの脚は衰えない。それどころか更に脚を伸ばす。大地が、大地が弾んでミスターシービーだ!」「史上に残る、史上に残るこれが三冠の脚だ!」杉本清アナウンサーは叫び、ファン奇跡撃して歓喜のを上げた。

3身差をつけてミスターシービーが優勝。この間、19年ぶり、史上三頭三冠馬が誕生したのであった。この時代、既にほとんどの競馬ファンシンザンレースを実際ににした事がかった。ミスターシービーはつまり、競馬ファンにとって初めて現実に現れた三冠馬だったのである。場内実況が「この間に立ち会え、お伝えできた事は本当に幸せです」と言ったという。当時の感動がどれほどのものか分かろうというのものである。

セントライトシンザンはともに輸入種牡馬であったため、シービーは日本競馬史上初となる内種牡馬に持つ三冠馬となった。当時の競馬界では内種牡馬は輸入種牡馬よりレベルが落ちるというのが一般的な評価であり、トウショウボーイ三冠を制したことは驚きをもって迎えられた。その後も内種牡馬の冷遇は長く続き、次の内種牡馬による三冠制覇は2011年ステイゴールド産駒オルフェーヴルが達成するまで実に28年の歳を必要とした。

ターフの偉大な演出よ。

その偉大なる競馬叙事は、
中山で始まった。

第一幕
、降りしきる中山皐月賞
不良馬場をものともせず、おまえは泥を蹴散らし、
群を割って先頭におどり出た。
類なき強さの片鱗。
しく、壮なるプロローグである。

第二幕
、鮮やかなる初府中日本ダービー
気の昂ぶりか、はたまた余裕か、
出遅れたおまえは、終始後方でレースを進める。
だが、4コーナーをまわり、おまえの末脚は爆発する。
直線一気、ターフを切り裂くものすごい追い込み
並はずれた強さの明であった。

第三幕
やわらかい日射しに映える菊花賞
を越し、おまえの体にはさらなる力がみなぎった。
レースが三コーナーにかかったとき、
この劇はクライマックスをむかえる
おまえは、坂の手前で先頭に立つというタブーを犯してしまったのだ。
わや、と思った。
しかし、それも杞憂。他を力でねじせてしまった。
まるで、脇役のいない、演出役の一人舞台

第四幕
競馬史上三頭三冠馬、ミスターシービー。
おまえが、ターフにその雄姿を見せるかぎり
この英雄叙事は、さらにつづく。

JRAヒーロー列伝No.14 ミスターシービーexit

四冠獲得とライバルたちの動き

文句競馬界の英雄になったミスターシービー。菊花賞の直後には第3回のジャパンカップが行われる事になっていた。ミスターシービーにも当然、参戦の期待が掛かったのであるが、シービーは回避。外国人記者から「なぜ日本最強が参戦しないのか?」と不満のが上がったという(「うちの日本最強が相手してやる!」とキョウエイプロミス営が息巻いたが)。シービーは有馬記念も回避。その後どうも蹄の状態が思わしくなくなってしまったらしい。翌年は全休になってしまうのである。

ミスターシービーが復帰に手間取っている間に、競馬界には大事件が起こっていた。その年の3歳クラシック。そこに前年のシービーを上回る衝撃を持って登場してきたのが、かのシンボリルドルフであった。額に三日月模様を持つこのすらりと美しいは、なんと皐月賞日本ダービー敗で制覇。先行してカミソリのような切れ脚で抜け出すというシービーとは打って変わってハラハラ感がスタイル。二年連続での名の誕生に競馬ファンは沸き返り、くもこの二頭の対決に胸を膨らませた。

また、宝塚記念ではカツラギエースシービー不在の中、ホリスキーら古達を相手に快勝し、打倒シービーへ再度駒を進めてきていた。

しかしシービーの復帰はついにまでずれ込んだ。毎日王冠。実に11ヶぶりのレースであった。流石シービーでもそれはどうなの?と思ったファンは一番人気を彼ではなく、大井競馬からやってきたサンオーイに与えてしまう。ところがこのレースが凄かった。最後方から東京競馬場の長い直線を凄まじい脚で駆け上がり、カツラギエースの二着に突っ込んだ。推定33.7という3ハロンタイムは当時の馬場を考えれば信じられないものだった。負けこそしたが、三冠馬の健在ぶりは十分に見せ付けたのである。

ついでに言えば、この時にファンはその恐るべき末脚でも交わせなかったカツラギエースの存在を覚えておくべきだったのである。シービー復活に喜び過ぎても気が付かなかったが…。

こうなればもう、天皇賞(秋)シービー一色。この年から番組体系に大改革が行われ、天皇賞(秋)はこの年から東京2000mで行われる事になっていた。3000mの菊花賞に勝っているとはいえ、本質的にはスピード豊かな中距離であるシービーにとってこの距離短縮は大歓迎であり当然の一番人気

レースでは例によってぽつんと最後方追走。おいおい。そして大ケヤキの手前からまくりに掛るが、ペースが遅かったせいか思うように前に行けない。直線を向いてもまだ後方。おおい、大丈夫なのか?しかしシービーは直線のん中から猛然と追い込み始める。すると桁違いの脚を繰り出して、りこむカツラギエースをねじせ、追い込むテュデナムキングも抑えてゴール。1分593はコースレコード。四冠は史上二頭の大快挙。府中は「ミスターサラブレッド」ミスターシービーの強さに酔いしれた。

後輩三冠馬シンボリルドルフとの戦い

しかし、今思えばこのレースシービー最後のきだったのである。

翌週、シンボリルドルフ敗で菊花賞を制覇。二年連続の三冠馬誕生。ファンは快挙に熱狂。日本競馬史上未だにただ一度しかない三冠馬対決に心を躍らせた。しかもその対決舞台は、これまで日本が外フルボッコにされ続けたジャパンカップ三冠馬のどちらが強いのか。果たして、日本初の勝利なるか。もがレースを心待ちにし、競馬を知らないファンまでがレースを気にしていた。

一番人気はミスターシービー。ルドルフを上回っていた。3歳と古の差もあるが、当時はルドルフの勝ちっぷりは危ういとしてシービーの方が強いという人も多かったのである。まぁ、ルドルフが4番人気だったのは中一週という強行ローテーションと、体調不良(下痢ピーだったそうな)を伝えられたのがしたのだろう。

ところがこのレース、なんと勝ったのはミスターシービーでも、シンボリルドルフでも、外でもなく、カツラギエースだった。シンボリルドルフは3着。ミスターシービーはなんと10着に敗れ去った。あまりに意外な結果に東京競馬場は静まり返ってしまう。毎日王冠秋天走の反動か、シービーには闘争心が見られなかったらしい。

続く有馬記念JCの大負けのせいで一番人気シンボリルドルフの手に渡った。レースも、カツラギエース逃げを二番手から余裕綽々で捕らえたシンボリルドルフに対し、ミスターシービーは不利があったとはいえ、カツラギエースに触れることも出来ない三着に敗れてしまう。このレースを見れば、もう誰だって二頭の三冠馬のどちらが強いのか分かるでしょ。そうシンボリルドルフが言ったようなレースだった。

翌年、産経大阪杯では得意距離といえる2000mでステートジャガーに届かない。もはや力落ちは明らかだった。しかしシービーはそれでも天皇賞(春)に出走した。そこには、現役最強どころか史上最強なのでは?というすら上がり始めていた、シンボリルドルフが待ち構えていた。

レースはもはや語るも残である。3コーナー手前で菊花賞と同じように上がっていき、場内を大きく沸かせたミスターシービーだったが、直線入り口ではシンボリルドルフに並ぶ間もなく交わされる。「シンザン以来20年ぶりの五冠!」とシンボリルドルフが称えられるはるか後ろで、かろうじて掲示板に残るのが精一杯であった。

ミスターシービーはこのレース後に故障を発生、引退した。結局、シンボリルドルフには一度も先着する事が出来なかったのである。

種牡馬として~晩年

社台スタリオンステーション種牡馬入りしたミスターシービーはトウショウボーイの後継として大きな期待を集めた。

実際、初年度産駒はよく走り、「三冠馬」と評されたヤマニングローバルをはじめ重賞勝ちを複数出した。このため、種付け料は当時最高の2000万円をえたという。

しかし、同時期にリアルシャダイトニービンブライアンズタイム、そして少し後にサンデーサイレンスと強力な輸入種牡馬が入ってくると、産駒成績は先細ってしまう。高騰した種付け料によって「高い割に走らない」というレッテルを貼られてしまったのも痛かった。1994年に社台から放出され(ちなみに、シービーを追い出したかわりに入ってきたのがトウカイテイオーである。息子にまで…)、1999年には種牡馬引退GI勝ちはついに出ず、トウショウボーイの血を繋ぐ系を確立する事は出来なかった。としてウイングアローを出しており、この方面で是非名前を残して欲しいものである。

種牡馬引退後は三里塚の千明牧場で功労として過ごした。ここには、彼以外のを残せなかったシービークインもいて、通常は離れ以降は巡り合う事のが再会するというしい状況になっていた。

2000年12月15日と同じ蹄葉炎で死亡シービークインに先立つ死であった。彼が晩年を過ごした千明牧場三里塚分場に墓が建てられており、三里塚分場が閉場になって跡形もなくなった今でもと共に静かに眠っている。

それでもシービーは…

通算15戦8勝。GIレベルレースは4勝。しかしその中に19年ぶりの三冠が含まれている限り彼の名は永遠に日本競馬史に残る。

ミスターシービーといえば「追い込み」で有名であるが、実は三冠レースを見る限り、どれも3コーナー手前からなりで一気に上がって直線入り口では先頭か先頭付近にいて、直線で抜け出して力で押し切るといういわゆる「まくり」を得意としたであるように思われる。気性に不安があるために騎手が抑えるから後方からの競馬になるんであって、3歳当時のミスターシービーは、行かせればぐっと前に行っちゃうだったのである。

当然、そんな凄い勝ち方は力がずば抜けていなければ出来るものではない。ところが、4歳毎日王冠天皇賞は、吉永騎手が押しても「まくって」行けていない。結局は直線で追い込んで勝ち負けに持ち込んだが、これはシービー本来のレースではないのである。

ジャパンカップ有馬記念天皇賞(春)ルドルフ敗しているが、4歳の時点で既にシービーの状態は落ちていたと言えるであろう。競馬は着順が全てであり、直接対決で勝った方が文句く強いので、ルドルフシービーより強い事は間違いないのだが、それでも最盛期のシービーをルドルフと戦わせればどうだったろうと思ってしまう(それを言ったらルドルフ完成したのは古になってからなんだが)。

シービーが戦ってきた1983年クラシック世代には、カツラギエースニホンピロウイナーリードホーユースズカコバンギャロップダイナなど古になって大レースを勝ち取ったたちが多い。なにしろルドルフ敗北した3度のレースのうち1着を獲ったは1頭は、あとはシービー世代日本なのである。そんな強たちに打ち勝って(しかも圧倒的に打ち破って)獲得した三冠。「最弱の三冠馬」などと笑う人もいるが、そのレースを見ればそんな妄言は吐けないである。

もっとも愛された三冠馬

ミスターシービーにはとにかくファンが多かった。当時の競馬ファンにとってミスターシービーは、オールファンが懐かしく語るだけだったシンザン以来、19年ぶりの三冠馬であった。つまりようやく登場した「たちの三冠馬」であったのだ。

しかも後方から一気にまくってくる迫力あるレース振り。いつ来るのか?大丈夫なのか?と心配させておきながら力強く抜け出してくる脅威の末脚。常識や定石を牙にもかけないその法なレース運びは競馬新時代の到来すら感じさせた。が同じレースデビューした、がその後を生まなくなったなどファン琴線に触れる物語も多かった。

そして残念な事であるが、次の年に現れたシンボリルドルフに負け続けた事によって、判官びいき的な人気を集めてしまった事も否定出来ない。シンボリルドルフも「たちの三冠馬」のなのであったが、彼はどうしてもアイドルを打ち破る悪役が似合うのだ。まぁ、それはルドルフが圧倒的に強いからこそなのだが。最後のレースになった天皇賞シービーがルドルフを交わして先頭に立った時の大歓は、ルドルフが一着でゴールした時のそれよりもかに大きかったという。

薄い皮膚がピカピり、如何にも柔らかそうな丸みのある体で弾むように走る姿は実に美しかった。顔つきも々しく、トウカイテイオーの前までグッドルキングホースと言えば彼のことだったのである。こんなところでも…

2018年には「Mr.CB ミスターシービー」というタイトル漫画が連載開始された。ジャンルとしてはサッカー漫画で、「CB」もサッカーポジションセンターバック」のことなのだが、原作の綱本将也は競馬漫画「スピーディワンダー」も手がけている競馬ファンであり、やはりタイトルはこのにちなむという。そう言われずともメインキャラクター名前が「千明」に「吉永」に「木」とくれば一瞭然なのだが。

ルドルフは叙事シービーは叙情。」と言われる。今でも、シービーのことを語る時にうっとりを細めるオールファンは数多い。

語りつくせぬほどのドラマられた三冠馬ミスターシービー。彼の生み出した熱狂が下地をつくり、やがてオグリキャップ爆発する競馬ブームが起こるのであった。その意味で彼は、現代競馬の礎になった名であると思うのである。

血統表

トウショウボーイ
1973 鹿毛
*テスコボーイ
1963 黒鹿毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Suncourt Hyperion
Inquisition
*ソシアバターフライ
1957 鹿毛
Your Host Alibhai
Boudoir
Wisteria Easton
Blue Cyprus
シービークイン
1973 黒鹿毛
FNo.9-h
*トピオ
1964 黒鹿毛
Fine Top Fine Art
Toupie
Deliriosa Delirium
La Fougueuse
メイド
1965 鹿毛
*アドミラルバード Nearco
Woodlark
メイ *ゲイタイム
*チルウイン
競走馬の4代血統表

クロスHyperion 4×5(9.38%)Nearco 4×5(9.38%)

主な産駒

1987年産

1988年産

1990年産

1994年産

1995年産

関連動画

関連コミュニティ

関連項目

外部リンク

JRA顕彰馬
クモハタ - セントライト - クリフジ - トキツカゼ - トサミドリ - トキノミノル - メイヂヒカリ - ハクチカラ -
セイユウ - コダマ - シンザン - スピードシンボリ - タケシバオー - グランドマーチス - ハイセイコー -
トウショウボーイ - テンポイント - マルゼンスキー - ミスターシービー - シンボリルドルフ - メジロラモーヌ -
オグリキャップ - メジロマックイーン - トウカイテイオー - ナリタブライアン - タイキシャトル - エルコンドルパサー -
テイエムオペラオー - キングカメハメハ - ディープインパクト - ウオッカ - オルフェーヴル - ロードカナロア -
ジェンティルドンナ - キタサンブラック - アーモンドアイ - コントレイル
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中央競馬の三冠馬
クラシック三冠 牡馬三冠 セントライト(1941年) | シンザン(1964年) | ミスターシービー(1983年) |
シンボリルドルフ(1984年) | ナリタブライアン(1994年) | ディープインパクト(2005年) | オルフェーヴル(2011年) | コントレイル(2020年)
牝馬三冠 達成
変則三冠 クリフジ(1943年)
中央競馬牝馬三冠 メジロラモーヌ(1986年) | スティルインラブ(2003年) | アパパネ(2010年) |
ジェンティルドンナ(2012年) | アーモンドアイ(2018年) | デアリングタクト(2020年)
古馬三冠 春古馬 達成
秋古馬 テイエムオペラオー(2000年) | ゼンノロブロイ(2004年)
競馬テンプレート
JRA賞最優秀父内国産馬
優駿賞時代 1982 メジロティターン | 1983 ミスターシービー | 1984 ミスターシービー |
1985 ミホシンザン | 1986 ミホシンザン
JRA賞時代 1980年代 1987 ミホシンザン | 1988 タマモクロス | 1989 バンブービギン
1990年代 1990 ヤエノムテキ | 1991 トウカイテイオー | 1992 メジロパーマー |
1993 ヤマニンゼファー |1994 ネーハイシーザー | 1995 フジヤマケンザン |
1996 フラワーパーク | 1997 メジロドーベル |1998 メジロブライト | 1999 エアジハード
2000年代 2000 ダイタクヤマト | 2001 該当※1 | 2002 トウカイポイント | 2003 ヒシミラクル |
2004 デルタブルース | 2005 シーザリオ | 2006 カワカミプリンセス |
2007 ダイワスカーレット
※1.該当しを除く最多得票ナリタトップロード
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ミスターシービー

217 ななしのよっしん
2023/01/21(土) 13:06:41 ID: UY306WYT6p
ウイポでは成長度の関係でルドルフにも普通に勝つうえ、テスコボーイからの連続したスピード因子で産駒スピードを活性化してくれる神
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218 ななしのよっしん
2023/01/27(金) 23:53:43 ID: EsD9zJ4j/x
>>216
札の入手難易度的に、有能で札評価高めは誰得だから
有能で札評価低めなこれで良いのだ(バカボンパパ並感)

競走繁殖問わず、史実?何それ美味しいの?と言わんばかりの活躍は最高だぜ
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219 ななしのよっしん
2023/02/26(日) 09:24:45 ID: bookrE07V0
>>213
競馬煽りあい見てると悲しくなってくるもんなあ
リアルタイムで見た三冠馬ブライアンからで
シンザンシービー、ルドルフ動画でしか知らないけど(戦中のセントライト動画ですら見たことなく記録のみ)
どの三冠馬も大好きだわ
もちろん、ブライアンもディープもオルフェコントも好き
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220 ななしのよっしん
2023/05/12(金) 10:38:09 ID: 9M5KJ1G9k/
ウイポだと競走馬としては優秀だが他の三冠べあんまり系が伸びない 因子が少ないからなのかなんなのか

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221 ななしのよっしん
2023/06/15(木) 05:15:42 ID: dUqAD/VD0U
優劣の話ではなく、ルドルフシービーだと現代の馬場競馬でより通用しそうなのはシービーの方だと思うんだよなぁ。
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2023/06/28(水) 08:41:26 ID: YF9vn43ECL
生い立ちのところでシービークインについて重賞2勝と重賞3勝が混在してるのどちらが正しいのでしょう
にわかなりに調べた感じ3勝が正しそうな気がするがどうなんだろ
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223 ななしのよっしん
2023/10/29(日) 00:08:12 ID: WhbEQIHZJq
>>221
そもそも日本競馬の結晶衝撃三冠馬さんはシービーの完成(進化)系みたいなもんやし
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224 ななしのよっしん
2024/01/07(日) 14:49:05 ID: 9M5KJ1G9k/
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225 ななしのよっしん
2024/02/18(日) 09:06:46 ID: zMrPyhybKi
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226 ななしのよっしん
2024/04/13(土) 13:00:50 ID: bookrE07V0
名前そっくりなミスタージーティーのおかげで思い出されるけど
シービーの前にもミスターシーアイという今がいた
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