今のとこ集める予定は、夏・商・周の三代~統一秦あたりをターゲットに。
基本的に何を集める?→当時の生活に関することが分かれば
※注意 私見てんこもり・間違ってる部分や日本の歴史の文言を借りて説明してるところもあるよ
新石器時代から青銅器時代
各地に点在している血のつながりを主軸とした氏族集団が、さらに大きな集団となり都市国家をつくっていく。
新石器時代 |
年代(BC) | 黄河流域 畑作・粟など |
※ジャポニカ種もここから |
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老官台文化 プレ仰韶文化。改葬(二次葬)の風習:改葬とは、一度埋めた身体から肉などが腐り落ち、骨だけになったものを再びとりだし、新たに埋葬しなおす(正式に葬儀を行 う)習慣である。肉や血などは現世のものであるので、それらがなくなって初めて、魂が安らかに旅立てるように埋葬しなおす。仮埋葬→正式な葬儀へと、段階 を経る。改葬された遺体は氏族ごとの墓に合葬された。 |
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| 5000 |
彩文土器:赤褐色の地に顔料で人や魚、鳥の姿が彩られている。文字に似た符・記号も出土。大きく半坡類型と廟底溝類型に分類される。後者が仰韻文化の最盛期。龍山文化に引き継がれる。 半坡遺跡BC4770頃、西安近辺:集落は住居・墓地・窯場と三つの区域に分けられ、環濠に取り囲まれている。住居:河近くの平易な土地に、200戸ほどの集落を形成。ひとつの家に2~4人で住まい、集落全体では500~600人ほど。共同体の構成員は平等であり、各家の形(半地下竪穴式住居:入り口は全て南向き)は同じ。墓地:埋葬時には足元に少々の生活用品(生前使用していたもの:壷・鉢・瓶)、頭の下に麻布などが敷いてある。所持しているものに貧富の差は見られず、墓は規則正しく並べられ、仰向けに寝て埋葬されている。平均身長170c/m弱、死亡推定年齢は30~40歳と見られる。居住区の中央に共同体の食物貯蔵庫・大部屋のある家(集会所?)がある。集会所の地下に集落の守りのためだろうか、頭骸骨が埋められている。遺跡の東側に窯場があり、専業化していたと推測される。農耕・牧畜が主な産業:性別により労働は分業。男性は狩猟、漁労 女性は農業、魚網を編む、布の生産、育児 など石・骨製の狩猟道具・農耕用具、糸を紡ぐ紡績車、針など出土している半坡類型・陝西省臨潼県姜寨遺跡BC4675頃集落中央の広場を中心として、それを囲むように五つの大きな家屋がある。その五つの家屋の周辺に小さな家が10~20棟囲んでいて、入り口は全て広場を向いている。全戸で100余戸ほど。周囲は環濠で取り囲まれている。改葬(二次葬)の風習あり。改葬された遺体は一体の場合と、複数体あるもの(共同墓地?)が発掘されている。楽器が発掘されている。土製の太鼓の胴と見られるもの、7音階だせるオカリナ、土製のガラガラ、鈴など出土。※この鈴は、同じ形のものが、BC2000頃に銅製で作られている。精緻な副葬品として少女の墓から4連ネックレス(骨製)など。糸を紡ぎ、布が織られて、骨製の針で縫製していた。狩猟用の道具として、投石具(石(溝が彫ってある)に縄をひっかけて、ぐるぐるぶん回して投げつける)なども。当時(他の共同体との衝突だろうか?戦闘の際?)、首を狩る慣わしがあったようで、首のない遺体も発見された。 |
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| 4300 |
天文の始まり?↑彩文土器の星の文様から、夜空をみて天候や季節を推測したのではないかとみられている粟を中心とした農業経済豚・犬の飼育、牛・羊の保有、狩猟・漁労を行う。死者に亀の甲でできた飾りを握らせたり、成年者の上顎部門歯を抜歯するなどの風習がある |
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| 4000 | |||||||||
| 3900 |
B.C.3900~3200崧沢文化
プレ良渚文化?記号が刻印されている陶片など |
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| 3800 | |||||||||
| 3700 | |||||||||
| 3600 |
廟底溝遺址BC3600弩の元祖となる仕掛け弓などの部品が発掘 |
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| 3500 |
中期~晩期にかけて、手工業と農業が分離、専門化 |
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| 3200 |
稲作農業・定住化 |
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| 3100 |
「鳥」を冠した符号が多数発見される獣面(饕餮)文様の刻まれた玉琮なども出土版築工法の使用:城壁で囲まれている祭壇を設置。 |
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| 3000 | |||||||||
| 2800 |
黄河中流域の仰韶文化圏への進出。↓ |
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| 2700 |
陽城←「夏」、禹の居城とされる… |
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| 2500 |
黒陶の出現 切っ先の鋭利な鏃(やじり)の発見、磨製石器の使用獣の肩甲骨などで卜占を行う。良渚文化との交流の形跡 |
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青銅器時代 |
2000 | 二里頭文化→夏 崇山近辺に夏、興る。 | |||||||
| 1800 | 二里岡文化→早期商 | ||||||||
神話と伝承・伝説の時代
■三皇五帝の時代
| 三皇 | 伏羲 女媧 神農 炎帝 燧人 祝融 黄帝 |
| 五帝 | 伏羲 神農 太昊 炎帝 黄帝 少昊 顓頊 嚳 尭 舜 禹 湯 |
↑手早くウィキペディアから拾ってきた。数を合致させることと、重複は無視。
知りたいこと↓
■玉ギョク信仰or尊ぶ風習はどの文化から?→良渚文化から顕著になった様子
■「鳥=天の使い(天地を往来する存在)」鳥を尊ぶ文化はどこから?→鳥はもと風の神
史実と、神話の狭間にて
■仰韶-彩陶文化圏の水神の系譜;鯀・禹→この時代の帝の文化圏を調べる 鯀・禹→帝舜(:重華)の命に従い、親子二代で治水事業に当たったということは帝舜の文化圏は大汶口文化に相当していたのだろうか?
■四凶放竄:帝舜は、治水に失敗した鯀を羽山に閉じ込める。失敗ではなく、文化衝突の際の反乱だと思われる。
服属したかを問われる>治水に成功しなければならない→治水は次代のウへ引き継がれる
龍山文化圏にて、黄河上流域から下流域まで一大文化圏となる。伝説との重なりを調べる
memo:許由=羌族の人、王位を継ぐのを畏れ、耳を濯ぎ立ち去った この方にはいくつかの異名があるのでそれを調べる
■苗ミャオ族との関わり。その文化は中原とも関わりがあるのに、支配されない一族。一部は中原に溶け込んだりもするが、あくまで独自性を保ったままである。ときには敵対し、辺境まで追いやられたりもする。
ジョカ系
■三星堆遺跡:三種ある世界樹の伝説をモチーフにした、人の身長の二倍に近い青銅製の神樹や、仮面をかぶった人頭、目が飛び出た縦目人面・人頭面、黄金を使用した絢爛たる祭器が、発掘されている。絢爛豪華な祭器などが略奪されずに集められ、火で焼かれていたようだ。圧倒的な軍事力で制圧(事前に計画、時間をかけずに制圧)され、突然、この文化は終焉を迎えたとみていいだろう。この遺跡に関する文化など調べる。
商代~戦国時代末期まで
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商 BC17C~11C |
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「商」という文字は、「辛」という入墨をいれる取っ手のついた大きな器具を台座にたてかけ、神に祈る祝詞の器である「 ※入墨を入れる=神に仕えるしもべとしての印;神に仕えるために聖化するために文身を加えた ■神に商はかる、これが「商」という字のもともとの意味。これを国の名とし、自らは「商」あるいは「大邑商」と称した。都は、「天邑商」という。 ■もとは夏の一方伯。 |
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| 商 | 王 |
首都:黄河の氾濫により何度も遷都を繰り返した。礼・儀式は「夏」より継承。器は青銅製・玉製。祭祀用獣面(饕餮)文様など刻まれている。3軍編成。武器は青銅製、戦場では貴族は戦車(馬に引かせた馬車)使用。1軍の構成は100人婦人が将となり、軍を率いることも(未調査)。祭政一致の神権政治気象や天文の変化などは、天を司る帝の意思の表れとされ、それらを神と呼んだ。帝の意思を仲介するものとして王が存在する。神が表れると、占いにて天の意思を伺い、邑人に伝える。青銅器の種類と用途盤:中に水を注ぎ、手を清める、
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農具は石で作られた鎌や鍬が発掘されている季節ごとに収穫された果物や穀物で、さまざまな種類の酒を作る。 |
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| 姫 | 周 | 西伯 |
商に服属 |
羌族と社会的交流を持つ。通婚関係にあった。商の帝乙(29代)時に、商の王女が周に嫁いだとある |
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| 姞 | 召 | 西史 |
もとは洛陽近辺に在、商に服属、西史召と言われる。 |
※西史:西方の祭祀官;この地方の祭祀権を商より委託されている |
商と同じく神権国家であり、呪能に長けている。 |
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| 羌 | 羌 | 方 |
羊頭の神を祀り、羊を飼う遊牧民族。商より強力な弾圧を受ける。周とは通婚があり、社会的な交流を持っていた。炎帝に属する集団で、黄帝氏族集団とは異族にあたる |
苗族と苛烈に戦い、長江流域まで追いやったりも。 |
専ら商代における祭祀の、人牲とされていた。髪形は辮髪チベット族の一派?苗族?(未調査) |
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商が周(武王率いる)に牧野の戦いで敗北した(伐殷)のはBC1024年、申子の日の午前。紂王が自らを焚き、商朝が滅亡(克殷)。 儀礼、文化は全てにおいて商が凌駕しており、後をついだ周はそれらを習得し、継承していく。殷というのは商自身が呼んだ名前ではなく、周につけられたもの。 商は遷都を多数行い(黄河の氾濫が主な要因)、その最後の都市が殷墟(現:河南省安陽市より発掘 )であるので克殷のち殷と封じられたとか。王の代にして第19~30代に相当し、現存する最古の都市。最大の青銅器や貨幣として使用されていた貝、甲骨文字の刻まれた甲骨などが出土している。それまでは曲阜(国でいうと魯)に都があった。 |
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商・周代において、王が祭祀を執り行うことは重大な国事であった。周代に入り、商の祭祀は周に継承される。周王は天を祀り、諸侯は地を祀ることになる。そのために諸侯は各地に封じられた。 |
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三監の乱 : 帝辛(紂王)の嫡子の武庚を奉戴し、周公旦之兄(管叔鮮)・弟(蔡叔度)が反旗を翻す。乱を鎮圧するために費やすこと3年。旧商の勢力を削ぐために、(旧商は)東西に分割され、宋・衛としてそれぞれ封される。※鄭人ギルドじゃないけど→商との関連stub |
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| 西周 BC1000頃~BC771 | ||||||||
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| 姫 | 周 | 王 |
首都は宗周(鎬京)、副都として成周(洛邑)。礼器は青銅製獣面(饕餮)文様が刻まれている(前代を継承)周王室を守るため、封国を樹立。大小71あった。爵位とは周代においてその区分は大まかなものであった。 ※周はもと商の西伯である爵位の 大まかな区分;商代においては侯としか表現されなかったのが、周代に入り王権の揺らぎとともに、各国の関係調整のため、ランク分けされていった。侯:一般都市国家
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商王に代わり、天神を祭る(祭祀は商代から継承されている)。←封禅祖先を祭り、子孫繁栄を祈るために礼器は使用された。青銅や玉でできた礼器は貴族社会を構成する重要な持ち物だった。その数や種類がいわば貴族のステータス。井田制を施行:全土を周王の所有と為し、使用権をその民に授けること(譲渡・売買不可であったが後にそれが揺らぐ。)公事を先に、私事より優先せよ、との観念的な制度とも豆:方士:周代では王族の子弟教育の官吏、及び土地訴訟に関する裁判官など官吏の官名であったが、後(戦国時代頃)に神仙の教えを学ぶものをそう呼称するようになった。統一秦時、方士徐福が蓬莱へ不死の薬を探しに派遣。 |
この頃から、瓦を屋根に使用し始める農具は石・木・骨・貝製。建築は 土台に二枚の板を立て、その間に黄土をつき固めて頑丈にする(←繰り返して壁を高くする)版築という方法。版築で壁をつくり、建物をたてる。夏・商代も同じ、始皇帝陵も同じ工法で。細かい粒子の黄土に適している。そのかわり、黄土はちょっとでも水分を含んで乾燥すると、塊になりやすいので畑作業が大変。一般の人々の風習鶏鳴と共に起床、洗顔や口を漱いでから髪を整えます。※男女とも基本は長髪であり、髪を結う当時は三日に一度、米のとぎ汁などで洗髪。 |
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| 姫 | 晋 | 侯爵 |
成王の弟、虞を封じてできた国。 |
黄土高原(海抜1000~2000m、当時は肥沃な牧草地帯)、黄河上流域(呂梁山脈、太行山脈)付近:馬を産する。 |
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| 姞 | 燕 | 伯爵 |
召公奭せき(周元勲)が始め魯近辺に封じられたがのちに北上して匽という地に移封。匽→燕召公奭:成王の補佐であり、周王をのぞいて王朝最高の司祭者となる。首都:薊・薊京 |
克殷時、商の西方に存在していたが、三監の乱の際に商の残存勢力を追いつつ、東方へ氏族ごと移動したと推測される。 |
魚・塩・棗・栗などの産地。 |
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姜姓呂 |
姜斉 | 侯爵 |
周の軍帥であった呂望(尚)を斉に封じできた国首都:臨淄 |
塩・鉄などを生産 |
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| 姫 | 魯 | 侯爵 |
周公旦(周元勲)が曲阜に封じられて魯となる(成王の補佐や、政務などをとるため、しばらくは鎬京に在していたので、実際は息の伯禽が、旧商の6氏を率いて魯へ赴いた。首都:曲阜 |
周公旦、「周礼しゅらい」・「儀礼ぎらい」を著す
魯の国風:周公の薫陶沁みて、周王朝を尊重・景仰する。後に孔子(儒家)や孟子を輩出する。※孟子の春秋五覇=批判である。周王に大逆をなす悪として、春秋五覇を挙げる。 |
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| 姫 | 衛 | 伯爵↓侯爵 |
商西部。三監の乱のち周公旦の弟、康叔封を封じる。首都:朝歌8代頃侯時、爵位が侯爵に昇格(財物を王室に献上) |
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子戴氏 |
宋 | 公爵 |
商東部。微子啓(紂王の異母兄)を封じてできた国。前王朝の王統を継ぐ←侯爵のなかでも特別とされ公爵を付与された。 |
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嬀姓 |
陳 | 侯爵 |
首都:宛丘 |
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姫蔡氏 |
蔡 | 侯爵 |
周祖武王の弟、淑度(文王第5子)を封じてできた国。乱を起こし流罪となる。→三監の乱 |
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| 楚 | ||||||||
| 長江流域に発達した別の文化圏。楚と中原が接触したことから、華夏の歴史にその存在を表すようになる。 | ||||||||
| 荊(楚) | 子爵 |
後に独自に王を名乗る首都:郢 |
蟻鼻銭が流通。周の銅製貝貨の流れを汲む。 |
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| 秦 | ||||||||
| 嬴 | 秦 |
周王に仕えていた非子が功ありて姓と領地を賜った。首都:犬丘 |
漢中:肥えた千里の沃野、田畑に適する |
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| 東周 BC770~BC403 春秋 |
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晋が翼本家と曲沃分家に二分した際に、本家を後援するが、のちに分家を認めたことで、周の権威も落ちることになる(天下の主催者として力が無くなりつつある)。 |
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| 姫 | 晋 | 侯爵 |
晋、二分する 翼宗家と曲沃分家の戦い。12代昭侯(本家)~18代武公(分家)が統一するまで。←陘廷の戦いなど曲沃分家が晋を統一する名君:24代文公(重耳)城濮の戰いで楚を破り覇者となる。名君:30代慎公 晋國最後の名君といわれる(文公の治世を理想とした) |
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| 燕(地方) |
尖首刀(刀貨としては最も早い登場) |
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姜姓呂 |
斉 | 侯爵 |
名君:桓公 覇者となるが…↑管仲、封禅を諌める |
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| 姫 | 鄭 | 伯爵 |
中原のほぼ中心 子産(公孫僑)、法を銘文化する(中国史上初めての成文法) |
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| 姫 | 魯 |
・小作料の徴収開始・地租の徴収開始 |
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| 姫 | 衛 | 公爵 |
11代武公時、(周の東遷原因となった)犬戎討伐の功績により、公爵に昇格 |
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| 子 | 宋 | 公爵 |
名君:襄公 確かに、戦略次第では勝てる戦い(泓水の戰い)を落としてしまったが、かつて王朝を経営した商の末裔である宋の矜持だと思う(無礼に非礼で返さない!)。。。放浪中の重耳を手厚くもてなしたことで、後に宋が包囲されたときに晋(重耳→文公)が救援。これが城濮の戰いである。 |
晋との盟約に固い。 会盟を主催したときに楚に無礼な仕打ちを受けたことにより(各国首脳がきてるのに大臣(子玉)とか派遣した上に宋公を拉致、邑を荒らすなどの暴挙をはたらく)、宋が戦を楚に仕掛ける。→泓水の戰い・宋襄の仁 |
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嬀姓 |
陳 | 侯爵 |
24代湣公時(479BC)、楚の侵攻により滅亡。 |
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| 楚 | ||||||||
| 長江流域に発達した別の文化圏。金属の透かし工芸など芸術に優れる。 | ||||||||
| 荊(楚) | 子爵 |
後に独自に王を名乗る首都:郢 |
荘王、鼎の軽重を問う 訳:周王にかわり俺が天下を経営しようか? |
蟻鼻銭が流通。周の銅製貝貨の流れを汲む。 |
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| 呉 |
楚の南方に存在 |
当時の武器など鋳造に携わる職人は、すでにクロムメッキ技術を把持。呉越の剣は春秋晩期頃には天下に聞こえるようになっていた。髪は短く、体に墨を入れる風習 |
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| 越 | ||||||||
| 秦 | ||||||||
| 嬴 | 秦 |
富国強兵のために、諸外国から賢人を招くことで発展。犬戎を攻略(懐柔、または同化)し、四川盆地にあった、蜀・巴を併呑。徐々に力を蓄える。首都:周遷都の際、犬戎討伐の功あり、鎬京を賜る。独自に天をひそかに祀る。 |
百里奚を招致。 |
漢中:肥えた千里の沃野、田畑に適する |
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| 東周 BC403~BC221 戦国 |
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姫韓氏 |
韓 |
三晋(韓・魏・趙)では首布が主に流通。首布の形とは、農具の鎛(鍬)を表している |
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| 姫 | 魏 |
首都:安邑(夏王朝の首都)
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首布が流通 |
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| 姫 | 趙 |
首都:邯鄲その淵源は趙 、晋の文公の放浪時に随従した陪臣 |
武霊王、胡服騎射を最初に始める。中山国を滅ぼす。 |
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| 姫 | 中山 |
白狄が南下して定住し、國をつくる。※もとは太行山脈の西にある賎虞と呼称された國。 |
黄金を使った独特のエキゾチック&華麗な装飾品、当時作られたお酒が発掘されています。金縷玉衣 なども出土しています。 |
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| 姞 | 燕 |
まず隗より始めよ 昭王、富国強兵のため、人材を求める楽毅、亜卿となる。
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刀幣使用。戦国末期に秦の影響をうけた丸い銅貨を使用。 |
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嬀姓田氏 |
田斉 |
陳國から亡命した公子完(19代厲公之子)が田斉の淵源となった。宋を滅ぼす。 |
王より上位の「帝」を名乗る |
他に燕や中山国では「明」と書かれた「斉明刀」が流通。 |
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| 宋 | B.C.286滅亡 | |||||||
| 楚 | ![]() |
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| 秦 |
巴・蜀(四川盆地あたり?)卮(臙脂べに)、はじかみ、丹砂、銅、鉄、竹、木を産出。他 馬、パンダなども |
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統一秦までの道のり
| 秦、統一を図る。 | ||||||||
| 秦 BC221~206 | ||||||||
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※春秋半ば終わり頃の戦争 鄢陵の戦いでは二日目に入ろうかという←当時では珍しい
姓・氏・名・字と諡号
ざっと説明→■姓:太宗、本宗 ■氏(分かれた氏族) ■名(イミナ:親や家族、仕えている君主など特定の人物より呼称) ■字(通称・誰でも呼ぶことのできる名前 公の名前) ■諡(オクリナ:自分じゃない人が付ける名。主に王侯貴族に)
■姓とは、そのひとの由来を表す。広義にはそのひとの属する血族集団のこと。
上古は、太(始?)祖の出生地や出生の(受胎)原因にその由来をとる。
※族外婚の推奨(同族婚の禁止)。
| 姓 | (三皇のうち神農) | 姜きょう | 姜水に住んでいたことにより |
| (五帝のうち舜) | 姚よう | 姚虚に住んでいたことにより | |
| 夏 | 女似じ | 薏苡よくい(=ハトムギ)を呑んで (女+以) | |
| 商 | 子(好) | 燕の卵(子)を飲んで | |
| 周 | 姫き | 巨人の足跡を踏んで |
※もともとは母系社会であったが、他の氏族、文化の違う社会集団と接触、衝突する過程において男系社会に変化した。夏の時代には既に男系社会であったが、それ以降も母系社会の名残として女偏の付く姓が多く残っている(↓の表参照)。
| 30万年前 | 約1万年前 | 0.5万年前 | 0.2万年前 |
| 旧石器時代中期~晩期 | 新石器時代 | 青銅器時代(含、夏・商・周代) | |
| 母系氏族 | 父系氏族 | ||
※ついでに戦国時代頃が青銅器から鉄器時代への移行期であるといわれ、鉄器時代となるのは漢代から。
■氏とは、同姓のひとが国を与えられ移封されたり、役職についたりすると、その地名や役職名から名をとってつけたり。同じ姓から分かれた支流が氏になる。
君主の孫は公孫という氏で呼ばれることが多い。二代目は臣下に下る定めなのでそのまま、公の孫と素直に。
■名とは、自分を表す秘密の隠された名前で、両親や家族、君主など特定の人しか呼ぶことを許されない。特定の人意外が呼ぶと失礼に。
■字(あざな)とは、成人の証みたいなもの。女子は15歳で簪をつけ字をもらい、男子は20歳で冠をつけ字をもらった。公の名前なので、誰でも呼べる。
生まれた順によって、順番を表す漢字+名前の一字をとることも。
| ↓大まかにいうとこのような感じで | |||
| 長子(一番目の子) | 孟・伯 | 曹操→曹孟徳 | |
| 次子(長子に年が近い) | 仲 | 司馬懿→司馬仲達 | |
| 次次子(長子より年が離れる) | 叔 | ||
| 末っ子 | 李 | ||
■諡(おくりな)とは、たとえば王が崩御のちに、臣下が付ける名前。贈る名前なので「おくりな」と日の本ではいう。治世の良くなかった王様とかには「霊」とか「幽」とかつけたりする。いい王様には「文・武・成・宣」など。諡+爵位で諡号となる。
主な世界観、拠り所となる思想
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暦:十干じっかん(天干)十二支(地支)10と12を組み合わせ、60で一回り。夏代に起源を有する。 |
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玉ぎょく:玉とは至高の存在が地上に現れたものとして「玉」信仰といって過言でないほどの扱いをうけていた。死体を腐らせないと信じられていたので副葬品として墓に一緒に埋葬されたものがよく発掘されている。 後に、金縷玉衣として、君主などの亡骸の全身を、覆うようになった。
璧: 円盤状をしている。 中心がとがったものも発見されている。→圭角 |
陰陽、五行、風水に関する説明や資料置き場
風水:風は気を散じ、水は気を集める。悪い気は散らし、良い気を集めること。
■陰陽
| 陽 | 天 太陽 昼 晴 熱 明 上 左 外 動 男 父 + 肉体 外向的 利益 味方 奇数 後天運 |
| 陰 | 地 月 夜 雨 冷 暗 下 右 内 静 女 母 - 精神 内向的 損失 敵 偶数 先天運 |
■五行
| 五色 | 青 | 赤 | 黄 | 白 | 黒(玄) |
| 五方 | 東 | 南 | 中央 | 西 | 北 |
| 季節 | 春 | 夏 | 土用 | 秋 | 冬 |
| 五行 | 木 | 火 | 土 | 金 | 水 |
| 五常 | 仁 | 礼 | 信 | 智 | 義 |
| 五律 | 牙 | 舌 | 喉 | 歯 | 唇 |
| 五音 | 角 | 徴 | 宮 | 商 | 羽 |
| 五官 | 目 | 舌 | 唇 | 鼻 | 耳 |
| 五味 | 酸 | 苦 | 甘 | 辛 | 塩辛さ |
| 五穀 | 麦 | 黍 | 稗 | 稲 | 豆 |
| 五果 | 李 | 杏 | 棗 | 桃 | 栗 |
| 五臓 | 肝 | 心 | 脾 | 肺 | 腎 |
→五方や五色などと:四神相応 風水へと 東:青龍 南:朱雀 西:白虎 北:玄武。
| 木 | 火 | 土 | 金 | 水 | |
| 陽 | 甲きのえ | 丙ひのえ | 戊つちのえ | 庚かのえ | 壬みずのえ |
| 陰 | 乙きのと | 丁ひのと | 己つちのと | 辛かのと | 癸みずのと |
■十二支
| 子ね | 語源:孕(はらむ) | 意味:子供を孕む事。 | 水 |
| 子は一年でいえば12月22日の陰が最大の時で、陰極まって一陽生ずる時。 地中深くにある「種」が芽を出す為の準備が整った状態をいう。 |
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| 丑うし | 紐(ひも) | 根の事。 | 土 |
| 陽気が少し増え、地中の種は根と芽を出す。(芽はまだ地上には出ない) | |||
| 寅とら | 演(えん) | 演(のび)る。 | 木 |
| 陽がのび始め、地中の種は地上に芽を出し、のび始る。 | |||
| 卯う | 茆(さかん) | 茆に伸びる。 | 木 |
| 陽がさかんに伸び、芽を出した植物はさかんに伸びる。 | |||
| 辰たつ | 震(しん) | 震(ふる)い立つ。 | 土 |
| 陽が震えるように伸びて、植物も震えるように伸びる。 | |||
| 巳み | 記(き) | 記は止まり始まる。 | 火 |
| 記は終始点をあらわし、植物の伸びは止まり、充実期に入る。 人間でいうと、少年少女期が終わり、青年期に入る。 |
|||
| 午うま | 忤(さかん) | 盛り | 火 |
| 午は一年でいえば6月22日の陽が最大の時で、陽極まって一陰生じる時。 植物は充実して花を咲かせ、最高の時を迎える |
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| 未ひつじ | 昧(くらし)or味(み) | 陰が生じる | 土 |
| 万物は収斂凝結(陰の作用)して、植物は結実する | |||
| 申さる | 伸(しん) | 陰気が伸びる。 | 金 |
| 植物は結実を増す。 | |||
| 酉とり | 醸(じょう) | 醸(かも)す。 | 金 |
| 果実は熟成される。 | |||
| 戌いぬ | 滅(めつ) | 滅する。 | 土 |
| 塾した果実は落ち、木々は葉を落し、草は枯れて滅する。 | |||
| 亥い | 核(かく) | 核立。 | 水 |
| 落ちた果実は、地中で種として核立。 | |||
■八卦:乾けん坤こん震しん巽そん坎かん離り艮ごん兌だ ※2進数だと考えてみるとわかりやすいです
太極![]() |
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| 陰 |
陽 |
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| 老陰 |
少陰 |
少陽 |
老陽 |
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| 坤 |
艮 |
坎 |
巽 |
震 |
離 |
兌 |
乾 |
8(上卦)×8(下卦)で64卦となる ※戦国末期頃、易として発達します
| 八卦 | 五行 | 方位 | 自然 | 意味 | |
| 乾 | 金 | 西北いぬい | 天 | 男性的原理、顕在意識(理性)、円満、健全 | |
| 坤 | 土 | 西南ひつじさる | 地 | 女性、母、潜在意識、柔軟、卑しいもの | |
| 震 | 木 | 東 | 雷 | 強く奮起するもの、力強い行動力、奮動、周囲をふるわす様子 | |
| 巽 | 木 | 東南たつみ | 風 | 温和、浸透、軽快さ、したたかさ、動揺するもの、従う | |
| 坎 | 水 | 北 | 水 | 底の知れないもの、苦難、危険、陥険、驚くこと | |
| 離 | 火 | 南 | 火 | まとわりつくもの、勢いの激しいもの、転々とするもの | |
| 艮 | 土 | 北東うしとら | 山 | 動かずに安定したもの、高いところ、実り、高尚なもの、留まる | |
| 兌 | 金 | 西 | 沢 | 喜ばしいもの、悦 | |
■八方位の五行
| 南東 木 | 南 火 | 南西 土 |
| 東 木 | 西 金 | |
| 北東 土 | 北 水 | 北西 金 |
| 木 | 朱雀 火 | 土 | ||
| 青龍 | 土 | 白虎 | ||
| 土 | 水 玄武 | 金 |
■八遊星
| 生気 | 最大吉 | 木 |
| 天医 | 大吉 | 土 |
| 延年 | 中吉 | 金 |
| 伏位 | 小吉 | 木 |
| 禍害 | 小凶 | 土 |
| 六殺 | 中凶 | 水 |
| 五鬼 | 大凶 | 火 |
| 絶命 | 最大凶 | 金 |
■おまけ:化殺
兌
の化殺をすると
| 木 | 朱雀 火 | 土 | ||||
| 南東 | 南 | 南西 | ||||
| 六殺 | 五鬼 | 天医 | ||||
| 青龍 | 東 | 絶命 | 兌 | 伏位 | 西 | 白虎 |
| 延年 | 禍害 | 生気 | ||||
| 北東 | 北 | 北西 | ||||
| 土 | 水 玄武 | 金 |
| 遊 | 行 | 化 | ||
| 生気 | 木 | 金 | 木 | 北西 |
| 天医 | 土 | 土 | 土 | 南西 |
| 延年 | 金 | 土 | 金 | 北東 |
| 伏位 | 木 | 金 | 木 | 西 |
| 禍害 | 土 | 水 | 土 | 北 |
| 六殺 | 水 | 木 | 金 | 南東 |
| 五鬼 | 火 | 火 | 水? | 南 |
| 絶命 | 金 | 木 | 金 | 東 |
個人的な推論 :さして重要ではないよ。こじつけみたいなもの。机上の空理空論まとめ
商
神権政治・刑罰国家に夏の礼学・儀礼を加えさらに強力な都市国家となる。
巴蜀 四川盆地にある、中原の影響を受けつつも独自の文化をもった古代王国。西王母の国とみなす。鳥の名を冠した女王による統治。良渚文化の中心を移殖したかのような神権政治を行う。
●私見●
周の前身の邦(夏)と良渚文化の主は同盟関係にあり、武を持って夏(仮)は良渚を守護し、良渚は神聖性でもって戦闘の際、夏を守護した。その守護は媚をもってなされた。
良渚は女王の邦であり、多数の聖職者が存在し、階級が分かれている。顔などに文身を施しているが、呪能によりその文身は場所・模様が変えてある。
商が夏を圧し制服した際に、呪能に携わる聖職者を丸ごと吸収。商王に仕えるようになる。しかし聖職に携わり、王を守るためその職務は管理されることになる。身体を移動することは制限され、行動の自由は無い。ここに神の徒隷たる束縛された存在が誕生する。
良渚の主は新天地を求め四川盆地にて居を定める。商代のち周代に入り、かつての交誼をもって使いが往来する。
…と上記の様に思いたかったorzのだが、三星堆遺跡と商に交流があったことを知ったので、推論はここに破られた訳でございます。青銅器の文化とか技術とか考えておれば自明の理であったことなのにorz
でも商と良渚の関連はまだ調べて参ります。文化がほぼ変異せず、むしろ発展していく形で良渚の神聖文化が商に流入していることが私にとって非常な関心であり、興味を誘うのです。
テンプレ置き場 つ))跳び箱として 白箱→
MAP:戦国用→
新石器代→
るーる:コメント欄に 情報のっけて推敲おわったら記事にまとめてみるかも(限りなく気が向いたら)
この場合、コメント欄はもう雑記として使う。時系列無視。とりま情報が新鮮なうち(頭にあるうち)にのっけてしまいましょう。
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