クリスティアーノ・ロナウド(Cristiano Ronaldo dos Santos Aveiro、1985年2月5日 - )とはポルトガルのサッカー選手である。
サウジアラビア・プロフェッショナルリーグのアル・ナスルFC所属。サッカーポルトガル代表。
ポジションはFWまたはMF。187cm83kg。愛称はクリロナ、CR7、ロニー。利き足は右足。
概要
大西洋に位置するポルトガル領マデイラ諸島の最大の都市フンシャル出身。8分の1はカーポ・ヴェルデ人の血を引いている。ロナウドという名前は父親が大ファンだった俳優のロナルド・レーガン元アメリカ大統領にちなんでいる。
リオネル・メッシと並んで世界最高のフットボールプレイヤーと称されるスーパースター。マンチェスター・ユナイテッドとレアル・マドリードの2つのクラブで5度のUEFAチャンピオンズリーグ(CL)優勝経験があり、これまで所属した4つのクラブ全てでタイトルを獲得しており、イングランド・スペイン・イタリアの三大リーグで得点王を獲得している。個人としても、メッシに次ぐ史上2位となる5度のバロンドールを受賞。CLの得点王にも7度輝き、甘いマスクと肉体美から女性のファンも多い。
主に左ウイングや左サイドハーフでの起用が多いが、右ウイング、右サイドハーフ、1トップのセンターフォワードや2トップの一角でプレーすることもあり、どこで起用されても圧倒的なゴールマシーンであることに変わりはない。私生活が非常にストイックであることで知られ、徹底した自己管理によって30代後半になってもなお圧倒的な得点力を維持している。
ポルトガル代表としては、歴代最多試合出場、最多得点記録の保持者であり、代表得点世界最多記録の保持者である。2016年のEURO2016では、決勝で負傷を負いながらも主将としてチームを初優勝に導くと同時にポルトガルに初のビッグタイトルをもたらした。FIFAワールドカップには、2006年から5大会連続で出場しており、初出場となった2006 FIFAワールドカップではベスト4まで進んでいる。また史上初となるワールドカップでの5大会連続ゴールを達成している。
2022年12月にはサウジアラビアのアル・ナスルに280億円という巨額の年俸を得たことで話題となる。30代後半になってもあくなき向上心と貪欲さは失われず、イングランド・スペイン・イタリア・サウジアラビアの4か国のリーグで得点王となる。2024年9月にはキャリア通算900ゴールを達成。
日本のメディア媒体によっては「ロナルド」と表記されることもある。
経歴
生い立ち
公務員である父親と調理師の母親の三男二女の末っ子として生まれる。父ディニスはポルトガルの植民地戦争に参加した後遺症からアルコール依存症に当時悩まされており、母マリアはロナウドを妊娠した際に人工中絶を考えるほど悩んでいた。
6歳の頃から父親が管理を手伝っていたFCアンドリーニャというチームでサッカーを始め、サッカーを始めた当初はセンターバックだったが、徐々にポジションが前線へと移っていった。少年時代から才能に恵まれていたが、チームが負けると悔し泣きをしていたため「泣き虫」というあだ名をつけられていた。当時の憧れの選手としてルイス・フィーゴ、マヌエル・ルイ・コスタ、フェルナンド・コートの名前を挙げている。
1995年から地元のクラブのCDナシオナルのユースに所属した後、1997年に母親と共にリスボンへ移住し、スポルティングCPの下部組織に入団。ちなみに本人はSLベンフィカのファンだったが、スポルティングファンの母親に説得されての入団となった。
スポルティングCP
スポルティングに入団後は、驚くべき急成長を見せていき、2001年から2002年にかけてわずか1年でU-16からトップチームまでの階段をかけ昇ってしまう。
ついには、17歳でプロ選手としてプリメイラ・リーガにデビュー。2002年10月17日のモレイレンセ戦で初スタメンを飾ると、この試合でクラブ史上最年少ゴールを含む2ゴールを奪ってみせる。この金の卵の存在を各国のビッグクラブが見逃すはずもなく、獲得のために動いていた。
マンチェスター・ユナイテッド
2003年8月10日イングランド・プレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドに移籍。移籍金は当時の10代の選手に支払われた額としては史上最高額となる1124万ポンドだった。さらに、元北アイルランド代表MFジョージ・ベスト、元フランス代表FWエリック・カントナ、元イングランド代表MFデイヴィッド・ベッカムから継承されてきた特別な番号である背番号「7」をサー・アレックス・ファーガソン監督から直々に指名される。当時アシスタントコーチを務めていたカルロス・ケイロスが同じポルトガル人ということもあり、早くからロナウドの獲得をファーガソンに進言していた。そして、スポルディングとの親善試合でロナウドのプレーを実際に目にしたファーガソンが才能に惚れ込み、当時所属していた選手たちの意見も聞いたうえですぐさま獲得に動いたという経緯があった。
2003-04シーズン開幕戦のボルトン戦で早速ベンチ入りし、途中出場でプレミアリーグデビューを果たす。1年目から出場機会を与えられたロナウドだったが、ファーガソンはスタメン出場と途中出場を繰り返すような起用法をし、うまく振り分けることで成長を促そうとしていた。ファーガソンの期待に応えて、シーズンごとにゴール数は増えていき、徐々に左サイドハーフのポジションを手中に収めていく。
2シーズン目となった2004-05シーズンでは出場機会がさらに増え、ウェイン・ルーニーやルート・ファン・ニステルローイといったエース級と比べると下だったものの、それでも公式戦50試合で起用され、9ゴール9アシストという成績を残している。
2005-06シーズンになると、ウインガーとしてだけでなく現在のようにゴール前に顔を出す頻度を増やすようになる。2005年10月29日のミドルスブラ戦では、クラブのプレミアリーグ通算1000ゴール目となるメモリアルゴールを記録。
2006-07シーズンは、ワールドカップでのルーニー退場時の行為によってイギリス中からバッシングを浴びる難しい状態で開幕を迎えるが、強靭なメンタリティで逆境を跳ね除け、リーグ戦17得点14アシストという結果を残し、およそ30年ぶりとなるPFA年間最優秀選手とFWA年間最優秀選手のダブル受賞を果たす。さらに、自身のキャリア初となるビッグタイトルであるプレミアリーグ優勝も果たし、いよいよスーパースターの仲間入りを果たしたシーズンとなった。
2007-08シーズンに怪物が覚醒する。ウェイン・ルーニー、カルロス・テベスと共に攻撃陣を形成すると、開幕から驚異的なペースでゴールを量産。最終的にリーグ戦で31得点(リーグ最多得点タイ)をマークし、得点王に輝くと共にPFA&FWA年間最優秀選手を2年連続でダブル受賞。さらに、CLでもその勢いはとどまらず、決勝のチェルシー戦でも先制ゴールを決めるなどユナイテッドの9シーズンぶり3回目のビッグイヤー獲得の立役者となる。EFLカップ優勝も含めた3冠をもたらした功績が認められ、この年初のバロンドールに選ばれ、23歳にして世界の頂点に立つ。
2008年夏にレアル・マドリードが正式なオファーを出さないまま獲得を発表したことでユナイテッド側が猛反発。法的手段も辞さない騒動となるが、マドリー移籍に心が揺れていたロナウドが、ファーガソンとの話し合いの末に残留を決意したことで一旦騒動は収まる。そんな騒動の影響もあってか、2008-09シーズンは前年の怪物じみた活躍と比べると物足りないシーズンとなるが、それでもリーグ戦18ゴールを記録。2009年夏ユナイテッドがマドリーとの交渉を認めたことで、リーグ戦3連覇を置き土産にチームを離れることになる。
レアル・マドリード
2009年6月11日に当時の史上最高額の移籍金8000万ポンド(およそ130億円)で子供の頃からの憧れであるスペイン・ラ・リーガのレアル・マドリードに移籍。1年目の背番号は「9」。当時黄金期を迎えていたFCバルセロナ打倒の切り札として大きく期待され、サンチャゴ・ベルナベウでの入団発表には10万人ものファンが訪れる大盛況となった。1年目となった2009-10シーズンは、怪我で出遅れたものの最終的にはリーグ3位となる26得点を記録。
2010年夏にチームの象徴だったラウール・ゴンザレスが退団したことにより、2010-11シーズンからは、ユナイテッド時代から愛着のあった背番号「7」を譲り受けることになる。マヌエル・ペジェグリーニ監督が率いた初年度は主に2トップの一角でプレーしていたが、この年にジョゼ・モウリーニョ監督が就任してからは左サイドハーフまたはウイングのポジションが主戦場となる。すると、ロナウドは前年を上回るハイペースでゴールを量産。モウリーニョの挑発的な言動もあってバルセロナとのライバル関係が激しくなり、同時にメッシとの異次元のピチーチ争いにも注目が集まった。最終的にシーズン6回のハットトリックを含む40ゴールを挙げて初のピチーチを獲得し、リーガ歴代1シーズン最多ゴール記録保持者となる。
2011年9月14日、CLのディナモ・ザグレブ戦での観客の執拗なブーイングに対して、試合後に「自分が男前で金持ちで、偉大な選手だからだろう。皆が僕に嫉妬している。それ以外説明のしようがない」と、金子達仁もびっくりのどこかで聞いた事があるようなセリフを吐き捨てた。2011-12シーズンも化け物じみた得点力を遺憾なく発揮。3月24日のレアル・ソシエダ戦では、史上最速となる98試合目の出場にしてリーガ通算100得点を達成。このシーズンは、対戦した全てのクラブからゴールを奪うという偉業を成し遂げ、前年を上回る46得点を記録。マドリーの勝ち点100でのリーガ優勝に大きく貢献する。
2012年9月2日のグラナダ戦では、2ゴールを決めてチームの勝利に貢献するも、ゴールを決めた直後に祝福をせず、試合後「悲しみを感じている」という意味深な発言をし、様々な憶測を呼んでいる。この背景には、自身を商品として見ているフローリアン・ペレス会長との確執があるという見方が多い。それでも、ロナウドは相変わらずのパフォーマンスを続け、2012-13シーズンのCLではチームはベスト4で敗れたにものの、12得点で得点王に輝いている。2013年はクラブと代表の公式戦で69得点を挙げ、自身2度目のバロンドールを受賞。受賞のスピーチでは歓喜の涙を流している。
2013-14シーズンは、イタリアの名将カルロ・アンチェロッティ監督が就任し、ガレス・ベイル、カリム・ベンゼマとのBBCトリオを結成。リーガでは31得点を挙げて2度目のピチーチを獲得。CLでは、グループリーグだけで9得点を量産する新記録を樹立すれば、決勝トーナメントでもゴールを量産。17得点を記録して大会得点記録を更新し、マドリーの史上初となる「ラ・デシマ」(CL通算10度目の優勝)に貢献。2年連続でバロンドールを受賞。翌シーズンはチームは無冠に終わったものの、自身はリーガで48得点というキャリアハイのゴール数を稼ぎ、2年連続でピチーチとCL得点王をダブルで獲得する。
2015年9月12日エスパニョール戦で5得点という荒稼ぎをし、リーガでの通算得点数を231得点まで伸ばし、ラウール・ゴンザレスの持っていたクラブ記録を更新する。2015-16シーズン途中にクラブのレジェンドであるジネディーヌ・ジダンが監督に就任し、ジダンの指導によってより9番に近いスタイルへと変貌していくが、得点力に衰えは無く、リーガでは史上初となる6年連続30得点を記録。CLでもグループステージで11得点を記録し、自身の持つグループステージ最多得点記録を更新。準々決勝2nd legヴォルフスブルク戦では史上初となる1大会3度目のハットトリックを達成。チームを2シーズンぶり11度目のCL優勝へ導き、自身3度目となるバロンドールを受賞。
2016ー17シーズンは、負傷の影響もあって例年と比べて出場試合数と得点数は減るが、それでも得点率の高さに陰りはなかった。2016年12月には開催されたFIFAクラブワールドカップ出場のために来日。鹿島アントラーズと対戦した決勝ではハットトリックを達成し、ゴールデンボール賞を受賞。2017年4月12日CL準々決勝バイエルン・ミュンヘン戦では、2nd legでハットトリックを記録し、CL通算得点数を100に乗せる。さらに、ユヴェントスとの対戦となったCL決勝では、キャリア通算600得点目を含む2得点の活躍を見せ、マドリーのCL連覇に貢献。このシーズンのリーガ優勝と合わせて2冠を達成。そして、この年メッシと並ぶ史上最多タイとなる4度目のバロンドロールを2年連続で受賞する。
2017-18シーズンは、開幕前のスーペルコパ・デ・エスパーニャでの退場処分によってリーグ戦4試合の出場停止処分を受け、出遅れる。そのためリーガではスロースタートとなったが、CLではいつも通りゴールを量産。前年度の決勝と合わせて10試合連続ゴールを記録する。ユヴェントスとの準々決勝1st legでは、自身が「これまでのキャリアでもっとも美しい」と称賛するオーバーヘッドキックによるシュートを決める。このゴラッソには、世界各国のメディアが称賛しただけでなく、対戦したユーヴェのサポーターまでもがスタンディング・オベレーションで称えた。この年のCLでは、15得点を挙げ、自身7度目のCL得点王を獲得し、史上初のCL3連覇という偉業を成し遂げる。決勝戦の終了後、かねてから噂にあがっていたマドリーからの退団を表明する。
前人未到の3連覇を含む4度のCL優勝、公式戦通算450得点という偉業をもたらしたマドリーを離れた真相は、「自分をビジネスための存在としか見ていない」ペレス会長との長年に渡る確執が原因であると後にインタビューで語っている。
ユヴェントス
2018年7月10日イタリア・セリエAの王者ユヴェントスへの移籍が発表される。移籍金はセリエA史上最高額となる1億ユーロで、33歳の選手としては破格の金額となった。ユーヴェを選んだ理由としては、CLでゴールを決めたにもかかわらず拍手をしてくれ、自分を必要としてくれたことを挙げている。背番号はトレードマークである「7」であり、これまで7番を付けていたフアン・クアドラードも快く番号を譲っている。ロナウドがユーヴェにもたらす経済効果は、移籍金の3~4倍が見込めるとも言われている。
大きな期待を集めてのセリエA挑戦となったが、守備大国であるイタリアにおいてもその得点力に変わりはなく、11月24日のSPAL戦で早くも二桁ゴール数を記録。2019年3月12日のCL準々決勝アトレティコ・マドリード戦では、1st legで0-2とビハインドを許し、3点以上が必要とされた2nd legでハットトリックの活躍を見せ、大逆転での準決勝進出を演出。リーグ戦でも21得点を挙げ、ユーヴェの8連覇に貢献。自身にとって3つのリーグで優勝を経験したこととなる。
2019-20シーズンは、怪我の影響もあってコンディションが整わず、シーズン序盤は調子が上がらずにいた。だが、2020年1月6日のカリアリ戦でハットトリックを達成し、徐々にギアが上がっていくと、2月22日のエラス・ヴェローナ戦までで11試合連続ゴールを達成し、ガブリエル・バティストゥータの持つセリエA最多連続試合得点記録に並ぶ。新型コロナウィルスの感染拡大によりリーグ戦が3か月間中断されて再開された後も、圧倒的な決定力でチームを牽引。7月20日の第34節ラツィオ戦で2ゴールを決め、プレミアリーグ、ラ・リーグ、セリエAの3つの各リーグで通算50ゴール以上を決めた史上初の選手となる。けっしてチームの完成度が高いわけではなかったが、ロナウドの決定力で勝ち点を拾う試合が少なくないシーズンとなった。最終的に33試合に出場して前年を大きく上回る31ゴールを記録し、ユヴェントスのセリエA・9連覇をもたらした。CLでは、8月7日に開催されたラウンド16・2nd legで2ゴールを決めるも、アウェイゴールの差でオリンピック・リヨンに敗れる。
2020-21シーズンも変わらぬ得点力を発揮し、新型コロナウィルスからの復帰戦となった11月1日のセリエA第6節スペツィア戦で2ゴールの活躍を見せる。2021年1月3日のセリエA第15節ウディネーゼ戦では2ゴール1アシストの活躍で勝利に貢献し、キャリア通算得点が758に到達。サッカーの王様ペレを抜いて歴代2位に浮上している。セリエAでは例年通りゴールを量産し続ける一方、CLではラウンド16のFCポルト戦で2試合とも不発に終わり、2年連続でのラウンド16敗退の戦犯として吊し上げられ、厳しい批判を浴びる。だが、その直後のセリエA第27節カリアリ戦でハットトリックの活躍を見せ、あらためて逆境での強さと自身の存在価値を見せつける。5月12日の第36節サッスオーロ戦でユヴェントスでの100ゴール目を決め、これでイングランド、スペイン、イタリアの3か国で100ゴール以上を記録した史上初の選手となる。リーグでは29得点を記録し、セリエAでも得点王のタイトルを獲得する。
しかし、チームが9連覇を逃したことでメディアからの風当たりはますます強まり、フェラーリの見学のために練習を休んだ特別扱いを受けたことで批判を受ける。チームメイトとの関係の悪化も取り沙汰され、本人も移籍を希望するようになり、ユヴェントス側も契約が残り1年となったこともあり、高額なロナウドの年俸をカットするために放出を考えるようになる。
マンチェスター・ユナイテッド復帰
2021年8月になりマンチェスター・シティへの移籍が秒読み段階と見られていたが、8月28日に急転直下で古巣であるイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドFCに12年ぶりに復帰することが発表される。この復帰劇の裏側には、恩師であるファーガソンの説得があったとされている。8月31日に正式に契約が結ばれ、契約期間は2年で1年の延長オプションが付いている。背番号「7」はすでにエディソン・カバーニが使用していたが、カバーニが代表と同じ「21」に変更したことで慣れした親しんだ「7」を付けることとなった。
9月11日、プレミアリーグ第4節ニューカッスル戦でスタメンに名を連ね、12年ぶりにプレミアリーグのピッチに立つと、この試合で2ゴールを決める大活躍を見せ、最高の再デビューを飾る。9月29日のCLグループステージ第2節ビジャレアル戦では、CL通算178試合目の出場を果たし、イケル・カシージャスを抜いてCL出場試合数歴代トップに立つ。この試合では試合終了直前に劇的な逆転ゴールを決め、チームを勝利に導き、ユニフォームを脱いで自慢の筋肉美を惜しげもなく披露している。11月2日のCLグループステージ第4節アタランタ戦でも試合終了直前にチームを敗戦から救う同点ゴールを決め、千両役者ぶりを発揮。しかし、シーズン途中に監督に就任したラルフ・ラングニックのスタイルにマッチせず、2022年に入ると公式戦10試合で1得点のみと不調に陥る。メディアからは調子のあがらないチームの戦犯として批判され、亜若手との確執や37歳となったことで限界説も取りざたされる。そんな中、3月12日のプレミアリーグ第29節トッテナム戦ではハットトリックの大活躍で勝利に導き、周囲の雑音を黙らせてみせる。さらにこのゴールでキャリアでの通算ゴール数が前人未踏の807ゴールにまで到達。その後もチームは低空飛行が続くが、4月16日の第33節ノリッジ戦では、キャリア通算60回目のハットトリックを記録。多くの問題を抱えたチームの中で18ゴールと奮闘したが、チームは5位に終わりCL出場権を逃すこととなった。
チームがCL出場権を逃したことで、CLへ出場するチームへの移籍を希望し退団を望んでいると報道され、プレシーズンのチームへの合流が遅れたこともあって移籍騒動はさらに過熱するようになる。しかし、高額の年俸と37歳という年齢がネックとなり希望するような強豪チームと契約することはできず、結局はマンチェスター・ユナイテッドに残留することになり、CL出場への道は絶たれることに。
2022-23シーズンでは、移籍騒動の影響と守備貢献の低さから控えに回されることになり、開幕から出場機会が激減する。10月9日のプレミアリーグ第10節エヴァートン戦で前半29分から出場すると、シーズン初ゴールとなる決勝ゴールを決めている。しかし、控えとなった10月19日のトッテナム戦では出場を拒否したうえに試合終了を待たずに無断で帰ってしまい物議を醸す。極め付けには11月に出演したテレビ番組でエリック・テン・ハグ監督やチームを公に批判。もはやクラブとの関係は修復不能なものとなり、11月22日にマンチェスター・ユナイテッドとの契約を双方合意のうえで解除することとなる。
アル・ナスル
2022年12月30日、サウジアラビア・サウジ・プロフェッショナルリーグ(SPL)のアル・ナスルFCへの移籍が発表される。契約は2年間で総額年俸は約280億円とされている。背番号は「7」。2023年2月3日のリーグ戦第15節アル・ファテ戦の試合終了間際にPKを決め、公式戦3試合目で移籍後初ゴールを記録する。すると、2月9日の第16節アル・ワフダ戦で自身のキャリアで11回目となる1試合4ゴールの大爆発を見せる。さらには2月26日の第18節ダマク戦でもハットトリックを達成。最終的に15試合14ゴールという成績を残し、期待通りの活躍を見せる。
2年目となった2023-24シーズンも引き続きキャプテンとしてチームを牽引。2023年8月25日の第3節アル・ファトフ戦では自身のキャリア通算62回目となるハットトリックを達成。前半にはサディオ・マネのゴールをアシストするなど4ゴールに絡む大活躍を見せている。9月29日の第6節アル・タエー戦では開幕7試合で早くも二桁得点に到達する。また、初出場となったAFCチャンピオンズリーグのグループステージでは5試合で3ゴール2アシストと結果を残す。12月26日の第17節アル・イテハド戦ではレアル・マドリード時代の相棒であるベンゼマとの再会マッチが実現。2ゴールを記録し、アル・ナスルを勝利に導く。ACLでも9試合6ゴールという成績を叩き出すが、準々決勝でアル・アインにPK戦の末に敗れ、アジア王者には届かず、悔しさを露わにした。2024年3月31日、第25節アル・タエー戦でハットトリックを達成すると、嗣く4月2日の第26節アブハー戦では前半だけで2試合連続でのハットトリック、さらに2アシストという驚愕のパフォーマンスを見せる。4月8日、サウジスーパーカップ準決勝のアルヒラル戦では、相手DFへの肘打ちで一発退場になり、その際の主審に対する反抗的なジェスチャーによって2試合の出場停止処分を受ける。それでも5月4日の第30節アルワタブ戦では1点目を右足、2点目を頭、3点目を左足による"パーフェクト・ハットトリック"を達成。これによりキャリア通算890得点を達成。5月27日、リーグ最終節アル・イテハド戦でも2ゴールを決め、リーグ新記録となるシーズン35ゴールとなる。同時にリーグの得点王にもなり、これによって異なる4つのリーグで得点王を獲得するという偉業を成し遂げる。
ポルトガル代表
ポルトガル代表としてデビューしたのは2003年8月20日のカザフスタン戦。ユナイテッド移籍が決定した直後のタイミングでルイス・フィーゴとの交代でピッチに入り、18歳で初出場を果たしている。その後、地元ポルトガルで開催されたUEFA EURO2004にも出場。グループリーグ初戦のギリシャ戦でフィーゴのCKからヘディングシュートを決め、代表初ゴールを奪う。この初戦に敗れたことで若手が多く起用されたチームにおいて存在感を見せ、準決勝のオランダ戦でもゴールを決める。しかし、決勝でまたもギリシャに敗れてチームは準優勝に終わり、自身は大会ベストイレブンに選出されたが、決勝の後悔しさから人目をはばからず大粒の涙を流している。直後に開催されたアテネオリンピックにもU-23代表として出場したが、1勝2敗でグループリーグ敗退に終わっている。
ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップに出場。若手とベテランが混生されたチームの主力として注目を集める中、準々決勝のイングランド戦では当時ユナイテッドのチームメイトだったルーニーを退場に追い込んだうえ、ベンチに向かってウイングしたことが問題視され、(主にイングランド)メディアから猛烈なバッシングを浴びる。この騒動は大会後も続き、一時はユナイテッドからの移籍を仄めかす発言までし、ファーガソンが説得することとなった。チームは40年ぶりとなるベスト4進出を果たしたが、イングランド戦での振る舞いが問題視され、ベスト・ヤングプレイヤー賞はルーカス・ポドルスキが受賞する。
ドイツワールドカップ後、フィーゴが代表を引退したため所属チームと同じ背番号「7」を背負うこととなる。2007年2月7日のブラジルとの親善試合で初めてキャプテンマークを巻く。UEFA EURO2008に出場するが、このときは1得点しか挙げることができず、準々決勝でドイツに敗れる。大会後、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督が退任し、カルロス・ケイロスが監督に就任すると23歳の若さで正式なポルトガル代表のキャプテンに任命される。
初めてキャプテンとして挑んだ2010 FIFAワールドカップだが、大会前までおよそ1年以上代表戦でのゴールが無い状態が続いていた。初戦のコートジボワール戦はゴールを奪うことができずスコレスドローに終わる。第2戦では北朝鮮を相手に大量7得点を奪った7点目を試合終了間際に決め、1年4カ月ぶりに代表での得点を記録したことでようやく呪縛から解き放たれる。第3戦目のブラジル戦も0-0に終わったが、グループリーグは突破。自身は3試合連続でMOMに選出されている。しかし、ベスト16のスペイン戦では、マッチアップしたセルヒオ・ラモスに完封されてしまい、チームも0-1で敗れ、不完全燃焼のまま大会から姿を消すこととなった。
3度目の正直でタイトル獲得を目指したUEFA EURO2012では、強豪の揃った死のグループに位置する中、第2戦のデンマーク戦で決定機をことごとく外してしまい、批判を受ける。しかし、グループリーグ突破のかかったオランダ戦では、2得点の活躍を見せグループリーグ突破に貢献。準々決勝のチェコ戦は0-0の膠着状態が続く中、後半34分に決勝ゴールとなるヘディングシュートを決める。準決勝では、先のワールドカップで敗れたスペインとの対戦となるが、またしてもスペインの牙城を崩せずにPK戦の末に敗戦。
ブラジルワールドカップ予選期間中の2012年10月16日北アイルランド戦で代表通算100試合出場を達成。2013年9月6日の北アイルランド戦では、ハットトリックを達成。代表での通算ゴール数を43とし、エウゼビオが持っていたポルトガル代表の最多得点記録を塗り替える。ポルトガルは今予選で2位となり、スウェーデンとのプレーオフに回ることとなる。11月15日と19日の2試合おこなわれたプレーオフでは、2試合で全4得点を挙げる大活躍を見せ、ポルトガルの4大会連続となるワールドカップ出場権獲得をもたらす。
2014 FIFAワールドカップ本大会では、大会前に左膝の故障を抱え不安の中で迎えることとなる。強行出場した初戦のドイツ戦は0-4で大敗。第2戦のアメリカ戦では、試合終了直前にヴァレラの同点ゴールをアシストし、敗色濃厚だったチームを救う。しかし、第3戦のガーナ戦では自らの決勝ゴールで今大会初勝利を挙げたものの、グループ3位が確定し、グループリーグ敗退となる。
2016年6月に開催されたUEFA EURO2016では、グループリーグ第2戦のオーストリア戦で代表通算128試合出場を果たし、フィーゴの持つ最多記録を更新。しかし、この試合ではPKのチャンスで失敗してしまい、2試合連続ドローという苦しいスタートとなる。後が無くなった第3戦のハンガリー戦では、3度リードを許してしまう厳しい試合展開となるが、2ゴール1アシストという大車輪の活躍で引き分けに持ち込む。グループリーグ3戦とも引き分けとなるが、3位で決勝トーナメントへ進出。準決勝のウェールズ戦では、後半5分に先制ゴールを決め、今大会初の90分での勝利をもたらす。地元フランスとの対戦となった決勝では、前半25分に膝の負傷によってピッチを後にするアクシデントに襲われる。だが、ロナウドはベンチに残り、タッチライン際まで出てきてチームに指示を与え、鼓舞し、サポートする。延長戦では、自らが「お前が決めるだろう」と声をかけたエデルが決勝ゴールを決め、ポルトガルが初のビッグタイトル獲得となるEURO初優勝を飾る。自身にとってもようやく手にした悲願の代表でのタイトルとなった。
EURO後のロシアワールドカップ ヨーロッパ予選では、9試合に出場して11得点を記録し、本大会出場に貢献。4度目のワールドカップとなる2018 FIFAワールドカップでは、初戦のスペイン戦で史上最年長でのハットトリックという大暴れを見せると、第2戦のモロッコ戦で決勝点を挙げ、過去と比べて大会序盤から絶好調なスタートを切る。しかし、ベスト16のウルグアイ戦では老獪な守備陣の前に完封されてしまい、チームも敗れて大会から姿を消すこととなる。この試合で脚を負傷したエディソン・カバーニに肩を貸した姿がスポーツマンシップとして称えられ、話題となる。
ロシアワールドカップ後、代表での活動を休止していたが、2019年3月に9カ月ぶりに代表に復帰。ちなみに、永遠のライバルであるメッシもワールドカップ後これと同じ行動をしている。6月5日のUEFAネーションズリーグ準決勝スイス戦では、ハットトリックを決め、9日の決勝オランダ戦にも勝利。自身2つ目となるヨーロッパの公式な代表タイトルを獲得。
2020年9月8日におこなわれたUEFAネーションズリーグ・グループリーグ・スウェーデン戦では、直接FKとミドルシュートで2ゴールを決め、欧州の選手としては初めて代表通算得点数を100ゴールの大台に乗せる。
2021年3月27日に開催されたカタールワールドカップ ヨーロッパ予選のセルビア戦では試合終了間際に放ったシュートが明らかにゴールラインを割っていたにも関わらずノーゴールと判定される。主審への抗議でイエローカードを提示されると、怒りのあまりキャプテンマークを投げ捨て、試合終了のホイッスルを待たずにピッチを去っている。試合後、主審はジャッジがミスであったと認める旨のコメントを出している。
2021年6月には、EURO2020に出場し、大会史上初となる5度目のEURO本大会出場を果たす。グループステージ初戦のハンガリー戦では2ゴールの活躍で勝利に貢献すると共に、EUROでの通算最多得点記録を樹立する。続くドイツ戦でも先制ゴールを挙げ、ワールドカップとEUROの2大会での通算得点数がミロスラフ・クローゼの持っていた19に並ぶ。さらに、第3節のフランス戦でも2ゴールを決め、代表での通算得点数が109ゴールに到達し、元イラン代表のアリ・ダエイが持つ代表得点数の世界記録に並ぶ。だが、ラウンド16のベルギー戦では、ベルギーのタイトなマークの前にゴールを決めることができず、チームも0-1で敗れ、試合後またも悔しさのあまりキャプテンマークを投げ捨てている。通算5得点を記録し、パトリック・シックと共に大会の得点王となる。
2021年9月1日、カタールワールドカップ欧州予選のアイルランド戦で2ゴールを決め、代表通算得点数が111に達し、ダエイの持つ記録を抜いて代表での得点数が歴代単独トップとなり、ギネス世界記録に認定される。
2022年11月にカタールで開催された2022 FIFAワールドカップで5度目の出場を果たすが、直前にマンチェスター・ユナイテッドとの契約を解除したため、所属チームなしでの出場となった。グループリーグ初戦のガーナ戦でPKを決め、史上初となるワールドカップ5大会連続ゴールを達成する。しかし、パフォーマンス自体はなかなか上がらず、決勝トーナメントに入ってからはスタメンを外れるようになる。準々決勝のモロッコ戦で後半5分から出場し、国際Aマッチ歴代最多タイ記録となる196試合目の出場を果たすが、チームは敗れ、試合終了後涙を流しながらすぐさまピッチを後にする。一夜明け、これが最後のワールドカップとなることを明言する。
ワールドカップ後も引き続き新しいポルトガル代表に招集され、2023年3月23日のEURO2024予選ルクセンブルク戦に出場し、A代表通算197試合出場の男子の代表出場試合数最多を更新。この試合で自らの偉業を祝う2ゴールを決めている。6月20日のEURO2024予選アイスランド戦では、男子サッカーでは史上初となる代表Aマッチ200試合出場の偉業を達成し、ギネス記録に認定。さらにこの試合の決勝ゴールを決め、自ら大記録に花を添えている。10月13日のスロバキア戦で2ゴールを決め勝利をもたらし、ポルトガル代表のEURO2024本大会出場決定に貢献。
2024年6月、ドイツで開催されたEURO2024に39歳で出場。初戦のチェコ戦にスタメンで出場し、UEFA欧州選手権に6回出場した史上初の選手となる。第2戦のトルコ戦ではブルーノ・フェルナンデスのゴールをアシストし、大会最年長アシスト記録を樹立。1トップのレギュラーとしてピッチに立ち続けるが、肝心のゴールがなかなか生まれず、ラウンド16のスロベニア戦の延長前半終了間際にPKのチャンスを得るが、ヤン・オブラクに読まれてストップされてしまう。思わず試合中に涙を流すほどの悔しさを露わにするが、PK戦では1人目のキッカーとして成功。準々決勝のフランス戦でも120分間フル出場するが、結局最後までゴールを決めることができずにチームは敗退。ノーゴールに終わったことで限界説が報じられ、一部メディアからは大会ワーストイレブンに選出される。
2024年9月5日のUEFAネーションズリーグ クロアチア戦において前半34分にゴールを決め、キャリア通算900ゴールの偉業を成し遂げる。
プレースタイル
スピードに乗ったドリブル、パンチの効いたシュート力とゴール前での決定力は世界最高峰。脅威の跳躍力から繰り出される打点の高いヘディングも持ち味(とある試合でヘディングゴールを決めたときの跳躍が3メートル近かったことはあまりにも有名)。高速シザースフェイントからの突破やミドルシュートも得意としている。好調時はゴールから遠く離れた位置からでも容赦なく決めてしまうため、GKにとっては理不尽というしかない。
美しいまでに鍛え上げられた肉体は高いフィジカル能力の証。ライン裏に抜け出せばまず追いつかれる事は無く、DFに体をぶつけられながらも強引にシュートまで持っていく事が出来る。無回転シュートを得意としており、彼の放つ不規則且つ超高速のブレ球はGK正面でもキャッチングする事はほぼ不可能。鬼コースに炸裂した場合は棒立ちで見送るしかない。背筋を伸ばしたドリブルが非常に特徴的。この無回転シュートによるFKからの直接ゴールも得意としており、蹴る直前まで仁王立ちする姿を世界中のサッカー少年が真似ている。ただし、FIFAの公式球が変更になった2010年以降、無回転シュートが決まりづらくなってしまい、その影響でFKからのゴール数が減っている。
30歳を過ぎたあたりからスピードがさすがに失われ、ドリブルのキレを失うが、それと共にドリブルで仕掛けて行くスタイルから質の高いオフ・ザ・ボールの動きでDFラインの裏を取り、ゴールを狙う、ストライカー的なスタイルへとシフトチェンジするようになる。フィジカルと決定力は衰えることは無かったため、爆発的な得点力はそのまま維持することができ、30代半ばになってもなお世界最高のスコアラーとして君臨し続けている。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2002-03 | スポルティングCP | プリメイラ・リーガ | 25 | 3 | |
2003ー04 | マンチェスター・ユナイテッド | プレミアリーグ | 29 | 4 | |
2004ー05 | マンチェスター・ユナイテッド | プレミアリーグ | 33 | 5 | |
2005ー06 | マンチェスター・ユナイテッド | プレミアリーグ | 33 | 9 | |
2006ー07 | マンチェスター・ユナイテッド | プレミアリーグ | 34 | 17 | |
2007ー08 | マンチェスター・ユナイテッド | プレミアリーグ | 34 | 31 | |
2008ー09 | マンチェスター・ユナイテッド | プレミアリーグ | 33 | 18 | |
2009-10 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 29 | 26 | |
2010-11 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 34 | 40 | |
2011-12 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 38 | 46 | |
2012-13 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 34 | 34 | |
2013-14 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 30 | 31 | |
2014-15 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 38 | 48 | |
2015-16 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 36 | 35 | |
2016-17 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 29 | 25 | |
2017-18 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 27 | 26 | |
2018-19 | ユヴェントス | セリエA | 31 | 21 | |
2019-20 | ユヴェントス | セリエA | 33 | 31 | |
2020-21 | ユヴェントス | セリエA | 33 | 29 | |
2021-22 | ユヴェントス | セリエA | 1 | 0 | |
マンチェスター・ユナイテッド | プレミアリーグ | 30 | 18 | ||
2022-23 | マンチェスター・ユナイテッド | プレミアリーグ | 10 | 1 | |
アル・ナスル | SPL | 15 | 14 | ||
2023-24 | アル・ナスル | SPL | 31 | 35 | |
2024-25 | アル・ナスル | SPL |
個人タイトル
- バロンドール:5回(2008年、2013年、2014年、2016年、2017年)
※2013年と2014年はFIFAバロンドール。 - FIFA年間最優秀選手賞(2008年)
- ザ・ベスト・FIFAフットボールアウォーズ:2回(2016年、2017年)
- ヨーロッパ・ゴールデンシュー:4回(2007-08, 2010-11, 2013-14, 2014-15)
- FIFAプスカシュ賞(2009年)
- FIFAクラブワールドカップ ゴールデンボール(2016年)
- UEFA欧州最優秀選手賞:3回(2014年、2016年、2017年)
- プレミアリーグ得点王(2007-2008)
- PFA年間最優秀選手賞:2回(2006-07, 2007-08)
- PFA年間最優秀若手選手賞(2006-07)
- FWA年間最優秀選手賞:2回(2006-07, 2007-08)
- PFA年間ベストイレブン:5回(2005-06, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2021-22)
- トロフェオ・アルフレッド・ディ・ステファノ:4回(2011-12, 2012-13, 2013-14, 2015-16)
- ピチーチ賞(ラ・リーガ得点王):3回(2010-11, 2013-14, 2014-15)
- セリエA最優秀サッカー選手賞:2回(2018-19, 2019-20)
- せリエA得点王:1回(2020-21)
- サウジ・プロフェッショナルリーグ得点王:1回(2023-24)
記録
- 世界最多得点
- レアル・マドリード通算最多得点(415得点)
- ラ・リーガ 6シーズン連続30得点
- プレミアリーグ、ラ・リーガ、セリエAの3大リーグでの得点王獲得
- セリエA最多連続試合ゴール(11試合連続)
- UEFAチャンピオンズリーグ 通算最多得点
- UEFAチャンピオンズリーグ 通算最多アシスト
- 国際Aマッチ通算最多得点
- 国際Aマッチ歴代最多出場
- 国際Aマッチ200試合出場(ギネス記録)
人物・エピソード
スポルディングの下部組織に所属していた頃から「練習の虫」として知られ、ストイックに自分を追い込んでトレーニングに打ちこみ、これはスーパスターとなった後も変わりはなく、居残り練習を積極的におこなっている。よく比較対象にされるメッシは天賦の才能によって成功した選手と評されるのに対し、ロナウドは努力を積み重ねて成功した選手と言われている。
端正なルックスの持ち主のため、ゴシップ記事の標的にされることが多く、若い頃は娼婦を招いてのパーティーをおこなったことで騒がれた。2010年ワールドカップ後に息子が誕生したことを明らかにしたが、結婚はしておらず、1人目の子供の母親が誰なのかは明らかにされていない。過去31人もの女性との色恋沙汰が報道されている超プレイボーイであり、独身であるにも関わらず4人の子供を授かっている。
日本を訪れた際、「とんねるずのみなさんのおかげした。」の名物コーナー「食わず嫌い王決定戦」に出演。フジテレビアナウンサーの加藤綾子と対決し敗れ、罰ゲームとしてご自慢の肉体美を披露している。また、本番終了後、収録時に木梨憲武が履いていたスニーカーが気に入ったようで、自分の靴を後から送るという案を出し交換。しかし、実際にロナウド側から靴が渡されたのは一年後再び同番組に出演したときであった。
また、日本の少年が自ら調べたポルトガル語で質問した際、言葉に詰まる様子に記者から笑いが起きると、「なぜ笑うんだい?彼のポルトガル語は上手じゃないか。」と少年をフォローする神対応を見せている。このインタビューから6年後の2021年1月このときの少年は、山梨学院大付属高校のメンバーとして第99回全国高校サッカー選手権に出場し、優勝を果たす。
2020年にはサッカー選手として初めて生涯収入が10億ドルを超えており、現役アスリートとしては、タイガー・ウッズ、フロイド・メイウェザーに次ぐ史上3年目となる。
2021年6月のEURO2020出場時の記者会見において、大会スポンサーであるコカ・コーラのボトルを片付けてしまい、「アグア!(ポルトガル語で水)」と発言し、記者に向かって水の入ったペットボトルを掲げている。自身の肉体管理にストイックなロナウドにとってコーラは天敵ともいえるものであるのだが、この行動の直後にコカ・コーラ社の株が大幅に下落している。
2024年8月21日、自身の公式YouTubeチャンネル「UR·Cristiano」を開設。すると、開設から約1時間半で「金の盾」が贈呈される100万人を軽く突破する史上最速記録を樹立。1日で1800万人に達し、3週間目にはあの世界的アーティストのテイラー・スウィフトらをも上回る6000万人に到達。9月13日にはSNS総フォロワーが10億人突破という驚異的な記録を打ち立てている。
関係者による評価
「彼は私の現役時代よりも優れている。」
「彼はマンチェスター・ユナイテッド史上最高の選手だ。」
コービーとの共演
これはNikeのCM「未来を描き変えろ」の1部のシーンでの夢の共演である。
ピンポーン♪
パスッ
関連動画
関連グッズ
- 最強クリスティアーノ・ロナウド読本(2009年)
- クリスティアーノ・ロナウド ポルトガルが生んだフェノメノ(2009年)
- クリスティアーノ・ロナウド(2009年)
- クリスティアーノ・ロナウドの「心と体をどう磨く?」(2015年)
- Ronaldo/ロナウド (字幕版)(2015年)
- クリスティアーノ・ロナウド 「ザ・パーフェクト」─完璧な創造物─(2017年)
- クリスティアーノ・ロナウド 世界最高の選手(2018年)
- クリスティアーノ・ロナウド 生きる神話、知られざる素顔(2018年)
- ロナウドVSメッシ フェイスオフ(字幕版)(2018年)
関連項目
親記事
子記事
兄弟記事
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