王道を歩み続ける強さ。
威風堂々たる戦いぶりは、常にクラシックの主役だった。
天才が望み焦がれたダービーの栄誉を授けた。
伝統の春の盾を完璧に勝利して見せた。
より高き理想へ、より強き英雄へ、頂点から頂点へ。
君は誇りを持って、王道を歩み続けるがいい。
スペシャルウィークとは、1995年生まれの元競走馬・種牡馬。
名手・武豊に初めて日本ダービーを勝たせた馬として、サンデーサイレンス産駒のエースとして古馬王道路線を駆け抜けた強者として、何故か節目節目でやらかす影のシルバーコレクターとして、日本競馬史上でも珍しい群雄割拠時代・1998年クラシック世代を代表する優駿である。
17戦10勝(うちGI4勝)[10-4-2-1]
主な勝ち鞍
1998年:東京優駿(GI)、弥生賞(GII)、京都新聞杯(GII)
1999年:天皇賞(春)(GI)、天皇賞(秋)(GI)、ジャパンカップ(GI)
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については 「スペシャルウィーク(ウマ娘)」を参照して下さい。 |
概要
99年 天皇賞(秋)
スペシャルウィーク、
逆襲のラン。本当の敵は、諦めだ。
父サンデーサイレンス、母キャンペンガール、母父マルゼンスキーという血統。父は説明不要の大種牡馬、母は未出走ながら日本を代表する名牝系であるシラオキ系に連なる良血。出生してすぐに母は死んでしまい、乳母に育てられたそうである。
見るからにスマートで流星も美しい、いわゆるグッドルッキングホースであり、鞍上の人気も相まって絶大な人気を誇った馬であった。三冠は全て一番人気で迎えている。ちなみに、JRA「20世紀の名馬大投票」では二位に選出されている。
デビュー前から「この馬は走る」と確信していたという武豊を鞍上に、デビュー戦を楽勝。意気揚々と自己条件の白梅賞に進むが、なんと公営名古屋上がりの14番人気アサヒクリークに敗れてしまう。アサヒの鞍上だった弟の武幸四郎は、あとで豊に「きさらぎ賞使えんくなったやないか!」と怒られたとか。次に登録した条件戦は除外されてしまったがきさらぎ賞の抽選には通り、1勝馬なのに1.7倍という人気に応え3馬身半ぶっちぎりの快勝。弥生賞ではキングヘイローとセイウンスカイを撃破し、堂々1番人気で皐月賞に駒を進めた。
しかしその皐月賞は馬場と大外枠に祟られ、逃げたセイウンスカイに届かず3着。迎えたダービー。鞍上の武豊騎手はこの年デビュー12年目。クラシックの中で唯一ダービーだけは勝てていなかった。今では信じ難いが「武はダービーに勝てない運命」なんて言われていたのである。
そのダービーは圧巻だった。直線坂下で並ぶ間もなく抜け出すと差が開く一方。5馬身差での圧勝。誰がどうみても楽勝だったのだが、武豊騎手だけはそう思わなかったらしく、物凄い勢いでゴールまで追い続けており、鞭を落としてしまったほどだった。大丈夫だよユタカさん。もうフサイチコンコルドは飛んでこないよ。ゴール後のガッツポーズも珍しく何度も何度も繰り返している。フジテレビの中継でもゴール時に「夢を掴んだ武豊!」と力強く実況されている。長年競馬会の不思議だった「武豊のダービー未勝利」が消えた瞬間であった。
例年ならこのダービー制覇で世代最強の座に就くのだが、この年はそうはいかなかった。当時の規定でクラシックへの出走権がなかった外国産馬のグラスワンダーとエルコンドルパサーがいたからだ。両馬ともに無敗のままG1制覇を成し遂げており、秋のジャパンカップや有馬記念で決着をつけると見られていた。
休養明けの京都新聞杯はキングヘイローをクビ差封じて勝利するが、菊花賞ではセイウンスカイの世界レコードに屈して2着。クラシック2冠を達成され、内国産馬に限っても最強の座が危ぶまれてしまう。ジャパンカップでは武豊が騎乗停止中だったため岡部幸雄が騎乗する(停止中でなくてもエアグルーヴに先約があった)も直線でよれて3着。勝ったエルコンドルパサーはこのまま欧州に遠征してしまい、以後日本で走ることはなかったため雪辱の機会も無かった。遠征の際の陣営の一言は「国内の馬との勝負付けは済んだ」であった。そのおかげで「スペシャルはエルコンドルよりも弱い」と言われるようになってしまう。後から考えるとこれは取り返しが付かない敗戦なのであった・・・。
有馬記念を回避し、翌年はAJCCから始動。調教の動きが悪く、騎乗を任されたオリビエ・ペリエが「本当にこの馬がダービー馬なのか?」と白井師に聞いたというが本番は楽勝。ペリエも「本当にダービー馬だった」と脱帽したとか。阪神大賞典も当然のように楽勝。
天皇賞(春)では前年の覇者メジロブライトを完封。スペシャルの時代が来たか!と皆が思った矢先、宝塚記念でグラスワンダーに完敗してしまうのである。この時のグラスワンダーは前走の安田記念でまさかの負けを喫しており、体調不良も伝えられ、勢いから言っても順調さから言ってもどう考えてもスペシャルウィーク有利な筈だった(当時グラスワンダーには早熟説もささやかれていた)。そのレースで力負けしたことで、この世代の力関係はエルコンドルパサー>グラスワンダー>スペシャルウィークといった構図になってしまったのである。内国産馬は外国産馬に手も足も出ない、そういった印象を与えてしまったのだ。当時の内国産馬の名誉のために付け加えておくと、エルコンドルパサーとグラスワンダーは前年の毎日王冠でサイレンススズカに完敗しており、それまで続いていた不敗神話をまとめて止められている。この後サイレンススズカは秋の天皇賞で故障・予後不良となったため、こちらもリベンジする機会がなかった。
秋を迎え、スペシャルウィークは圧倒的に支持された京都大賞典で生涯唯一の掲示板を外す7着に沈む。この二連敗で「スペシャルは終わった」と何故かみんな思ったらしい。もしくは「勝ってきた相手が弱かっただけで、実はそんなに強くない」などとテンプレ的に思ってしまったのである。次の秋の天皇賞はなんと4番人気であった。前売りでは2番人気だったそうだが、体重が前走から-16kgというのが発表された途端人気がズルズル落ちたとか。しかしこの時の体重は470kgであり、ダービー勝った時が468kg、春天勝った時が476kgであることを考えれば別におかしいわけではなく、むしろ前走が異常だったとも言える。陣営も「ダービー当時の体重に戻せばあるいは」と調整した、いわば狙った結果だったのだ。
武豊が得意とする府中で、適正距離の2000m戦。内枠(5枠)という好条件が揃ってしかもエルコンドルパサーもグラスワンダーもいないのである(2頭は外国産馬のため当時の天皇賞には出られない)。考えてみれば不安材料なんてなかった、とみんなが納得したのは大外からまとめて切り捨てた挙句にレコード勝ちされた後の事であった。そして白井最強。
そして続くジャパンカップは横綱相撲でモンジュー以下外国招待馬に完勝。やっぱり本当に強かったのである(当たり前だ)。ちなみにモンジューは凱旋門賞でエルコンドルパサーに勝った馬。しかしながらこれで「エルコンドルに勝ったのと同じ!」とは言えないのが競馬の辛いところである。日本の馬場と欧州の馬場は質が全く異なり、向こうで好走する馬がこちらで力を出せない例は往々にして存在する。なおこのレースには昨年度のイギリスダービー馬ハイライズも出走しており(3着)、日英ダービー馬対決でもあった。
スペシャルウィークは年内一杯での引退を宣言しており、続く有馬記念が最後のレースだった。そしてそこにはジャパンカップを回避したグラスワンダーが出走してきていた。この年、エルコンドルパサーは凱旋門賞で2着に入るという快挙を成し遂げており、日本史上に残る名馬の地位を確立して悠々引退してしまっていた。
二度と戦えないエルコンドルパサーは兎も角として、せめてグラスワンダーには雪辱しておかないと世代三番手評価が確定してしまい、ダービー馬の看板がすたる。陣営は並々ならぬ覚悟で有馬記念に望んだ。
レースではグラスワンダーを徹底マーク。レースに負けてもグラスワンダーには負けない、というレース振りに見えた。ところがグラスワンダーは動きが鈍く、この二頭が後方にいたためにスローペースになってしまう。そして4コーナーで捲くって前を捉えたグラスワンダー。それをぴったりマークしてスペシャルウィーク。坂を上ってようやく先頭に出たグラスワンダーを、測ったように差し切るべくスペシャルウィークが強襲したところがゴールだった。
誰がどう見てもスペシャルウィークが差し切ったと思われた。誰あろう、的場、武の両騎手もそう思った。武豊騎手は中山の馬場を一周し、ガッツポーズをしてライバルへの雪辱、引退レースを飾った喜びを表した・・・。
・・・のだったが・・・。
写真判定の結果はなんと4cm差でスペシャルウィークが負けていたのだった。これには一同大ずっこけ。まぁ、武豊騎手の名誉のために言えば、騎手の感触と写真判定の結果が違う事は良くある事であり、見た感じ勢いから言っても体勢から言ってもスペシャルウィーク有利である事は確かである。実際に決勝線前後はスペシャルウィークがグラスワンダーより勝っており、決勝線通過の一瞬だけグラスワンダーが勝っていたのである。後1mゴールが遠ければ結果は違っていただろう。
勝っていればGI5勝、秋の王道古馬三冠達成で顕彰馬争いにもかなり有利になっただろう(なお、当時はまだ秋古馬三冠の報奨金制度はなかった)。実に惜しい。なおこれでグラスワンダーは春秋グランプリ制覇、昨年の有馬記念も入れればグランプリ3連覇を達成している(宝塚記念は正式にはグランプリという呼称はされないが、有馬記念同様ファン投票で選出されることからグランプリレースとして定着している)。
スペシャルウィークはこの年、GIで3勝二着2回。例年なら年度代表馬に選ばれて当たり前の戦績だったのだが、エルコンドルパサーに奪われ、グラスワンダーと並んでJRA特別賞を受賞した。凱旋門賞2着のインパクトはあまりに凄すぎたのである。実際に2010年にナカヤマフェスタが同じ2着に入るまで他の日本馬の成績は全て2桁着順もしくは失格だったので、どれだけ特筆される実績かどうかは語るまでもない。前年にエルコンドルパサーに勝っておけば・・・。ただ、この時のエルコンドルパサーの選出はかなり物議を醸した。何せこの年日本では一度も走っておらず、欧州で4戦しかしていないのである(内容はとんでもないが)。白井師もこれには「今年勝てなかったグラスワンダーに負けたのならまだわかる(2戦2敗)がエルコンドルパサーはおかしい。今年国内で走っていないのだからエルコンドルパサーこそ特別賞ではないか」と批判している。それが後年でも尾を引いて、二頭で票が割れちゃうせいで、実績は十分なのに二頭とも顕彰馬に選出されないという事態が長く続いた。あれ?グラスワンダーは?
極めて美しい馬で、京都大賞典の7着以外すべて3着以内という安定感のある強い馬。さらに鞍上の武豊騎手にダービーとジャパンカップをプレゼントするなど王道を歩んだアイドル馬である。勝ち鞍を見ても、ダービーに天皇賞春秋連覇、ジャパンカップまで制した馬はそうそういない。特に現在の体系になった天皇賞を同一年に春秋連覇した馬は5頭のみ(2019年時点)で、当時でもタマモクロスに次ぐ2頭目。史上最強世代と謳われた中でこれほどの実績を挙げたスペシャルウィークが名馬という評価を得るのは当然である。だが反面、上記のように大事なところで色々やらかしてくれたせいでなんとなくネタ馬枠に入れたいような面もあり、それがまたファンに強い印象を残してくれた。単に強くて面白みが無い連中とは一味違う、愛すべき名馬であった。
ちなみにこの馬、馬券系のファンには「隠れ万馬券製造馬」なんて言われていた。4勝したG1の内ダービー(ボールドエンペラー)、天皇賞(秋)(ステイゴールド)、ジャパンカップ(インディジェナス)と、実に3回も馬連万馬券が飛び出しているのである(括弧内は2着馬)。どれも自分は人気でヒモに人気薄を連れてくるという、ライトなファンに獲り易いタイプの万馬券であった。この馬のおかげで初めての万馬券を獲ったという、ユタカファンのお姉さんは結構多いらしい。
引退して種牡馬になってからは一流馬を次々と輩出している。
スペシャルウィークの産駒は牝馬が強く、特にブエナビスタとシーザリオは歴史に残る名牝となった。母父としてもエピファネイアやディアドラといった活躍馬が出ている。
一方で牡馬の活躍馬にはあまり恵まれず血を繋げるか不安視されていたが、リーチザクラウンが予想外に好調な滑り出しを見せ社台に栄転、菊花賞をレコード勝ちしたトーホウジャッカルも出てなんとか跡継ぎができた。2022年現在はリーチザクラウン産駒のクラウンプライドがダート戦線でスペシャルウィーク直系の血をつなぐべく奮闘中である。
2017年を以て種牡馬を引退し、生まれ故郷の日高大洋牧場で悠々自適な余生を送っていたが、2018年に放牧中の転倒が元になり死亡した。23歳没。
なお、先述の顕彰馬論争であるが、2014年にエルコンドルパサーがやっとこさ顕彰馬に選出されたが、スペシャルウィークは投票の上位にこそ来るものの未だに顕彰馬には選出されないでいる。ここ数年はロードカナロアと自分の娘のブエナビスタのさらに後ろの3位が定位置となっている。グラスワンダーに至ってはほぼ忘れられている。
ロードカナロアが2018年に顕彰馬へ選出されて抜けたため、当面の壁は自分の娘ということになりそうだが、そうこうしてるうちにキタサンブラックも引退したし、2018年はまだ現役だがオジュウチョウサンの影も迫ってきている。顕彰馬入りのタイムリミット(引退から20年以内に選出されないと投票対象から外されてしまう)が目前となっていた。
2020年のラストチャンスはキタサンブラックが選出され、スペシャルウィークは得票数2位にはなったものの、引退後20年後規定により来年から除外のため、顕彰馬にはなれないことが確定してしまった。
本当グラスに負けたあのグランプリさえ勝ててればなぁ。たらればを言ったらキリはないけども。
血統表
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo 1969 黒鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Cosmah | Cosmic Bomb | |||
Almahmoud | ||||
Wishing Well 1975 鹿毛 |
Understanding | Promised Land | ||
スペシャルウィーク 1995 黒鹿毛 |
Pretty Ways | |||
Mountain Flower | Montparnasse | |||
Edelweiss | ||||
マルゼンスキー 1974 鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer | ||
Flaming Page | ||||
*シル | Buckpasser | |||
キャンペンガール 1987 鹿毛 FNo.3-l |
Quill | |||
レディーシラオキ 1978 鹿毛 |
*セントクレスピン | Aureole | ||
Neocracy | ||||
ミスアシヤガワ | *ヒンドスタン | |||
シラオキ | ||||
競走馬の4代血統表 |
主な産駒
2001年産
2002年産
- インティライミ (牡 母 アンデスレディー 母父 *ノーザンテースト)
- シーザリオ (牝 母 *キロフプリミエール 母父 Sadler's Wells)
- スムースバリトン (牡 母 *ウインドフレスカ 母父 Kris S.)
2003年産
2004年産
2006年産
- ナリタクリスタル (牡 母 プレシャスラバー 母父 *ペンタイア)
- ファイアーフロート (牡 母 *バーニングウッド 母父 *タバスコキャット)
- ブエナビスタ (牝 母 ビワハイジ 母父 Caerleon)
- ブリッツェン (牡 母 レディストロベリー 母父 Caerleon)
- リーチザクラウン (牡 母 クラウンピース 母父 Seattle Slew)
2007年産
- ゴルトブリッツ (牡 母 *レディブロンド 母父 Seeking the Gold)
- ステラリード (牝 母 *ウェルシュステラ 母父 Zafonic)
- タガノエリザベート (牝 母 ストレイキャット 母父 Storm Cat)
2008年産
2010年産
2011年産
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
JRA賞特別賞 | |
優駿賞時代 | 1973 ハイセイコー(大衆賞) | 1978 テンポイント(マスコミ賞) | 1982 モンテプリンス(ドリーム賞) | 1983 アンバーシャダイ |
---|---|
JRA賞時代 | 1989 オグリキャップ | 1993 トウカイテイオー | 1995 ライスシャワー | 1998 サイレンススズカ | 1999 グラスワンダー、スペシャルウィーク | 2001 ステイゴールド | 2004 コスモバルク(特別敢闘賞) | 2007 ウオッカ、メイショウサムソン | 2009 カンパニー | 2016 モーリス | 2020 クロノジェネシス |
競馬テンプレート |
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