神鷹単語

シンヨウ
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神鷹(しんよう)とは、大日本帝国海軍に所属した航空母艦の1隻である。ドイツの商船シャルンホルストを購入して空母改造したもので、4回に渡ってヒ船団の護衛に参加した。しかし敵潜の撃により、1944年11月17日に戦没。短命に終わった。

概要

神鷹はその名の通り、を意味する。他の補名に飛があった。

神鷹は日本生まれではなく、元々は北ドイツロイド汽船の東洋航路貨客船シャルンホルストであった。日本への来訪時に第二次世界大戦が勃発したため本へ戻れず抑留されていたが、太平洋戦争時に日本海軍ミッドウェー海戦によって正規空母を失うと、空母不足を解消するためにドイツとの交渉の上購入。空母へと改造された。南方航路を往来する輸送船団の護衛に充てられたが、1944年11月17日潜水艦スペードフィッシュ撃を受けて沈没した。

搭載機は零戦21機、補用機3機、九六式艦攻6機の計30機。航空機に限れば祥鳳に匹敵するスペックだったが、航続距離に不安があった(18ノットで6900里)。要排水量2万716トン、出2万6000、最大速22ノット、燃料2771トン、全長198.64m、全幅25.6m、飛行甲全長180m、飛行甲全幅24.5m。外の商船を空母化したケースは、神鷹ただ1隻のみである。

艦歴

シャルンホルスト時代

1934年5月3日ブレーメン造船所で起工。12月4日に進し、シャルンホルストと命名。そして1935年4月30日工した。ナチス政権下で初めて誕生した客船だった事から、工式にはヒトラー総統、ゲーリング国家元帥レーダー海軍大将などの要人が列席した。船籍地をブレーメンとし、船は北ドイツロイト社となった。にポツダムグナイゼナウが存在する。姉妹船ともども極東航路に就役。この美しさは「欧州航路の貴婦人」と呼ばれた。

1935年5月3日から処女を開始し、ハンブルクを出発。ブレーメンを経由して横浜を来訪した。その後、ブレーメン横須賀間の極東航路に就き、片約3万キロのりを往来した。しかし風雲急を告げる欧州情勢は、突如としてシャルンホルストの運命を大きく狂わせてしまうのだった。

1939年8月16日神戸港を出発。シンガポール上海を経由し、マニラに向かっていた8月26日ドイツから緊急通信が入る。それは「最寄の中立港に入れ」という示だった。欧州では第二次世界大戦が勃発し、それに伴って本への帰還が不可能になってしまったのだ。このためシャルンホルストは一旦神戸港へ引き返し、9月1日に入港した。ドイツへののりには敵である連合軍が支配する場所が多く、給油もままならないシャルンホルスト神戸港に抑留される事になる。一説によるとイギリスの拿捕を恐れた結果とされる。乗組員は中立条約によって交があったソ連を通じて何とか本へ戻ったが、シャルンホルストはそのまま日本国内に留め置かれた。ちなみにポツダムグナイゼナウドイツ所在し、離れ離れになっていた。

しばらく浮いているだけの日々が続いていたが、1941年12月8日太平洋戦争が勃発。翌年6月5日ミッドウェー海戦で大敗した帝國海軍空母の調達が急務となる。そこで同盟ドイツが建造していた空母グラーフ・ツェッペリンの譲渡してくれるよう懇願したが、艦載機すらグラーフ・ツェッペリン日本まで回航するのはほぼ不可能として拒否される。代わりに神戸港で放置されているシャルンホルストの売却を打診され、大使館を通じてドイツ政府と交渉。戦後額(船価の2倍)を支払うという約束シャルンホルストを購入し、6月12日神戸からへと回航された。

6月30日に第1004号艦として空母への装が決定。7月2日、船海軍省へ移し、買い取り成立。異説として、日開戦に伴って売却され1942年4月の時点で既に空母化が内定していたとするものがある。また戦争勝利後はドイツに返還する約束も付随していたとか。完成時期未定ながら、空母装予定艦に定され、装や装備については在庫のあるものを流用。足りないものは製造という形を取った。

ともあれ1942年9月21日、建造中止で解体された大和4番艦(紀伊)の資材を流用して装開始。大に準じた改造が施されたが、産の商船と違って図面が存在しなかった事から難航。一応、新田客船と設計が酷似していたので、現場で採寸しながら図面を書き直した。格納庫を二段式にする予定だったが、これを泣く泣く中止。工期優先のため、簡略化が底された。客室にあったは、皇室がれる照宮成子内親王に献上されたという。シャルンホルストの船体は意外と大きく、大きさだけなら飛龍に匹敵した。艦内も予想外に広々としていて、関係者を困惑させた。復元が不足していたので、外舷にバルジを装備。多量の液体を入れて喫の増加を図った。

194310月7日試のためを出発。徳山で操試を行った。ところが操試中に管が破裂したり、火災が発生するなどして引き渡し日が何度も延期になっている。その後は試を行い、11月1日の全試では21.97ノットを記録。11月18日終末試を行い、翌19日からは航空兵装と電探の試を実施。ところが缶がまた破裂する事故が発生し、終末試をやり直している。いつになったら全発揮が出来るか見通しが付かないので、194312月完成扱いにした。

大鷹型航空母艦神鷹

1943年

194312月15日装が了し、工。舞鶴鎮守府警備艦に編入された。書類上では大に分類された。艦長には石井芸江大佐が着任し、軍艦神鷹と命名された。神鷹は帝國海軍2隻電気推進艦で、マイヤーを持つ一の日本艦となった。装工事が了したものの、機関の不調が多かったため、とりあえず航空機輸送に限定して任務に就かせる事にした。

12月20日上護衛総隊に編入される。しかしドイツ製の最新式機関ワグナー式ボイラー電気推進系統のターボエレクトリックが足を引っった。この機関は試験的に導入されたもので、技術大ドイツでも故障に手を焼く問題児であった。機関後進国日本にそんなじゃじゃが扱えるはずがく、頻発する故障に頭を悩ませた。このため翌21日にを出港し、因へ回航。いきなり入渠整備を受けている。

故障に悩まされながらも、瀬戸内海で慣熟訓練を行った。

1944年

年が変わって1944年1月8日空母海鷹とともに南西方面へ輸送する航空機を搭載して出港。駆逐艦3隻の護衛を受けて航行していたが、不安視されていた缶が故障し、翌日に佐伯へ帰投する羽に。そのため、性は高いものの使い勝手が悪かったドイツ製ボイラーを大ロ号艦本式2つと換装する工事が行われた。陸上実験用に使われていたロ号缶を突貫工事で積み込み、3月に工事了。5月23日海軍に入渠し整備。出渠後の6月9日弾薬類を搭載。17日に制動索の実験を行った後、爆弾を積載した。6月23日マリアナ沖海戦の戦訓から25mm単装機12門を追加。同26日にを出港し、機関試を実施。翌27日に佐伯湾へ回航された。現地で爆弾と基地物件を積載し、6月29日から7月5日にかけて第931航空隊の97式艦攻14機を使って瀬戸内海西部で発着艦訓練に従事。並行して操艦訓練と試と接艦訓練を行った。7月6日へ戻り、翌日から出撃準備のため諸物資を詰め込んだ。7月9日広島湾にて輸送用の零戦5機と雷電8機を積載。翌10日、対射撃教練を実施し、九七式艦攻12機を収容。出撃準備が整った神鷹は、シンガポール行きの船団が待つ六連に向かった。

7月13日、ヒ69船団とともに六連を出港。他にも大海鷹が船団に加入しており、3隻合わせて零戦95機、雷電10機、月光9機、彗星5機、山5機が積み込まれた。海鷹と大はルソン向けの航空機を満載していたため神鷹だけが対潜用の97式艦攻14機を搭載、船団のと対潜を担った。同16日、対潜を実施。7月20日、敵潜水艦撃されるが、発見がかったため回避に成功。損は第17号海防艦が被小破した程度で済み、7月21日事マニラへ入港した。翌22日、海鷹と大が積み荷を降ろしている横で神鷹も搭載飛行機を揚陸する。7月25日にマニラを出港するが、大台湾方面へ向かうため離脱。海鷹もマモ船団護衛のためマニラに留まり、ヒ69船団を守る空母は神鷹ただ1隻のみとなった。南方域は潜水艦跳梁跋扈する魔の域だったが、敵に遭遇する事7月31日的地シンガポールへ到着。輸送船への被害皆無で護衛任務を遂させた。船団の出港準備が整うまで、現地で日本へ持ち帰るための重油や南方産資を積み込んだ。

8月4日、ヒ70船団を護衛して出港。伴走者は練習巡洋艦香椎駆逐艦霜月海防艦佐渡、千振、第13号及び第19号海防艦であった。危険な域を度胸で渡り、途中のマニラで中破した軽巡北上が合流。護衛を増やして門した。8月14日に有湾に到着し、見事初任務と往復を成功させた。大分湾を経由して軍港に回航され、8月17日に入渠。船体と機関を整備した。その間に機の増備が行われ、出渠。8月31日爆弾の搭載が行われた。9月5日を出港して試運転。佐伯湾を経由し、伊予で訓練を行った。そして9月7日に門へと回航。出発を待つヒ75船団と合流した。

9月8日、ヒ75船団とともに門を出港。海防艦干珠、満珠、三宅駆逐艦卯月夕月とともに船団を護衛する。六連、万里、高雄を経由し、中で州、あきつ丸卯月夕月がマニラへ向かうため分離。敵襲も9月22日シンガポールへ到着。9月25日に燃料の積載と物資の積み下ろしが行われた。停泊中にも九七式艦攻を発進させて周囲の対潜を行ったが、戦果はかった。10月3日にヒ76船団を護衛して出港。ところが、いきなり輸送船1隻が被。護衛として駆逐艦海防艦を付けてマニラへ向かわせた。10月16日に中継地の海南島三亜港を出発したが、台湾沖航空戦が生起した反転し、楡に避難。その後、機動部隊によるマニラ襲もあり同18日まで退避する。船団分割により貨物船3隻を三亜に残し、神鷹らは本土をして出港した。しかし機動部隊は既にフィリピンや南シナにまで侵入しており、10月21日台湾峡南でB-24の触接を受ける。攻撃を避けるべく、翌22日に神鷹はヒ76船団から分離して単独先行。かろうじて虎口から脱出し、10月24日佐伯湾に入港。航空機と隊員を乗せ、翌25日に出発。へと回航された。一日遅れてヒ76船団も事門へ到着した。

10月27日から30日にかけて燃料、食糧、弾薬を補給。訓により軽質油タンクの防御強化が施された。11月1日に三号と四号ポンプを修理。同7日、を出港し、フィリピン方面から戻ってきた隼鷹の援護を実施した。11月9日、神鷹はルソンへ増援を送るヒ81船団の護衛を命じられ、佐伯基地から飛来した14機の九七式艦攻が神鷹に着艦した。続いて万里に回航し、ヒ81船団と合流。南方各地に赴任する便乗者が乗り込み、総勢約1200名が神鷹に乗艦していた。護衛対9000トン級輸送船5隻には、窮地のフィリピンへ送る二個師団が分乗。

11月14日午前7時に六連を出港。三列縦隊となり、速12ノットで航行。玄界から五島列島西方に出た。神鷹は船団の後方につき、九七式艦攻を盛んに発進させて前後左右に対潜を行った。便乗者の手を借り、二人六班体制で見りをしてもらった。対馬を航行中、待ち伏せしていると思われる戦艦の通信が多数傍受されたため、この日は長崎県で仮泊し、危険なの航を避けた。しかしこの時点で既にレイテ沖海戦敗北し、制権の大半は連合軍に奪取されていた。それを明するかのように対馬峡を通過した時に潜水艦に捕捉される。さらに翌15日正午白瀬灯台クイーンフィッシュ撃で陸軍空母あきつ丸が被沈没。神鷹艦内に戦闘配置を告げるラッパが鳴りき、慌しくなる。隊列から離れた海防艦が動き回り、必死に爆を投射していたが効果不明。一度崩れた隊列を整え、日没以降は艦内第二配備となった。厳重な警のもと、ヒ81船団は漆黒をゆく。これを皮切りに悲劇の幕が開いた。

シナは敵潜水艦の巣窟と化している情報が入ったため、船団は針路を変更して済州方面へと向かい、巨文泊地へ避難。神鷹から矢継ぎに九七式艦攻が発進し、磁探機を使って敵潜捕捉に務めた。恐怖は明け、翌16日午前8時に出発した。だが、敵の魔手は船団を掴んで離さない。いつものように九七式艦攻を発進させ、対潜を実施する神鷹。だが機を飛ばせなくなる日没を狙って、暗殺者が動き出した。11月17日18時12分、ピクーダの襲撃により左舷前方の陸軍徴用船摩耶山丸が撃沈された。跡を発見した時にはもう手遅れだった。

そして次は神鷹の番だった。

最期

1944年11月17日23時7分、済州西方潜水艦スペードフィッシュが右舷後方3700mから撃。10本の跡を発見した見り員が絶叫し、総員戦闘配置の号が下る。その直後にズーンという地を裂くような音がいた。10本中4本が命中し、積載していた航空燃料に引火。あっと言う間に艦の後部が猛火に包まれてしまう。真夜中にも関わらず、周囲の船団を々と照らした。艦内の電消失し、暗闇に飲まれた。生き残った者は懐中電灯を手にし、飛行甲へと上った。既に10度ほど傾斜しており、九七式艦攻が何機か滑落していった。踊る火の手は、前部にある20万リットルを内包したガソリンタンクにまで及ぼうとしていた。飛行甲の下にある機座も炎に包まれ、あちこちで弾薬に引火している。まさに地獄絵図だった。乗組員や便乗者は、隙を見てへと飛び込む。「天皇陛下万歳!」「神鷹万歳!」のが何処からか聞こえてくる。

やがて神鷹にも最期の時が来た。被から30分、右へ傾きながら艦首を上にして沈没していった。「さよなら、神鷹!」と叫ぶが聞こえる。周囲では味方の艦が爆を投射している。しかし浮上してきた敵潜水艦上の生存者に向けて発し、その数を減らした。殺戮劇から生き残った者には、11月極寒が襲い掛かった。凍死したり、溺死する者が続出し、犠牲者が拡大。に広がった重油に引火し、炎が周囲をめ尽くした事も生存者を減させる要因となった。地獄のような漂流を経て、ついに駆逐艦樫と海防艦久米が救助に現れた。樫は42名、久米は19名を救助したとされる。彼らは上海海軍病院に収容された。

石井艦長以下1100名が戦死、生存者は僅か60名だったという。1945年1月10日、除籍。

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神鷹

1 ななしのよっしん
2016/03/15(火) 19:22:07 ID: fuaqtlUNVQ
またお前か
いい加減ユーザー名変えろ
2 ななしのよっしん
2016/05/26(木) 08:09:45 ID: lkgQ9gMd7q
概要概要じゃないんだよなぁ
3 ひろポン
2016/07/22(金) 02:26:37 ID: yRmOp3m075
もし艦これに出すんだったら、デザインは是非とも島田フミカネにやってもらいたい。
4 ななしのよっしん
2018/09/12(水) 00:04:27 ID: 2onLak4qFb
>>3 しばふニキになりましたね
5 ななしのよっしん
2019/01/18(金) 22:09:38 ID: 85UkvJ6UF+
もしかしてエルコンドルパサー
6 ななしのよっしん
2019/09/24(火) 15:15:34 ID: N4y7VuFqJn
艦豚死ね
7 ななしのよっしん
2020/06/29(月) 12:50:08 ID: FyGIxdsg2y
引用元を明記しないと全部創作転載ってことになりかねないと思うのだけど。
まぁ、ニコ百に記事の信憑性をめるべきではないのかもしれないけどね。

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