Syrup16gとは、日本のスリーピースロックバンドである。
概要
ボーカル&ギターの五十嵐隆が専門学校の同級生でドラムの中畑大樹、ベースの佐藤元章を誘い「SWIMS」というバンドを結成。その後、バンド名をSyrup16gに変更。由来は五十嵐の好きな甘い咳止め用シロップと、練習後によく行っていた某ドーナツ屋のガムシロップが当時16gだった事。
数枚のアルバムをリリースし、佐藤が脱退。その後、サポートメンバーとしてスタジオミュージシャンのキタダマキが加入。
再結成後初となるアルバム「Hurt」のメンバー欄において、五十嵐、中畑とキタダの間にスペースがなくなる。また、音楽(ベース専門)雑誌である、ベースマガジンの2014年10月号において、「Hurt」に関連したインタビューを受ける中で、サポートメンバーやパーマネント・サポートという立場ではなく「メンバー」という立場でアルバム製作とツアーに参加したことを述べている。翌年、「Hurt」の次にリリースされたep「Kranke」においても、メンバー間のクレジットにスペースが存在しないため、こちらの製作とツアーにおいても「メンバー」として参加していると考えられる。
「darc」も公式サイトでは「スリーピースの限界に挑む」と銘打っており、キタダは最早完全にSyrup16gの3人目として定着しているといえよう。
来歴
- 1980年代、五十嵐小学生時代に洋楽にドハマリ。1日の大半を洋楽を聴いて過ごす。これは当時流行だったファミリーコンピューターを買ってもらえなかったため、ブームに乗れなかったから。
小学生時代は野球部のキャプテン、生徒会副会長などを経験し、校門で女子10人に囲まれたこともあったという。
五十嵐曰く、人生のピークは小学校で、この頃に勝つことの虚しさ、人間の嫌な部分、妬み、嫉み、いやらしい虚栄心や優越感といった後の作風に影響される人生観の殆どを得たとのこと。
中学時代はバスケ部に所属、運動会でリレーのアンカーを務めるスポーツ少年だった。
- 1992年ごろ、進学できずに浪人生活。この時期に祖父母とバリ島へ旅行に行き、伝統音楽「ケチャ」に衝撃を受ける。帰国後、これがきっかけで引き篭もりになってしまう。『coup d'Etat』の「バリで死す」はこの体験が元ネタ。
高校生活を隠居、浪人生活を老成と後に語る。
- 1993年4月、日本工学院専門学校音響技術科に無事進学した五十嵐は中畑大樹、佐藤元章に出会う。この時期の五十嵐はレコーディング・エンジニアを目指しての進学だったため、持っていたギターや機材類のすべてを売り払ってしまっていたが、『嫌いな音楽にも、仕事として向き合わなければならないのがキツイ』という予め見えていたであろう理由でその道を断念。「あまり音楽が好きすぎても仕事にはできない」ことを痛感。
なお、五十嵐はこの時期に人生初の彼女をゲットし、結婚すら意識した(自身の五十嵐法典なら許したらしい)ものの、結局は就職もしないままそのダメッぷりに愛想を尽かされてしまい、理解者にはなってもらえず、Bまでで終わった(つまり五十嵐の遺伝子は今のところ残っていない)らしい。
後に「自分の中でロックはお花畑で、そこにはエロビデオはあんまり必要なかった」と語っている。
- 1993年5月~9月、五十嵐、中畑はそれぞれ別のバンドに所属していた。
五十嵐はこの頃、dip the flagのコピーバンドでギタリストをやっていたが、徐々に大勢で音楽を奏でる楽しさに目覚め、ある日自分がステージに立ってフリッパーズ・ギターの「GROOVE TUBE」を演奏。そのことが幼少期より抱えていた「視線恐怖症」を克服させるに至り、ステージで音楽を演奏することに至福の喜びを見つける。
- 1993年10月、五十嵐作曲活動を開始、その曲を聴いた中畑は五十嵐にバンド結成を持ちかける。但しこれには異説あり、五十嵐から中畑に「大樹ちゃん、命懸けよう」とバンドに誘った、とする文献もあるほか、中畑が「五十嵐よぉ、パン買ってくるか、バンド組むかどっちかな。はーい、2秒で答える。遅ーい。」とかだった気がするという説もある。(命賭けよう説は五十嵐が後年否定しているため公式サイトでは最初の説が紹介されている)
- 1994年12月、佐藤がベーシストとなり、10月に加入したボーカリストと共にSWIMSという名前でロックバンド活動を開始。メンバーは本多芸能などでバイトしながらの活動で資金は主にそうしたセキュリティや場内整理、搬出運搬、楽屋パスチェックなどの仕事から得ていた。このバイトが後の活動で色々なライブハウスに顔が利くきっかけにもなったらしい。
- 1996年、SWIMS2度目のライブから程なくしてボーカリストが脱退。五十嵐がギター兼ボーカリストへと転向する。これと時を同じくしてバンド名をSWIMSの名称からSyrup16gへと改称。五十嵐を中心としたスリーピース形態という現在の基礎が確立された。なお、五十嵐は2008年の解散時インタビューでこの頃がバンドとしての一番のピークと語り、「発表するアテもなく3人でバカやって音楽セッションするのが楽しくて仕方が無かった」といったことを語っていた。
- 1999年、5月、10月にハイラインレコーズからそれぞれデモテープを配布。12月には初のオリジナルアルバム『Free Throw』を発売し、名実共にプロデビューを果たす。さらに新宿JAMにてレコ発ワンマンライブも行った。
- 2000年ごろ、赤坂BLITZ”SPEED BALL”に参加するなどして徐々に頭角を現し、メジャーデビューを目指して東芝EMIと契約。アルバムの録音やデモ製作を行っていたが、メジャーデビューのいわば「試験」ともいえるライブでプレッシャーに耐えかねた五十嵐が壊れ、会場にギターを投げつけたり暴言を吐いたりといった行為を行い、それが会社の上層部の心証を害したことで契約破棄。メジャーデビューへの道が一時閉ざされる。
- 2001年、2枚目のオリジナルアルバム『COPY』を発売。上記の事情もあってUKプロジェクト内のレーベル「代沢レコーズ」からのインディーズ流通となった。メンバーはこのアルバムが失敗すれば解散の意気込みだったという。これの発売に伴って開催された下北沢CLUB Queでのワンマンは即日完売となった。インディー作品ながらも前作とは異なり全国発売(前作は主に関東圏か都市部でしか売られなかった)となり、解散前後までプレスされていたため早期に廃盤となった前作とは対照的に長期に亘って流通し続けた。12月にはART-SCHOOL、CONDOR44と共に初のツアー(大阪、仙台、名古屋)を行う。
この頃、初めて公式ホームページを開設。当時ファン向けに作成していた会報のデラロッキンを公開していたほか、現在の公式ページにはないBBSなども置かれていた。既にURLは消滅しているが、Web Archieveでの閲覧は2023年現在も可能。
- 2002年、日本コロムビアと改めて契約。THE YELLOW MONKEYなどが在籍していたロック系レーベルのトライアドから6月19日に発売された『coup d'Etat』でようやくメジャー進出。既にこの時点でアナログ盤との同時発売などほかのロックバンドとは一線を画する独自色を強めていた。タイトルの由来は「語呂のよさと音楽とは暴力であるという根本的な命題」ということを後付している。「神のカルマ」「天才」など今でもライブの定番が多く並んでいる作品だった。しかし、オリコンランキングでは47位とお世辞にも売り上げとしては芳しいものではなかった。当時のインタビューで五十嵐は本作について「聴くものではなく、能と細胞と血管と体脂肪率で体感し、経験し、後悔するもの」であるとしている。また、腰に持病を抱えていた佐藤がこのアルバムセッションを以て脱退。
五十嵐は親友でもあった佐藤の脱退を後の創作意欲の低下とモチベーション維持が困難になった主要な理由の一つとして挙げている。(事実、佐藤のことは「くん」で呼んでいるが、キタダのことは今も「さん」付けである)
なお、この脱退劇には少々黒い噂もあり、第2のBLANKEY JET CITYを育てるという目標から事務所サイドが佐藤のテクニック不足に難色を示し、脱退(=解雇)を迫ったとする説もある。
- 僅か3ヶ月後の9月25日に2枚目のフルアルバム『delayed』を発売。7月に新ベーシストのキタダマキが加入、コーラスにBUMP OF CHICKENのボーカル藤原基央が参加、過去の楽曲の再演、リメイクが大半を占める言わばベスト盤的な内容で話題性も豊富だったが、セールスは69位とさらに悪化。しかし、FM802で収録曲「Reborn」がヘビーローテーションに選出されるなどしており、シングルにさえなっていないにも関わらず、同曲は現在もカバーするミュージシャンがいるほどのSyrup代表作となった(但し、五十嵐はこの曲の完成度に不満らしい)。12月には初のワンマンでの全国ツアー「delayed tour」を開催。
- 2003年、日本コロムビアで自主レーベル”Searching for the youngsoul REBELS”を旗揚げ。3月19日には同レーベルから3枚目のフルアルバム『HELL-SEE』を発売。地下室のような劣悪な環境下で録音され、初回盤はライブCD付で僅か1500円という値段設定も話題になり、メンバーは「アルバムではなく、15曲入りのシングルである」(=1曲100円)と当時語っていた。これはメジャーレコードから発売するということから、会社側から「シングル作品を出すように」と指示され、シングル作品分の予算で出来た曲を全部収録したという事情もあったため。高山徹によるマスタリングを希望したが当時は叶わなかった。しかし、オリコンランキングは当時自身最高の39位を記録し、その後もロングセラーとなり、その音質の劣悪さが却ってリアリティを生んだ傑作として後年のリマスター盤でなくオリジナル盤を評価する声も今なお多く、「HELL-SEEこそSyrupの最高傑作だ」と推すファンも多数。
この時期に新たな公式ホームページも開設。デザインは現在に至るまでほぼ変更されていないほか、プロのロックバンドとしては珍しく、全ライブの全セットリストを現在に至るまで新曲や未発表作品のタイトルも含め完全公開している。
- 9月17日、「シングルは出さない」と宣言し、これまでフルアルバムだけを発売していたSyrupから初のシングル作品『パープルムカデ』が発売。シングルでありながら当時としては異例の4曲の新曲収録という実質ミニアルバムとしての発売だった。なお、PVには本物の毒ムカデが使われている。3ヵ月後にはシングル『My Song』を発売。これも新作5曲入りの事実上のミニアルバム。前者は34位、後者は46位とチャート成績は相変わらず振るわなかった。(注※オリコンでは当時6曲以上をアルバム扱いにしていた)
しかし、この頃には既に雑誌取材も多数こなすようになり、柴田淳やCoccoのような内向的な楽曲が静かなブームだったこともあって、徐々に世間にはその名が知られていくようになっていた。
ただ、売り上げ面では同期のBUMPや後輩のレミオロメンの方が先にヒット作を連発するようになり、どちらかというと「知る人ぞ知る」「人を選ぶ」といった形で紹介されていることが多かった。
(とはいえ、当時はSyrupの音楽性もさることながら、この頃のメインチャートではハロプロなどのアイドルやゆず、19などのネオフォーク系、MONGOL800、175R、ガガガSPらの青春パンク、CHEMISTRY、平井堅を筆頭とした甘い男声ヴォーカルが市場で流行っていたということも少なからず影響しており、エレキを掻き鳴らし世間に異を唱えるガラ声スタイルの ロックバンド自体が下火になりつつあった、という土壌であったことにも留意されたい)
- 2004年3月24日、アルバムの先行シングルとして『リアル』を発売。さらに4月7日に新星堂、タワーレコード限定でそれぞれ『I・N・M』『うお座』もシングル発売。若干の延期を経て4月21日に満を持しての4枚目のニューアルバム『Mouse to Mouse』が発売となった。Syrupが一般によく行われる「先行シングルを数枚発売してアルバムをリリース」という形態で活動を行ったのはこの時が最初で最後である(五十嵐曰く、「何かしらの結果を出すというプレッシャーがあった、搾り出していた」)。コレが功を奏したのかは不明だが、アルバムチャートは最高22位まで伸びる大躍進となった。しかし、五十嵐はこの作品が大衆向けに舵を切ったことや、「結果的にすごく中途半端なというか、やる気はあるのに空回りして、結局は黄昏れちゃってる……そんな哀しいアルバムになっていた」と当初の構想とはまるで違う出来に仕上がったことから完成度に満足していなかったという。メジャー流通での活動はこの作品でいったん区切りを迎えた。
- 同年9月24日、再び活動の場をインディーズへと移し、古巣の代沢レコーズからアルバム『delayedead』を発売。前作の完成度に満足がいかなかったことや、一度過去の自分と向き合いたい、という意思から『delayed』と同じく過去の楽曲のリメイク、再演が大半を占める内容で、この作品を以て当時は“第一期Syrup16g完結”を謳っていた。しかし、この渾身の一作は皮肉にも43位と前作の半分ほどの売り上げほどになってしまい、活動の方針転換を余儀なくされる。
この後10月に日比谷公会堂でワンマンライブを行う。この模様は「遅死10.10」として翌年1月にDVD化。Syrup史上最高のステージを銘打って、脱退した佐藤も観客席で観覧していたほか、ART-SCHOOLなどの著名人やバンド仲間も訪れていたという。当時の総ざらえとしての公演だった。そして、年末のCountDownJapanに参加後、一時的に暫く活動を休止することになる。
なお、この年に一度ASIAN KUNG-FU GENERATIONからNANO-MUGEN FES. への参加を打診されるが、会場が日本武道館だったことから断っている。
五十嵐は大規模会場でのライブは苦手としており、「武道館でライブをするときは死ぬ」とまで語っていた。
- 2005年2月19日、Shibuya-AXでのJAPAN CIRCUIT vol.21を皮切りにライブ活動を再開。4月27日からはtour 2005と称して東名阪ツアーを行い、華々しく“第二期Syrup16g”がスタートを切った。
それまでのライブでも発売未定の未発表新曲が突然演奏されることは少なくなかったものの、2005年以降は音源発表前の新曲を1曲以上必ずセットリストに入れ、時にはアンコールまで既存の楽曲を一切演奏しない構成だったことも少なくなかった。
新作勝負にこだわるあまり、時にはライブ中に「気が乗らない」と中畑と険悪なムードになり突然演奏が止んだことさえあった。
- 2005年~2007年、ライブ活動をメインとしながら各地を廻る。しかし、肝心のニューアルバムは各雑誌で「すぐに出来る」「ストックは2枚組みにしても足りない」などと語っていながら一向に発売の報は流れず、かつて半年に1回は新譜を発表していた時期と比較すると急速にリリースペースが鈍化した印象となり、ただただライブで演奏される毎回異なる新曲が積み重なっていくだけであった。複数回披露されたものもあれば、僅か1回で姿を消したものもある。一時は「公開リハーサルである」といったことをMCで発言したことさえあった。
この時期に五十嵐は父親を亡くしていたり、一時的な休業が尾を引いてメンタル面でダウンすることが多くなったという。演奏が荒れ始めたといわれるのもこの頃である。
なお、この時期に既に発表された過去作品、録音済みだったデモなどから構成されたオールキャリアベストアルバムが代沢レコーズより発売となっている。プロ活動が10年に満たないにも関わらず2枚組みでなく、『2枚同時発売』だったのは事務所による資金回収目的もあったといわれる。メジャー流通の楽曲も幾つか収録されたが、ほかのバンドと異なりレコード会社間の利害関係に巻き込まれなかったのか、すべてリマスターした上でオリジナル音源が使用された。
元々内向的だった作風はさらにダークなものに深化していく様を見せ、「いざとなりゃ死ぬつもりだった」「最終回のヒーローはカッコよく死ぬだろう」といった死生観そのものを描いたような作品、「俺は狂っちまった」「すべてが思うようにいかないけれど」といったかなり危なげなもの、「君の奇跡はとうに使い果たされて」「誰もホントのこと言わないから悩みとか色々メンドクサイけど」といった当時の五十嵐の心境と思われるもの、「皿に乗った宇宙人」など意味がよくわからないものなど様々だった。歌詞も安定せず、ほぼ同じ内容のままのこともあれば、ライブごとに違うものに変っていき、初演時とはまるで意味が異なる曲も多かった。中には殆ど叫んでいるだけのものすらあった。
また、この怒涛の『新作ラッシュ』である中、新譜が出なかった理由について、レコーディング作業がこういった事情で困難になった点や、いくら書いても書いても作品に対する「落としどころ」のようなものがないブレた作品になって満足がいかず、ライブでは伝わるかもしれないという淡い期待を込めてライブでの新作発表という形になっていたというようなことを語っている。
しかし、この時期の大量未発表新曲を評価する声があるのも事実である。インターネット上ではBOOWYのそれに匹敵するほどのブートレグが存在するSyrupだが、大半はこの時期の音源となっている。
ニコニコではボーカロイドによってカバーされたバージョンすらもある(下記動画参照)。
特に2006年9月24日のライブ1曲目で披露された作品通称「ゲド戦記(ネット上のライブレポから)」や「0924」「924新曲」(共に日付から)「蒼い海の中で」(最初の歌詞より)と呼ばれる作品(正式タイトル不明)は人気が高い。
- 2007年12月9日、東京NHKホールにてTour 2007 "END ROLL"の千秋楽が行われる。このライブでかつてそこでライブをするなら死ぬとまで語っていた『僕の大好きな武道館でライブをやります』を宣言、その直後に『そのライブで、僕ら一旦終了させてもらおうと思います』とSyrup16gの解散を宣言した。
既に2007年のツアーからは公式サイトですら新作への仮タイトル付与もやめてしまい、ただ「新曲」とだけ記される状態だったこと、ツアー名称自体『END ROLL』となっていたこと、このツアーの前のツアーの名前が『DEAD CAN DANCE』だったこと、そして何よりこの時期の演奏が素人目に見てもメンバー間の統率が取れておらず、非常に荒れていたことなどから、ファンの間でも「解散が近いのでは?」という憶測が流れていたが、それが現実となってしまった形であった。
事実、この頃はライブ活動は活発だったものの、バンドとしては体を成しておらず、五十嵐のワンマン体制にほかの二人が合わせきれなくなってきていたことで空中分解していたという。
また、事務所との関係もかなり悪化していた模様で、ライブ集客率はいいのにCDが売れないという悪循環で『delayedead』以後は活動の方向性について軌道修正せざるを得なかったゆえの形でもあるという。
なお、後年『delaidback』発表時に、この当時の状況についても触れており、「歌詞が本番まで無い状態でステージに上がり、即興で歌詞を付けていたため何パターンもの詞が存在していた」「ネット上のブート音源についても存在は知っているが、聴いているとその当時の自分の状況が現れている」と評している。
- 上記の発表から程なくして公式サイトに下記のようなメッセージが表示された。
また、2008年1月30日にセルフタイトルを冠した最後のアルバム『Syrup16g』がU2を生んだレーベル「ISLAND」から発売されることが同時に発表された。
(※このアルバムはISLAND/UNIVERSAL MUSIC、DAIZAWA/UKPROJECT、KEYCREWの共同原盤で制作となった。余談ながら、最初に契約を破棄したEMIは後にユニバーサル・ミュージックに吸収合併となり、このアルバムはユニバーサル流通となったため、結果的に一度契約破棄となったレコード会社からの発売となっている。 )
- 2008年1月30日、無事解散アルバムの『Syrup16g』は発売された。
レコーディングはメンバー一同そろうことなくそれぞれがパート入れした後、最後に五十嵐がギターと歌を吹き込むという形態だった。
しかし、ライブで発表されていた新曲の半分も収録されなかったことから、ファンの落胆は大きかった。
それでも、五十嵐の煮詰めきった楽曲群は過去のどの作品より完成度が増しており、『最終作にして最高作』などとプロモーションされていたことや、ラストアルバムという話題性も手伝って、オリコンランキングは大健闘し、13位まで上昇した。
『ニセモノ』『途中の行方』『バナナの皮』のようにステージ上のアレンジがほぼそのまま採用されたものがある一方で、『君をなくしたのは』『夢からさめてしまわないように』のように大きく歌詞や編曲が異なるものもあり、「活動中断前の作品としては妥当」とする意見がある一方で、「ステージのアレンジが崩れていて、オリジナルバージョンの良さが無くなった」とする意見もある(特にラストトラックは元々五十嵐の父に対するレクイエムだったため、オリジナルを評価する声が今なお多い)。
- 3月1日、インディー系であり、これといったヒット曲がほぼ無いにも関わらず、解散ライブのチケットは一瞬で売り切れ、キャパシティ限界まで詰め込んだ最初で最後の日本武道館公演が行われた。
このライブに至っても新曲が発表されたほか、過去の代表作、直近のラストアルバムからの楽曲などが多く演奏される集大成公演だった。
著名人も多く訪れ、SPITZの草野マサムネなども楽屋を訪れたという。また、音楽評論家の鹿野淳は五十嵐に「バンドや歌を辞めてもいいが、曲を作るのをやめないでほしい。それは日本の音楽の価値に関わることだ。」と現役続行を促したという。
最終演目に選出されたのは、代表作である『Reborn』で、さようならと言い残しての別れだった。
なお、Syrup16gの公式ページは解散後もまるでいつか訪れる帰りを待つかのように
そのままの状態でずっと存在し続けた。
ロックバンドのホームページは大抵、休止、解散が決定すると縮小、あるいは閉鎖されることが多い中では異例のことだった。
ライブの詳細については『"LIVE FOREVER" The last waltz of Syrup16g』の記事も参照。
- 5月28日、最終公演の全てを新曲やメイキングも含めてノーカット収録したDVD『the last day of syrup16g ~syrup16g 最後の日 The complete document of LIVE FOREVER~ -the last waltz of syrup16g live at 日本武道館-』が発売。オリコンのDVDチャートで最高7位まで上昇し、DVDながら初のオリコンTOP10入りを果たす。ジャケットのデザインは真っ黒な背景にぼんやりと十字架とタイトル名が浮かんでいるもので、文字通り五十嵐が発言した「武道館でのライブ=Syrup16gの死」を象徴したものとなっていた。
- 2008年秋ごろ、中畑、キタダはそれぞれサポートミュージシャンとして裏方に回り、順調にキャリアを重ねる中、五十嵐がどうなるのか、についてはまったく音沙汰が無いままだったが、突如『犬が吠える』と称したソロプロジェクトの始動が発表された。
ロックバンドのフロントマン、ボーカルがソロ転向や新バンド結成ということは、古くはSUGAR BABEの頃から存在し、この時期でもThee Michelle Gun Elephantのチバユウスケなどをはじめとしてさして珍しいものではないものの、「あのSyrupを解散させてのソロ活動」ということで、音源はおろかライブすらほぼ無かったにもかかわらず音楽雑誌の表紙を飾ったり、アルバムレコーディング風景が掲載されたりとファンの期待を煽った。
- しかし、僅か半年ほど活動した後で2009年4月18日付けで公式ページには黒バックに白抜き文字で下記の文章だけが表示された。
理由は当時明らかにされなかったが、五十嵐曰く、ソロプロジェクトであるにもかかわらず、自分以上に周りが大きく動いていることに耐えがたくなったことや、Syrup16gとは異なる方向性にどうやってもって行けばいいのかわからない、即ち自分の立ち位置が表現できない、という致命的な問題だった。
- 2009年~2012年、中畑、キタダがキャリアを重ねていく中、五十嵐は完全に消息不明となる。
一時はまるで表に出なかったことから冗談交じりで「自殺したのでは?」と死亡説すら流れた。
実際には完全に引きこもり生活になっており、過去の作品の印税だけで何とか食いつないでいる状態だった。
この間にはコンプリートボックスの発売、過去作品(メジャーレーベル作品も含めて)のリマスター盤での全作リイシューなどがあった。
なお、2012年3月24日のPelikanのライブにシークレットゲストとして五十嵐に声がかかった、というツイートがあり、Syrup再結成か?とちょっとした炎上騒ぎに発展したが、結局現れることは無かった。
また、この時期に五十嵐は長年所属していた事務所Keycrewを辞めている。
(余談ながら、Keycrewは代表の熊谷昭に対しかなり悪い噂が流れており、現在は公式ページも無く存在自体が不明。また、矢継ぎ早に所属者が離反を繰り返し多くのミュージシャンからも「二度と関わりたくない」と称されるなどあまり評判がよくなかったという。)
- 2013年3月1日、今まで通り4回忌を迎える筈だったファンの間に衝撃が走った。
長らく音信普通だった五十嵐が2013年5月8日(水)、東京NHKホールにて『生還』する事が発表された。
文字通り『生還』を銘打ったライブで、当日までサポートミュージシャンが誰になるのか、ほかの出演者はあるのかなどは一切秘密のままチケット販売が行われた。
蓋を開けてみればそこに立っていたのは生還した五十嵐、そして中畑、キタダの懐かしい3人、即ち紛れも無いSyrup16gがそこに復活した瞬間だった。
ライブの開幕はかつてSyrupを葬り去った曲である『Reborn』で始まった。そして、未発表の新曲、犬が吠えるで発表されるはずだった楽曲を含め、Syrupの楽曲も数多く演奏された。
後にこの公演は伝説とされ、Blu-ray Discでも発売されている。
ただ、あくまでもこのライブで二人は五十嵐のサポート扱いで正式にSyrupが復活できるか否かはまだ不明だった。
- 五十嵐、夏フェス「UKFC on the Road 2013」に弾き語りで参戦。COPYの楽曲を中心に久々に参加したロックフェスだったが、このことで『独りでは何もできないとわかった』としてある決意を固めたという。
- 2014年6月27日17時00分 Syrup16gの再始動が正式に発表された。また、ただの再始動ではなく、全編書下ろしの新曲で構成されたノンシングルのニューアルバム『Hurt』の発売、さらにそれに伴ったツアー『再発』の開催も発表される。アルバムタイトルは映画『ハートロッカー』の捩り。
かつて「明日は来ないね。明日はない。終わってしまうね。」とまで言っていただけに、この突然の発表にはファンだけでなく、ほかのバンドにも大きな驚きを与えたらしく、TwitterのトレンドワードにSyrupや五十嵐が並ぶほどだった。
程なくして収録曲のリードトラック『生きているよりマシさ』のミュージックビデオが公開。その歌詞の内容は解散期の五十嵐の心情そのものだと話題になった。
- 同年8月27日、誰も出ることを予想しなかった新作『Hurt』は無事発売された。かつてと比べ全体的な邦楽CD売り上げが大幅に落ちた、ということはあるものの、配信販売が一切行われなかったアルバムで、しかもノンタイアップ曲ばかりでありながら、オリコンアルバムチャート8位を記録。再結成後にして初めて音楽CD作品でTOP10入りを果たし、ようやくセールス面でもSyrup16gの音楽が世間に認められた。9月からは東名阪ツアーもスタートし、無事完走。全公演が一瞬でSOLD OUTする人気ぶりは相変わらず健在だった。8月30日にはニコニコ生放送の特別番組にメンバーが登場、10万人近い来場者数を記録した。
- 2015年、『Kranke』と題された全国主要5都市を廻るツアーの開催を発表。5月20日には同名の新作ミニアルバムが発売となることがアナウンスされている。Syrup16gがフルアルバム以外のe.p.形態の作品を発表するのは11年ぶりのこと。サウンドエンジニアは高山徹。5曲全ての作風を異なる方向性とした実験的要素が強かったため、発売当初の評価は決して芳しいものではなかったが、ツアーが終了すると「これはライブで完全な形に完成した作品である」という評が多く聞かれるようになった。
- 2016年、6月27日に復活公演「再発」と翌年の「患者」の両ツアー、及びその時点で唯一出演したテレフォンズの活動休業イベント「the telephones Presents “Last Party ~We are DISCO!!!~”」のSyrup16gパートを収めたSyrup16g名義では初となるBlu-ray『再発患者』が発売。
7月20日には、かねてより親交のあったスピッツの主催する夏恒例の野外イベント「新木場サンセット2016」に出演。ステージ上ではしっかりと草野から「Syrup16g、やっぱり暗いね~」とイジッていただいていた。
当初、この年の活動はこれだけなのでは?と思ったファンも多く、音楽サイトなどでも「今年はこれだけで我慢してね、という五十嵐の意思表示なのだろう」といったことも書かれていた。
しかし、9月5日に突如更新されていないままとなっていた公式サイトのセットリストが最新版に改められると、その日の午後に全国8ヵ所9公演のバンド史上最長ツアー『HAIKAI』の開催を発表した。
歓喜の声が上がる一方、「2016年後半、一気にオーバーワーク気味のSyrup16gにご注目ください。」の一文に不安を憶えるファンも少なくなかった。
- この発表後、さすがに新譜は無しだろう、と思ったファンも多かったのだが、月末の9月30日午後6時に公式サイトのニュースページに「ほんとに突然ですが、Syrup16gの8曲入りニューアルバムが完成しました。 なんの前触れもなくてすみません。」の一文と共に全て書き下ろしの新曲8曲入り最新アルバム『darc』の発売が公表された。
完全に極秘録音であったらしく、全く周囲のミュージシャン仲間にも情報が無いままの新譜発売は驚きをもって瞬く間にネット上のニュースとなった。なお、この年の邦楽界はこうしたゲリラ発売が一種のトレンド、ブームだったらしく、Hi-STANDARDや宇多田ヒカルも同様に突然特典なしの「音楽のみの新譜発売」を発表して世間を驚かせている。(この当時は複数仕様の特典をCDにつけるのが“当たり前”であったのだが、敢えて「音楽のみで勝負する」というミュージシャンも増えつつあった)
『darc』は、ツアー用の新曲を製作しようとスタジオ入りしたところ、制作意欲と衝動が溢れ出し、一気に7曲もの新曲を書き下ろし、さらにラストトラック「Rookie Yankee」はこのdarcセッション中にさらに新たに生み出された第8の新曲としてアルバムに収録されている。
エンジニアには初期のアルバムに携わっていた渡辺修一で、現在のSyrup16gでDAIZAWAデビューアルバムの『COPY』を再製作する、というコンセプトの下、3人の楽器のみでほぼ一発録りで作られているという。
この発売を記念して、「「HAIKAI」前夜 ニューアルバム『darc』収録曲世界最速披露会」と銘打った下北沢CLUB Queでのワンマンも追加となり、僅か200名強のチケットには凄まじい倍率の応募が殺到した。
Syrup16gが1年のうちに映像作品、音楽アルバム作品の両方を発売し、さらにツアーを行ったのは2004年以来実に12年ぶりのことであった。
HAIKAIツアーは前年、前々年の再発、Krankeツアーが比較的王道セットリストだったのに対し、最新作「darc」とメジャー1stアルバム「coup d'Etat」を中心にどちらかというとあまりライブ演奏に恵まれなかったマニアックな楽曲をセレクトしており、会場によってはライブで過去1度しか演奏されなかった「うお座」が演奏されたり、生還ライブで発表されながらも2016年時点ではCDになっていなかった「赤いカラス」「透明な日」が何の前触れも無く披露されたほか、12年ぶりに「遊体離脱」「Heaven」「My Love's SOLD」「タクシードライバー・ブラインドネス」がセットリストに加えられていた。タクシードライバー~の演奏時には各会場で大歓声があがり、ファンを大いに沸かせた。
なお、ツアーファイナルとなったZepp Tokyoの公演は「syrup16g 24時間スペシャル tour 2016「HAIKAI」ファイナル@ZEPP TOKYO独占生中継」と銘打ってニコニコ生放送で全編生中継され、前日より歴代作品のオンエアーが開始されていた。
syrupのライブが映像媒体で中継されるのはこれが初めてのことである。
このツアーファイナルのアンコール終曲「リアル」演奏MC時にHAIKAIツアーでは珍しく五十嵐がMCを執り「あー、楽しかった。darcっていうのを作ったんですけど・・・ これは、俺的にどうしたもんかなと思って・・・ 年間最新レポート。 こうしてツアーに回れるっていう得があったっていうんで出してよかったと思うし、ゼッタイあの・・・darcもうちょっと聴いてあげてください。来年もまた出すかもしれないけど、味がしなくなるまで聴いてやってください
と述べ、未だ創作意欲が衰えていないことを告げ、さらなる新作発表をファンに約束している。
- 2017年6月1日に、ファーストフルアルバム『COPY』がこの年に発売16周年を迎えることを記念した全国16箇所を巡るツアーの前半日程とチケット販売の情報が解禁。当初、このツアーはツアー名称も明らかにされないままチケット発売が行われたが、ツアー初日かつ『COPY』発売日であった10月5日に全貌が解禁され、ツアー名称を『十六夜<IZAYOI>』としたこと、そしてファンが長年待ち望みながらも解散前には遂に実現することの無かったDelayシリーズのパート3に当たるニューアルバム『delaidback』の11月8日発売の情報と収録曲が発表された。
ちなみに、ツアー初日は偶然にもこの年の十五夜の翌日であった。
このアルバムには、2008年ごろにネット上にて歌詞のみ存在が確認されて実在が疑問視されていた1997年頃の作品(丁度SWIMS~syrupに到る過渡期)である「夢みたい」や、2005年~2007年期に演奏されていたものの、ファンの間では譜面が廃棄されたのではとすら噂された「Star Slave」「upside down」が改めてレコーディングされたほか、生還ライブで演奏されていた新曲の正規録音版、さらに犬が吠える.の楽曲であった「光のような」「赤いカラス」がsyrup16gバージョンとして収録されている。また、幻となった東芝時代の楽曲も含まれているという。特に犬が吠える.の楽曲はこれまで生還ライブの映像版を除いて一切の音源化が叶わなかった作品であり、ファンの喜びは大きかった。
これらの再録にあたっては、中畑が管理していたデモ音源をもとに復元したものも含まれ、候補に上ったものの、削られた曲がかなりあったことがインタビューで明らかになっている。(即ち、この時点で第二期時代の楽曲の大半は中畑が保管していることも判明したことになる)
なお、このIZAYOIツアーはsyrupの歴史の中でも特に異彩を放ったものとなり、2017年内に行われた前半戦をCOPYの曲中心に、越年した2018年の後半戦をニューアルバムdelaidback及びそれまでの歴代Delayシリーズ2作を中心としたセットリストにするという試みが成されている。
このため、同じツアーでありながら、セットリストが大幅に異なるという結果になっているほか、後述のファイナルではさらに全く異なるセットリストを組んでいる。
この結果、ごく初期に演奏されたのみでライブで16年間演奏しなかった「パッチワーク」やほぼセットリストから姿を消していたdelayedeadの「クロール」「前頭葉」「これで終わり」が12年ぶりに演奏されるという実質的なレアソングツアーも兼ねたものとなっていた。
- 2018年3月20日、新アルバムdelaidbackを引っさげてのツアーファイナル『冥途』を東京・STUDIO COASTからニコニコ生放送で前回ツアー同様に生中継。アンコール以降はプレミアム会員限定だった。
ツアー後半戦スタートと同時に最終日のサブタイトルを「冥途」とし、下記のような一文がオフィシャルサイトに掲載された。思えば2014年の再始動以来、年に一枚のリリース、年に一回のツアーと、syrup16gとしてはコンスタントに活動してきました。
上記のように、小休止前という点を踏まえた上での構成となったため、最新作から処女作Free Throwを遡る形のセットリストに変化、「来週のヒーロー」「I.N.M」が再結成後初めてセットリストに加えられた。
休止とかおおげさなものではないですが、このへんで一休みします。
少しの間、冥途に旅してきます。
みなさん、旅の前にツアーでお会いしましょう。
syrup16g スタッフより
若干前半は声が不調気味であったが、尻上がりに調子を上げていき、本編最終曲は「翌日」で大トリを務めたのは例によって『Reborn』であった。
ニコ生のアンケートでは「1.とてもよかった」が95.8%、「2.まあまあよかった」が3.2%と9割以上が満足という結果であった。
なお、解散や活動休止といった大袈裟なものではない、と長期間のバンド停止は否定しており
「また、いつか戻ってきます。また逢いに来て下さい。」との言葉と共に最後の演奏を終えている。
- 2019年6月1日、1年以上沈黙を保っていたが、この日までに音源として発表された166曲がiTunesなどのダウンロー ド販売、Apple Music・Spotify・AWA・LINE MUSICなどのサブスクリクションサービスで配信が開始される。
それまでは、メジャー流通のあったセルフタイトルアルバムの「syrup16g」のみが細々と配信されているだけであったが、これによってほぼ全曲がインターネットを通じて公式に聴ける事となった。DVDやBlu-rayの収録音源は今のところ未配信。
この配信を記念して特設サイトも開設され、江沼郁弥、ホリエアツシ(ストレイテナー)、木下理樹(ART-SCHOOL)、小林祐介(THE NOVEMBERS)、石毛輝(the telephones / Yap!!!)、金光裕史(音楽と人)、兵庫真司(ライター)、有泉智子(MUSICA)、鹿野淳(MUSICA) ら五十嵐と関係の深い人物からのレビュー寄稿も行われ、さらに現行メンバーの中畑大樹、キタダマキ、さらに元メンバーの佐藤元章からもメッセージが寄せられた。
- 2019年6月11日、10月4日より東京・福岡・名古屋・大阪・仙台の5箇所それぞれ2DAYS公演のツアー『【SCAM : SPAM】』の開催を発表。
この当時流行しつつあるライブ形態の一つで、それぞれにSCAM,SPAMとでテーマを分けたセットリストにすると告知され、実際にはSCAMを2008年の解散までに発表した楽曲のうち、ライブ演奏の極端に少なかった楽曲を、SPAMを2014年の再集結後に発表した楽曲のうち、それぞれのツアー以来演奏機会に恵まれなかった曲を中心にするというものだった。
SCAMでは処女作Free Throwに収録されていながら、結成初期に演奏されただけで事実上19年間もの間封印状態にあった「Honolulu★Rock」や中畑がセットリスト入りを熱望していたとされる「根ぐされ」が演奏されファンの度肝を抜いた。
SPAMでは、1曲目の1音目で弦を切るトラブルが起きた公演もあったものの、再結成後の新定番を見せつけるステージに喝采が贈られた。
- 2020年2月26日、追加公演を6月22日、6月23日に延期する旨を発表。この時期に世界的なパンデミックの起きていた新型コロナウイルス感染症COVID-19の流行を受けての措置。チケットは払い戻しとなったが、振替公演でも有効との告知はされている。予定されていたニコニコ生放送でのライブ配信は同バンド史上初の無観客ライブという形でリスナーの下に届けられた。
この追加公演はさらにセットリストが変化し、day1では今までライブ演奏が一度も無かった「メビウスゲート」が初めて演奏されたほか、デモ録音のみされていた「向日葵」も演奏されるなど非常にレアな選曲となっていた。「メリモ」演奏時にはニコニココメントでの弾幕も発生しており、五十嵐は状況に合わせて「絶対これは自粛要請って何」と叫んでいた。
day2も、Hell-See,Mouth to Mouse,delaydeadの、それぞれレコ発ツアーのみで演奏された楽曲を中心としたレア曲中心のセットリストであった。
ニコニコ生放送での評価は90%以上が「とても良かった」を記録する大盛況ぶりだった。
余談ながら、この時期まではまだ無観客ライブやスポーツの無観客試合がある程度許容されていたものの、この直後に通常形態で行われた東京事変の復活ライブや大阪のライブハウスでのクラスター感染の発生、X Japan YOSHIKIの無観客ライブも行うべきで無い(客が居らずとも会場スタッフやローディにも感染リスクが存在する為)とする意見などもあり、さらに4月には政府が緊急事態宣言を発令した事もあって程なくして国内でのライブ開催は非常に難しいものとなったため、まさに滑り込みで間に合った形となっている。
- 6月5日、6月22、23日予定だった延期公演について、新型コロナウイルス感染症の収束が未だ見えない事から再延期し、2021年1月13日、1月14日とする事が発表され、年内でのツアー完走は成されないこととなった。syrupのライブが2度も延期となったことはこれが初めての事である。よって、このツアーはsyrup16g史上最長の期間のツアーとなる。この延期に伴い、チケットは有効である旨は記しているが、想定外の越年公演となってしまった為、ホームページ上には前回以上に払い戻し対応の方法を目立つように記載していた。また、ライブ会場で販売予定だったTシャツの通販が解禁され、このパンデミックに因んで五十嵐の記した文字は「共存」「Stay Beautiful」だった。尚、この6月公演については、無観客開催も行われなかった。
- 2020年8月18日、自身のYouTubeチャンネルを開設。10月5日に「負け犬」のミュージックビデオを投稿したのを皮切りに、「天才」「Reborn」など過去のMVを投稿したほか、【SCAM:SPAM:SCUM】からは「もったいない」「落堕」やライブ初演奏だった「メビウスゲート」、セルフタイトルアルバムから「バナナの皮」のライブ映像が公開されている。
- また、同年には直接バンド活動に影響しなかった出来事であるが、8月21日、8月28日放送のNHKパイロット版番組放送枠『レギュラー番組への道』における1本「再生できないホームビデオありませんか?」においてDelayed収録の「Reborn」が番組テーマソングとして採用。過去にJ SPORTSのツール・ド・フランスCM曲に「Sonic Disorder」が採用されたことはあったものの、初の本格的なタイアップが全国放送かつ公共放送であるBSプレミアムで付いた事はファンに衝撃を与えた。後にこの再生できないホームビデオ~は好評につき不定期ながら2022年までにさらに4回もの放送(うち2回はNHK総合テレビでの放送で地上波放送、故にsyrup初の地上波全国ネットタイアップである)を果たしており、セミレギュラー番組となっている。
- 2021年7月7日、振り替え公演以外ではこの年唯一のライブとなる東京ガーデンシアターでの『20210 extendead』の開催が発表。事前に五十嵐の2020年~2021年を総括するライブと銘打って新曲10曲を披露するとアナウンスされ、チケット販売が行われた。また、しばらく後この年に20周年を迎えたファーストフルアルバム『COPY』のアナログ化が発表。
- 2021年11月4日、ガーデンシアターにて10ヶ月ぶりのライブで、久々の単発公演『20210 extendead』が開催。この時期はちょうどコロナの第6波が終息しつつあったものの、企業や事業所単位ではクラスターの危険があるコンサートへの来場を禁じる所も多く、依然として感染者は増減を繰り返しており越境参戦は困難な時期であった(工場や医療関係者など一度に感染者が増えると回らなくなる現場も多かった為)。蓋を開けてみれば、10曲としていた新曲はさらに増えて12曲になり、本編をすべて新曲で構成したライブは2005年以来丁度16年ぶりであった。なお、この時点でこの新曲群が音源化されるか否かは不明で、過去のようにライブだけの1回限りとなる可能性もあった。ライブ終演後には公式サイトのセットリストに速やかに全楽曲の仮タイトルが公表された。一部参加者によるカメラが入っていたという情報を信じて、ファンは祈るように続報を1年近く待つこととなった。
- 2022年9月27日、安倍晋三元首相の国葬が執り行われていたこの日、それまで前年の「COPY」アナログ盤再販のお知らせの状態で止まっていた公式サイトが突如更新され、『Les Misé blue』と題した5年ぶりのニューアルバムが発売されることが発表。このブランクは解散時期の6年に次いで長かった為、ファンは再解散すら危惧していたが、オフィシャルによれば五十嵐の創作意欲は全く衰える事はなかったとのこと。恐らくはコロナの関係でレコーディングに影響があったと思われる。また、ツアーの振替を除き前年に行った唯一の単独ライブである「20210 extendead」も翌年にBlu-ray・DVD化されることがアナウンスされている。このライブで演奏された新曲12作品は全て収録されると告知され、さらに書き下ろし2曲が追加という充実した内容にファンは歓喜した。完全な新曲のみのアルバムは『darc』以来で、13曲以上の作品は『delaydead』以来、さらに新曲のみで14曲以上の構成となったのは『HELL-SEE』以来である。この頃の邦楽界隈は山下達郎の『SOFTLY』を筆頭にELLEGARDENや原由子、LOVE PSYCHEDELICOなど、かなりインターバルの空いた音楽家、バンドの新作発売が多くなった時期にあたり、その理由としてコロナワクチン接種が国内で一定以上広まった事である程度スタジオワークが可能になってきた時期でもあったことが挙げられる。実際、このアルバム発売時の複数の雑誌インタビューにて五十嵐はこの活動空白期間に新型コロナに感染したことを公表している(幸い大事には至らず、活動にも影響しない程度で済んだ模様)。久々のアルバムということで、自社のインターネットラジオ番組「UKPラジオ」にも2週にわたってメンバー全員が出演した。
さらに11月2日、3日にかけてeplusにてキタダがロングインタビューに答えている。syrupについて語ったのは主に後編のこちら。
- 11月23日、通算11枚目となるオリジナルアルバム『Les Misé blue』が無事発売。
この週は、大瀧詠一のリイシューや桑田佳祐のベストアルバムなどそれなりに話題作の多い週ではあったのだが、23日付のオリコンデイリーランキングで11位、翌24日には5位に付け、週間24位の好セールスを記録。いくつかのインタビューにて、アルバム用に新規に描き下ろした楽曲は「Dinosaur」「Les Misé blue」の2曲だが、その他のライブ先行披露の楽曲についても発売までにブラッシュアップが図られていたことが語られている。
なお、同日に全曲のフルコーラス音源がYouTube内の公式チャンネルにアップロードされている。
- 12月2日、8日、9日、大阪と横浜のZeppにてニューアルバム発売記念のミニツアーが開催。
完全体となった新曲14曲は全てセットリストに含まれていた。
このライブにて、ファンの間では名盤と呼ばれ翌年に発売20周年を迎える『HELL-SEE』について何かしらの計画があることが示唆されている。
- 2023年1月13日、これまで五十嵐以外のメンバーのアカウントはあったものの、バンドとしては初めてとなる公式Twitterアカウントが開設。最初のつぶやきは
「syrup16g Official Staff Twitter です。syrup16gの情報を発信していきますので、フォロー宜しくお願い致します」だった。
ポストを読み込み中です
https://twitter.com/syrup16g_staff/status/1613823500103602176
- ライブツアーの、しばらくの後、アナウンスのあったライブ映像『syrup16g LIVE Les Misé blue naked 20210(extendead)』のリリースが翌年3月1日に決定したこと、タワーレコード新宿店で本作を題材としたパネル展の開催が発表された。この時の展示パネルは、同店でこのライブBlu-ray、DVDを購入した際に抽選でプレゼントされることとなっていた。
なお、3月1日は丁度15年前に日本武道館での解散ライブが行われた日でもある。
この映像作品は、「聴いてから観るか、観てから聴くか!」をキーワードとしており、Les Misé blueの楽曲の初演時のステージを最低限の音響調節のみ行ってそのまま収録したものとなっており、楽曲のタイトルも仮タイトル表記のままにするなど、まさにNaked(裸の)を強く意識したものになっている。演奏慣れしていない為か、ステージではメンバー全員に譜面と思しき画面が映ったタブレット端末が設置されている。
全く歌詞が異なる楽曲やキー設定が違う曲、大サビ部分が完成していない作品、逆にギターソロパートが完成版より長い部分など、これまでブートではいくつか確認されていた楽曲の制作過程について、本来であれば世に出ることは無いであろう映像が高画質で販売された事をファンは大いに歓迎している。ちなみに、このライブは新曲が大きく目玉として紹介されているためあまり話題になっていないが、アンコールにおいて近年のツアーで恒例のレアソング演奏も行われており、「希望」が再発ツアー以来7年ぶり、ダブルアンコールではdelayedeadツアー以来実に17年ぶりで再結成以降初披露となる「水色の風」の演奏も行われた。勿論これらトリプルまで行われたアンコールの映像も余すこと無く収録されている。
- ライブ映像発売とほぼ同時に数回仄めかされていたHELL-SEE20周年記念事業が発表され、3月19日に初のアナログ盤が限定販売されること、6月1日より、「Tour 20th Anniversary "Live Hell-See”」と銘打った、初めての京都磔磔でのファイナルを含む10か所を回る全国ツアーの開催が発表された。なお京都磔磔での開催は中畑たっての希望であるとのことである。
なお、アナログ盤に使用する音源は現在流通しているリマスター版ではなく、敢えて発売当時の音質であるオリジナルマスタリングバージョンを採用している。
五十嵐隆流作曲法
フロントマン五十嵐は現在現役のミュージシャンの中でも髄一の速筆としても知られている。
デビュー作の時点で既に録音の有無に関わらずストックが100曲以上あり、アルバムに入れていくのは常にその活動期のベストとなっているという。
活動再開時にも解散時のストックが非常に多く残されていたにも関わらず、10曲以上も収録されたフルアルバム形態の全編書き下ろし作品を発表して世間を驚かせた。
作曲ペースがあまりに速いため、活動時期と音源の作曲時期が一致しないことも多々あり、「delayed」「delaydead」のdelay(遅れてきた者)シリーズはそうした「過去の」楽曲を寄せ集めた作品でもある。
近年、「ダーリー」「タバスコ」「take me in」といった2005年以降の未発表作品で演奏回数が極端に少ないにも関わらず公式セットリストに曲名ごと記載されたまま復活後も放置されたままになっている点や、再結成後のバンド状態や演奏クオリティが全体的に安定していること、「透明な日」「赤いカラス」が2016年のHAIKAIツアーでCD未発表にも関わらず演奏されたことなどから、この“Delayシリーズ”の継続を期待する声も日増しに大きくなっていたため、2017年にシリーズが13年ぶりに再開され、パート3にあたる『delaidback』には、多くの未音源化作品が陽の目を見ることとなった。それでもアルバム1枚分以上はゆうに越える楽曲が遺されていること、五十嵐自身も「Delayedシリーズはいつでも出せる」といった発言をしている点から、今後、シリーズの第4弾、第5弾と続刊が発表される日もそう遠くないのかもしれない。
五十嵐が如何に作詞作曲を行っているのか、については活動初期に以下のように明かしている。
(2001年のインタビュー記事からの抜粋なので、今も同じかどうかは不明)
つまるところ、大滝詠一や桑田佳祐に始まるデタラメ言葉に歌詞を見つけて乗せていく、という手法で、近年でも桜井和寿、YUIなどが同じ方法を用いている云わば『ロックミュージシャンの作曲法における基礎中の基礎』を知らず知らずのうちに習得していた、ということである。
曲はどうやって作っているのか? という問いに対して
『基本的にギターでしか作れないんですけど、ギターのコードの響きっていうか
自分で”他にはない”と思えるような響きをみつけてそこから作る感じですかね。
メロディーは結果的には1個しかなかったりするんですよ。
自分で開発したと勝手に思ってるコードに乗るメロディーは自分のなかには1個しかなくて、それを探す作業というか。
大雑把に言えば、コード進行をまず探って、そこから歌メロが決まって、その後歌詞がのっかるということ。歌詞についてはいまだに…。
文章を書くっていうのが好きじゃないんですよ。
読むのはすごい好きなんですけど。文字で表現するっていうことがまだいまイチわかってないというか。
あまり歌詞っぽくない歌詞っていうか、そういうものを敢えて選んでしまうところがあって、その方向で開き直るというか、そういう感じなんですね。
最初にデモテープを作った時からそれは思ってて。歌詞っぽい歌詞ってあるじゃないですか。
比喩を多用したりとか、共感しやすい言葉を使ったりとか。
そういうのは敢えて使わないで、深くリアリティーのある言葉を自分のなかで探すっていう。で、それがメロディーと拮抗していくように…。メロディーと言葉が相殺し合わないような言葉を選んでいくっていう。ひとつの歌詞を書き始める場合のとっかかりは、何かひとつの言葉で
全体的な物語みたいなものを作るっていうことは自分の作り方としてはなくて。
メッセージ色っていうのは別にないと思うんですけど、自分のなかで引っ掛かっている強い言葉が自然に何個か歌詞のなかに入ってくるっていう。ただ、そのとっかかりになる言葉が結果的に完成品の歌詞の中心になるかというとそうでもないですねえ。
たとえばサビは音楽的には盛り上がるべくして盛り上がってるところだから
そこに強い言葉を必要とはしないと思うんですけど、逆にAメロとかBメロのなかで言いたいことを言っていくっていう感じなんです。
サビっていうのは一番聴かれるところだから、そこでイメージを限定したくないという。とっかかりの言葉が曲とタイトルにつながっているかというと、タイトルは凝ったものにしてしまうとそれがキーワードになってしまうじゃないですか。
でも、僕の場合はそういうものではないから、歌詞のなかにある幾つかの言葉のひとつとしてポンと取り上げてるだけで、そこから何かを広げようとかしないし。
きっと表現っていうのは、そんな安易なものじゃないから、だんだんわかりやすくしていく方向にはあるんですけど…。
でも自分たちのリアリティーとして”正しいことばっかり言ってられない”というか人間のなかにあるひと言では言い表せられないようなものを書きたいっていう気持ちがあるから。まあ、書けてるかどうかは別にして、敢えてキーワードみたいなものは作らない。
syrupっていう名前もそういう考えからきてるし。』
『最初に鼻歌で歌ってるようなときは英語っていうかデタラメ英語なんですよ。
昔から聴いてきた英語の発音の語感に付随してキレイなメロディがあったりして。
でも日本って節回しで歌を作るっていうか、音にコトバをはめ込んでいくっていう感じがするんですよ。
最近だとそういうバンドが多いじゃないですか、洋楽をあんまり聴いてないような。
でも僕は自然と英語で出てきちゃうんですよね。
だから日本語で歌ってるんですけど、メロディへの乗り方は洋楽的というか。
だから……コトバに関しては本当、別物として考えてるんですよね。
ただ、メロディを壊さないように。詞が(曲に)勝っちゃってるのもちょっとイヤだから。
その……曲が黄昏れてるときに思いっきり違う詞を持ってくるおもしろさにも惹かれるけど、やっぱり……洋楽って何も考えずに聴けるところが良いと思ってて、その感覚に近いんですよね。
耳に全部が入らなくても、抜けていってもいいから、たまにひっかかるものがあれば、それで良くて。そういう、聴き流せるものであるべきかなって思うんですよね。』
なお、『coup d'Etat』発売時の新星堂フリーペーパーPause vol.109 2002年7月号でのFAXインタビューでは、影響を受けたミュージシャンについて下記のように答えている。
U2,Radiohead等(っていうのは限りなく嘘に近いです)。
五十嵐的には最も影響を与え続けているのは、まぎれもなく「俺」自身です。
嘘だっと思うなら一曲でも「あの曲に似ている」という曲を教えてください。きっとないはずです。
あっても言わなくていいです。
同インタビューでのsyrupの音楽で描きたいものは何か?という問いに対して
にごっている、という事。そして(本物の)シロップのように無色透明な存在を夢想するあまりに、にごっていく世界。と己。ソとドとシとラとソの中間にある無限の宇宙感。永遠のコドク。生命力。
--新星堂フリーペーパーPause vol.109 2002年7月号より抜粋
エピソード
- BUMP OF CHICKENやナンバーガール(解散)、ART-SCHOOL、GRAPEVINEといったバンドと仲が良く、BUMP主催のライブイベントに親交のあるバンド達と参加したりVo.藤原が「水色の風」という曲にコーラスで参加していたりする。GRAPEVINEのVo.田中と五十嵐は飲み友達。ナンバーガール(現ZAZEN BOYS)のVo.向井秀徳はシロップがかつて出していた会報に中畑の似顔絵(つのだじろう風)を寄稿したり、シロップがツアーで福岡に訪れた際、お勧めのラーメン屋を紹介していた。
- 2008年3月1日の解散ライブは、夢であった日本武道館公演となった。因みにこのラストライブは最初に発売したチケット数を大きく上回る参加希望者が殺到した為、急遽席数を増やしたがそれでも足りず、最終的にはステージの真裏の座席まで開放し、武道館のキャパシティの限界まで詰め込む程にまで至った。
- 80年代の洋楽に影響を受けた五十嵐が作詞と作曲を担当。ディレイとコーラスを多用したThe Police的なポップな曲調なのに、歌詞がとてもダークなのが特徴(テーマが青春の終わり、ダメ人間、死、モラトリアム等について歌っている)。その為、かなり人を選ぶバンドと思われがちだが、一度ハマるとなかなか忘れられない中毒性があるといわれ、「様々なロックバンドを聴いていても結局はまたSyrupに戻ってくる」とよく言われている。
- 解散後、キタダはSalyu等のサポート、中畑はレンタル移籍で参加していたVOLA & THE ORIENTAL MACHINEに正式加入。五十嵐も犬が吠えるという新バンドを組むが、結成して1年もせず突然解散してしまう。
- 因に中畑はVOLAのベースの有江嘉典と共にアニメ「スイートプリキュア♪」のOPテーマ「ラ♪ラ♪ラ♪スイートプリキュア♪」の楽器演奏を担当している。
- キタダはライブ中、全くと言っていいほど喋らない。MCでも喋らない(と言うよりもシロップのライブはMCは殆ど無い。特に後期)。ただ、Salyuやホフディランといった様々な有名ミュージシャンのバックバンドで参加しているので、恐らく1番テレビで観ることが出来る。
- 五十嵐はレコーディング時やバンド初期~中期ぐらいまでのライブではギターをちゃんと弾いていたが、何故か中期以降のライブではグダグダな演奏が多くなっていた。ソロで音を外す、カポタストの位置を間違えたまま演奏する、MCで「俺、世界平和の為に歌うよ!」と珍しく意気込みファンからの歓声と拍手の中演奏した曲のイントロでいきなりエフェクターの操作を間違えて爆笑される等・・・。
仕舞にはギターをほったらかしにして、マイクを持ってステージをウロウロしながら客を煽りまくって、途中思い出したかの様に、今度は歌う事を忘れていつもより上手いギターを弾き出す事もあった。
しかし、それも全て味である。
関連動画
関連コミュニティ
関連生放送
関連項目
- ミュージシャン一覧
- "LIVE FOREVER" The last waltz of Syrup16g
- 堀越耕平 - 漫画家。『僕のヒーローアカデミア』などの作者。週刊少年ジャンプのコメント欄で度々syrupをファンであることを公言している。
外部リンク
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