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F-16はアメリカ合衆国のジェネラル・ダイナミクス社が開発した第4世代ジェット戦闘機である。ジェネラル・ダイナミクス社軍用機部門のロッキード社への売却と、ロッキードのマーティン・マリエッタ併合によるロッキード・マーティンへの改称により、現在はロッキード・マーティン社の製品となっている。
元々は米空軍のLWF(Light Weight Fighter)計画の元に技術研究、実証機という名目で試作された機体だったが、当時マクドネル・ダグラス社が開発したF-15戦闘機の価格が高騰してしまい思うように配備が進まなかった事から、そのまま実用化を進めて正式に採用されたものである(因みに採用を競ったのが、後にF/A-18となるYF-17である)。
ブレンデッドウィングボディ(胴体と主翼の曲面をスムーズに接合する)とフライ・バイ・ワイヤを本格的に採用した初の実用戦闘機であり、F-15と同型のエンジンを1機搭載し対G、推力向上などを図っている。小型軽量な機体と強力なエンジンにより、低空〜中高度での格闘戦なら大型のF-15を凌駕するとされる。
現在はアメリカ空軍のみならず、世界中で配備されており、アメリカ空軍のワイルド・ウィーゼル(凶暴なイタチ:SEAD(敵防空網制圧)任務専用の部隊、こちらはF-16C/DのBlock50D/52Dである)等、様々な派生型が生み出されている。航空自衛隊で運用されているF-2支援戦闘機もこのF-16をベースに日本の技術の粋を集めて改良したものである(まぁイロイロあるんですがね?)。
ただしF-15同様初期型は経年劣化が進んでおり、今後登場する同社のF-35ライトニングIIと交代する予定。
F-16は世界中で4,000機以上も生産されており、現用戦闘機としては世界一の配備数となっているが、その一方で被撃墜機数も多い。湾岸戦争での被害を見ると、撃墜率はバグダット以上の密度でSAMや対空火器が配備された中、滑走路の破壊を目的に空軍基地に低高度爆撃を行ったトーネードIDSや、開発当初想定されていなかった戦線後方への攻撃に投入されたA-10程ではないものの、撃墜数はハリアーIIやA-6、F/A-18に次いで高くなっている。またイラク戦争でも、イラク・イスラム軍に地対空攻撃を食らって撃墜される等散々な目に逢っていたりする(創作の世界でもMGS1でハインドDにやられたり、エスコンZEROでPJが死亡フラグ言った直後にピクシーにやられたり等、やられ役を演じることも多いのは気のせいか…)。
ロッキード・マーティンはF-16の生産拠点をテキサス州フォートワースからサウスカロライナ州グリーンビルに移転させ、現在も生産を続けている。[1]
愛称は、当初「マスタングII」や「コンドル」も検討されていたが、空軍士官学校でマスコットに使用されているファルコン(隼)と決定した。しかし、航空機の商標としては『ファルコン』がダッソーのビジネスジェットに使われいるため、訴訟を避ける目的で、ファイティング・ファルコン(Fighting Falcon:戦う隼)と言う名称が制定されている。
米空軍のパイロットや整備員の間での非公式な愛称として、宇宙空母ギャラクティカ オリジナルシリーズに由来する『バイパー』や『エレクトリックジェット』と言う名称も使用されているが、非公式名称の一つ『バイパー』は、インド向けに提案されていた、F-16の現地公式名称として、メーカー側でも使用している。
F-16開発の契機は、アメリカ空軍内部で、ジョン・ボイド (John Boyd) を中心とする「ファイター・マフィア」と呼ばれるグループが活発に活動していたことから始まる。
アメリカ空軍はF-4の後継として1962年から「F-X」を計画し、最終的にこれはF-15として実現した。F-15の開発にはファイター・マフィアの意見も取り入れられていたが、ファイター・マフィアが望んでいた「視界内の近接戦闘において最高の性能を発揮する、小さく単純で信頼性に富む廉価の軽量戦闘機」には程遠かった。そこでファイター・マフィアの一人であるピア・スプレイ(Pierre Sprey)は「F-XX」という小型、単発、推力重量比1.4の機体を提案した。F-XXはあらゆる面で重量を削り、速度よりも運動性を強調し、レーダー誘導空対空ミサイルは省略、マッハ1.6以上は出せないがF-4に比べ加速力は2倍、航続力がわずかに長く、旋回性能もよいというもので、国防総省内に大きな影響を与えた。[2]
当時のアメリカ空軍の主な派閥であったF-15推進派は、安価な新型戦闘機の出現がF-15導入の予算に影響するとしてこの動きを嫌っていたものの、F-104の発展型である、CL-1200ランサーの売り込み先を探していた、ケリー・ジョンソンの助言により、大手パソコンメーカーのヒューレット・パッカード社の創設者の一人で、当時国防副長官だった、デイヴィッド・パッカードがこの計画に興味を持ち、先進技術の実証機としてLWF(Light Weight Fighter:軽量戦闘機)計画を開始した。
1972年1月6日に提示した要求提案(RFP:request for proposal)は、通常は詳細な性能や想定される作戦等が記載されて200ページにもなるのに対し、わずか21ページという簡潔な物で、20,000lb(約 9トン)級の小型の機体で高い機動性を持ち、搭載される電子機器は単純で、最高速度はM1.6程度、設計案のうち2案による比較テストを行うが量産や制式化は考慮しないとされていた。
ファイター・マフィアは計画に参加しそうなメーカーを回ってLWFのアイデアを吹き込んだところ、9社がLWFに熱意を見せるようになり、1972年2月には5社が設計を提案した。設計案を評価したところ、下から順にロッキード、LTV、ボーイング、ノースロップ、ジェネラル・ダイナミクス…という結果になった(皮肉なことに、パッカードを焚き付けたケリー・ジョンソンのいるロッキードは最下位だった)。ジェネラル・ダイナミクスの「モデル401」がYF-16、ノースロップの「P-600」がYF-17と命名され、それぞれ試作機を作る予算を与えられた。[3]
この様な動きに対して、空軍の制服組による反対や海軍アナリストの横やりも有ったが、F-4の陳腐化やインフレによるF-15の単価上昇等の影響でLWFの実用化の動きが具体化し、1974年3月7日にジェームズ・R・シュレシンジャー国防長官は、LWFを1980年代のアメリカ空軍に配備され、多目的に使用出来るACF(Air Combat fighter:空戦戦闘機)として発展させ、3年間で300機導入した場合の機体単価を300万ドルに納める戦闘機を検討するという計画を上院軍事委員会に提示し、4月27日にACFの飛行審査を決定したが、空軍内部には同盟国向け戦闘機と言う見方も存在していた。
同じ頃、NATO4カ国(ベルギー、デンマーク、ノルウェー、オランダ)がF-104Gの後継機の取得に際して有利な取引条件を引き出すために共同行動を取るためのグループ、MFPG(多国戦闘機計画グループ)を1974年初めに発足させた。MFPGの調査団はフランスやスウェーデンを訪問し、1974年6月にはアメリカを訪れてACFの候補機やアメリカ空軍の計画などを評価した。4カ国はF-15クラスの機体を全く求めていない、つまり自分たちは4カ国に売り込める機体を持っていないことに気づいたアメリカは、ACFの方針を変更し、計画のスケジュールも早めることにした。[4]
YF-16の正式な初飛行は1974年2月2日とされるが、これに先立つ1月20日のタキシングテスト中にロ−ル軸のふらつきが発生、機体への壊滅的な損傷を防ぐため離陸、テストを行っていた飛行場周辺を飛行している。YF-16とYF-17の飛行審査期間中に、当時アメリカ空軍が保有していた、多くの機種とDACTが行われたが、意図的にF-15やF-17の直接対決は、避けられていた。
1975年1月、F-16(のコンセプト)がACFの勝者に選ばれた。ジェネラル・ダイナミクスはFSD(フル・スケール・デベロップメント:全面開発)の設計に移行、FSD(合計8機製造)の第1号機は1976年12月に初飛行、アメリカ空軍の生産1号機の受領は1978年8月に行われている。
F-111という大失敗を経験しているにもかかわらず、米議会は再び米空軍と米海軍の戦闘機を共用化させようと考えていた。
海軍は新しい戦闘機を調達する計画であるNACF(海軍空戦戦闘機)を進めていたが、議会は1974年10月に「海軍の新しい戦闘機はACFの候補機のいずれかに基づくべきである」という指示を出し、F-16の海軍型がジェネラル・ダイナミクス社とLTV社のチームから、F-17の海軍型がマクダネル・ダグラス社とノースロップ社のチームから提案された。
確かに海軍と空軍の戦闘機が共通になれば投資コストや機体の維持コストの大幅な節約になった可能性はあるが、実際には空軍と海軍との間ではそのような議論はほとんど行われず、空軍は独自にYF-16を選定し、海軍も独自にYF-17の海軍型をF-18として採用した。→ F/A-18
※ジミー・カーター政権下の1977年、F-16の輸出先をNATO諸国とイスラエルに限定する制限が加えられたが、この制限は諸事情により台湾と東南アジアを除き有名無実化、1984年にレーガン政権により台湾向けの高性能兵器売却禁止と引き換えに、販売対象国は拡大して行った。
1981年にイスラエル空軍によるバグダット近郊で建設中の原子炉爆撃(バビロン作戦)にF-15戦闘機と共に投入され、初めての実戦参加となった。イラクのオシラク原子力発電所に2000ポンド爆弾を投下、これを完全に破壊しイラクの核開発能力ごと「消滅」させが、バビロン作戦後も『今日明日にでも核兵器保有国の仲間入りが出来る』と、サダム・フセインは公言していた。しかし、イラクの核開発機関は、フセインの食事の毒味以外に具体的な成果を残せず、最終的にはイランイラク戦争とそれに続く湾岸戦争、国連による核査察と経済制裁、イラク戦争を経て、政権崩壊への道を歩む事となった。翌82年のガリラヤ平定作戦では、シリア空軍とのベッカー高原での航空戦に投入された。
湾岸戦争における「砂漠の嵐」作戦では、LANTIRNの不足(搭載している機体もあったが、航法ポッドのみで目標指示ポッドは無し)に加え、対空砲での撃墜を避けるために中高度からの爆撃を命じられた(爆撃ソフトウェアとパイロットの訓練は低高度での攻撃に最適化していた)ために、良い結果を残すことはできなかった。[6]
湾岸戦争後のサザン・ウォッチ作戦では飛行禁止空域に侵入したイラク軍のMiG-25を配備されたばかりのAIM-120Aで撃墜。これがAIM-120の初戦果となった。
2003年のイラク戦争では湾岸戦争での鬱憤を晴らすかのようにペイブウェイからJDAM、更にHARMといったスマート兵器の大盤振る舞い。湾岸戦争から更にハイテク化の進んだアメリカ軍の進化っぷりを見せ付けた。
計画機や実験機、事後アップグレードに運用国独自仕様等、詳しい違いはWikipedia英語版か航空専門誌(航空ファン等、航空専門誌ではないが、軍事研究/同誌別冊で特集を行ってる場合はおすすめ)、イカロス出版のF-16本を参照)
ゲームにおいてはパソコン専用ソフトでFalcon4.0がリリースされており、操作体系まで拘ったリアル志向のゲーム性を味わうことが出来る。また、テレビゲーム等においても人気が高く、特にエースコンバットシリーズにおいては未来設定の3を除き皆勤と高い登場頻度を誇る。何かとお世話になるため馴染みの機体である人も多い(はず)。エースコンバットZEROでは空飛ぶ死亡フラグで名高いPJの使用機体であり、エースコンバット6ではプレイヤーの初期機体である。また6では、DLCとしてアイドルマスターの双海真美の痛戦闘機(アイドルコンバット)としてF-16Cが登場している。
掲示板
376 ななしのよっしん
2024/12/17(火) 13:07:42 ID: RLKSiyK8sw
ウクライナF16をとりあえず防空で活用して、毎回めちゃくちゃ巡航ミサイルを撃墜してて、実際の現場で凄いウクライナ軍内で評価高いねF16。
ただバイデンがアメリカから直接F16をもっと早く多数供与出来てたら、今頃ロシア空軍をもっと封じられてただろうに・・・。
377 ななしのよっしん
2025/01/20(月) 09:34:32 ID: pw7BzwuQUW
小型軽量機ゆえに搭載燃料が少ないって弱点はあるけど、軽いに機体にF-15と同じエンジン積んでるおかげで機動力も加速度もクソ高いからな
Mig-29程度じゃ相手にもならない…というと流石に言い過ぎだが、かなり優位なのは確か
378 ななしのよっしん
2025/01/20(月) 09:46:42 ID: eEsUqaRkbh
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最終更新:2025/03/22(土) 15:00
最終更新:2025/03/22(土) 15:00
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