<< 東方昭和伝第七部の年表
| 内閣 | 月日 | 日本の動き | 世界の動き |
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近 衛 文 麿 ∥ 貴 族 院 ・ 挙 国 一 致 ∥ |
第二十五章「旧秩序への挑戦」 1/3 ![]() |
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| 昭 和 1 3 年 (1938年) | |||
| 3月13日 | 12日よりドイツ軍がオーストリアへの進駐を開始 13日、ザイス=インクヴァルト首相が合併協定に署名し、ドイツがオーストリアを併合 |
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| 3月16日 | 社会大衆党代議士・西尾末広の演説中「(近衛首相は)ムッソリーニの如く、ヒットラーの如く、或いはスターリンの如く、確信に満ちた指導者たれ」の「スターリン」部分を政友会・民政党が批判 (23日、賛成多数で議員除名処分) |
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| 4月1日 | 「国家総動員法」公布 「電力国家管理法」公布 |
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| 4月7日 | 大本営、北支那方面軍・中支那派遣軍に対し、徐州方面の中国軍撃破を下令 | ||
| 4月8日 | 最恵国待遇について協議 |
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急進社会党のダラディエ内閣成立 |
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| 4月21日 | 皇族・梨本宮が杉山陸相に辞任勧告 陸相更迭工作はじまる |
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| 4月24日 | ズデーテンラントのドイツ人が自治を要求 |
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| 4月25日 | 北アイルランド6州を除く地域より英軍が撤退し、イギリス連邦内の「エール共和国」としてアイルランド島の独立が承認される。(49年、英連邦脱退) |
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| 5月5日 | 国家総動員法 施行 | ||
| 5月16日 | 閑院宮参謀総長、杉山辞任・板垣後任を上奏 | ||
| 5月17日 | 空母「エセックス」戦艦「サウスダコタ」など艦艇69隻、航空機3000機の製造を計画 |
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| 5月19日 | 陸軍三長官会議、陸相後任を板垣か古荘幹郎中将かで協議まとまらず 第13師団歩兵第65連隊、徐州入城 |
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| 5月20日 | 三長官会議は板垣陸相・東条次官で一致 | ||
| 5月21日 | 岡山県で「津山三十人殺し」事件発生 | ||
| 5月25日 | 北支那方面軍・寺内寿一大将と中支那派遣軍・畑俊六大将、そろって徐州入城式 | ||
| 5月26日 | 内閣改造 外務 広田弘毅 → 宇垣一成 拓務 大谷尊由 → 宇垣一成(兼任) 大蔵 賀屋興宣 → 池田成彬 商工 吉野信次 → 池田成彬(兼任) 文部 木戸幸一 → 荒木貞夫 厚生 木戸の文相兼職をやめ、専任へ |
米国内の破壊活動を取り締まる特別委員会 (のちの冷戦時代に「赤狩り」の舞台となる) |
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| 5月30日 | 東条英機中将、陸軍次官に就任 | ||
| 6月2日 | 北支那方面軍、大本営の制限ラインを超えて西方への進撃を下令 | ||
| 6月3日 | 板垣征四郎中将、陸軍大臣に就任 | ||
第二十五章「旧秩序への挑戦」 2/3 ![]() |
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| 6月5日 | 河南省の開封市を占領 | ||
| 6月11日 | |||
| 6月13日 | ソ連の秘密警察幹部、ゲンリフ・リュシコフが満洲へ亡命 | ||
| 6月30日 | 不二家設立 | ||
| 7月 | 尾崎秀実が内閣嘱託となる | ||
| 7月5日 | 阪神大水害 | ||
| 7月9日 | |||
| 7月20日 | |||
| 7月21日 | 板垣陸相・閑院宮参謀総長、張鼓峰問題での武力行使につき上奏 | ||
| 7月29日 | |||
| 7月30日 | |||
| 外務省革新官僚、宇垣外相にクレーギー・英国駐日大使との会談拒否、白鳥敏夫の次官起用などを要求 | |||
| 8月4日 8月7日 |
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| 8月10日 | |||
| 8月11日 | |||
| 8月16日 | |||
| 8月18日 | |||
| 8月21日 | 星岡茶寮にて板垣陸相・米内海相会談 | ||
第二十五章「旧秩序への挑戦」 3/3 ![]() |
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| 9月3日 | 駐英大使・吉田茂に帰朝命令 | ||
| 9月6日 | |||
| 9月7日 | 13日、ズデーテンラントのドイツ人とチェコ警察隊が衝突 プラハは非常事態を宣言 |
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| 9月15日 | |||
| 9月18日 | |||
| 9月19日 | |||
| 9月21日 | ホッジャ内閣総辞職、スィロヴィ内閣成立 |
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| 9月22日 | 白鳥敏夫、イタリア駐箚特命全権大使に任命 | ||
| 9月23日 | |||
| 9月24日 | |||
| 9月25日 | |||
| 9月28日 | ヒトラーこれを受け入れ、開戦延期を声明 |
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| 9月29日 | 30日、協定調印 ドイツの要求はほとんど認められ、ポーランド・ハンガリー両国へも領土割譲を承認 |
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| 9月30日 | 宇垣外相辞任 近衛首相が1ヶ月間兼任ののち、有田八郎・元外相が後任 |
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| 10月1日 | |||
| 10月5日 | |||
| 10月8日 | 駐独大使館付武官・大島浩陸軍中将を駐独大使に任命(予備役編入) 東郷茂徳は駐ソ大使に転出 | ||
| 10月21日 | 広東を占領 | ||
| 10月27日 | 武漢三鎮を攻略 | ||
| 11月 | 東条陸軍次官・多田駿参謀次長の更迭 | ||
| 11月3日 | 第2次近衛声明 「東亜新秩序」をうたう |
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| 11月9日 | ドイツ各地で反ユダヤ主義暴動が発生 |
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| 11月10日 | |||
| 11月12日 | |||
| 12月4日 | 重慶への爆撃を開始 | ||
| 12月15日 | |||
| 12月16日 | |||
| 12月18日 | |||
| 12月22日 | 第3次近衛声明 善隣友好・共同防共・経済提携の「近衛三原則」を発表 撤兵については盛り込まず |
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| 12月29日 | |||
| 12月31日 | |||
| 昭 和 1 4 年 (1939年) | |||
| 1月1日 | |||
| 1月4日 | 第1次近衛内閣総辞職 | ||
平 沼 騏 一 郎 ∥ 枢 密 院 ・ 挙 国 一 致 ∥ |
第二十六章「欧州情勢は複雑怪奇」(前編) 1/2 ![]() |
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| 1月4日 | 湯浅内大臣、興津に元老西園寺を訪う 西園寺は明確な奏薦意思を示さず、湯浅は「自己の責任」によって枢密院議長・平沼騏一郎男爵を後継首班に上奏 平沼男爵に大命降下 |
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| 1月5日 | 平沼騏一郎内閣成立 | ||
| 1月6日 | |||
| 1月13日 | 御前会議 海南島攻略作戦を了承 |
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| 1月15日 | 横綱双葉山が安藝ノ海に敗れ、連勝記録ストップ | ||
| 1月19日 | 五相会議 防共協定を第三国(英仏)へ適用拡大するも、独伊への軍事支援はしないことを合意 |
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| 1月24日 | |||
| 1月26日 | |||
| 2月7日 | |||
| 2月10日 | 海軍、海南島を攻撃 14日までに占領 | ||
| 2月14日 | 金製品回収・強制買い上げを布告 | ||
| 2月27日 | |||
| 3月2日 | 教皇ピウス12世(~1958) |
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| 3月9日 | 服部卓四郎中佐、関東軍作戦班長に着任 | ||
| 3月10日 | |||
| 3月11日 | |||
| 3月14日 | 東端の「カルパティア・ルテニア」地域も「カルパト・ウクライナ共和国」として独立 |
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| 3月15日 | 全国の「招魂社」を「護国神社」に改称 | ヒトラー、ベルリンを訪問したチェコのハーハ大統領に併合文書署名を強制 |
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| 3月16日 | |||
| 3月17日 | |||
| 3月21日 | 五相会議 | ||
| 3月22日 | 五相会議 武力援助容認(ただし発動しない)の秘密了解事項につき合意 出先大使(駐独大使大島・駐伊大使白鳥を想定)の独断専行に対する召還措置などを決定 天皇、五相の署名文書提出を求める |
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| 3月24日 | |||
| 3月27日 | |||
| 3月28日 | |||
| 3月30日 | 南沙諸島を大日本帝国領土として台湾総督府高雄市に編入 | ||
| 4月1日 | 電気庁設置 | ||
| 4月4日 | ファイサル2世即位(最後のイラク王) |
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| 4月6日 | |||
| 4月7日 | アルバニア王ゾグー1世は亡命 |
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| 4月8日 | 有田外相、防共協定問題につき上奏 天皇、大島・白鳥両大使の専横に不満を述べる |
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| 4月9日 | 犯人は英国官憲に逮捕されるが、英側は日本側への引渡しを拒否 |
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| 加藤寛治・元海軍軍令部長 死去 | |||
| 4月10日 | 板垣陸相、拝謁 天皇、再び両大使と陸相の対応に不満 |
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| 4月12日 | 米穀配給統制法 公布 | イタリア王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世がアルバニア王に即位 |
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| 4月13日 | 五相会議 有田外相と米内海相、防共協定交渉打ち切りを主張し、板垣陸相も態度を軟化 |
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| 4月14日 | 五相会議 板垣陸相、再び交渉継続・強硬論を主張 |
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| 4月18日 | 影佐禎昭(陸軍大佐)と犬養健(政友会代議士)、 ハノイで汪兆銘と面会 25日、汪はハノイを離れ、5月6日に上海着 |
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| 4月25日 | 関東軍司令部(司令官:植田謙吉・陸軍大将)、 『満ソ国境紛争処理要項』を布告 |
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| 4月27日 | |||
| 4月28日 | |||
| 4月30日 | 立憲政友会革新派(中島派)、自派のみで党大会を開き、中島知久平を政友会総裁に推戴 | ||
| 5月3日 | 重慶爆撃で初めて焼夷弾を使用 | モロトフに交代 |
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| 5月7日 | 五相会議 | ||
第二十六章「欧州情勢は複雑怪奇」(前編) 2/2 ![]() |
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| 5月11日 | 満洲国軍兵と交戦 (第1次ノモンハン事件の勃発) |
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| 5月13日 | ハイラルの第23師団(小松原道太郎中将)、満州国部隊からのモンゴル兵越境連絡を受領 | ||
| 5月15日 | 東 八百蔵中佐の部隊(東支隊)がノモンハンに進出 | ||
| 5月17日 | 東支隊、ハイラルに帰還 | パレスチナへのユダヤ人移民の制限・10年以内のアラブ人主導によるパレスチナ独立国の創設をうたう ユダヤ人政治勢力、激しく反発 |
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| 5月18日 | カンジュルに航空部隊を前進 | ||
| 5月21日 | 小松原師団長、山県武光中佐指揮の「山県支隊」を編成 「東支隊」もこれに加わる | ||
| 5月20日 | 政友会正統派(久原派・鳩山派・三土派など)、 久原房之助を総裁に推戴 中立勢力は金光庸夫・衆議院副議長を中心として 政友会中立派を形成(犬養健など) 立憲政友会の大分裂が決定的に |
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| 5月22日 | |||
| 5月25日 | 宇佐美興屋侍従武官長(陸軍中将)更迭 後任は畑俊六(陸軍大将) |
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| 5月28日 | |||
| 5月29日 | 東捜索隊 全滅 | ||
| 5月31日 | 山県支隊に撤退命令 汪兆銘来日 平沼首相らと会談 |
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| 6月1日 | 尾崎秀実、満鉄調査部嘱託職員として、南満州鉄道東京支社に勤務(「ゾルゲ事件」での逮捕まで、ここで務める) | ||
| 6月3日 | 五相会議 日独同盟・対英仏・対ソ問題につき、ドイツ側への回答を決定 |
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| 6月7日 | 満蒙開拓青少年義勇軍壮行会 | ||
| 6月14日 | 北支那方面軍、天津の英国と仏国の租界を封鎖 |
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| 6月16日 | 男子の長髪・女子のパーマネントを禁止 | ||
| 6月19日 | 第23師団は関東軍司令部にソ連軍攻撃を打診 |
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| 6月21日 | 対ソ問題につき陸軍省・参謀本部幹部会談 | ||
| 6月25日 | 参謀本部、有末 次・作戦班長の新京派遣を通告 | ||
| 6月26日 | 関東軍、第2飛行集団にタムスク攻撃を命令 | ||
| 6月27日 | |||
第二十七章「欧州情勢は複雑怪奇」(後編) 1/2 ![]() |
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| 6月29日 | 参謀本部、係争地を固守する必要はないとする旨の大陸命を布告 | ||
| 7月1日 | |||
| 7月5日 | 板垣陸相、人事とドイツ問題につき参内 | ||
| 7月6日 | 関東軍の渡河作戦は頓挫し、この日までにハルハ河右岸(東岸)へ後退 | ||
| 7月7日 | 第23師団はハルハ右岸で攻勢に出る | ||
| 7月8日 | 国民徴用令を布告 | ||
| 7月12日 | 日比谷公会堂で英国排撃市民大会 | ||
| 7月14日 | 反英国民会議 英国排撃のデモ行進 | ||
| 7月15日 | |||
| 7月18日 | 五相会議 板垣陸相、有田外相にノモンハン事件の外交解決を提言 |
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| 7月20日 | 中島参謀次長、磯谷関東軍参謀長にノモンハン事件収拾の『事件処理要綱』を説明 | ||
| 7月23日 | 関東軍、ハルハ右岸で総攻撃(~25日) | ||
第二十七章「欧州情勢は複雑怪奇」(後編) 2/2 ![]() |
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| 7月26日 | |||
| 8月2日 | この日付でルーズベルト大統領に対し、アインシュタイン博士の署名が入った、原子爆弾開発についての書簡が送付される |
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| 8月8日 | 五相会議 板垣陸相、留保条件を付けずに早期の日独同盟締結を主張 |
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| 8月20日 | 日本軍陣地は各所で蹂躙され、31日までにソ連軍が自己の主張する国境線の地域を制圧 |
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| 8月21日 | |||
| 8月23日 | リッベントロップ独外相、モスクワを訪問し条約調印 10年間の相互不可侵を約する 秘密条項で東欧諸国の分割を決定 |
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| 8月24日 | |||
| 8月28日 | 平沼内閣総辞職 『…今回締結せられた独ソ不可侵条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じたので、我が方は之に鑑み、従来準備来った政策はこれを打切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至った…』 |
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| 8月29日 | 湯浅内大臣、御殿場に元老西園寺を訪う 予備役陸軍大将・阿部信行を後継首班に奏薦 阿部大将に大命降下 |
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阿 部 信 行 ∥ 陸 軍 ・ 挙 国 一 致 ∥ |
8月30日 | 阿部信行内閣成立 山本五十六中将、連合艦隊司令長官に就任 |
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| 8月31日 | 畑侍従武官長が内閣(陸軍大臣)へ転出のため、武官長を辞任 後任は蓮沼蕃中将(最後の侍従武官長) |
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第二十八章「第二次世界大戦勃発」 ![]() |
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| 9月1日 | 内モンゴルに蒙古聯合自治政府を樹立 | 早朝、宣戦布告無いままドイツの三軍はポーランド国境を突破し、同国内へ侵攻 |
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| 9月3日 | 大本営、ノモンハンでの軍事行動中止を下命 | 英仏、ドイツに対しポーランドからの撤退を最後通牒するもドイツは答えず 相互援助条約に基づいて、英仏両国はドイツに対し宣戦布告 チャーチル、チェンバレン内閣海軍大臣に就任 |
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| 9月4日 | 第二次世界大戦への不介入を宣言 | ||
| 9月5日 | |||
| 9月7日 | 梅津美治郎大将を関東軍司令官に親補 植田謙吉司令官・磯谷廉介参謀長・矢野音三郎参謀副長・服部卓四郎参謀・辻政信参謀など首脳部をことごとく更迭 |
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| 9月15日 | |||
| 9月17日 | |||
| 9月18日 | 九・一八停止令 「価格等統制令」「賃金統制令」を発布 |
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| 9月25日 | 予備役海軍大将・野村吉三郎、外務大臣就任 | ||
| 9月27日 | |||
| 9月28日 | カーゾン線に準ずるラインでポーランドを分割 ソ連軍のエストニア駐留を容認 |
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| 9月30日 | |||
| 10月1日 | 石油燃料の配給制開始 | ||
| 10月5日 | ソ連軍のラトビア駐留を容認 |
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| 10月10日 | ソ連軍のリトアニア駐留を容認 |
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| 10月11日 | |||
| 10月12日 | 貿易省設置問題 外務省高級官僚が一斉に辞表を提出し、ストライキを開始 13日、内閣は方針転換 |
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| 10月19日 | 岸信介、商工省次官に就任 | ||
| 10月20日 | 「地代家賃統制令」を施行 | ||
| 11月4日 | 野村外相、グルー米大使と会談 揚子江問題・通商条約問題について協議 |
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| 11月6日 | 「米穀強制買い上げ制」を実施 | ||
| 11月21日 | |||
| 11月26日 | |||
| 11月30日 | 元老秘書原田、横須賀に山本連合艦隊司令長官を訪問 | ソ連軍はフィンランド全国境に対し進撃を開始 |
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| 12月1日 | 「白米禁止令」を施行 | ||
| 12月7日 | フィンランド軍はソ連軍を各戦域で撃破 |
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| 12月13日 | 南米・ウルグアイ沖で、通商破壊作戦中の独海軍のポケット戦艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」と英海軍が交戦 「シュペー」はウルグアイ(中立国)に逃走するも、17日に自沈 |
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| 12月14日 | |||
| 12月22日 | 野村・グルー会談 米国は通商条約に関する日本側の提案を拒否 |
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| 12月23日 | 第七十五帝国議会招集 | ||
| 12月27日 | 衆議院各政党、阿部首相の辞職勧告を決議 | ||
| 昭 和 1 5 年 (1940年) | |||
| 1月1日 | 加藤一二三 産まれる | ||
| 11月26日 | フィンランド軍はソ連軍を撃破 |
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| 1月11日 | 湯浅内府、原田と会談 「米内大将を引張りだすよりしようがあるまい」 |
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| 1月12日 | 岡田啓介元首相、米内を訪問 | 「モロトフのパン籠」発言 |
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| 1月14日 | 阿部内閣総辞職 湯浅内府は予備役海軍大将・米内光政を後継首班に奏薦 米内大将に大命降下 |
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この期間の政府・軍部首脳
第1次近衛内閣
34 |
公爵 近衛文麿 1937年(昭和12年)6月4日 ~ 1939年(昭和14年)1月5日 (貴族院議員 前・貴族院議長) |
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| 外務 | 広田弘毅(~38.5) 宇垣一成(~38.9) 公爵 近衛文麿(~38.10) 有田八郎 |
大蔵 | 賀屋興宣(~38.5) 池田成彬 |
内務 | 馬場鍈一(~37.12) 末次信正 |
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| 陸軍 | 大将 杉山 元(~38.6) 中将 板垣征四郎 |
海軍 | 大将 米内光政 |
司法 | 塩野季彦 |
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| 文部 | 安井英二(~37.10) 侯爵 木戸幸一(~38.5) 男爵 荒木貞夫 |
農林 | 伯爵 有馬頼寧 | 商工 | 吉野信次(~38.5) 池田成彬 |
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| 逓信 | 永井柳太郎 | 鉄道 | 中島知久平 |
拓務 | 大谷尊由(~38.6) 宇垣一成(~38.9) 公爵 近衛文麿(~38.10) 八田嘉明 |
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| 厚生 | 侯爵 木戸幸一(38.1新設) | 書記 | 風見 章 | |||
平沼内閣
35 |
男爵 平沼騏一郎 1939年(昭和14年)1月5日 ~ 8月30日 (前・枢密院議長) |
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| 外務 | 有田八郎 | 大蔵 | 石渡荘太郎 |
内務 | 侯爵 木戸幸一 |
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| 陸軍 | 中将 板垣征四郎 |
海軍 | 大将 米内光政 |
司法 | 塩野季彦 |
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| 文部 | 男爵 荒木貞夫 |
農林 | 櫻内幸雄 | 商工 | 八田嘉明 |
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| 逓信 | 塩野季彦(~39.4) 田辺治通 |
鉄道 | 前田米蔵 |
拓務 | 八田嘉明(~39.4) 小磯国昭 |
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| 厚生 | 広瀬久忠 | 書記 | 田辺治通(~39.4) 太田耕三 |
班列 | 公爵 近衛文麿 (枢密院議長) |
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阿部内閣
36 |
阿部信行 1939年(昭和14年)8月30日 ~ 1940年(昭和15年)1月16日 (陸軍大将) |
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| 外務 | 阿部信行(~39.9) 野村吉三郎 |
大蔵 | 青木一男 |
内務 | 小原 直 |
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| 陸軍 | 大将 畑 俊六 |
海軍 | 中将 吉田善吾 |
司法 | 宮城長五郎 |
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| 文部 | 河原田稼吉 |
農林 | 伍堂卓雄(~39.10) 酒井忠正 |
商工 | 伍堂卓雄 |
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| 逓信 | 永井柳太郎 | 鉄道 | 永井柳太郎(~39.11) 永田秀次郎 |
拓務 | 金光庸夫 |
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| 厚生 | 小原 直(~39.11) 秋田 清 |
書記 | 遠藤柳作 |
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関連項目
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