霞とは、大日本帝国海軍の朝潮型駆逐艦10番艦(9番艦とする場合あり[1])をモデルとした艦隊これくしょん~艦これ~の登場キャラクター(艦娘)である。
CV:宮川若菜。イラストレーターはコニシ。
概要よ。何度言わせるのよ、このクズ!
朝潮型駆逐艦の十女。起工順的には九女であったが霞の竣工が遅れて本来の十女、霰の方が先に竣工したためこのような結果となっている。艦これでは霰が「朝潮型最後の建造艦」と言っているものの、図鑑の並び的に霞が10番艦とされているようなので本記事ではそちらに従う。
礼号作戦において木村昌福少将に旗艦として選ばれた艦であり、慢心の恐ろしさを深く理解している誇り高き古参の艦娘の1隻である。一部提督からはではロリっ娘版ハートマン軍曹名提督製造機、もしくはダメ提督更生機とも評される。
他の朝潮型同様市立小の女子用制服のような服装が特徴。特にこの霞は機関部の背負い紐が赤く、小学生女子の代名詞でもある赤いランドセルのようにも見えるためそれが余計に際立っている。
さて見た目的には完璧なロリコンホイホイなのだが、それでは人気の方がどうかと言うと長い間さっぱりであった。
理由は「口が凄まじく悪いから」の一言に尽きる。
こうした点は姉である満潮とも似るが、彼女の場合は加入時セリフが「霞よ!ガンガン行くわよ、ついてらっしゃい!」と非常にポジティブで「駆逐艦隊を率いてくれる姉御肌の艦娘か」と期待した提督たちが不意討ちを受けたためか評価はさらに悪く、「満潮なんて霞に比べればだいぶマシ」などと言う声も聞こえてくる程である。
霞に甘い言葉を期待した提督の受難は秘書艦にした直後に始まる。どんな反応を返すのかとwktkしながら霞をつついた提督たちの耳に入ってくるのは「だから何よ」「用があるなら目を見て言いなさいな」「はぁ?それで逆切れ?だらし無いったら!」と甘い言葉を期待していた提督にとっては青天の霹靂とも言うべききつい言葉の連続砲撃を受ける。
ではつつくから駄目なのかと戦績を開くと「手紙よ。何度言わせるのよ、このクズ!」と予想をはるかに超える悪態が飛んでくる。ちなみによく比較対象となる姉、満潮は「司令官にお知らせ。」と良くも悪くも極めて事務的に対応してくれる。
しかし、霞は太平洋戦争勃発前からあの天一号作戦で大和の最期を見届け自分も沈むまで帝国海軍の栄枯盛衰を間近で見守り、そして次々と沈んでいく姉妹艦や僚艦たちを見続けた百戦錬磨の駆逐艦であることを忘れてはならない。
帝国海軍に長く在籍している以上、必然的にその艦生は決して華々しいものではなかった。
霞に下された指令には理不尽なものも多かっただろう。言いがかりのような形で非難され、座乗していた駆逐隊司令が自決に追い込まれた経験を始めとして、過酷すぎる作戦に何度も参加した。参加艦艇の多くが大被害を受けながら9回に渡って行われたレイテ島への輸送護衛任務(多号作戦)、挺身部隊としてかき集められた部隊で行われたミンドロ島への奇襲攻撃(礼号作戦)、部隊全滅も覚悟された南シナ海からの撤退・輸送作戦(北号作戦)。そして遂には、目的地到達前に壊滅必至で、たった10隻で沖縄へと突入する「天一号作戦」に参加し、散っていったのである。
「帰ろう。帰れば、また来られるからな」
これは日本海軍の水上作戦における最後の勝利である礼号作戦で司令官を勤め、旗艦に巡洋艦を選ばず駆逐艦である霞をあえて選んだ木村昌福少将の言葉[2]である。霞は駆逐隊司令に自決され、その後上記の言葉を残した司令官などを迎え、最後は天一号作戦で散った艦である。その前提を置いた上でもう一度以下に列記する霞の言葉をすべて見直してみることを強く推奨する。
- 「用があるなら目を見て言いなさいな!」
- 「こんなの全然強化のうちに入んないわよ。」
- 「新艦が完成したわ。迎えに行きなさい」
- 「別に嬉しくもなんとも無いわ。一応貰っといてあげるけどね」
- 「作戦が終了したわ。報告を聞きなさい。」
- 「タイミングおかしいったら!」
- 「ったく…どんな采配してんのよ…本っ当に迷惑だわ!」
- 「あーもう、バカばっかり!」
- 礼号作戦において撃沈された駆逐艦清霜の乗員の救助のために、旗艦だった霞は自ら危険海域で機関停止した上で救助を敢行。「救助をするのは私だけで十分よ!あなた達は逃げなさい、これは旗艦命令よ!」という霞の指示を足柄・大淀はガン無視して霞を護衛。さらに僚艦だった朝霜も同様に機関停止して救助活動を始める。おそらく霞は「あーもう、バカばっかり!」と言ったのではないだろうか。
(注:資料によっては偶然そうなっただけとなっています。各自ご自身で調べてみてください。) - 「何よ、補給なの!?…まあ、必要だけど。」
霞は常に提督の目を真正面から見つめていることに気がついただろうか。そんな霞だからこそ、彼女のきつい言葉を浴びながらもやさしく抱きしめる提督たちが少なからず存在するのである。編成時に口走る「霞、出るわ。見てらんないったら!」の一言は彼女の本心であると同時に艦隊司令官に対する彼女の複雑な心情を的確に表現しているのである。
また、同僚に対して優しい様子も散見され、特に清霜のことをかなり気にしているようで塩おにぎりなどを差し入れしている様子が清霜(2014年8月実装)の時報から見て取れる。
9駆時代の僚艦薄雲とともにおにぎりを作る霞 |
おむすびの差し入れは礼号作戦時のもうひとりの部下である朝霜(2015年2月実装)にも届けられているようで、甘やかされているのか朝霜は提督か霞からの差し入れで一日をしのいでいる。
朝霜改二が実装(2019年10月)されると、今度は第21駆逐隊司令駆逐艦としての朝霜が霞と初霜を連れ立って戦闘に出撃するボイスが追加された。
9駆から再編18駆時代の僚艦薄雲(2020年6月実装)は霞とおにぎりの交換を提案してくる。薄雲は交換した霞のおむすびが美味しいと言っているので、それなりの腕前なことが伺える。
ここまでの流れからある意味当然といえば当然だが、白雲(2023年8月実装)の時報でも霞がおにぎりを差し入れており、最低でも4人におにぎりを差し入れていることが判明した。(おむすびの腕前は、先代一水戦旗艦阿武隈仕込みなのかも知れない。阿武隈はキスカ島撤退兵におにぎりをふるまった史実もある。)
霞の提督に対する言葉は確かに軍隊仕込みとはいえ教育目的として見てもきついものが多い。しかし上記にある通り彼女は戦争の酸いも甘いも嫌と言うほど見せつけられた百戦錬磨の駆逐艦であり、何より座乗していた司令官が判断ミスから自決にまで追い込まれてしまう姿を見ていた艦娘だということを忘れてはならない。そんな経験からくる「今の司令官をそんな目に遭わせるまい」という思いが、必要以上に厳しい叱咤として表れているのだろう。
補給ボイスを聞く限りでは若干キレ癖がついてしまっているようだがそれは御愛嬌と言ったところか。
なお、季節限定ボイスが充実してきた今、最前線にありながら僚艦たちや提督と騒がしくも楽しい日々を送っている様子が補完されている。ボイスを追う限りでは全体的にデレつつあるようである。
特に節分で駆逐艦が調子に乗った結果マジ切れした軽巡棲姫神通を目の当たりにしてすべてを放り出し撤退する様は普段の霞とのギャップもありなかなか微笑ましく、必聴である。
2015年秋の期間限定ボイスでは礼号作戦に触れているが、霞にしては珍しく勢いのない声で戸惑いすら浮かべており、相当不安に思っている様子が見て取れる。いかに百戦錬磨の武勲艦とは言えやはり本質的には少女なのだ。霞の不安を受け止められるかどうか、提督の度量が試されているといえるだろう。
ただし調子に乗ってつつきまわしていると「だから何よ!」「はぁ!?それで逆切れ!?」といつもの罵り激をいただけるが。
また、余談のレベルではあるがこのセリフから「霞の改二フラグだ」「冬イベが礼号作戦だ」などと様々な憶測も出されていた。
運営鎮守府から「礼号作戦・北号作戦[3]で活躍し、大和とともに戦った朝潮型駆逐艦の年明け最初の改二実装予定」との発表があった。以下の史実にあるとおり、この条件を満たす朝潮型駆逐艦は彼女以外にない。[4]
さらに続報として、驚くべきことに駆逐艦で初めてコンバート改装が実装されることが明らかとなった。改装には極めて高い練度が必要とも告知されており、この表現も駆逐艦としては初めてである。[5]その前例のない練度表現に改装にどれほどの練度が必要なのか期待と不安が高まりつつある。[6]
霞改二
2016年1月19日のアップデートで実装。15年秋の限定ボイスよりまことしやかに囁かれていた「改二のフラグ」を見事に実現することとなった。 改二への改装に必要なレベルは75。[7]
霞改二乙
これだけでも十二分な性能を獲得したのだが、さらにレベルを上げていくことで改二乙という駆逐艦初となるコンバート改装が可能となる。ただし必要なレベルは驚愕の88!コンバート改装として前例のある翔鶴改二甲と同等の2位タイである。このため実装日には「改二にはできたけど乙にはできなかった」という提督が続出したもよう。[8]
総じて、どちらでも凛々しくもあどけなさの残り、それでいてちょっと成長したような雰囲気を感じさせる姿であり、前線への戦力としても遠征要員としても破格の性能を誇るため、興味があったら二隻目以降の育成をしてもよいだろう
期間限定グラフィック・コラボ書き下ろし
2018年に夏グラ水着が「霞改二」「霞改二乙」限定で実装された。
(参考:左静画)
改二以前の霞が身につけていたリボンと同系色のホルターネック式のビキニが印象的である。改二・改二乙で右手手持ちの武装が標準と同様異なっている。(改二は12.7cm連装砲C型、改二乙は12.7cm連装高角砲)。
この図案は2019年の一番くじ(「夏こそ艦娘!ずるいぞ艦娘けしからん夏」)F賞の景品18種類のうちの1つとして登場している。
2019年10月、呉鎮守府開庁130周年を記念したコラボイベントにおいて、里帰り私服modeが登場した(参考:右静画)。
第18駆逐隊所属を意識したと思われる「18」のプリント入りTシャツにホットパンツ、上にパーカーを羽織った姿での登場となった。
なお、この私服姿が公式に登場する2年前に静画を公開した絵師さんが...
また、呉里帰りmodeはスタンプラリー景品として、「雪風」「赤城」も選択可能。
同時展開の「ローソン呉泊地」には、同絵柄の「雪風」と書き下ろし「ゴトランド」、5周年時の「大和」店員が出迎えてくれた。
霞の水雷戦隊が出るったら!
霞旗艦の水雷戦隊及び麾下駆逐隊 ※ 編入時戦没 旗艦任期期間中戦没
- 第一水雷戦隊(1944/10/26-11/20)
第一水雷戦隊(旗艦:霞) 所属駆逐隊 一水戦旗艦(<<阿武隈 | 二水戦に統合>> ) | ||
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第十八駆逐隊 | 霞 不知火 | 不知火:44.10.27戦没 |
第七駆逐隊 | 曙 潮 | 曙:44.11.13大破着底 |
第二一駆逐隊 | 初春 初霜 → 初霜 時雨 | 初春:44.11.13大破着底,時雨:11.15編入 |
第三一駆逐隊 | 岸波 長波 沖波 浜波 | 44.11.15 二水戦より編入。 長波・浜波(没時32駆)・島風は11.11戦没、沖波11.13大破着底 |
附属 | 島風 |
- 第二水雷戦隊(1944/11/20-1945/2/23)
第二水雷戦隊(旗艦:霞) 所属駆逐隊 二水戦旗艦(<<能代(島風) | 矢矧(初霜)>> ) | ||
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第二駆逐隊 | 朝霜 清霜 早霜 秋霜 | 10/27以降早霜放棄,11/13秋霜大破着底,11/15朝霜編入,12/26清霜戦没 |
第七駆逐隊 | 潮 霞 + 響 | 旧一水戦:11/15霞編入,45.1/25響編入 |
第十七駆逐隊 | 浦風 磯風 浜風 雪風 | 旧第十戦隊:11/21浦風戦没 |
第二一駆逐隊 | 初霜 時雨 + 朝霜 | 旧一水戦:45.1/24時雨戦没,2/10朝霜編入 |
第三一駆逐隊 | 岸波 | 12/4岸波戦没 |
第四一駆逐隊 | 涼月 若月 霜月 冬月 | 旧第十戦隊:11/15涼月(書類上「若月」も.11/11戦没)編入,11/25霜月戦没 |
(巡洋艦) | 矢矧 大淀 | 矢矧/旧第十戦隊旗艦11/15編入二水戦旗艦指定(但し内地残留) 大淀/第二艦隊より 二水戦臨時旗艦、のち第四航空戦隊に編入 |
期間中臨時旗艦:潮・清霜・朝霜・大淀 *霞が一駆逐艦として行動する際に将旗を移す
※17駆、潮、響、時雨、41駆、矢矧は本土。他は南西方面に展開中。
ったく、どんな史実書いてるのよ!ほんと迷惑だわ。
霞は1939年6月、朝潮型駆逐艦10番艦として浦賀船渠で竣工した。
そして姉妹艦の霰、次級である陽炎型の陽炎、不知火とともに第二水雷戦隊所属の第十八駆逐隊を編成することとなる。
緒戦では第一水雷戦隊に出向して空母の護衛を担当し、かの真珠湾攻撃で初陣を迎えることとなる。その後はラバウルへ向かう空母を護衛。 二航戦によるポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦にも参加し、空母同士の本格的な機動戦となったセイロン沖海戦にも護衛として参加した。
4月に第十戦隊が新編された際二水戦に戻る。同年6月、ミッドウェー海戦が勃発。しかし霞は今まで担当してきた空母機動部隊の護衛ではなく、近藤中将率いる攻略部隊に参加。結果はご存知の通り。霞は長い間守ってきた空母たちの最期を見届けるどころか、護衛にすらつくことができずに殆ど全てを失ってしまったのである。
ミッドウェー海戦から間もなく、霞は第十八駆逐隊司令艦として千代田とキスカへ向かう輸送船の護衛に当たる。
しかし、キスカ湾にて濃霧のために停泊していたところに米潜水艦グロウラーが襲い掛かった。霞の一番砲塔下に魚雷一本が命中し、艦体前部が一挙に破断。浸水と火災が発生し、乗員10余名が死亡する惨事となった。
グロウラーによる被害はこれだけにとどまらず、この攻撃により姉妹艦霰は轟沈。僚艦の不知火も霞同様に大破。第十八駆逐隊は一瞬にして別行動の陽炎を除く全艦が大損害を被ってしまったのである。
しかし、霞の受難はある意味ここからが本番と言えるかもしれない。
一撃で霰を失い、残存艦も3隻のうち2隻が大破という事態に海軍内では第十八駆逐隊に対して「油断があったのではないか」と非難の声が上がった。結果、司令艦の霞に座乗していた第十八駆逐隊司令宮坂大佐は責任を取って切腹自決をすることになってしまったのである。(が、宮坂司令は死にきれず軍を離れて終戦を迎えている。)
雷に曳航されて(応急処置資材及び要員を現地まで運んだのは就役間もない長波。長波にとってはこれが初陣である。)本土に戻った霞は舞鶴海軍工廠にて翌年6月までかかる修理を余儀なくされた。ここで霰の轟沈と霞、不知火の長期にわたる修理により行動不能となった第十八駆逐隊は解隊されることとなる。唯一行動可能だった陽炎も霞、不知火の修理を待たずに黒潮らが属する第十五駆逐隊に配置換えとなり、これが霞・不知火との永遠の別れとなった(霞・不知火修理中の1943年5月に当時の僚艦黒潮・親潮と共に機雷接触及び空襲により3隻同日に戦没した)。
修理の終わった霞は第五艦隊第一水雷戦隊隷下の第九駆逐隊に編入。当初は朝潮型で編成されていたがこの時点では吹雪型(薄雲・白雲)と朝潮型(朝雲[9]・霞)という性能の大きく異なる艦級同士を半ば数合わせのようにして強引に編成した駆逐隊であった。(第9駆逐隊はキスカ島撤退作戦にも参加しているが、白雲は損傷修理、この時点で霞も9駆へ編入されていなかった。)
こんな部隊がまともな戦闘に参加できるわけもなく、任務は北方海域での輸送船団の護衛が中心であった。霞は空母機動部隊の護衛として戦場を駆け、華々しい戦果を挙げたかつての日々と打って変わって非常に地味な任務をこなすこととなる。
その後朝雲の転属[10]、白雲の戦没などによる第九駆逐隊の解隊により、霞は第十八駆逐隊を再結成。ここで霞は不知火と再会する[11]こととなる。
が、その再編第十八駆逐隊の初陣[12]がよりにもよってあのレイテ沖海戦。
第十八駆逐隊は志摩中将麾下の第五艦隊第二遊撃部隊(志摩艦隊)に配属され、西村艦隊突入に続けてスリガオ海峡よりレイテ湾に突入する算段であった。
しかし、スリガオ海峡に差し掛かったところで第一水雷戦隊旗艦の阿武隈が敵魚雷艇の攻撃により小破。戦闘続行が困難となり、木村昌福少将を始めとした第一水雷戦隊司令部は急遽霞に移乗して戦闘を続行することとなる。最終的に志摩艦隊はレイテ突入を断念。コロン湾まで撤退することとなった。
ここで再び霞に悲劇が襲い掛かる。コロン湾までの撤退の途中、僚艦不知火が志摩艦隊別動隊(当初の捷号作戦要項では栗田艦隊の予定であったが変更された経緯がある)の軽巡鬼怒、駆逐艦浦波の救助命令中(この時点で2隻は沈没し、生存者は後続の輸送艦に救助されていた。その報告が不知火や一水戦には届いていなかった。)に航行不能の早霜を発見。早霜を救助中に(不知火の前に同じく救助しようとした藤波が戦没していたため早霜側は「来るな」と発光信号を送っていた)米軍艦載機隊の攻撃で戦没してしまったのだ。
こうして霞は共に浦賀船渠で建造され生まれながらの戦友だった不知火を含む第十八駆逐隊の僚艦を全て失い、とうとうひとりぼっちになってしまったのである。
駆逐隊司令を乗せた不知火を喪い霞ただ1隻となった第十八駆逐隊は当然のごとく解隊。霞は第七駆逐隊に編入される。この第七駆逐隊は由緒ある駆逐隊であり、結成当時から1944年まで(既に7駆から外れていた朧を1942年に喪ったことは除く。朧を失った山名艦長は復帰した霞の新艦長としてこの時点でも霞艦長を務めている。)所属艦の戦没が一切無かった隊であった。が、第1水雷戦隊に復帰して間もない1月に漣、レイテ沖海戦は生き残ったものの多号作戦に伴うマニラ空襲で11月に曙が戦没しており、霞が編入された時には当初からの所属艦は潮ただ1隻であった。
この後、霞はオルモックへの輸送作戦の護衛を第一水雷戦隊旗艦として担当。そして木村少将の第二水雷戦隊司令就任と共に霞も同戦隊旗艦に就任することとなった。
そして12月のミンドロ島への攻撃作戦では重巡を含む艦隊でまさかの旗艦を担当。この決定は駆逐艦ならではの機動性があり、何より木村少将とも縁が浅からず乗員とのなじみも深いことが要因であったとされる。
ミンドロ島の米軍の上陸拠点への攻撃を敢行、敵上陸地点に砲雷撃を加え輸送船1隻を大破炎上させ、米海軍の輸送物資集積所を破壊した。ここにきて霞と帝国海軍は久々に、そして最後となる勝利をつかんだのである。
1945年1月、二水戦司令官は木村少将から古村啓蔵少将に交代するも引き続き旗艦となる。2月には北号作戦に伊勢、日向の護衛として二水戦旗艦として21駆(初霜・朝霜)を率いて参加。しかし既に水上艦の動ける場所は狭められており、霞も それまでのように海原を駆けることはできなくなっていた。
第七駆逐隊も1944年11月に潮が損傷修復の目処が立たず本土で行動不能となり、翌年1月に第六駆逐隊最後の生き残りである響が加わるまでは実質霞1隻のみの駆逐隊と化していた。由緒ある第七駆逐隊に各駆逐隊最後の生き残りを編入した精鋭部隊と言えば聞こえはいいが、その実情は死にぞこなった駆逐艦をかき集めたあり合わせの居場所に他ならなかった。
その後、霞は第七駆逐隊から北号作戦を共にした第二十一駆逐隊に編入される。この第21駆は「失敗作」の烙印を押され6隻しか建造されなかった初春型駆逐艦により編成された駆逐隊であったものの、北方海域とレイテ沖海戦・多号作戦で「初霜」(「霞」就役の3年前同じ浦賀船渠で建造された)のみが生き残り、各艦型最期の生き残り(白露型「時雨」及び夕雲型「朝霜」を編入。「霞」の編入と同時に「時雨」除籍。なお、「朝霜」は礼号作戦にて霞が指揮下に置いた艦の1つである。)が寄せ集まる形で存続していた駆逐隊だった。
1945年3月に行われた人事異動でキスカでの損傷後「霞」艦長に着任し数多の修羅場を潜り抜けた山名寛雄中佐は秋月型駆逐艦「冬月」艦長に転出し、代わりに1944年12月12日、第9次多号作戦で「卯月」と共に戦没した睦月型駆逐艦「夕月」艦長だった(松型駆逐艦「桐」により救出され本土に帰還していた)松本正平少佐が新たな「霞」艦長となった。
同時に第21駆逐隊司令駆逐艦も駆逐隊司令の交代により21駆生え抜きの「初霜」から新鋭艦である「朝霜」に交代した。
そして迎えた1945年3月、天一号作戦。霞は第二水雷戦隊第21駆逐隊(司令座乗艦朝霜)隷下の艦として大和とともに沖縄への水上特攻へ参加することになる。
運命の1945年4月7日、坊ノ岬沖にて米軍の艦載機隊と遭遇。数百単位の艦載機が霞たちへと一挙に襲い掛かった。13時25分、霞は直撃弾2発、至近弾1発を受けて缶室に浸水。そのまま航行不能となった。
大和と連合艦隊の最期と乗員の救助を見届けた霞は、16時57分、僚艦冬月の砲撃処分によって海底へと沈んでいった。奇しくも、この時メガホンで霞の乗員達に退艦を指示し、救助後に霞の砲撃処分を行った冬月艦長は前述の通り霞の戦線復帰以降1945年3月10日まで霞の艦長であった山名寛雄少佐(→中佐)であった。霞の乗員達は山名中佐が来た際に「前艦長」では無く「艦長」と呼んだという。
霞は開戦時から天一号作戦まで(キスカ湾の被害以外は)多くの戦死者を出さずに戦い続けた事もあって、長い間共に戦い続けた乗員達には家族の様な深い結束と連帯感が生まれていた。天一号作戦時も艦長含め皆「歴戦をくぐり抜けてきたこの船は沈まない!」と言い合ったという。冬月への最期の移乗の際、霞の乗員たちは全力を尽くしたという誇りから、皆胸を張って退艦したと伝わっている。
霞の戦没により、全10隻が建造された朝潮型駆逐艦は全艦戦没。霞も5月10日に除籍されている。(同時に最期に属した第二一駆逐隊も解隊された。但し、実質的には4月20日の「初霜」の第17駆への編入で事実上解隊されている。)
ケッコンカッコカリ
霞は艦これのイベント、ケッコンカッコカリにおいて全艦娘のなかでも屈指の破壊力を誇っている、さすがは武勲艦である。MVPで嬉しそうにする曙や改造でデレを見せてくれる満潮と比較した場合においてもダントツの難易度の高さといえる。その一方でそこまで提督が成長して初めてデレを見せるあたり、とても霞らしいともいえるだろう。
果たして霞を愛する提督諸氏は彼女をハッピーエンドに導けるのか、艦娘、霞への愛が試されてるのである。
霞と清霜
清霜のセリフにあるとおり霞と清霜は深い縁がある。
清霜のいう敵を殴ったら帰ってくる、それは他ならぬ礼号作戦の仲間達のことであり、事実、霞は清霜の船員たちを助けるため作戦勝利ののちに帰ってきたのである。霞を信じて待った清霜、清霜を救うために奮闘し舞い戻った霞。この二人は誓いでかたく結ばれた友、すなわち盟友なのである。
小説での活躍
2014年12月に発売となった小説『艦隊これくしょん-艦これ- 陽炎、抜錨します!』の4巻に登場、小説の主人公である陽炎が、まだ呉鎮守府に居た頃に指令駆逐艦として陽炎や不知火、霰の面倒を見ていたという設定になっている(この他、黒潮も一緒だった)。きつい物言いは相変わらずだが、既にある程度吹っ切れた後のようで、仲間から孤立するような行動は取っていない。それどころか指令駆逐艦として、駆逐艦娘の面倒を見る立場としてその役目を果たしている。但し、過去に提督の事をクズ呼ばわりしていた模様。
また、呉を訪れた曙に遭遇した際は彼女の暴言に反応し、一触即発の状態となった。その後も早朝マラソンで無理に張り合うなどし、鎮守府祭の騎馬戦では挑発に乗ってしまい遂に「ぶっ殺せー!!」と発言、仲間の駆逐艦娘達と共に他の鎮守府の駆逐艦に殴りかかると言う暴挙に出ている。その際には再び曙と対峙、案の定殴り合いの死闘を繰り広げた。孤立する曙に対し、かつての自分自身がそうであった為か、色々思う所があったようである。
関連動画が完成したわ。見に行きなさい。
MMD関連動画
霞の関連静画、出るから。
霞改二
霞改二乙
その他
関連商品が到着したわ。受け取りに行きなさい。
少しはできる関連コミュニティがあるようね、褒めてあげるわ。
関連する期間限定海域
- 出撃!礼号作戦 (2016年冬イベ)
- 出撃!北東方面 第五艦隊 (2017年春イベ)
- 捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇) (2017年秋イベ)
- 捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇) (2018年冬イベ)
- 侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦 (2020年梅雨夏イベ:前段)
- 血戦!異聞坊ノ岬沖海戦 (2022年春イベ後段)
- 船団護衛!輸送航路防衛戦 (2023年夏イベ前段)
ああもう、関連項目ばっかり!
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朝潮型姉妹 / 朝潮型駆逐艦 | ||
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脚注
- *計画では10番艦だったが舞鶴工廠が神州丸改装工事を優先させた結果霰の就役が遅れたため。追加ボイスで霰は霞を姉扱いするようになった。
- *狭い泊地への突入作戦や鼠輸送作戦において水雷戦隊司令官が巡洋艦を降り駆逐艦に将旗を掲げるのは二水戦(田中頼三少将:長波・照月等)三水戦(木村昌福少将:白雪、伊集院松治大佐:漣・秋雲)、四水戦(高間完少将:秋月・村雨・朝雲)の例もあり、木村少将に限った話ではない。が生粋の水雷屋らしい一言である。
- *ツイート原文(スレ参照)では「北方作戦」とあったが一部ユーザからの指摘に対して「噛みました」とのこと。ただ、北方海域での護衛任務もこなしていることは史実。
- *1945年まで残存した朝潮型駆逐艦は彼女以外にいない。次点は前年秋のスリガオ海峡海戦にて西村艦隊に属した満潮・山雲・朝雲(→第四駆逐隊(艦これ))。
- *「極めて高い練度」という表現が用いられた艦の中で最低の改二改装レベルは飛龍改二と瑞鶴改二のLv77であり、このような告知がなされた艦種はこれまで正規空母、軽空母、航空戦艦の大型艦にしか使われてなかった。
- *これまで駆逐艦の改二改装レベルで最大だったのは吹雪改二、叢雲改二、綾波改二、暁改二、Z1zwei、Z3zwei、ヴェールヌイのLv70であり、このうち吹雪、叢雲、暁、綾波の改二実装前には「かなり高い練度」としか告知されていない。また「かなり高い練度」という表現が用いられた中でもっとも高い改装レベルだったのは金剛改二、摩耶改二、阿武隈改二のLv75であり、霞はこれらの法則に当てはまらないのだ。
- *駆逐艦として前例のなかった練度表現の告知通りに、これまで実装されてきた改二駆逐艦娘以上に高いレベルが必要となる。しかしその苦労の分の性能は持ちあわせており、火力63、雷装92と特に火力面の上昇が凄まじく、火力と雷装を足し合わせた合計値は155と綾波改二の157に肉薄する。対空も大きく上昇し72と防空よりに改装された改二駆逐艦に迫る。運の上昇も見逃せなく、初期値で37と綾波改二(40)や初霜改二(53)程ではないが、夜戦でのカットイン装備へのセッティングも充分に選択肢に入る。反面、装甲と回避はそれぞれ1ずつの上昇に留まり耐久は据え置きである。ステータスの面でどれも高い次元でまとまった改装であるが、改装にともなってさらに固有の能力が付加され、大発動艇と後述の戦史に因んで艦隊司令部施設の装備が可能となった。ただし艦隊司令部施設は連合艦隊編成での第一艦隊旗艦に編成することでしか効果を発揮せず、駆逐艦への装備は様々なリスクを伴うため、用途は15年秋イベントにあったような駆逐艦や軽巡を中心とした輸送部隊編成に限られるだろう。大発動艇の搭載は純粋の遠征効率の上昇と輸送部隊編成における貢献度上昇に繋がるため、大きなメリットといえる。肝心要の見た目はというと大きく様変わりしている。朝潮型特有の吊りスカートではなくなり、左腕に装備されていた魚雷発射管は両方の大腿部に移設。空いた左腕には25mm連装機銃(集中配備)を携え、一部の陽炎型のような二丁拳銃のスタイルをとる形となる。改二では背部の艤装をつなぐベルトの色が黒に変わり、襟には赤いリボンをつける。これらは史実との関連性を想起させるファクターではないかと憶測がなされている。
- *ちなみに改二のレベル75から改二乙にするためのレベル88にするまでに必要な経験値は19万と、Lv1~61までに必要な経験値を少々上回り、Lv1~88までの折り返し地点は、Lv69にするための必要経験値(25万5300)より少々下回る(25万4500)。なお、ケッコンカッコカリをする条件であるレベル99までの必要な経験値はレベル88が折り返し地点とされる。改二乙へと改装すると火力が59、雷装が83に減少する代わりに対空が80、装甲が52と防御寄りに上昇し、専用の対空カットインパターンの獲得、そして艦隊司令部施設が装備不能になるのと引き換えに大型電探の装備が可能となる。小型電探とは比較にならない優れた性能を誇る大型電探が装備可能になるというのは、海域攻略時の索敵面や砲撃戦時での命中率などの面であらゆる点で大きなアドバンテージになるといえよう。ただし戦艦専用の電探の15m二重測距儀+21号電探改二は装備できない。なお燃費面は改二及び改二乙ともに同じであり、大発動艇も引き続き装備可能である。また改二→改二乙にするための必要な資材は弾薬390、鋼材300であり、改二乙→改二にするための必要な資材は弾薬300、鋼材390だけと翔鶴型改二のコンバート改装と違い、懐に優しく開発資材が要求されない。このためレベルさえ満たしていればバケツや間宮を使う代わりに弾薬と鋼材を用いて疲労抜きや耐久回復をするといった荒業も気兼ねなくできてしまえる。近代化改修がリセットされるというデメリットはあるが。コンバート改装は一切の装備を持参してこないという翔鶴型改二の前例通り、改二及び改二乙への改装時に持参装備はない。この点は関連任務をこなすことで入手できるため、ある意味その任務報酬が初期装備といえる。この点もまた翔鶴型改二と同じである。対空特化の改二乙になると胸のリボンはなくなりベルトも赤色に戻る。主砲は12.7センチ連装砲から12.7センチ連装高角砲へと換装され、額に白い鉢巻、左足だけニーソックスの初霜改二や磯風にみられた坊ノ岬決戦仕様に変化する。乙という名称は艦隊防空用駆逐艦の分類名(乙型駆逐艦)がもとだと推測がなされている。ちなみにどちらの場合でも艤装をつなぐベルトの片方に探照灯を装備しているが、それが防犯ブザーに見えるとか見えないとか…。
- *山雲は開戦直後の接雷による損傷により9駆より除籍。横須賀鎮守府部隊を経て4駆に編入。夏雲は第1次ソロモン海戦で戦没、峯雲はビラ・スタンモーア夜戦で戦没。1943年4月1日の一水戦への異動時には朝雲1隻のみの状態だった。
- *キスカ島撤退作戦で共闘した第10戦隊第10駆逐隊へ編入。
- *正確には白雲戦没半月前の1944年3月1日付で第9駆に書類上編入したが、実際に合流したのは白雲戦没後である。
- *あ号作戦に投入を予定され18駆僚艦共々大発動艇搭載工事を横須賀工廠で受ける。マリアナ沖海戦が生起し作戦は中止され、その前後にあたる1944年7月「薄雲」も7駆曙・潮との「キ504船団」護衛任務中に戦没した。
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