ジャニー喜多川とは、実業家・アイドルプロデューサーである。米国軍人だったこともある。
「ジャニー」(Johnny)とは米国人としての本名である「ジョン・ヒロム・キタガワ」(John Hiromu Kitagawa)のうち、「John」の愛称である。日本国籍としての本名は喜多川擴(きたがわ ひろむ)。
概要
日本の最大手男性アイドル事務所「ジャニーズ事務所」の創設者、社長として著名。
「MOST NO.1 SINGLES PRODUCED BY AN INDIVIDUAL」(個人として最も多数のチャート1位シングル曲をプロデュースした人物)として、様々な分野の「世界一」を載せる書籍『ギネスブック』の2012年版に掲載されたこともある。1974年から2010年までの間に、彼がプロデュースした40以上のアイドルグループによる232曲が、音楽チャートの1位を獲得していたことを受けての掲載であったとのこと。
超大手芸能事務所の長でありながら、会見の場などに自らが登壇することは乏しかった。ジャニーズ事務所の大成功から権力も絶大なものがあって、彼のイメージを著しく損ねるようなセンシティブな話題(後述)はテレビ局などで一切放映されなかった(ただし「彼自身が圧力をかけていた」という明確な証拠は無く、ジャニーズ事務所内のその他の人物の方針であった可能性もあるが)。2019年に亡くなったときに、日本国内のマスコミとは違ってしがらみがないイギリスBBCが伝えた記事には、こう記されている。[1]
ジャニーズ事務所は業界であまりに圧倒的な存在だったため、ジャニー喜多川氏を批判することはほとんど不可能だった。強大なジャニーズ事務所を脅かそうと挑む人は、日本の主要メディアには皆無だった。
また、長い芸能業界歴から多数の芸能業界の大物との個人的友誼も深かった。これらの特徴から「影の権力者」的な、謎めいた大物としてのイメージを持たれることもあった。
一方でそれとは真逆の、「所属アイドルやその候補生たちに「You(ユー)」という二人称で呼びかける」「~でやってるからさ、ユー、来ちゃいなよ」などの特徴的な言葉遣いを複数の所属アイドルがネタにする、アイドルらから自分に敬語を使われることを嫌う、「社長」ではなく「ジャニーさん」と呼ばせる、などと、気さくさをうかがわせるエピソードも多かった。ただし自分以外への礼儀には厳しく、アイドルや候補生がスタッフらに挨拶を欠かすなどの礼を失した行為をすると厳しく叱ることもあったという。
また、「思い付き」のように唐突にアイドルらのグループ結成やデビューを決定することがあったなど、奇抜な人物であったとされる。
風貌としては「ふつうのおじさん」(年を経てからは、おじいさん)といった感のある人物であり、あからさまな大物風であるとか、著しく特徴的ということはなかったという。「椅子を並べているおじさんがいるな、と思ったらその人がジャニーさんだった」などの体験談も複数ある。前述のように登壇したりといった表舞台に立つ/素顔が映像に残ることを嫌ったためか、世に出ている写真は「帽子とサングラス姿」であることが多いが、素顔の写真も少数ながら世に出ている。
2019年6月18日に体調不良で病院に緊急搬送され、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血と診断。その約3週間後の7月9日に亡くなった。9月4日には東京ドームにて「お別れの会」が開かれ、当時の内閣総理大臣安倍晋三氏からの弔電も読み上げられた。その弔電は「日本中に、たくさんの勇気と感動を与えてくださり、本当にありがとうございました。」との言葉で結ばれている。
経歴
ジャニー喜多川の父「喜多川諦道(たいどう)」は、高野山真言宗の僧侶だった人物。諦道は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスにある「高野山米国別院」に1924年に派遣され、後に同院の第三代主監にもなった。
彼と妻がアメリカ滞在中に生まれたのが、長女泰子(メリー喜多川)、長男眞一、次男擴(ジャニー喜多川)の三きょうだいである。彼らは米国生まれであるために米国籍も持つことになる。親しい人から呼ばれていた擴の幼いころのあだ名は「ヒー坊」で、「ひろむ」の頭文字であったと思われる。
擴がまだ幼児であった1930年代に、諦道僧正の高野山米国別院主監の職は後任に引き継がれ、喜多川一家は日本に帰国する。その後第二次世界大戦が勃発し、擴少年らは戦火を避けて疎開するなどの体験をしたという。
終戦後、18歳の若者であった擴は1949年11月に姉や兄とともに渡米。同国での生活には、以前暮らしていた高野山米国別院の人脈を頼りにした。この高野山米国別院には文化の紹介・振興を目的とした大きなホールを備えており、日本からアメリカに公演に来た芸能人らはこのホールを劇場代わりに使うこともあった。また、付近には著名な日本人写真家「宮武東洋」の写真館があり、芸能人がそこで写真を撮影することもあった。ヒー坊はこの写真館もよく訪れており、撮影された芸能人の写真を客に販売するなどの仕事もしていたともいう。このような経歴が、後に芸能関係の仕事に入る下地となったかと思われる。
だが、米国籍があったことから、1952年に米軍に入り朝鮮戦争に参加(1960年代の雑誌には「ジャニー·喜多川氏は、ハイスクールに在学中、十七歳で兵役志願、朝鮮戦争に従軍した。」と記すものもある[2])。1年半の兵役を経て、日本国内での米国関係の仕事に就いた。そうしているうち、二十代前半の青年だったジョン・ヒロム・キタガワは、近所の少年らを集めて野球チームを結成することになった。この野球チームのチーム名が「ジャニーズ」である。少年らの一人(一説によるとあおい輝彦)が、「ジャニーさん(ジョンの愛称)のチームだからジャニーズ」と単純な発想で提案したのが名の由来だともいう。
そしてある日、ジャニーは野球チーム「ジャニーズ」の中でもショービジネスの見込みありと踏んだ4人の少年らを選抜(一緒に観に行った映画『ウエスト・サイド物語』に強く感化された、といった話もある)し、芸能事務所「名和プロダクション」が運営していた養成所「新芸能学院」でレッスンを受けさせた(院長の名和太郎の妻である真砂みどりは、大阪松竹歌劇団 (OSK) にメリーが在籍していたときからの友人であった)。
そして、アイドルグループ「ジャニーズ」としてデビューさせたのである。この4名は真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良、あおい輝彦。いわば「ジャニーズのアイドルの初代」という立場である。
その後、ジャニーは1962年に「ジャニーズ」を率いて新芸能学院を退所、独立して「ジャニーズ事務所」を創業した。だが、この時に円満に退所したわけではなかったようで、「新芸能学院」側からの訴訟騒ぎに発展していたようだ。当時の週刊誌にその騒動についての記事が掲載された記録がある。
その後の経過は「ジャニーズ事務所」の記事を参照。プロデュースした多くのアイドルを人気者に押し上げ、押しも押されぬ超一流のアイドル事務所へと成長させていった。この成功には、社長であるジャニーだけではなく、長年副社長を務めた姉のメリー喜多川の尽力もあったという。
「少年らに対して不埒な行為を行っていた」という説
(※本節では、閲覧する方の感情に配慮して直接的な表現を抑えています。ですが、リンク先のページに直接的な表現が含まれている場合があるため、リンク先を閲覧する際にはご注意ください)
上記のように大成功を収めた人物であるのだが、その経歴に長年付きまとっていたのが、「関係した少年らに対して不埒な行為を行っている」という説である。
その情報元は、主にその不埒な行為の被害者と主張する少年ら(糾弾した時には成人して「元少年」になっていた人物が多いが)などからの糾弾であった。
ただし、実際にそれが実行されていたとすれば明らかに法律に触れているのであるが、刑事事件として立件されたことは一度もないようだ。
逆に、これらの糾弾が虚偽であれば、「道義上大変に問題のある行為を行っていたという謂れのない濡れ衣を何度も着せられてきた」ということになり、こちらも明らかに告訴ものであろう。だがジャニーがこれらの糾弾者を訴えて、この行為に関する点で勝訴したという報道も、やはり一度もないようだ。
一方、この「不埒な行為」を含む様々なジャニーズ事務所の問題点を報じた週刊誌『週刊文春』とジャニーズ事務所間で民事裁判が争われたことはある。詳しくは「週刊文春の報道と、訴訟」の節で後述するが、この「不埒な行為」以外の争点に関してはジャニーズ事務所側の言い分が一部認められて週刊文春側がある程度の賠償金を命じられているが、同時に「不埒な行為」に関しては、週刊誌側の取材内容(取材相手である元ジャニーズに所属していた少年2名の証言内容)が信頼できると裁判所に判断されてしまっている。
暴露本
古くは、上記の1960年代の「新芸能学院」とのトラブルの際に既にこの話が浮上している。
当時出版された一種の芸能スキャンダル暴露本『タレント帝国 : 芸能プロの内幕』(竹中労、現代書房、1968年)に、その騒動の中で語られた「十四名の少年がジャニーから受けた被害」という話について記されている。[3]
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このトラブルの際は、アイドルグループ「ジャニーズ」のメンバー4名などが「記憶にない」といった趣旨の証言をしたために大きな問題に発展しなかったと言われる。だが、彼ら4名のうちの「中谷良」は二十数年後の1989年に出版した暴露本『ジャニーズの逆襲』内で、本当はジャニーから不埒な行為を受けていたが、説得されて嘘の証言をしてしまっていたと記している。
今だからこそ言える、いや、言わなくてはならない。私は、裁判で嘘の証言をしてしまいました。私もジャニーズのみんなも全員ジャニーの犠牲者だったのです[4]
- ウェブメディア「サイゾーウーマン」の、同書籍に関する記事(2010年のもの、前編)
- ウェブメディア「サイゾーウーマン」の、同書籍に関する記事(2010年のもの、後編)
- ウェブメディア「サイゾーウーマン」の、同書籍に関する記事(2018年のもの)
また、ジャニーズ事務所の人気アイドルグループだった「フォーリーブス」のメンバーだった「北公次」も1988年に暴露本『光GENJIへ』を出版している。この書籍の中にはかなり赤裸々な表現がある。
北公次はこの暴露本をシリーズ化して何冊も出しているが、その中の一冊で1989年に出版された『さらば!!光GENJIへ』では、「フォーリーブス」の後輩グループである「ジューク・ボックス」のメンバーだった「小谷純」と「やなせかおる」も寄稿しており、この2名もかなり衝撃的な体験を語っている。
元「ジャニーズJr.」だった「平本淳也」が1996年に出版した『ジャニーズのすべて 少年愛の館』という暴露本では、「自分はうまく逃げた」と言った趣旨のことを記しつつも、他の人物がジャニーの行為の対象となっていたことを明記している。
ジャニーズ事務所に所属していた歌手「豊川誕」が1997年に出版した『ひとりぼっちの旅立ち―元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』という自伝的書籍では、毎晩ジャニーに「自由にされ続けた」ことを記している。この書籍の特殊な点は、上記の件について「辛い仕事」と明かしつつも他の暴露本と異なり「彼を恨む気持ちはなかった」とも語っていること。豊川誕はジャニーが亡くなった後に東京ドームで取り行われた「お別れの会」にも参列している。逆に言えば、ジャニーに悪意や恨みを持っていない人物でもそういった出来事があったことを自伝に記していた、ということでもある。
2005年には元「ジャニーズJr.」で光GENJIのメンバー候補だったとも語る「木山将吾」が暴露本『Smapへ』を出版。こちらも非常に直接的な表現が並ぶ。
- ウェブメディア「サイゾーウーマン」の、同書籍に関する記事(2010年のもの)
- ウェブメディア「サイゾーウーマン」の、同書籍に関する記事(2018年のもの、その1)
- ウェブメディア「サイゾーウーマン」の、同書籍に関する記事(2018年のもの、その2)
- ウェブメディア「サイゾーウーマン」の、同書籍に関する記事(2022年のもの)
週刊誌
週刊現代の報道と、メリーの激怒と、雑誌側の謝罪
1981年には、講談社の週刊誌『週刊現代』が「アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」というタイトルの、メリー喜多川・ジャニー喜多川の姉弟に関する特集記事を掲載した。しかしその記事内に、この不埒な行為に関する話題が含まれていた。[5]
その結果どうなったかというと。
上記の『週刊現代』が発売されてしばらくして、別の週刊誌『週刊文春』が「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の"たのきん"操縦術」と題した記事を載せ、週刊現代の記事内容にメリー喜多川が激怒しており「少女雑誌の三分の一は、ウチのタレントのグラビアと記事でもっているわけですからね。それがどういうことを意味するか、十二分におわかりだと思いますけど」などと語っていた、と記している。[6]
そしてその数年後、雑誌『政界往来 = Political journal』の1985年8月号に掲載された「弾左門」による「芸能レポーター・記者のあきれた"狂態"を斬る」記事には、こう記載されている。[7]
当時『週刊現代』の該当記事を書いた「元木昌彦」は、ジャニー喜多川が亡くなって2週間後にネットメディア『PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)』に掲載された記事[8]にて、以下のような回想を記している。
記事が出て、講談社の社内は大騒ぎになった。ジャニーズ事務所が「今後、講談社には、一切うちのタレントを出さない」と通告してきたのである。
しばらくして、私に一言もなく、会社は私の『婦人倶楽部』への異動を発表した。講談社は、私を『週刊現代』から外すことで、ジャニーズ側と手打ちをしたのである。怒り、呆れ、辞めようと思ったが、私には勇気もカネもなかったから、思いとどまった。
ジャニーズ側は、私の件で、出版社を黙らせるにはこの手に限ると考えたのだと思う。講談社は社員を蔑ろにして、目の前の儲けを優先したのである。
FOCUS
1989年には、新潮社の写真週刊誌『FOCUS』の同年8月11・18日号でもこの問題が扱われた。
記事の本題自体はジャニーズ事務所出身の有名タレントの写真だが、ジャニーズ事務所を辞めた人物が語る、14歳で事務所に入ったばかりの頃にジャニー喜多川氏によって為されたという「行為」に関する証言を含む文章も掲載されている。
週刊文春
1999年の週刊文春報道と、訴訟
1999年には、週刊誌『週刊文春』がこれらの暴露本に記されているような「行為」も含めてジャニーズ事務所を糾弾する特集連載を、数週に渡って掲載した。[9]
これらの連載のうち、不埒な行為に関するものは主に1999年11月11日号、1999年11月25日号、1999年12月9日号に掲載された3つである。2023年には『週刊文春 電子版』にてアーカイブ公開もされている。ただしこのアーカイブ電子版記事には「※記事の本文には今日的に不適切な表現が含まれておりますが、資料としての価値を鑑みて当時のまま掲載しています」「※プライバシー保護などの観点から本文やタイトルなど一部編集をしている場合があります」との注釈も付されているが。
- ジャニーズの少年たちが『悪魔の館(合宿所)』で強いられる“行為” | 週刊文春 電子版
(1999年11月11日号)
- ジャニー喜多川は関西の少年たちを『ホテル』に呼び出す | 週刊文春 電子版
(1999年11月25日号)
- 小誌だけが知っている ジャニー喜多川「絶体絶命」 | 週刊文春 電子版
(1999年12月9日号)
この連載についてジャニーズ事務所側は大きく問題視し、訴訟を行った。この裁判では、東京高裁で行われた第2審において週刊文春が取材した少年ら2名が証人として法廷に出廷し、自らがジャニー喜多川から受けたとする被害について証言した。そして、東京高裁は彼らの証言が信頼できると判断し、この被害の部分は真実であると認められると判断を下した。ジャニーズ事務所側はこの判決を不服として上告しようとしたが、上告は棄却されたため、この裁判所判断が確定している。
この裁判内容については、以下の法律事務所のサイト内のコラムページにて、判決文などを引用して詳述している。
仮にジャニー喜多川の言うとおり少年らが嘘の供述をしているのだとすれば、どうして多くの少年らがわざわざウソの供述をするのか、その理由自体が理解しがたい。何しろこの訴訟は少年らが起こしたものではないし、また少年らは非公開の法廷で自らの被害を訴えているのだから、金銭目的でなかったことも明らかである。
上記のとおり、一審原告[10]は、『だけど、先生が、今、うそ、うそとおっしゃいますけど、彼たち[11]はうその証言をしたということを、僕は明確には言い難いです。』と供述しているのであって極めて不自然であり、かえって、この供述部分は、甲30の記載内容の真実性についても重大な疑問を抱かせるものというべきである。」(太字引用者)[12]
だが、この週刊文春の報道や、この裁判の結果を大きく扱った日本のメジャーなメディアは皆無だった。
しかし、アメリカの『The New York Times』はこの報道に注目し、2000年1月にはこの問題を扱った記事を掲載した。
この記事内では、『The New York Times』の記者が週刊文春の協力のもとに「1970年代にジャニーズ事務所にマネージメントされていた、十代のアイドルグループの元メンバー」であるという当時40歳代の男性から、被害の証言を得ることに成功している。
''I didn't like what was going on,'' he said. ''But if I said no I would have been kicked out and there was nowhere else for me to go.''
(和訳例:「僕はあの時起こったことが好きじゃなかった」、そう彼は語った。「でも、もし僕がノーと言ったら、僕は追い出されていただろうし、僕には他に行くところなんてなかった」)
また2005年には、イギリスの『The Guardian』誌がこの週刊文春の報道および訴訟の結果についてや、前述した北公次や平本淳也による暴露本について記した記事をウェブサイトに掲載している。
2023年の週刊文春報道
2023年には、後述するイギリスBBCのテレビドキュメンタリー『Predator: The Secret Scandal of J-Pop』(日本語タイトル『J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル』)の放映を受けて、週刊文春が「元ジュニア」であるとする人物の新たな証言を報じた。
まず、同年3月15日配信の『文春オンライン』の記事で新たな証言を紹介しつつ、詳細は同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年3月16日発売の『週刊文春』2023年3月23日号に掲載している。
- ジャニーズ事務所“性加害問題”新たな元ジュニアが被害告白「当時僕は13歳、口でされました…」 | 文春オンライン
- 《ジャニーズ性加害》新たな元ジュニアが被害告白「13歳の僕をジャニーさんは…」 | 週刊文春 電子版
さらに、同年3月22日配信の『文春オンライン』の記事でもまた別の証言を紹介しつつ、詳細は同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年3月23日発売の『週刊文春』2023年3月30日号に掲載している。
- 「突然、ディープキスを…」また新たな元ジュニアがジャニー喜多川氏の性加害を告白 ジャニーズ事務所は事実確認に回答せず | 文春オンライン
- 「14歳を襲ったジャニー喜多川」性加害「新証言」とNHK「沈黙の罪」 | 週刊文春 電子版
さらに、同年同年3月29日配信の『文春オンライン』の記事でもまた別の証言を紹介しつつ、詳細は同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年3月30日発売の『週刊文春』2023年4月6日号に掲載している。
国会質問
2000年:阪上善秀 衆議院議員
上記の1999年の週刊文春の特集記事を受けてか、平成12年(西暦2000年)には国会議員「阪上善秀」が国会においてこの問題について質問に出したことがある。
センシティブな箇所はなるべく避けて引用する(リンク先には発言全体が掲載されている)。
- 第147回国会 衆議院 青少年問題に関する特別委員会 第5号 平成12年4月13日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム
(以下の阪上善秀議員の質問は、発言番号38番から)
なぜ少年たちがこんな行為に耐え忍んでいるかといえば、ジャニー喜多川社長に逆らうと、テレビやコンサートで目立たない場所に立たされたり、デビューに差し支えるからというのであります。
私は独自の調査で、ジャニーズ事務所に所属していたことのある少年の母親の手紙を手に入れました。少し長くなりますが、御紹介をさせていただきます。うちの現在高校二年生の息子も、中三の冬にオーディションに合格し、約一年間ジャニーズジュニアをしていましたが、事務所からのコンタクトがなくなり、自然にやめたような形になりました。ずっと後になって息子から聞いたのは、オーディションに受かってから初めてレッスンに行ったとき、先輩のジュニアから、もしジャニー喜多川さんから、ユー、今夜はホテルに泊まりなさいと言われたとき、
(中略)
今テレビでにこにこして踊っているジュニアたちは、陰ではそんなつらい思いをしておるかと思うとかわいそうです。
こういう内容であります。こういうことが事務所でまかり通っているわけであります。
ジャニー喜多川氏は、親や親権者にかわって児童を預かる立場であります。児童から信頼を受け、児童に対して一定の権力を持っている人物が、(中略)
そんな折、私は、知り合いの芸能プロダクションの元社長からこんな話を聞いたのであります。ジャニーズ事務所が日本の芸能界を牛耳っているため、ジャニーズ事務所に逆らうとタレントを引き揚げられて番組ができなくなってしまうというのであります。それで、テレビ局は遠慮して、ジャニーズ事務所に関する不祥事を放送できないそうであります。マスコミ、新聞においても、ニューヨーク・タイムズがこの問題を報じておるのにもかかわらず、日本のマスコミはへっぴり腰だという批判を受けておるのもその辺に根拠があるのではないかとおっしゃったのであります。
2023年:浜田聡 参議院議員
2023年3月9日には、後述するイギリスBBCのテレビドキュメンタリー番組『Predator: The Secret Scandal of J-Pop』の内容を受けて、参議院議員の「浜田聡」氏が参院総務委員会にてNHKの林理恵専務理事に対して質問を投げかけた。
本番組の内容や過去の週刊文春の報道内容を踏まえて、NHKに対してこういった問題を報じてこなかったこと、およびNHKの番組にジャニーズ事務所のタレントを起用してきたことについて問う内容であった。
以下の国会生中継のニコニコ生放送ページにて、タイムシフト視聴できる。該当箇所は再生時間6:25:44から6:29:35。
ウェブサイト
ARAMA! JAPAN
2021年1月1日に、海外向けの日本情報発信サイト「ARAMA! JAPAN」が掲載した、元ジャニーズJr.でグループ「7 MEN 侍」のメンバーだった「前田航気」に対するインタビュー記事。
記事掲載後、割とすぐに何らかの原因で記事中から特定の部分が削除されたのだという。
この件については、同サイトの「open post」(公開投書)のセクションにて以下のようなやり取りがなされている。
gus(※サイト利用者)
「I know this is open post, and that interview article is just right below open post thread but I REALLY want to keep this in light for the foreseeable future.
(和訳例:ここが公開投書だってことも、このインタビュー記事が公開投書スレッドのすぐ下にあるのも知ってるけど、当面の間はこの文章を目立つ場所に留めておきたいです。)
"(該当部分の引用 やや刺激的な文章のため本記事では自粛。以下のリンク先を参照)"」light(※別のサイト利用者)
「I noticed this part of the interview got deleted from the post.」
(和訳例:「インタビューの中のこの部分が記事から削除されてるのに気づいたんだけど」)
ライブ配信動画
元ジャニーズJr.のミュージシャンKAUAN OKAMOTO(岡本カウアン)は、2022年11月13日にYouTubeでライブ配信した動画「GaaSyy ✕ KAUAN OKAMOTO 緊急生配信」にて、かつてジャニーズJr.に所属していた少年の頃にジャニー喜多川から受けた被害について赤裸々に語った。
この件は反響を呼び、様々なウェブメディアなどがこの件を取り上げた。ジャニーズ事務所に質問状を出したメディアもあったようだ。
テレビドキュメンタリー
イギリスの公共放送/国営放送テレビ局であるBBCのチャンネル「BBC Two」は、2023年3月7日火曜日の夜21:00(現地時間。日本時間では3月8日水曜日の朝6:00)に59分のテレビドキュメンタリー『Predator: The Secret Scandal of J-Pop』(日本語タイトル『J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル』)を放送した。
また、「BBCワールドニュース」において日本語版が2023年3月18日(およびリピート放送が3月19日)にも放映。
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https://twitter.com/bbcnewsjapan/status/1636340286115950592
BBCワールドニュース公式サイト内の番組情報ページによれば、番組の概要は以下の通り。
ジャニー喜多川氏が創設した男性のみのタレント事務所「ジャニーズ事務所」は、日本の芸能界を圧倒的な影響力で支配してきた。事務所は日本でスーパースターになるための登竜門であり、若い少年たちを訓練する「工場」として、日本のポップ・アイドル文化の中心に君臨している。
一方で、喜多川氏には、所属する少年たちに対する性的搾取の疑惑がつきまとってきた。しかも、密室でささやかれていただけではない。全国的な報道機関が取り上げ、その一部は民事裁判で認定された。それでも、喜多川氏は晩年まで国の宝とされ、2019年に87歳で亡くなった後も、今なお崇拝されている。
この番組では、ジャーナリストのモビーン・アザーが日本を訪れ、喜多川氏から性的虐待を受けたという人たちに話を聞く。そして、疑惑は長きに渡り噂されてきたにもかかわらず、ファン、メディア業界、そして日本社会が彼を英雄視し続け、その遺産が今も繁栄している驚愕の現実を知る。
番組は、日本のポップカルチャーの大物、ジャニー喜多川氏の性的虐待の事実と、メディアに与えた強い影響力を調査し、社会が見て見ぬふりをすることの残酷な結果を明らかにする。
この番組のさらなる詳細については、「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」の記事を参照されたい。
関連動画
関連静画
関連商品
参考・関連リンク
- 《秘蔵写真》「FBIに捉えられ、便器に頭を入れて寝た父」真珠湾攻撃から80年、“もうひとりのジャニー喜多川”を直撃 | 文春オンライン
- 「夢は『美 少年』を高野山米國別院の舞台に立たせること」LAでブロマイドを売っていたジャニー喜多川の青春時代《真珠湾攻撃から80年》 | 文春オンライン
- 「君たちに素晴らしいものを観せてあげよう」父親は真言宗の僧侶、朝鮮戦争に出征したことも…ジャニーズ帝国の王「ジャニー喜多川」の肖像 | 文春オンライン
関連項目
脚注
- *ジャニー喜多川氏、87歳で死去 男性アイドル市場で長年圧倒 - BBCニュース
より
- *週刊サンケイ 14(13)(719);1965・3・29 国立国会図書館デジタルコレクション検索結果より
- *「学院の小学生から高校生をふくめて十四人もが、ジャニーの被害にあったことが」で国立国会図書館デジタルコレクションを検索した結果画面より
- *以下のリンク先記事(後編)内に引用されている書籍内容から孫引き
- *週刊現代 23(20);1981・4・30。「疲れきってうたた寝していると、ジャニーさんが寄ってきて」で国立国会図書館デジタルコレクションを検索した結果画面より
- *週刊文春 23(21)(1137);1981・5・28。上記記事名や、「ウチのタレントのグラビアと記事でもっているわけですからね」で国立国会図書館デジタルコレクションを検索した結果画面より
- *「代」でも起きている。「ジャニー喜多川は」で国立国会図書館デジタルコレクションを検索した結果画面より
- *当該記事の5ページ目
にこの文章がある。
- *国立国会図書館デジタルコレクションで「芸能界のモンスター ジャニー」を検索した結果画面から確認できる
- *ジャニー喜多川のこと
- *証言した少年らのこと
- *「引用者」はこの法律事務所コラムの執筆者であり、このニコニコ大百科記事の編集者ではない
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