紀元1世紀のパレスチナで、ユダヤ人男性イエスが、それまでのユダヤ教に対する改革を含んだ宗教活動を行った。多くの弟子達などの賛同者も得られたものの、彼に批判・攻撃された者達との対立は深まっていき、ついには捕縛され処刑された。
しかしその後、弟子たちはイエスは死後に復活したと主張して、宗教活動を継続した。弟子達は彼の言葉・行動・死後復活について宣伝し布教するため、文書にまとめた。これが後にまとめられ、新約聖書となる。
その教義はそれまでのユダヤ教をベースとしたものであり、ユダヤ教の聖典も「旧約聖書」として引き続き聖典としていた。しかし、旧約聖書や律法よりもむしろ、イエスの言葉や行動を重視するようになった。またなにより、イエスが「メシア」、すなわちユダヤ教における救済者であると言う主張を軸としていた。これは既にユダヤ教とは別の一つの宗教となっていた。
その後、この新しい宗教「キリスト教」は初期には迫害を経験しながらもどんどんと信徒を増やした。その理由としては、ユダヤ民族の民族宗教としての性格が強いユダヤ教と違って早期からユダヤ人以外の異邦人にも積極的に布教したことや、割礼や食事の戒律などのユダヤ教にあった厳しい律法を廃止したこと、時の権力に結びついたことなどが理由として挙げられる。現在では世界宗教のひとつとなっており、世界で最大の信徒数を得ているとされる。
以上の内容はこのページの「歴史」の項に詳記されているため、そちらも参照のこと。
「キリスト教」の「キリスト」とは、ユダヤ教の教義における救済者「メシア」をギリシャ語に訳した言葉である。このように、ユダヤ教から派生した宗教であることが名称からもわかる。ルーツとなったユダヤ教や、同じくユダヤ教からの派生宗教であるイスラム教とあわせて「アブラハムの宗教」とまとめられることもある。
キリスト教は常に変容を続けているため、正確に、そして誰もが納得する形で定義することは難しい。あえてキリスト教というものを定義しようとするならば、「『イエスはメシアである』と信仰する宗教」という定義も可能である。しかしこの定義からも何かが零れ落ちていると思われる。また、この定義ではメシアニック・ジューとして「自らをユダヤ教徒と自認しながら、イエスはメシアだと言うことも認める」という立場の者もキリスト教に含むことになる。
また、この定義をした場合「イエスとは如何なる存在であるか?」という問題が生まれる。神の子か、あるいは神か。それとも神の証人か、それとも世界を騙した大嘘つきか、あるいは、ただの一人の人間か。この問題に対しても万人が納得する形で正確に説明する事は出来ないであろう。ある人にとっては神であり、ある人にとっては神の子。ある人にとっては偽善者、ある人にとっては神の証人、ある人にとっては大嘘つきである。
このように、学問としての中立性を重視した場合、キリスト教とは「非常にあやふやなもの」であるといえる。正に、「私タチハ今ハ鏡ニ朧ニ映ッタモノヲ見テイル(新約聖書、コリントの信徒への手紙1、13章12節)」という表現がしっくりとくる。
逆に言えば、キリスト教がこれだけの信徒数を得られたのも、このあやふやさから得られたものであるという解釈もできよう。
たとえばクリスマス、バレンタインなどの数々の祭りは、実際のところキリスト教を布教しているうちに、土着的な信仰や異教の風習を取り入れ、かつそれに根拠を与えた(異教の祭りを、キリスト教で誰それが殉教した日にするなど)ことによって始まっている。
初期キリスト教がヘレニズム文化の影響を受けていたり、ユダヤ教の風習を引き継いでいたりするなど、実際のところどこからどこまでがキリスト教かという明確な線引きは不可能だ。民衆の中から自然発生的に誕生した聖母マリアの母、アンナへの信仰、あるいは父ヨセフなどのキャラクターも、キリスト教の発展とともに肉付けされていった存在である。教会はそれを是認し、そしてキリスト教に包含することによってさらに布教を進めていったという経緯もある。そしてやはり、その土着の宗教を是認する風潮に対立する神学者が現れ、党派抗争を繰り返してきたのもまたキリスト教だ。
よって、少数のニコニコ大百科記事編集者では、到底体系的説明をする事は困難である。他の多くの編集者によるこのページの今後の発展が待たれる。
キリスト教は言うまでもなくユダヤ教から派生した宗教であり、ユダヤ教の聖典も「旧約聖書」として取り込んでいるため、思想・教義の基本部分はユダヤ教と共通している。すなわち、自らの宗教で崇める神が唯一の神であるという「唯一神」思想や、その神が世界の万物を創造したとする創造神話、人間は神に似せて創られた特別な被造物であるという人間観、神の使いである「天使」、などである。
「エデンの園から追放される最初の人間アダムとイブ」、「弟のアベルを殺してしまうカイン」、「世界を覆う大洪水とノアの方舟」、「天まで届かんとするバベルの塔」、「天の火で滅ぼされる罪の都ソドムとゴモラ」などの有名な神話エピソードもユダヤ教から受け継いで旧約聖書に記載されている。
キリスト教は旧約聖書の預言が実現されていくという説明を採っており、マリアの処女懐胎、イエスキリストの受難、復活など、マタイによる福音書などにもその記述が認められる。すなわち、ユダヤ教における聖書である旧約聖書の預言が、新たにイエス・キリストにより実現されたという点で、キリスト教はユダヤ教からの派生であると言うことができるのだ。
一方で、ユダヤ教に見られない風習も多々存在し、たとえばマリアの処女懐胎は、ユダヤ教には存在しない処女崇拝という概念を含んでいる。ギリシア文化の影響を多分に受け、意図的にせよそうでないにせよ、多数の「本来ユダヤ教には存在しない」教義を含んでいるという意味で、キリスト教とユダヤ教は決定的に異なっている。
ここで興味深いのは、初期キリスト教において、すでにユダヤ教から明白に逸脱しようとした痕跡も認められるところだ。いくらユダヤ教から派生した宗教とはいえ、じわじわと派生していたのではなく、明らかに「新しい宗派」を作ろうとした痕跡が見て取れるのだ。
たとえばユダヤ教においては、動物を犠牲に捧げる際に、血と肉をともに食するのは「レビ記」の律法によって禁止されている。しかし、イエス・キリストは彼の最後の晩餐にパンとワイン——すなわち、血と肉をともに食している。イエス・キリストの処刑を、神にイエスを犠牲に捧げる儀式だと解釈するならば、これは明白にユダヤ教の律法に対する反逆である。しかも、キリストが処刑されたのは、「ペサハ」と呼ばれるモーセのエジプト脱出を記念した祭りの一環であり、その祝いの食事が「セデル」なのである。つまり、ユダヤ教の祝いを、律法に反逆して行ったのだ。
さらに、キリストの処刑については、ペルシアの役人「ハマン」がユダヤ人を全滅させようとして失敗、処刑されたことを祝うユダヤ教の祭り「プリム」が関わっているのではないかという説もある。つまり、「ハマン」がユダヤ人を全滅させようとして処刑されたように、「キリスト」もユダヤ人全滅を企てた疑いで処刑された、あるいはそれに対応させるように見せつけたのではないかという説だ。
旧約聖書「エステル記」によれば、役人「ハマン」は、ユダヤ人「モルデカイ」が「ハマン」に対する敬礼を拒否して激怒し、ペルシア王にユダヤ人を皆殺しにするよう進言する。「モルデカイ」の養女「エステル」はその企てを排し、「モルデカイ」を処刑するはずだった十字架は、「ハマン」を処刑するために使われてしまう。この対応は、処刑された「キリスト」と、代わりに釈放された「バラバ」に似ている。(処刑)キリスト、(釈放)バラバ=(処刑)ハマン、(釈放)モルデカイという対応だ。
が、この説には一カ所弱点があり、「ハマン」が処刑されたことを記念する祭り「プリム」は、キリストが処刑された「ペサハ」の祭りから1ヶ月ずれが生じている。つまり、ハマンの処刑と、キリストの処刑はこの場合対応づけることができない。これに反論して、元々は「ペサハ」と「プリム」は同じ月(ニサン月)に行われていたのではないか、祭りが重なるために「プリム」の月を移動させたのではないか、という説もある。
これに気づいたのか、あるいは気づいていないのかはわからないが、ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂におけるフレスコ画において、ハマンの処刑とキリストの受難具を上下のセットで描いている。
ともかく、キリスト教とユダヤ教は、相互に密接に関わっているのは間違いない。互いに共通の書物をベースとしているがゆえに、二千年の長きにわたる愛憎を含んだ姿勢がうかがい知れる。
キリスト教にはいくつか有名な思想がある。
例えば「愛」はキリスト教において重要な点である。見返りを求めず、対象も自分の家族や仲間に限らずに、隣人や時には敵のためにさえ祈る無償の愛が「アガペー」である。
「三位一体」も多くの教派で中心的教義として重視する。三位とは万物の父である神、神の子メシアであるイエス、聖霊の三つのことで、これら三つが「別々の位として現れつつも本質的には同一の存在である」と言う思想が三位一体である。中には三位一体を否定する思想を持つ教派もあるが、カトリックなどの多数派は「三位一体を認めない者は中心的教義を否定しているため異端である」とみなす。
ちなみに聖霊とは神の恩寵を人間に伝える働きを持つ存在である。イエスの弟子は「マリアがイエスを妊娠したのも聖霊の働きである」「自分が書いているこの新約聖書の内容も聖霊の働きによるものである」という意味の言葉を新約聖書に記載している。人間の口を通して異言という特殊な言葉を発させることもあるとされ、例えばキリスト教プロテスタントの有力な一派であるペンテコステ派は、集会において信者に現れる異言を聖霊の現われとして重視している。
「原罪」という思想もある。これは、旧約聖書に記された「アダムとイブが神のいいつけに逆らったために楽園を追放された」という記述から、「先祖であるアダムとイブの罪を人類全体が引き継いでいる」という考え方である。ここまでは旧約聖書を聖典とするユダヤ教でも共有しうる思想だが、キリスト教ではさらに「原罪は神の子であるイエス・キリストが購ってくれる」と考える。そのため、キリスト教では特に重要視されている。
「人類は誰でも生まれつき罪人である。その罪は、イエス・キリストを通してのみ解決され、救われる」というこの原罪の思想は、「キリスト教以外の他の宗教を信じている者は救われない」との考えにもつながりうる。よって、他人を救うために熱心にキリスト教を布教するクリスチャンもいる。
未来に関する予言的内容の教義としては、「最後の審判」がある。これは新約聖書のうち「ヨハネの黙示録」に記載された内容である。「獣の数字(666)」「四騎士」等はオカルトやファンタジーなどを通してクリスチャン以外の間でも有名である。
キリスト教の思想の骨子、すなわちキリスト教の本質とは何か、ということを考察したものも数多く居る。
直球でそのまま『キリスト教の本質』という題名の書物を著したフォイエルバッハというおっさんも居た。その書物の結論は一言で言えば『キリスト教や神は人間の心理の投影である』といったところ。この著書のために哲学者として著名になり現在も教科書に載るほどの人物ではあるが、当然キリスト教のお偉いさんからは総スカンをくらった。この書物についての詳細は「キリスト教の本質」の記事を参照されたい。
他にもトルストイやハルナックという割と有名なおっさんも日本でのタイトルが『キリスト教の本質』という本を書いているようだ。幾人かの日本人も「キリスト教の本質」というフレーズがタイトルに入った本を書いている。本質だらけでどれが本当の本質なのか分からんね。
ちなみに、このページを作成した最初の編集者は、キリスト教の本質を「自己肯定」と捉えている。自己肯定とは、すなわち「僕はここにいていいんだ!」ということ。つまり、どんなに変態で童貞で屑でカスで両生類のクソかき集めた物の価値以下の人間であれ、イエスはありのままの君を愛しており、キリストに愛されていたことを知ることで、「僕はここにいていいんだ!」と自らを肯定することがキリスト教の本質である、とこの編集者は結論しているようだ。
以下の記載はカトリックの歴史の一部だが、膨大なるその歴史の一部に過ぎない。また、あくまでこの記事の編集者の解釈に過ぎない。もしも、更なる知識を得たいと思う方がいれば、自ら調べる事をお勧めする。その場合はその方法をネットに限定することなく、ありとあらゆる書物に求める事をお勧めしておきたい。
さらに言えば、カトリックの歴史の説明にはなっているが、一般にキリスト教として思い浮かべられる中に入るであろうその他の宗派(例えばプロテスタント各派)についてはほぼ記載されていない。これらについても他の編集者による追記が待たれる。
イエスは紀元前4~3年頃、「中東地域において羊が放牧される季節」に生まれた。生物学上での父はヨセフ、母はマリアである。ヨセフとマリアは結婚する前であったから、ユダヤ教の仕来りに従い、婚姻まで「ニャンニャンしない」はずであった。しかし、マリアは懐妊した。どう考えても、「ニャンニャンした」はずなのだが、新約聖書においては、マリアは聖霊によって懐妊した、とされる。これを処女懐妊という。ちなみにヨセフはマリアの妊娠を知った後は、マリアと離縁するつもりだったという。普通どう考えてもNTRだしさぞショックを受けたのだろう。しかし天使から「大丈夫、処女懐妊だよ」と夢でお告げを受けたので離縁しなかった。これを受胎告知という。
その後30歳ぐらいまでのイエスは大工として働いていた、と考えられる。だがおそらく30歳程度の時期にヨハネより洗礼を受けると、その活動を本格化させる。
彼が行った事は、いわば「セクト」を作り出す行為であった。厳格に取り決められた戒律によってガチガチになったユダヤ教に対して彼は、改革運動を起こしたのである。その対象は虐げられたものたちであった。次第に彼の周りには弟子達が集まっていったが、彼の動きを危険視する人々も居た。保守派の人間である。彼らはイエスが神を冒涜したとして訴えを起こし、結果、彼は捕縛され、磔の刑に処されて死亡した。このとき弟子である南斗紅鶴拳「妖星」ユダの裏切りが捕縛の決め手となったと伝えられる。
神は言っている ここで死ぬ運命(さだめ)ではないと――
磔になる前に彼は弟子達に「私は3日後に復活する」と述べていた。どう考えても死者が数日後に生き返るはずはないのだが、新約聖書においては、イエスはその生前の言葉通り、磔の3日後に復活したとされる。なお、彼の復活後最初の一言は「おはよう」で、相手はイエスに従った弟子達ではなく、取り巻きの女性達であった。意外に女好きなのかもしれない。
ちなみに、新約聖書には元々は「磔の3日後、安置されていた場所からイエスの死体が消えていた」と言うところまでしか書かれておらず、復活したあとに姿を現して女や弟子達に話しかけた、という場面は後から追加されたという学説もある。さらに、ここで登場する女性についての記述は、新約聖書、つまり聖典の中でももっとも重きを置かれている四福音書(マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ)でさえズレが生じている。マタイによる福音書では、女性たちは大喜びで弟子たちに伝えに行ったが、ルカによる福音書によれば、女性たちが復活を見たと言っても、弟子たちは誰も信用しなかったと書いている。このズレは、初期キリスト教において、女性をどのように扱うか——すなわち、イエスの復活をその目で見た「使徒」あるいはそれに準ずる存在と認めるか、あるいはあくまでも復活を確認したのは男性の弟子であり、女性たちは関係ないとするか——についての葛藤を物語っている。
さて、そうこうしてイエスは復活したわけであるが、彼の復活とは彼の弟子達にとってイエスこそメシア、すなわち、キリストであるという証明になるとした。弟子達はイエスから復活前に言われたように、彼の教えを全世界に伝えるためにローマ帝国中、そして全世界に向かって発信し始めたのである。
この時点でのキリスト教は、所謂カルトである。カルトとは端的に言えば、正統(この場合ユダヤ教)に対して批判を行い、その創始者個人に対しての信仰を行う集団である。
詳しい事は新約聖書の福音書、使徒行伝を読む事をお勧めする。また、ユダの裏切りからキリストの復活までは映画:パッションがいい材料になる。
初代教会として一般に認識されるのは、ペテロがアンティオキアにて司教座に着いた時に始まり、アウグスティヌスら諸々の教父たちによって教会の『有り方』が定義されるまで、言ってよいであろう。
彼らが布教のターゲットとしたのはローマ帝国内での所謂下層民であった。下層民に対して「貧しいもののために、罪人のために、病人のために神は存在する。そして神はあなた方を救ってくださる」と言って伝道した。当初は弾圧されたものの教えは着々と広まり、終には392年、ローマ帝国の国教としての地位を得る事になる。この時点でキリスト教は最早カルトではなくなっていた。万人に対しての万人の宗教である。
特に指摘されるべきは、異邦人に対する布教も積極的に行ったところだろう。使徒言行録10:28「ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています」のように、ユダヤ教はユダヤ人以外との接触を極めて厳しく制限していたにもかかわらず、「神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」(使徒言行録11:18)と、キリスト教は多くの異邦人に門戸を開いた。
さて、そういう歴史を経て初代教会は成立した、のだが。実際のところ、教会というモノが果たしてどういったものであるかということを説明する事もまた難しい。端的な言葉を用いれば、「教会とは客観主義的組織である」というものにあるが理解し難い表現である。この客観的教会論については該当項目を参照のこと。
かくして時代は中世に移る。中世という時代について、しばしば「暗黒の時代」とされる事があるが、中世こそ、キリスト教を理解するうえで、そして近代と現代を理解するうえで最も重要な時代であるという意見もある。
とはいえ、実際のところ中世初期は非常に、混乱の時代である。帝国が崩壊し、争いと民族移動が起こった。この混乱の中で教会は生き残る戦略を求められる事となる。方法は簡単で、392年と同じ。世俗権力と結びつくのである。800年のクリスマスにシャルル=マーニュをローマに呼び寄せ、教皇は彼にローマ帝国皇帝の地位を授ける。このことによってキリスト教会は世俗権力との交わりを生み出したのである。
そうして生き残ったキリスト教は、着々とその信徒を増やし、世俗との結びつきも作り出した。フランク王国が倒れると、今度はオットーと結びついて神聖ローマ帝国を作り出すことによって生き残りを図った。ところがギッチョン、時代が経るにつれて、かつて教皇権のほうが優位であった構造は神聖ローマ皇帝の優位になりつつあった。そこで始まったのがグレゴリウス改革である。(グレゴリウス改革についてはこの記事の最初の作成者が後々別記事を作ろうと思っているとのこと)。
グレゴリウス改革はカノッサの屈辱など、どうでもいい逸話的事件を経て成功し、教皇権の全盛期を迎える。教皇権は最早何人にも犯されざる神域へと達し、教会はその教皇を頂点とするヒエラルキーによって組織化された存在となった。
だが個々で大きな問題、教会組織そのものが生み出したといってよい欠陥が、対に爆発的な運動へと発展するのである。このことは、「客観的教会論」の項を参照。
かくしてインノケンティウス3世の時代に全盛期を迎えた教会であったが、実際のところ問題山積み、崩壊の危機、ヤバイヤバイ、そんな状況であった。
やがて中世は近代へと移り変わる。近代へと移り変わる過程で、ルネサンス、宗教改革が起こるが、真に近代に入るのは17世紀、科学革命からであろう。
ルター以前から聖書を翻訳したり、教会の改革を訴えるものはいた(例:12世紀のワルドー派(ヴァルド派)、14世紀のフスとフス派、ウィクリフとロラード派など)
これらの運動は当時は当然「異端」と断じられて弾圧されたが、現在では「初期プロテスタント」として評価されることもある。
実際にワルドー派は現在ではイタリアなどでプロテスタントの主流派教会と合同を行っており、プロテスタントとみなされているほか、「人民の人民による政治(the government of the people, by the people, and for the people)」をリンカーンより先に提唱したウィクリフ派の考えや聖書の翻訳の影響は以外に大きい。
→宗教改革
ルターから始まった宗教改革はプロテスタント諸教派(注:プロテスタントはひとつの宗派ではない)の分離をもたらしたが、同時にカトリック内部での対抗宗教改革も進んだ。詳しく書くといろいろあるが、プロテスタントと喧嘩別れしたてのころは、「カトリックはカトリックらしく!」として典礼が整備されたりした。ザビエルで有名なイエズス会などの広範囲な活動もこの時期である。(いまではカトリックとプロテスタント諸教派の一致運動もある)
プロテスタントの方では、ルターがなんと修道院から脱走したシスターのカタリナさんと電撃結婚したために、聖職者が結婚できるという前例を作った。(注:当時の法律では修道院からの脱走は協力者もろとも死罪だった)。また、聖書を重視した結果、「信者はみんな<聖なるものたち>って聖書に書いてあるじゃん!」と万人祭司という概念を打ち出した。それにより、世俗の職業も「天職」として尊いものとされた。そのため、プロテスタントの聖職者は<祭を司る>特別な「司祭(神父))」ではなく、あくまでその信徒の<群れを導く牧者・羊飼い>、つまり「牧師」と呼ばれるようになった。(厳密な用語では「牧師」は「聖職者」ではなく「教役者」である。)もちろん、牧師になるためにはカトリックの神父と同様にきちんとした神学を修め、按手という儀式を経て任職される必要がある。
プロテスタントの基本は「聖書のみ」「信仰のみ」(信仰義認)「恵みのみ」である。この点で主にカトリックと対立をしたが、信仰義認に関してはルター派とカトリックが1999年に歴史的な和解をしている。(破門の撤回はされていない)
カトリックとプロテスタントは同じ聖書を使うが、実はちょっと違う部分がある。
カトリックはヒエロニムスのラテン語訳聖書に従い、旧約46巻・新約27巻、計73巻編成の文書を聖典とするのに対し、プロテスタントは旧約39巻、新約27巻、計66巻の文書を聖典とする。これはいわゆる7つの「旧約聖書続編・第二聖典・アポクリファ」と呼ばれるものがラテン語聖書には含まれていたが、マソラ本文(ユダヤ教のヘブライ語聖書)には含まれていなかったため、プロテスタント側が削ったためである。
「うぎゃー!出番がなくなるー!」(byアニメやゲームなどでときどき目にする天使ラファエルさんなど)
しかし、近年ではカトリックとプロテスタントの一致を目指し、カトリック・プロテスタントどちらでも使える共同翻訳の聖書が出版されている。(しかし、そういう一度削られた7つの『旧約聖書続編』は、プロテスタントでは「参考」にしてはいいが、「教義」として持ち込むことはできない、ということになっている)
さて、上にプロテスタントはひとつの宗派ではない、と書いたが、本当にいろいろある。実は世界中にプロテスタントの教団の数は3万以上あるという、キバヤシもビックリな事実がある。これはプロテスタントが万人祭司制であることとも関係がある。…といっても、主な流れはそんなに多くない…はず。
…まだまだいろいろあるけど、とりあえずこのへんで。
★また、「リベラル派」や「福音派」などの言い方もある。
これは宗派(教派)ではなく、姿勢の違いである。「リベラル派」が自由主義神学に立つのに対して、「福音派」は聖書に忠実であろうとする。しかし、○○派はみんなリベラル派、みんな福音派、などという単純な図式はありえないし、それぞれの内部も多種多様である。多様性と一致こそが、キリスト教の姿であるのだから。
さて、近代の教会についてであるが、近代教会というものが何時頃成立したか、そんなことはぶっちゃけ意味が無い。
カトリックとは普遍を意味する。そもそも宗教というものが、時の流れに対して超然としているものだ。
では何が変わったか。それは、世俗への干渉である。
より良い救済を万人に対して提供する機関であると自任する教会は、それゆえ世俗に対して影響力を行使することがあった。だが近代には、世俗側から教会の介入を拒否した。これは国によるのだが、心的な面では教会を重視するが、表面的な面では国家の問題に分かれていくのである。
この二面性こそ、あるいはもしかしたらキリスト教の最も理解しがたく、そして同時に、最も深みのある部分なのかもしれない。
ただし近代についてはこのページの編集者達の知識が不足しており、現在のこのページは近代教会についての記載は十分でない。
ちなみに、このページの最初の編集者は「キリスト教の中から生まれでた、キリスト教徒のキリスト教にたいする闘争にこそ、近代の根幹は存在する」として、「近代教会」だけでなく「近代という時代区分」自体がキリスト教由来であると考えているようだ。(事実、近代化≠キリスト教化だとしても、近代という現象が西欧から始まったことに、キリスト教の影響を指摘する歴史家は多い)
「教皇(ギリシャ語:πάππας、英語:Pope)」は、すべての主教を指す言葉が後に称号化したものの訳語。
日本で単に「教皇」という場合「ローマの教皇」のことを指すことが多いが、歴史的に2つの「教皇」位が存在し、3人の人間がその位を保持している。
ローマ帝国の国教となった後、帝国には5つの総主教座が定められた。
ローマ(旧首都)、コンスタンチノープル(首都、キリスト教の中心地)、アンティオキア(最初期の教会)、エルサレム(聖地)、アレクサンドリア(帝国第三の都市)がそれである。その中でもアレクサンドリアの総主教が「主教の中の主教(パパの中のパパ)」と呼ばれるようになり称号化した。
キリスト教が国教となった頃帝国の重心が既に東方に移動していたこととキリスト教が東方から来たことから、五大総主教座の地理的なバランスは悪く、帝国の東西分割統治が始まったとき"僻地"西ローマにはローマ総主教座の座所だけが存在することになった(実際最近まで「西方の総主教(総大司教)」という位も保持していた)。
そのため西ローマが崩壊した後、徐々にローマ総主教だけがローマ皇帝の支配外に出ることになった。ローマ総主教庁はもともと政治的野心が強く首位に立とうとする傾向があったため、西方ではすべての教会がローマの教会の支配下にある体勢が、東方では古来どおり序列はあっても各地独立した教会が存在する体勢が確立する。フランク王を勝手に西ローマ皇帝を任命するなどして力をつけたローマ教会は11世紀ごろに「パパ」を公式な称号として使うことになった、これの訳語が「教皇」である。
先に書いたように称号としての「パパ」の始まりはアレクサンドリアだった。3世紀の13代アレクサンドリア総主教ヘラクレスが最初で、遡って初代を聖マルコとしている。現在は歴史的経緯からコプト教会系(カイロ)とギリシャ正教会系(ギリシャ)の二人の「アレクサンドリアの教皇」位保持者が並立している。正式な称号は相互に違いがあるが「大都市アレクサンドリアの総主教、教皇」「全アフリカの総主教」「父達の父」「聖マルコの後継者」などを含む。
コプト教会系の教皇はエジプトのコプト教会の首位であるが東方教会全体や全ての教会の首位を意味しないし、ギリシャ正教会系の教皇はギリシャ正教会の首位でも正教会全体の首位でもない。ローマ帝国の伝統に則りあくまでも各地にいる総主教の一人である。
現在はコプト教会は118代タワドロス2世、ギリシャ教会は124代セオドロス2世が座についており、偶然ではあるが同じ名前を冠している。
カトリックの最大権威にしてヴァチカン市国の元首であり、ペテロの代理人あるいは後継者とされる。ペテロはイエスの弟子の一人で、初代教皇とされる。もちろんペテロから数百年はアレクサンドリアと同様後付けで、ローマ教会はそう考えているということである。彼はイエスより「天国の鍵」を受け取っており、この鍵によってペテロは地上での赦しを行うことが出来ると主張した。そのため、鍵はカトリック教会にとって非常に重要なものであり、ヴァチカンの国旗には教皇の三重冠のバックに描かれている。
現任の教皇聖下はフランシスコで、第266代目に当たる。
西欧やカトリックの立場からはキリスト教の中心ということになるが、その他の立場からは多くの総主教の一人が「ローマの教皇」位を持っているということになる。
最近はフランスシスコが政変やイスラム国問題で揺れるエジプトのタワドロス2世に電話をかけたことが報道されるなど、正教-カトリック間の対話と同様に積極的な対話が進んでいる。タワドロス2世がヴァチカンを訪問した際には「"three Popes(タワドロス2世、フランシスコ、前任のベネディクト16世)" がヴァチカンに集まる」、「互いに "your holiness" と呼び合う」などと表現された。
日本においては、政府の公式発表や各種報道などにおいて、長らくの間訳として「法王」を使っていたが、これは本来仏教用語であるので、日本のキリスト教界隈では好まれなかった。2019年11月に教皇フランシスコが訪日するのにあわせて政府における正式呼称を「教皇」にすることを発表、マスメディアもこれにともなう形で「教皇」に表記変更している。
現在、近現代で西欧中心の世界観が広まったこと、カトリックの影響力から、キリスト教の盟主のようなイメージで(ローマの)教皇が語られることが多い。その状況から誕生したカトリック教会の推進する訳語なので、「教皇」は "Pope of Rome(ローマの教皇)" だけをさす訳語という側面も確かにある(その場合Popeだけの訳語が必要になると思われるが日本のカトリックでは「アレクサンドリアの教皇」をなんと呼ぶのかしらん)。少なくともWikipedia日本語版で「アレクサンドリアの教皇」と書くとあれは教皇ではない!と怒られるようです。
ロシアの正教会由来の日本の正教会では「"Pope" = パパ」「"Pope of Rome" = ロムのパパ」を使う(らしい)。
「アレクサンドリアの教皇」位を擁する教会のうち、ギリシャ系の正教会は日本語話者の信徒がいるとは思われず、コプト教会は一応日本語話者の主教が存在し、教会が存在するようだが、どちらも教会の推進する定訳は存在しないと思われる。 少なくとも報道では他の協会に使う語を流用して、「アレクサンドリアの法王が着座」などの表現が使われている。
今はこんな感じの教派に分かれている(日本の仏教みたいに思えるのは気のせいです)
西方教会
・カトリック教会(ローマ教皇をトップとする)
・聖公会(英国国教会)
・プロテスタント(分派があるがそちらは割愛)
・アナバプテスト
・(無教会)
東方教会
・正教会(各地域に独立した教会を建てるためロシア、ギリシャ、日本等地名を頭につけて呼ぶことも)
・東方諸教会(古い時代の公会議で分離した諸教会、大きく2系統か3系統くらい)
ちなみに日本ではカトリックかプロテスタントが主流であり、宗教系の学校も大体そうである。ニコライ堂などが正教会で、各県1個くらい教会があるようだ。聖公会はもう少し少ない。東方諸教会は超レア。
各教派ごとに儀式も違ったりする。
ちなみに信者でない人がキリスト教式で結婚式や葬儀をする場合、儀式に厳格なカトリック教会より比較的柔軟なプロテスタントの方が対応してくれる場合が多いようだ。
キリスト教が他宗教を排除し弾圧してきたこと、布教を侵略の道具にしてきたこととその結果の他地域の文化の崩壊(例えば中南米等)などを批判される(とはいえ古今の宗教を大義名分に掲げた内紛や戦争は宗教を利用しているだけで真因は別にあることも多い)。インドや日本などでも寺社仏閣の破壊に加担したことがあった。
政治的な理由以外に科学技術的な損失も挙げられる。キリスト教の教義を絶対と信じるがゆえに、それに反する科学的発見や技術、研究はしばしば弾圧された。中世ヨーロッパの暗黒時代にもキリスト教の影響があるとも言われる。
著名なのはキリスト教徒によるアレキサンドリア図書館の焼き討ちによる喪失や地動説を訴えたガリレオ・ガリレイが異端審問を受けた例であろう。その他、『魔女に与える鉄槌』がキリスト教の異端審問官によって書かれるなどヨーロッパの魔女狩りにもキリスト教の影響はあった
近代科学の母体はキリスト教とは言われるが、それまでの科学的停滞にはキリスト教が少なからずかかわっている。
また、現代に至っても聖書の記述を信奉するあまりに科学的な学問である進化論に対抗してインテリジェント・デザイン論を提唱してしまうなどの先鋭的な信者もいる。
今まで書いてきたことを「真実」としてとらえるか、「偽り」としてとらえるかは、個々人に任せるべき問題である。その判断は、このページを読んでいるあなた次第である、ということも明記しておく。何といっても、日本には信仰の自由、という非常に、本当に素晴らしいものがある。信仰であれ、信条であれ、友愛であれ、強制されてはいけない。権利とは同時に義務を有するもの。信仰の自由の権利とは、「信仰を強制してはいけない義務」と同義なのだ。
また、他にも色々重大な事件は多々あるが、現在はニコニコ大百科編集者達の時間的余裕の関係で記載されていない。できるだけ多くの編集者が参加して、この項目を充実させてください。
|
コミュニティの元となった言葉は、ギリシア語で「コイノーニア(キノニア)」、ラテン語で「コムニオ」 英語で「コミュニオン」といいます。
Credo in Spiritum Sanctum, sanctam Ecclesiam catholicam, sanctorum communionem...
教会とは、想いを同じくするものの集まりのコミュニティでもあり、それがキリストの体でもある、という理解です。
(コリントの信徒への手紙一 12章など参照)
それが一致しているのが理想的ですが、理想的にはいかないのがこの世界です。 それぞれ、いろいろな考えがあり、それぞれ、たくさんの集まりがあります。
ですが、上に「お断り」として書いてあるように「信仰の自由の権利とは、『信仰を強制してはいけない義務』と同義」です。 そのため、ここでコミュニティの紹介をすることは控えさせていただきます。
(もし必要でしたら、このページの右上の「ニコニコ大百科メニュー」にある「ニコニコミュニティで検索」用のアイコンをクリックください)
掲示板
2675 ななしのよっしん
2024/11/25(月) 07:20:24 ID: HgLlnSJ6vP
ついにAIキリストが誕生。告解を聞き信者と対話する、スイスの教会で始まった新たな試み
https://
2676 ななしのよっしん
2024/11/25(月) 08:14:38 ID: TlzB95t8za
世界が終りを迎える日に雨後の竹の子のように生えてくる反キリスト定期
2677 ななしのよっしん
2024/12/06(金) 22:27:34 ID: doS450ICp6
結局欧米ってずっっっとイキリスト教と反キリストという名の真理教()でメタ回し続けてるだけなんだよね
最新の一神教であるポリコレもそのアンチ側も主張をよくよく聞いてみると同じ穴の狢だったりするし、ポリコレ排除した所でアーメン屋のマタイ共や糞油田屋の投資家連中は変わらずカスみたいなオナニー続けるよ絶対
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/22(日) 01:00
最終更新:2024/12/22(日) 01:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。