金! 名声! ロマン!!
全部掴んで――踊って笑って暮らすのさ!!
タップダンスシチー(ウマ娘)とは、Cygamesのメディアミックスプロジェクト『ウマ娘 プリティーダービー』の登場キャラクター。
実在の競走馬「タップダンスシチー」をモチーフとするウマ娘である。CV:篠田みなみ
概要
誕生日:3月16日 身長:170cm 体重:気にしてないね スリーサイズ:B89・W55・H88
ある日本のウマ娘のレース中継を見たその日のうちに、生まれ育ったアメリカから日本のトレセン学園にやってきた、超・行動派ウマ娘。
大金や名声のために走ると豪語してはばからないがそれは彼女が何より叶えたいと願う“ロマン”を現実にするために必要なことなのだとか。
2023年2月22日配信の「ぱかライブTV Vol.26」にて発表されたウマ娘。
モチーフ馬はエスポワールシチーと並び、「シチー」冠名の友駿ホースクラブを代表する馬で、同冠のゴールドシチーが既にいたため長くウマ娘化が待たれていた1頭である。
3月20日、シンボリクリスエスの育成実装に伴いレースライバルとしてゲーム内に登場。B89とクリスエスに負けじ劣らずのナイスバディである。
ウェーブのかかったボブカットのウマ娘。髪の一部を三つ編みにしており、その部分が赤と青に染められているのが特徴(友駿ホースクラブの勝負服カラー)。また右耳の耳飾りが金のシャチホコになっている。史実で3連覇した金鯱賞が由来だろう。前髪の一部と目つきから、発表時の縮小画像で眼鏡っ娘と誤認する人が結構いたが、眼鏡はかけていない。
史実
4歳までは平凡な条件馬だったが、5歳の秋に佐藤哲三騎手との出会いで開花、6歳にしてジャパンカップを9馬身差で逃げ切り、7歳で宝塚記念を勝ち、8歳まで金鯱賞3連覇など長く活躍した遅咲きの名逃げ馬。
1997年生まれ。エアシャカールやアグネスフライト、アグネスデジタルと同世代だが、遅咲きだったので活躍時期は2歳下のシンボリクリスエスや3歳下のゼンノロブロイらと同じである。
父Pleasant Tap、母All Danceのアメリカ生まれの外国産馬。馬主はゴールドシチーやエスポワールシチーと同じ一口馬主クラブの友駿ホースクラブで、馬名は父名の一部+母名の一部+冠名というシンプルな命名ながら、図ったようなオシャレな馬名と評価が高い。
気性が荒く調教に手を焼いた上、曳き運動の最中に大暴れして舌を切ってしまい、デビューは3歳の3月まで遅れる。他馬を怖がるようになってしまい、さらに装鞍すると平常心をなくして名前の通りタップを踏むような歩様になってしまった。
そうした気性難に加えて脚質もなかなか定まらず、京都新聞杯で後のダービー馬アグネスフライトの3着に健闘したりはしていたが(マル外なので当時のクラシックには出走権なし)、4歳までは鞍上もコロコロ変わりながら条件戦をうろうろしている馬でしかなかった。5歳となりようやくオープンに昇格、日経賞で2着に入ったが、その後はまた苦戦が続く。
転機となったのは5歳秋初戦の朝日チャレンジカップ。その前に手綱をとった四位洋文の提案で、佐藤哲三を鞍上に迎えると、ここで重賞初制覇を飾り、以降は佐藤が引退まで鞍上を務めることになる。京都大賞典3着、アルゼンチン共和国杯3着、京阪杯5着を経て、年末の有馬記念で13番人気の低評価ながら、1番人気でハナを主張するファインモーションに競り掛けていってファインのリズムを崩すと、向こう正面でかわして大きく後続を引き離して先頭に立ち、シンボリクリスエスに差し切られたがあわや逃げ切るかという2着の力走を見せる。
6歳となり、オープン特別と金鯱賞を連勝。宝塚記念はヒシミラクルの3着に敗れたが、京都大賞典を逃げ切ると、ジャパンカップでは重馬場の中、佐藤騎手とタップダンスシチーは後続を置き去りに一人旅。ポエマーことフジテレビ塩原恒夫アナの「2400、逃げ切るとはこういうことだ!魅せてくれた仮柵沿い!」の名実況とともに9馬身差で逃げ切った。ジャパンカップの逃げ切り勝ちは1984年のカツラギエース以来、9馬身差はJRAのGⅠ史上最長着差記録であった。ちなみに佐藤騎手が騎手を志したきっかけこそ、その1984年のJCである。
なお、次の有馬記念ではザッツザプレンティら先行勢に潰しに来られて8着に沈み、引退レースのシンボリクリスエスに9馬身差返しを食らった。
7歳となって金鯱賞を連覇すると、宝塚記念ではローエングリンにハナを奪われるも向こう正面でペースを落としたローエングリンをかわして先頭に立ち、そのまま鮮やかに押し切ってGⅠ2勝目を挙げる。
この勝利で秋は凱旋門賞に挑んだが、乗る予定だった飛行機が機材トラブルで飛ばないというアクシデントに見舞われ、レース2日前に現地入りという強行日程になってしまい17着と惨敗。それでも帰国して挑んだ有馬記念ではゼンノロブロイの2着に逃げ粘り、現在まで残る有馬記念レコードを演出した。
8歳も現役続行し金鯱賞3連覇を達成したが、その後はさすがに衰えを隠せなくなり、有馬記念12着を最後に現役引退。獲得賞金は10億円を超え、一口馬主史上に残るドリームホースの1頭であった。
重馬場でロケットスタートから9馬身差逃げ切りのジャパンカップの印象が強いが、本来道悪は不得手、かつスタートも難があり他に逃げ馬がいるとハナを切れない馬であった。なので通算42戦のうち、コーナー通過順が[1-1-1-1]のレースは6戦しかない。JCよりもむしろ向こう正面でローエングリンをかわして押し切った宝塚記念の方がタップらしいレースである。
引退後は種牡馬入りしたがこれといった産駒は出ず、種付け数も人気を集めたのは初年度だけであとは激減し、2010年限りで種牡馬引退。引退後は乗馬となったが、一時期行方がわからなくなりネット上でだいぶ騒ぎになった。現在は個人の牧場で繋養されているそうである。
詳細は当該記事へ→タップダンスシチー
関連動画
関連項目
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