東方昭和伝外伝の年表 単語


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~ 東方昭和伝外伝「それぞれの日露戦争」の年表 ~

明治33年 (1900年)

内閣 日本の動き 世界の動き






































第一幕「北清事変と日英同盟」 exit_nicovideo
1月1日 杉原知畝 産まれる
1月28日 安部磯雄、、幸徳秋水らが「社会主義者協会」を結成
2月13日 足尾鉱事件の第4回押出しで、農民の集団と警官隊が衝突(俣事件)
2月27日 大英帝国 労働代表委員会発足
(※のち1906年に「労働党」へ発展)
3月10日 治安警察
3月13日 大英帝国 ボーア戦争
オレンジ国の首都ブルームフォンテーンを制圧
3月14日 合衆国 金本位制導入
3月23日 探検スウェン・ヘディン遺跡を発見
3月29日 衆議院選挙法改正
 選挙権付与の納税額を10円に引き下げ
 大選挙区制を採用
4月15日 フランス パリ万国博覧会(~11月15日
4月30日 合衆国ハワイ マッキンリー大統領ハワイ併合についての「1900年基本法」に署名 6月14日、初代ハワイ知事が就任し、アメリカハワイ合併
5月10日 皇太子嘉仁王(大正天皇)と九条節子(貞明皇后御成
5月19日 陸軍省官制・海軍省官制の改定
 「軍部大臣現役武官制」を明確化
京都法政学校(のちの立命館大学)設立
5月31日 大英帝国 ボーア戦争
ヨハネスブルクを制圧
6月5日 大英帝国 ボーア戦争
トランスヴァール国の首都プレトリアを制圧
6月12日 ドイツ帝国 「第2次艦隊法」可決
1917年までに戦艦38隻・巡洋艦42隻等の大艦隊を建造し、英国海軍に対抗することを法制化
6月15日 清国への陸兵1288名(第1次臨時派遣隊・福島安正少将兵を閣議決定
6月17日 清国西欧列強の第1次連合軍、大(タアクー台を攻撃 清国、「礼横行」と非難
天津の義和団等暴徒および清国正規軍、列各国居留地にし砲撃 事実上の開戦
6月20日 ドイツ帝国駐清ドイツ使ケッテラー、義和団に殺される
6月21日 北 清 事 変 (義和団の乱)

清国政府、列強8ヶ(日・・独・露・・墺)に対し宣戦布告
7月3日 合衆国 ヘイ務長官、第2次門戸開放通牒を発表
7月14日 連合軍、天津を制圧
7月26日 清国孫文、挙兵に失敗して日本亡命
8月 日本合衆国 移民自主規制に関する第1次紳士協定を締結
8月14日 列強連合軍、北京へ総攻撃 (ロシア軍の抜け駆けで13日より攻撃開始)
軍が清国軍・義和団に包囲されてた公使館区域に到達し、55日ぶり国公使・居留民を解放
西帝ら清朝宮廷は攻撃前に北京より逃亡
8月20日 清国】「己を罪する詔」
義和団を反乱軍とみなし討伐開始
8月23日 元老 黒田清隆 死去
9月 近衛麿東亜同文会を中心として『民同盟会』結成
9月13日 政党(旧自由党)、導によって解党を決議
9月15日 立憲政友会」結党 (初代総裁:伊藤博文
9月23日
~27日
共産主義 第2インターナショナル パリ大会
10月11日 大英帝国 下院総選挙
ウィンストン・チャール初当選
10月14日 第2次山縣有朋内閣総辞職
10月15日 清国】北清事変の講和交渉開始
 (清国代表:北洋臣 李鴻章)


















10月19日 第4次伊藤博文内閣成立
10月27日 西園寺侯爵、枢密院議長就任
 (加えて伊藤内閣「班列」)
11月7日 合衆国スペイン フィリピン割譲条約調印
11月8日 戦艦三笠」進
英国 バロ・イン・ファーネ船所にて)
11月11日 ロシア清国】 第2次露清密約
 満洲全域の軍事行政ロシア支配下に
11月15日 逓信大臣、汚職容疑で告発される
12月22日 逓相 辞任 後任は原敬
12月23日 桂太郎陸軍大臣 辞任 後任は児玉源太郎中将
12月24日 北京駐在列強各使、清国に対し十二ヶ条の講和条件を提示
12月25日 第十五帝国議会招集
12月30日 清国】講和条件を受諾
12月31日 福沢諭吉慶應義塾にて19世紀と20世紀の「世紀送迎会」を開催

明治34年 (1901年)

内閣 日本の動き 世界の動き

























1月1日 大英帝国豪州 オーストラリア連邦成立
大英帝国ナイジェリア ナイジェリアを保護
1月22日 大英帝国 ヴィクトリア女王崩御(在位64年)
   エドワード7世即位(~1910年)
2月3日 福沢諭吉 死去
平、国家主義団体「黒龍会」を創設
2月5日 八幡製鉄所の操業開始
2月24日 愛国婦人会」の創設が議決される
3月12日 貴族院に対し勅語 16日、貴族院が一度否決していた明治34年度予算を可決
4月15日 渡辺蔵相の官業中止案に閣僚猛反発
4月16日 大阪の第七十九銀行難波銀行が支払停止
金融恐慌発生
4月17日 董駐大使、ランズダウン英国外相に同盟締結を打診
4月29日 皇太子に第一皇子御誕生
5月5日、「迪宮裕仁」と命名
尾崎秀美 産まれる
5月2日 伊藤首相、辞表を奉呈
 10日より西園寺枢密院議長が臨時首相兼任
5月16日 井上侯爵に大命降下
5月20日 片山潜、幸徳秋水ら「社会民主党」の結党を届出
(即日禁命令)
5月21日 大英帝国 イランカージャー)がイギリス人実業ウィリアム・ダーシー石油権を付与
1908年、最初のイン油田発見 1909年、アング・ペルシャ・オイ・カンパニー設立 のちの「セブ・シスターズ」のひとつ)
5月23日 井上侯、組閣に失敗し大命拝辞
5月26日 桂太郎陸軍大将に大命降下
5月29日 列強、清国に対し北清事変の賠償金4億5000万両の要を決定


































6月2日 第1次桂太郎内閣成立
6月3日 清国学良 産まれる
6月21日 東京市参事会室にて想太郎に刺殺される フランス フランス急進社会党結党
7月1日 日本電報通信社(のちの「電通」)が創立される
9月6日 米国 マッキンリー大統領狙撃事件
衆国大統領マッキンーが無政府主義の銃撃をうけ、この負傷がもとで14日死去
9月7日 北京議定書』(北清事変に関する最終議定書)調印
9月14日 米国 マッキンリー大統領死去により、副大統領セオドアルーズベルト大統領へ昇任
9月21日 寿太郎、外務大臣に正式就任
10月1日 海軍舞鶴鎮守府開庁
10月16日 日本英国 日英同盟の交渉始まる
10月23日 田中正造、足尾鉱問題で衆議院議員を辞職
11月6日 英国 英国より日英同盟案提示
11月7日 清国鴻章 死去
11月18日 米国英国 第2次ヘイ・ポンフォー条約
国がパナマ運河の単独建設権を獲得
11月28日 日本ロシア帝国 伊藤博文ロシア皇帝ニコラ2世に拝謁
12月1日 田中義一陸軍少佐伊藤と面談
12月2日 日本ロシア帝国 伊藤ロシア外相ラムドルフと会談
12月3日 日本ロシア帝国 伊藤ロシア蔵相ウィッテと会談
12月4日 日本ロシア帝国 伊藤ラムドルフ外相と再会談
朝鮮の領土保全、本の朝鮮に対する「専権」なを求めた四ヵ条の覚え書を提出
12月5日 ウォルト・ディズニー 産まれる
12月7日 葉山にて元老会議伊藤除く)が開かれ、内閣・小外相の日英同盟方針を承認

十六帝国議会招集
12月10日 田中正造直訴事件

議会開院式より還御中の明治天皇に、前代議士田中正造が駆け寄り、足尾鉱問題に関する直訴状を奉呈せんとして警官に取り押さえられる
スウェーデン 第1回ノーベル賞授与式
 物理学賞にヴィルヘルム・レントゲン
ノルウェー 第1回ノーベル平和賞授与式
 受賞はアンリ・デナンとフレデリック・パシー
12月23日 日本ロシア帝国 伊藤ラムドルフ外相に対し交渉打ち切りを通告

明治35年 (1902年)

内閣 日本の動き 世界の動き


































1月 清国清朝宮廷が北京へ帰還
1月23日
~27日
八甲田山中行軍遭難事件

陸軍第8師団(弘前歩兵第5連隊が青森県八甲田山にて季訓練中に遭難
訓練参加210名中199名が死亡する惨事
1月30日 日本英国 第1次日英同盟調印・発効
2月16日 河野広中(政本党)・中村弥六(政本党)・井卓蔵(所属)らが初の普通選挙法案を提出(否決)
2月17日 次郎 産まれる
2月25日 伊藤博文が帰
3月1日 戦艦三笠工(5月18日横須賀に到着)
3月25日 商工会議所
3月26日 英国 セシルローズ死去
3月27日 児玉源太郎陸軍大臣辞任(台湾総督専任へ)
後任は寺内正毅中将

日本興業銀行設立
3月31日 広川 産まれる
4月8日 ロシア帝国清国満州還付に関する露清条約
ロシ軍の満洲(東三省)からの段階的撤退を約す
4月27日 民同盟会解散
4月29日 合衆国 中国移民禁止法成立
5月5日 子規「病牀六尺」連載開始
5月8日 台湾の全住民を日本国籍とすることを決定
5月15日 英国エチオピア 英国エチオピアスーダン協定調印
5月20日 合衆国キューバ キューバが合衆より独立
5月28日 フランス 下院選挙左翼勢力躍進
5月31日 英国フェリーニヒング条約
ボーア戦争の最終的終結 オレンジ自由トランスヴァール共和が消滅し、ボーア人地域が英国植民地となる
1910年5月31日南アフリカ連邦成立
6月5日 ドイツ帝国 皇帝ヴィルヘル2世ドイツ帝国領内のポーランド人及びその他のスラブ系諸民族の「ドイツ化」政策推進措置を発表
6月6日 東京株式市場大暴落
6月14日 列強各清国、北清事変講和条約の付帯議定書(賠償金配分)に調印
6月19日 逓信省、初めて官製絵葉書を発売
万国郵便連合条約加盟25年記念)
6月25日 皇太子第二皇子・秩父宮雍仁王御誕生
6月26日 英国 チベットへ進軍
6月28日 ドイツ帝国オーストリア=ハンガリー二重帝国イタリア王国 三国同盟第4次更新
6月30日 フランスイタリア王国 協商調印
英国 第4回植民地会議
7月4日 米国フィリピン 合衆フィリピン政府設立を発表
7月11日 英国 首相ソールベリー侯爵、辞任(第3次内閣保守党) 後任はアーサーバルフォア(第一大蔵卿・庶民院院内総務・保守党
7月15日 造兵で職工5000人がストライキ
8月 大谷瑞が西域探検のためインドへ渡る
第1次大谷探検隊 ~04年)
8月5日 久常 産まれる
8月7日 島大噴火 125全員死亡
8月9日 英国 国王エドワード7世戴冠式
8月10日 第7回衆議院総選挙 (任期満了)

立憲政友会191 政本党95 帝国党17
会28 同志倶楽部13 所属32
9月5日 英国清国清通商航条約調印
9月19日 子規 死去
9月26日 清国ロシア軍が山関より撤退
9月28日 足尾台風(通称)
東・東北地方風・高潮 尾銅山で山崩れ
東北地方冷害となり、大凶作
10月8日 ロシア帝国第1次満洲撤兵
10月11日 辻政信 産まれる
11月1日 フランスイタリア王国 モロッコにおける相互中立・権益保障協定調印(秘密協定)
三国同盟が上空文化
11月5日 ロシアの提唱した韓国中立構想案を拒否
11月7日 清国】袁世凱が直隷総督・北洋大臣に就任
12月2日 国勢調査に関する法律
 第1回国調査は大9年(1920年)に実施
12月10日 英国エジプト アスワンダム完成
12月28日 衆議院解散

明治36年 (1903年)

内閣 日本の動き 世界の動き


































1月1日 英国 エドワード7世、デリーにてインド皇帝戴冠式
2月16日 合衆国キューバ 互恵通商条約締結
国がキューバを護国化し、グアンタナモ基地などの永久租借権を獲得
2月23日 合衆国ホンジュラス ホンジュラス革命戦争に武力介入
3月1日 第8回衆議院総選挙

立憲政友会175 政本党85 帝国党17
中正倶楽部31 政友倶楽部13 所属55
3月5日 ドイツ帝国トルコ帝国 独土、バグダード鉄道建設の本協定締結
イツの『3B政策』本格化
3月6日 久邇宮邦王第一王女良子女王 御生誕
(のちの昭和天皇皇后香淳皇后)
3月30日 合衆国ドミニカ共和国 ドミニカ(共和革命戦争に武力介入
4月8日 ロシア帝国第2次満洲撤兵を不履行
4月18日 ロシア帝国 清国に対し満洲撤兵条件7カ条を通告
4月20日 外相、清国ロシアの7カ条を拒否するよう勧告
4月21日 会議

首相、小外相、元老伊藤・山らが京都の山の別荘()にて会合 「満交換論」を外交方針とすることを合意
4月23日 英国 ボーア戦争と北清事変における戦費の総額を
2億7,304万6,000ポンドと発表
1904年度予と比較して、その半分に相当)
4月27日 清国ロシアの7カ条を拒絶
4月28日 ロシア帝国 クロトキ陸軍大臣、極東視察に出発
5月7日 英国ドイツ帝国イタリア王国 関税条約調印
5月15日 英国 ランズダウン外務大臣、ペルシャ湾支配を宣言(ロシアに対抗)
5月17日 ロシア帝国 旅順の駐留部隊を増強 海軍演習
5月20日 ロシア帝国 清国との満州還付条約を破棄
英国 下院ベルギーレオポル2世)の植民地コンゴ自由における人権を非難決議
6月10日 セルビア セルビア国王アレクサンダル1世夫妻暗殺
6月12日 ロシア帝国 クロトキン陸相訪日 首相らと会談
6月23日 御前会議で「満交換論」に基づく対露外交交渉の開始を決定
6月24日 博士意見書事件

東京帝国大学教授寛人・富井政章・小野塚次・高橋作衛・金井延・寺尾学習院教授 中村進午の7人が、6月10日付で首相・小外相に送った対露強硬外交意見書の一部が、東京日日新聞に掲載される
7月1日 ロシア帝国ラジオトク~チタ間の『東清鉄道』が全線開通し、営業運行を開始
7月6日 フランス英国 大統領ルベーと外相デルカッセがロンドンを訪問 協商の交渉始まる
7月13日 共産主義 ベルギーブリュッセルにおいて、第2回ロシア社会民主労働党の党大会
7月14日 西園寺侯爵が第2代立憲政友会総裁に就任
7月30日 共産主義 ロシア社会民主労働党大会、ボリシェヴィキ(レーニンなど)とメンシェヴィキに分裂
8月4日 バチカン 7月20日ローマ教皇レオ13世が崩御
新教皇ピウス10世を選出(~1914)
8月9日 近衛麿犬養毅・頭山満ら対外強硬が『対露同志会』を結成
8月12日 「満交換論」をロシアに提示 ロシア帝国 旅順総督府を設置
 アレクセーエフ提督が総督に就任
8月29日 ロシア帝国 ウィッテ蔵相失脚
9月6日 ロシア帝国 清国に対し、先の7カ条を破棄して江省・吉省での駐兵延期を要 清国は拒否
9月18日 英国 ジョゼフチェンバレン(のちの首相ヴィルチェンバレンの義植民地大臣、辞任
10月6日 日本ロシア帝国 日露交渉開始
10月8日 清国日清および清通商条約締結
10月11日 旅順の日本人居留民を引き上げ
10月12日 報』の開戦論転換に抗議して、内村鑑三・幸徳秋水らが退社
10月17日 合衆国カナダ アラスカ協定締結
10月19日 東郷平八郎中将、常備艦隊長官に就任
10月28日 ロシア帝国を占領
10月30日 日本ロシア帝国外相・ローゼン駐日使、第5回会談
交渉修正案を提示
11月3日 パナマ パナマが大コロンビアより独立
6日、米国が承認
11月5日 対露同志会、首相へ『警告覚書』を提出
11月15日 幸徳秋水らが民社を設立
平民新聞を創刊
11月18日 米国パナマパナマ運河条約
合衆パナマ運河地帯の永久租借権を獲得
1914年、パナマ運河開通
1999年、運河と運河地帯をパナマ共和国に返還
12月4日 ロシア帝国 ロシア東洋艦隊、韓国の仁に集結
12月5日 第十九帝国議会招集
12月10日 衆議院議長河野広中、議場にて内閣弾劾の上奏文を朗読し、満場議決
12月11日 衆議院解散
12月17日 ライト兄弟が初の飛行実験に成功
12月28日 海軍、8年ぶりに『連合艦隊』を編成
 東郷が司令長官に就任

戦費調達のため特別会計資金の繰り替え使、国庫債券発行などを決定
戦時大本営条例改京釜鉄道編成など開戦体制のための4緊を公布
12月30日 閣議、対露開戦時に清国中立韓国を支配下に置くことを決定
参謀本部、軍令首脳会議 陸海軍共同作戦計画を策定
海軍省、アルゼンチンから二等巡洋艦(「春日」「日進」)の購入を決定

明治37年 (1904年)

内閣 日本の動き 世界の動き


































1月1日 近衛麿公爵 死去
1月5日 陸軍省・海軍省、軍機・軍略に関する事項を新聞雑誌上に掲載することを禁止
1月9日 文部省、徴兵猶予をしたがる学生に厳重警告
1月12日 ドイツ帝国 ホッテントット起(~07年)
イツ領南西アフカ(ナミビア)で先住民族ヘレロ(「ホッテントット」ことコイコイ人の一部)の大規模反乱勃発
1月13日 日本ロシア帝国 日本満洲問題につき最終解決案を提示
2月4日 御前会議 交渉打ち切りを決定

「この上時日を過するときは わが外交軍事共に恢復すべからざる不利に陥るべきは 疑を容れず
事ここに至りては 実に止むを得ざるが故に 帝国政府は自衛のため並に帝国既得の権利を擁護するため 必要と認むる独立行動をとるべきことを露政府に通告し 併せて軍事行動をとることを緊急なりと思考す・・・」
2月6日 日本ロシア帝国野慎一郎駐露使、交断絶通牒をラムズドルフ外相に手交

「・・・帝国政府は其の尽力の結果 帝国の穏当且私なる提案若は又絶東にて 鞏固且恒久の平和確立するに近き他の提案にたいしても 露政府の同意を得ることは 毫も其の望みなきを領徳したるが故に 現下の徒労に属する談判は之を断絶するの外他に選ぶべきを途を有せず
帝国政府は右の一途を採用すると同時に 自ら其の侵迫を受けたる地位を鞏固にし 且之を防衛する為め並に帝国の既得権及正当利益を擁護する為め 最良と思惟する独立行動を採ることの権利を保留す」
2月8日 連合艦隊第4戦隊韓国ロシア艦隊を攻撃(仁戦)
事実上の日露開戦
2月9日 連合艦隊力、旅順港へ第1次攻撃
2月10日 日露、それぞれに対し宣戦を布告
2月11日 宮中に大本営設置 合衆国英国イタリア王国スペイン 日露戦争に関し中立を宣言
2月12日 清国日露戦争に関し中立を宣言
2月13日 第1回戦時国債発行
2月16日 装甲巡洋艦春日」「日進横須賀到着
2月17日 ロンドン市場での債募集の方針を閣議決定
2月23日 日本大韓帝国日韓議定書』調印
2月24日 第1次旅順港閉塞作戦(失敗)

高橋是清日銀副総裁、外債募集のためアメリカ経由ロンドンへ出発
金子太郎男爵ルーズベルト大統領へ和工作のためアメリカへ出発
2月29日 合衆国 パナマ運河建設の調開始
3月1日 第9回衆議院総選挙

立憲政友会133 政本党90 帝国党19
倶楽部39 倶楽部25 自由党18
無所属55
3月5日 フランス ドレフュス事件の審理やり直しを開始
3月27日 第2次旅順港閉塞作戦(失敗)
 広瀬武夫中佐 戦死
4月1日 高橋ロンドン
4月8日 英国フランス 協商調印
英国の栄光ある孤立」路線は転換され、ビスマルク以来のドイツによるフランス孤立化は完全に破綻
4月13日 ロシア帝国 戦艦「ペトロパヴロフスク」が旅順で日本軍の機雷により沈 旅順艦隊長官マカロフ中将戦死
4月15日 戦艦「初瀬」が横須賀到着
4月30日 江会戦 合衆国 セントルイス万博(~12月1日
5月1日 オーストリア=ハンガリー二重帝国 作曲ドヴォルザーク 死去
5月2日 第3次旅順港閉塞作戦

3度にわたる作戦はすべて失敗に終わる
5月4日 合衆国 パナマ運河起工(完成1914年
5月12日 ロンドンニューヨークで第1回外債募集開始
5月13日 清国】慶王が露清密約を暴露
5月14日 旅順で触雷・衝突事故により戦艦「初瀬」「吉野」など6隻を失う
5月18日 清国】露清密約を破棄
大韓帝国条約を破棄しロシアと断交
仏伊露など13ヵ国、「白人婦女奴隷禁止条約」に調印
5月25日 南山の戦い
5月31日 三軍を編成 官に木希典中将
6月6日 木・児玉・東郷が大将に昇進
6月14日 得利寺の戦い
6月15日 ロシア第2艦隊(ウラジオストック艦隊=艦隊)により陸兵輸送中の輸送2隻撃沈
浦塩艦隊の跳梁跋扈が本格化
6月20日 参謀総長に山縣有朋元帥就任

満洲軍総部を設置 総司令官大山元帥
総参謀長に児玉源太郎大将が就任
7月1日 五輪 セントルイス夏季オリンピック開幕
7月9日 の戦い
7月17日 嶺の戦い
7月20日 ロシア艦隊、津軽海峡を抜け太平洋で汽など5隻を撃沈
7月21日 大石の戦い
7月23日 ロシア艦隊、九十九に現れる
7月24日 ロシア艦隊、伊豆半島通過
7月28日 ロシア帝国 プレーヴェ内務大臣がロシア社会革命党員によって暗殺される
8月3日 英国 チベット首都ラサを攻撃
8月7日 海軍陸戦重隊、旅順港内へ
戦艦「ツェザレヴィチ」「レトヴィザン」に命中弾
旅順艦隊はウラジオストックへの脱出を検討する
8月10日

連合艦隊は敵艦隊の捕捉・追撃に困難し、ロシア艦隊は旅順港へ逃げ込むも、その撃滅には失敗
8月12日 裕仁役・川村純義伯爵海軍大将)死去
8月14日 山沖
 連合艦隊第2艦隊彦之丞中は浦塩艦隊を捕捉し、これを撃滅
共産主義 第2インターナショナル アムステルダム大会
片山潜が参加し、日露戦争反対を決議
8月16日 共産主義 鄧小平 産まれる
8月19日 三軍、第1次旅順総攻撃を開始
8月20日 宗谷
8月22日 日本大韓帝国第一次日韓協約
日本推薦者を韓国政府の財政顧問・外交顧問に任命することを強制
8月24日 陽会戦
 初の日露陸軍力による会戦
ロシア帝国 バルチック艦隊の極東派遣を決定
9月1日 与謝野晶子雑誌明星』に「君死に給ふことれ」を掲載
9月4日 ロシア軍クロトキン)、奉へ後退
満洲、遼陽を占領
9月7日 英国 チベットとラサ条約を締結
9月19日 三軍、旅順要塞堡塁群を攻撃
9月21日 ロンドン市場日本債が高騰
9月26日 小泉八雲 死去
9月29日 徴兵改正
後備兵役を5年から10年に、補充兵役を7年4ヶ月から12年4月に、それぞれ延長
10月2日 ドイツ帝国 南西アフリカ派遣ドイツ軍先住民レロに対する差別殺戮を開始 4年間で6万人か
10月3日 フランススペイン 西協定でモロッコ独立を承認(秘密協定でモロッコ分割を約す)
10月10日 沙河会戦
10月15日 ロシア帝国バルチック艦隊出撃
10月21日 ロシア帝国英国 ドッガバンク事件
バルチック艦隊が北海英国日本軍工作と誤認して撃・撃沈
英国世論昂し、英国によるバルチック艦隊への種々の妨工作始まる
10月26日 三軍、第2回旅順総攻撃を開始
11月8日 合衆国 合衆大統領選挙で現職のセオドアルーズベルト共和党)が勝利
11月10日 ロンドンで第2回外債募集
11月13日 新聞』が「共産党宣言」の邦訳(訳者:幸徳秋水)を掲載して発禁処分
11月16日 社会主義協会に結社禁止
11月26日 三軍、第3回旅順総攻撃(203高地への攻撃)を開始 「襷隊」の決死攻撃敢行
11月29日 ロシア帝国 サンクトペテルブルクモスクワなどで反戦デモ
12月2日 合衆国 セオドアルーズベルト大統領議会上院で「新モンロー義」宣言演説
12月5日 三軍203高地を制圧
12月17日 ロシア帝国 旅順艦隊全滅
12月20日 清国孫文日本へ再亡命
12月29日 ロシア帝国 バルチック艦隊本隊、マダガスカルフランス領)に到着

明治38年 (1905年)

内閣 日本の動き 世界の動き


































1月1日 旅順のロシア軍、降を申し入れ

夏目『吾は猫である』の連載開始
1月2日 旅順降文書調印
1月5日 旅順・師営にて第三軍大将と露軍・ステッセル中将の会見
1月12日 連合艦隊参謀長に加藤三郎少将
前参謀長・島村速雄少将は第2司令長官へ
1月14日 三軍、奉へ北進開始
1月22日 合衆大統領セオドアルーズベルトに日露講和条件を打診 ロシア帝国 血の日曜日事件
ン司祭率いる請願デモ隊に対して軍発砲、数千人の死傷者
1月23日 ロシア帝国 血の日曜日事件に抗議してロシアの全都市労働者数十万がストライキ
1月25日 溝台会戦
1月28日 竹島島根県に編入
1月29日 新聞廃刊
2月1日 ロシア帝国 ニコラ2世労働者代表を引見
2月6日 旅順に鎮守府を開庁
2月17日 ロシア帝国 モスクワ総督セルゲイアレクサンドロヴィチ大公ニコラ皇帝叔父社会革命党員に暗殺される
3月1日 会戦(~10日)
 満洲軍、奉天城へ総攻撃を開始
3月2日 合衆国 カリフォルニア州議会日本人移民阻止決議案を採択
3月9日 ロシア帝国 ロシア軍総司令官クロトキン、奉を捨て、嶺・ハルビン方面への転進を下
3月10日 陥落
(翌明治39年、この日を「陸軍記念日」に定む)
3月11日 長岡外史少将(参謀次長)、山参謀総長に作戦方針案を提示

(1)鉄嶺付近まで前進、それ以上の北進作戦を行なわない ハルビン占領は断念
(2)ウラジオストック方面を占領
(3)適宜の時に樺太島を占領
3月15日 大山元帥の奉式典
3月16日 嶺を占領 ロシア帝国 クロトキ総司令官更迭(第1軍官リネウィッチと交代)
バルチック艦仏領マダガスル島を出港
3月21日 英国アフガニスタン アフガニスタン協定(インドアフガニスタン=現パキスタン)調印
3月22日 貴族院改正
爵・爵・男爵議員の数を143人以内、勅選議員の定数125人以内と規定
英国 18歳未満の炭鉱労働者の1日8時間労働制を導入
3月24日 セオドアルーズベルト大統領、日露講和の条件内示を希望日本側、保留)
3月31日 ドイツ帝国第1次モロッコ事件
皇帝ヴィルヘル2世モロッコを訪問 モロッコの領土保全と門戸開放をし、フランスモロッコ進出を牽制
4月8日 閣議、韓国保護権確立を決定 ロシア帝国 バルチック艦隊、シンガポール通過
4月17日 元老会議は対露講和促進で一致
閣議で講和条件を決定し、衆国に通告
ロシア帝国 バルチック艦隊本隊、カムラン湾(インドシナ)に到着
4月23日 フランス営諸が統一し、フランス社会党結党
4月25日 共産主義リシェヴィキ、ロンドンで第3回党大会
5月7日 合衆国 カリフォルニア日本人朝鮮人排斥同盟結成
5月14日 英国日英同盟の攻守同盟化とインドまでの適用拡大を提案 ロシア帝国 バルチック艦隊、カムラン湾を出港
5月19日 バルチック艦隊のバシー峡(台湾フィリピン間)通過情報を入手するも、その後の動向を見失う
5月24日 連合艦隊大本営津軽海峡への移動をほのめかす 大本営、慎重行動
5月26日 バルチック艦隊石炭運搬上海入港情報を入手 対馬ルートが確実視される
5月27日 午前2時45分 九州西方203地点付近にて、活動中の仮装巡洋艦信濃丸』が
         汽バルチック艦隊病院『オリョール』)を発見
午前4時45分 『信濃丸』、灯火管制中のバルチック艦隊を視認
           「タタタタ 敵第二艦隊見ユ」 「敵艦隊二三地点 午前五時」
           「敵ハ東通過セントスルモノノ如シ」 「十五隻以上撃ス」
午前5時5分 連合艦隊旗艦『三笠』、「タタタタ 敵第二艦隊見ユ」電のみ受領
         艦隊出撃下
         「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス 
          本日天気朗ナレドモ浪高シ」
午前6時   『信濃丸』と巡洋艦和泉』交代 『和泉』、引き続きバルチック艦隊を追跡
日本海

午後1時39分 連合艦隊力、バルチック艦隊を視認
午後1時55分 Z旗掲揚 「皇 コノ一戦ニ在リ 各員一層奮励努力セヨ」
午後2時3分  『三笠』取り 敵前大回頭
     7分  バルチック艦隊、発開始
     10分 連合艦隊第1艦隊、回頭完了 バルチック艦隊に対し発砲開
     43分 バルチック艦隊旗艦『クニャージ・スヴォーロフ』及び第2戦艦戦隊オスリャービャ』
         大破大火災・落 50分、『オスリャービャ』沈没
以後、連合艦隊一方的攻撃によりバルチック艦隊壊滅 
5月28日 バルチック艦隊の残存艦隊、降
6月1日 セオドアルーズベルト大統領に対し、正式に日露講和旋を依頼
6月6日 フランスルカッセ外相、モロッコ問題で閣内孤立し辞任
6月7日 ノルウェースウェーデン ノルウェースウェーデンとの同君連合を解消し独立宣言
6月8日 合衆国合衆、日露両国に講和会議開催を呼びかけ
10日、日本受諾 12日、ロシア受諾
6月19日 対露同志会、講和問題同志連合会を結成
6月27日 ロシア帝国 黒海艦隊の戦艦ポチョムキン』で反乱
6月30日 アインシュタイン特殊相対性理論の論文を発表
7月7日 陸軍樺太への進撃を開始
7月8日 外相ら講和交渉団出発
7月19日 講和問題同志連合会、集会で対露強硬講和を
7月20日 英国インド ベンガル分割
インド総督カーゾン男爵インド東部ベンガル州につき、ヒンズー教徒優勢地域(西側)とイスラム教徒優勢地域(東側)での東西分割を発表
(1016日、公布)
7月24日 ドイツ帝国ロシア帝国 ヴィルヘル2世ニコラ2世フィンランドで会談し、独露同盟の密約
(のち、両国政府の反対で不成立)
7月29日 日本合衆国 タフト協定
朝鮮フィリピンにおけるそれぞれの利権を確認
7月31日 樺太全土を制圧
8月10日 日本ロシア帝国ポーツマス講和会談始まる
8月12日 日本英国 日英同盟第1次改定 調印
朝鮮インドにおけるそれぞれの利権を確認 攻守同盟化
8月14日 首相、原敬と会談
 政友会は政府の進める講和を支持

大阪朝日新聞、賠金無しの講和条件をスクープ
8月17日 講和問題同志連合会、講和条約譲歩絶対反対決議を採択
8月20日 清国孫文東京中国同盟会を結成
8月23日 日本ロシア帝国 講和交渉、ロシアの強硬姿勢により決裂寸前
8月24日 事件
 戸水寛人京帝大教授、講和反対論文で休職処分 山川次郎・東大総長は解任
8月28日 御前会議は賠償金・領土につき譲歩してでも、講和成立を優先することを決定 小全権に訓
8月29日 日本ロシア帝国 講和妥結に合意
9月1日 新聞、講和反対の社説を掲載
9月2日 政友会代議士会、政本党政務調会がそれぞれ政府問責と講和条約反対を決議 清国科挙
9月3日 各地で講和条約反対と戦争継続を唱える集会
9月5日 日本ロシア帝国 ポーツマス日露講和条約 調印

(1)日本朝鮮半島ける優越権を承認
(2)日露両国軍、鉄道警備隊を除いて満州より撤退
(3)ロシア樺太の北緯50度以南の部分日本へ割譲
(4)ロシアは東清鉄道のうち、旅順~長間の南満洲支線と付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡
(5)ロシア関東州(旅順・大連を含む半島南端部)の租借権を日本へ譲渡
(6)ロシアは沿州沿漁業権を日本人に与える
焼き打ち事件

公園で開かれた講和反対集会の参加者が暴徒化 政府関係施設や新聞社(講和支持の新聞)などが襲撃され、東京市内大混乱
9月6日 政府東京市

[加筆]

鋭意制作中です

この期間の主な政府・軍部首脳

※ 農商:農商務大臣 書記内閣書記官長(非・大臣)

 総理大臣 (在職期間 )




 侯爵 山縣有朋  [ 第2次 ] 1898年明治31年)11月8日1900年明治33年10月19日
   (元老 元陸軍大将 長州閥)
外務 子爵 青木周蔵 大蔵 伯爵 松方正義 内務 侯爵 西郷
陸軍 大将  太郎
海軍 中将 山本兵衛
清浦
文部 子爵 樺山資紀 農商 荒助 逓信 子爵 芳顕正
書記 安広伴一郎




10
 侯爵 伊藤博文  [ 第4次 ] 1900年明治33年10月19日1901年明治34年6月2日
   (元老 立憲政友会総裁)
外務 加藤高明 大蔵 子爵 渡辺(~01.5)
侯爵 西園寺望(臨兼)
内務 男爵 末謙澄
陸軍 大将  太郎(~00.12)
中将 児玉源太郎
海軍 中将 山本兵衛
男爵 金子太郎
文部 松田正久 農商 有造
逓信 (~00.12)
原 敬
書記 鮫島武之助 班列 侯爵 西園寺 (枢密院議長 特旨により内閣に列する)
    (※01.5 ~ 01.6 内閣総理大臣臨時兼任)





11
 伯爵  太郎  [ 第1次 ] 1901年明治34年6月2日1906年明治39年1月7日
   (軍大将 長州閥)
外務 荒助(~01.9)
寿太郎
大蔵 荒助 内務 男爵 内海忠勝(~03.7)
男爵 児玉源太郎(~03.10)
伯爵 太郎(~04.2)
子爵顕正(~05.10)
清浦
陸軍 中将 児玉源太郎 (~02.3)
中将 寺内正毅
海軍 大将 山本兵衛
清浦 (~03.9)
波多野敬直
文部 菊池大麓 (~03.7)
男爵 児玉源太郎(~03.9)
保田 譲(~05.12)
伯爵 太郎
農商 平田東助(~03.7)
清浦
逓信 子爵 芳顕正(~03.7)
曾禰荒助(~03.10)
子爵 大浦兼武
書記 柴田

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