ステイゴールド産駒とは、日本の種牡馬ステイゴールドの子供たちのことである。
同一年での春秋グランプリ制覇を成し遂げたドリームジャーニー、史上7頭目のクラシック三冠達成馬であるオルフェーヴル、二冠馬にしてGⅠ6勝馬ゴールドシップ、天皇賞連覇を遂げたフェノーメノ、凱旋門賞で2着という結果を残したナカヤマフェスタ、障害GⅠ9勝のオジュウチョウサンなど、錚々たる顔ぶれである。
善戦マンとして長らくG1戦線で走り続けたステイゴールドであったが、7歳にしてまさかの海外重賞ドバイシーマクラシックの勝利という勲章を得て、ようやく種牡馬入りのオファーが来る。
しかし未だG1を勝てていなかった事や既に7歳と競走馬にしては高齢(余命が減ることは種牡馬活動の収益が減ることと同義)などから話は中々まとまらず、一応の目処が付いたものの結局繁殖シーズンも過ぎてしまったため、ひとまず2001年末まで現役続行となった。
…のだが、陣営の必死の苦労も実りまさかの日本産の日本調教馬初の海外GⅠ制覇、香港ヴァーズ勝利という奇跡が起こる。それまで様子見していた生産者達が目の色を変えたのは言うまでもない。
すったもんだの挙げ句にとんでもない偉業を勲章にしてようやく種牡馬入りしたステイゴールドではあったがその未来は前途洋々とは行かなかった。
なぜならダービー制覇を最大の目標とする競馬の世界では、成長の早さ即ち早熟性が求められるのに対し、ステイゴールドはその逆の晩成タイプ。しかも、小柄で超のつく気性難かつ、長距離での良績が目立ったことから既に淘汰されつつあったステイヤーと見なされていた。
※実際のところ、ステイゴールドは目立った勝利こそ晩年だが現4歳時には既に2000m~3200mというまさに古馬王道GⅠで名だたる名馬達と競り合いながら2着を繰り返しており、勝った重賞も全て2400m~2500mだった。サンデーサイレンス産駒らしく中距離のスピード競馬にも対応できており、晩成ステイヤーというよりはスタミナが豊富で使い減りしない中長距離馬だった。気性と勝ちきれなさに目を瞑ればかなりの素質を持っていた事は成績からも見えていたのだ。
その上、引退した2001年の時点で同じSSの後継種牡馬はフジキセキ、ダンスインザダーク、バブルガムフェロー、スペシャルウィーク、アドマイヤベガを始めとした名馬らが顔をそろえ、そもそも父のSSがまだ現役種牡馬(亡くなったのはステイゴールド種牡馬入りした2002年の夏)であり、大手の生産者からの期待値は高いとは言えなかった。
当時はまだフジキセキらSSの後継種牡馬から大物が輩出されていなかった(父SSがリーディングサイアーとして暴れまわっていた最盛期なので無茶振りも大概ではあったが)という事情もあり、後継候補の多さとそれらの実績の少なさもマイナス要因として働いた。
そのため、ステイゴールドは故郷とも言える社台スタリオンステーションではなく日高のブリーダーズスタリオンステーションで種牡馬入りすることになった。種牡馬として成功するには繁殖牝馬と産駒育成の質が重要なのだが、大手中の大手である社台グループと中小の集まりである日高の間には大変大きな差が存在するため、産駒がデビューする前からすでに大きなハンデを負っていたのである。
一応、内国産馬初の国際GⅠ勝利馬かつSSの子が超格安で付けられるということで、初年度はそれなりの数の種付け希望があった。
※種付料は繁殖入りの同期となる同じSS産駒のアグネスタキオンが500万円のところ、受胎確認後150万円か産駒出産後に200万円という半額以下。内容はともかく同じGⅠ勝ち数1勝でありながらこの差である。そして晩年の父に至っては2500万にまで高騰していたのだから、いかに格安かは一目瞭然だろう。
しかし、彼は父である大種牡馬サンデーサイレンスと母ゴールデンサッシュから競争能力以外にも2つの重要な能力を受け継いでいた。
速い競走馬を作るためしばしば行われるインブリードだが、血が濃くなり過ぎる事は馬の健康に重大な影響を及ぼしかねないため繁殖相手が限られてしまうという欠点もある。
その点ステイゴールドはヘイロー、サンデーサイレンス、ノーザンダンサー、ノーザンテースト、ディクタス、ナスルーラ、ゴールデンサッシュ(サッカーボーイの全妹)といった錚々たる良血を受け継ぎながら近親にインブリードが無いという奇跡のような存在であった。気性難の見本市のような血統でもあるが
フジキセキやアグネスタキオンら同時期の他の人気アウトブリード種牡馬と比べても、日本における有名所の多さは一目瞭然である。
生産者は牝馬1頭毎に年間1回しか仔馬を生産できない上に次世代への隔世遺伝なども考慮されるため、たとえ絶大な成績を残そうとも突然変異の一発屋かもしれないマイナー血統馬は避ける傾向にある(この弊害を受けたのは平成三強の一角と讃えられたスーパークリークや世紀末覇王ことテイエムオペラオーなど枚挙に暇がない)。
父系も母系も実績のある血統でインブリード配合もしやすい、というのは大きな武器となった。
仕事上手であろうと、床上手であるかというと別軸のスキルであり、それに泣いた優駿の例も数多い。
現役時代はレースですらスキあらばサボろうとしていた彼だが、種牡馬になってからは父親達譲りの絶倫番長かつテクニシャンっぷりを発揮しはじめる。
どんな牝馬とも、どれだけの回数でも積極的かつスムーズに種付けし、しかも受胎率が高い上に産まれる仔は父親似の頑丈ときているので、種付け中の事故や不受胎、死産、夭折などを何としてでも回避したい生産者にとっては極めて都合が良い存在だった。
※後にこのスキルは芦毛のアイツがしっかり継承した
良血で安く種付けでき最低限の形にはなるということで、繁殖シーズンの終わり際に駆け込みで種付けを希望する事例なども発生。種付け料は元が安いこともあって微減に留まり、種付け数はムラがありながらも100前後をキープしつづけた。
※不受胎牝馬の駆け込み寺というポジションが最大の形で結実したのが後年の三冠暴君である。オリエンタルアートがディープインパクトとの度重なる不受胎の末、シーズン最後に種付けを行い一発で受胎したという経緯があった。
そして2000年代初頭の馬産業界は、
といった有様で混迷を極めており、リーディングサイアーこそサンデーサイレンスの独壇場であったものの後継者不在の種牡馬戦国時代を迎える。
ステイゴールドはそんな時代に反撃の狼煙を上げた。
2005年に産駒がデビューし始めると、初年度産駒はソリッドプラチナムを皮切りに、お世辞にも良血とはいえない繁殖から4頭も重賞馬を輩出。
翌2006年はドリームジャーニーが朝日杯FSを制して父が成しえなかった国内GⅠどころか、最優秀2歳牡馬を獲得。この大活躍により「晩成馬の子は晩成ではないか」「小さい産駒は走らないのでは」「ステイヤー傾向では」等という前評判をまとめて蹴り飛ばすことになった。
その後ドリームジャーニーは長らくGⅠ戦線に顔を出し続けついに2009年には春秋グランプリ制覇の快挙。このGⅠ制覇は2020年代まで長らく続くステイゴールド産駒GⅠ勝利の嚆矢となる。
2010年にはナカヤマフェスタが宝塚制覇し産駒が宝塚記念を連覇、からまさかの凱旋門賞アタマ差2着という同レースで日本馬史上最高の結果を残した。
そして、2011年にオルフェーヴルが史上7頭目となるクラシック三冠、そして2度の凱旋門賞2着を達成したことで名種牡馬としての地位を確立。種付け頭数・種付け料共に急増し、頭数はキングカメハメハに次ぐ249頭、種付け料もディープインパクトに次ぎキングカメハメハと並ぶ800万にまで跳ね上がった。
その後もGⅠ合計6勝の人気馬ゴールドシップや天皇賞(春)連覇のフェノーメノらを出し順調かと思われたが、急な種付け数の増加が負担となったのかステイゴールドは2015年2月25日に大動脈破裂を起こして死亡。21歳の生涯を終えた。
しかし死後もオジュウチョウサン、アドマイヤリード、レインボーライン、インディチャンプらがGⅠを勝利するなど産駒は活躍を続けている。
当初の低い評価を跳ね返した種牡馬といえば、日本の場合シンザン、トウショウボーイ、そしてサンデーサイレンスなどが存在する。しかし、彼らの成功の背景には有力な関係者による懸命なバックアップが存在した。しかし、そうしたバックアップがほとんど期待できない中、自らの力で名種牡馬にのし上がったステイゴールドの活躍を吉田照哉氏は「奇跡に近い」、白井最強こと白井寿昭元調教師も「例外中の例外」などと評している。
なお、ステイゴールドを推す関係者が全く居なかった訳ではなく、かのマイネル軍団総帥であった岡田繁幸氏などはステイゴールドを高く評価しシンジケートでも大口の株主となる。その熱意と執念はJ・GⅠ馬マイネルネオスの登場や種牡馬入りしたゴールドシップの獲得、そしてオークス馬ユーバーレーベンや障害新王者のマイネルグロン誕生へと繋がっていった。
産駒成績はドリームジャーニーやレッドリヴェールら2歳でGⅠ勝利を飾る馬がいたり、オルフェーヴル、ゴールドシップといったクラシック戦線の中心に立つ馬などもおり幅広い。
特に2歳マイル王者から5歳で中長距離のグランプリ王者となったドリームジャーニーはステイゴールド産駒の多様性を象徴するような馬と言える。
近年ではマイネルファンロン、アフリカンゴールド、ステイフーリッシュといったほぼ最終世代である2015年産駒が2022年になって相次いで平地重賞を勝利、宝塚記念に出走して話題を呼んだ。
父に似たのか高齢になってもよく走り、何かのきっかけで突然覚醒して本格化する馬が多い。
コース適性は主にステイゴールド自身も得意とした芝の中長距離。パワーやスタミナの要る馬場に強く特に宝塚記念と有馬記念の両グランプリにおいては一時期ステイゴールド産駒が圧倒的な勝率を誇った。
両グランプリの勝利数は父SSの輩出した産駒の合計勝利数を超えている。
また3頭が4回天皇賞(春)を制覇しているほか、インディチャンプが2019年の春秋マイル王者となり、2頭の障害GⅠ王者も誕生。
特にオジュウチョウサンは中山グランドジャンプを5連覇含む6勝、中山大障害も3勝し両レースのレコードホルダーとなるなど空前絶後の大記録を達成。「絶対王者」と呼ばれ障害レースそのものの知名度を高める程の人気馬となった。2021年末から一時期、障害馬としては異例のJRA現役賞金王にもなっている。
逆に東京競馬場や短距離戦ではイマイチ(というより他の種牡馬の系譜がそちらに特化していたり主目標としている事が多い。有力産駒が秋に凱旋門賞に出ていた影響もある)で天皇賞(秋)やジャパンカップは勝ち馬がいないが、アドマイヤリードやインディチャンプといった東京競馬場でのマイルGⅠ王者も排出している。
小柄な産駒が多いためか体格や重量が影響する牝馬戦やダート戦線も苦戦傾向であった。
また特筆すべきは海外適性の高さで、凱旋門賞2着3回、香港GⅠを2勝、シンガポールG1馬やサウジアラビアGⅢ、ドバイGⅡでも勝ち馬を輩出するなど海外の大舞台では予想外の激走をする事も少なくない。
なお、母父メジロマックイーンとの通称「ステマ配合」は日本競馬史上でも最高クラスのニックスとなり、GⅠ合計はなんと15勝、うちクラシックGⅠは5勝、春秋グランプリ8勝という絶大な成績を叩き出し話題となった。(SS一族を見ていると感覚が麻痺しがちだが、本来同じような血統から重賞馬が複数出たり、GⅠ馬の配合を真似て重賞馬が出るだけでも十分に成功の部類である)
ステゴの孫及びひ孫世代のGⅠ馬も現在全てステマ配合の末裔となっている。
ちなみにステマ配合の要である
「足元に不安のある大型馬の気性難血統を頑丈で小柄な気性難血統で気性難に目を瞑って中和して大成する」
という理論は超気性難のドリームジャーニーやオルフェーヴルらが実証しているが、この理論は稀に
「500キロ超えの極めて頑丈な巨体と無尽蔵のスタミナを持つ超気性難の怪物」
を誕生させることとなった。
デビュー前既に500キロを超えており度々故障に泣いた母父メジロマックイーンのゴールドシップや、ステマ配合ではないもののやはり540キロもの巨体と体質の弱さがネックだったシンボリクリスエスを母父とするオジュウチョウサンらである。この2頭はステイゴールド産駒の中でもトップクラスの人気馬という共通点もある。
活躍の一方で、産駒はやたらと気性の悪い馬が多く、落馬や逸走、他馬との喧嘩、調教再審査、その他様々な暴挙や奇行は日常茶飯事。去勢されてセン馬になった者もちらほら。
気分次第で凄まじい勝負根性を見せて激走したかと思えば大惨敗したりとムラッ気が激しい馬も少なくないため競馬ファンにとっては最高のエンターテイナーであり、馬券師にとっては最恐の存在である。
性格もおおよそ気性難がデフォルトではあるが、洒落にならないほど凶暴、極度のワガママ、並外れて神経質、極端な負けず嫌い、賢すぎて制御不能、など千差万別。
父が人気だったからというだけではない、濃い個性を備えた人気馬を多数輩出している。
やたらと父の母父であるディクタスに似た白目むき出しの眼光(通称「ディクタスアイ」)を飛ばす事に定評があるが、孫世代にもこの眼が引き継がれる傾向にある。
2019年2月24日(日)中山11Rの中山記念(GII)にてウインブライトが勝利し、大台である産駒JRA重賞通算100勝目を飾った。歴代5頭目の記録となる。
2021年9月5日(日)新潟11Rの新潟記念(GIII)にてマイネルファンロンが勝利。JRA重賞通算113勝とヒンドスタンに並ぶ4位となった。
同年12月25日(土)には中山10Rの中山大障害(J・GI)でオジュウチョウサンが勝利し、JRA重賞通算114勝でサンデーサイレンス、ディープインパクト、キングカメハメハに次ぐ単独4位に浮上している。
2022年2月13日(日)には阪神11Rの京都記念(GⅡ)にてアフリカンゴールドが勝利。大種牡馬である父のサンデーサイレンスに並ぶ17年連続産駒重賞勝利という記録を達成した[1]。
なお、なんとこのアフリカンゴールドはステイゴールドとその子達が散々煮え湯を飲ませたゴドルフィンの所有馬である。
同年2月16日にはサウジアラビアのレッドシーターフH(GⅢ)をステイフーリッシュが逃げ切り勝利。実に3年9か月振りの勝利で日本馬としては同レース初の勝ち馬となった。
更に同年3月26日(土)ステイフーリッシュはドバイゴールドカップ(GⅡ)を勝利。父が激走したドバイの地で国際重賞2勝目を挙げた。このレースも日本馬初勝利である。一度は抜かれながらも驚異的な末脚で競り落とした相手は、またしてもゴドルフィンの馬であった。
同年4月16日(土)にはオジュウチョウサンが中山11Rの中山グランドジャンプ(J・GⅠ)を勝利。これにより産駒は2009年のドリームジャーニーの宝塚記念から14年連続でのGⅠ勝利となり、父サンデーサイレンスに並ぶ1位タイの記録になった。
2023年、遂に産駒のG1勝利が途切れたが、活躍は次世代へと引き継がれた。
孫世代もオルフェーヴル、ゴールドシップらの産駒が次々とGⅠや重賞勝利を達成。
ドリームジャーニーやフェノーメノ、ナカヤマフェスタ、レインボーラインらは種牡馬を引退してしまったが、彼らもヴェルトライゼンデやバビットなど少ない産駒から重賞馬を出している。
ステイゴールドの死後に活躍したインディチャンプやウインブライトも種牡馬入りし産駒が登場予定。オジュウチョウサンも日本の障害馬としては異例の種牡馬入りが叶った。
現在のところ孫世代でG1級の活躍をしているのは牝馬が多く、ラッキーライラックがG1合計4勝、ユーバーレーベンが新馬戦以来の勝利をオークスで飾り、マルシュロレーヌが凱旋門賞より難しいとさえ言われた米GⅠのBCディスタフに勝利し日本調教馬初の海外ダート国際GⅠ勝ち馬になった。
更にショウナンナデシコは牝馬初のかしわ記念制覇を成し遂げた。
スルーセブンシーズも2023年に急覚醒し、GⅢ中山牝馬Sを勝って宝塚記念を2着、凱旋門賞に日本馬として叔父のオルフェーヴル達以来となる掲示板入りの4着に食い込んだ。
一方の牡馬は地方でタニノタビトが史上五頭目の東海三冠を達成。
JRA所属馬ではエポカドーロが皐月賞を制覇して種牡馬となったのに続きウシュバテソーロが東京大賞典、川崎記念、そしてドバイワールドCを勝利して、ダート馬で世界レート最上位のダート王者に。
未勝利戦で騎手を振り落として脱走する程ダートを嫌がっていたステイゴールドの直孫から牡雌の海外ダートG1勝ち馬が誕生するというファンですら予想外の事態となった。
苦戦していた父ゴールドシップの牡馬もマイネルグロンが障害レースにて年間無敗の4連勝で中山大障害をも勝利し、絶対王者オジュウチョウサンに続く障害王者の座を一族の元に奪還した。
またステイフーリッシュがGⅡのドバイゴールドC、シルヴァーソニックがサウジアラビアGⅢレッドシーTHを勝利するなど、海外適性の高さは孫世代にまでしっかりと継承されているようだ。
更には母父オルフェーヴルのドゥラエレーデがホープフルSを制し、母系ながら既にひ孫にもG1馬が誕生している。
現役時代に文字通りの意味で紆余曲折を辿りながら長く愛され走り続けたステイゴールドの血は世代を越えて日本競馬界にしっかりと根付き、今や「ステイゴールド産駒」から「ステイゴールド一族」と呼べる程の一大勢力に発展した。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/05/03(金) 08:00
最終更新:2024/05/03(金) 08:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。