オジュウチョウサン 単語

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オジュウチョウサン

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えていく、
王者。

惨敗もあった、故障もあった、苦戦もあった。
その障害を越えるたびに強くなった。
心通うパートナーと、互いの才を信じ、
鍛え、解き放った。
記録を刻み、記憶り、
人馬一体、進む飛越の王者。
えていくその勇気を、その闘志を、
さずにはいられない。

JRA「ヒーロー列伝」No.82 オジュウチョウサンexit

オジュウチョウサン とは、日本競走馬である。

ステイゴールドシャドウシルエットシンボリクリスエス。全ラジオNIKKEI賞勝ちのケイアイチョウサンがいる。

トレードマーク水色メンコチークピーシーズ

ニックネームではないが、障害競走での圧倒的な強さから「障害界の絶対王者」と呼ばれる。

概要

馬主(株)チョウサン(馬主法人で代表は長山尚義)、調教師和田正一郎(美)、生産者は坂東牧場
名前の由来は「家族名より+冠名」との事だが、長山氏の次男が子供の頃に一人称代名詞の「」を「オレ」と言わず(言えず?)「オジュウ」と言っていたから 、との事である。

尚長山氏はステイゴールド及びオルフェーヴル一口馬主であったとの事で、この事からオルフェーヴル種牡馬になるまでは全てステイゴールドが、種牡馬になってからはオルフェーヴルが、シャドウシルエットに毎年付けられている。氏のステイゴールド系への情は大変深いものとして有名である。

は「この先100年経っても越えるは登場しないのではないか?」と思わせる程に数多の記録更新した。その中にはサラブレッド競走の世界記録に並び、いは更新した物もある。障害競走に関する記録も全て国際機関……際セリ名簿基準委員会によって認定されたレースでの公式記録として扱われ、例えばGI勝利記録といえばJ・GIも合算して数えられる。

即ち、地を戦場とする競走馬勝利記録等を紹介する際に「地の」とわざわざ付けねばならなくなったのはだいたいこいつのせいである。同記録は下記参照のこと。

同様に「芝の」いは「G1の」という但書きが必要になった原因のホッコータルマエ(2009年生まれ、JpnIの7勝を含むGI級競走10勝)、そしてその翌年にデビュー記録を塗り替えたコパノリッキー(2010年生まれ、JpnIの8勝を含むGI級競走11勝)が、また「中央GIの」や「芝GIの」という但書きが必要となる原因を作ったオメガパフューム(2015年生まれ、東京大賞典4連勝…GIける世界トップタイ内単独トップ)がいる。

記録

な勝

な表

記録

がもたらした初物、記録、関わった記録

(2023年1月10日 引退年度のJRA賞定時点)

全てを飛越せよ

2歳~3歳(2013~2014年)

厩舎に入厩し10月新馬戦デビューするも15頭中11着、約1ヶ後の未勝利戦も13頭中8着と振るわなかった。

未勝利戦後に骨折が判明。休養に入り翌年の3月に小厩舎に戻り、復帰をすも、2度骨折が判明し、またしても長期休養に入る。

2歳未勝利戦から約1年後の復帰。但し復帰予定時期には既に未勝利戦は終了しており、レースでは未勝利の走る事ができるレースはかなり制限されてしまう為、障害として活路を見出す事になった。これが最初の運命の転機であった。

北総クラブへの障害競走調教の放牧を終え、11月初旬に障害試験を合格。そして障害デビュー戦は上に大江を乗せ14頭中の14番人気で14着、スタートに出遅れた事もあったが、1着のから137、13着のからでも87も遅れての大惨敗であった。

同年はこの1戦のみ、後に王者となるとは到底想像もできない成績であった。

このレースの後に和田正一郎厩舎へ転厩、第2の転機となった。
師に預託していた全和田正一郎師またはそのである和田師の下に転厩しており、また以後小厩舎へ預託されたがいない為、馬主調教師の間にトラブルがあったのではないかという噂もある。

4歳(2015年)

年が明けて1月障害未勝利戦上は山本康志に乗り替わる。前走の惨敗もあって当然ながら人気も12頭中11番という低いものであったが、予想を(良い方向に)裏切り2着に入る。もともと調教においても飛越は安定していたとの事だが、それ以上に高いの片鱗を見せることになった。

障害3戦は2番人気に推されるものの3着に終わる。

4戦はやや人気を落として4番人気となったがようやく初勝利を上げる事ができた。

続くオープン戦にて連勝しこれからを期待されるも次のオープン戦は9着と破れる。

障害戦7戦東京ジャンプステークス(J・GIII)、障害重賞初挑戦となったが、前戦まで上だった山本コスモソユーズに騎乗する為、石神深一に乗り替わりとなった(これが第3の転機であったかもしれない)。

この頃はスタートに出遅れる事が常態化しており、また使える足も一しかなかった為、先行してからの圧倒的な末脚でねじせる戦法はまだ確立できておらず、同レースも最後尾から最後少しだけ追い上げての14頭中4着(9番人気)に終わった。

次走のオープン戦は1着となり3勝、その次のオープン特別戦では4着となる。

同年最後のレースとして障害レース暮れの大一番、中山大障害(J・GI)に参戦、後方から追走し14頭中6着(6番人気)で終わった。同レース優勝はオジュウチョウサンと名勝負を繰り広げる事になる同年の中山グランドジャンプ覇者であり同年の最優秀障害として表される事になるアップトゥデイトであった。

同年は9戦3勝、大物になる片鱗は見せつつもまだまだ庸な1頭に過ぎなかった。

5歳(2016年)

年が明けて3月に復帰戦はオープン戦

前年の暮に障害デビュー障害戦3戦2勝2着1回、地でも3勝しているニホンピロバロンの2番人気となり、同に敗れるもはかなり高い事を明した。

尚このレースからはメンコからあてを外す事になったが、この具の変更によってスタートが見違える程善され、まずまず満足できる結果であった(これが第4の転機でもあった)。


この年の2戦中山グランドジャンプ(J・GI)を選択。

前年の最優秀障害アップトゥデイトや前走でオジュウチョウサンに勝利したニホンピロバロン等の有の回避のみならず重賞勝ちが出走10頭中2頭と少ない事もあり、前走の評価もあって2番人気に推された。

レースは1番人気サナシオンが終始レースを引っる形となり、2番手を走っていたオジュウチョウサンが最後の直線で差して勝利調教師和田正一郎は重賞勝利となり、また馬主チョウサン(長山氏個人名義時代通じて)と上の石はJ・GI優勝となった


3戦東京ジャンプステークス(J・GIII)を選択。

チャンピオンという事もあり2.0倍の1番人気となる。中は中団からやや前を追走し最後の飛越で先頭に立ち、ウインヤードに追われるも着差を詰めさせる事なく難に勝利した。


の初戦は東京ハイジャンプ(J・GII)。

1番人気に推されるも人気は前走より若干落としての2.1倍、これはこれまでの実績がなかった事に加え前走重賞勝ちのが他にも数頭いた為仕方のないものであった。

レースは3番人気で前走小倉サマージャンプ勝ちのマキボーラーが引っり、それを2番人気で前走新潟ジャンプステークス勝ちのタイセイドリームが追走、それをオジュウチョウサンが追いかける形になった。序盤で落となったラグジードライブが最後の直線で大きく外側に斜行し、オジュウチョウサンはそのを受け大きく外に膨らむ。を避けるように内側にコースを切り替えると今度はが内側に斜行して来て外から蓋をする形になる。
その最後の障害では前にいたマキボーラーがになり、飛越後もから不利を受け続けるという非常に厳しいレースとなった。それでも最後には前にいたマキボーラーとタイセイドリームを差し切っての1着となったが、並のであれば走る気をくしていてもおかしくないレースであり、闘争心の強さを見せつけた1勝であった。

レースの模様はこちらの動画exit_nicovideo16:00あたりから見る事ができる。幾つもの度肝を抜くレースを繰り広げるオジュウチョウサンであるが、その中でも確実に伝説級のレースの一つであり、このレースベストレースに挙げるファンも少なくない。


同年の最終戦中山大障害(J・GI)。

前走の劇的な勝ちっぷりが評価され、前年の最優秀障害アップトゥデイトを抑え1.4倍の圧倒的な1番人気に推される。

レースは2番人気アップトゥデイトが終始引っる展開となり、それを3番手で追走する形となった。前走にべ淡々としたレースであったが、4で並びかけ先頭に立つと直線では引き離す一方となり、終わってみれば9身差の圧勝劇となった。


同年は5戦4勝2着1回、J・GI全制覇となり満場一致で最優秀障害に選出された。

尚、同賞は「障害戦は見ていないから 」という(障害レースファンからすれば委員やめろやと言いたくなるような)理由で数年続けて同賞のみ該当なしとしていた選考委員がいる為どうなるか注された。

6歳(2017年)

年明け初戦は阪神スプリングジャンプ(J・GII)。

アップトゥデイトとの再戦となったが1.3倍の圧倒的な1番人気となる。

中はドリームセイリングが引っアップトゥデイトやオジュウチョウサン等が追走する形で進み、最後の障害アップトゥデイトとの一騎打ちの形となるも持ち前のの差で勝利


2戦中山グランドジャンプ(J・GI)。

前年は2番人気であったが同年は1.3倍の1番人気で2番人気三度の再戦となるアップトゥデイト

レースは3番人気メイショウヒデタダが引っりオジュウチョウサンは3番手辺りを追走する形になっていたが、最後の3コーナー手前で先頭に立つと迫ってくる6番人気のサンレイデュークを最後の直線でねじせ快勝、同レース連覇となった。

レース後に剥離骨折をしていた事が判明まで休養となった。


初戦となる3戦東京ハイジャンプ(J・GII)。

骨折明けという事もあり若干人気を落としての1.4倍の1番人気

レースは6番人気タマモプラネット大逃げを打つ展開で、それを2番人気のグッドスカイが追走し、更に遅れた3番手を追走する形になった。ホームストレッチでは1~2番手の差が4、2~3番手の差も2ほどあり、最後の3コーナー手前の障害でも先頭からオジュウチョウサンまで約4の差があって、上の石逃げ切られたと思うほどであった。最後の4コーナーを回ったところでも2.5ほど差があったが、持ち前の圧倒的な末脚が炸裂、ラスト300mで追いつき、2着に入ったグッドスカイにも2.0もの差をつけ大差で圧勝した。

レース実況していたラジオNIKKEI山本直アナの「剥離骨折でも王者の時計は止まっていませんでした」は名セリフとなった。

同年度の有馬記念ファン投票では77位(1278票…有馬出走メンバー16頭を併せた較では17頭中15番)となる。

地未勝利でも今のオジュウチョウサンなら並居る強を相手にも相応の結果を出してくれるに違いないというファンの期待が集まった結果であろう(なお有馬記念中山大障害の翌日に開催されるので実際に出走する事はい)。


同年最終戦中山大障害(J・GI)。

前年と同様に東京ハイジャンプでの勝ちっぷりが素らしかった事もあり、またここまで連勝が続いている事からJRA公式レース紹介ページでも絶対王者という表現を使用し始めるようになり、1.1倍という圧倒的な1番人気となる。

レースは前の障害王者である2番人気アップトゥデイト大逃げ。途中4近くの差がありどよめきも湧いたがラストの直線で未だ3身以上前を逃げ続けるアップトゥデイトゴール前30mで逆転し優勝

1991年シンボリモントルーが作った4分372というタイムを26年ぶりに1.1更新する4分361というレコード決着であった[2]

最後の直線での現王者と前王者以外存在しない2頭の壮絶なる意地のり合い、そして互いに死を尽くした末の逆転半身差勝利という最後まで息をつかせぬ決着に、同年度のJRA最高レースであるという評価も少なくない。

レースは前年4割増しの売上となり、オジュウチョウサンを通じて障害レースへの関心を高めるのに貢献したと言えよう。


同年は4戦4勝、2年連続のJ・GI全制覇となった。

年間成績も素晴らしい重賞8連勝という記録の達成や中山大障害等で見せた手に握るレースファンを大いに沸かせるた事を評価され東京競馬記者クラブの特別賞を受賞した。

また同年の最優秀障害に選出。同年は全な成績で終えた為2年連続の満票も期待されたが、1票ほど該当なしの票が有ったため満票とはならなかった(選出しなかった理由は表されていない為知る由はない)。

代わりに同年度の年度代表馬として最右翼であったキタサンブラックではなくオジュウチョウサンの票として3票ほど獲得する結果となった。

7歳(2018年)

障害として初のJRAヒーロー列伝掲載として選出された。キャッチコピーは「えていく、王者。」で、文章の最後に登場する「さずにはいられない。」はステイゴールドキャッチコピーさずにいられない。」から流用したものと思われる。

同年の初戦は3月阪神スプリングジャンプの予定だったがこれを回避、故障説やの本番である中山グランドジャンプでの臨戦態勢不安説が飛び交った。


同年の初戦は中山グランドジャンプ(J・GI)。

前記のように臨戦態勢が不安視され単勝オッズは1.5倍。

前年末の中山大障害名勝負を繰り広げた最大のライバルであるアップトゥデイトが2番人気、前戦を圧勝し、同年初めに障害競走2000回騎乗で引退する事を表明している満明騎手(同レースで1994戦であり、事実アップトゥデイトの最後の騎乗となる事が予想された)への応援などもあり2.3倍、競馬番組などでもオジュウチョウサンは強いと認めつつもアップトゥデイトを本命とするような予想が見られた。

レースは好スタートを切ったオジュウチョウサンに対し、あまり良いスタートを切れなかったアップトゥデイトが先頭に出るまで脚を使わされる展開となった。その後もオジュウチョウサンやマイネクロップ他のアップトゥデイトに競り掛けるような展開が続き、前年の中山大障害のような単騎大逃げの展開とならないままレースが進む。オジュウチョウサンは常に2番手くらいを淡々と進んでいたが、最後の4コーナーで先頭に立つと突き放す一方の大差での勝利となった。

タイムこれまでの記録を36上回る4分430のレコードで、これでオジュウチョウサンはの大障害レースレコードを独占 。2着のアップトゥデイトも3年前に自身が作ったレコードを12上回るタイムで入線、3着に入った3番人気ニホンピロバロン(これもこれまでのレコードに対して02遅い程度)に対して9身程の差をつけており、彼自身も決して衰えた訳ではなく、ただただ生まれてきた時代が悪かったとしか言いようがかった。


宝塚記念ファン投票が始まる頃(この時点での収得賞金が0であるオジュウチョウサンはどんなに上位の票獲得となっても出走権は与えられない)、前年の有馬記念の時同様にファン投票でどの位の順位になるかささやくファンがいる中で、同年の福島競馬場にて開催される500万下特別戦の開成山特別武豊で参戦するという驚くべきニュースが発せられた。

福島競馬場100周年を記念する意味も込めると同時に「収得賞金いから走れないなら、地で勝てばいいじゃない」という趣旨でもあるとの事。

根っからの障害ファンからはオジュウチョウサンを覚醒させた石でいいじゃないかという意見もあったが、かつての高知競馬アイドルホースであった113戦0勝のハルウララにも跨った武豊だけに、記念の意味もありスターホーススタージョッキーをという意図がある事を理解しようという意見も見られた。

宝塚記念ファン投票の順位は43位、出走表明をしたとの較では9番相当という結果であった。


少し余談となるが、今まで中山大障害中山グランドジャンプを勝ったがその後地競走に出走したことはあるのだろうか。

意外だと思われるかもしれないがそれなりにいる。有名どころを挙げると目黒記念武蔵野Sに出走したフジノオー3200mだった天皇賞(秋)に出走したバローネターフ、同じく天皇賞(春)に出走したポレール、中山グランドジャンプ勝った後はオーストラリアでは地しか使わなかったカラジなど。彼らが地に参戦した理由は重い斤量を避けるためであった。

また、重賞が賞別定やハンデ戦ではなくなった1999年以降でも、叩きとして500万下1000万下などにでることはあった。

だがいずれの場合でもよい成績を残すことはできていない。どの地に戻って勝利を挙げることはできていないし、掲示板に入ったのもフジノオーくらい(しかも6頭立てだったので最下位を避ければいいだけ)だった。

メジロパーマーなど入障後に地で活躍するもいたが、大障害を勝った経験を持つに限ればそのようなはいない。

それを踏まえたうえで先ほどのニュースである。ファンの間では500万下でも勝てないのではないか、これで調子を崩してしまうのではないか、などと言われた。一方、前走中山GJの上がり3ハロンタイムを考えれば勝てるかもしれないというも聞こえた。


2戦予告通り天才武豊上に福島競馬場開成山特別(500万下)。

これまで地での勝利い為除外の可性もある為に保険として1000万下レースである松島特別にも登録してあったが、フルゲートが16頭のところ登録が14頭しか居なかったため事に出走できる運びとなった。

予想する著名人も取捨に悩んだ結果、本命に推す者、対抗単クラスと予想する者、全に切る者と様々であったが、それでも注は集まり2.0倍の1番人気となった。

なお、開成山特別の売り上げは最終的に前年の195.6と大幅に増加した。当日も歴史的名と評されるクラスローカル競馬場レースに出走する事は一生に一度あるかどうかの出来事の為、現地ファンも集まり、入場者数は前年138.3と大幅に増加、パドックには重賞並みの人だかりが出来た。

レースは抜群の出を見せたが他に行きたがるの後ろにさっと入り4番手を追走する。1週の34を回り最初の直線では観客からの拍手に迎えられながら(このような事は障害競走では割と見られるものの、地競走では長距離GIですらめったに起こらない。ましてやローカル競馬場重賞もない土曜日に行われるメインですらない古500万下レースでは前代未聞である)淡々と進んでいった。
3コーナー手前辺りのレースが動き始める頃、オジュウチョウサンも進出していき先頭に立つとそのままゴールまで問答用で駆け抜けた。ゴール後も「ここで止まれとかふざけてるんですか?まだあと1kmあるでしょ?」とでも言ってるかのように勢いが止まらなかった。

レース終了後に開かれたインタビューにてオーナーの長山氏より、同年残りは障害競走には出走せず、暮れのレース中山大障害ではなく有馬記念したいという宣言がなされた。

但しこの時点では地獲得賞金的には未勝利戦を1つだけ勝った後に勝利があげられないまま古になったと差はく、どの特別レースで競走除外となりうる為、有馬記念ファン投票ワンチャンを期待するか、フルゲートにならなそうな高額レースを効率よく選んで勝ち上がり賞を稼ぐか、収得賞金上位有馬記念を回避するのに期待する(過去にも収得賞金が自身より上位のが回避したために1000万下有馬記念に出走したレゴラスというがいる)しかない。

この開成山特別に出走した一連の決定が第5の転機であるが、連勝していたからこそのファンの支持票であって惨敗をすれば一気に票が逃げる可性もあり、いばらであるかもしれない(もちろん、大竹障害や大生垣障害べたら楽勝!と軽く飛び越えてしまうかもしれない、障害だけに)。

実は3戦の前にフランスギャロからパリロンシャン競馬場で行われる芝4000mの長距離G1ドラン賞への出走オファーがオーナーのもとに届いていた

これはオジュウチョウサンというGIに挑戦するに値するであると評価しているという意味でも大変名誉なことではあったし、前走上の武豊は同週日曜に行われる凱旋門賞へ挑戦するクリンチャーに騎乗する為に渡する予定でもあった為、上の都合にも合致していたが、同年の標は有馬記念制覇であった為にオファーに対してお祈りお断りをする形となった。

なおレースコールウインドという勝利タイムは4分2441で、タイムの計測の仕方がによって異なる為に単純較はできないが、前年暮の中山大障害(4100m)のタイムから117しか変わらず、もしかしたら…?と思わせる結果ではあった。


3戦中山2500mの予行演習として1000万下九十九里特別を予定していたが、直前に脚部不安が出たために回避、11月東京競馬場で行われる同じく1000万下の南武特別へ出走する事となった。

南武特別の同週日曜にはGIIアルゼンチン共和国杯もあり、開成山特別を勝った直後にはは同レースへ出走か?というもあったが、九十九里特別を回避した結果地では「500万下特別競走で2着との着差0.5で勝つ程度の」という実績しかなく、ハンデキャップレースである同重賞に参戦するとなると最軽量の49㎏となる可性が濃厚で武豊にとって非常に厳しい重量である事と、また同年は本来は地方競馬の各競馬場で持ち回り開催としていたJBC競走がより知名度を高める的で京都競馬場で開催される事もあって、ダートにも何頭か重賞級の持ちがある武豊関東にいる可性がい事も予想されたためか、こちらへの登録はかった。

前日売りでは1番人気だったが、前走が直線の短い福島競馬場馬場が渋ってた為にタイムでも勝てたという評価で東京競馬場の良馬場の長い直線でタイムが出せるのかを疑問視され、レース直前では両併せて12冠の良血ナンボー、1000万下で2着を繰り返し勝利間近と見られていたブラックプラチナムに次ぐ3番人気となる。

レースブラックプラチナムが好スタートを切るもオジュウチョウサンもそれに劣らないスタートを切り、同じく好スタートを切ったグリントオブライトの2番手に付け、それを見るように3番手ジナンボー、4番手トラストケンシンという隊列でレースが進む。
だが逃げていたグリントオブライト1000m63台という非常にスローペースに持ち込んだために1番人気のジナンボーは掛かってしまい、向こう正面で先頭に並びかける展開となってしまう。この辺は流石と言うべきか、障害レースでこれよりもスローペースも経験していたオジュウチョウサンはそれに慌てる事なく、前の2頭を見ながら4身差くらいの3番手でレースを続け、3辺りから徐々に進出。
4回って坂の下からスパートを掛けると前の2頭を捲り、外から伸びてきたブラックプラチナムを半身差抑えてゴールを2分250、上がり3F345で駆け抜け、直線勝負のコースでも使える脚を備えている事を明してみせた。

これで11連勝し中央競馬の連勝記録更新競馬時代の記録に並んだ


4戦はオジュウチョウサンが地競走への挑戦を切欠となったレースでもあるGI有馬記念

特別登録が開始される時点では地成績が500万下特別+1000万下特別の2勝しかなく、1600万下クラス最低クラス収得賞金しかない同にはファン投票による出走権獲得しかほぼがない状態であったが、先の2戦の勝利からも競馬ファンの注が集まり、なんと10万票の大台をえる100382票を獲得し、古の王者として評価を集めていた秋の天皇賞レイデオロ牝馬三冠にしてジャパンカップ世界レコードで駆け抜けたアーモンドアイに次ぐ堂々3位の支持を受け出走権を得た。

グランリレースである同レースには一流が集う為、名手武豊の持ちとされるも多数出走する事が予想され、オジュウチョウサンに乗るのかという問題もあったが(事実2016年ダービーであるマカヒキ2018年凱旋門賞に挑戦したクリンチャー、でありながら2017年GII京都大賞典を勝ったスマートレイアーも登録してきた)、武豊はオジュウチョウサンの騎乗を承諾した。

評では「GIに出るようなトップレベルスピードなどいし大差で最下位」「先行すらできる訳もなく後方追走」等と散々な言われ様であり、競馬情報誌の予想でも全くの無印となっている物が少なくなかった。

それでもファンは「勝ち負けを気にしているのではない、応援をしたいんだ」という事で前日売りでの単勝は2番人気レース直前でも5番人気の支持を受けた(もちろんこれは単勝・複勝の人気であって、勝負をする馬券である連勝式では、例えば3連単では1番人気レイデオロ→2番人気キセキ→5番人気のオジュウチョウサンでの127.9倍がオジュウチョウサンの絡む馬券の中で最もオッズの低い組み合わせであったが)。

レースは好スタートを切ったオジュウチョウサンが一ハナを切り大歓、すぐに外からキセキが前をし1~2身前を行き、先行しても控えてもレースができるミッキーロケットがオジュウチョウサンと並ぶように前に行き3頭で先団を形成し淡々とレースが進んだ(ちなみに100mから700mまでの3Fは11台が続いたが、地転向してからの2戦も2Fで11台のラップとなるようなレースを経験している為にその程度のスピードい訳ではなく、またこの頃のオジュウチョウサンは競馬ゲーム的に言えば「ロケットスタートスキル持ちかのようにスタートが上手くなっていた為に、よほど穿った見方でもしない限り最内の同が先行できないという分析は逆に難しい状態であった)。そして迎えた2度の第4コーナー、後続が迫る中でオジュウチョウサンは「流石にもう脚が残ってないだろう」ともが思ったであろう間に一だけ脚を使い、ここでも大歓が沸いた。
だが当日は馬場大分痛んできており内ラチ沿いを走る先行よりも外の差し追い込みが連対するレースが続いてきていた事、またレース前に良馬場から稍重馬場に状態が変わり、思われているよりも重適正がいオジュウチョウサンにとっては脚を取られながら進んでいた事もあって、外側を走っていた差し追い込み勢が3着までを独占、3歳ブラストワンピース勝利し、1番人気レイデオロが2着、また一時は引退を表明していたが撤回したシュヴァルグランが前年に引き続いての3着となり、逃げ先行勢ではミッキーロケット4着、キセキ5着となり、オジュウチョウサンは9着と敗れた。

残念ながら連勝記録はここで途絶えてしまったが、それでも下評の「レースなどさせてもらえず大差負け」という評価を覆し勝から0.8差で駆け抜けた事から、同には十分にオープン級で勝負ができる実があった事を明してみせた。

また4コーナーを抜けて最後に脚が残っていた事を「魅せた」その雄姿に対し、上の武豊からの「メンタルの強いで直線を向くところでは一“おっ”と思いました」というコメント競馬ファンからの「よく頑った」というが示すように、の心にもその姿が焼き付いたことであろう。


同年の成績は3-0-0-1、うち地が2-0-0-1で障害が1-0-0-0という成績で終えた。同2018年日本競馬界を盛り上げた1頭であった事を讃えられ、2年連続2度東京競馬記者クラブ賞特別賞を受賞した。また同年の中山グランドジャンプでの見事な勝利を評価され、3年連続3度の最優秀障害に選出された。

但し同年は障害戦は中山グランドジャンプの1戦しかしなかった為、得票は276人中228票であった。これでもたった1戦の勝利での評価としては凄い得票であるが、おそらく最大のライバルであったアップトゥデイト中山大障害勝利で飾れなかった事、同レース勝利したニホンピロバロンも同年度成績がこの1勝しかなく、同じJ・GIの1勝同士だとの印が強すぎて評価の逆転がなかった事が大きかったものと思われる。

8歳(2019年)

同年の初戦は騎手の石を再び上に阪神スプリングジャンプ(J・GII)。

重賞ダイヤモンドステークス(GIII)への参戦計画もあったという情報も流れたが、の状態を考えたことと「二刀流」は続けるという方針からこの選択となった。

久しぶりの障害を不安視するもあったが単勝人気は1.1倍という圧倒的な支持を受け、開成山特別以来の1番人気となった。

レースメイショウヒカルの好スタートを横にまずまずのスタートを決め、その後ハナを切った2番人気で前走中山大障害2着タイセイドリーム、それに競り掛ける中山ジャンプステークスを石勝利したシークレットパスを前に見つつ3~4番手を追走する展開となる。昨年までと違って障害ごとにスピードを緩めながら慎重に飛んでいるようにみえる飛越を続け、またタイミングが合わなかったのか若干つまづいているかのような着地を見せるシーンもあったが、順方向への周回になって最後の3コーナー辺りで逃げタイセイドリームに競り掛け、最後の障害を飛越してから勢いを付けると一気に加速、最後は余を見せつつ2・1/2身差の勝。

先行してからの圧倒的なの差で勝利するオジュウチョウサンの勝ちパターンは健在であった。


2戦中山グランドジャンプ(J・GI)。

前走勝利の直後は天皇賞(春)とどちらを選択するか未定であったが、その後中山グランドジャンプの後にファン投票次第だが宝塚を走れれば、というプランに決まった。

おこレースでは好敵手のアップトゥデイトが故障のため休養に入っており、また次代の障害エースとのも挙がっていた5歳トラストも前走の後に故障が見つかりまでの休養となったため一強ムードが加速し、前日売りでは発売開始から数分間「オジュウチョウサン単勝1.0倍、他999.9倍」というオッズがネット話題になったりもした。当日もさほどオッズが上がる事もなく1.1倍の圧倒的1番人気となった。

レースはばらばらとしたスタートとなり、オジュウチョウサンもそこまで良いスタートという程でもなかったが、テンの脚は健在でさっと番手に付ける展開となった。大きく逃げがいない為に中ではオジュウチョウサンが先頭に立つような場面も見られ、先頭グループがやや固まった状態で2度の襷コースを過ぎる辺りまでは先頭が入れ替わり立ち代わり進んだ。
向こう正面から3コーナー辺りでシンギンダンサーが外から先団に競り掛けてきたのを合図にオジュウチョウサンも前へ出るが、この時点でオジュウチョウサンはど仕掛けておらずなりに並走、その後4コーナーを回り最後の置き障害ではほぼ同時の飛越だったがその後の直線だけで競っていたシンギンダンサーを置き去りにし、2身半の差で勝利を飾った。この勝利中山グランドジャンプ4連覇 となった。

タイムは4分476と去年のタイムから見たら地味なものだったが、中で色んなに競り掛けられつつもきっちり勝ちきる姿に「まるで人組手をしているみたいだった」というも見られたりと、王者の強さを見せつける結果となった。この勝利により自身の様々な記録更新したと同時に上の石騎手もJ・GI連勝記録を7とした。


3戦に予定していた宝塚記念、前年の地競走挑戦とは異なり上を戦の石でという計画で進められていた。

ファン投票では第2回の中間発表で2万6000票をえ同時点で8位と出走権取得はほぼ確実であったが、体調が整っていないとしてファン投票最終結果の発表前に出走取りやめを決定、同日和田牧場に放牧となった。

ここ数年は年に4~5戦しかできない事が続いており、障害GI走する事の反動の大きさもあったものと思われる。


3戦東京競馬場の芝2400m地戦、六社S(3勝クラス)で、上は引き続き石騎手が手綱をとる事となった。

準オープン戦とは言え昨年度の有馬記念では並み居る重賞に先着した事もあって前日で2倍台のオッズを付け、最終オッズでも3.4倍の1番人気だったが、連勝式馬券での1番人気はどうやら単勝2番人気であったアフリカンゴールドとなっていた。

このあたりは「そうは言ってももう8歳、それに開幕週で良馬場府中は上がりの切れ味勝負になりやすく、そのような競馬の経験がないオジュウチョウサンには厳しいに違いない、応援はするけど馬券は別」「石騎手障害では名手の域かもしれないが地はもう何年も勝っていない」という心理が働いたものと思われる。

レースベイビーステップ逃げ、それをオジュウチョウサンが半身~1身差つけて追う展開となったが、ベイビーステップは押し出されたからハナを切っただけで思い切って逃げタイプではなく、石騎手も多少競り掛けてもっと前に出るよう促すも1000mを62.7とゆっくりしたペースで進んでしまう。切れ味勝負となると厳しいオジュウチョウサンにとって非常に苦しい展開に。3コーナー辺りで仕掛けるものの後続も徐々に進出する仕掛けどころであり、4コーナーを回った辺りで先頭には並んだものの後続に飲まれての10着という厳しい結果に終わった。

ここを快勝するようなら重賞を取って今年も有馬へという構想もあったものと思われるが、齢的にもこれ以上の伸びしろを期待するのは厳しいという意見が見られた。


4戦東京競馬場の芝2500mのハンデ重賞アルゼンチン共和国杯(GII)。

上は思い切った逃げができる騎手をという事で松岡正海騎手へと乗り替わりになったが、これは前走の大敗の原因について、レースを引っり後続がなし崩し的に脚を使わされる展開とする事が出来ていたなら…という思いがオーナーにあり、逃げが出来る騎手に変更する事に決めたという記事も見られた。

ともあれ前走の大敗により斤量が53kgとメンバー中2番に軽くなり、単勝も13頭中の7番人気と大きく人気を落とす事となった。レースはオジュウチョウサンがスタートを卒なく決め、オーダー通りに逃げた。だがレース後に関係者コメントとしても述べられたように、前にがいないとそこまで闘志を見せないのか、テン4Fのラップ過去10年とべて極端にくなる事もなく進み、向こう正面でもあまり行く気を見せず1身から3/4身程度のリード逃げる展開となる。残り1000mくらいで後続も迫って来始め、直線を向いた時にやや外に膨れた隙を見て内から伸びた2番人気のムイトオブガードや5番人気タイセイトレイル、外からも1番人気アフリカンゴールド等の後続が一斉に上がり、オジュウチョウサンは群に沈んだ。

意図して上がり勝負となるレースにしたつもりはかったが、終わってみれば掲示板に載ったはみな上がり3Fを33台で駆け抜ける、直線の長い東京コースにありがちな上がり勝負のレースとなってしまい、オジュウチョウサンは12着と再び惨敗する事となった。

この大敗を受け、去就についてはすぐには決めず、の状態とオーナーの判断で決める事になったが、レース後の疲労も見られず調子が維持できている事もあってステイヤーズSに参戦する事となった。


5戦中山競馬場の芝3600m戦のステイヤーズステークス(GII)。

上は再び乗り替わりミルコ・デムーロ騎手となった。

東京競馬場べて直線が短い中山競馬場は先行である同にとって有利なコースである事、その先行にとって好な11番を得た事、日本競馬地最長距離戦という事もあって中距離の紛れも少なくスタミナで不安視されない同にとって最もチャンスがある重賞だと思われた事、一緒に走るで近走で好成績を挙げたがいない事(ただし同レース距離の特殊性もあって普段の成績とは関係なく勝つがいるリピーターレースとしても認知されてはいるが)、などもあって4番人気に押された。

レースは好スタートを見せるが、一気に前に出たレイホーロマンスハナを譲り2番手を追走する。だが単騎で逃げていたレイホーロマンスも最初の4コーナーで徐々に下がって来て群に飲まれ、2週ホームストレッチでは前に出てきたエイシンクリックとネイチャーレットが入れ替わる形となる。オジュウチョウサンはこれを見ながらの3番手を追走し2週3コーナー手前で徐々に進出、ネイチャーレットを捲ってエイシンクリックに並び掛ける。この勢いに前年の中山グランドジャンプを重ね合わせ、もしかしたら直線で抜け出し勝つのかもしれないという期待を見せたファンも多かったのかもしれない、スタンドから大歓が上がり、否応なくテンションが上がった。だが4コーナーエイシンクリックと並走する形で抜けて最後の直線、残り200m辺りで後ろから来たモンドインテロに捲られた辺りで脚を使い切ったか先頭から脱落、6着に終わった。

だが同年に走ったどのレースよりも盛り上がりを見せ、普段は辛口ネット民からも勝てなかったけどよくやったの称賛のが見られた。


同年の成績は2-0-0-3(うち障害は2-0-0-0)、季の障害戦では相変わらずパーフェクトな成績ではあったが、その後の地での惨敗続きがあまり印を良くできなかったのか、それとも暮れの中山大障害を勝ったシングンマイケルが他に重賞2勝を挙げていて成績的に優ったと判断されたためか、同年の最優秀障害での得票を175対95と大きく差を付けられての2位となり受賞を逃す事となった。

だが障害での絶対的な評価を逃すこととなっても地への挑戦をする決意表明は既に前年に行っており、いつかは訪れる結果であったのかもしれない。

には障害戦から復帰するという営からのコメントもあり、内では前人未到(前未到?)で世界でもトップタイとなる同一GIの5連覇記録へのもまだ残っている。

9歳(2020年)

年明けて9歳となった同の初戦は前年と同じく阪神スプリングジャンプ(J・GII)、障害戦での騎手である石騎手との最強コンビで挑む事となった。

前年の障害復帰初戦でも不安定な飛越があり齢での衰えは隠せないという不安材料を囁く者もいた一方で、やはり絶対王者である事や前年末のステイヤーズステークスで見せたは本物であろうという評価から1.7倍の1番人気となり、前年末の中山大障害優勝し最優秀障害に選ばれた2番人気シングンマイケル、故障で長い休養を余儀なくされた為に充実が遅れるも故障前には次代のエースともされていた3番人気トラストと3強の様相となる。

レースは相変わらずの好スタートを決めるも外から前をするに先を譲り、中は4番手辺りで前から少し距離を取った位置で進める。逃げブライトクォーツは後続に接近されては突き放すを繰り返し、それを追うトラスト、やや離れオジュウチョウサンと同じ位の位置取りを続ける経験豊富なシンキングダンサー、オジュウチョウサンのすぐ後ろで虎視々と追走するシングンマイケルという隊列でレースが進む。全てはオジュウチョウサン包囲網のようにも見え、襷コースを抜けた後の向こう正面では一時5番手になり足が鈍ったのかとヒヤッとさせる所もあったが、何もげに先団との距離を詰め、3コーナー上がGOのサインを出すと先頭に並びかけ、4コーナーを明け最後の障害全に先頭に並ぶと後はため息か震えしか出ないような圧巻の末脚で駆け抜け、2着シングンマイケルに9身差をつけるレコード勝ち 、まだまだ衰え知らずな所を見せつけた。

新型コロナウイルスの感染拡大防止で無観客開催となっていた為に静まり返った阪神競馬場も、まるで余りの強さに震撼し言葉が出ないかのような演出にも思える圧勝劇であった。


2戦中山グランドジャンプ(J・GI)。

世界記録に並ぶ同一GI競走5連覇の偉業が掛かっていたこのレースコース上の障害とは別に巨大な障害があった。
一つは新型コロナ中山競馬場のある千葉県4月7日に発された緊急事態宣言の対自治体であったが、くから無観客開催を続け競馬場での感染事例がかった事が説得となったのか、引き続き無観客での開催を続ける事となった。

また一つの障害レース当日の、前日から夕方に掛けて共に大荒れの予報とされ、場合によっては延期ないしは中止の可性があった。
これらのではどうしようもない障害クリア事出走できる事にも運が必要であったのかもしれない。

当日になり競走の開催自体は確定したものの、前日から振り続けた不良馬場での開催、2001年グランドナショナルを彷彿とさせるパワースタミナを要される非常にタフな条件となった。

前走での最大のライバル達を全に子供扱いにした事が評価され、最終オッズは1.1倍となった
評では「1.1倍付くかどうかだ」と囁かれていた一方で荒予報の為に何が起こるか分からないとする意見も散見された。

レースいつものように好スタートを決め、外のメドウラークが前に出るとそれを追走する形をとり、同マークする形で3番人気メイショウダッサイ、2番人気シングンマイケルが追走、4番人気ブライトクオーツがそれらをマークするような形でレースが進む。
大竹柵・大生垣をえ(大生垣でセガールフォンテンが転倒し競走中止)淡々と進んだ向正面外回りコースで先頭を走るメドウラークが右前肢跛行を発症しそのまま競走を中止、2番手につけていたオジュウチョウサンがくも先頭に立つとマークしていた他ペースを上げてこれに並びかかろうとするが上の石は持ったまま、3コーナーで差を広げ、最終ハードルクリアすると2番手にいたメイショウダッサイに差を詰めさせる事なくゴールに駆け込み、中山グランドジャンプ5連覇を達成 。同一重賞5連覇は地含めJRA初。

タイムは5分29、脱落が11頭中3頭も出(シングンマイケルは頚椎関節脱臼で死亡)、同自身も何度か脚を取られたかのような動きを見せたような極めてしいスタミナ勝負であった。事実、5回走った中山グランドジャンプの中でもタイムが5分かかったのは今回だけである(他の回は4分40台)。他にとっても過酷なのは同様で、2着メイショウダッサイとの着差は3身だったが、そこから大差⇒大差⇒8身⇒8身⇒大差⇒大差という着差が付いていた。


3戦京都ジャンプステークス(J・GIII)。

上の石の落によるケガからの復帰を待つ為に同レースを選択。

京都競馬場装工事により阪神競馬場で開催された同レースくから営が宣言していた事もあり出走が6頭となった。人気は80.39%という圧倒的な1番人気を受け、2番人気タガノエスプレッソが一時は10倍をえるほどの一本被りを見せた。

レースいつものようにスタートを決めたオジュウチョウサンを捲るようにタガノエスプレッソビッグスモーキーが内から進出し3頭でレースを引っる展開で淡々と進む。残り800の辺りで先頭に並びかけるも内を行くタガノエスプレッソが抜き返す形でコーナーを回って直線に入り、外に回ったオジュウチョウサンのエンジンが掛かるかと思われたが、3140mという距離は他のにとってもロスさえければ走り切れる距離。前でタガノエスプレッソにはむしろ突き放され、内を走るビッグスモーキーり、ビッグスモーキーを捉えたのは中は後方を進み直線で勢いよく突き抜けたブライトクォーツに差された後となった。

5年に及ぶ記録が止まった間であった。

実は最終障害にて脚を強かにぶつけており、直線で全を出せなかった原因ではというも出た。高く上にではなくく前に飛ぶ飛越であった為、以前からSNSなどでは飛越が下手だという摘もあったが(それでも競走中止が一度もないのだから特別下手な訳ではないが)、今回はいつもより更に低かった為に脚をぶつけてしまったのではないかと見られる。

後日の検で脚に腫れが見られた為に同年の中山大障害は回避すると表明、同年成績は3戦2勝で終わった。次年度の中山グランドジャンプの6連覇達成をして休養の後に飛越の善をすることとなった。

10歳(2021年)

同年最初のレースは連覇の掛かる中山グランドジャンプ(J・GI)。

前走から間をけた形となったが体は510kg、これまで6戦中5戦でその体重で挑んでおり調整は十分という形で挑んだ本戦、直前まで前年2着で前年度の最優秀障害に選出されたメイショウダッサイと1番人気を競う展開になり、最終的には2番人気となる(障害レースで1番人気でないのは2016年中山グランドジャンプ以来)。

レースいつものようにスタートを決めた同タガノエスプレッソ入れ替わりながらレースを引っる展開となるが、途中大生垣障害を飛越する所で若干失敗したように映り場内で悲鳴が上がる。
すぐ後ろをつけていたスマートアペックスが前に出、1コーナーから2コーナーに掛けて4番手にいたメイショウダッサイと併走、その後追走するような形で向こう正面を迎えるもやはり行き脚が怪しく、レース勘が鈍っていた事もあったのか3コーナーでずるずると6番手まで下がる。
直線に入ってエンジンが掛かり直し1頭差し返しゴールするも1位入線のメイショウダッサイは2.6前にゴールを決めた後の5位だった。

かつて絶対王者と言われたの、掲示板入着とは言えき姿に、ついに新時代到来のように受け取る者も決して少なくなかった。

4月20日になり左前脚の第1骨折明らかになり手術。現役続行し、復帰戦は中山大障害前の10 東京ハイジャンプ(J・GII)。1年4かという長期離脱から復帰した8歳ラヴアンポップの3着に付けた。復帰初戦を勝利とはいかなかったものの掲示板確保で完走

次走は4年ぶりの出走となる中山大障害(J・GI)。中山GJでオジュウチョウサンを破ったメイショウダッサイ繋靭帯炎で戦線離脱したものの、東京HJを勝ったラヴアンポップとの再戦や悲願のJ・GI制覇をタガノエスプレッソらと突。1番人気タガノエスプレッソに譲っての2番人気で迎えた。前外から大生垣で内に入るいつものスタイルで進め、向正面の障害を飛ぼうかというところでめに抜け出すと、直線では後続との差がどんどんと開くばかり。最後はブラゾンダムールに3身つける横綱相撲勝利絶対王者復活と健在をアピールした。10歳での中央競馬GI級競走の勝利日本調教としては初とのこと[3]

なお、クロノジェネシスらの引退により、JRA所属の現役競走馬ではGI年間3勝の現役最強エフフォーリアや古ダービーマカヒキ三冠デアリングタクトらを抑えて獲得賞ランキングトップとなった。

11歳(2022年)

前走の結果を受けてくも長山オーナー営は11歳の現役続行を表明。「もう10歳だし事に帰ってきて欲しい」というファンの思いも飛び越えた障害競走レジェンドは未だに進化を続け、カラジが打ち立てた12歳でのJ・GI制覇に向けて2022年へ突入した。

初戦は阪神スプリングジャンプ(J・GII)。オジュウチョウサンは負担重量62kgで、ほかのは60kgであった。序盤はベイビーステップレースを引っったが出遅れたエイシンクリック中どんどんと前に進んでいきそのまま先頭に立ったレース展開。オジュウチョウサンは終始2~4番手あたりを進み最後の直線も2番手で入ったがそこから伸びを欠きそのまま先頭のエイシンクリック逃げ切り勝ち。3番手のレオビヨンドにも最後抜かれてクビ差の3着となった(レオビヨンドとエイシンクリックの間は1身半差)。しかし3着以下は10身→10身と離れておりまだまだがあるところは見せた。石騎手レース後、最後スタミナが切れてしまったが年齢負担重量の差がいたのではないかとコメントした。

2戦は1年ぶりの優勝がかかった中山グランドジャンプ(J・GI)。序盤は中団にいたが、徐々に上がっていき、3・4コーナー中間でが入ると加速。最後の可動式障害を飛越するとブラゾンダムールとのたたき合い。残り100mで突き放すとそのままゴールへ駆け込み、中山グランドジャンプ6勝をあげた。3着はマイネルレオーネで、こちらもステイゴールド産駒なので、ディープインパクト産駒ブラゾンダムールをサンドイッチする形になった。この勝利で、史上初の11歳のJRA所属による重賞勝利中央GI9勝を達成した(GI9勝自体はアーモンドアイが先に達成している)。更にステイゴールド産駒の連続GI勝利年数も14とし、偉大な祖サンデーサイレンスに並ぶ1位タイとなった。そしてこの勝利をもってヤマブキオーが1978年に達成して以来、21世紀に入ってからは初となる中央競馬における通算20勝を達成した。
上の石騎手はこのレース障害通算1000の節の騎乗及び障害重賞勝利数が1位タイとなり人共に喜ばしいレースとなった。

の休養を経て、初戦は東京ハイジャンプ(J・GII)。先行集団につけたが、向正面2つ障害の飛越でのトラブルもあり、最終直線に差し掛かり、最後の障害を飛越したら、上の石騎手が追うのをやめたこともありずるずる後退。終わってみれば1着から75離された9着に沈んだ。彼が障害競走掲示板を外したのは、4歳の暮れの中山大障害以来であった。

今後については様子を見ながら12月24日中山大障害すこととなり、そしてこのレースをもって引退となることが東京ハイジャンプから一夜明けた10月17日に発表された[4]オーナー東京ハイジャンプから帰宅するため電車に乗っていると、小学生以下らしき子供が「オジュウなんで負けたんだ!負けるわけないんだ!」と泣いている姿を見て引退を決めたexitとのこと。おそらく最強のままで引退をしようということなのだろう。同時にオジュウチョウサンを種牡馬入りさせたいという思いも報道されたexit。その後、JRAから中山大障害当日に引退式を行う告知exitとともに、坂東牧場にて種牡馬入りの予定であると発表された[5]

そんな中山大障害地・障害通算40戦となるクリスマスイブの一戦を勝てばラストランでJ・GI10勝の大台に乗ることとなる。過去J・GI9勝の実績もあり、単勝2.4倍の1番人気となった。

前を行く3頭を見るような形でレースは始まった。だが、2周の大障害コースを抜けるころには5番手に下がっていき、ニシノデイジーとビレッジイーグルがつくるペースに追走することも難しいようであった。そうこうしている間にニシノデイジーが仕掛けてきたが、もはや戦うは残っておらず、6着に沈んだ。しかし11歳の引退レース完走したことにより、障害レースのキャリア中オジュウチョウサンは一度も落せずに全レース完走した事になる。事是名とはこの事であろう。

レース終了後、引退式が行われた。障害競走戦場とする競走馬JRA引退式が行われたのはフジノオー(1968年)・グランドマーチス(1976年)・バローネターフ(1980年)の3頭しかおらず、42年ぶり4頭となった

そして自分に先着した5頭のうち、彼がJ・GIを制する前に生まれていたのはマイネルレオーネ(10歳)ただ1頭のみ。勝ったニシノデイジーは彼が初めて中山グランドジャンプを制した翌々日、2016年4月18日生まれで、まさに世代交代徴するレースとなった。

そして12月27日をもって競走馬登録を抹消exit、名実ともに引退という大団円を迎えたのであった。

2023年1月10日2022年JRA賞の発表があった。投票総数288のうち、オジュウチョウサンは138を獲得。137ニシノデイジーを振り切り、2022年最優秀障害に選出された(その他は該当なし8、ホッコーメヴィウス5)。これはJRA賞創設以来最小票差での受賞であった。

種牡馬時代

繋養先未定のまま、故郷の坂東牧場へ戻ったオジュウチョウサン。その後、Yogiboヴェルサイユリゾートファームにて繋養されることが発表された。

当初はオジュウチョウサンが環境に慣れるまでは見学禁止であったが、2023年3月5日より厩舎外からの見学がexit3月14日より放牧地での見学がexit順次可になった。

引退馬の繋養がメインだが、エタリオウやエンパイペガサスなどが種牡馬として繋養されているので、種牡馬の繋養実績はある。ただし交配設備はないため、種付けの際にはブリーダーズスタリオンステーションへと向かう。

余談

血統表

ステイゴールド
1994 黒鹿毛
*サンデーサイレンス
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
ゴールデンサッシュ
1988 栗毛
*ディクタス Sanctus
Dronic
ダイナサッシュ *ノーザンテースト
*ロイヤルサッシュ
シャドウシルエット
2005 鹿毛
FNo.4-i
*シンボリクリスエス
1999 黒鹿毛
Kris S. Roberto
Sharp Queen
Tee Kay Gold Meridian
Tri Argo
ユージョイナー
1990 黒鹿毛
*ミルジョージ Mill Reef
Miss Charisma
サシマサンダー *ネヴァービート
シア

関連動画

関連項目

外部リンク

脚注

  1. *なお、あくまでもランキング内で獲得した賞だけしか計上しない点に注意する必要があるが、2022年7月5日時点で、オジュウチョウサンは9億4137万7000円で、タイトルホルダー(2021年菊花賞2022年天皇賞(春)宝塚記念など)が7億93111000円エフフォーリア(2021年皐月賞天皇賞(秋)有馬記念など)が7億3663万6000円、マカヒキ(2016年東京優駿など)が6億3007万5000円と続く。
  2. *中山大障害は時代によって条件が色々異なるので単純較はできない。参考までに当時の中山大障害は別定戦でありシンボリモントルー斤量が59kgで出走した。オジュウチョウサンは63kgで出ておりその時と4kgも増えている。また障害の大きさも当時より一部変化があり、当時より高さのある障害が2つ、低くなった障害が1つ、幅の増えた障害が1つ、減った障害が1つある
  3. *調教ではカラジという事例がある。
  4. *この時、引退しないという記事が出たりして若干混乱が起きた。
  5. *繋養先は坂東牧場としたが、この時点では種牡馬のための繋養先を探していたため、将来的には繋養先を移動する可性がある事も発表された「障害絶対王者」オジュウチョウサンの種牡馬入り(netkeiba)exit
  6. *をねじる具。をねじられると癒されるらしい。
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