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映画史とは、映画がどような経緯で誕生し世界中で発展してきたかという歴史である。

ここではアメリカ映画を中心に解説していく。というか、全世界の映画史を網羅しようとすると大変なのである。

※基本的に、紹介している動画著作権の切れたパブリックドメインです。

1890年代

1894年、アメリカの「発明王」トーマス・エジソンが自動映像販売機(まあ所謂「映写機」ってやつだ)キネトスコープ世界初の映画館に設置される。連続したフィルムを観るという形式は映画に通じるものがあるが、現在映画と異なる点はの中を覗き込む」形で鑑賞する、ということ。つまり一度に大勢の人間が見るものではなかったのである。

キネトスコープ開からわずか1年後の1895年、フランスのリュミエール兄弟シネマグラフ開発。こちらはスクリーン映像投影し一度に多くの人が観れる形であり、現在映画の上映形態となんら変わりのいものであった。とりあえず映画の起シネマグラフが有である。余談だが、1995年は「映画誕生100周年」とかでいろいろあったりなかったりした。

リュミエール兄弟が最初に映画の商業開を行ったのは1895年12月28日。上映されたのは「工場出口」なと計10本の短編映画(といっても、1本1本の長さは1分そこらである)。

リュミエール兄弟の作品でもとりわけ話題に上るのは「ラ・シオタへの列車の到着」だろう。画面から手前に列車が近づいてくるだけのわずか50フィルムである。初めて「列車の到着」を見た観客は迫りくる列車クソを漏らすほどビビり、あわててスクリーンの反対側に逃げ出してしまったという逸話が残されているが、実際そんなことはなかったという意見もある。いや、上の文章はぶっちゃけしたけど、編者も本当にあったかどうかはくらいに考えたほうがいいと思う。

映画は19世紀末ごろには既に日本にも上陸していた。そのころの日本では、映画「活動写真と呼ばれ、映画館「活動小屋」と呼ばれていた。現在でも完成した映画フィルムを「シャシン」、映画館を「コヤ」と呼ぶ人が映画関係者をはじめ多く存在している。

1900年代

1902年、世界で初めて物語構成を持ち、複数のシーンで構成された映画である月世界旅行フランス製作される。監督マジシャンジョルジュ・メリエス。ちなみに「映画監督」を職業としたのは彼が初めてである。

原作は一応ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」だが、後半はH・G・ウェルズの「世界最初の人間」もごっちゃになっている。SFファンとしてはまさに夢のコラボロケット大砲から発射されるというトンデモない代物だが、これは原作どおりであるので何も問題はない)がの表面に着陸するシーンは「ポンキッキーズ」で観た人も多いだろう。ちなみに現在パブリックドメインとなっているのでニコニコ動画でも鑑賞できる

翌年のアメリカではこれまた世界初の西部劇「大列車強盗製作開された。ちなみに「大列車強盗より昔にも西部劇があったらしいが行方不明」。 こちらの作品ではクロスカッティング(異なる場面のシーンを交互に撮、映写する技法。フラッシュバックとも)、ロケーション撮を行い、行的にも成功を収めた。ラスト、観客に向かって発するシーンは有名・・・?というかメタフィクションネタの最古といっていいんじゃないか。

みんな大好きアニメ映画は1906年の「愉快な面相」世界初らしい。観ておいて損はない。・・・多分。

1910年代

新しい映画表現をめる若い映画人たちが西海に移住。ハリウッドが形成されはじめる。
が良く、撮にもってこいという理由もあるにはあるが、実際には別の理由も存在する。

トーマス・エジソン再び。映画関連の特許を多数保有していた彼は、活況を呈する映画業界にをつけ、その利益をが物にしようとたくらんでいた。実際はこんなに大でもないと思うが、まあそういうことにしとこう。面いし。

そこで設立されたのが「モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー、通称MPPCである。通称エジソン・トラストとも言われる。このトラストは映画関連の特許映画会社にビシバシ訴訟を繰り広げていたエジソンと彼の映画会社と、そのエジソンが特許使用許可を出した大手映画会社による映画上映のための組合であった。もっと詳しいことはWikipediaに書いてある。

しかし、当時アメリカ映画の3分の1、もしくは4分の1を支えていたのはMPPCに属さない独立系の映画会社であった。彼らはの亡者エジソンの魔の手から逃れるため、アメリカ西海カリフォルニア州にどんどん移動し、現在ハリウッドの原になった、という話なのである。ちなみにMPPCはその後なんやかんやあって10年もしないうちに消滅した。あわれエジソン。

のちに映画という凄いあだ名で呼ばれるD・W・グリフィスが、「民の創生」、「インレランス」、「散り行く」を製作開。モンタージュカットバッククローズアップなどといった現在に通じる映画技術の発明によって映画文法の基礎を築いたとかなんとか。ちなみに「民の創生」では黒人に対する人種差別が物議を醸したり(なんてったってKKKが「正義の味方」として出てくるのだから!)、「インレランス」では映画史上最大級のセットまで作ってしまったりなど、映画史的にはいろいろ話題に事欠かない人物である。

ちなみに1910年には「フランケンシュタインの怪物」が初の映画化。 「ふんがー!」

1920年代

ソ連世界初の国立映画学校創設。映画監督のレフ・クレショフが教授として招かれた。クレショフは学内に設けた自身のワークショップ「クレショフ工房」においてモンタージュ理論を打ち立て、その実験を行った。クレショフ効果exitを参照。

1925年、クレショフ工房生徒の一人であるセルゲイエイゼンシュテインが「戦艦ポチョムキン」を製作。本作はモンタージュ手法を確立した映画として非常に重要な映画である。「オデッサの階段」の場面は映画好きなら観なくてはいけないはず。というか観て損はない。というか観ろ。こちらも著作権切れのため鑑賞可のはずだが、ニコニコ動画では消されてしまった模様。今頃どこかでひっそり再うpしてるかな?

1927年ついに世界初のトーキージャズシンガー開。

You ain't heard nothin' yet! (お楽しみはこれからだ!

                                         ―――映画史上初めてのセリフ

トーキーとは映像と音同期した映画の事。ここから一気にトーキー世界中で普及していく。しかし日本の活動弁士(サイレント映画解説役)や、あの「喜劇王」チャールズ・チャップリンなどはサイレント映画に固執した。

同年にあのVIP先生で有名な「メトロポリス」が開。本作は映画史初期のSF映画傑作であり、メディア問わず多くのSF作品にを与えた普通に凄い作品である。監督は「M」、「ドクトル・マブゼ」のフリッツラング

1929年、アメリカアカデミー賞が始まる。といっても最初は今みたいに大仰なものでは全然なく、女優のジャネットゲイナー(初年度にて女優賞を受賞した)は「ちょっとした内輪の集まりだったのよ」と述べている。初年度は作品賞が2作品あり、ウィリアム・A・ウェルマンの「つばさ」とF・W・ムルナウの傑作サンライズ」の2つが受賞した。

1930年代

1932年ヴェネツィア国際映画祭が始まる。ベネチアでもヴェネチアでもベネツィアでもない。ヴェネツィアである。

1935年フランク・キャプラのの出来事」開。初のスクリューボールコメディ常識外れの男女喧嘩しながらに落ちるという、ラブコメの元祖みたいなジャンル)作品で大ヒットした。アカデミー賞でも要5部門を受賞した。

1935年には世界初の開。

30年代末から40年代にかけて、イタリアネオリアリス運動が起きる。な中心的な作家ルキノ・ヴィスコンティロベルト・ロッセリーニ等。「自転車泥棒」も有名な作品。貧困にあえぐイタリア社会リアルに映し出そうとしているんだそうだが、編者はここらへんはど観てないのでなんとも・・・

ちなみに現行収入No.1映画風と共に去りぬ」も30年代の作品。

ちなみにフランケンシュタイン映画が3作品も開されている。「ふんがー!!!」

1940年代

1946年、今度はフランスカンヌ国際映画祭が始まる。

第二次世界大戦で多くの映画作家アメリカ亡命する。

この当時アメリカ映画製作本数が年間400本を越えており、黄金時代を迎えていた。

スーパーミラクル太った映画監督アルフレッド・ヒッチコックアメリカ映画製作を開始。「レベッカ」が1940年アカデミー作品賞を受賞。もっと評価されるべき

史上最高の映画といわれているオーソン・ウェルズの「市民ケーン」も40年代に開。

1950年代

1951年 今度はドイツベルリン国際映画祭がはじまる。これで世界三大映画祭が出った。

狩りアメリカの多くの映画作家が追放されてしまう。その中にはみんな大好きチャップリンの姿も・・・。

またこの年代には最大の敵「テレビが出現。観客動員数が減少の一途を辿り、「テレビにはマネのできない大作を」という方針も功を奏すことはなかった黄金時代終焉である。

イタリア映画監督フェデリコフェリーニが「」「カビリア」でアカデミー賞外国語映画賞を受賞。ヒッチコックはこの時期が最盛期で「裏」 「めまい」 「北北西に進路を取れ」など名作が多数。

この時代は「雨に唄えば」のようなミュージカル映画が流行を見せる。

またまたフランケンシュタイン生作品が2本開。 「ふんがー!!」

日本ではゴジラが誕生し、世界中がその特撮技術の高さを賞賛した。

ジェームズディーンスターにした「エデンの東」が55年に開。

そして、50年代の映画監督で忘れちゃいけないのがこの人。
そう、史上最低映画監督エド・ウッドである。 
グレングレンダ』『プラン9・フロム・アウタスペース』『死霊の盆踊り』・・・
ゴミのような映画はいくらでもあるが、映画のようなゴミを作るのはエド・ウッドだけ!」という言葉もあるほど。 
しかし、たとえどのような「最低」の評価を受けようとも、エド・ウッド映画への情熱を燃やしつづけたのである。
そのひたむきな姿勢は賞賛されてしかるべきではないだろうか。かのティム・バートンリスペクトささげてるわけだし。 

1960年代

フランスヌーヴェルヴァーという運動が起きる。(フランス語で新しい波という意味)すっごく簡単にいうと1950年代末から1960年代中盤までの若い作家製作した作品の事。だと思う。トリュフォーの「大人はわかってくれない」が有名。にはさっぱりわからない。

1962年にはアメリカキングコング日本ゴジラ対決する「キングコング対ゴジラ」が開。日怪獣対決が実現。

1963年開「クレオパトラ」が制作会社である20世紀FOXを潰しそうになるなんなんだアンタ

アメリカではアメリカン・ニューシネマ(New Hollywood)が流行。反体制的な人間のの心情をった作品の事だと思う。代表的な作品に「たちに明日はない」「明日に向かって撃て!」など。明日嫌いすぎ。

ヒッチコックの数ある作品の中でもっとも有名な『サイコ』が60年に開。なに?ヒッチコックを贔屓しすぎだって?

1964年東京オリンピック開幕。「東京オリンピック」という記録映画市川監督によって撮られるが、その芸術性の高さからいろいろ論争に。

1965年ガメラ誕生。ゴジラ二番煎じながら、回転しながらを飛ぶ、子供の味方といった差別化をはかり人気に。

1968年にはSF映画という概念そのものを変えたとも言われるスタンリー・キューブリック監督による
大・大・大傑作2001年宇宙の旅」が開された。みたいだろ。アポロに行く前に作ったんだぜコレ。

フランケンシュタインは3作品、また生モノが出現している。
例:「フランケンシュタイン対地底怪獣」(日合作)

なお、上記の続編「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」は日本の民話「山彦」をモチーフにしたオリジナル長編怪獣映画で、なかなかの名作との評価。

1970年代

ドイツ作家達がニュージャーマンシネマととしてもて囃される。ただこれといって共通するものはなく同世代、同時期の映画作家の総称。らしい。

アメリカではパニック映画ブームになる。1972年ポセイドン・アドベンチャー1974年タワーリング・インフェルノが有名。このブームは今後のハリウッド映画の基礎を形造るモノだった。かもしれない。タイニックとかタイタ○ニックとかなのかな。アルゲドンとかディー○・イ○パクトとかじゃないか。

昔の大作映画人間ドラマ物語を重視してきたがパニック映画では観客のを引く特殊効果、技法を重視するようになっており、近年のハリウッド映画の特徴を形成している。細かい設定などはなんかよくわからなくなる。こまけぇこたぁいいんだよ!

映画(←さすがにこれはスピルバーグに失礼ではないか)「ジョーズ」が75年に開された。

ちなみに「ヤングフランケンシュタイン開。 「ふんがー!」
同年にゴジラが「メカゴジラの逆襲」で眠りに付く。 

1977年 スター・ウォーズ開し、大大大ヒットSFブームを巻き起こす。また特殊効果(SFX)が注を浴びる。正直、監督ジョージ・ルーカスは本作はコケると予想していたらしい。同じ年にライバルスティーブン・スピルバーグが「未知との遭遇」を開しているが、実際にはこっちの方がコケた(内容が評価されたのは後年になってから)。

1980年代

先進国を中心にビデオが急速に普及。スタジオにとって新たな収入であり、新たなビジネスが展開された。1989年ソニーコロンビア映画を、パナソニックユニバーサル・ピクチャーズを買収し、日本産業による大手スタジオの買収が続いた。

日本では大長編ドラえもんの第1作が開される。

東京映画祭が始まる。

1981年、「インディ・ジョーンズシリーズスタート
1982年ブレードランナー」。2つで十分ですよ。タンホイザーゲート

1984年に9年の眠りからゴジラ覚める。そして翌年本当に三原山噴火ゴジラの祟りか?

1985年開された「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が大ヒットし、アメリカではフューチャー現なるものが起きた。日本でも大変評価が高く、80年代映画No.1と聞かれ本作を挙げる人も多いだろう。

ハートマン軍曹が登場する「フルメタル・ジャケット」も80年代の作品だぞ!このウジ虫どもが!

ニコニコでも絶大な人気を誇る「コマンドー」も1985年の作品だ。「OK?」 「OK!(ズドン)」

1989年日本元号平成に変わり、ここから平成○○シリーズと題されたかつての人気シリーズ復活作品が幾つも開された。
ちなみに平成ゴジラシリーズの「ゴジラvsビオランテ」も89年だ。薬は注射より飲むのに限るぜ、ゴジラさん! 

たまたまた「フランケンウィニー」も開された。 「ふんがー!」

1990年代

スピルバーグ監督作品「ジュラシックパーク」が世界行収入記録を塗り替える大ヒット。本作のコンピュータグラフィックは後の映画に大きなを与えた。与えたんだよ!

1993年 日本で初めてシネマコンプレックスオープン。意味は同一の施設に複数のスクリーンがある事だよ!逆にスクリーンが1個しかない映画館ミニシアターというよ!よく覚えとけクソ共!

1995年 世界初長編フルCGアニメーショントイ・ストーリー」が開。

同年ラース・フォン・トリアー等によりドグマ95運動が始まる。詳しくはコチラ→ドグマ95exit

クエンティン・タランティーノ監督や、ポールトーマス(良い方の)・アンダーソンといったビデオ世代の映画監督が出現。

1994年に「フランケンシュタイン開。役はロバート・デ・ニーロ。 「ふんがー!」

1995年ゴジラ死す(「ゴジラVSデストロイア」)。同年ガメラ復活(「ガメラ 大怪獣空中決戦」)。

1998年ガズィーラGODZILLAニューヨークに上陸。ン?何か姿が違・・・ 
日本の学者は日本を襲った怪獣と同類とは認めていないようです。

1999年ガメラが片腕を失い、ギャオスとの果てき死闘へと立つ(「ガメラ3 邪神覚醒」)。

1974年映画ノストラダムスの大予言」の舞台になった1999年だったが、特に何事も世界平和だった。

2000年代

デジタルシネマの動向が活性化。将来的には大半がデジタルビデオカメラによる撮になるかもしれないらしい。というかなった。(2014年現在
スピルバーグなどは未だフィルムに固執している。 

CGが発達し、「トランスフォーマー」や「ロード・オブ・ザ・リング」などの大作が製作された。
また、J・K・ローリング原作魔法ファンタジー小説ハリー・ポッターシリーズ映画化作品が人気に。 

2005年にはスター・ウォーズ最終映画(のはずだった)「エピソード3 シスの復讐」が開。

また、過去には「当たらない題材」とされていた海賊の活躍する映画パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズディズニーにより製作され、大人気となった。

近年アメリカ映画日本漫画実写化過去の作品のリメイク立ってきており、日本では大変不振である(なお、先述の「トランスフォーマー」も元を正せば日本玩具元ネタ)。

一方日本映画東宝グループが圧倒的な強さを見せている。
しかし、2005年ゴジラシリーズが終了してしまい、以降は「ALWAYS 三丁目の夕日シリーズなどのノスタルジーや「世界の中心でを叫ぶ」などの恋愛映画などが流になり、男性には少々退屈な状況。

しかしながらライバル東映も負けてはおらず、『相棒シリーズ劇場版のようなシリアス刑事ドラマや『平成仮面ライダーシリーズ』『スーパー戦隊シリーズ』といったオールスターモノの特撮映画、『プリキュアシリーズ』『ONE PIECEシリーズ』『DRAGON BALL Z』などのサブカルチャー路線での大ヒットを連発している。

2009年ジェームズ・キャメロン監督12年ぶりの新作『アバター』が開。そのあまりに新な3D映像世界中に3D映画ブームを巻き起こした。ゲームでも、3D対応やら、ニンテンドー3DSみたいにとにかく3Dが流行ったのだ。

2010年代前半

2012年、やっぱし「フランケンウィニー開。世界初の3Dモノクロアニメの触れ込みだったが、日本では「ONE PIECE FILM Z」の開にモロ被りしてしまい、大コケ。「憤慨~!」

また、実写版の「るろうに剣心」が開。
開前の期待値は低かったが、いざ開されると「理想的な実写化」と評価が覆り、シリーズ化された。

2013年宮崎駿監督が「風立ちぬ」を最後に引退宣言(長編をだよ?短編はやるらしいけど・・・)。同じ年に高畑勲監督の「かぐや姫の物語」も開。
後に宮崎監督引退を撤回し、現在君たちはどう生きるか」と題した新作を撮中と報道されている。
なお、高畑監督はこの「かぐや姫の物語」が最後の作品となり、遺作となった。

さらに2013年には(日本では2014年だけど)ディズニー全新作アニメアナと雪の女王 (原題:FROZEN)」が開。この映画アメリカ映画として「アバター」以来のスーパーギガヒット作となり、各アニメ映画の動員記録をも塗り替えた。内容は評価されたものの行的に微妙だった「シュガー・ラッシュ」や散々な評価だった3Dアニメプレーンズ」で評価が揺らいでいたディズニーアニメだったが、その王道でありながらも、過去ディズニー映画かった要素を取り入れたことが高く評価されたことでディズニーアニメ映画そのものの復古とも言われた。「風立ちぬとはアカデミー賞長編アニメーション部門での対決があったが、映像表現、ストーリー共にアナ雪が評価され、残念ながら宮崎監督は賞レースでの結果は残せず有終の美とはならなかった。

また、アナ雪サウンドトラック、特に「Let it Go」は音楽不況の時代にあって、原版、各翻訳版、果てはニコニコYoutubeでの素人歌唱も含めて世界的な特大ヒットを飛ばした。  

さらに、2013年には日本怪獣映画を大いにリスペクトしたレジェンダリーの誇る大作『パシフィック・リム』が開。KAIJU対巨大ロボイェーガー対決世界中が熱狂。内では吹き替え版のキャストとはっちゃけぶりも話題になった。

そして来る2014年、遂に映画館が帰ってきた。そう、ハカイダーもだけど破壊神GODZILLA -ゴジラ』。残念ながら(?)アメリカ産だが、マグロ食ってるような映画ではないという前評判どおりで、実際に世界中で大ヒット記録。これに合わせて日本映画専門チャンネルでは『毎5の付く日はゴジラの日』として歴代作品を全部放送し、54年版の元祖ゴジラ4Kリマスターで再上映など、前年のパシリムに続いてにわか特撮映画が活気付いた。

2010年代後半

2015年バック・トゥ・ザ・フューチャー Part2で描かれた未来の年には、を飛びこそしなかったものの、ハリウッド大作が相次いで開された。

ターミネーター:新起動/ジェネシス」「ジュラシック・ワールド」「スター・ウォーズ フォースの覚醒」といった一度はシリーズ終了と思われた作品が次々復活した洋画の当たり年であった。
また、ダニエル・クレイグジェームズ・ボンドシリーズが「007 スペクター」にて一応ストーリー完結をみることとなったが、後任者は未だ発表されておらず、続投説も聞かれる。

一方で翌2016年邦画の当たり年となり、2004年以来12年ぶりの復活となったゴジラ映画の『シン・ゴジラ』が開。
監督エヴァンゲリオンシリーズ庵野秀明とあって、開前から期待と不安双方の意見が聞かれたが、結果的に「やっぱり霞を食ってるようなのはヤバいな」と、数々の賞レースを総なめにし、出演俳優は軒並み売れっ子になったほか、FINAL WARSで一度は死んだシリーズ復活させたとして、新生ゴジラ復活は大いに歓迎された。
さらに、ゴジラの翌にはアニメ映画記録を大きく塗り替えることになった『君の名は。』が開。
当初は全く宣伝らしい宣伝もなされていなかったが、口コミで人気爆発し、1000万人以上もの観客動員を記録した。また、輸出も行われを越えてのヒットとなったが、娯楽作ゆえにゴジラとは対照的に賞レースにはあまり恵まれず、アカデミー賞ノミネートも選外だった。

2017年ディズニー実写版美女と野獣」の大ヒットに加え、これまたシリーズ復活作となった「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」などがヒット
このほか、ミニオン人気の高い「怪盗グルーのミニオン大脱走」も開。
また、前年の「君の名は。」のヒットあやかろうとアニメ映画も数多く製作され、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「ひるね姫 ~知らないワタシの物語~」「夜明け告げるルーのうた」「きみの声をとどけたい」「メアリと魔女の花」などシリーズものでない単発オリジナルアニメ映画開されている。この中にはルーのようにアヌシーアニメーション映画グランプリを獲得するような評価の高い作品があった一方で、行的に失敗したものもあり、まさしく群雄割拠となっていた。

さらに、前年に復活したゴジラは「GODZILLA 怪獣惑星」というアニメ映画シリーズで再びスクリーンに帰って来た。

2018年には、5年ぶりのシリーズ第2作となる「パシフィック・リム:アップライジング」が開。再び人類とKAIJUとの闘が描かれた。このころには3D映画以上の仕掛けを施した4DXMX4Dといった開形態も増えている。
また、4月にはスティーヴン・スピルバーグ監督久々SF映画レディ・プレイヤー1」が大ヒット記録。劇中ではガンダム RX78-2 vs メカゴジラ対決も描かれ大いに観客を沸かせた。

2019年は、洋画では「アナと雪の女王2」「アラジン」「トイ・ストーリー4」、邦画では「天気の子」が開され大ヒット。「アベンジャーズ/エンドゲーム」に至っては世界の歴代行収入1位となった。この数々の大ヒットにより、日本の年間行収入・入場者数は過去最多を記録した。

2020年代

2020年1月に「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」が開されヒット。このまま明るい新年を迎えるかに見えたが、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) が流行したことで、洋画邦画問わず次々と上映延期、もしくは配信に切り替わってしまう。4・5月には緊急事態宣言があったこともあり、映画館閉鎖されたことで、映画の上映がストップしてしまい、映画界では暗の年となってしまった。
再開後は、洋画では「パラサイト 半地下の家族」「TENET テネット」、邦画では「今日から俺は!!劇場版」「コンフィデンスマンJP プリンセス編」がヒット記録したものの、様々な大作が開を取りやめたは大きく、昨年と較して入場者数は落ち込むことになった。
そんな中で10月開されたアニメ映画劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」は、テレビアニメの単なる続編(しかも深夜アニメ)・閑散期での開と言う不安要素があったにも関わらず、開最初の3日間で動員342万人、行収入46.2億円と言う桁違いの記録叩き出すと、そのままわずか約2ヶ行収入300億円を越える大ヒット。そのまま、日本の歴代行収入1位を塗り替えてしまった。映画館にとっては同作のは大きく、救世主のような扱いをされることになった。

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映画史

8 ななしのよっしん
2014/05/24(土) 23:57:06 ID: v+znVVSZqM
これくらい主観的なほうが面いよね
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9 ななしのよっしん
2014/05/25(日) 00:01:17 ID: FmFUSyOBVi
タイタ○ニック
隠せてねぇww
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10 ななしのよっしん
2014/06/19(木) 14:06:46 ID: WxT64knGwB
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11 ななしのよっしん
2016/03/09(水) 19:42:49 ID: UIQT/Di4vp
この記事はまったくアテにならない。「映画史を作った30本」の方がかに参考になるわ
http://www7.plala.or.jp/cine_journal/dvd/classic.htmlexit
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12 ななしのよっしん
2016/03/09(水) 19:47:53 ID: K5p6jbb0C8
ちょっとおもしろかったけど個人ブログでやれ
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13 ななしのよっしん
2016/12/30(金) 19:25:50 ID: leKI7L4i9K
ゴジラ生まれたあたりから急にアテにならないぞこの記事
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14 ななしのよっしん
2018/05/29(火) 22:40:50 ID: YkNVvG1Di4
映画史なんて単ダブりはないかと思いきや、ゴダールの「映画史」という映画があるんだよねえ。
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15 ななしのよっしん
2019/03/13(水) 21:06:42 ID: T4oh799YCf
60年代までなら映画史ゆらぎはないとも言えるが、それ以降はアメリカ以外でも産業としての映画が急成長するからご勝手にでいいと思う。
文学と同じくジャンル映画も今や当たり前だもんな。
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16 ななしのよっしん
2019/03/13(水) 23:27:11 ID: 0Z4Sy+AUIf
映画史ゆっくり解説動画とかあってもいいと思うんだけど、一つもないのは過ぎる
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17 ななしのよっしん
2022/06/21(火) 19:17:55 ID: wqP1AFpBlS
>>16
以前は結構あったけど軒並み消されたんよ(もちろん著作権関係で)
それを見越して自削除する投稿者も多かったし
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