種子島宇宙センター(Tanegashima Space Center/TNSC)とは、鹿児島県熊毛郡南種子町(種子島南端)に存在するロケット打上げ施設である。
今後の打ち上げ予定 |
令和5年度以降 |
未定 H3 |
令和6年度以降 |
H3 |
施設概略
九州大隅半島の南の沖合に浮かぶ種子島、その種子島の南東端の海岸線(北緯30度24分 東経131度25分)に種子島宇宙センターは存在する。
種子島宇宙センターは宇宙航空研究開発機構(JAXA)により運用・管理された、日本国内に存在する人工衛星が打ち上げ可能な発射場2つのうちの一つ。
豊かな緑の丘とマリンブルーの海、サンゴ礁と遊泳可能な白い砂浜に囲まれた種子島宇宙センターは『世界一美しいロケット発射場 』としての呼び声が高い。
また種子島宇宙センター内を走る道路は島民が生活道路として使うごく普通の一般道として機能しており、種子島宇宙センターの入口もただ石造りの看板があるだけでゲートが存在せず、「気付けば敷地内を走っていた」というくらい世界的にも珍しい開放的な施設である。
敷地面積9.7平方キロメートルの種子島宇宙センター(ちなみにNASAのケネディー宇宙センターは567平方キロメートル、カザフスタン共和国(旧ソ連)のバイコヌール宇宙基地は約5,000平方キロメートル)内には打ち上げに必要な施設のほかさまざまな施設が存在する。
整備・発射施設(射場)
ロケットが飛び立つ場所。JAXAでは大きなエリアを指して「射場」、各発射地点を指して「射点」という言葉を使用している。
射場はロケットを据え付けるための発射台、ロケットに電源や燃料を打上直前まで供給する各供給施設と供給ライン(アンビリカル)、ロケット本体や搭載衛星(ペイロード)を最終的に組み上げる組立棟、ロケット打ち上げまでの一連作業から打上指令や爆破指令などといった 打ち上げに関する指揮・管制業務が行われる管制棟(ブロックハウス)、気象観測装置や避雷針、衝撃緩衝施設(散水機、ブロック塀など)で構成される。
種子島宇宙センターには大型・中型ロケットを打ち上げる「大崎射場」と小型・気象ロケットを打ち上げる「竹崎射場(射点)」が存在する。
大崎射場
種子島宇宙センターにある二つの岬のうち北側の大崎海岸一帯をエリアとする射場。
NASDAが初めて人工衛星を打ち上げたのもこの射場(1975年9月9日 N-I F1 きく1号)。
N-I 以降のNASDA、JAXAの主だったロケットがこの射場から飛び立った。
- 吉信射点(第1射点 LP-1、第2射点 LP-2)
H-II、H-IIA、H-IIB用の射点。現在種子島宇宙センターではここの射点のみが運用されている。
吉信射点はさらに二つの射点に分かれており、ともに大型ロケット組立棟(VAB)につながっている
- 第1射点
吉信射点が運用され始めたH-II 時代からある射点。
H-II 時代はこの射点とVAB間約500mのロケット移動は射座点検塔(PSD)という櫓に囲われフェアリングを搭載していない状態でレールの上を90分かけて移動、射点上でロケット本体とフェアリングが結合されたのちにPSDが両開きに開放されロケットが射出されるという手順だった。
PSDを使用しないH-IIAになってからは射点に避雷針兼気象観測用の鉄塔が2本設置されPSDの扉を取り除かれた本体部分が「まあ邪魔にならないし」というわけで解体費用節約と緩衝装置として射点に残された。(2011年1月にPSDの残した部分も解体完了)。…が、解体したものは島外に持ってく船賃までは残念ながら工面できないので大崎射点付近へしばらく野積み状態に。 - 第2射点
H-IIAに移行してから、ロケットの2基同時運用や増強型の運用を視野に入れて整備された射点。
VABから途中て右側に折れた所にある。はじめからH-IIAとその強化型(但し、当初の増強案は廃止されH-IIBがそれに替わる)専用に設計されており、H-IIBはこちらの射点からのみ打ち上げられる。2個同時運用を視野に入れていたものの実際にこちらの射点が使われたのはH-IIB 試験機からだったり…。
H-3もこちらの射点から打ち上げる計画である。 - VAB
ロケットを組み上げる巨大な施設。
屋上まで80メートル(内部エレベーター13階+階段4階分)の高さがある。H-IIA移行に伴いVAB内でフェアリングを接合する点と2基同時運用を考慮して増設、H-II 時代から床面積が倍くらい、高さが10メートルほど大きくなっている。
ロケットが射点に向けて搬出される際に通るVABの大扉は引き戸としては世界一の大きさ(高さ67.5m、幅27.0m、厚さ2.5m、重さ400トン/枚。2005年ギネス認定)であり、関係者はその引き戸からVABを別名「世界一巨大な物置」と呼んでいるとか。大扉側に人間が出入りするための扉はない。開き方として「吊り下げ式」「観音開き式」も検討されたが前者は重量が後者は駆動装置の複雑さがそしてともに台風に対する強度の問題から現用の「引違い式」を採用。普段閉まっているときは複数の大きなフック状のロックが掛かっている扉だが、開閉するときは「さくらさくら」の音楽と共に扉の中にある油圧モーターによって10分以上の時間をかけて開閉する。 - 移動発射台(ドーリー)
PSDの代わりとしてH-IIAからVAB~射点間のロケット運搬を行う車両。ドーリーは台車の意味。
全長25.4m、全幅3.3m、全高3.44m、車高調整0.6m、自重150トン。2台一組で運用されマフラーの付いている向きで右左専用車両がある。
射点までの経路に埋め込まれている磁石とレーザーによる測位とコンピューター制御によって正確に射点まで発射台を移動させる。2 列2組14軸合計56輪のウレタンソリッドタイヤは2台で1,300トンの重量を支え、時速2キロ(空荷なら4キロ)で20分かけて射点まで移動する。2機の発電用ディーゼルエンジンと油圧装置で構成されていて電気モーターで走行。走行モードは自動・半自動・手動の選択ができる 。ステアリングは各車輪があらゆる方向に向くことが可能な事で前後走行・横行・斜行・定地旋回と、あらゆる方向に走れ、最小回転半径は 10m。
2018年にはH-3用の新型ドーリーが開発導入された。 - 発射管制棟
VABの隣に併設されている地下に造られた施設。
ここでVAB内での組み立て管理、カウントダウン、打上、打上後2段目までの管制を行っている。
管制室の座席は4列あり前列から大まかに電気系、燃料系、地上系、気象系・監督を担当。また管制室の後ろには管制室を望む形て部屋があり、打上時にはここに椅子を使った急ごしらえのベッドと点滴用のフックを用意して医療が控える。開発初期のなかなかオンタイムで事が進まなかった頃は疲れ果てた職員が医療班控室にこっそり点滴を受けに来ることもあったとか…
爆発やガス発生の危険性が高い立地のため、施設は12mの地下に掘られ、地上部は厚いコンクリートで覆い、重厚な扉やガスマスクの 設置された脱出ルートなどが備わっている。
H-IIA強化型運用を想定した際さらに爆破による損害性が高まったため管制施設をH-II 時代より掘り下げたりしている。なお旧管制室は2018年現在物置になっているとか。
- 第1射点
- 大崎射点
Q'ロケット(ETV)、N-I、N-II、H-I、およびJ-I といった中型ロケット用の射点。
巨大な鉄の骨組みが格子状に組まれた構造物の中型ロケット組立棟(MST)が特徴。ロケットはこのMSTの中で組み上げられ、発射前に MSTが射点からロケット本体と発射支持塔を残して100m移動し打ち上げる仕組み。
NASDA初、そして種子島宇宙センター初の衛星「きく1号」はこの大崎射点からH-I ロケットによって1975年9月9日に打ち上げられ、以来1996年2月12日のJ-I ロケット(ペイロードはHYFLEX)を打ち上げるまで計27機のロケットがここから飛び立った。そのほか1998年11月にはH-IIAのSRB-A分離試験もここで行われている。
GXロケットもこの射点を利用する計画であったが、GXロケットの計画が消滅したため、長らく射点の利用法も決まらず放置据え置かれていたが、23013年6月に 解体するにも解体費用もさることながら解体した鉄骨を再利用出来る状態に加工するために九州本島に輸送する船賃もバカにならないため解体したくても解体出来なかったが、やっと解体予算が付いたことにより解体が始まり8月にはMSTが引き倒され、いまはほぼ更地となっている。
MSTは設計上は50年耐える造りをしていたのだが、海風が強く構造物全体にさびが発生し、末期にはJAXAに組織移転した後も残る『NASDA』のプレート文字のうち最後の『A』の一部が落下してしまい『NASD/ 』となってしまった姿が時の流れと哀愁を感じさせていた…。
竹崎射点(射場)
種子島宇宙センターにある二つの岬のうち南側の竹崎海岸にある射場。
種子島宇宙センターの歴史はこの竹崎射場とともにはじまった。1968年9月にSB-IIA型ロケット9号機を打ち上げて以来、この地から「SBロケット」「LS-Cロケット」「NAL-16ロケット」「NAL-25ロケット」「SCロケット」「JCRロケット」「LCロケッ ト」「MT-135」「TT-210ロケット」「TT-500ロケット」「TT-500Aロケット」「TR-Iロケット」「TR-IAロケット」など小型の実験用・気象観測用・宇宙材料実験用ロケットを合計94基打ち上げる。
建物の中にランチャーが格納されておりロケット発射時にそのランチャーがロケットを搭載した状態で外に移動する仕組み。
現在は役目を終え、格納庫のシャッターやランチャーは錆をたたえつつも種子島宇宙センターの歴史を静かに語り続けている。
試験・組立施設
種子島宇宙センターでは打上業務のほかに、地上でのロケット燃焼実験やロケットに搭載する前の衛星の最終調整も行っている。
但し、ロケット燃焼実験については新規設計のロケット運用の予定がないこと、内地の宮城県角田市の「角田宇宙センター」と秋田県能代市の「能代ロケット実験場」に(そのほか秋田県大館市田代には三菱重工業株式会社の)燃焼実験施設があるなどの理由でセンター内のこれら試験施設はしばらく活動を停止していたが、イプシロンロケットやH-3ロケットなど次世代ロケット開発がはじまるとこれら施設も再び活用されるようになった。
液体エンジン燃焼試験場
液体ロケットエンジンの燃焼実験を行うための吉信射点に併設された施設。
ここで一定時間ロケットを運転させてみて、推力などの各種数値データ、異常燃焼や振動が無いか、各種機構は正常に作動してるかなどの状態を組み込み前に試験している。
燃料タンクの付いた櫓にロケットは下向きに据え付けられ、深さ20mの溝(煙道)に向けて燃焼される。
1985年に設計が開始され、1989年5月に第1回目のLE-7エンジンの燃焼試験を開始して以来、H-II 1段目エンジン「LE-7」、H-IIAおよびH-IIB 1段目エンジン「LE-7A」の燃焼試験を、合計255回、3万秒以上にわたり実施してきた。
開発や組み込み前の燃焼実験は前述の通り他の場所で行われるようになったがH-3ロケット用のLE-9開発では当燃焼試験場も運用されるようになる。
燃焼試験を行う場合、組み上げとバラしにそれぞれ3日ほど必要とするためお盆や年末年始に近い日に燃焼実験が組まれると担当職員は慌ただしくなる日程に少し憂鬱になるとかならないとか。
竹崎地上燃焼試験場(固体ロケット試験場)
ロケットの第一段部分に取り付けられている固体燃料のブースターの燃焼試験を行うため竹崎射場の北に設置された施設。通称「竹崎地燃」。
「SOB(固体補助ブースター。N-I からH-I まで使用)」「SRB(固体ロケットブースター。H-II で使用)」「SRB-A(H-IIAおよびH-IIBで使用)」の燃焼実験に使われ、2009年11月11日にH-IIA用のSRB-A3の燃焼試験以来当地での燃焼試験が行われていなかったが、H-3ロケットの開発が始まると当施設も固形ロケットブースターの開発試験に携わることになった。
衛星組立棟 (STA)
VABよりさらに内陸に入ったところにある施設。
種子島宇宙センターから打ち上げる為に、筑波宇宙センターおよび相模原の宇宙開発研究所さらには世界各地から送られてきた衛星がここで最終的に組み上げられ最後の整備と試験が行われる。
第1衛星組立棟を第2衛星組立棟があり、第1が重さ500kg程の小型衛星(「旧ひまわり」など)の為の組み立て施設、第2がトンクラスの大型衛星(「みどりⅡ」「だいち」「こだま」など)の為の組み立て施設となっている。…が 「あかつき」(518kg)も第2衛星組立棟で組み立てたりしているので案外設備や機能の古い/新しいくらいの違いしかないのかもしれない。 第1組立棟は大崎射場で一番古い建物である。
衛星フェアリング組立棟 (SFA)
衛星組立棟(STA)よりさらに内陸にある施設。第1と第2がある。
STAで組み立てられた衛星がここで燃料を入れられ、ロケット最上部に当たるフェアリングに収められる。
衛星はここでフェアリングに収められたら打ち上げられるまで外の風景を見ることはなく、次に外の風景を見るときは宇宙空間に居る時となる(正確には上昇中の空気の影響を考慮しなくてもよくなった所でフェアリング解放されるため「宇宙空間」というには微妙なところだか)。
また、今まで衛星開発にかかわってきた人たちにとってここで衛星の姿を見ることは2度とできなくなるため、人によっては「娘を嫁に出す心境」になるとか。
観測・管理施設
打ち上げた後のロケットや衛星を追跡・運用するための施設。
基本的にロケットの打上観測で種子島宇宙センターが行っているのは打ち上げ直後までで、その後ロケットの追跡は父島(東京都)の小笠原追跡所によるレーダー精測とテレメトリー受信、クリスマス島およびサンパウロの地上局によるテレメトリー受信に引き継がれる。
打上後の衛星の管制も種子島宇宙センターでは行わず、各衛星を開発した機関の担当施設(筑波宇宙センターや相模原キャンパスなど)が行っている。
総合指令棟 (RCC)
打ち上げに関係する各責任者が詰め、準備・発射・追跡に関する決定が行われる場所。竹崎側の丘に設置。
射点に併設されている発射管制棟が前線指揮所とするなら、こちらは総司令部といったところか。
隣に事務本部が隣接している。
打ち上げ中継の時にJAXA理事などがモニターを見つめ打ち上げ成功時に握手を交わしてるのはここ。
光学観測所
打上最初期の低高度はレーダーを使用した追跡が安定しないため、高度200kmまでは光学観測にてロケットを追跡する。
種子島宇宙センターには広田光学観測所(吉信射点北西2.3km)、竹崎光学観測所(吉信射点南3.3km総合指令棟内)、門倉光学観測所(吉信射点南西10.2kmの門倉岬)が設置されている。
レーダー局
レーダー波によってロケットの飛行位置を測定する施設。
種子島宇宙センターには。増田宇宙通信所、宇宙ヶ丘追跡所、大崎の3つの地区に冗長系を形成するように設置されている。
テレメーター局
ロケット加速度、圧力、温度等の各種データ(テレメーター)を受信し、ロケットの飛行状態監視とデータ記録を行う。
宇宙ヶ丘追跡所と増田宇宙通信所の2つの地区に設置。
増田宇宙通信所
種子島宇宙センターの敷地内ではなくその北側にある中種子町に1974年に開設されたロケット追跡用の施設。ロケットからのテレメータを受信したりレーダーやレーザー光を使用してロケットや衛星のの位置を測定したり、HTV(みちびき)を打ち上げる前にはここの施設から近傍通信システムの検証をしている。
衛星分離後は種子島上空をめぐる人工衛星のテレメーターを受信し、衛星運用施設からの指令送信中継を行っている。
広報施設
報道機関のための施設や種子島宇宙センターに来場した一般人の為の施設も敷地内には用意されている。
施設の充実度で内之浦宇宙空間観測所との間にかなりの格差が…。ISAS(涙)
竹崎展望台
吉信射点から南に3.6kmの海岸に設置された報道機関用の展望台。
最上階には雛段が設置されここから射点の模様を中継するほか、建物内部にはは記者会見室、打上げ視察者・広報班員等の控え室、プレスルーム、時刻表示装置、写真現像用暗室、電話回線が装備されている。
打ち上げ時にここに居場所を用意してもらうには「日本少年宇宙団」の打上取材に参加するか(小学校4年生~高校3年生を対象)、取材団体としてJAXAに申し込む必要があり、取材以外の観光目的や個人名義では不可。かつては科学技術庁の記者クラブに所属する報道機関か雑誌協会に所属する出版社(いわゆる「大名取材」)のみがこの場所に席を得る権利を持っていたのだが、近年では宇宙作家クラブやニコニコ生放送における「宇宙コミュニティ」による取材等、かなり間口が広がった。
一般人への打ち上げ時の竹崎展望台招待を望む声もあるが、これについてNASDA時代に「特殊法人の予算を一部の観光目的への対応に使うことは政府が認めないと思われる」という考えが出されており、認められる可能性は低い。
打ち上げ時以外の普通の日は屋上のひな壇に自由に入ることができる。打ち上げ後に行くと手すりや床に養生テープで場所取りをした後があちらこちらに残されているのを見ることが出来る。もうちょっとくらい片づけていこうよー(汗)。また、1階部には隣に広がる竹崎海岸での遊泳者の為に更衣室と水しか出ないシャワーが用意されている。
昔、某朝の連続テレビ小説でヒロインがロケット打ち上げをどうしても見たくて展望台の隣にある漁港から強襲上陸して竹崎展望台から打ち上げを見物するシーンが放映されたが、もちろん打上前は周辺地域及び海域は安全の為封鎖されるため、同じことをやろうとすればとっつかまって打上も見れずに説教食らうことになると思われる。
ロケットヤード
吉信射場への入口ゲート脇の建物の中には直前の機体の打ち上げ失敗により打ち上げがキャンセルされたH-Ⅱ7号機(機体本体、液体エンジン、衛星台座、フェアリング)や海上から回収されたフェアリングの一部が保管されており、バスツアーでそれらを公開している。
宇宙科学技術館
内部はロビーエントランスを挟んで入口左に常時JAXA制作の映像コンテンツを流しているシアターと売店(改装時に軽食堂はなくなり替わりに外の景観を見ながら喫食が出来るテーブルと電子レンジであっためる軽食パック(ニチレイの自販機で売られているものと同等)と電子レンジが置かれている)、右手が2階建ての展示コーナーになっており、1階に日本が今まで扱ってきたロケットエンジンや衛星(海外で使われたロケットの実物モデルは改装と共に展示がなくなる)、今まで実施してきたミッションに関する展示。2階に国際宇宙ステーション(ISS)に関する展示とゲーム(ロケット設計ゲーム、軌道上での加減速と高度の関係の理解に役立つISS接近ゲーム、頭上のISS模型を利用したISS接合ゲーム、など)やクイズで宇宙に関する知識を学べるコーナーが用意されている。ゲームコーナーには大抵子供が張り付いていますが礼節ある大人の皆さんはおとなしく席が開くのを待ってあげて適度に次の方に譲ってあげましょう。施設は立派で展示物の大型のものが多いので迫力がある。
ただし内容はごく一般向けに設定されているので内之浦の宇宙科学資料館のような『濃さ』には欠ける。
施設内の射点や管制棟をめぐるツアーの集合場所でもある。(ツアー参加には事前の電話申し込みが必要)
- 開館時間
9:30~17:00(7~8月は9:30~17:30) - 休館日
毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日。8月は原則無休)
年末年始(12/29~1/1)
ロケット打ち上げによるエリア閉鎖期間中
施設案内ツアー
種子島宇宙センターの中をバスに乗って見学するツアーを行っている。1日3便。
「ロケットの丘展望所」「ロケットヤード」「吉信射点」「総合司令棟」を1時間15分で巡る。
吉信射点ではバスから下車はできず望遠機能を使った撮影・見物は出来ないので注意。
その他景勝スポット
以上のほかに、JAXAの業務施設とは一切関係がない名所が施設内には存在する。
ロケットの丘展望所
竹崎射場と大崎射場を結ぶ道路の中ほどに作られた展望所。
ここより射場が一望でき、吉信射点におけるロケット射点移動の際にはその様子を見ようと人が集まる場所である。(ロケット打ち上げ時は閉鎖エリアの中に入るため、ここからの打ち上げ見物は不可能)
カーモリの峯展望所
宇宙科学技術館の隣にある「カーモリの峯」にある展望台。カーモリとは種子島の方言で「家に帰ったか」の意味。
山頂までに3つの展望台があり、第1展望台からは宇宙科学技術館脇のNLVロケットを見越して竹崎射点や大崎射場が、第3展望台からは白い砂浜の先に続く門倉岬や遠くに屋久島を望むことができる。
竹崎海岸
種子島宇宙センターの南端に広がる海岸。
竹崎展望台から東側の海岸は遊泳が可能であり、南の島特有の鮮やかな海にたゆたいながら遠くに見える射場の風景眺める贅沢ははここでしか味わえない。
また海岸線の東の端は砂浜が海に突き出た特殊な地形をしており、そこから見るほぼ全景が海の風景は非常に感慨深い思いを与えてくれるだろう。その前にそこまでの道中で見ることになる海岸に打ち上げられた大量の流木やらゴミに別の感慨深い思いを持つかもしれないが…。
歴史
種子島の産声 ~種子島宇宙センター開設と漁業問題~(1966年~1968年)
1966年(昭和41年)、科学技術庁 宇宙開発促進本部(NASDAの前身)は、1963年から1965年まで使用してきた防衛庁新島試験場(東京都新島)に替わる新しい打ち上げ拠点として、打ち上げに有利な低い緯度の南方にあって、周囲に海が広がり、国有地が多い場所の選定を開始する。
選定にあたっての考慮条件は以下のとおり。
- 南・東向けの発射に対して陸上、海上、航空の安全に支障がないこと。
- 日本領内でできるだけ赤道に近いこと。
- 沿岸漁業者との干渉ができるだけ少ないこと。
- 必要な用地面積が早期に入手でき、かつ土地造成が容易なこと。
- 通信、電力、水源が確保できること
- できるだけ交通が便利で、人員、資材、機材の輸送がしやすいこと。
- 人口の密集した地帯からなるべく遠いこと。
当時はまだ沖縄や小笠原が日本に返還せれておらず、その時の国土の南西端にほど近い種子島と奄美諸島が主な候補地として挙げられた。しかし奄美大島にはハブが生息しており実際に工事が始まると工事に携わる人が噛まれ開発推進が困難になりかねない可能性が浮上。一方、種子島にはマムシはいるがハブはいない。そういったわけで実地調査は種子島を対象に行われることになる。
1966年4月から種子島に調査団は入り、その結果、南種子町竹崎地区が同年5月に選定された。(ちなみに東大の糸川博士も秋田県道川海岸実験場からのロケット打ち上げ場移転選定の際、種子島を来訪し、門倉岬の近くを候補の一つに考えていた。)
当時の鹿児島県議会議長が「鹿児島県に飛来した金の鳥」というほど、おおむね受け入れる鹿児島県、種子島側も受け入れることによって過疎化抑制と産業育成がもたらされるとして意欲的ではあったが、そこに当時種子島周辺の漁場で盛んだったカツオの一本釣り漁への影響に対する問題が立ちはだかる。
1966年6月に宮崎県漁連会長が科学技術庁長官にロケットの漁業への影響に隈する照会文書を提出してから話はもつれにもつれ、隣県の鹿児島県・愛媛県・高知県・大分県・島根県(のちに外れる)の漁業組合を巻き込み、内之浦からの打ち上げや自衛隊の訓練飛行にまで影響を及ぼす大規模な反対運動にまで発展する。実は事の発端は「漁業権をよく知らない国が鹿児島県にだけ建設の挨拶に伺い、宮崎県漁連に挨拶に行く必要はないと思っていたため」という泣くに泣けない笑うに笑えない理由だったり…。
この影響で同年11月に予定されていた第1回ロケット発射実験が大きく延期。さらに1967年3月にはLS-Cロケットの打上げ実験を阻止しようと竹崎海岸の沖合を漁業船が囲む事態に。結局、漁業船の見守る中、交渉如何では打上げが可能なように準備されていたロケットは打上げシーケンスの確認だけで終る結果となった。
「打ち上げ施設建設反対」まで姿勢を硬化させる漁業関係者に対し、宇宙開発促進本部の職員たちは粘り強く1年にわたる交渉を続け、結果「その年の打ち上げ計画の事前協議を行う」「ロケット打ち上げは漁業に支障のない夏と冬の各45日,合計90日間(のちに130日プラス特別枠60日)に限定する」「年間発射機数の制限」「国は漁業者に必要な補償(施設設備の整備)をおこなう」という条件で両者は合意するに至る。
こうして1966年9月17日に起工した竹崎の整備は1968年7月に完了。種子島宇宙センターがここに開設された。開設当初に存在した施設は、竹崎海岸の砂浜に道を拓き海辺と裏山の丘陵を切り開いて作られた「発射司令塔」とLS-Cロケットのための「発射台」と「ブロックハウス」、 その周辺の砂浜にある小型固体ロケット用の掘っ立て小屋の「整備室」と、砂地を砂利で固め荒縄で区切った「小型固体ロケット射点」などであった。当時は夏の台風や冬の季節風などでLS-Cロケット発射台の軌道は砂に埋もれ毎日のように職員総出で除去作業を行っていたという。
同年9月17日、気象観測用SB-IIA型ロケット9号機が種子島から飛び立つ最初のロケットとして飛翔した。
打上年 | 打上日 | 打上ロケット | 搭載衛星 | 射点 |
1968年 (昭和43年) |
9月17日 | SB-IIA 9号機 | (高層気象観測 ) | 竹崎 |
9月19日 | LS-C-D 1号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
9月 | NAL-16H 1号機 | (技術研究) | 竹崎 |
さらに大きく ~Q計画、新N計画と大崎~(1968年~1984年)
宇宙開発推進本部は日本の独自開発したロケット運用を目指し、固形ロケットと液体ロケットの多段式大型ロケット開発計画「(旧)N計画」とその事前技術試験用小型ロケット開発計画「Q計画」を発表。(ちなみにN計画のNはNipponのNである。)
種子島宇宙センターもその計画実現のために、固体モーター燃焼実験場とQロケット組立棟(第1組立棟)を切りに設備整備を1968年から開始する。
1969年10月1日、すったもんだの末に装いも新たに宇宙開発促進本部は宇宙開発事業団(NASDA)に改組され、種子島宇宙センターはロケット開発・打ち上げの最前線拠点として引き続き運用される。
1970年、NASDAのロケット開発路線がアメリカの横やりによりそれまでの日本の独自開発路線からアメリカからの技術導入に大幅転換され、「(旧)N計画」「Q計画」は廃止、「新N計画」へと移行する。
それに伴い種子島宇宙センターの整備計画も新N計画で打ち上げるQ'ロケット(ETVロケット)用に見直しが迫られたがQ計画用に整備されていた施設を有効活用する形でこれに対応した。
こうして大崎射場の第1次整備は始まるのだが、ここで新たな問題が待っていた。用地収用問題である。
種子島宇宙センター建設に当たって国有地が多い地域を選んだことは先に述べた通りだが、それでもなお保安用地として収用すべき半径2.2kmの区域内には地権者数 数百人、筆数 千数百、面積二百数十万平方メートルに及ぶ民有地と、大崎集落の全世帯(13世帯)、宇都浦集落の一部(5世帯)が存在していた。
NASDAはこれらの交渉担当として職員から4名、用地買収専門業者から5名を交渉にあたらせた。
大崎集落での交渉では、測量を認めることは買収に同意することにつながると反対意見が出たりもした。集落の住民が日中農作業で出払っているため夜に集落に伺い、そこで担当職員が集落につくと集落の責任者がホラ貝を吹いて皆を集めて交渉が始まるため担当職員は最初面くらったという。
また民有地の接収交渉では登記簿上の所有者とと現所有者が長い年月の中で変わってしまっている場合が多く、まずは登記簿を最新の状態に直す必要に追われ、時にはかつての所有者を移住先のボリビアまで追いかけることもあった。
こうした根気強い交渉により土地収用は進み、1971年3月には大崎集落全世帯の移転が完了。宇都浦集落の5世帯も移転を終わらせた。宇宙開発促進本部の職員たちは彼らへの感謝の気持ちを忘れぬよう、集落にあった恵比寿神社がセンター内に移設され、大崎集落があった場所(現在の大崎射場から300m離れた所)には記念碑が設置された。
用地収用にめどがついた1972年から大崎射点の整備が本格化。1974年の打ち上げに受けて急ピッチで工事が進められる。
Q'ロケット打ち上げ直前の1974年、保安用地にかかる町道平山~宇津浦線の廃止が「不審者の侵入防止(時は左翼過激派運動が問題視される時代であった)」を理由に持ち上がるが、宇津浦集落の住民からは「生活が不便になる」「平和利用のはずの場所になんで不審者が来るとじゃ」と猛反対が出る。
1974年から始まったいざこざはQ'ロケット打ち上げまでにはおさまらず結局N-I ロケット打ち上げをも通り越して1976年の町議会決議における賛成反対同数による議長決議による廃止決定まで持ち越すことになり、その後の「ゲートのない平素は通行自由な世界一開かれた発射場」につながることになる。
色々ありながらも大崎射点は無事完成。1974年9月2日にはQ'ロケット1号機を大崎射点初のロケットとして、1975年9月9日にはN-I ロケットをNASDA初の人工衛星搭載ロケットとして打ち上げた。
竹崎から大崎へ、LS-CロケットからNロケットそしてH-I ロケットへの過渡期には、新しい施設への対応や打ち上げ隊の急激な増加(7~80名→200名に。机が足らなくロケットなどを梱包してた木箱から急きょ作って対応)、組織や管理体制・米国式作業方式への見直しなど、非常に慌ただしい状況にスタッフ皆が放り込まれたが、「走りながら考える」精神で乗り越えたという。それで大崎射点発のロケットで大きな失敗は全27基(Q' 2基、N-I 7機、N-II 8基、H-I 9基、J-I 1基)中、N-I 5号機の1回だけというすさまじいというかなんというか…。
1969年 (昭和44年) |
1月 | SB-III 10号機 | (高層気象観測) | 竹崎 |
NAL-16-31D | (技術研究) | 竹崎 | ||
2月 | NAL-25 31号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
LS-C 1号機 | (技術研究) | 竹崎 | ||
SC 1号機 | 竹崎 | |||
SC 3号機 | 竹崎 | |||
SC 4号機 | 竹崎 | |||
9月 | NAL- 16-1 | (技術研究) | 竹崎 | |
SBIIA-9 | (高層気象観測) | 竹崎 | ||
LS-C- D | (技術研究) | 竹崎 | ||
SB-II 11号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | ||
LS-C 2号機 | (技術研究) | 竹崎 | ||
JCR 1号機 | (技術研究) | 竹崎 | ||
JCR 2号機 | (技術研究) | 竹崎 | ||
NAL 7号機 | (技術研究) | 竹崎 | ||
1970年 (昭和45年) |
2/1 | JCR 3号機 | (技術研究) | 竹崎 |
2/3 | LS-C 3号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
9/4 | JCR 4号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
9/7 | NAL7BS 8号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
9/7 | NAL7BS 9号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
9/9 | LS-C 4号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
1971年 (昭和46年) |
2/1 | JCR 5号機 | (技術研究) | 竹崎 |
2/3 | SB-ⅢA 12号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
2/3 | SB-ⅢA 13号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
9/6 | SB-ⅢA 14号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
9/10 | LS-C 5号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
9/11 | SB-ⅢA 15号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
9/17 | JCR 6号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
1972年 (昭和47年) |
2/2 | MT-135P.T 1号機 | (高層気象観測) | 竹崎 |
2/6 | JCR 7号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
2/7 | MT-135P.T 2号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
8/30 | MT-135P.T 3号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
8/30 | MT-135P.T 4号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
9/25 | LS-C 6号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
1973年 (昭和48年) |
2/5 | MT-135P.T 5号機 | (高層気象観測) | 竹崎 |
2/7 | JCR 8号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
2/8 | MT-135P.T 6号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
9/5 | MT-135P.T 7号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
9/5 | MT-135P.T 8号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
9/7 | JCR 9号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
1974年 (昭和49年) |
2/1 | JCR 10号機 | (技術研究) | 竹崎 |
2/2 | MT-135P.T 9号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
2/9 | LS-C 7号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
2/10 | MT-135P.T 10号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
9/2 | ETV(Q') 1号機 | 大崎 | ||
9/3 | MT-135P.T 11号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
9/3 | MT-135P.T 12号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
1975年 (昭和50年) |
1/30 | MT-135P.T 13号機 | (高層気象観測) | 竹崎 |
2/5 | ETV(Q') 2号機 | 大崎 | ||
2/7 | MT-135P.T 14号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
8/17 | TT-210 1号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
9/9 | N-I 1号機 | 技術試験衛星 「きく1号」 NASDA初の人工衛星打ち上げ |
大崎 | |
9/10 | MT-135P.T 15号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
1976年 (相和51年) |
1/27 | TT-210 2号機 | (技術研究) | 竹崎 |
2/29 | N-I 2号機 | 電離層観測衛星 「うめ」 |
大崎 | |
9/23 | MT-135P.T 16号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
9/24 | TT-210 3号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
9/25 | MT-135P.T 17号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
1977年 (昭和52年) |
1/25 | TT-500 1号機 | (技術研究) | 竹崎 |
2/23 | N-I 3号機 | 技術試験衛星 「きく2号」 NASDA初の静止衛星打ち上げ |
大崎 | |
2/24 | MT-135P.T 18号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
8/23 | MT-135P.T 19号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
8/25 | TT-500 2号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
8/26 | MT-135P.T 20号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
1978年 (昭和53年) |
1/16 | TT-500 3号機 | (技術研究) | 竹崎 |
2/16 | N-I 4号機 | 電離層観測衛星 「うめ2号」 |
大崎 | |
2/17 | MT-135P.T 21号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
8/24 | MT-135P.T 22号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
8/25 | TT-500 4号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
8/26 | MT-135P.T 23号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
1979年 (昭和54年) |
1/27 | TT-500 5号機 | (技術研究) | 竹崎 |
2/6 | N-I 5号機 | 実験用静止通信衛星 {あやめ」 衛星と3段目衝突し失敗 |
大崎 | |
2/7 | MT-135P.T 24号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
8/25 | TT-500 6号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
8/27 | MT-135P.T 25号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
8/27 | MT-135P.T 26号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
1980年 (昭和55年) |
1/28 | TT-500 7号機 | (技術研究) | 竹崎 |
2/22 | N-I 6号機 | 実験用静止通信衛星 「あやめ2号」 衛星分離成功するものちに通信途絶 |
大崎 | |
2/23 | MT-135P.T 27号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
9/13 | MT-135P.T 28号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
9/14 | T-500A 8号機 | (技術研究/材料実験) | 竹崎 | |
9/15 | MT-135P.T 29号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
1981年 (昭和56年) |
1/15 | T-500A 9号機 | (技術研究/材料実験) | 竹崎 |
2/11 | N-II 1号機 | 技術試験衛星 「きく3号」 |
大崎 | |
2/12 | MT-135P.T 30号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
8/2 | TT-500A 10号機 | (技術研究/材料実験) | 竹崎 | |
8/11 | N-II 2号機 | 静止気象衛星 「ひまわり2号」 |
大崎 | |
1982年 (昭和57年) |
2/2 | MT-135P.T 31号機 | (高層気象観測) | 竹崎 |
2/3 | MT-135P.T 32号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
8/16 | TT-500A 11号機 | (技術研究/材料実験) | 竹崎 | |
9/3 | N-I 7号機 | 技術試験衛星 「きく4号」 |
大崎 | |
9/5 | MT-135P.T 33号機 | (高層気象観測) | 竹崎 | |
1983年 (昭和58年) |
1/27 | TT-500A 12号機 | (技術研究/材料実験) | 竹崎 |
2/4 | N-II 3号機 | 通信衛星 「さくら2号a」 |
大崎 | |
8/6 | N-II 4号機 | 通信衛星 「さくら2号b」 |
大崎 | |
8/19 | TT-500A 13号機 | (技術研究/材料実験) | 竹崎 |
第3の射点 吉信へ ~吉信射点整備とH-2、H-2A、H-2B~(1984年~現在)
1984年にH-II ロケットの開発研究がスタートしたのを受け、種子島宇宙センターもこのロケットの為の新車点の建設が決定される。
建設予定地は吉信岬。種子島宇宙センターの中で集落から一番離れた場所にある大型ロケットの打ち上げに適した、最高のロケットの為に最後まで残しておいた最高の場所である。
1986年より本格的な工事が開始。途中記録的な豪雨や吉信岬の軟弱な地盤に悩まされつつも1989年には液体ロケット燃焼試験場を完成させる。この燃焼試験場でH-II ロケット用のLE-7エンジンの開発を行いながら他の施設の工事も並行して進めていく。
これまでの大崎射点の施設はアメリカからの技術導入によってつくられたロケットを打ち上げるだけあって、各施設もアメリカのデルタロケット射出場を手本として整備することができたのだが、吉信射点から打ち上げるH-II ロケットは完全国産のロケットであり作業方式や管理体制まで1から構築する必要があった。また吉信射点の為に残された用地は海外の大型ロケット用射点に比べるとあまりにも狭く、求められた打ち上げまでのスケジュールも厳しいものであった。結局1991年までには作業は遅れはしたものの打上計画自体がLE-7エンジンの開発の遅れにより延長されたこともありスケジュールに間に合う形で完成する。
H-II 試験機1号機打ち上げに先立ち、吉信射点では地上試験機(GTV)をつかって整備作業を予習する。これを4年間続けて技術と経験を蓄積し、1994年2月4日H-II 試験機1号機は日本人の期待を背負って無事宇宙へと飛び立った。
新しく運用を開始する施設もあれば運用を終える施設もある。1998年11月19日に竹崎射点がTR-IA 7号機をもって運用を終了。大崎射点も1996年のJ-I ロケット以来ロケット打ち上げ運用を停止している。
吉信射点もH-II からH-IIAへの転換に当たり第1射点の移動整備棟の廃止を決定。2001年のH-IIA打ち上げ前に開閉部を撤去して以来しばらく残されていたが2010年11月11日より残る固定部も解体が始まり、翌年1月には姿を消した。
しかしながら種子島宇宙センターはまだまだ飛躍する。
2001年から整備されていた吉信第2射点が2009年9月11日のH-IIB 試験機より運用開始。2011年4月からは漁業組合との協定が改訂され通年・年17機(内之浦と合算)までの打上が可能となった。
1984年 (昭和59年) |
1/23 | N-II 5号機 | 放送衛星 「ゆり2号a」 |
大崎 |
8/3 | N-II 6号機 | 静止気象衛星 「ひまわり3号」 |
大崎 | |
1986年 (昭和61年) |
2/12 | N-II 7号機 | 放送衛星 「ゆり2号b」 |
大崎 |
8/13 | H-I 試験機1号機 | 測地実験衛星 「あじさい」 |
大崎 | |
フライホイール実験装置 「じんだい」 |
||||
アマチュア衛星(ピギーバック) 「ふじ(1号)」 |
||||
1987年 (昭和62年) |
2/19 | N-II 8号機 | 海洋観測衛星 「もも1号」 |
大崎 |
8/27 | H-I 試験機2号機 | 技術試験衛星 「きく5号」 |
大崎 | |
1988年 (昭和63年) |
2/19 | H-I 3号機 | 通信衛星 「さくら3号a」 |
大崎 |
9/6 | TR-I 1号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
9/16 | H-I 4号機 | 通信衛星 「さくら3号b」 |
大崎 | |
1989年 (平成元年) |
1/27 | TR-I 2号機 | (技術研究) | 竹崎 |
8/20 | TR-I 3号機 | (技術研究) | 竹崎 | |
9/6 | H-I 5号機 | 静止気象衛星 「ひまわり4号」 |
大崎 | |
1990年 (平成2年) |
2/7 | H-I 6号機 | 海洋観測衛星 「もも1号b」 |
大崎 |
進展開機能実験ペイロード 「おりづる」 |
||||
アマチュア衛星(ピギーバック) 「ふじ2号」 |
||||
8/28 | H-I 7号機 | 放送衛星 「ゆり3号a」 |
大崎 | |
1991年 (平成3年) |
8/25 | H-I 8号機 | 放送衛星 「ゆり3号b」 |
大崎 |
9/16 | TR-IA 1号機 | (技術研究/材料実験) | 竹崎 | |
1992年 (平成4年) |
2/11 | H-I 9号機 | 地球資源衛星 「ふよう1号」 |
大崎 |
8/20 | TR-IA 2号機 | (技術研究/材料実験) | 大崎 | |
1993年 (平成5年) |
9/17 | TR-IA 3号機 | (技術研究/材料実験) | 大崎 |
1994年 (平成6年) |
2/4 | H-II 試験機1号機 | 軌道再突入実験機 「りゅうせい」 |
吉信第1 |
性能確認用ペイロード 「みょうじょう」 |
||||
8/28 | H-II 試験機2号機 | 技術試験衛星 「きく6号」 |
吉信第1 | |
1995年 (平成7年) |
3/18 | H-II 試験機3号機 | 静止気象衛星 「ひまわり5号」 |
吉信第1 |
宇宙実験・観測フリーフライヤ | ||||
8/25 | TR-IA 4号機 | (技術研究/材料実験) | 竹崎 | |
1996年 (平成8年) |
2/12 | J-I 1号機 | 極超音速飛行実験 「HYFLEX」 |
大崎 |
8/17 | H-II 4号機 | 地球観測プラットフォーム技術衛星 「みどり(1号)」 |
吉信第1 | |
アマチュア衛星(ピギーバック) 「ふじ3号」 |
||||
9/25 | TR-IA 5号機 | (技術研究/材料実験) | 竹崎 | |
1997年 (平成9年) |
9/25 | TR-IA 6号機 | (技術研究/材料実験) | 竹崎 |
11/28 | H-II 6号機 | 技術試験衛星 「きく7号 (おりひめ/ひこぼし)」 |
吉信第1 | |
熱帯雨林観測衛星 「TRMM」 |
||||
1998年 (平成10年) |
2/21 | H-II 5号機 | 通信放送技術衛星 「かけはし」 2段目燃焼不足により軌道投入失敗 |
吉信第1 |
11/19 | TR-IA 7号機 | (技術研究/材料実験) | 竹崎 | |
1999年 (平成11年) |
11/15 | H-II 8号機 | 運輸多目的衛星 「みらい」 1段目エンジン破損により指令爆破 |
吉信第1 |
2001年 (平成13年) |
8/29 | H-IIA 試験機1号機 | 性能試験用ペイロード | 吉信第1 |
レーザ想定装置 | ||||
2002年 (平成14年) |
2/4 | H-IIA 試験機2号機 | 民生部品・コンポーネント実証衛星 「つばさ」 |
吉信第1 |
高速再突入実験機 「DASH」 衛星製作ミスによる分離失敗 |
||||
性能確認用ペイロード | ||||
9/10 | H-IIA 3号機 | データ中継技術衛星 「こだま」 |
吉信第1 | |
次世代型無人宇宙実験システム 「USERS」 |
||||
12/14 | H-IIA 4号機 | 環境観測技術衛星 「みどりⅡ」 |
吉信第1 | |
小型電磁圏・プラズマ圏観測衛星 (ピギーバック) 「FedSat」 |
||||
鯨生態観測衛星(ピギーバック) 「鯨太くん」 |
||||
小型実証衛星(ピギーバック) 「マイクロラブサット1号機」 |
||||
2003年 (平成15年) |
3/28 | H-IIA 5号機 | 情報収集衛星光学1号機 | 吉信第1 |
情報収集衛星レーダ1号機 | ||||
11/29 | H-IIA 6号機 | 情報収集衛星光学2号機 | 吉信第1 | |
情報収集衛星レーダ2号機 | ||||
SRB-A1分離失敗により指令爆破 | ||||
2005年 (平成17年) |
2/26 | H-IIA 7号機 | 運輸多目的衛星 「ひまわり6号」 |
吉信第1 |
2006年 (平成18年) |
1/24 | H-IIA 8号機 | 陸域観測技術衛星 「だいち」 |
吉信第1 |
2/18 | H-IIA 9号機 | 運輸多目的衛星 「ひまわり7号」 |
吉信第1 | |
9/11 | H-IIA 10号機 | 情報収集衛星光学2号機 | 吉信第1 | |
12/18 | H-IIA 11号機 | 技術試験衛星 「きく8号」 |
吉信第1 | |
2007年 (平成19年) |
2/24 | H-IIA 12号機 | 情報収集衛星レーダ2号機 | 吉信第1 |
情報収集衛星光学3号機 | ||||
9/14 | H-IIA 13号機 | 月周回衛星 「かぐや」 |
吉信第1 | |
2008年 (平成20年) |
2/23 | H-IIA 14号機 | 超高速インターネット衛星 「きずな」 |
吉信第1 |
2009年 (平成21年) |
1/23 | H-IIA 15号機 | 温室効果ガス観測技術衛星 「いぶき」 |
吉信第1 |
オーロラ撮像・アウトリーチ衛星 (ピギーバック) 「かがやき」 |
||||
テザー宇宙ロボット技術実験衛星 (ピギーバック) 「空海」 |
||||
マイクロスラスタ3軸姿勢制御実証衛星 (ピギーバック) 「輝沙」 |
||||
地球観測衛星(ピギーバック) 「ひとみ」 |
||||
雷観測衛星(ピギーバック) 「まいど1号」 |
||||
コンポーネント技術実証衛星 (ピギーバック) 「小型実証衛星1型」 |
||||
9/11 | H-IIB 試験機 | 宇宙ステーション補給機 「こうのとり(1号機)」 |
吉信第2 | |
11/28 | H-IIA 16号機 | 情報収集衛星光学3号機 | 吉信第1 | |
2010年 (平成22年) |
5/21 | H-IIA 17号機 | 金星探査機 「あかつき」 |
吉信第1 |
小型ソーラー電力セイル実証機 「IKAROS」 |
||||
技術試験衛星(ピギーバック) 「しんえん」 |
||||
技術試験衛星(ピギーバック) 「WASEDA-SAT2」 |
||||
水蒸気観測衛星(ピギーバック) 「ハヤト」 |
||||
技術試験衛星(ピギーバック) 「Negai☆”」 |
||||
9/11 | H-IIA 18号機 | 準天頂衛星 「みちびき」 |
吉信第1 | |
2011年 (平成23年) |
1/22 | H-IIB 2号機 | 宇宙ステーション補給機 「こうのとり2号機」 |
吉信第2 |
9/23 | H-IIA 19号機 | 情報収集衛星 光学4号機 | 吉信第1 | |
12/12 | H-IIA 20号機 | 情報収集衛星 レーダ3号 | 吉信第1 | |
2012年 (平成24年) |
5/18 | H-IIA 21号機 | 第1期水循環変動観測衛星 「しずく」 |
吉信第1 |
韓国多目的実用衛星 「KOMPSAT-3」 打上業務民間委託初の商業受注衛星 |
||||
技術実証衛星(ピギーバック) 「小型実証衛星4型」 |
||||
技術試験衛星(ピギーバック) 「鳳龍弐号」 |
||||
7/21 | H-IIB 3号機 | 宇宙ステーション補給機 「こうのとり3号機」 |
吉信第2 | |
2013年 (平成25年) |
1/27 | H-IIA 22号機 | 情報収集衛星 レーダ4号 情報収集衛星 光学5号機実証衛星 |
吉信第1 |
2014年 (平成26年) |
2/28 | H-IIA 23号機 | 全球降水観測計画主衛星 「GPM主衛星」 |
吉信第1 |
可視光通信実験衛星(ピギーバック) 「ぎんれい」 |
||||
テザー宇宙ロボット技術実験衛星2号機(ピギーバック) 「源内」 |
||||
微生物観察衛星(ピギーバック) 「TeikyoSat-3」 |
||||
ネットワーク衛星(ピギーバック) 「結」 |
||||
超小型衛星(ピギーバック) 「こすもず」 |
||||
芸術衛星(ピギーバック) 「INVADER」 |
||||
気象観測衛星(ピギーバック) 「ハヤトⅡ」 |
||||
5/24 | H-IIA 24号機 | 陸域観測技術衛星2号 「だいち2号」 |
吉信第1 | |
超小型実証衛星(ピギーバック) 「SPROUT」 |
||||
超小型地球観測衛星(ピギーバック) 「雷神2」 |
||||
超小型衛星(ピギーバック) 「UNIFORM-1」 |
||||
小型実証衛星(ピギーバック) 「SOCRATES」 |
||||
8/4 | H-IIB 4号機 | 宇宙ステーション補給機 「こうのとり4号機」 |
吉信第2 | |
10/7 | H-IIA 25号機 | 静止地球環境観測衛星 「ひまわり8号」 |
吉信第1 | |
12/3 | H-IIA 26号機 | 小惑星探査機 「はやぶさ2」 |
吉信第1 | |
深宇宙通信実験機(ピギーバック) 「しんえん2」 |
||||
深宇宙彫刻(ピギーバック) 「DESPATCH」 |
||||
超小型深宇宙探査機(ピギーバック) 「PROCYON」 |
||||
2015年 (平成27年) |
2/1 | H-IIA 27号機 | 情報収集衛星 レーダ予備機 | 吉信第1 |
3/26 | H-IIA 28号機 | 情報収集衛星 光学5号機 | 吉信第1 | |
8/19 | H-IIB 5号機 | 宇宙ステーション補給機 「こうのとり5号機」 |
吉信第2 | |
11/24 | H-IIA 29号機 | カナダTelesat社 通信放送衛星 「Telstar 12 VANTAGE」 初の商業衛星打上業務受注 |
吉信第1 | |
2016年 (平成28年) |
2/17 | H-IIA 30号機 | X線天文衛星 「ひとみ」 |
吉信第1 |
放電実験衛星(ピギーバック) 「鳳龍四号」 |
||||
小型衛星(ピギーバック) 「チューブサット2」 |
||||
小型衛星(ピギーバック) 「チューブサット3」 |
||||
11/2 | H-IIA 31号機 | 静止地球環境観測衛星 「ひまわり9号」 |
吉信第1 | |
12/9 | H-IIB 6号機 | 宇宙ステーション補給機 「こうのとり6号機」 |
吉信第2 | |
2017年 (平成29年) |
1/24 | H-IIA 32号機 | Xバンド防衛通信衛星2号機 「きらめき2号」 |
吉信第1 |
3/17 | H-IIA 33号機 | 情報収集衛星 「レーダー5号機」 |
吉信第1 | |
6/1 | H-IIA 34号機 | 準天頂衛星システム 「みちびき2号機」 |
吉信第1 | |
8/19 | H-IIA 35号機 | 準天頂衛星システム・静止衛星 「みちびき3号機」 |
吉信第1 | |
10/10 | H-IIA 36号機 | 準天頂衛星システム 「みちびき4号機」 |
吉信第1 | |
12/23 | H-IIA 37号機 | 気象変動観測衛星 「しきさい」 |
吉信第1 | |
超低高度衛星技術試験機 「つばめ」 |
||||
2018年 (平成30年) |
2/27 | H-IIA 38号機 | 情報収集衛星 光学6号機 | 吉信第1 |
6/12 | H-IIA 39号機 | 情報収集衛星 レーダ6号機 | 吉信第1 | |
9/23 | H-IIB 7号機 | 宇宙ステーション補給機 「こうのとり7号機」 |
吉信第2 | |
10/29 | H-IIA 40号機 | 温室効果ガス観測技術衛星2号 「いぶき2号」 |
吉信第1 | |
アラブ首長国連邦地球観測衛星 「ハリーファサット」 |
||||
災害監視・天然資源観測衛星(ピギーバック) 「DIWATA-2B」 |
||||
地球低軌道環境観測衛星(ピギーバック) 「てんこう」 |
||||
天体観測・無線技術実証衛星(ピギーバック) 「stars-AO」 |
||||
通信・撮影・電磁波調査衛星(ピギーバック) 「AUTcube2」 |
||||
(搭載延期となったプロイテレス-2の代替模擬重量物) | ||||
2019年 (平成31年/令和元年) |
9/25 | H-IIB 8号機 | 宇宙ステーション補給機 「こうのとり8号機」 |
吉信第2 |
2020年 (令和2年) |
2/9 | H-IIA 41号機 | 情報収集衛星 光学7号機 | 吉信第1 |
5/21 | H-IIB 9号機 | 宇宙ステーション補給機 「こうのとり9号機」 |
吉信第2 | |
7/20 | H-IIA 42号機 | アラブ首長国連邦 火星探査機 「Hope」 |
吉信第1 | |
11/29 | H-IIA 43号機 | データ中継衛星1号機 | 吉信第1 | |
2021年 (令和3年) |
10/26 | H-IIA 44号機 | 準天頂衛星システム 「みちびき初号機後継機」 |
吉信第1 |
12/23 | H-IIA 45号機 | イギリス 通信衛星 「Inmarsat-6F1」 |
吉信第1 | |
2022年 (令和4年) |
- | - | (実績なし) | |
2023年 (令和5年) |
1/26 | H-IIA 46号機 | 情報収集衛星 レーダ7号機 | 吉信第1 |
3/7 | H3 試験機1号機 | 先進光学衛星 「だいち3号」 2段目不点火により指令爆破 |
吉信第2 |
地理的な制約はあるものの、これからも種子島宇宙センターは日本の宇宙への最前線基地として重要なポジションにあり続けるだろう。
打上見学
一生のうち一度は本物の宇宙ロケットの打ち上げを生で見学したいもの。海外に行かなくても国内で見る事が出来るならなおさらですよね?
しかしながらどうすれば見ることができるのか解らない人も多いはず。
そんなこれから種子島までロケット見学に行ってみたい人たちのためになるかちょっと怪しい情報を参考までに記載します。
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この項目は、初版編集者が古い記憶をもとにとりあえず書いてます。 より正確・明確な内容になるよう。加筆、訂正な どをして下さる協力者を求めています。 |
![]() |
この項目は、古い情報を含んでいる可能性があります。 実際に種子島を訪れる際は最新の情報に元づいて行動計画を作成してください。 |
打上日の情報収集と日程設定
まずは何が無くともロケットの打ち上げ予定日を知る必要があります。しかも出来ることならなるべく早く。
これを知らなければ旅行計画を練ることすら出来ないのはもちろんですし、早ければ早いだけ島に入る方法や移動手段、そのほかの計画の策定に自由度が増えます。
打上予定日の情報はこちらの「SPACEFLIGHT NOW」という海外の宇宙開発ニュースサイトが参考になります(launch scheduleのページは→こちら
)。JAXAの公式発表より若干速かったりします。
見学の為に何日予定を空けるのがベストかなのですが、種子島と居住地までの移動時間を除いて―――
- 入島から現地や見学場所視察、および射点移動を見るための1日(Xday-1)
打上当日は安全の為に6時間前から打上後安全が確認されるまで射点を中心に半径3kmが立ち入り禁止になります(種子島宇宙センター内を見られる時間が減る)。また見学場所はその多くがやや辺鄙な場所にあり場所が分かり辛いうえに大変混雑しますので、早いうちに場所の確認と入場を済ませておくと安心です。さらに島に入る手段も天候や航路の都合により欠航・遅延しやすいため、そうすると打上当日に島に入るのは非常にリスクが高いと思われます。
打上約13時間前からロケットがVABから射点へ引き出され始める「射点移動」というイベントがありますのでここは余裕を持って1日前に種子島に入れる予定をたてましょう。 - 打上当日、離島(Xday)
- 打上が延期された場合の燃料抜き取り&再充填にかかる日数(Xday+2)
ロケット打ち上げは配線や配管・通信機器などのトラブルや上空の天候により延長されやすいです。また打ち上げる衛星の目的(投入軌道)によって打上が可能な日にちや時間帯(ランチウィンドウ)が限定されていたりします。
すぐに解決できる問題でランチウィンドウに余裕があるなら数時間の打上延長で済むのですが、そうでない場合は打ち上げ延期となり安全と絶えず蒸発する燃料の節約のため燃料を抜いてVABに再格納されます。そうなると中2日は打上再準備に掛かります。さらにランチウィ ンドウ次第では延期される日数がさらに伸びる可能性もあります。
せっかくなので種子島宇宙センタ内ツアーや島自体の観光に充てる時間と考えて後ろにも十分な余裕を作ってしまいましょう。夏なら海水浴やサーフィン(種子島は日本有数のサーフィンの名所)を楽しむのも手ですし南の島特有のゆったりと流れる時間感覚はただそこで過ごすだけで日ごろのストレスを解消してくれることでしょう。もし正常に打ち上がったらこの余暇を利用してちょっと内之浦まで足を延ばしてみるのもいいかもしれません。
というように最低2日、出来れば4日以上島内で過ごす時間を予定しておくことをお勧めしたいです。
打上を実施するかどうかは打上前々日の15時までに決定されるので、各予約のキャンセルはこの情報を目安にしましょう。予定通り実施されることを祈ってください。
入島手段
沖合の離島である種子島に行く方法は、必然的に空路か海路のみとなります。
これらは一度の輸送量や就航本数が限られるうえ、打上見学に挑む人で帰省ラッシュ以上に混雑し、天候や航路の状況に左右されやすく、打上を見学できるかどうかはほぼこの入島手段を確保できるかどうかにかかっていると言えるでしょう。
空路
- 鹿児島空港→種子島空港
片道35分 1日5便(発着時間は月によって異なる→こちらのページから最新情報をチェック)
価格 大人12,600円(通常価格)5,800~8,500円(先特割引) ※2011年2月現在
所要時間…◎ 価格…×~○ 空席度…× 変更の自由度…× 欠航率…中
予約方法…ネット予約可
日本エアコミューター(JAC)が運航している航空便。かつては大阪伊丹空港からの便もあったのですが廃止になり、現在は鹿児島空港からの便のみ就航しています。就航機種はSAAB340B(席数36)。ジェット機にはない低空の外の景色を見られるのもこのルートの魅力です 。
ただでさえ輸送力に乏しいうえ、打ち上げ直前は打上関係者を含めたたくさんの人が殺到するためこの輸送手段を選択する際は早い予約が必須です。まれにキャンセル空席が発生しますがそれは『奇跡』です。あてにしない方がいいでしょう。
早めの予約になるので先特割引が必然的に適用できますが、これを適用すると、もしも打ち上げが延期された場合の航空チケットキャンセルに420円+運賃の50%のキャンセル料がかかる点に注意が必要です。
また自動的に島内の移動手段を現地で確保しなくてはならない点においても、やや使い勝手が難しいところといえるでしょう。
海路
- 高速船(トッピー/ロケット) 鹿児島本港南埠頭→(指宿港→屋久島)→西之表港
片道1時間30分 1日9便(2社合わせて)就航
(発着時間は月にry→こちらと→ こちらの
ページから最新ry)
価格 大人6,000円(片道) 10,600円(往復) ※2011年2月現在。サーチャージ変動有り
所要時間…○ 価格…○ 空席度…△~○ 変更の自由度…○ 欠航率…高
予約方法…電話予約・ネット予約可(両社とも)
種子島屋久高速船が運航している水中翼船。時速80kmで鹿児島と種子島を結んでいます。トッピーのうち1便は指宿と屋久島を経由します。席数は247~260。
便数が比較的多く座席数も多いため、予約なしでも朝から粘ればなんとか乗れます。
値段も航空便より安めで使い勝手がいいように思えますが、難点もあります。
一つが「手荷物が15kgまでで、3辺の長さの合計が115cm以内のものしか持ち込めないこと」。自転車やバイクの積み込みはできませんし重装備の持ち込みもできません(大抵のものは西之浦市内で買えますが)。
もう一つが「欠航。遅延が多いこと」。水中翼船の性質上、航路上に何かあるとすぐ欠航・遅延します。波が高いと欠航。クジラが現れると欠航。流木があると欠航…。これに泣かされた見学者がかなり居ます。
あと、こちらも現地で移動手段を確保する必要があります。
- カーフェリー(はいびすかす/プリンセスわかさ) 鹿児島谷山港七ツ島埠頭→西之表港(栄町)/鹿児島港南埠頭→西之表港(西町フェリーふ頭)
片道3時間30分 1日1便(はいびすかす)1日1便(プリンセスわかさ)
価格 大人3,200円+燃料油価格変動調整金~(はいびすかす)
4,000円+燃料油価格変動調整金~(プリンセスわかさ)
その他詳しい料金はこちらを参照→はいびすかすプリンセスわかさ
所要時間…△ 価格…◎ 空席度…車両× 旅客○~△ 変更の自由度…未調査 欠航率…中
予約方法…電話予約・ネット予約可(はいびすかすは車両のみ予約可)
鹿児島商船(はいびすかす)とコスモライン(プリンセスわかさ)が運航しているカーフェリー。かつては宮崎港からの航路がありましたが今は廃止されています。
種子島に自前の移動手段を持ち込む予定の人は必然的にこちらの移動手段になります。車を乗船させたい人は1か月前から受け付けている予約に申し込む必要があります(はいびすかすは車及びバイク先着10台)。また車1台につきドライバー1名が乗船できます。また旅客輸送船ですのでドライバー以外の同乗者も一緒に移動する際に非常に便利です。
フェリーなので安く、ゆったりした気分で種子島にわたることができるのも、この手段の魅力でしょう。はいびすかすは就航のいきさつと改装の関係で貨物船乗船気分を味わえる迷船としてその方面では有名です。
はいびすかすの乗船場が南埠頭/フェリーふ頭ではないので注意してください。
- 貨物船(新さつま丸/新種子島丸) 鹿児島谷山港→西之表港
片道3時間30分
運航日、運賃等は運航会社まで直接お問い合わせください。詳しくは→こちら
所要時間…△ 価格…4m12,960円 5m16,740円~ 空席度…未調査 変更の自由度…未調査
欠航率…未調査 予約方法…電話予約のみ
共同フェリー運輸が運航する貨物船。貨物船なので人だけの乗船はできません。車(自動車・バイク)と自動車を運用する人1名だけが乗船できます(バイクの乗員は別の手段を用意しなくてはならない)。種子島へ渡る手段のある意味裏技的存在。
あくまで貨物輸送がこの船の目的の為、休憩スペースのサービス面には期待しないでください。
バイク搭乗者及び車両運用者のほかに同行者がいる場合には、ほかの入島手段を探す必要があります。
運航している日としていない日があるので注意が必要です。(HPには書かれていませんが、記憶ではたしかそうだったはず)
また乗船口が鹿児島本港でない点も注意してください。
近くの漁師に頼み込んで種子島まで連れてってもらう超荒業。今まで何度も手段の一つとして想定はされつつも実施したものがいないとされていましたが、噂ではH-ⅡB1号機打ち上げの際、鹿児島~種子島航路上に流木が漂流し高速船が軒並み欠航した時にチャーターに成功したという猛者が現れたとか…。
方法 | メリット | デメリット | 注意点 |
航空便 | 早い 遠方からの乗り継ぎに便利 |
料金が高い 席が少ない 移動手段確保が必須 |
欠航に注意 |
高速船 | やや早い 席が多い |
持ち込める荷物が少ない 移動手段確保が必須 |
欠航に注意 |
フェリー | 大人数の移動に有利 車・大量の荷物を持ち込める 料金が安い |
便数が少ない 遅い 車乗船枠が少ない |
|
貨物船 | 車・大量の荷物を持ち込める | 便数が少ない 人一人しか乗船できない 遅い |
運航日の確認が必須 |
漁船 | 多分安い 欠航に強い |
何もかもが不確定 移動手段確保が必須 |
島内の移動手段
南北に約50キロある種子島。種子島宇宙センターはその南端に存在し、島の入口である種子島空港は島のほぼ中央、西之表港に至っては北の外れに位置します。つまり何かしらの移動手段は必須になります。
方法としては「持ち込み(自動車・バイク)」「レンタカー」「公共バス」「タクシー」「自転車(持ち込み・レンタル)」「便乗(ヒッチハイク)」が考えうるでしょう。
持ち込み(自動車・バイク)
島外から自前の自動車またはバイクを持ち込む方法です。
必然的にカーフェリーか貨物船で種子島に入る必要に迫られますが、行きたい所にいつでも行けるため自由度が高く、多くの荷物を島外から持ち込み運用できるメリットもあります。
デメリットとしては居住地から鹿児島まで運転が必要なこと。種子島に渡る船の予約の空きが少ないこと。同じ苦労を行きと帰り2回味わう事などが挙げられるでしょうか。
予算面ではガソリンが本土より1割ほど高めの値段になっているのでその点注意が必要です(思った以上に島内を移動することになるので1回は島内で燃料補給することになる可能性が高いです)。
あと島内の店舗全般に言えることですが、閉店時間が本土に比べ早いのが基本です。24時間開いているガススタンドはもちろんないですし西之表市内でも19時には開いているガススタンドが無くなってしまいます。燃料の残量には注意してください。
レンタカー・レンタバイク
西之表市内および種子島空港周辺にあるレンタカー会社から車を借り受ける方法です。
入島手段に縛られることなく島内で自由な移動手段を手に入れられるのが最大の売りです。
デメリットはJAXAの視察関係者を含めたくさんの人がこのレンタカーを狙っているため予約の空きが少ないことでしょうか(但し、島内には全国チェーンのレンタカー会社から個人経営のレンタカー会社まで結構な数の取り扱いがある上に噂では打上特需を狙って事前に本土から空車を移送している店もいるらしいので飛び込みでも探せば与えられる車種や状態に難がある可能性大ですが空きがあったりします。もちろん保証の限りではありませんので事前の予約が一番確実です)。
予約は1年前から受け付けているところもあります(お店の人の話によると打上見学をしたついでに1年先までの予約をしていく客も実際に居るとか…)。
注意点は上記の「持ち込み(自動車・バイク)」に準じます。
予約につきましてはこちらのパンフレット(PDF形式)に電話番号一覧及び取扱台数が掲載されていますので是非ご利用下さい。
公共バス
島を結んでいるバスを利用する方法です。
非常に移動コストが安いのがメリットです。
但し、島での行動をバスの運行時刻に左右されるうえ本数も多くはなく(記事初版制作者はレンタカー会社が拾ってくれなければ当時稼働していた旧種子島空港で2時間以上放置プレーに遭うところでした)、行ける場所も限定され、種子島・屋久島交通の路線バスが廃止され大和バスのみとなった今日ではこの方法で種子島宇宙センターに行くことができません。 大和バスとコミュニティバスが乗り入れるようになりました。
路線・および時刻表につきましては南種子町役場の→こちらのwebページや個人で運営している観光案内サイト「ふるさと種子島
」の→こちらのページ
に詳しいので是非ご利用ください。
(ちなみに公式打上見学場所の一つ「長谷公園」は長谷バス停から南東約1kmのところにあります)
タクシー
種子島で営業しているタクシーを利用する方法です。
お金次第で行きたい所に連れて行ってくれるほか、打上見学場所や外食事情など現地の人しか知らない情報にも精通している可能性が高いため、種子島での旅を豊かなものにしてくれるかもしれません。
ただ、最大の問題がこの方法にかかる費用です。とある旅サイトからの参考価格になりますが、距離計算ではなくタクシーを使った観光タクシーというのがあったりしまして、南種子町~門倉岬~宇宙センター~千座の岩屋~種子島空港3時間小型タクシー貸切コースが14,400円という価格設定になっていたりします。もちろん距離計算の普通のタクシーが同コースを走った時にこの値段になるわけではありませんが、種子島では思ったよりも広い場所を移動することになるので、タクシーをメインに使うと結構な費用を使うことになると思われます。
タクシーを使うなら公共バスで行ける所まで行って、そこから行けないところに行くのにタクシーを使うというのが賢い使い方かもしれません。
島内のタクシー会社の電話番号一覧がレンタカーのところにも記載したこちらのパンフレットに載っていますのでご利用ください。
自転車
島外からの持ち込み、もしくは宿などで貸し出している自転車を利用する方法です。
高速船以外の手段で(輪行袋を利用すれば手荷物として)持ち込みが可能であり、宿から借りる場合も安価、もしくは無料で利用できる点は非常に有利な点だと思われます。
問題は島内の移動距離です(西之表市街~種子島宇宙センター 片道約50km)。また種子島は基本的に高い山が無い地形をしていますが、特に島の北半分と種子島宇宙センターがある南種子町は大きな丘クラスの起伏がたくさんあります。スポーツサイクルとそれに乗りなれている人ならむしろ楽しめますが、ママチャリor折り畳み小径車と自転車に乗りなれていない人にとっては少しきついかもしれません。
また全ての宿が自転車を貸し出しているわけではないので注意してください。
便乗
他の打上見学者と合流したり、島の住民に車に乗せてもらう方法です。
南の島の特有のおおらかさや同じイベントを楽しむ者同士という親密感からか、車に同乗させてもらえる可能性は低くないように思われます。(ちなみに初版編集者は旧種子島空港→西之表市と長谷→当時非公式だった恵美之江展望所まで現地の方の車に乗せていただく機会があり、長谷~恵美之江展望場間を一人同乗させました)
但し、必ず同乗させてくれる人がいる保証があるはずはもちろんありませんし、金銭を要求されるなど犯罪に巻き込まれる危険が決してないわけではありませんので、この手段に最初から頼るのはよした方が賢明かもしれません。
もし捕まえるとするなら西之表港ターミナルや種子島空港、各打上見学場所やロケットの丘展望所、宇宙科学技術館などが捕まえやすいポイントでしょう。
方法 | メリット | デメリット | 注意点 |
持ち込み | 自由度が高い | 入島手段が限られる | 島内のガソリン代 |
レンタカー | 自由度が高い | 空車がない可能性がある 費用が高い |
島内のガソリン代 |
公共バス | 費用が安い | 自由度が低い 種子島宇宙センターに行けない |
|
タクシー | 自由度が高い | 費用がとても高い | |
自転車 | 移動が不便 | ||
便乗 | すべてが不確定 |
宿泊
日程設定の項目でも述べた通り、打上見学には数日種子島にとどまることをお勧めします。
そうなると必要になるのが泊まる場所。
手段としては「宿を借りる」「車中泊・野宿」が考えられるでしょう。
宿を借りる
種子島島内にあるホテルや民宿に部屋を借ります。
しっかり休息でき、食事の確保も容易な点で優れています。
島南部の宿泊施設は打上関係者によってほとんど抑えられてしまいますが、空港周辺や西之表市内の民宿なら飛び込みでも空きがある可能性があります。(その分移動に手間がかかりますが)
また、現地に居を構える方と親しくなって家に泊めてもらうことも出来なくはないでしょう(初版制作者も丁重にお断りしましたが勧められたことがあります)。但し、この方法も移動手段の便乗と同じくいろんな問題を有していることに注意してください。
名前を告げるだけですべてが通じる定宿を持つようになれば、あなたも立派な打上ジ ャンキー打ち上げ見物常連者でしょう。
島内の宿泊施設については各市や町の公式webページ内に連絡先一覧がありますのでご利用ください。
車中泊・野宿
宿を借りるのではなく、自前の宿泊手段を持ち込む方法です。
宿泊にかかる費用がかからない点がこの方法の一番のメリットです。(場所によっては無料)
種子島の海岸線と公式見学場所の一つ「宇宙ヶ丘公園」にはキャンプ場やモーターキャンプ場が存在します。
(自然レクリエーション村、宇宙ヶ丘公園、前之浜海浜公園は無料。前之浜京浜公園は7~9月は有料という情報もありますが、2001年9月に訪れた際そんなことどこにも書いてなかった気が…。管理棟なんてない所だし…。あれ?)
ただ、1~2日なら疲れませんが、3~4日と車中泊やテント暮らしが続くと非常に疲れがたまってくる点がやや不便でしょうか。または蛇や本土の何倍も強烈な蚊が発生する可能性がありますので注意が必要です。
また冬場は種子島もかなり冷え込みますのでその点も注意してください。
- 浦田キャンプ場(西之表市)
- 自然レクリエーション村 キャンプ場 (中種子町)
- 宇宙ヶ丘公園キャンプ場(南種子町)
- 前之浜海浜公園キャンプ場(南種子町)
(外部リンクが付加された項目はすべて「MAPPLE観光ガイド」へリンクされています)
見学場所・見どころ
見学場所
種子島に入ることも出来た。移動方法も寝る場所も確保した。さあ後はどこで一大イベントを体感するかです。
とりあえず種子島内と鹿児島本土の南方からなら、ほぼどこでも上昇するロケットを望むことは可能です(ぶっちゃけ種子島に渡れなくても見ることは不可能ではない)。
しかしながら飛び上がる(リフトオフ)瞬間と、この世で人間が生みだす最高の推力が発する音、そして強力な力で地球の引力を振り切って登っていくロケットの勇姿をより良い環境で目の当たりにしたいのはもちろんのことと思います。
そこでJAXAと南種子町は、比較的射点に近くて見晴らしのいい場所4か所を公式一般見学場所として用意しています。これらの場所ではカウントダウンが臨時に設置されたスピーカーから聞くことができます(それ以外の場所では自分で打ち上げまでの時間を計るしかない) 。
- 宇宙ヶ丘公園(射点より7.2km)
レクリエーション施設やキャンプ施設が併設された比較的大きな公園。
トイレや水の便も整備されており、場所も分かりやすい所にあるのが良い。
難点は射点からかなり遠いこと、駐車場がやや手狭で混雑すること、ベストビューポジションが公園向かいの展望台(ここからのみ射点がしっかり見える)だがそこは非常に狭くそれ以外の場所では発射直後の姿を望むのは難しいことだろうか。 - 前ノ峯グラウンド(射点より7.2km)
南種子町中心部に近い所にある広場。
街の中心部に近いため食料や飲料水の確保に不便はないのが良い。
難点は射点からかなり遠いこと、射点との間に丘があるため発射直後の姿は見えないこと、夜間の打ち上げの際はここでの公式案内はないこと。(つまり「見ること」に絞って言えばあまりいい場所ではない) - 長谷展望公園(射点より6.5km)
南種子町中心部より北のサトウキビ畑の中にある広場。
他の公式見学場所に比べ広くて射点に近く、ロケットも一番下のノズルが整備棟に隠れるものの打ち上がり始めからブースター分離まで好条件でのぞむことが可能な場所である。
難点は住宅地から離れた所にあるため飲料水や食料の補給が難しいこと、トイレが1つしかないこと。 - 恵美之江展望公園(射点より3.1km)
種子島東岸の岬に拓かれた広場。
射場北側の規制エリアギリギリに存在し、打ち上げ見学常連からは「打ち上げを最も近くから見られる場所(マスコミ用の竹崎展望所より近い!)」として知られていた非公式な私有地を、2014年から南種子町が公式の見学場所として整備した。 すぐ近くには「恵美の湯」という温泉宿が有る。
難点は完全な森の中にありしかも水道やトイレが整備されていないため食料や飲料水およびトイレの準備が必須なこと(仮設トイレは町で用意される模様)、好条件な場所に(公式化されたことで)大量に人が押し寄せることが予想されかなり早い時間で入場規制がかかる可能性が高いこと、情報収集衛星打ち上げ時には見学できない可能性があること。
そのほかにも公式には案内されてはいませんがいくつもの良好な観測ポイントが存在します。直接射点を望めないならロケーションを優先するのも手です。そのうち私有地や道路わきなど「人が集中すると危険や問題が発生しかねない場所」を除いていくつかご紹介します。(射点までの近さに目がいきがちですが、ある程度離れた方が航跡を追うのが容易です。)
紹介できない場所も、地元の方や何度も見学に訪れているの人の間では有名な場所だったりしますので、現地での親睦を得るのも兼ねて訪ねてみてはどうでしょうか?
- 七色坂観望所(射点より10.5km)
種子島宇宙センターの南西、門倉岬の近くの高台にある広場。
白い海岸線とその先に見える宇宙センターという景色は見事なロケーションといえよう。 - 前之浜海浜公園(射点より8.5km)
宿泊の項でも名前を挙げた種子島宇宙センターと門倉岬の間にある浜辺に面する公園。
敷地内にある小山状の滑り台から望む景色はなかなかのもの。 - 南種子町上里地区展望スペース(射点より4.5km)
種子島宇宙センターの西に位置する上里地区に存在する広場。
非常に狭いが射点を望むことが可能。 - 天女ヶ倉公園(射点より39km)
種子島で唯一地図上に名前の載る山「天女ヶ倉」にある展望公園。
射点から非常に遠いがロケットが昇る姿を遠くから追うことで上昇コースがよくわかり、ここからの見学者も多い。
見どころ
- 現地での打上見学のだいご味は何と言っても「音」。射点から離れた分遅れて届く音の波を全身で浴びてください。
- 初めて見学される方はカメラ撮影を忘れて直接目で上昇するロケットを追う事をお勧めします。ぜひ裸眼で追う事でロケット打ち上げのみに集中し、普段の生活やカメラのレンズ越しでは感じることが難しい空の高さと奥行きを感じてみてください。きれいな写真は上手な人が後でちゃんとネットにUPしてくれます。
- 雲が無ければ裸眼で固形ロケットブースター分離、さらに運が良ければ望遠鏡越しに1段目分離まで追うことが可能です。これらの実行予定時間は前もってJAXAが発表する飛行計画書の中に記載されていますので、打ち上げ直後の感動に震えるのもいいですが、どこまでロケットを追えるかストップウォッチ片手に挑戦してみるのも良いかもしれません。
- もし余裕があれば南種子町中心部に打上前と打上後に来てみてください。ここら辺一帯には打ち上げを応援する横断幕や看板などが掲げられ、打上前と打上成功後でメッセージが変えられています。また上里交差点
は島間港で荷揚げされたロケット本体が種子島宇宙センターまで運ばれるルート上にあり 、コンテナがぶつからないように信号機が折り曲げられる構造になっています。ぜひそれも見てみてください。
その他注意
- 種子島にある金融機関は基本的に地方銀行・郵便局・農協・漁協です(西之表市にあるファミリーマートのATMも鹿児島銀行)。しかも平日17:00&日曜日には郵便局や農協の支局はATM窓口も閉まってしまいます。お手持ちのキャッシュカードが利用できるのか確認の上(ちなみにじぶん銀行は種子島では使えません)、「お金は下ろせるときに下ろす。ガソリンは入れられるときに入れる」を心がけると身動きが取れなくなる危険性は格段に減る事でしょう。
- 島の外から観光客がどっと来ると、支払いに万札が使われる場面が増え、結果島内に流通する少額貨幣が不足する"コミケで万札支払いされるような状態"が一部の店で見受けられるそうです。ですので可能であれば出発時に用意するお土産予算は万札でなく千円札で用意しておくとお店の人に喜ばれるかもしれません。
- 打上見物場所などにおいて見物客によるマナーの低下(ゴミの放置、無理な場所取り、器物破損、交通違反、など)が報告されています。楽しい打上見物は地域の人と訪れる人との協力があってこそ成り立ちます。世界一美しいロケット発射場と美しい島・種子島をさらに美しいものにするのは、「あなたの行い」です。
島からの脱出
入島手段に準じます。
ただ、入島時よりも人が集中しやすいですので予約か時間をずらせる余裕があると良いかもしれません。
フィクションにおける種子島宇宙センター及び種子島
- MOONLIGHT MILE - 第1部にたびたび種子島および種子島宇宙センターが登場
- ストラトス・フォー - 第12話に種子島宇宙センターが登場
- 秒速5センチメートル - 第二話「コスモナウト」の舞台として種子島が登場
- ROBOTICS;NOTES - 舞台として種子島が登場
- キャプテン・アース - 舞台として種子島が登場
- アルドノア・ゼロ - 舞台として種子島が登場
- ログ・ホライズン - 「遺跡島ジャクセア」として種子島及び種子島宇宙センターが登場
近年種子島がアニメの「聖地」となっていることを行政も意識しており、聖地巡礼マップなどを観光案内所で配布している。
関連動画
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関連チャンネル 関連コミュニティ
関連項目 関連リンク
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