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南海電気鉄道・南海本線の駅については、和歌山市駅を参照してください。 |
和歌山市とは、和歌山県北西部に位置する自治体。和歌山県の県庁所在地である。
今でこそしがない過疎県の中核市と成り下がっているが、古くから交通の要衝、都への玄関口として繁栄した。
概要
和歌山市は和歌山県の県庁所在地であるが、県の西北端に位置する都市である。位置的には和歌山県北西に位置し、大阪府や海を跨いで兵庫県・徳島県とも接している。和泉山脈を隔て、大阪府と接しているため、交通の便や経済活動は県内では比較的良い。
和歌山市は紀の川の水運と奈良の都への玄関口であったことから、奈良・飛鳥時代から殷賑を極めたといわれている。その名残が市内にある日前国懸神宮の鎮座であり、天照大神を祀る。神宮(伊勢神宮)も一目置くほどの存在であり、朝廷も神位を授けるのを憚っている(こんな神社は伊勢とここだけである)など、伊勢と同格の神社だったのである。奈良の都はこの西の日前、東の伊勢の中間に作られたといわれており、京の都設立にも関与していたとも。
その後和歌山は高野山、熊野、根来などの寺社が強い勢力を握り、戦国時代に支配した大名が現れなかったのも、寺社の力が絶大だったためといわれる。
御三家、紀州徳川家
その後の和歌山市で特筆すべき事項は、江戸時代の御三家、紀州徳川家の城下町としての存在感であろう。
この端緒は、豊臣秀吉の兄弟である秀長が、この地に和歌山城を築城したことによる。和歌山という地名は、当市内の和歌浦と岡山の合成語で、豊臣秀吉が命名。和歌浦は、古代(主に万葉集に詠まれてからの平安時代)からの景勝地。岡山は、和歌山城南に存在する丘を指し、岡山県とは関係ないが、岡山だと地名が被るので和歌山にしたという説は有力である。
江戸時代、紀州は55万石の親藩として繁栄を極め、和歌山は全国で10位以内に入る大都市となった。家康の十男、徳川頼宣が1619年に紀州藩主となったのが始まりで、この和歌山に拠点を設けた理由は
- 経済の都大坂と朝廷のある京都に近く、動向の監視をしやすい場所であったこと
- 西国には島津藩、細川藩、黒田藩など有力な外様大名が多く、監視する場が必要であったこと
- 水運に恵まれている、海峡の入り口など海運交通の要衝であったこと
- 戦国時代に支配階級の大名がいなかったため、国土を統治しやすかったこと
などが挙げられている。つまり、江戸幕府の西の出張所、監視所として重要な役割を担ったのが和歌山だったのである(なお、和歌山から転封となった浅野家は後に広島発展の礎を築く)。そして、和歌山城は立派な連立天守が設けられ、「南海の鎮」と呼ばれた。しかし、当初、頼宣は大阪を希望していたことと、多くの浪人を抱えていたため、その処遇を巡って将軍家と反目していたともいわれる。江戸との関係が密接になったのは8代将軍徳川吉宗が就位してからであり、200余名の藩士が江戸に供奉し、幕臣となった。また、その以後も紀州藩と血の繋がった一橋徳川家から将軍を輩出するようになっているなど、事実上江戸幕府を支配していた。その一方で、たびたび公金拝借(今でいう公的資金)を幕府に求めていたため、紀州藩の幕臣の存在は幕府の財政を度々傾かせる元凶にもなっていたのは事実である。
明治以降、徳川家の末裔は貴族階級となり、多くの文化を東京に遺した。特に、16代目紀州藩当主、徳川頼貞は音楽の殿様とも呼ばれる文化人でもあった(浪費が祟って没落の元凶にもなったのだが…)。また、明治には繊維産業が盛んになり、和歌山市は全国で8番目の大都市として顕著な存在感を呈していた。
戦後の重工業化と衰退
転機を迎えたのが太平洋ベルト構想という国土政策であり、これによって新幹線の通らない和歌山県は太平洋側に面した本州の県で唯一対象エリアから外されてしまった。これが大いに停滞を招くこととなり、他地方の都市にどんどん追い抜かれてしまうのである。それでもまだ、住友金属工業和歌山製鉄所(現在は新日鉄住金)は当時、5基の高炉を稼働させる世界最大級の製鉄所として存在感を呈し、住金の企業城下町として、鉄の町として一定の地位を得ていた。また、戦前から航空潤滑油の供給のため誘致した大日本油脂(後の花王)を軸として、化学産業も盛んに興り、阪神工業地帯の重要都市として存在感を呈した。この花王和歌山工場は世界の花王製品の4割強を占め、パーム油からの中間製品を精製する、花王の心臓部ともいえる基幹工場であり、研究所も工場内に置かれている。
だが、和歌山下津港は10万トンクラスの大型船が寄港できない問題があったため、掘込港の鹿島に製鉄所が作られると、施設の老朽化などもあり、主要拠点の座を奪われてしまう。そして、経済低迷、地盤沈下は顕著になってしまい、90年台初頭には高炉は1基にまで減少してしまっていた。これが和歌山市衰退の一番の原因と指摘されている。また、鉄鋼と化学という産業に依存していたことで、機械産業を誘致してこなかったことも衰退の一因である(一応、三菱電機の製作所はあるのだが、松下幸之助が失望したというぐらい他の産業勃興には消極的だったらしい)。
なお、その後和歌山製鉄所は、神戸復興の際に製鉄の需要が上がったこと、中国の経済発展に伴い西の製造拠点が重要視され始めたことや世界的な原油価格上昇で掘削用のパイプが飛ぶように売れたことで持ち直し、合併後に設備投資も行われ現在は、鋼管と形鋼を軸に2基の高炉が稼働している。また、花王は不況のさなかも和歌山市の経済を支え続け、一時は住金より雇用を上回っていた時期さえもあった(例の不買運動の時は、和歌山に何の恨みがあるんや!!と本気で思ったものだ)
地元に本社を持つ有名な企業にホールガーメントニットで一躍脚光を浴び、エルメス、グッチなど世界のトップブランドアパレルメーカーにも得意先を持つ島精機製作所(東証一部)がある。かつて写真処理機器メーカーで一躍注目を浴びたノーリツ鋼機も地元出身の企業であったが、時代の波を受け写真産業は斜陽化し、おまけに本社も和歌山から出ていった(いちおう、元々の写真事業は子会社化され、ノーリツプレシジョンとして残った)ことで、地元ではなかったことにしている。
また、伝統的な工業にメリヤス工業などもあるが、競争の波にもまれ、細々と残っているに過ぎなかった。近年は独自の技術で付加価値の高い商品を多く送り出すようになっている。
商業と観光
また、商業面ではモータリゼーションが進み、路面電車が廃止されると中心商店街の衰退が顕著になり、大阪に出向く若者が増え、また店が消えていくという悪循環を辿った。地元オークワの働きかけによってイオンの進出は阻止していたが、ロードサイド化の波は止まらず、本町の中心的存在だった丸正百貨店は改装が裏目に出て破産、ビブレも大丸も撤退するなど、かつては泉南方面からも買い物に来ていたという「ぶらくり丁」はすっかり寂れ、過去の産物となってしまった。むしろ、駅前にありながら万年2番手に甘んじていた近鉄百貨店和歌山店は改装にも成功し、地域一番店の座を勝ち取っている。また和歌山駅のターミナルビルは天王寺MIOの姉妹店舗、和歌山MIOとしてリニューアルされ、和歌山駅周辺が商業の中心地となっている(みその商店街という取り残されたシャッター街もあるけど)。
観光面でも和歌山市は栄枯盛衰の道を辿っている。かつて加太と和歌浦にはそれぞれ40軒を超える宿泊施設が軒を連ねる観光名所であり、古くから万葉の景勝地と謳われた和歌浦は特に多くの観光客で賑わい、新婚旅行スポットとしても脚光を浴びた。しかし、温泉資源を持っていなかったこと、航空交通の発達で新婚旅行先を九州に奪われたこと、観光地の陳腐化などで敬遠され、和歌山マリーナシティの開業など明るい話題もあるが、肝心の宿泊客は増えず、気づけば廃墟マニアしか訪れない悲惨な観光地と成り下がっていた。加太はその後、温泉の掘削、友ヶ島や淡島神社が注目を浴びるなどして賑わいを取り戻している。一方の和歌浦は海水浴シーズンこそは賑わいを見せるものの、廃墟旅館を片付けたら更に5軒旅館が廃墟化したなど、もう手の施しようがない状態になっていた。一方で新和歌浦、雑賀崎が国の名勝、和歌浦が日本遺産に指定され、関西の日光といわれた紀州東照宮や和歌浦天満宮、玉津島神社、養翠園などの歴史資産の見直しや海鮮グルメなどを軸に再興の動きもあり、今後どうなるかが注目される。
人口動向
国から中核市に指定されており、和歌山県の人口の実に4割を和歌山市が保有する。しかし、近年過疎化が目立っており、国勢調査によると、人口はしばらく40万人前後で推移していたのに、21世紀に入ってから人口減少が顕著に。現在は約36万人で1年間に約5000人のペースで人口が減少している(その7割は自然減)。一方、ベッドタウンとして岩出市が約6万人、紀の川市が約7万人、海南市が約5万人、また大阪府の泉南地域にある阪南市や泉南市は和歌山市への通勤客も多く、都市圏で57万前後の規模であり、依然として一帯の中核都市としての存在感を呈している。
また、和歌山市は産婦人科や小児科が壊滅的状態になった大阪府南部や奈良県南部と比較して和歌山県立医科大学と付属の医大病院があるなど医療機関は充実しているため、県外出産が多く、それも出生率や人口流出率に影響しているのもある。この医療系の強みを生かし、若年人口増加、定着のために今後市内に医療系の大学、短大を3校新たに開校予定(既に開校しているものも含む)。
市街地
初めて和歌山市を訪れる人の中には驚く人もいる。それは意外にも市街地が広いことに。そして広い割にスカスカなことに
和歌山市には市街地の東にJR和歌山駅、紀の川河口を隔てた市街地の北端には南海和歌山市駅の大きな駅舎がある。そしてその2つの駅をシャトルバスが中心地を結んでいる。このエリアがよく知られる市街地エリアであり、これだけのエリアでもかなりの広さだが、市街地はそれだけにとどまらず南海和歌山市駅から国道42号線を通りひたすら南下した数キロ先の和歌浦付近まで市街地が広がっている。その中心にあった堀止エリアは路面電車のターミナルとして発達しており、その先にかつて観光地として栄えた和歌浦がある。そんなわけで和歌山市の市街地面積は、実は下位政令指定都市の岡山市や静岡市ぐらい広かったりするわけである。
そんな市街地を移動するには車やバイクは欠かせないため、完全に車社会、そして狭い路地が多いので原付、バイク利用者が非常に多い。そして、そんなだだっ広い市街地に病院、図書館、駅といった施設がお互いに3~5キロぐらい離れた場所にあり、完全に「コンパクトシティ?何やそれ食えんの?」ってな状態となっている。だが、現在の人口は岡山市の半分の36万弱ほどであり、そして人口減少と高齢化も進んでいることから、今後に備えコンパクトシティ構想を打ち出しているものの、お得意の机上論のせいで全く実現していない。
その前に早く南海和歌山市駅とJR和歌山駅の経由、貴志川線と加太線の乗り入れをだな…
なお、和歌山市にも景観保護条例があるため、あまり高い建物を建設していない。一番高い高層建築でも80mほどである(和歌山県で高層建築は白浜町にあるリゾートホテルやマンションである)。
人物
オークワ・松源の本社があることは勿論、パナソニック・ヤマハ・ミジャニーズ・トランスコスモスの創業者と一応関わりのある街である。とりわけ、松下幸之助に関しては、戦後の和歌山城再建に際しては最も支援金を拠出した人物でもある。また、松下公園・松下体育館という松下幸之助の名を冠した建物も存在する。
有名人を語る上で外せないのがプロ野球選手だろう。往年の大選手西本幸雄、ミスタータイガースといわれた藤田平、赤ヘル黄金期を支えた正田耕三、西武のエースだった西口文也、最強の右スラッガー小久保裕紀といった野球選手が特に知られる。また、紀陽銀行はかつて名門体操部として名を馳せ、ロサンゼルス五輪金メダリストの森末慎二が所属していた。五輪で活躍した田中三兄妹の兄二人も和歌山市出身(妹だけは岩出市出身)である。
古くから文化、芸術が盛んな地でもあることから、文化方面の有名人もけっこういる。BASARAなどで知られる漫画家の田村由美、郷土愛の強い作品とともに「複合汚染」など社会派としても知られた有吉佐和子、神坂次郎、津本陽といった小説家、L'Arc~en~Cielのボーカル、hyde(本名、寶井秀人)、歌手の玉置成実、安田大サーカスのHIRO、タレントの岡本玲、演歌歌手の田川寿美、プロ将棋棋士の神崎健二八段、画家の川端龍子、声優の小西克幸などがいる。
歴史上の人物では、明治からエコロジーを提唱していたという博物学者の南方熊楠、カミソリ大臣といわれ、不平等条約を改正した陸奥宗光が特に有名である。
主な観光地
県庁所在地でありながら、国立公園に指定された地域を含むなど自然に恵まれ、観光地として発展した。また、歴史的な史跡も少なくはないが、絶えず開発と保存の板挟みが続いている。
- 和歌山城(言わずと知れた紀州徳川家の象徴。戦前は国宝だったが戦災で炎上し、コンクリート製ながら忠実に復元されている。三大平山城といわれている。城内は桜の名所として知られ、紅葉渓庭園あたりは紅葉も美しい。また、石垣も一見の価値あり)
- 和歌浦・雑賀崎(国立公園に指定されている万葉時代の名勝。養翠園・波早ビーチ・和歌浦天満宮・紀州東照宮・玉津島神社・片男波海岸などがある)
- 養翠園(和歌浦にある大名庭園で、浜離宮庭園と同じように海水を庭園に採り入れている。このようなタイプを入浜式というが、国指定名勝となった入浜式大名庭園は、全国2箇所だけらしい)
- 紀州東照宮(関西日光ともいわれる西日本随一の東照宮で、建物には左甚五郎と伝わる彫刻が施されている。毎年10月に行われる例大祭は大いに盛り上がる。また正月の初詣客も多いが、石段がかなりえぐいので、ご年配には優しくない)
- 片男波海岸(快水浴場100選の特選に選ばれた遠浅の海岸。かつては天橋立のような砂州だったらしく、その名残が庭園に残る。片男波とは万葉時代からの名称で、山部赤人の句の掛詞で知られる)
- 浜の宮ビーチ(片男波と比べると穴場。また、ジェットスキーやウィンドサーフィンなどのマリンスポーツを売りとしている。浸透していないが西の湘南海岸なんて愛称も)
- 波早ビーチ(片男波と比べるとこぢんまりとしているが、環境はよく海水浴場100選に選ばれている。海が浅く、しかも沖に漂着できないようになっているため、ファミリー客が多い)。
- 紀三井寺(西国観音霊場の2番札所にして、関西随一の、早咲き桜の名所。初詣客も多い)
- 加太(友ヶ島・淡島神社・磯の浦海水浴場・加太海水浴場)
- 加太海水浴場(大阪から近いので片男波と共に賑わい、花火やバーベキューができるので、学生の利用が多い)
- 磯の浦海水浴場(サーフィン客で賑わうビーチ。波が低いのでビギナーが多くサーフィン教室もある)
- 友ヶ島(第二次世界大戦時代の砲塔跡が残存する、全国的にも貴重な戦争遺跡の宝庫。その寂寥感からラピュタみたいな島といわれ、観光客で賑わうようになった。古くは修験の島としても知られ、今も修験道で訪れる人もいる)
- 淡島神社(女人信仰で有名な神社で婦人病に御利益がある。人形供養と針供養で知られ、境内には無数の人形が恰もモニュメントのように飾られている)
- 和歌山マリーナシティー(遊園地ポルトヨーロッパ・黒潮市場。1995年に開催した世界リゾート博の開催地となった人工島。シーズン以外は海外客の来訪が多くなっている。また、2002年ワールドカップでデンマーク代表が宿泊したホテルもある。ヨットハーバーや日帰り温泉施設もある)。
- 紀伊風土記の丘(岩橋千塚古墳群。日本有数の古墳群で、国の特別史跡。ハイキングコースとして人気がある)
- 四季の郷公園(同じくハイキングコースとして人気があり、ファミリーにはローラースライダーが人気ある。済州島から贈られた呪いの像がちまたの話題に)。
- 貴志川線沿線(日前宮・竈山神社・伊太祁曽神社。貴志川線敷設の要因となった三社が沿線にある。日前宮は日前國懸神宮という国内屈指の古社。竃山神社は天照大神の姉を祀る。また伊太祁曽神社は木の神様として知られ、林業関係者の信仰を集める)。また、沿線はタケノコとみかんの産地でもある。なお、終着駅はたま電車とにたま駅長がいる貴志駅(紀の川市)がある。
産業・食文化
工業と商業、観光業については前述したので、そっちを参照。
漁業は和歌浦・雑賀崎と加太で営まれる。雑賀崎地区ではしらすやアシアカエビ、加太地区では鯛やタコが名産である。
農業も盛んで、稲作のほかに、砂地を利用した畑が展開。全国的なシェアを持つ特産品に生姜があり、新生姜として全国2位。高級寿司店のガリに使われたりと、近年特に人気が上がっている。また、大根、キャベツ、白菜も全国有数で、毎年野菜値上がりのニュースを見ては「最近高いわなあ」と呟きながら、それでも東京や大阪に比べ半額以下で野菜が買えることに密かな優越感を味わっている。他にみかん、筍などの生産が盛ん。
和歌山ラーメンが代表的なソウルフードといわれるが、あまり一人あたりのラーメン消費量は多くない(むしろ、全国的に見たらかなり少ない)。しかし、その独特の風習は全国的に有名になった(ラーメンと一緒に寿司を食べる、など)。グリーンコーナーの天かすラーメンとグリーンソフト(運営する玉林園は世界で初めて抹茶ソフトを作った企業)、一度は廃業になったが甦った駿河屋の本の字饅頭や和歌浦煎餅も有名である。
また、牛肉大好きな都市(和歌山県は日本で最も一人当たりの牛肉消費量が高い県の一つ)でもあり、あちこちに焼肉屋がある。そして日本で一番納豆消費量の低い市の一つでもある。
隣接する自治体
道路・公共交通
道路
鉄道
主要駅
航路
路線バス
和歌山バスが大半を占める。その他、
が紀北地域[1]・紀南地域[2]から乗り入れている。高野マリンライナーは高野山・和歌山マリーナシティーを休日のみ運行。それ以外は全て和歌山市駅行きで、JR和歌山駅を経由しない。
また、和歌山バスは南海グループと同じ計算方法なので、いささか割高。そのため、バス代が高いとバスを敬遠しマイカーが増え、乗客の減ったバス路線はあちこちで廃止、そして郊外は通勤ラッシュで渋滞だらけ…という悪循環を辿っている。
昼行高速バス
夜行高速バス
関東方面を結ぶ高速バスが毎晩4便運行されている。東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県を結ぶ。
下記2社の高速バスは、南海和歌山市駅・JR和歌山駅東口で乗車可能。
次のウィラートラベルが運行する夜行高速バスはJR和歌山駅西口の林ビル前からのみ乗車可能。市駅までの運行なし。
また下記バスで、池袋駅・埼玉県大宮に一本で到達可能。(横浜・新宿にも停車)
明光バス・西鉄観光バスが毎晩運行。このバスは関東地方・南紀白浜間を結ぶ路線であるが、和歌山市を経由し、和歌山インター高速バス停(和歌山市鳴神)に停車する。ただし和歌山市街から鳴神地区は少し離れており、タクシー又は和歌山電鉄貴志川線・日前宮駅[3]や和歌山バスのバス停[4]から徒歩で現地まで歩く必要がある。
地名について
和歌山市は、全国でも珍しい「丁」が数多く残る城下町である。もともと丁と町は区別されており、前者は武家町、職人町に付けられ、町は町人町、商人町に付けられた。仙台市や松江市でも一番丁とか◯番丁という地名が残っている例があるが、和歌山市の場合は番地以外でも人物や特色のある職業から名付けられた丁という地名が沢山残っており、大変興味深いものとなっている。
【丁】
芦辺丁、材木丁、鈴丸丁、真砂丁、山蔭丁など100近くの地名がある。
【町】…ただし、秋葉町などのように「ちょう」と読む地名も
鷹匠町、田中町、卜半町、三木町、屋形町など
ゆるキャラ
- 吉宗くん:8代将軍徳川吉宗をモデルとする
- まごりん:雑賀衆・雑賀孫市がモデル
- リリクル:和歌山市リサイクル推進機構のキャラクター
- たけのこまん:和歌山市山東の農産物である筍をイメージ。予算4000円で地域のPRキャラを作ったら、作業着にボール紙で作ったたけのこのかぶりものという、小学生の工作のような変なやつになってしまった。その風貌から、三大変態ゆるキャラと絶賛(?)されるまでに。ベルトのパックルには、もう一つの山東の特産であるみかんが描かれている。
姉妹都市
逸話
- 和歌山市内の公立の小学5年生は、加太合宿という宿泊行事に参加する。加太少年自然の家で行われる。
- 和歌山市内の公立の小学6年生と中学3年生での修学旅行先は、それぞれ奈良・京都と関東地方(TDL及び東京近郊)である。
- 旧日本軍の戦争遺跡・友ヶ島が天空の城ラピュタの雰囲気と似ているとして最近[5]話題に。
- 和歌山県は代々自民党の地盤が固く、自民党王国と言わしめていた。しかし和歌山市の衆議院議員のみは2009年民主党政権交代時に民主党議員・岸本周平氏が初当選して以降、民主党も強くなった。
- 雑賀衆という武装集団が過去に存在した。雑賀孫一も当市にゆかりを持つ。もしかしたら和歌山市民は銃の扱いに長けているかもしれない。
- ビーチサンダルを「水セッタ」、体育館用シューズを「バレーシューズ」と呼ぶ。この「バレーシューズ」は体育館での授業・行事全般で用いられ、決して「バレー」実施時のみに使用される訳ではない。
- 自転車のことをジテコ、あるいは略してテコという。
- 花王のお膝元だけあって、ご年配は花王のことを、未だに花王石鹸と呼んでいる。
- 紀の川を挟んで北と南に分かれており、南側に住む人は北を川向こうと呼んでいる。対して北側に住む人は橋向こうと呼んでおり、どっちに住んでいるかで言い方とニュアンスが変わる(北に住む人らは川向こうという言い方を差別的に捉えている節がある)。
- 和泉山脈にふじと台というニュータウンができたが、住む人の大半は大阪に通勤する和歌山府民である。そして、そこにあるギリギリ和歌山市内の和歌山イオンも一度は行くが、次に行こうと思わない(行く人は、もっとテナントが充実した橿原かりんくうに行く)。やはり和歌山はオークワが強い…と思いきや最近はエバグリーンとヒダカヤ(業務スーパー)が強い。
関連動画
関連商品
関連リンク
関連項目
- 和歌山県/近畿地方
- オークワ - 和歌山県内でトップシェアを誇るスーパーマーケット・娯楽事業の会社。宮前に本社を置く。
- 松源 - 和歌山市内に本社を置き、スーパーマーケットを経営。
- テレビ和歌山 - 和歌山市栄谷に本社。
- 智辯学園和歌山小学校・中学校・高等学校 - 和歌山市冬野に位置する。
- 日本の市町村の一覧
- 都道府県庁所在地
脚注
- *橋本市・かつらぎ町・紀の川市・岩出市から。紀ノ川と和歌山線沿線を走行。
- *オレンジバスは海南市・紀美野町から、美山線は日高川町・有田川町・有田市・海南市から。
- *和歌山駅9番線から、貴志・伊太祁曽行きに乗車。むしろ、海南市まで行って、海南駅前から乗る方が至便であり、そっちの方が利用者が多い。2015年1月2日現在。
- *90/94系統紀伊風土記の丘行き中通りが最寄り。また92系統岡崎行き・91/96系統親愛短期大学行きで鳴神住宅前で下車。94/96系統は和歌山市駅発JR和歌山駅東口経由。90/91/92系統はJR和歌山駅東口発のみ。2015年1月2日現在。
- *2015年1月9日現在。産経新聞「『『ラピュタのよう』人気の戦争遺跡『友ケ島』 ごみが散乱、問われるモラル (1/2)
」2014年09月29日8時49分配信
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