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東北楽天ゴールデンイーグルスとは、宮城(東北)を本拠地にする、パシフィック・リーグ所属の日本プロ野球チームである。監督は三木肇(2025年~)。
概要
パシフィック・リーグ | |
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東北楽天ゴールデンイーグルス | |
基本情報 | |
創設 | 2005年 |
本拠地 | 楽天モバイルパーク宮城 |
一般略称 | 楽天 |
アルファベット | E |
優勝回数 | |
リーグ優勝 | 1回 |
日本一 | 1回 |
セ・パ交流戦 | 1回 |
アジアチャンピオン | 0回 |
永久欠番 | |
経歴 | |
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球団組織 | |
運営母体 | 楽天 |
オーナー | 三木谷浩史 |
プロ野球球団テンプレート |
- 略称は「楽天」・「東北楽天」・「楽天イーグルス」他。
- 本拠地は宮城球場(ネーミングライツで、2023年1月~は「楽天モバイルパーク宮城」と呼称。なお2005年3月~2007年10月までは「フルキャストスタジアム宮城」、2008年2月~2010年12月までは「クリネックススタジアム宮城」、2011年1月~2013年12月までは「日本製紙クリネックススタジアム宮城」、2014年1月~2016年12月までは「楽天Koboスタジアム宮城」、2017年1月〜12月までは「Koboパーク宮城」、2018年1月~2022年12月までは「楽天生命パーク」)。蛇足だが、アメリカの野球ファンによると、クリネックスという名前はもはやティッシュの代名詞であるため、2013年までの呼称は「鼻紙球場」的な間の抜けた名前に聞こえたという。覚えにくいので「Kスタ」と呼ばれていた。
ピクニック気分での応援を謳いながら、手作り弁当などの外部からの持参を禁止したことで有名となる(外部からの持ち込みを禁止している球場は他にもあるが、形式以上のモノであることはない。ここはしっかりチェックされる)。 - フランチャイズは宮城県となっているが、球団名にもある通り東北の球団として、東北出身の選手を獲得したり、宮城県以外の東北の県でもイベントを開催するなど東北色を出している。
- 現監督は三木肇(11代目、2025年~)。先代は今江敏晃(10代目、2024年)。以下、石井一久(9代目、2021年~2023年)。以下、三木肇(8代目、2020年)、平石洋介(7代目、2018年6月~2019年)、梨田昌孝(6代目、2016年~2018年6月)、大久保博元(5代目、2015年)、星野仙一(4代目、2011年~2014年)、マーティー・レオ・ブラウン(3代目、2010年)、野村克也(2代目、2006年~2009年)、初代監督は田尾安志(2005年)。
- ちなみにゴールデンイーグルとはイヌワシのことである(マスコットのクラッチもイヌワシを模したもの)。
- 2005年誕生。日本プロ野球としては実に約50年ぶりの新チーム誕生である。
- キャップやユニフォームなどに使われる、「Eagles」の頭文字Eをもじりイヌワシの羽っぽく描かれたロゴデザインが、漢字の「毛」に似ている。そのことで2ちゃんねる等でネタにされることもある。
- 2009年8月11日に公式チャンネル「楽天イーグルスチャンネル」を開設。ニコニコ生放送で主催試合の中継の無料配信を行っていた(映像・音声はCS放送のもの)。ニコニコ動画に公式チャンネルを開設したのは12球団初である。その後試合中継の無料配信は2017年まで続いたが、2018年からは撤退した。
- プロ野球の合併(現・オリックスバファローズ誕生)騒動の末に誕生したチームで、当初は練習施設はおろか本拠地球場ですら老朽化の進んだローカル球場であり、選手も合併からあぶれた者が中心であったりと、結成当初は決して強いとはいえないチームであった。しかし、2009年には2位に躍進し、球団創設5年目にして初のCS進出を果たした。
- そして2013年8月28日には球団史上初の優勝マジックが点灯し、2013年9月26日にチーム創立初のパシフィックリーグ1位・優勝を達成し、クライマックスシリーズの第2ラウンド本拠地開催権を獲得した。その後もクライマックスシリーズで優勝。ついに日本シリーズで読売ジャイアンツに勝利し、見事日本一に輝いた。
- 『常にAクラス(←重要)に入れてCSを勝ち抜ける』チーム編成をフロントは心がけている。『常に優勝を狙えるチーム』は、編成するために約30億円の年棒が必要になるからイヤらしい(2009年終了時で約20億)。
- 2009年時の小物鉄平のような(費用対効果が良い)選手でチームを構成するのがフロントの目標らしい(注:2008年終了時の鉄平の年棒は約5千万円。翌年の2009年には首位打者、ベストナインのタイトルを獲得した。なお、2013年オフに後藤光尊とのトレードでオリックスへ放出された)。
- 前述の通り、2004年プロ野球再編問題の際に成立したチームであるので近鉄の血を引くチームの一つである。実際創設時のメンバーは近鉄(とオリックス・ブルーウェーブ)の選手で構成されており、チームカラーや雰囲気、人事は近鉄の面影を残すものであった。中には楽天を近鉄の後継と見なして近鉄から楽天のファンになった人もいる。しかし、あくまで近鉄は消滅した球団で楽天は新たな別の球団扱いであるので近鉄の優勝、日本一回数、記録は算入されていない。詳しくは2004年日本プロ野球再編問題を参照。なお、2016年限りで牧田明久が引退したことにより、元近鉄の選手は創設12年目で楽天からいなくなった。
チームの特徴
球団創設当初は、オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの選手の集まり――オリックス・バファローズに入れなかった者達を、寄せ集めた形でうまれたチームであった(岩隈久志・礒部公一らは自ら志願して楽天に来たが)。
また、当初は、練習場の確保にも難儀し、本拠地となる宮城球場も老朽化が激しかったために慌てて改修を行うなど、練習環境が整っているとは言いづらかった。
その後、トレードや解雇、ドラフトを積極的に行い、単なる寄せ集めの段階は脱しつつある。
しかし生え抜き選手が増えてきた現在でも全体的な選手層が薄く、大型連敗が目立つことが多い。
チームカラーとしては投高打低気味である。特に中軸を打てるホームランバッターの不在が近年の悩みの種。生え抜き選手による2桁本塁打も、2017年に茂木栄五郎と島内宏明が達成するまで、創設から10年以上誰も出なかった。
投手(エースを含む)が好投しても援護を与えることができずに、ムエンゴのまま試合を終えることが多い。
とはいえ2013年頃から左打ちの俊足単打マンが多数台頭し得点力は向上。
似たような打者ばかりのため、楽天の打者を区別できるかどうかでプロ野球ファンかマニアかを判定できる。
応援歌
応援歌→選手名×2、オー選手名が基本的な流れである。
2019年2月18日に球団と私設応援団が協議した結果、応援歌の著作権の問題が浮上し、一度は全ての応援歌が刷新された。
しかし球団と私設応援団が再検討した後、チャンステーマ1など著作権の問題がなくなった一部の応援歌が復活した。
ピコカキコ
汎用(30歳未満) | |
汎用(30歳以上) | |
投手のテーマ | |
代打のテーマ | |
チャンステーマ1 | |
チャンステーマ2 | |
関東チャンステーマ | |
関西チャンステーマ | |
関西チャンステーマ2 | |
得点テーマ |
選手についてはパシフィック・リーグの応援歌のピコカキコ一覧を参照。
マスコットキャラクター
公式
非公認
関係者
首脳陣
※就任、退団などでの異動は球団の正式発表があるまで編集しないでください。
一軍 | 二軍・育成 |
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所属選手
※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示があるまで編集しないでください。
※ドラフト指名を受けた新入団選手は入団発表後に追加してください。
支配下選手 | |||
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投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
育成選手 | |||
投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
記事のある球団スタッフ
- 愛敬尚史(アマスカウトグループマネージャー兼プロスカウトグループ)
- 足立祐一(アマスカウト(関西担当))
- 伊東昂大(広報)
- 梅津智弘(二軍マネージャー)
- 大村三郎(スカウティングアドバイザー)
- 沖原佳典(アマスカウト(関東担当))
- 金刃憲人(チームサポートグループマネージャー)
- 釜田佳直(球団職員)
- 川岸強(楽天モンキーズ派遣コーチ)
- 銀次(アンバサダー)
- (109)河田寿司(ファームブルペン捕手)
- 関口伊織(スコアラー)
- (103)西宮悠介(打撃投手)
- 福山博之(球団職員)
- 藤原紘通(スコアラー)
- (112)宮川将(打撃投手)
- 山下勝充(アマスカウト(中国・四国担当))
- 三輪隆(スコアラー)
- ダレル・ラズナー(国際スカウト)
ベースボールアカデミー
- 大廣翔治(ジュニアチーム監督)
- 井上純(ジュニアチームコーチ)
- 岩崎達郎(コーチ)
- 塩見貴洋(コーチ)
- 高堀和也(ゲストコーチ)
- 鉄平(ゲストコーチ)
- 戸村健次(コーチ)
- 聖澤諒(コーチ)
- 森山周(コーチ)
記事のあるOB
戦績
2005年~2009年
詳細
2004年-2005年(38勝97敗1分、6位)監督:田尾安志
大阪近鉄バファローズとオリックス・バファローズが合併すると聞いた楽天株式会社社長の三木谷浩史氏が、ホリエモン(ライブドア)の後を追った感もあるが「東北にプロ野球のチームを作る」という名目で、NPBの承認を受け、宮城(を中心とした東北全県)を本拠地するプロ野球チームを発足。
合併したオリックスと近鉄からの、合併球団オリックス・バファローズとの分配ドラフトという形で、両球団の合併球団には不要と判断された選手を譲り受ける。前述の通り、岩隈や礒部ら近鉄の一部主力選手は、オリックス入りを拒否して楽天入りする。
2005年シーズン開幕。ひょっとすると三桁敗戦、すなわちシーズン100敗もあるのではないかと囁かれたものの、蓋を開けてみれば開幕投手のエース・岩隈の好投もあり、千葉ロッテマリーンズを相手に3-1のスコアで、見事開幕戦を勝利で飾る。
しかし開幕の勝利も束の間、翌日の千葉ロッテマリーンズ戦ではピッチャー陣が乱調で26失点、打線も9回を1安打に抑えられる散々な結果。7月には月間勝ち越しを決めるなど、ちらほらと勝利を拾っていたが大幅な連敗も多くそのままシーズンは終了。
シーズン当初から語られていた100敗こそは阻止は出来たが、チーム自体はダントツの最下位に終わる。
2006年(47勝85敗4分、6位)監督:野村克也
一部でカルト的人気を誇る土谷鉄平が移籍してくる(彼の来歴等は鉄平の項で参照願う)。
前年度監督田尾安志が様々な事情によってファンの反対を受けながら解任される。後任監督としては前年まで社会人チーム・シダックスで指揮を執っていた野村克也が招聘された。
この年はNPBから2段モーション禁止のお触れが発令され、調整に苦しむ岩隈に代わり一場靖弘が開幕投手に指名された。2006年シーズンは前年に比べ、鉄平、高須洋介、リック・ショート、ホセ・フェルナンデスの四名が打率3割に到達するなど、健闘する姿を見せたが、未だ戦力不足の感が否めず敗戦続き。
シーズン終わりこそ、オリックスを抜いて5位になれるのではないか、と目されたが、結局最下位で終わる。しかし、さすがに前年度の成績からは多少なり成長した。
そしてこの年のオフ、夏に駒大苫小牧のユニフォームを身に纏い、甲子園を沸かせた大器、マー君こと田中将大が入団した。
2007年(67勝75敗2分、4位)監督:野村克也
野球ファン注目の的、田中将大は甲子園に続き、杜の都の野球ファンをも唸らせた。序盤こそあまり勝ち星がつかない展開が多かったが、対福岡ソフトバンクホークス戦で勝利を挙げてからは快進撃。球団初の二桁勝利をあげ、最終的には11(7敗)、挙句は新人王のタイトルまで獲得する。
何故か田中の投げる試合では打線の援護が強くなったりするため、野村も「マー君神の子不思議な子」などと皮肉交じりで笑っていたほど。
そして、なにより特筆すべきはベテランの山崎武司であろう。前の年もチームの主軸として奮闘していた彼なのだが、監督・野村克也が投手陣に配球論を教えているのを盗み聞きし、対戦するバッテリーの意図を読み取るバッティングをプロ21年目にして覚えてからはホームランを量産。最終的には43ホーマー108打点を記録、この年のHR王・打点王の二冠を獲得した。
また、この年のオールスターでは、本拠地フルスタ宮城(当時)が使用されたせいか、楽天選手が8名も選ばれる珍事が発生。
このような色々な要因もあり、チームは大躍進。勝ち星も増え続け、遂にはクライマックスシリーズ出場もあるで!…と思わせるほどの健闘を見せた。
最終的には、シーズン終盤で失速してしまったものの、チーム史上初めて最下位を脱出した。
2008年(65勝76敗3分、5位)監督:野村克也
一場が沢村賞獲得を異例にも自ら宣言する、という戯言で始まったシーズン。
この年は何より、復活を遂げたエース・岩隈について語るべきだろう。2段モーション規制に苦しみ、一時は120km前後のストレートしか投げられない、という程に衰えた彼であったが、この年は苦難や違和感を乗り越え、あれよあれよと連勝を重ね、終わってみれば佐藤義則以来、23年振りの21勝到達という偉業を達成する(そして、後にその記録を再び達成したのは他ならぬ…後述)。投手分業が確立された近代野球でのこの記録は、並大抵のものではない。
タイトルも、沢村賞・防御率・最多勝利など、ほとんどの投手タイトルを独占、更には本来優勝チームから選ばれるはずのMVPにまで選ばれる活躍を見せた。
野手ではリック・ショートも、自身初の首位打者のタイトルを獲得。ちなみにこの年、野球ch・08年度流行語大賞を獲得したドミンゴwwwwwなどの流行語も生まれている。
チームは一時期首位に立ったものの、7月の負け越しやタイムリー欠乏症などで、順位は夏場を境に急転落。しかし終盤、内村賢介・中村真人の育成コンビなどの活躍で盛り返し、最下位争いを演じていた福岡ソフトバンクホークスを最終戦で破り、5位で終戦。
ちなみにこの年、新人の多田野数人が、絶好調だったIWKM相手にプロ入り初勝利を収めていたりする。こう書けば免許証を返して頂けるんですね?
2009年(77勝66敗1分、2位)監督:野村克也
シーズン当初はリーグ首位に立つこともあり「春の珍事」と揶揄されることもあった。
打線に繋がりが見られるようになる。特に下位打線が爆発し、ビッグイニングに結びつくケースが増え、勝利に貢献した。
また、鉄平が打率3割2分7厘の成績を収め首位打者に輝く。草野大輔も打率3割をキープ。
山崎武司は本塁打39本と107点を挙げ、それぞれリーグ2位に上り詰める活躍を見せた。
投手陣も充実し、名実共に若きエースとして安定してきた田中将大(15勝)、前年に引き続き好調の岩隈久志(13勝)、唯一ローテーションを守って活躍した永井怜(13勝)の3本柱がチームを支えた。
シーズン途中、大リーグ・レンジャーズへ出稼ぎに出ていた福盛和男が復帰。 中継ぎ・抑えで登坂していたはずがいつの間にか勝利投手になったりと、35試合に登坂し7勝10セーブを挙げた。謎の感動。
新人の藤原紘通は17試合に登坂し5勝と貢献した。
ブルペンエースと呼ばれがちな青山浩二(3勝)も、CS進出がかかった試合で見事初完投勝利を達成し、CS進出に貢献した。
このように投打において好調な状態が続き、とうとう、チーム創立5年目にして初のAクラス入り、初のシーズン勝ち越し、初のCS進出、初の本拠地CS開催と、ファン念願の快挙を達成した。
しかし、2位入りが確定したシーズン終了直前に球団が監督・野村克也の解任を発表。悲願の本拠地CS開催に水を差す。シーズン最終戦でのセレモニーも行われなかった。前監督の田尾安志も解任に際してトラブルが起きており、楽天フロントの対応に再び疑問符が付くこととなった(フロントは、「野村監督とは任期3年+延長1年の契約で更に延長する気は専らなかった。しかし監督本人がどうしても納得しなかった」と取材で答えている)。
10月21日、クライマックスシリーズ第2ステージ第1戦。すでに1勝のアドバンテージのある楽天にとって絶対に落とせない試合だった。しかし先発永井は初回に1失点するもその後好投を続け、一方の楽天はエース武田勝を早々に捕まえると7回時点で6-1と大幅リードを得ていた。8回に中継ぎ陣が3点を献上し流れが傾きかけるも、9回に鉄平が2ランホームランを打ち8-4と再び流れを引き寄せる。楽天ファンの誰もが勝利を確信したそのとき、悪夢が襲いかかる。
9回の抑えはこの年クローザーとして活躍していた福盛であった。すでに小山・有銘・川岸を投入していた楽天は福盛を出すしかなかったが、この福盛が1アウトから1番・田中賢介につかまるとあれよという間に満塁。そしてスレッジにサヨナラ逆転本塁打を浴びてしまったのである。札幌ドームの歓喜のいっぽう、楽天ファンは呆然とその景色を眺めるほか無かった。そう、これは夢、これは悪い夢以外の何物でもない!この敗戦後、楽天攻撃陣は一気に鳴りを潜め、その後のクライマックスシリーズ敗退に繋がっていく。この一連の敗戦劇は「福盛の21球」として現在でも楽天ファンの大きなトラウマとして心に植え付けられている。
10月24日、クライマックスシリーズ第2ステージ第4戦。パ・リーグ優勝の北海道日本ハムファイターズに敗れて日本シリーズ進出の夢が途絶えたと同時に、イーグルスに在籍する野村監督最後の采配となった。
スレッジを抱える強力なファイターズ打線を前に野村監督は継投策を講じるもその勢いは止めることはできず、8回2アウトからは第2戦で先発した岩隈久志が中一日で登板(先発型でありながらビハインドで突然の登板であったことから、自ら志願したという説あり)。
野村監督、そしてイーグルス勝利の為に無理を圧して投げたが、直後のスレッジに3ランホームランを打たれて沈んだ。スタンドに吸い込まれていく球を見送った岩隈の表情は清々しく、また岩隈をマウンドに送り出した野村監督の表情も、どこか肩の荷が下りたようにさっぱりとしていた。
そして3時間44分という激闘の末、9-4で敗れ、日本シリーズ進出は成らなかった。
試合終了後、梨田昌孝・北海道日本ハムファイターズ監督のスピーチ後に、ファイターズの吉井理人ピッチングコーチ、そしてヤクルト時代に野村監督の元でプレイしていた稲葉篤紀が握手を交わし、最後は両軍入り乱れての、野村監督の胴上げが行われた。
プロ野球史上でも稀に見るこの胴上げは両球団ファンも「野村! 野村!」と大歓声を送り、名将と謳われた野村克也の健闘を讃えた。
後任には広島東洋カープで監督を務めたマーティ・ブラウンが就任した。
ちなみに、このシーズンの途中より、ニコニコ動画に12球団で唯一の公式チャンネル「楽天イーグルスチャンネル」を開設。主催ゲームのダイジェスト、監督会見、ヒーローインタビューを配信した。またニコニコ生放送にて一部の主催ゲームを全編生中継し、多数の視聴者を動員した。
2010年代
詳細
2010年(62勝79敗1分、6位)監督:マーティ・レオ・ブラウン
一言で言えば転落。
勝率が一度も5割を超えることはなく、ひたすら負け越しが続いた。交流戦では好調だったが、パ・リーグ同士では負け込むようになり、最終的な勝敗数は見ての通りで、4年ぶりの最下位。5位のオリックスバファローズに対しても7.5ゲーム差をつけられた。
この不調に加えて、前年の野村監督解任騒動などが好感度を下げたのか、本拠地での平均観客数も1日当たり1000人ほど減少した。
個人タイトル受賞者は誰もいなかったが、成績を上げた嶋基宏がゴールデングラブ賞とベストナインを受賞している。
シーズン終了後、ブラウンの解任が発表され、後任として、中日ドラゴンズ・阪神タイガースの監督を歴任した、闘将・星野仙一が就任した。
山崎武司は翌年、雑誌でのインタビューで、「ブラウンはいい監督だったが、自主性を尊重するやり方は、選手が子供な楽天というチームでは甘やかしにしかならなかった」と語っている。
とはいえ、代走要員だった聖澤諒の成長をはじめとする選手層の底上げ、これまで弱点だった中継ぎにもスリーマウンテンズが劇場しながらも定着するなど、来季へそれなりの期待を残しつつシーズンを終えた。
一方でシーズン終了後のオフ、チームのムードメーカーでありバリバリのレギュラーだった渡辺直人が突如横浜ベイスターズに金銭トレード。鉄平や嶋や草野が、契約更改の記者会見で契約内容は一切話さず、渡辺のトレードについて号泣しながら口にするという事態が発生。なお、去年の不調が嘘のように成績を盛り返した中村紀洋も契約延長の話すら無くひっそりとあっさりとクビを言い渡され、フロントのレギュラー選手に対する扱いに一部どころか多くの楽天ファンに衝撃が走った。
この年もニコ生で全主催試合の生中継が行われた。フロントの今期唯一の手柄。
2011年(66勝71敗7分、5位)監督:星野仙一
星野は、就任するや否や、メジャー帰りのビッグネーム、松井稼頭央と岩村明憲の2人を獲得。加えてトレードなどでも1001独自のコネ経由で次々と選手を獲得し、かつて暗黒期の阪神タイガースを復活させた時の「血の入れ替え」と同様の、大胆な選手獲得による強化を行っていく。この豪腕ぶりに、「優勝ktkr!」と期待に胸躍らせるファンが多数現れる。
しかし、3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が東北を襲う。
発生時はチームは兵庫でロッテとのオープン戦に望んでおり無事だったものの、この影響により本拠地の日本製紙クリネックススタジアム宮城が使用できず、開幕前の調整はもちろん、開幕からしばらくの間は公式戦も関西を中心に転々としながら開催するなど、開幕前後は地震とそれに関連する災害の影響をもろに受けた。
チームが仙台に帰ってこれたのは、4月7日のことであった。
震災を受けて、開幕前に急遽『がんばろう東北』というスローガンを掲げた。このスローガンを見たファンの中には、阪神大震災の起こった1995年、当時のオリックス・ブルーウェーブが『がんばろうKOBE』のスローガンを掲げ優勝した姿を重ねて、「ひょっとしたら優勝もあるんじゃ?」と思ってしまった者も少なからずいたようだ。
だがその期待は、見事に裏切られた。
期待の元メジャーリーガー岩村は完全に置物と化していた。2011年の1年間で、打率.183、0本塁打、9打点。守備も精彩に欠け、一部ではとても不名誉なあだ名がつけられるほどだった。
新加入の外国人も期待通りの活躍とはいかず、さらには主力級の野手陣が揃いも揃って大不振に陥るなど、開幕前の目算は大幅に外れた。
先発ローテも田中将大とルーキーの塩見貴洋以外は安定せず、その状況を打開しようとスリーマウンテンズを先発に投入してみたりしたものの全滅。
打線の不振には、この年から導入された新統一球の影響もあると思われるが、全体としてはやはり震災の精神的影響が選手達に及んでいたであろう事は、想像に難くない。
ペナントレース中盤以後は何度か3位に食い込むことはあったものの、最終的には西武とオリックスの間で繰り広げられた熾烈な3位争いから蹴落とされる形になり、5位でシーズンを終えた。
田中の投手三冠+沢村賞受賞、ルーキーの塩見シオミクーンがムエンゴに泣かされながらも終盤までローテを守り9勝を挙げての優秀新人賞受賞、ダレル・ラズナーの抑え転向の成功、聖澤諒や内村賢介がレギュラーに完全定着し活躍する、などといった明るい話題があるにはあったが、監督自ら「(東北を熱くすると言ったが)ぬるかったね」と漏らしてしまうほど、いろいろと不完全燃焼なシーズンになってしまった。
なおオフには、初年度からイーグルスに在籍しチームを支えた岩隈久志や山崎武司が退団し移籍。他にも十数名が任意引退や自由契約になり、トレードも続々と成立させるなど引き続き「血の入れ替え」を断行。さらには1軍打撃コーチにあのデーブ大久保を招聘。球団創設8年目のシーズンに備える。
2012年(67勝67敗10分、4位)監督:星野仙一
球団史上初の本拠地開幕戦となったが、ロッテに3連敗するという体たらくでシーズン開幕。
先行きが不安視されたが、前半戦終了時点で球団史上初めて、Aクラスで後半戦を折り返すことになる。
しかし後半は失速し、ソフトバンク、ロッテと3位を競うことになり、10月4日にBクラスが確定したが、最終戦を勝ったことで、なんとか勝率.500でシーズンを終えた。
田中将大が故障などで不振に陥りつつも、最多奪三振王のタイトルを獲得。
野手では、共に高卒7年目の苦労人、銀次と枡田慎太郎の急成長が光った。他にも、大卒ルーキーの岡島豪郎や島内宏明がレギュラー争いに喰い込み、投手では高卒ルーキーの釜田佳直が7勝を記録するなど、来期に期待を伺わせるシーズンとなった。
なおデーブ大久保によってアーリーワークが取り入れられたことによって打撃が向上したが、そのデーブが案の定問題を起こし、打撃コーチから二軍監督に降格した。
オフ、外国人野手は全員解雇となり、メジャーで434発も放った大物打者アンドリュー・ジョーンズと、2010年に同じくメジャーでシーズン23本塁打をマークしているケーシー・マギーと2人の大砲候補を獲得。さらに地元仙台出身の斎藤隆を獲得した。
2013年(82勝59敗3分、優勝、日本一) 「野球の底力」 監督:星野仙一
開幕戦は黒星スタート、 4月27日には球団通算500勝を達成したが4月終了時点では打順が固まらないなどチーム状態も悪く5位と低迷。しかし前年度の大胆な強化が功を奏し、5月の交流戦が始まったあたりからチーム状態が良くなり、前半戦を終了し球団史上初めて6月以降の単独首位を達成する(同じ記録が7月、8月と続いていくが、これは後述)。
打撃面では、前年度に獲得した大砲候補のアンドリュー・ジョーンズとマギーが"当たり外国人"として大活躍。この2人のほか、前年度に引き続き銀次が安定した成績を残し、島内宏明や岡島豪郎など若手の活躍もあり打線に繋がりがみられた。
守備面では岩崎達郎と藤田一也が大きく活躍し、チーム全体としてもエラーの少ない安定した守備を見せた。
投手陣では、あの稲尾和久の記録を超えるシーズン24連勝を達成し、レギュラーシーズンを無敗で終えた田中将大の活躍が大きかった。開幕24連勝、前年8月からの通算では28連勝という記録は、日本プロ野球新記録である(ちなみに、シーズン21勝という記録も2008年の岩隈以来のものである)。
また、田中だけでなく大卒1年目ドラフト2位入団の則本昂大も、ルーキーであるばかりか妙に強い投手に当たり続けているにも関わらず、チーム史上4人目の2桁勝利を達成する好調ぶりを見せた。WBCで疲弊していた田中に代わってルーキーながら開幕投手を任された。
このように、打撃・守備・投手のいずれにおいても好調であり、セ・パ交流戦では首位ソフトバンクにわずかに届かなかったものの、0.5ゲーム差で2位に食い込み後半戦でも順調に勝ちを重ねる。なかでも逆転勝利が多く36度はリーグトップだった。
8月中旬には、その好調振りからサンケイスポーツより「楽天 いくぞ初V」という嫌がらせのようなムックが発売され、それを期にシーズン初の5連敗を喫するという、ファンを冷やりとさせる一幕もあったものの直後のロッテとの首位攻防戦を3連勝で終え再び勢いに乗り、8月28日にはとうとう球団史上初の優勝マジックが点灯。
そして、9月26日の西武戦(西武ドーム)に創立9年目にしてはじめてパシフィックリーグ優勝を達成した。そのまま、10月21日にクライマックスシリーズでも優勝し、日本シリーズでは読売ジャイアンツと日本一を争うことになった。第5戦時点で3勝2敗とリードし、第6戦ではシーズン無敗の田中将大が先発したが9回4失点で初黒星となり、決着は最終戦となる第7戦におあずけとなった。そして11月3日第7戦を3-0で勝利し、創設9年目にしてついに日本一に輝いたのである。
オフに河田寿司、高須洋介、星野智樹が戦力外通告。抑え投手として貢献したダレル・ラズナーはじめ、ケニー・レイ、ブランドン・ダックワース、ジム・ハウザー、ケーシー・マギーが自由契約となった。
2014年(64勝80敗、6位)監督:星野仙一
詳細はプロ野球2014を参照
2015年(57勝83敗3分、6位)監督:大久保博元
詳細はプロ野球2015を参照
2016年(62勝78敗3分、5位)監督:梨田昌孝
詳細はプロ野球2016を参照
2017年(77勝63敗3分、3位)監督:梨田昌孝
詳細はプロ野球2017を参照
2018年(58勝82敗3分、6位)監督:梨田昌孝→平石洋介(代行)
詳細はプロ野球2018を参照
2019年(71勝68敗4分、3位)監督:平石洋介
詳細はプロ野球2019を参照
2020年代
2020年(55勝57敗8分、4位)監督:三木肇
詳細はプロ野球2020を参照
2021年(66勝62敗15分、3位)監督:石井一久
詳細はプロ野球2021を参照
2022年(69勝71敗3分、4位)監督:石井一久
詳細はプロ野球2022を参照
2023年(70勝71敗2分、4位)監督:石井一久
詳細はプロ野球2023を参照
2024年(67勝72敗4分、4位)監督:今江敏晃
今江敏晃が監督に就任したが、Aクラスに届かず1年で解任された。
詳細はプロ野球2024を参照
年度別球団成績
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順位シーズン最高成績(チーム)シーズン最低成績(チーム) |
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関連項目
- プロ野球選手一覧
- 楽天イーグルス初年度
- 2004年日本プロ野球再編問題
- 羽ばたけ楽天イーグルス
- 七森中☆ごらく部(ニコ生の企画などでコラボしたことがある)
野村監督時代
ブラウン監督時代
星野監督時代
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