当記事では、日本において国会議員職を世襲している一家・一族の一覧を掲載する。
自由民主党とその前身政党(吉田自由党・日本民主党・立憲改進党・立憲民政党など) | |
自由民主党から分裂・独立した保守系中小政党(日本維新の会・みんなの党・新自由クラブなど) | |
公明党とその前身政党(公明・公明系新進党・公明政治連盟) | |
民主党・生活の党とその前身政党(社民党系除く、新進党・民社党・小沢自由党など) | |
社会民主党とその前身政党(日本社会党・社会大衆党) | |
諸派・無所属 |
あ行 |
か行 |
さ行た行 |
な行は行 |
ま行や行わ行 |
各家中の現職議員および出馬予定者の所属政党に基づいて分類する。同一政党内の並びは五十音順。
自由民主党 |
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民主党 |
維新の党公明党 |
次世代の党みんなの党 |
生活の党太陽の党 |
新党改革新党大地無所属 |
各家中の現職議員および出馬予定者の選挙区に基づいて分類する。同一都道府県内の並びは五十音順。
北海道青森県岩手県宮城県秋田県山形県福島県茨城県栃木県 |
群馬県埼玉県千葉県東京都神奈川県新潟県富山県山梨県 |
長野県岐阜県静岡県愛知県三重県滋賀県京都府大阪府 |
兵庫県奈良県和歌山県鳥取県島根県岡山県広島県山口県 |
徳島県香川県愛媛県高知県福岡県佐賀県長崎県熊本県宮崎県鹿児島県沖縄県 |
逢沢家 | |||||||
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名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 寛は戦前に岡山で土建屋「逢沢組」(現在のアイサワ工業)を起こし、翼賛選挙で非推薦候補として初当選を飾った。議員職は次男・英雄の系統に、アイサワ工業の実権は三男・潔の系統にそれぞれ引き継がれている。 自民党の中でも比較的長い歴史をもつ世襲議員家だが、大臣・党三役経験者は一人もいない。 |
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☆一郎 | - | - | ○ | - | - | ||
英雄 | 父 | - | ○ | - | - | ||
寛 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院岡山1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
愛知家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 揆一には子がおらず、夫人の姪を養女とした上で秘書の中田和夫を婿に迎えた。そのため和男・次郎親子と揆一の間に生物学的な繋がりはない。富山県知事を3期11年務めた中田幸吉は和男のおじにあたる。 05年9月から09年7月まで和男・次郎親子は衆参両院に分かれて同時に国会議員を務めていた。 |
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☆次郎 | - | - | - | ○ | - | ||
和男 | 父 | 環境庁長官 | ○ | - | - | ||
揆一 | 義祖父 | 外務大臣 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院宮城選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
青木幹雄家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 幹雄は当初世襲をしない意向だったが、選挙直前に脳梗塞で倒れたため長男・一彦の世襲が決まった。 地元・出雲では「竹下家に比べ家格の劣る青木家が世襲とはいかがなものか」との声も聞かれたという[1]。 |
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☆一彦 | - | - | - | ○ | - | ||
幹雄 | 父 | 内閣官房長官 | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院島根選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
赤沢家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 亮正から見て正道は母方の祖父にあたり、正道の引退後に養子縁組を結んで赤沢家の跡継ぎとなった。 正道引退から約30年後の05年、地元の郵政刺客候補として亮正が抜擢され、赤沢家の復権が実現した。 |
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☆亮正 | - | - | ○ | - | - | ||
正道 | 養父 | 自治大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院鳥取2区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
赤松家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 勇は戦前から労働運動に携わり、戦時中には治安維持法違反の名目で逮捕されたこともあった。 父子2代の地盤はそこそこ強く、逆風下の12年も僅差で敗れはしたものの比例復活に漕ぎ着けている。 |
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☆広隆 | - | 農林水産大臣 | ○ | - | - | ||
勇 | 父 | 社会党副委員長 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院愛知5区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
浅尾家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 浅尾家は甲府の旧家で、長慶の先代から県議を務め、長慶も県議を経て代議士を1期務めた。 長慶の子や孫は実業家や官僚となり政界を離れていたが、慶一郎の代で久しぶりに政界に復帰している。 |
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☆慶一郎 | - | みんなの党代表 | ○ | ○ | - | ||
長慶 | 曽祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院神奈川4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
麻生太吉家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 炭鉱王として築き上げた巨万の富と、歴代の国家指導者や宮家と結びつく閨閥によって繁栄を謳歌する名門一族。母系では吉田茂や大久保利通に繋がっている。 太吉・太賀吉は実業を優先していたが、太郎は実業を弟に任せて専業政治家となり、鈴木善幸の娘を娶るなど更に閨閥を固め、ついに総理大臣にまで登り詰めた。 |
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☆太郎 | - | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
太賀吉 | 父 | - | ○ | - | - | ||
太吉 | 曽祖父 | - | ○ | - | ○ | ||
縁戚関係にある家 | 鈴木善幸家 | ||||||
現在の地盤 | 衆院福岡8区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
安倍家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 寛は帝国末期に軍部と対立したハト派議員だったが、彼のイデオロギーは既に失われており、晋太郎夫人の実家である岸家のタカ派イデオロギーが現在に残された。 晋太郎の三男・信夫を岸家に養子に出すなど、岸家の連枝としての性質も有する。当代の晋三には子がなく、寛信(長兄)の子・寛人が後継者に内定している。 |
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☆晋三 | - | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
晋太郎 | 父 | 外務大臣 | ○ | - | - | ||
寛 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | 岸家・佐藤栄作家 | ||||||
現在の地盤 | 衆院山口4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
甘利家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 正は自民党候補としては芽が出ず、新自由クラブ移籍後に頭角を現した。息子の明も当初は新自由クラブに所属していたが、同党の解散に伴い自民党に復帰した。 戦国武将・甘利虎泰の子孫を自称している。 |
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☆明 | - | 経済産業大臣 | ○ | - | - | ||
正 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院神奈川13区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
池田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | なぜか跡継ぎの男子に恵まれず、行彦・稔と2代続けて他家から迎えた婿を後継者としている。行彦は勇人の次女の夫、稔は勇人の長女の娘の夫にあたる。 なお勇人の三女はブリヂストンのオーナー一族である石橋家に嫁ぎ、経済的な後ろ盾を確保した。また石橋家を介して鳩山家とも間接的に繋がっている。 |
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☆(寺田)稔 | - | - | ○ | - | - | ||
行彦 | 義叔父 | 外務大臣 | ○ | - | - | ||
勇人 | 義祖父 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院広島5区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
石井家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 一・一二兄弟の父は元兵庫県議。一は神戸市を地盤として当選を重ね、政界再編期には羽田孜と行動を共にした。郵政選挙での落選を機に参院比例区に転出している。一二は徳田虎雄に誘われ晩年は自由連合に移った。 登志郎は一・一二の弟・一三の子で、一の養子になって出身地の芦屋市から出馬している。 |
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登志郎 | - | - | ○ | - | - | ||
一二 | 叔父 | - | - | ○ | - | ||
一 | 養父 | 自治大臣 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院兵庫7区(登志郎) 参院比例区(一) |
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石破家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 二朗の父・市造は大御門村長を務めた人物であり、二朗も国政進出前は長らく鳥取県知事を務めていた。 田中角栄に世襲を勧められた茂はすぐに地盤を継がず、派閥秘書として経験を積んでから衆院に鞍替えした。 |
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☆茂 | - | 農林水産大臣 | ○ | - | - | ||
二朗 | 父 | 自治大臣 | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院鳥取1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
石橋家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 大吉は組合活動を経て島根選出の社会党代議士となり、旧民主党の結成にも参加したが、小選挙区制移行後は細田家に押されて引退を余儀なくされた。通宏は情報労連の組織内候補として参院比例区から出馬している。父の時代の名残か、島根での得票が若干多め。 | |
☆通宏 | - | - | - | ○ | - | ||
大吉 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院比例区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
石原幹市郎家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 幹市郎の妻・三起子と健太郎の長男・信市郎も総選挙に挑んだことがあるが、当選には至らなかった。また三起子の父・井上孝哉は戦前に衆議院議員を務めていた。 健太郎以降は自民党を飛び出したこともあって世襲議員家の割に選挙に弱く、健太郎・信市郎・洋三郎の親子3人は合わせて5勝8敗1繰上と負け越しを喫している。 |
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洋三郎 | - | - | ○ | - | - | ||
健太郎 | 父 | - | ○ | ○ | - | ||
幹市郎 | 祖父 | 自治大臣 | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院福島1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
石原慎太郎家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 親子2代3人が同時に衆議院議員を務める稀有な一族。政治キャリアの長い長男・伸晃よりも三男・宏高の方が父のイデオロギーや地盤を忠実に受け継いでいる。 慎太郎の弟・裕次郎は昭和の大スター、次男の良純も現役の人気タレントであり、芸能界とのパイプも太い。また石田家を間に挟む形で小泉家の遠縁となっている。 |
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☆宏高 | - | - | ○ | - | - | ||
☆伸晃 | 兄 | 国土交通大臣 | ○ | - | - | ||
☆慎太郎 | 父 | 運輸大臣 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院東京8区(伸晃) 衆院東京3区(宏高) 衆院比例東京(慎太郎) |
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井出家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 元禄年間創業の佐久市の造り酒屋「橘倉酒造」を経営する一族。1928年の第1回普通選挙から1996年総選挙まで実に68年もの間、旧長野2区の議席を邦太郎・一太郎・正一の3代で占有し続けてきた名門議員家でもある。 正一の引退後はブランクが空いていたが、12年総選挙で佐久市を含む新3区から庸生が出馬。選挙区では僅差で敗れたものの、比例復活で井出家の復権を果たした。 |
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☆庸生 | - | - | ○ | - | - | ||
正一 | 伯父 | 厚生大臣 | ○ | - | - | ||
一太郎 | 祖父 | 内閣官房長官 | ○ | - | - | ||
(小山)邦太郎 | 曽祖父 | - | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院長野3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
伊藤公介家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 公介は09年に思わぬ惨敗を喫し、ベテランでありながら公募ではねられ失脚。無所属で出馬しようとした矢先に三男・俊輔が維新の会から出馬したため応援に回ったが落選に終わった。親子共に自民党を飛び出たために世襲のアドバンテージが大きく減衰してしまった一例。 | |
俊輔 | - | - | - | - | - | ||
公介 | 父 | 国土庁長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院東京23区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
伊藤宗一郎家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 生家は加美町の呉服屋。 信太郎の世襲時には支部内から批判が上がったため予備選挙が行われたが、対抗馬の亀谷博昭(元県会議長・参議院議員)を大差で破っている。 |
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☆信太郎 | - | - | ○ | - | - | ||
宗一郎 | 父 | 衆議院議長 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院宮城4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
井原家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 岸高の婿(越智正)や孫(巧・越智忍)らは揃って地方首長・地方議員畑を歩み、国政から離れていた。 13年の参院選でようやく巧が国政に転じ、33年ぶりに井原家の国会における議席を取り戻した。 |
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☆巧 | - | - | - | ○ | - | ||
岸高 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院愛媛選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
岩井家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 國臣は京都生まれの参院比例区選出議員であり、静岡での地盤は公募で選ばれた茂樹が築いた。 國臣は建設官僚出身の建設族議員、茂樹は元土建屋と親子揃って建設業界との縁が深い。 |
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☆茂樹 | - | - | - | ○ | - | ||
國臣 | 父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院静岡選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
岩永家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 旧信楽町(現甲賀市)を地盤とする。峯一は引退に際して裕貴への世襲を図ったが、新興宗教団体からの献金スキャンダルが原因で世襲断念に追い込まれた。 裕貴は維新に移って再挑戦し、比例復活を果たした。 |
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☆裕貴 | - | - | ○ | - | - | ||
峯一 | 父 | 農林水産大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院滋賀4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
植竹家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 三右衛門は明治・大正期の栃木財界を代表する人物であり、春彦は養子としてその跡を継いだ。 春彦は落選知らずだったが繁雄は選挙区で当落を繰り返し、小選挙区制移行時に比例転出を余儀なくされた。哲也に至っては自民党の公認すら貰えず、09年は平沼G、12年は維新から出馬するもいずれも落選に終わっており、栃木の古豪・植竹家もいよいよ後がない。 |
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哲也 | - | - | - | - | - | ||
繁雄 | 父 | - | ○ | - | - | ||
春彦 | 祖父 | 郵政大臣 | - | ○ | - | ||
三右衛門 | 義曽祖父 | - | - | - | ○ | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院比例北関東 (元は衆院栃木4区) |
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上野家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 父子共に元高級官僚。公成は参院群馬から比例に転じて落選後、みんなの党からの出馬を目指すも難色を示されたため、娘婿の宏史が代役として出馬し当選した。後に揃って維新に移籍し、宏史は衆院1区に転じて比例復活したものの、参院比例から出た公成は落選している。 | |
☆宏史 | - | - | ○ | ○ | - | ||
公成 | 義父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院群馬1区(宏史) 参院比例区(公成) |
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臼井家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 日出夫の長男・正一は09年総選挙で大敗を喫すると、あっさり国政を諦め県議に復帰。続いて日出夫の姪の夫にあたる正人が10年参院選に挑戦したがこちらも落選し、現在は繰り上げ当選に僅かな希望を繋ぐ。 自民の千葉1区枠は既に若手の門山宏哲が確保しており、臼井家の存続に黄信号が灯っている。 |
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正人 | - | - | - | - | - | ||
日出夫 | 義伯父 | 法務大臣 | ○ | - | - | ||
荘一 | 義祖父 | 総務長官 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院比例区 (元は衆院千葉1区) |
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江崎家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 戦後の全ての総選挙に候補を送り込んでいる名門。後妻の子である洋一郎は落下傘候補として神奈川に送り込まれたが、強固な地盤を築けないまま比例転出を余儀なくされ、最後は単独下位の扱いを受けて落選した。 鉄磨の妻は第一屋製パン創業者の娘。また武見家を介して麻生家の遠い親戚となっている。 |
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☆鉄磨 | - | - | ○ | - | - | ||
洋一郎 | 異母弟 | - | ○ | - | - | ||
真澄 | 父 | 通商産業大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院愛知10区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
江島家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 潔は父の死後日本新党から総選挙に出馬するも落選、その後は長らく下関市長に転じていた。 安倍家とは代々緊密な関係を保っており、市長時代にも安倍陣営から強力なバックアップを受けていた。 |
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☆潔 | - | - | - | ○ | - | ||
淳 | 父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院山口選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
江田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 三郎は社会党右派の大物として知られ、大衆人気も高かったため自民党からも警戒されるほどだった。しかし党内抗争に敗れて党を追われ、失意のうちに病死した。五月は三郎が死の間際に結成した小政党・社会市民連合を引き継ぎ、新進党を経て民主党に合流した。 | |
☆五月 | - | 参議院議長 | ○ | ○ | - | ||
三郎 | 父 | 社会党書記長 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | - | ||||||
現在の地盤 | 参院岡山選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
江藤家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 数十年間に渡り血で血を洗う内紛を繰り広げた自民党宮崎県連において有力派閥「江藤派」を組織して闘い抜き、ついに事実上の県統一を成し遂げた宮崎の梟雄。 親子ともに右派色がすこぶる強いことで知られる。 |
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☆拓 | - | - | ○ | - | - | ||
隆美 | 父 | 建設大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院宮崎2区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
大野伴睦家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 伴睦は自民党結成に携わった党人派の大物議員であり、岐阜羽島駅設置の功労者とも言われる。現在でも同駅には伴睦と夫人の銅像が飾られている。 伴睦が死ぬと明が衆院1区の地盤を引き継いだが、93年総選挙での落選を機に参院へ転出。だが鞍替え直後に心筋梗塞で急死したため、妻のつや子が代役として出馬、次男・泰正の国政進出までの間を繋いだ。 |
|
☆泰正 | - | - | - | ○ | - | ||
つや子 | 母 | - | - | ○ | - | ||
明 | 父 | 運輸大臣 | ○ | ○ | - | ||
伴睦 | 祖父 | 衆議院議長 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院岐阜選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
大野功統家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 功統の地盤は義父・加藤常太郎の引退に伴い継承したものである。1952年に常太郎が鞍替えして以来、全ての総選挙で選挙区当選を果たしてきた常勝一族。 加藤家は瀬戸内海放送のオーナー一族であり、常太郎の孫・秀樹(構想日本代表)は宮澤洋一の妹を娶っている。また廃絶した関谷家にも娘を嫁がせていた。 |
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☆敬太郎 | - | - | ○ | - | - | ||
功統 | 父 | 防衛庁長官 | ○ | - | - | ||
(加藤)常太郎 | 祖父 | 労働大臣 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | 宮澤家 | ||||||
現在の地盤 | 衆院香川3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
岡島家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 地盤は市原市。正之は政界再編期に小沢一郎に従って自民党から自由党まで渡り歩いたが、最後は袂を分って保守党に移籍した。父の地盤を継いだ一正は逆に小沢自由党に参加し、その後も小沢の忠実な部下として民主党から生活の党まで付き従っている。 | |
一正 | - | - | ○ | - | - | ||
正之 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院千葉3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
奥野家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 誠亮は戦前特高課長として思想弾圧に辣腕を振るい、戦後は自由主義史観の喧伝に力を注いだ人物。 1963年に誠亮がデビューしてから長らく無敗が続いていたが、2009年に信亮が初黒星を付けてしまった。 |
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☆信亮 | - | - | ○ | - | - | ||
誠亮 | 父 | 文部大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院奈良3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
小此木家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 小此木家は明治時代に埼玉から横浜へと移住し、材木商として名を成した。歌治が横浜港で始めた倉庫会社は現在も営業を続けており、八郎のいとこにあたる歌藏(神奈川倉庫協会会長)が跡を継いでいる。 彦三郎・八郎親子は1969年以降13連勝を飾っていたが、2009年に連勝記録は途絶えてしまった。 |
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☆八郎 | - | - | ○ | - | - | ||
彦三郎 | 父 | 通商産業大臣 | ○ | - | - | ||
歌治 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院神奈川3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
小里家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 貞利は宏池会(旧加藤派)の会長を務めた大物。泰弘は宏池会から分裂した有隣会(谷垣G)に移っている。 泰弘は小泉チルドレンの一人だが、世襲地盤に助けられて09年総選挙での数少ない生き残り組に入った。 |
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☆泰弘 | - | - | ○ | - | - | ||
貞利 | 父 | 労働大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院鹿児島4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
小沢家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 岩手に小沢王国を築き上げた一族。元は中農の家だったが佐重喜の父の代で零落したという。父子2代で戦後全ての総選挙で選挙区当選を果たし、一時は地元の国会議員や地方議員も小沢派で染め上げた選挙・政局巧者。近年は影響力の低下が囁かれるが… | |
☆一郎 | - | 生活の党代表 | ○ | - | - | ||
佐重喜 | 父 | 建設大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
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越智家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 通雄は福田赳夫の長女を妻に迎え、福田家の支流に組み込まれた。隆雄は祖父の秘書官だった小和田恆の娘・雅子と仲が良く結婚を意識するほどだったが、総理の孫である彼よりも血統や地位に恵まれた皇太子徳仁親王が雅子を娶ったため、かなわぬ恋に終わったという。 | |
☆隆雄 | - | - | ○ | - | - | ||
通雄 | 父 | 経企庁長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | 福田家 | ||||||
現在の地盤 | 衆院東京6区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
小渕家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 群馬が誇る世襲御三家の一つ。かつては福田家・中曽根家より一段下の家とみなされており、選挙では最下位当選が多く、恵三は自嘲を込めて「ビル(福田家・中曽根家)の谷間のラーメン屋」と称していた。 近年は恵三の総理就任や安定地盤の確保によって家格を高めており、2代連続の総理輩出も夢ではない。 |
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☆優子 | - | 経済産業大臣 | ○ | - | - | ||
恵三 | 父 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
光平 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院群馬5区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 |
柿沢家 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 江戸時代創業の老舗葛籠屋の家系。弘治は跡を継がずに大蔵官僚を経て政界に進出したため、葛籠屋は弘治の父の死をもって廃業となった。弘治は選挙巧者だったが晩年は自民党を追われ、未途も都議時代に不祥事で民主党を追われるなど、近年は所属政党が安定しない家。 | |
☆未途 | - | - | ○ | - | - | ||
弘治 | 父 | 外務大臣 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院東京15区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
笠原家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 潤一は県議時代から一貫して自民党に所属した。多見子も自民党の県議を務めていたが、郵政選挙後に岐阜市を二分した野田聖子と佐藤ゆかりの抗争で佐藤側に付いたため、佐藤が岐阜を追われるとこれに反発して自民党を離党。民主党に移籍して国政に打って出た。 | |
多見子 | - | - | ○ | - | - | ||
潤一 | 父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院岐阜1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
梶山家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 静六は80年代から90年代の政局を語る上で欠かすことのできない大物議員としてその名を轟かせた。 その世襲地盤は強力で、自民党県連が壊滅した09年総選挙でさえ弘志に小選挙区当選をもたらしている。 |
|
☆弘志 | - | - | ○ | - | - | ||
静六 | 父 | 内閣官房長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院茨城4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
梶原家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 丹波篠山を地盤とする家。康弘は自民党の公認を得られず無所属で出馬したこともあったが、後に新進党・自由党を経て民主党に落ち着いた。自民党の谷家は旧5区時代からのライバルだが、ここまでの戦績は1勝5敗と大幅リードを許している。 | |
康弘 | - | - | ○ | - | - | ||
清 | 父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院兵庫5区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
加藤精三家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 紘一は党内左派の重鎮として重きをなしたが倒閣クーデターの失敗後は精彩を欠き、最後は保守系無所属の阿部寿一を対抗馬に立てられ落選に追い込まれた。 現在紘一の三女・鮎子が選挙区支部長に名乗りを挙げているが、阿部や佐藤ゆかりも支部長選任に向け働きかけを強めており、今後の見通しは不透明である。 |
|
鮎子 | - | - | - | - | - | ||
紘一 | 父 | 内閣官房長官 | ○ | - | - | ||
精三 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院山形3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
加藤武徳家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 系統的には参院の武徳→紀文(次男)系と衆院の六月→勝信(娘婿)系の2つがあり、いずれも岡山が地盤。武徳系は定数削減の煽りを受け04年に姿を消した。 六月→勝信の継承には紆余曲折あり、98年参院選に強行出馬して自民公認の紀文と骨肉の争いを演じたり、自民でもコスタリカに回されたりとなかなか落ち着かなかったが、12年にようやく六月時代の選挙区を確保した。 |
|
☆勝信 | - | - | ○ | - | - | ||
紀文 | 義従兄 | - | - | ○ | - | ||
六月 | 義父 | 農林水産大臣 | ○ | - | - | ||
武徳 | 義伯父 | 自治大臣 | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院岡山5区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
金子一平家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 一平が1960年にデビューして以来衆議院の議席を手放したことのない名家。広大な岐阜4区のうち北部飛騨地方が地盤で、中濃はやや手薄。 父子共に一貫して宏池会に籍を置いている。 |
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☆一義 | - | 国土交通大臣 | ○ | - | - | ||
一平 | 父 | 大蔵大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院岐阜4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
金子岩三家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 原二郎は一時期長崎県知事に転じて諫早湾干拓事業を推し進めたが、娘婿の弥一の生家である谷川家が経営する会社に利益が回っていたため批判を浴びた。 現在は父子揃って県選出の国会議員となっている。偶然ながら3世代3人とも漢数字が名前に入っており、しかも代を下るごとに1ずつ数字が減っている。 |
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☆(谷川)弥一 | - | - | ○ | - | - | ||
☆原二郎 | 義父 | - | ○ | ○ | - | ||
岩三 | 義祖父 | 農林水産大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院長崎3区(弥一) 参院長崎選挙区(原二郎) |
索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
金子徳之介家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 旧保原町(現伊達市)を地盤としており、徳之介は保原町長を経て自民党・新進党などで代議士を務めた。恵美も同町議や伊達市議を経験している。当初恵美は衆院1区からの出馬を希望していたが、民由合併で合流してきた自由党系の石原幹市郎家に譲った経緯がある。 | |
恵美 | - | - | - | ○ | - | ||
徳之介 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院福島選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
狩野家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 明男の曽祖父は栃木の貴族院議員、祖父は村長という政治家一族。初代県連会長を務めた加藤高蔵の娘・安と結婚して地盤を引き継いだものの、いまいち選挙に弱く3勝3敗と勝ち越せないまま急逝、安が中継ぎに入った。 自民党県議だった岳也は12年総選挙に無所属で出馬し落選。だが党公認の丹羽雄哉の引退が年齢的に近いこともあり、お咎めなしという異例の扱いを受けている。 |
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岳也 | - | - | - | - | - | ||
安 | 母 | - | - | ○ | - | ||
明男 | 父 | - | ○ | ○ | - | ||
(加藤)高蔵 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院茨城6区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
亀井家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 代々津和野藩主を務め後に伯爵家となった大名家。ちなみに広島の亀井郁夫・静香兄弟は自分たちの先祖が初代津和野藩主・茲矩の兄であると主張している。 近年は竹下家・青木家などに押され苦戦が続く。 |
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亜紀子 | - | - | - | ○ | - | ||
久興 | 父 | 国土庁長官 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院島根選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
亀岡家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 高夫には子が無かったため妻の甥にあたる偉民を養子に迎え、地盤を譲った。偉民は世襲候補なのに当初は自民の公認を貰えず、4連敗を喫するなど苦労を重ねた。 石原幹市郎家は30年来のライバル。 |
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☆偉民 | - | - | ○ | - | - | ||
高夫 | 養父 | 建設大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院福島1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
川崎家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 普通選挙施行前の1915年(大正4年)以降の全ての総選挙に候補を送り込んできた三重の名門であり、自民党でも最も古い歴史を持つ世襲議員家の一つ。 ただし浮動票の多い1区と言う土地柄もあり地盤は盤石とまでは言えず、克は1回、秀二は2回、二郎は4回選挙区での落選を経験している。 |
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☆二郎 | - | 厚生労働大臣 | ○ | - | - | ||
秀二 | 父 | 厚生大臣 | ○ | - | - | ||
克 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院三重1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
川田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | ここに掲載された大半の議員家と異なり、子の龍平が薬害被害者・人権活動家として得た名声を下地に母が議員になったというパターン。母は衆院東京21区で1期だけ務め、後に龍平が参院東京から出馬し当選。みんなの党移籍後に比例区へと転じて現在に至る。 | |
☆龍平 | - | - | - | ○ | - | ||
悦子 | 母 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院比例区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
木内家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 木内家は鎌倉以来の由緒ある武家だったが、仕官先の千葉氏が小田原征伐で滅亡すると刀を捨て帰農した。 重四郎の妻は三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の娘であり、孝胤から見て弥太郎は高祖父にあたる。 |
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孝胤 | - | - | ○ | - | - | ||
重四郎 | 曽祖父 | - | - | - | ○ | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院東京9区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
菊池家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 代々長右衛門の名を引き継いでいる宮古の豪商の一族。水産業界など様々な分野に重きをなした。 議員家としては大正・終戦前後・平成と大きくブランクを空けながら3代続けて代議士を務めた。ただしいずれも短期間であり、むしろ宮古市議・市長や同市選出の県議など地方政界での活動期間の方が長い。 |
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長右ェ門 | - | - | ○ | - | - | ||
長右衛門 | 父 | - | ○ | - | - | ||
長右衛門 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院比例東北 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
岸家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 信介は佐藤家、信夫は信介の娘が嫁いだ安倍家からの養子であり、この両家との結び付きは非常に強い。 信介の息子は障害のため議員になれなかったが、養子の信夫が33年ぶりに地元の議席を取り戻した。 |
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☆信夫 | - | - | ○ | ○ | - | ||
信介 | 祖父 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | 安倍家・佐藤栄作家 | ||||||
現在の地盤 | 衆院山口2区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
岸田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 正記の初当選が1928年とかなり古い家だが戦後は落選続きで公認も失ったためスムーズな世襲はできず、正記→文武の間には約20年のブランクが空いている。 正記の娘の一人が同じ広島の宮澤家に嫁いだほか、文武は日東製粉社長の娘を、文武次男(文雄の弟)は湖池屋創業者の娘をそれぞれ娶っている。 |
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☆文雄 | - | 外務大臣 | ○ | - | - | ||
文武 | 父 | - | ○ | - | - | ||
正記 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | 宮澤家 | ||||||
現在の地盤 | 衆院広島1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
北川家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 寝屋川市を地盤とする一族。石松の長男・法夫も寝屋川市選出の大阪府議を務めている。 知克は世襲議員の割に落選が多かったが、12年は維新が擁立を回避する幸運に恵まれて議席を守った。 |
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☆知克 | - | - | ○ | - | - | ||
石松 | 父 | 環境庁長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院大阪12区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
北側家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 現時点で公明党唯一の世襲議員家(同党の石川博崇議員と義父の風間昶元議員は姓と地盤の両方が異なるため当記事の掲載基準を満たさない)。 生家はゴルフ用品の開発・販売などを行っている。 |
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一雄 | - | 国土交通大臣 | ○ | - | - | ||
義一 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院大阪16区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
木村武千代家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 平太郎は陸軍中将を経て戦前に旧香川1区選出議員(立憲政友会)を1期務めた。その後しばらく間をあけて1958年に娘婿の武千代が出馬、09年に義雄が落選するまで香川の選挙区から立候補を続けていた。 義雄は参院比例に鞍替えしたものの、香川は基礎票がそれほど多くないため個人票集めに苦労している。 |
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☆義雄 | - | - | ○ | ○ | - | ||
武千代 | 父 | - | ○ | - | - | ||
(上原)平太郎 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院比例区 (元は衆院香川2区) |
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木村文男家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 文男は3勝2敗、10年ほど間をあけて守男は4勝3敗とあまり強い家ではなかったが、太郎はここまで6戦全勝と安定した戦いぶりを見せている。 津島家と選挙区が重なっている上に、県知事に転じた守男がセクハラ不倫疑惑で辞任に追い込まれた件に県連津島派が絡んでいたことから両家の仲は微妙。 |
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☆太郎 | - | - | ○ | - | - | ||
守男 | 父 | - | ○ | - | - | ||
文男 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院青森4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
黒岩家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 秩子の実家は旧華族・北大路男爵家の傍系にあたる。秩子は95年の参院比例区に新党さきがけ公認で出馬、落選したものの後に繰り上げ当選で5か月間だけ無所属で議員活動に携わった。宇洋は非自民系無所属として活動した後民主党入りし、現在に至る。 | |
宇洋 | - | - | ○ | ○ | - | ||
秩子 | 母 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院新潟3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
小池家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 三島市の日蓮宗僧侶の家。政恩は戦後自由党で代議士を1期務め、子の政臣も三島市議・県議を経て総選挙に挑んだが、選挙違反に問われたため三島市長に転じた。政就は細野豪志の地盤が強大な三島市の5区を避け1区から出馬、4位ながら比例復活を果たした。 | |
☆政就 | - | - | ○ | - | - | ||
政恩 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院静岡1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
小泉家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 言わずと知れた神奈川の名門。全身に刺青を入れたとび職人の倅が大臣にまで登り詰め世襲議員家を開くというジャパニーズ・ドリームを体現して見せた。俳優の小泉孝太郎は純一郎の長男にあたる。 代々はっきりした物言いと弁舌の巧みさが光る一族であり、大衆人気の高さは凡百の世襲議員家と一線を画する。石原慎太郎家は石田家を間に挟んだ遠縁。 |
|
☆進次郎 | - | - | ○ | - | - | ||
純一郎 | 父 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
純也 | 祖父 | 防衛庁長官 | ○ | - | - | ||
又次郎 | 曽祖父 | 逓信大臣 | ○ | - | ○ | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院神奈川11区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
河野一郎家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 小泉家と双璧を為す神奈川の名門。一郎の父・治平も県会議長まで務めた地元の有力政治家だった。1932年以降の全ての総選挙で候補者を擁立している。 謙三は兄・一郎の公職追放中の代役だったが、一郎の復帰後も参院に転じて長く議員を務めた。後に長男への世襲を図るも失敗している。家の本拠地は平塚で、洋平は太郎に平塚を譲り晩年は小田原から出ていた。 |
|
☆太郎 | - | - | ○ | - | - | ||
洋平 | 父 | 自民党総裁 | ○ | - | - | ||
謙三 | 大叔父 | 参議院議長 | ○ | ○ | - | ||
一郎 | 祖父 | 建設大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院神奈川15区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
河野正家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 正は社会党、正美はたちあがれ日本→日本維新の会と父子で所属政党の方向性は180度逆である。 正が興した医療法人は福岡で複数の病院や施設を運営しており、現在は正美が理事長を務めている。 |
|
☆正美 | - | - | ○ | - | - | ||
正 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院福岡4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
高村家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 岸信介と佐藤栄作という大物議員が同一選挙区に居たこともあって坂彦は2勝5敗と負けが込み、徳山市長時代(4期)の方が実績は多かった。 正彦は小選挙区制移行にも助けられ不敗が続く。 |
|
☆正彦 | - | 外務大臣 | ○ | - | - | ||
坂彦 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院山口1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
國場家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 沖縄県最大の土建屋「國場組」の創業者一族。幸之助の義父・西田健次郎は元県議で県連会長を務めた。 沖縄1区のライバル・下地幹郎は県2位の土建屋「大米建設」の創業者一族であり、二重の意味でライバル。 |
|
☆幸之助 | - | - | ○ | - | - | ||
幸昌 | 大叔父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院沖縄1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
小坂家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 1890年(明治23年)の第1回総選挙で既に議席を得ていた日本最古の世襲議員家。憲次は皮肉と誇りをないまぜにして「世襲の権化」を自称し、自民党が世襲規制を進めようとした際には離党をちらつかせて反発した。 その影響力は政界のみに留まらず、信濃毎日新聞のオーナーとして地元マスコミを掌握し、大手化学メーカー信越化学の創業者一族として財界にも顔を利かせる。 東京に移った徳三郎を除き代々長野の選挙区から出馬していたが、09年に落選を喫した憲次が翌年参院比例に転じたため、地元の議席はついに失われた。 |
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☆憲次 | - | 文部科学大臣 | ○ | ○ | - | ||
徳三郎 | 叔父 | 運輸大臣 | ○ | - | - | ||
善太郎 | 父 | 外務大臣 | ○ | - | - | ||
武雄 | 大叔父 | - | ○ | - | - | ||
順造 | 祖父 | - | ○ | - | ○ | ||
善之助 | 曽祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院比例区 (元は衆院長野1区) |
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小平家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 比較的珍しい民社党系の世襲議員家。父子で1947年以降の全ての総選挙に出馬しており、北海道における民社党唯一の国会議席を守っていた。忠正は郵政選挙でも圧勝するなど強固な地盤を誇っていたが12年遂に落選。現在は支部長を辞任しており、今後も家が続くかは不明。 | |
忠正 | - | 公安委員長 | ○ | - | - | ||
忠 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院北海道10区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
後藤田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 井上普方は正晴の姉の子で正純より先に社会党議員として徳島全県区に進出しており、76年から93年まで敵味方に分かれて同一選挙区の議席を争い合った。 正純が地盤としていた徳島3区は13年に廃止されたため、旧1区の支部長だった福山守(非世襲)を比例区に押し出して新1区への国替えを果たした。 |
|
☆正純 | - | - | ○ | - | - | ||
(井上)普方 | 従伯父 | - | ○ | - | - | ||
正晴 | 大叔父 | 内閣官房長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院徳島1区 (廃止前は同3区) |
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小宮山家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 常吉は実業家が本業で、政治家としては参議院議員(緑風会)を1期務めたのみ。常吉の長男・英蔵は平和相互銀行や太平洋クラブを興すなど成功を収めた。 当初重四郎の後継は次男の徹だったが、落選後自民支部長を解任されたため離党。代わって県議だった泰子が自由党から出馬して現在に至る。 |
|
☆泰子 | - | - | ○ | - | - | ||
重四郎 | 父 | 郵政大臣 | ○ | - | - | ||
常吉 | 祖父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院埼玉7区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
近藤家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 鉄雄の義父にあたる野原正勝も岩手選出の自民党代議士として10期務め、労働大臣などを歴任した。鉄雄は遠藤武彦に敗れて新2区での自民公認を失い引退、洋介は追加公認も念頭に無所属で遠藤に挑んだがやはり敗れたため、後に民主党入りを決断した。 | |
☆洋介 | - | - | ○ | - | - | ||
鉄雄 | 父 | 労働大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院山形2区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 |
桜内家 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 元々は島根の広瀬藩士の家系。義雄は初当選かと思いきや父・幸雄の名前を書いた票が多く、後日当選を無効にされるという世襲議員家らしいトラブルにも見舞われた。 文城は義雄の孫娘の婿であり、自分の故郷である愛媛からの出馬を選んだ。文城の義理のはとこにあたる朋雄が2010年参院選に島根選挙区から出馬して地元議席の回復を狙ったが、こちらは落選に終わっている。 |
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☆文城 | - | - | ○ | ○ | - | ||
義雄 | 義祖父 | 外務大臣 | ○ | - | - | ||
辰郎 | 義曽祖叔父 | - | ○ | ○ | - | ||
幸雄 | 義曽祖父 | 大蔵大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | 福田家 | ||||||
現在の地盤 | 衆院愛媛4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
笹川家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 右翼の大立者にして政界の黒幕とも呼ばれた笹川良一が興した家。日本競艇界の元締め一族でもある。良一自身は帝国末期に1期務めたのみで以後裏に回っており、群馬の地盤は数十年後に堯が築いたもの。 博義は堯の現役時代に3度国政に挑戦したがいずれも落選、父の引退後にようやく初当選を飾った。 |
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☆博義 | - | - | ○ | - | - | ||
堯 | 父 | 特命担当大臣 | ○ | - | - | ||
良一 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | - | ||||||
現在の地盤 | 衆院群馬3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
佐田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 群馬の土建屋・佐田建設の創業者一族。2代目は政界に出なかったため16年のブランクが空いている。 玄一郎は要職に就くたびにスキャンダルで辞任に追い込まれているが、選挙には比較的強い。 |
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☆玄一郎 | - | 特命担当大臣 | ○ | - | - | ||
一郎 | 祖父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院群馬1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
左藤家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 真宗大谷派の僧侶の家であり、大谷学園の創立者一族でもある。義詮は大阪府知事を3期務めた。 章は郵政造反組に身を投じたため刺客を送り込まれ、05年・09年は連続落選を喫した。だが世襲地盤の固さゆえに09年は刺客を上回って次点に入り自民公認を奪回、12年は維新候補をも破って復帰を果たした。 |
|
☆章 | - | - | ○ | - | - | ||
恵 | 義父 | 法務大臣 | ○ | - | - | ||
義詮 | 義祖父 | 防衛庁長官 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院大阪2区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
佐藤栄作家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 栄作の父の実家が岸家であり、栄作の兄・信介が養子として跡を継いだ。この両家と岸家に連なる安倍家はいずれも総理大臣を輩出した山口の名門である。 ただ佐藤家は信二以降選挙に弱くなり、当代の雅志は07年・10年と連続落選でいよいよ後がない。一応繰り上げ当選の見込みはあるのだが… |
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(阿達)雅志 | - | - | - | - | - | ||
信二 | 義父 | 運輸大臣 | ○ | ○ | - | ||
栄作 | 義祖父 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | 安倍家・岸家 | ||||||
現在の地盤 | 参院比例区 (元は衆院山口2区) |
索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
佐藤守良家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 尾道・三原の県東部沿岸部を地盤とする一族。父子共に小沢一郎に近く、一貫して行動を共にしている。 元は広島6区から出馬していたが、備北内陸を抑える亀井静香に圧倒され、後に参院に転じた。 |
|
公治 | - | - | ○ | ○ | - | ||
守良 | 父 | 農林水産大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院広島選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
塩崎家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 松山市を地盤とし、1969年以降40年以上に渡って同地の選挙区議席を維持し続けている一族。 非常に珍しい議院間コスタリカで関谷家(廃絶)と衆参交互に立候補していた時期があった。 |
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☆恭久 | - | 内閣官房長官 | ○ | ○ | - | ||
潤 | 父 | 総務庁長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院愛媛1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
塩谷家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 浜松市を地盤とする世襲議員家。 一夫は7期務めた実績があり世襲もスムーズに行ったのだが、その割に立の強さはそれほどでもなく、12年以外は毎回選挙で接戦を演じている。 |
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☆立 | - | 文部科学大臣 | ○ | - | - | ||
一夫 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院静岡8区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
下条家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 康磨は全国区から断続的に出馬していたため長野に強固な地盤を築けず、進一郎は生涯3勝3敗と苦戦した。特に95年は定数2で自民公認を進一郎だけに絞ったのに3位で落選という失態を演じ、98年は公認を外されて惨敗を喫し引退に追い込まれた。光康は民主党に移籍して衆院に転じ、逆風下の05年でも大差で当選するほどの地盤を築いたが、12年はさすがに落選を余儀なくされた。 | |
光康(みつ) | - | - | ○ | - | - | ||
進一郎 | 父 | 厚生大臣 | - | ○ | - | ||
康磨 | 祖父 | 文部大臣 | - | ○ | ○ | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院長野2区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
菅川家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 健二は新進党に参加し参院広島から初当選。反小沢グループが結成した改革クラブを経て民主党に合流した。洋は逆に小沢に従って生活の党へと移籍している。 洋の衆院1区は岸田家の地盤であり苦戦が続く。 |
|
洋 | - | - | ○ | - | - | ||
健二 | 父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院広島1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
鈴木善幸家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 小沢王国・岩手における自民党の砦。圧勝した12年総選挙でも選挙区で勝てたのはこの家だけだった。 善幸の娘が麻生太郎に嫁いでおり、麻生家の強大な閨閥の中に組み込まれている。 |
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☆俊一 | - | 環境大臣 | ○ | - | - | ||
善幸 | 父 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | 麻生太吉家 | ||||||
現在の地盤 | 衆院岩手2区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
鈴木宗男家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 道東世襲御三家の一つ。元は農家。宗男は中川一郎に秘書として仕え、彼の死後政界に進出した。 宗男は中川家の世襲を批判していたが、皮肉なことに彼自身も世襲議員家を興すことになった。 |
|
☆貴子 | - | - | ○ | - | - | ||
宗男 | 父 | 新党大地代表 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院北海道7区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
関口家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 戦前から秩父で歯科医院を開いていた歯科医師の家系。恵造は歯科医師会の組織内候補として全国区・比例区から出馬していた。 昌一は父の引退後しばらく県議を務めていた。 |
|
☆昌一 | - | - | - | ○ | - | ||
恵造 | 父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院埼玉選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
世耕家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 1932年以来の歴史を持つ和歌山一の名門。近畿大学の理事長職を代々世襲してきた一族でもある。参院転出後は一人区の強みもあり毎回無風選挙を演じる。 政隆の娘は岐阜を地盤とする森元恒雄元参議院議員(自民)に嫁いだ。また弘成は民主党の林久美子参議院議員と「大連立婚」を果たして話題を呼んでいる。 |
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☆弘成 | - | - | - | ○ | - | ||
政隆 | 伯父 | 自治大臣 | ○ | ○ | - | ||
弘一 | 祖父 | 経企庁長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院和歌山選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
園田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 直は左派労農党の代議士だった天光光を妊娠させ、妻(博之の母)を追い出して後妻に迎えるという一大スキャンダルを引き起こした。天光光は東京から出馬していたがこの件で支持を失い、一度引退している。 直は後継者を指名せずに亡くなったため補選では博之と天光光が揃って出馬し、骨肉の争いを繰り広げた。 |
|
☆博之 | - | - | ○ | - | - | ||
天光光 | 義母 | - | ○ | - | - | ||
直 | 父 | 内閣官房長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院熊本4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
高鳥家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 修の両親は早逝したため祖父の順作が育ての親となった。2代40年に渡り能生町(現在の糸魚川市)の町長を務めた地元の有力者。修は田中角栄の腹心だったが、修一は安倍晋三に臣従し党内最右派に陣取る。 修一は小選挙区で3連敗を喫するなど3世議員にしては弱く、12年にようやく選挙区初勝利を飾った。 |
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☆修一 | - | - | ○ | - | - | ||
修 | 父 | 総務庁長官 | ○ | - | - | ||
順作 | 曽祖父 | - | ○ | - | ○ | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院新潟6区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
竹下家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 登には男子がおらず3人の娘婿(うち1人は政界の大物・金丸信の長男)も跡を継がなかったため、やむなく22歳年下の異母弟・亘を後継者とした。ちなみにミュージシャンのDAIGOは登の孫にあたる。また亘の妻の生家・福田家を介して小沢家とは遠縁の間柄。 | |
☆亘 | - | 復興大臣 | ○ | - | - | ||
登 | 異母兄 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院島根2区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
武部家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 道東世襲御三家の一つ。当初は目立つ家ではなかったが、小泉政権時に忠実な家臣として頭角を現した。 新の妻の兄にあたる藤田幹雄も自民党代議士になったが、野田佳彦を相手に苦戦を重ねている。 |
|
☆新 | - | - | ○ | - | - | ||
勤 | 父 | 農林水産大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院北海道12区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
橘家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 伏木海陸運送の社長を代々務める一族。世襲議員家としても長い歴史を有するが、実業への関心が強いのか議員家としてはしばしばブランクが空き、しかも地元には綿貫家の強大な地盤があったため比例転出を余儀なくされるなど、政界では目立たない存在であった。 慶一郎は綿貫の離党・比例転出に助けられて小選挙区をがっちり確保、家中初の大臣就任を目指す。 |
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☆慶一郎 | - | - | ○ | - | - | ||
康太郎 | 父 | - | ○ | - | - | ||
直治 | 祖父 | - | ○ | ○ | - | ||
清次郎 | 高祖父 | - | - | - | ○ | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院富山3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
田中角栄家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 言わずと知れた新潟の大御所。後援会「越山会」は圧倒的な集票力を誇り、角栄引退に伴う解散後も眞紀子の活躍を下支えした。しかし民主党移籍後は結束にヒビが入り、逆風下の12年総選挙での惨敗の遠因となった。 婿の直紀は旧福島3区を地盤とした鈴木直人代議士(自民)の息子で、当初は父同様福島から出馬していた。 |
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☆直紀 | - | 防衛大臣 | ○ | ○ | - | ||
眞紀子 | 妻 | 外務大臣 | ○ | - | - | ||
角栄 | 義父 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院新潟選挙区(直紀) 衆院新潟5区(眞紀子) |
索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
田中六助家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 六助は70年代から80年代の政局を語る上で欠かすことのできない大物議員として知られた。 良太は公認漏れや10年間の浪人生活など紆余曲折を経ながらも、近年は六助時代の地盤を回復している。 |
|
☆(武田)良太 | - | - | ○ | - | - | ||
六助 | 叔父 | 内閣官房長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院福岡11区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
田名部家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 同じく八戸を地盤とする大島理森は父娘2代に渡るライバルであり、地方首長・地方議員をも二分した熾烈な抗争は「八戸戦争」と呼ばれた。ただ田名部家が新生党などを経て民主党に移ってからは大島に対して劣勢を強いられており、小選挙区では6連敗を喫している。 | |
匡代 | - | - | ○ | - | - | ||
匡省 | 父 | 農林水産大臣 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院青森3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
谷家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 洋一の伯父も元県議。公一への世襲時には自民県議が異議を唱えて予備選挙が実施されたが、当然の如く公一が勝利して選挙区を確保した。 09年には他党の候補者不足で棚ボタ当選の幸運も。 |
|
☆公一 | - | - | ○ | - | - | ||
洋一 | 父 | 農林水産大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院兵庫5区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
谷垣家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 福知山市を地盤に1960年以降短期間を除いて衆議院の議席を保持し続ける名家。 禎一の母方の祖父は影佐禎昭陸軍中将。また禎一の従兄の八木靖浩は川崎重工社長を務めた。 |
|
☆禎一 | - | 自民党総裁 | ○ | - | - | ||
専一 | 父 | 文部大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院京都5区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
谷川秀善家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 浄土真宗の住職を務める家系。秀善は引退にあたり3期務めた参院大阪の地盤は世襲させず、泉南の衆院19区に次男のとむを送り込んだが、維新候補に敗れ落選した。長男は地元の尼崎市議を4期務め、尼崎市長選に挑んだがこちらも落選している。 | |
とむ | - | - | - | - | - | ||
秀善 | 父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院大阪19区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
田野瀬家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 地盤は五條市。関西有数の名門進学校・西大和学園の創立者一族でもある。 太道の世襲時には一応党員投票が行われたが、当然の如く太道が圧勝を収めた。 |
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☆太道 | - | - | ○ | - | - | ||
良太郎 | 父 | 自民党総務会長 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院奈良4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
田村秢家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 初代の秢は弁護士で、帝国末期の立憲政友会系翼賛候補として1期のみ務めた。 元は中選挙区で当選14回、2選目から13回連続トップ当選という日本記録を打ち立てるほど選挙に強かったが、その地盤を引き継いだ憲久はそこまで圧倒的ではなく、09年には逆風もあって選挙区落選を喫している。 |
|
☆憲久 | - | 厚生労働大臣 | ○ | - | - | ||
元 | 父 | 通商産業大臣 | ○ | - | - | ||
秢 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院三重4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
塚田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 十一郎は早くから頭角を現したが、後半は贈賄で知事職を追われるなど精彩を欠いた。徹も3勝4敗と負け越したまま政界を去り、塚田家の名は一時姿を消した。 その後20年以上のブランクを経て、徹とは29歳も離れた異母弟の一郎が登場。2連敗を喫したものの三度目の正直で新潟の議席を取り戻した。 |
|
☆一郎 | - | - | - | ○ | - | ||
徹 | 異母兄 | - | ○ | - | - | ||
十一郎 | 父 | 郵政大臣 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | 松野鶴平家 | ||||||
現在の地盤 | 参院新潟選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
津島家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 太宰治(本名・津島修治、源右衛門の六男)の生家としても知られる青森の名門。裕福で保守的な家の下の子として生まれ、家の外では特別扱いを受けながらも家族からは十分な愛を注がれずに育ったことが、太宰の複雑な人格や学生時代のマルクス主義への傾倒、生家へのコンプレックスなどの根源にあるという。 皮肉なことに世襲議員家としての津島家の主流は太宰の系統(娘婿・雄二→孫・淳)に移っており、政治家だった太宰の兄たち(文治・英治)の系統(文治の娘婿・田沢吉郎→英治の孫・恭一)は恭一が郵政造反組に身を投じたことなどから、近年は先行きが不透明になりつつある。 |
|
☆淳 | - | - | ○ | - | - | ||
恭一 | 再従兄 | - | ○ | - | - | ||
雄二 | 父 | 厚生大臣 | ○ | - | - | ||
(田沢)吉郎 | 義従伯父 | 農林水産大臣 | ○ | - | - | ||
文治 | 大伯父 | - | ○ | ○ | - | ||
源右衛門 | 曽祖父 | - | ○ | - | ○ | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院青森1区(淳) 衆院青森4区(恭一) |
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土屋家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 正吉は丁稚奉公からの叩き上げで大正製薬の創業者一族を追放し、オーナー社長として大企業に成長させた立志伝中の人物。義彦の弟が正吉の養子に入り、大正製薬は土屋家の血統で継承されることになった。 正吉と義彦は一時期共に参院埼玉から出馬しており、お互い重ならないよう改選期をずらしていた。 |
|
☆品子 | - | - | ○ | - | - | ||
義彦 | 父 | 参議院議長 | - | ○ | - | ||
(上原)正吉 | 義大叔父 | 科技庁長官 | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院埼玉13区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
寺田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 土建屋「創和建設」の創業者一族。典城が横手市長から秋田県知事へと進んでいる間に次男の学が民主党から国政に進出したため、国会議員としては息子が先達となった。なお長男も総選挙に出馬したことがあるがこちらは落選している。典城も10年参院選で国政に転出。 | |
学 | - | - | ○ | - | - | ||
☆典城 | 父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院秋田1区(学) 参院比例区(典城) |
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渡海家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 元は曽根町(現高砂市)の町長や県議を務めた家で、現在も高砂市を主な地盤としている。 紀三郎は高砂市の公共工事受注業者から不正に献金を受け取っていたとして批判を浴びたことも。 |
|
☆紀三郎 | - | 文部科学大臣 | ○ | - | - | ||
元三郎 | 父 | 建設大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院兵庫10区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
徳田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 日本の二大病院グループの一つ「徳洲会」の創業者一族。虎雄は自由連合を立ち上げ、毅の代で自民党に移ったが度重なる不祥事で離党・辞職に追い込まれた。ただ党除名はされておらず、本人も復帰に意欲を見せていることから、公民権回復後の再出馬も予想されている。 | |
毅 | - | - | ○ | - | - | ||
虎雄 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院鹿児島2区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 |
中川一郎家 | |||||||
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名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 道東世襲御三家の一つ。一郎の代で田舎の町議兼家畜商から北海道随一の世襲議員家に伸し上がった。 一郎・昭一は共に大物議員として鳴らしたが酒癖の悪さと精神的な脆さが仇となり若くして急逝。郁子は昭一の子の準備が整うまでの中継ぎと見られている。 義雄は2選後たち日に移るも落選、長男・賢一もみんなの党から出馬を試みるが落選とこちらは振わない。 |
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☆郁子 | - | - | ○ | - | - | ||
昭一 | 夫 | 財務大臣 | ○ | - | - | ||
義雄 | 義叔父 | - | - | ○ | - | ||
一郎 | 義父 | 農林水産大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院北海道11区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
中川俊思家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 秀直はかつて講演や雑誌の取材で広島4区の地盤を世襲させない宣言を出しており、同僚議員からは「お前も父親の選挙区を継いだクチだろ」と揶揄されていた。 俊直も世襲を否定していたものの、東広島市長選で落選、参院広島の公募でも宮澤家の洋一に敗れて出るところがなくなり、前言を撤回して広島4区を世襲した。 |
|
☆俊直 | - | - | ○ | - | - | ||
秀直 | 父 | 内閣官房長官 | ○ | - | - | ||
俊思 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院広島4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
中曽根家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 群馬が誇る世襲御三家の一つ。かつては福田家と激しく争ったが、現在は選挙区競合の解消や、お互いの縁者同士の結婚によっていくぶん緩和されている。 弘文の娘は日本交通の川鍋一族に嫁いだ。 |
|
☆弘文 | - | 外務大臣 | - | ○ | - | ||
康弘 | 父 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院群馬選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
中谷家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 貞頼は戦前に代議士を4期務めたが後に実業に転じ、元の登場まで実に54年ものブランクが空いた。 地元の土建屋・大旺新洋の創業者一族。ただし公共事業の落ち込みもあって近年は経営不振が続いている。 |
|
☆元 | - | 防衛庁長官 | ○ | - | - | ||
貞頼 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院高知2区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
長峯家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 基は江藤家に仕えていたが、当時県連江藤派と争っていた上杉派の横槍で公認を失い、最後は造反から離党に追い込まれ失意のうちに政界を去った。 後に上杉派が衰退したため復権に成功している。 |
|
☆誠 | - | - | - | ○ | - | ||
基 | 父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院宮崎選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
中村喜四郎家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 初代は参議院議員2期目早々に急逝。妻の登美が代役で残期を務め、息子の衆院初当選を見届けて引退した。当代は元々「伸」という名前だったが、世襲に際して戸籍名を父と同じ「喜四郎」に変えている。その後収賄で実刑判決を受け自民党を追われたが、後援会があまりに強すぎるため出所後も無所属で連続当選を続ける「無敵の人」。現在は自民党に半復帰したような状態になっている。 | |
☆喜四郎 | - | 建設大臣 | ○ | - | - | ||
登美 | 母 | - | - | ○ | - | ||
喜四郎 | 父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院茨城7区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
中山福蔵家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 1932年以来の歴史を持つ非常に古い世襲議員家。マサは日本史上初の女性大臣として知られる。 マサ→正暉→泰秀が大阪市東成区を含む地盤を継承し、福蔵→太郎は参院大阪から出馬していたが、太郎は後に泉南に独自の地盤を築き衆議院議員に転じた。 福蔵・マサ夫婦は約10年間、太郎・正暉兄弟は30年以上同時に国会議員を務めた。正暉・泰秀の親子同時議員も計画されたものの、こちらは失敗に終わった。 |
|
☆泰秀 | - | - | ○ | - | - | ||
正暉 | 父 | 建設大臣 | ○ | - | - | ||
太郎 | 伯父 | 外務大臣 | ○ | ○ | - | ||
マサ | 祖母 | 厚生大臣 | ○ | - | - | ||
福蔵 | 祖父 | - | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院大阪4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
西田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 政界最右派の雄・西田昌司の生家。養鶏家としての成功を下地に県議から参議院議員へと伸し上がった。 県議としても参議院議員としても吉宏の転出・引退後すぐ昌司が跡を継いでおり、世襲は非常にスムーズ。 |
|
☆昌司 | - | - | - | ○ | - | ||
吉宏 | 父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院京都選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
西野家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 東大阪市を地盤とする一族。父子共に府議上がりで、陽の次男・修平も河内長野選出の維新府議。 陽は引退をギリギリまで発表しなかったため自民の候補者選定が遅れ、維新公認の弘一が圧勝を収めた。 |
|
☆弘一 | - | - | ○ | - | - | ||
陽 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院大阪13区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
西村家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 栄一が戦後最初の総選挙で当選したことに始まる、最も歴史の長い民社党系の世襲議員家。眞悟の義父・岡澤完治も大阪を地盤とする民社党代議士である。 身内に大勢民社党関係者がいるためか、眞悟は民社党の国家社会主義的な側面を凝縮したようなイデオロギーを有しており、民主党・維新の会を渡り歩きながら、その都度過激な発言や刑事事件による除名を繰り返している。 |
|
☆眞悟 | - | 太陽の党代表 | ○ | - | - | ||
章三 | 従兄 | - | ○ | - | - | ||
(岡澤)完治 | 義父 | - | ○ | - | - | ||
栄一 | 父 | 民社党委員長 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院比例近畿 (元は衆院大阪17区) |
索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
西銘家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 米軍統治時代から政治に携わる沖縄保守政界の重鎮。順治は知事としても辣腕を振るい、本土復帰後初の沖縄人大臣を期待されたが、道半ばにして引退した。 長男の順志郎は落選続きで一時自由連合に転出するなど振るわなかったものの、三男の恒三郎が新設の沖縄4区を確保し、家中からの大臣輩出を目指す。 |
|
☆恒三郎 | - | - | ○ | - | - | ||
順志郎 | 兄 | - | - | ○ | - | ||
順治 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院沖縄4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
二之湯家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 京都市を地盤とする一族で、智の次男・真士は京都市右京区選出の府議会議員を務める。 親子同時国会議員はさほど珍しくないが、親子同時参議院議員は54年ぶりだという。 |
|
☆武史 | - | - | - | ○ | - | ||
☆智 | 父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院滋賀選挙区(武史) 参院京都選挙区(智) |
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丹羽喬四郎家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 親子共に在職25年以上の永年在職議員表彰を受けている茨城の名門。雄哉の代では派閥領袖まで務めた。 雄哉は既に高齢なこともあって影響力の低下が囁かれており、12年には狩野家の挑戦を受けることになった。 |
|
☆雄哉 | - | 厚生大臣 | ○ | - | - | ||
喬四郎 | 父 | 運輸大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院茨城6区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
丹羽兵助家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 旧愛知2区から愛知6区を地盤とする家。秀樹の母方の祖父の孝三は大の飛行機好きで、初登院時には自ら水上機で飛ぶパフォーマンスも見せた。安藤家は後にアーク証券を立ち上げたほか、県議や市長も輩出した。 国会議員職は丹羽家が引き継いだが、1990年に兵助が暴漢に刺されて急死するとしばらく断絶の憂き目に。15年後の2005年に秀樹が小泉チルドレンとして初当選を飾り、ひさしぶりに一族の地盤に返り咲いた |
|
☆秀樹 | - | - | ○ | - | - | ||
久章 | 大叔父 | - | ○ | - | - | ||
兵助 | 祖父 | 労働大臣 | ○ | - | - | ||
(安藤)孝三 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院愛知6区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
野上家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 徹は県議を経て衆院に転じたが2勝5敗と落選が多く、最後は自民党の公認も失い引退を余儀なくされた。 浩太朗は父の引退後に県議となり、こちらは参院に転じて一人区の強みを生かし2勝1敗と健闘している。 |
|
☆浩太朗 | - | - | - | ○ | - | ||
徹 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院富山選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
野田卯一家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 卯一の長男である聖子の父・稔は母方の島家に養子に入ったため、聖子も当初は島姓を名乗っていた。 卯一の引退後、聖子は卯一の孫養子になって野田姓に復帰し、県議を経て野田家の地盤を回復した。 |
|
☆聖子 | - | 郵政大臣 | ○ | - | - | ||
卯一 | 養父 | 建設大臣 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院岐阜1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
野田武夫家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 武夫は神奈川新聞の社長だったこともあり当初神奈川から出馬していたが、後に故郷の熊本へ転じた。 逆風下の09年にコスタリカの比例番にあたる幸運もあり毅は党の現役議員中最多の連続14選を飾っている。 |
|
☆毅 | - | 建設大臣 | ○ | - | - | ||
武夫 | 義父 | 自治大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院熊本2区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
野中家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 加須市を地盤とする一族。英二は6選を重ねるも晩年は落選が多く、最後は公認を外されて現役を退いた。 以後十数年近く政界から姿を消していたが、孫の厚が県議を経て12年総選挙で当選、地盤を取り戻した。 |
|
☆厚 | - | - | ○ | - | - | ||
英二 | 祖父 | 国土庁長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院埼玉12区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
橋本家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 龍伍の後妻の子・大二郎も後に高知県知事を務めた。本来は大二郎が衆議院の議席を継ぐはずだったが、被選挙権を得る前に龍伍が急死したため、佐藤栄作の判断で龍太郎に白羽の矢が立ったという。 岳は順風下の05年に落選、12年も民主候補に比例復活を許すなど首相の子の3世議員にしては選挙に弱い。 |
|
☆岳 | - | - | ○ | - | - | ||
龍太郎 | 父 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
龍伍 | 祖父 | 厚生大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院岡山4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
羽田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 1937年に武嗣郎が初当選を飾って以来、長野県の上田市に強固な地盤を構える家。孜の母方の祖父は長野電鉄の創業者である神津藤平。 雄一郎は孜の現役時から参院に進出しており、孜の引退時には衆院鞍替えによる地盤継承を望んだが、民主党の世襲規制にかかり果たせなかった。 |
|
☆雄一郎 | - | 国土交通大臣 | - | ○ | - | ||
孜 | 父 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
武嗣郎 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院長野選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
鳩山家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 岡山・勝山藩藩士の家系。第1回総選挙から候補者を送り込んでいる日本最古の世襲議員家の一つ。その権威も去ることながら、威一郎の妻の実家であるブリジストン創業者・石橋家から流れ込む巨万の富こそが、鳩山家の力の真の源泉であると言われる。 本来の地盤は東京だが威一郎は業界団体の推す候補として参院全国区に回り、由紀夫は和夫が農場を経営していた北海道に渡った。邦夫は東京の地盤を継いでいたが、自民党復帰後に石橋家の故郷である福岡に移った。 現在の本流は邦夫の系統で、長男の太郎は10年参院選に新党改革の比例区から出るも落選。次男の二郎は6区内の大川市で市長となっており、こちらが本命か。 |
|
太郎 | - | - | - | - | - | ||
☆邦夫 | 父 | 法務大臣 | ○ | - | - | ||
由紀夫 | 伯父 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
威一郎 | 祖父 | 外務大臣 | - | ○ | - | ||
秀夫 | 曽祖叔父 | - | ○ | - | - | ||
一郎 | 曽祖父 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
和夫 | 高祖父 | 衆議院議長 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院福岡6区(邦夫) 参院比例区(太郎) |
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葉梨家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 1932年以来の歴史を持つ古い家。新五郎の公職追放中を除き毎回総選挙に候補を送り込んでいる。信行は最初公認を貰えず3連続落選の悲哀を味わうも、4度目の正直で当選すると以後連続12選と安定した。 中山栄一家は3代に渡るライバルだったが、3代目の一生が竜ケ崎市長に転じたことで戦いは終結した。 |
|
☆康弘 | - | - | ○ | - | - | ||
信行 | 義父 | 自治大臣 | ○ | - | - | ||
新五郎 | 義祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院茨城3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
羽生田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 前橋市で眼科医を営む一族。初代・俊次は前橋市議、二代目・進は衆議院議員、三代目・俊は参議院議員と短期間ではあるが代々政界に顔を出している。 俊は日本医師会の組織内候補である。 |
|
☆俊 | - | - | - | ○ | - | ||
進 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院比例区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
浜田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 幸一は一暴力団員から指定暴力団稲川会の斡旋を経て、世襲議員家を築き上げた立志伝中(?)の人。当選回数は多いがその経歴ゆえ要職は任されなかった。 靖一は安定地盤に助けられ無事大臣に就任した。 |
|
☆靖一 | - | 防衛大臣 | ○ | - | - | ||
幸一 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院千葉12区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
林大幹家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 大幹は無所属で連続落選後、3度目の正直で初当選を飾り自民党入り。以後大幹は6選、幹雄は7選を重ねる。 幹雄は父の秘書を経て地盤継承前に県議を3期務めており、世襲はスムーズに行われた。 |
|
☆幹雄 | - | 公安委員長 | ○ | - | - | ||
大幹 | 父 | 環境庁長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院千葉10区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
林平四郎家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 世襲議員家の多い山口県でも最も古い歴史を持つ家。1717年創業の下関の老舗醤油屋「大津屋」の創業者一族であり、平四郎の代でバス会社「サンデン交通」を立ち上げて更に権勢を高めた。義郎の妹は広瀬正雄郵政大臣の子で現大分県知事の広瀬勝貞に嫁いだ。 代々衆院旧山口1区を地盤としていたが、小選挙区制導入時に安倍家に下関の新4区を取られて衆院の選挙区を失った苦い経験がある。 |
|
☆芳正 | - | 農林水産大臣 | - | ○ | - | ||
義郎 | 父 | 大蔵大臣 | ○ | - | - | ||
佳介 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
平四郎 | 高祖父 | - | ○ | - | ○ | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院山口選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
原家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 父子とも地盤は東京。文兵衛は高校時代に町村敬喜の息子の先輩だった縁で敬喜の娘を娶り、内務官僚だった敬喜の弟・金五の口利きで内務省に入省したという。 町村家の支流であり、もちろん派閥も町村派。 |
|
☆(中川)雅治 | - | - | - | ○ | - | ||
文兵衛 | 義父 | 参議院議長 | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | 町村家 | ||||||
現在の地盤 | 参院東京選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
原田憲家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 憲が地盤とした旧大阪3区は全国でも最も自民党の地盤が弱い地域であり、定数4-5で1人通すのがやっと、ともすれば憲も落選して全滅という事態も見られた。後を継いだ憲治も09年は民主候補に、12年は維新候補に敗れるなどその地盤は盤石とは言い難い。 | |
☆憲治 | - | - | ○ | - | - | ||
憲 | 父 | 運輸大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院大阪9区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
平井家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 元は香川の土建屋。戦後太郎が他業種にも進出して成功を収め、余勢を駆って政界に進出した。特に西日本放送・四国新聞のオーナーとなり地元メディアを掌握したことが平井家の安定地盤確立に大きく寄与した。 卓也は衆院に転出し大臣就任も間近とされるが、4代目候補の2人の息子の不祥事続きが頭痛の種。 |
|
☆卓也 | - | - | ○ | - | - | ||
卓志 | 父 | 労働大臣 | - | ○ | - | ||
太郎 | 祖父 | 郵政大臣 | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院香川1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
平沼家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 騏一郎には子がなく、大姪の子にあたる赳夫を養子に迎えた。騏一郎は大日本帝国を代表する国粋主義者の一人であり、その思想は赳夫にも引き継がれた。ただ議会政治家ではなかったため地盤は引き継げなかった。なお赳夫の妻は徳川慶喜公爵家の出身である。 | |
☆赳夫 | - | 経済産業大臣 | ○ | - | - | ||
騏一郎 | 養父 | 内閣総理大臣 | - | - | ○ | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院岡山3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
福岡家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 日出麿の生家・辻家は鍋島藩士の家系。 資磨は地盤継承に十数年のブランクが空いていることから自身は非世襲議員だと主張しており、世襲制限を検討する議員連盟にも参加している。 |
|
☆資磨 | - | - | ○ | ○ | - | ||
日出磨 | 養父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院佐賀選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
福田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 群馬世襲御三家の一つにして2代続けて首相を輩出した名門中の名門。康夫の妻は桜内家の出身である。また康夫の姉が越智家に嫁いだほか、横手家に養子に出た康夫の兄の長男が中曽根康弘の大姪を娶ったため、かつてのライバルとも遠縁になっている。ちなみに康夫の兄の次男の妻は元アナウンサーの千野志麻。 達夫が地盤を継ぐ際には一応公募が行われたが、当然ながら達夫以外の立候補者は現れなかった。 |
|
☆達夫 | - | - | ○ | - | - | ||
康夫 | 父 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
宏一 | 大叔父 | - | - | ○ | - | ||
赳夫 | 祖父 | 内閣総理大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | 越智家・桜内家 | ||||||
現在の地盤 | 衆院群馬4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
藤井家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 丙午は財界人であり政治家としての活動期間は短かった。父の地盤を引き継いだ孝男は後に衆院に転じたが、金子一平家と地盤が被ったためコスタリカとなり、郵政造反組に加わると衆院を追われた。参院では大野伴睦家を退けて議席を得たが、維新に合流すると再び衆院に戻った。 | |
☆孝男 | - | 運輸大臣 | ○ | ○ | - | ||
丙午 | 父 | - | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院比例東海 (元は衆院岐阜4区) |
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船田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 元々は神職の家系で、現在は中の父・兵吾が設立した作新学院を代々経営している。 世襲議員家としては中が1930年に代議士となったことに始まり、以後すべての総選挙に候補者を擁立してきた。中の義父である元田肇は大分選出の代議士として1890年の第1回総選挙から1930年まで出馬を続けており、これも含めると一族で46回すべての総選挙に立候補した日本で唯一の家と言うことになる。 衆院栃木の地盤は中から直接元へと継承。泉介は群馬に転出し、譲は参議院議員や知事を務めた。 |
|
☆元 | 経企庁長官 | ○ | - | - | |||
恵 | 妻 | - | - | ○ | - | ||
譲 | 父 | - | - | ○ | - | ||
(藤枝)泉介 | 叔父 | 運輸大臣 | ○ | - | - | ||
亨二 | 叔父 | 行管庁長官 | ○ | - | - | ||
中 | 祖父 | 衆議院議長 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院栃木1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
古屋家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 1903年に善造が代議士となったことに始まる由緒ある家。岐阜の名望家であり、善造の父の代でも県議を務めていた。また亨の母方の須田家も代議士を輩出した。 慶隆が在職中に空襲で死んだため一時断絶していたが、特高警察上がりの亨が1967年に議席を取り戻した。亨は子に恵まれなかった(私生児はいたが母親の身分が低く家に入れられなかった)ため、妹の子である松本圭司を養子として古屋家の後継者に据えた。 |
|
☆圭司 | - | 公安委員長 | ○ | - | - | ||
亨 | 養父 | 公安委員長 | ○ | - | - | ||
慶隆 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
善造 | 曽祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院岐阜5区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
細田家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 戦国時代には尼子家の陪臣の武士だったが後に帰農、商家として成功を収めた。 中選挙区時代には竹下家・桜内家・亀井家と錚々たるライバルを相手にしのぎを削っていた。 |
|
☆博之 | - | 内閣官房長官 | ○ | - | - | ||
吉蔵 | 父 | 運輸大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院島根1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
保利家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 唐津市を地盤とする家。保利王国と呼ばれるほどの集票力を誇り、郵政造反時にも刺客を大差で破っている。 2013年の定数削減で3区が廃止されたこともあり、同年末に耕輔は引退を表明した。保利家の今後は不明。 |
|
☆耕輔 | - | 文部大臣 | ○ | - | - | ||
茂 | 父 | 内閣官房長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院佐賀3区(廃止) | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
堀内家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 富士急グループのオーナー一族。世襲議員家としても1930年以来の長い歴史を誇る。光雄の長男・光一郎は富士急社長として経営に励んでいるため、地盤は光一郎の嫁の詔子に引き継がれた。「娘の婿が候補になる」家は多いが、「息子の嫁が候補になった」家は極めて珍しい。 ただ詔子は順風下の12年総選挙で自民復党を目指す長崎幸太郎に僅差で敗れ比例復活に回っており、今後も一族の選挙区を守れるかは微妙なところである。 |
|
☆詔子 | - | - | ○ | - | - | ||
光雄 | 義父 | 通産大臣 | ○ | - | - | ||
一雄 | 義祖父 | - | ○ | - | - | ||
良平 | 義曽祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院山梨2区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 |
前田勇家 | |||||||
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名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 奈良の十津川郷に独自の勢力を築いた十津川郷士の家系。奉天会戦で戦死した先代の功績により勇の代で男爵に列せられ、勇は一時期貴族院議員となった。 新進党から民主党へと渡った武志は4区での田野瀬家との争いに敗れると参院奈良・知事選と連敗、前田家もここまでかと思われたが比例に転じて命脈を保った。 |
|
☆武志 | - | 国土交通大臣 | ○ | ○ | - | ||
正男 | 叔父 | 科技庁長官 | ○ | - | - | ||
勇 | 祖父 | - | - | - | ○ | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院比例区 (元は衆院奈良4区) |
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町村家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 元々は本多家に仕える武士の家系で、明治時代に北海道へと渡り酪農家として成功を収めた。現在も敬喜の家系が江別市で農場を営んでいる。 信孝の母方の祖父は貴族院議員の桑田熊蔵。また敬喜の娘の一人が嫁いだことから東京の原文兵衛家は町村家の支流の一つとなっている。 |
|
☆信孝 | - | 外務大臣 | ○ | - | - | ||
金五 | 父 | 自治大臣 | ○ | ○ | - | ||
敬喜 | 伯父 | - | - | ○ | ○ | ||
縁戚関係にある家 | 原家 | ||||||
現在の地盤 | 衆院北海道5区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
松浪家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 健四郎の兄で武久の父・啓一も府議を務めるなど近年多くの政治家を輩出している一方、啓一は収賄で辞任、健四郎は水かけパフォーマンスや暴力団との癒着で責任を追及されるなど、とかく不祥事も多い一族。 健四郎は10年参院選の比例区に、武久は泉佐野市議を辞して12年総選挙に奈良から挑んだがいずれも落選。 |
|
☆健太 | - | - | ○ | - | - | ||
武久 | 従兄 | - | - | - | - | ||
健四郎 | 伯父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院大阪10区(健太) 衆院奈良4区(武久) 参院比例区(健四郎) |
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松野鶴平家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 普通選挙施行前から続く非常に古い世襲議員家。鶴平の父は地元の村長で、義父の野田卯太郎は大臣を歴任した大正期の大物政治家である。鶴平自身も吉田茂の懐刀として知られ、自民党の結成にも携わった。 頼三はダグラス・グラマン事件で5億円の収賄疑惑に問われたが、短期間の離党に留まり地盤を守った。 |
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☆頼久 | - | - | ○ | - | - | ||
頼三 | 父 | 労働大臣 | ○ | - | - | ||
鶴平 | 祖父 | 参議院議長 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | 塚田家 | ||||||
現在の地盤 | 衆院熊本1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
松野幸泰家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 幸泰は県知事を、妻・友は穂積町長を、長男・幸信は瑞穂市長を、次男・幸昭は県議を務めるなど国政のみならず地方政治にも睨みを利かせてきた家。幸泰の娘婿である棚橋祐治と泰文父子は揃って通産官僚を務め、祐治が息子の人事に手を回したとしてトラブルになったことも。 | |
☆(棚橋)泰文 | - | 特命担当大臣 | ○ | - | - | ||
幸泰 | 祖父 | 国土庁長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院岐阜2区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
松本治一郎家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 福岡の被差別部落に生まれた治一郎は部落解放運動に従事し、部落解放同盟の結成にも携わった。また土建屋「松本組」を興して経済的にも成功を収めている。 治一郎・英一は参院全国区で解放同盟の組織票に支えられていたが、龍は衆院に転じて故郷の福岡に強大な地盤を築いた。ただ12年は惨敗を喫している。 |
|
龍 | - | 環境大臣 | ○ | - | - | ||
英一 | 父 | - | - | ○ | - | ||
治一郎 | 義祖父 | 参議院副議長 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院福岡1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
松本十郎家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 姫路市を地盤とする一族で、戸井田家とは2代に渡るライバル。政界再編前に十郎が落選したために自民公認を確保した戸井田家にリードされたが、剛明が民主党に移るとたちまち形成逆転、戸井田家は落選を重ねついに政界から姿を消した。逆風下の12年も勝利を収めている。 | |
☆剛明 | - | 外務大臣 | ○ | - | - | ||
十郎 | 父 | 防衛庁長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院兵庫11区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
水野家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 賢一の実父は山梨の有力代議士・中尾栄一だが、収賄事件で実刑判決を受け政治生命を失った。 賢一は清の地盤を継いで当選を重ねていたが09年に落選するとみんなの党に移籍し、参院に転じた。 |
|
☆賢一 | - | - | ○ | ○ | - | ||
清 | 養父 | 建設大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院千葉選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
三ッ林家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 幸三は戦後すぐの総選挙で当選したが翌年公職追放を受け、その後幸手市長に転じたためほとんど国政には携わらなかった。父の跡を継いだ弥太郎が県議を経て1967年に国政進出、以後一族の安定地盤を築いた。 隆志・裕巳の兄弟は揃って医学部に進み、隆志は幸手市で開業医を営み、裕巳は大学病院に勤務した。父の跡は隆志が継いでいたが、後に心筋梗塞で急死したため裕巳が地盤を継承し、現在に至る。 |
|
☆裕巳 | - | - | ○ | - | - | ||
隆志 | 兄 | - | ○ | - | - | ||
弥太郎 | 父 | 科技庁長官 | ○ | - | - | ||
幸三 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院埼玉14区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
御法川家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 英文が県議を経て1990年の総選挙で当選したことに端を発する、比較的新しい世襲議員家。 村岡家とは積年のライバルであり、ここ4回は直接対決が続く。現時点では3勝1分と御法川家がリード。 |
|
☆信英 | - | - | ○ | - | - | ||
英文 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院秋田3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
三原家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 遠賀町の出身。朝雄は激戦区として知られた旧2区で連続8選を飾るなど強固な地盤を築いた。ところが小選挙区制移行時に遠賀町を含む新8区を麻生家に取られてしまい、やむなく9区に転出。そのため朝彦は当落を繰り返すようになり、9区転出後は2勝4敗と負けが先行している。 | |
☆朝彦 | - | - | ○ | - | - | ||
朝雄 | 父 | 防衛庁長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院福岡9区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
宮澤家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 裕が山下汽船に務めていた際、社長から代議士の小川平吉を紹介されその娘と結婚。これが宮澤家の繁栄を決定付けた。と言うのも、小川家は大勢の子を有力者に嫁がせることにより強大な閨閥を築いており、宮澤家もその利益を享受できるようになったからである。 宮澤家自体もその後弘が岸田家から嫁を娶り、娘を加藤常太郎家≒大野功統家に嫁がせるなど閨閥を更に固めた。家系図の横幅の広さは政界でも一二を争う。 |
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☆洋一 | - | - | ○ | ○ | - | ||
弘 | 父 | 法務大臣 | - | ○ | - | ||
喜一 | 伯父 | 内閣総理大臣 | ○ | ○ | - | ||
裕 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | 大野功統家・岸田家 | ||||||
現在の地盤 | 参院広島選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
宮下家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 上伊那郡(現在の伊那市部分)の農家の出で、現在も同郡および伊那市を主な地盤とする。 創平は生涯落選知らずで一郎も安定した戦いぶりを見せていたが、09年に一族初の落選を喫した。 |
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☆一郎 | - | - | ○ | - | - | ||
創平 | 父 | 厚生大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院長野5区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
武藤家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 嘉門は家業の造り酒屋に加えセメント販売なども手掛けて成功を収めた。政治家としては戦前に代議士を3期務め、晩年は県初の民選知事となった。会社は一族がその後も経営に携わっていたが、酒造業は2014年に業務用スーパーチェーンの神戸物産に売却、撤退した。 05年に容治への世襲が行われた際には大野伴睦家が対抗馬を擁立しかけたが、大野家は郵政民営化に消極的だったため党本部の裁定で世襲が認められた。 |
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☆容治 | - | - | ○ | - | - | ||
嘉文 | 父 | 外務大臣 | ○ | - | - | ||
嘉一 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
嘉門 | 曽祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院岐阜3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
村岡家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 土建屋「村岡建設工業」の創業者一族。地盤を同じくする御法川家とは当初コスタリカで住み分けをしていたが、御法川家の世襲タイミングで選挙区出馬を強行したのが仇となり落選、自民3区枠は御法川家が独占した。維新に移った敏英が比例復活で初当選したものの現状は劣勢。 | |
☆敏英 | - | - | ○ | - | - | ||
兼蔵 | 父 | 内閣官房長官 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院秋田3区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
村上家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 村上水軍を率いて戦い、後に毛利家に藩士として仕えた能島村上家の末裔と伝えられる。 戦前に紋四郎が短期間代議士を務めた後しばらくブランクが空いたが、67年に信二郎、71年に孝太郎が国会議員となり再興。ところが当選直後に孝太郎が病死すると翌年には信二郎も急逝し、再び一時断絶の憂き目となった。 誠一郎の妹は民主党元代表の岡田克也に嫁いだ。 |
|
☆誠一郎 | - | 特命担当大臣 | ○ | - | - | ||
孝太郎 | 叔父 | - | - | ○ | - | ||
信二郎 | 父 | - | ○ | - | - | ||
紋四郎 | 曽祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院愛媛2区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
森家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 大日本帝国の15大財閥の1つ「森コンツェルン」の創業者一族。主力は工業分野で、現在の昭和電工や日本治金工業は同コンツェルンの系列企業である。 1924年の総選挙で矗昶が議席を得て以来、1947年を除く全ての総選挙に候補者を送り込み、その全てで選挙区当選を果たしている常勝不敗の一族。1947年は暁が公職追放されていたため候補者を用意できなかった。 矗昶の次女は三木武夫首相に、三女は三重県知事を5期務めた田中覚に嫁いだ。また埼玉で代議士を2期務めた松崎哲久(生活)は矗昶の孫の一人である。 |
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☆英介 | - | 厚生労働大臣 | ○ | - | - | ||
美秀 | 父 | 環境庁長官 | ○ | - | - | ||
清 | 伯父 | 総務長官 | ○ | - | - | ||
暁 | 伯父 | - | ○ | - | - | ||
(岩瀬)亮 | 大叔父 | - | ○ | - | - | ||
矗昶 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院千葉11区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
保岡家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 奄美群島の出身。中選挙区時代から定数1だったため選挙は毎回激戦となった。特に徳田家との争いは「保徳戦争」と呼ばれる伝説となり、奄美は選挙違反のバーゲンセールと化した。小選挙区制移行による住み分けで戦争も終わり、現在は概ね安定した地盤を維持している。 | |
☆興治 | - | 法務大臣 | ○ | - | - | ||
武久 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院鹿児島1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
山岡家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 賢治は歴史小説家・山岡荘八の婿養子。始めは自民党の参議院議員だったが後に衆院に転じ、小沢一郎の側近として新生党から民主党・生活の党を渡り歩いた。達丸は北海道から出馬して1期務め、父には同行せず民主党に残ったが12年総選挙で落選している。 | |
達丸 | - | - | ○ | - | - | ||
賢治 | 父 | 特命担当大臣 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院北海道9区(達丸) 衆院栃木4区(賢治) |
索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
山崎家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 岩男は代議士を5期務めたのち津島家の後釜として県知事に転じた。岩男の死後竜男も参議院議員を4期務め、父同様県知事に転じようとしたが、自民公認の現職・北村正二に歯が立たず最下位で落選、政界を引退した。 力の妻はいずれも北海道議を務めた自民党の松尾三良・静江夫妻の子。 |
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☆力 | - | - | - | ○ | - | ||
竜男 | 父 | 環境庁長官 | - | ○ | - | ||
岩男 | 祖父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院青森選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
山花家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 秀雄は大正時代から労働運動に身を投じ、戦前の無産政党にも参加していた古参の活動家。社会党系では唯一戦後全ての総選挙に候補者を送り込んだ一族である。 貞夫は22歳で旧司法試験に合格した秀才だったが、郁夫は10浪後に法曹の道を諦め政治家になった。厳格な能力審査がある業界では世襲が難しいという一例。 |
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郁夫 | - | - | ○ | - | - | ||
貞夫 | 父 | 社会党委員長 | ○ | - | - | ||
秀雄 | 祖父 | 社会党副委員長 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院東京22区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
山本富雄家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 富雄の父は草津町長を短期間務めており、富雄も同町議から県議を経て参議院議員となった。最初は衆院3区からの出馬を目指したが、相手が中曽根・福田・小渕では… 一太の姉は代々群馬県議を務めた田島家に嫁いだ。 |
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☆一太 | - | 特命担当大臣 | - | ○ | - | ||
富雄 | 父 | 農林水産大臣 | - | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院群馬選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
山本友一家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 宇和島市を地盤とする家。 友一は丁稚奉公先の経営権を譲り受けて海運会社「盛運汽船」を興し、代議士を経て宇和島市長を4期務めた。公一も盛運汽船の社長を務めている。 |
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☆公一 | - | - | ○ | - | - | ||
友一 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院愛媛4区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
横路家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 父子共に社会党系候補にしては選挙に強く、中選挙区時代から上位当選が多かった。ただし逆風下の12年は僅差で敗れ、比例復活に回っている。また父子共に道知事選への出馬経験があり、節雄は町村家の金五に敗れたが、孝弘は当選して3期務めた。 | |
☆孝弘 | - | 衆議院議長 | ○ | - | - | ||
節雄 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院北海道1区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
若林家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 農水省のキャリア官僚だった正俊が1983年に政界へと転じたことに始まる、比較的新しい家。 代議士時代は小坂家に2度敗れるなど苦渋を味わわされたが、参院転出後は協力関係にある。 |
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☆健太 | - | - | - | ○ | - | ||
正俊 | 父 | 農林水産大臣 | ○ | ○ | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院長野選挙区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 | ||||
渡辺美智雄家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 栃木に強大な地盤を敷く一族。喜美は選挙区での最高得票率記録(95.3%)を保持している。美智雄は派閥領袖、喜美は中堅政党党首と一定の地位まで登り詰めているが、父子ともに献金問題で足をすくわれている。 美知太郎の弟・美智隆も13年にみんな公認で都議選に出馬したものの、こちらは落選に終わった。 |
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☆美知太郎 | - | - | - | ○ | - | ||
☆喜美 | 伯父 | みんなの党代表 | ○ | - | - | ||
美智雄 | 祖父 | 外務大臣 | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 参院比例区(美知太郎) 衆院栃木3区(喜美) |
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渡辺朗家 | |||||||
名前 | 続柄 | 主な役職 | 衆 | 参 | 貴 | 比較的珍しい民社党系の世襲議員家。元は鳥取の庄屋の家系で、朗の代から沼津市に移り住んだ。 朗が沼津市長を務めたこともあり地盤は固く、周は小選挙区で6連勝中と民主党随一の選挙巧者である。 |
|
☆周 | - | - | ○ | - | - | ||
朗 | 父 | - | ○ | - | - | ||
縁戚関係にある家 | なし | ||||||
現在の地盤 | 衆院静岡6区 | 索引に戻る | 五十音順 / 党派別 / 地盤別 |
かつての日本では公家・武家およびそれらを統合した華族がその血統によって代々政治に携わってきたが[2]、これらの一族と直接の繋がりを持っている世襲議員家は意外にも少ない。
大日本帝国時代から国政に進出している世襲議員家の出自で多数を占めているのは、実業で成功を収めた裕福な平民である。もっとも平民と言っても江戸時代からの豪商(造り酒屋など醸造業が目立つ)や豪農の家系が比較的多く、いわゆる「裸一貫からの叩き上げ」はそこまで多くない。戦後は中産階級の子弟が一流大学を出てキャリア官僚となり、自民党に誘われて議員に転じ世襲議員家を興すというケースも見られるようになった。
桜内家・鳩山家・町村家など武士の家系から興った世襲議員家もあるが、ほとんどは地方藩士など政治の中枢には関与しなかった下級武士の出であり、維新後も華族ではなく士族に留まっている。戦国武将・亀井茲矩の嫡流で代々津和野藩主を務め、大日本帝国では伯爵位を得ていた亀井家は数少ない例外である。
なお徳川慶喜公爵家から嫁を取った平沼家など、婚姻を介して公家・武家・華族と繋がりを持つ家も存在する。
衆議院議員総選挙における同一家の同一地域における連続立候補記録を以下に記す。
記録 | 家名 | 選挙区 | 名前 | 立候補した総選挙 | 戦績 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
35回 | 川崎家 | 旧三重1区 →三重1区 |
克 | 12回(1915年) - 21回(1942年) | 10勝1敗(1勝は補選) | |
秀二 | 22回(1946年) - 34回(1976年) | 11勝2敗 | ||||
二郎 | 35回(1979年) - 46回(2012年) | 8勝2敗2比例復活 | ||||
30回 | 船田家 | 旧栃木1区 →栃木1区 |
中 | 17回(1930年) - 21回(1942年) 25回(1952年) - 34回(1976年) |
15勝0敗 | |
亨二 | 22回(1946年) - 24回(1949年) | 3勝0敗 | ||||
元 | 35回(1979年) - 46回(2012年) | 10勝2敗 | ||||
29回 | 河野家 | 旧神奈川3区 →旧神奈川5区 →神奈川17区 →神奈川15区 |
一郎 | 18回(1932年) - 22回(1946年) 25回(1952年) - 30回(1963年) |
11勝0敗 | |
謙三 | 23回(1947年) - 24回(1949年) | 1勝1敗 | 参議院議員5期 | |||
洋平 | 31回(1979年) - 44回(2005年) | 14勝0敗 | ||||
太郎 | 41回(1996年) - 46回(2012年) | 6勝0敗 | ||||
26回 | 井出家 | 旧長野2区 →長野3区 |
邦太郎 | 16回(1928年) - 21回(1942年) | 6勝0敗 | 参議院議員3期 |
一太郎 | 22回(1946年) - 37回(1983年) | 16勝0敗 | ||||
正一 | 38回(1986年) - 41回(1996年) | 3勝1敗 | ||||
25回 | 小坂家 | 旧長野1区 →長野1区 |
武雄 | 21回(1942年) | 1勝0敗 | |
善太郎 | 22回(1946年) - 38回(1986年) | 16勝1敗 | ||||
憲次 | 39回(1990年) - 45回(2009年) | 6勝1敗 | 参議院議員1期 | |||
25回 | 小沢家 | 旧岩手2区 →岩手4区 |
佐重喜 | 22回(1946年) - 31回(1967年) | 10勝0敗 | |
一郎 | 32回(1969年) - 46回(2012年) | 15勝0敗 | ||||
25回 | 江崎家 | 旧愛知3区 →愛知10区 |
真澄 | 22回(1946年) - 39回(1990年) | 17勝1敗 | |
鉄磨 | 40回(1993年) - 46回(2012年) | 5勝2敗 | ||||
25回 | 山花家 | 旧東京7区 →旧東京11区 →東京22区 |
秀雄 | 22回(1946年) - 32回(1969年) | 9勝3敗(1勝は再選挙) | 参議院議員1期 |
貞夫 | 33回(1972年) - 41回(1996年) | 7勝1敗1比例復活 | ||||
郁夫 | 42回(2000年) - 46回(2012年) | 3勝2敗 |
掲示板
94 ななしのよっしん
2023/09/10(日) 21:19:56 ID: m9Id1lVTyl
世襲議員は長期的な観点で物事を見れるとか言うけど、自民党の地方政策を見てるとそんな事ないと思うんだよな…
世襲議員が多い地方は衰退が止まるかと言うとそんな事はなくて、むしろ次の総選挙での小選挙区十減の対象になっている所も多いし
今まで定数削減が進められてきた時に表立って反対や地方への配慮なんかを求めるわけでもなく賛成して、ついに自分の選挙区が消える状況になって十増十減なんて嫌だ!と言い出すし
世襲ゆえの地元への無頓着さと民選ゆえの近視眼を併せ持った最悪の存在なんじゃないかと思ってる
95 ななしのよっしん
2024/04/16(火) 19:28:35 ID: 4BbtW3vTjt
ぶっちゃけ野党が地方でやる気ないからだよ自民党が勝つのは
旧社会党が地方や農家を軽視し続けて自民党に負け続けた頃からほとんど変わってない
一時民主党が真面目に地方対策をやった時は2009年の政権交代に繋がったけど
民主党政権が大爆発してバラバラどころか粉々に分裂したから何もかも無くなった
地方の野党候補の状況を見れば分かるけど
そもそも候補者を出さないとか一回か二回負けた時点で諦めて都会に帰ったりして
コロコロ候補が変わるから信用されてないし余計に信用されなくなる
選挙に負け続けて10年浪人する覚悟がある候補者を用意しないと野党は勝てないけど
そんな根性ある人材が野党には少ないから負けスパイラルに陥っている
96 ななしのよっしん
2024/04/16(火) 19:37:02 ID: 4BbtW3vTjt
あと野党が都会を地盤にしてしまった結果
地方が喜ぶ政策が打ちにくいのもある
例えばリニアや地方に新しく新幹線を作るという話は
地方が喜ぶけど都会の人たちは基本喜ばない(乗らない)から
地方で勝つには「予算を引っ張ってインフラ整備します」とかと言えないといけないけど
都会が地盤の野党は言いにくい
「地方のインフラ整備する金があったら都会に回せ」という意見があるから
ちなみに長崎の立憲民主党なんかは「地方に投資しろ」ってちゃんと言えてるからまあまあ強い
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/17(金) 17:00
最終更新:2025/01/17(金) 16:00
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