JRAによる重賞競走の格付けはGI。施行条件は3歳以上限定、斤量定量、中山競馬場芝2500m。
ファン投票によって優先出走馬を選出する競馬界のオールスターレースであり、日ごろは競馬に親しみがない人々にも高い知名度を誇る、年末の国民的娯楽として知られている。
概要
地方競馬の東京大賞典、競輪のKEIRINグランプリ、競艇の賞金王決定戦、オートレースのスーパースター王座決定戦……と、年末には公営競技のビッグタイトルが相次いで開催されるが、その中でも特に人気を集めているのが有馬記念であり、競馬をあまり知らない人にも「競馬の祭典」こと東京優駿(日本ダービー)と並んで知名度が高い。日本ダービーが「競馬関係者の」最高の舞台であるなら、有馬記念は「ファンたちの」最高の舞台といえるだろうか。
90年代以降は距離やコース適性を考慮し、開催時期が近い香港国際競走へ遠征する馬が増えたものの、中央競馬の1年を締めくくるこのレースをラストランとする馬も多く、創設以来多くの名レースやドラマが生まれた。またジャパンカップと並び、クラシック三冠戦線を戦った3歳(旧4歳)馬と歴戦の古馬が一堂に会するレースとしても注目を集めており、そのため国内レースのレーティングは高い水準でキープしている(レーティングトップの座は大抵、JCと有馬で争われる)。
2017年以降は、ホープフルステークスがGIに昇格し、基本的に12月28日に開催されるようになったことで、有馬記念が「年内最後のGI」にならないことも増えた。なお、地方競馬を含めれば中央競馬の開催終了後の12月28日または29日に開催される東京大賞典が「国内最後のGI」になる。
競馬ファンにとっての有馬記念とは、自分たちが票を投じた優駿達が繰り広げるドリームレースであり、応援してきた馬のラストランを見守る場であり……本年度の負けを取り返す一発逆転賭場でもある(ホープフルはほら、2歳馬戦は予想が難しいから…)。更にそこに「テレビで名前を聞いたあの馬やあの騎手が出るらしい」と興味を持った一般層も加わるため、馬券の売り上げはJRAどころか世界一を記録し、1996年の売り上げ約875億円はギネスにも認定されている。アメリカのブリーダーズカップの創設期には、その全レースを合計しても有馬記念1レースの売り上げに及ばなかったという逸話もある。
「お客さんの目の色が違う。血走っている人もいますよね。
“頼むぞーっ”という声が多いのも有馬記念の特徴。
年を越すのに“おまえが頼りなんだ”という意味かな。
ダービーの日の東京のスタンドはお祭りのような空気だけど、有馬記念の中山は違う。
どこか悲壮感がある。日本的でいい感じです」
当日の競馬場入場者数も凄まじく、第二次競馬ブーム全盛期の1990年度には17万7,779名もの大観衆が押し寄せている(午前中に馬券を買って帰った人もそれなりにいたが、午後には入場規制が行われた)。競馬人気が斜陽となった2010年前後においても10万人規模の来場者をキープしていた。新宿東口のアルタビジョンでも中継が入り、ビル前に集結した観客が暴動じみた大声援をあげるのも毎年の風物詩である。
2020年からは新型コロナウイルス(COVID-19)が大流行し、入場券発売をインターネットに限定した小観客開催が実施された。COVID-19がある程度収束した22年以降も混雑回避の観点から、ネット抽選販売による事実上の入場規制が行われており、およそ55000人前後の入場者数で推移している。また、入場・指定席券料金も通常のG1デーより大幅に引き上げられている(それでも完売はザラ)。
沿革
日本競馬の父、安田伊左衛門から中央競馬2代目理事長の座を譲り受けた有馬頼寧(ありま よりやす)は、ファンサービスや競馬のイメージアップに尽力した。
有馬は中山競馬場でも東京優駿に匹敵する大レースの開催を考え、年末にプロ野球のオールスターゲームを基にしたファン投票で出走馬を選ぶ形式を発案。年末の中山開催は中山大障害ほどしか目玉が無い上、当時の天皇賞は勝ち抜け制度があり、天皇賞馬が斤量差なしで出られるレースが少ないという問題も抱えていた。その年に活躍した3歳馬(旧4歳)と古馬の直接対決の機会も無かったため、この計画はとんとん拍子で受け入れられる。
折しも1956年は中山競馬場の新スタンドが落成。新スタンド落成記念競走とし、1956年12月23日に芝2600mで「第1回 中山グランプリ」が開催される。優勝賞金は東京優駿と同額の200万円(天皇賞は150万円)とされた事から、このレースにかける期待の高さが伺い知れる。
中山グランプリは8000万円以上の売上金を誇り大成功に終わったが、翌年1月に有馬は急逝。1957年の第2回から有馬の功績を称えて「有馬記念」と名称変更され、「グランプリ」の副題がつくことになった。
ちなみに、現在使用されているすぎやまこういち作曲の東京・中山のGIファンファーレが初めて流れたのは、1986年の第31回開催である。
余談:創設者・有馬頼寧について
有馬頼寧は、戦前は久留米藩有馬氏(有馬則頼の子孫)の当主として伯爵。農政学者として活躍する一方、戦時体制に移行する間際には農林大臣も務めていた人物である。中央競馬における功績は「中山グランプリ」の開催の発案の他、ファンサービスの充実(ラジオNIKKEIの競馬中継は有馬任期時代に始まった)や、老朽化していた施設を改築するための開催の実施(他競技でいう「施設改善開催」)を実現したことなどが挙げられる。
また、戦前には部落解放運動や農林漁村文化協会、関東大震災で親を失った孤児を受け入れる児童福祉施設の立ち上げなど社会運動に携わる一方、東京セネタース(戦時中に解散したため正規の後継はないが、チームにいた人材が現在の北海道日本ハムファイターズを立ち上げた)や日本卓球協会といったスポーツ振興にも尽力。戦後は公職から追放されたが、農林省関係・スポーツに関する知識の深さを買われ、特殊法人となった国営競馬改め日本中央競馬会に招かれる形となった。
息子の頼義は直木賞を受賞するなど作家として活躍。その子は久留米有馬氏と繋がりの深い東京水天宮で神職を務めている。また娘の1人は旧津和野藩亀井家に嫁ぎ、その孫が亀井亜紀子元衆議院議員である。他の娘も斎藤実の子供、関東公方の子孫で江戸時代は喜連川藩の藩主を務めた足利家に嫁いでいる。
2000年以降の動向
2000年からは、天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念を同一年内に連覇した馬には報奨金が与えられることになった(秋古馬三冠)。初年度のテイエムオペラオーがいきなり達成し、2004年にゼンノロブロイが続いたことで定番化するか……と思いきや、その後は達成馬どころか秋三冠を連戦する馬自体が少なくなり、すっかり途絶えている。近年では2017年のキタサンブラックが惜しいところであった(JC・3着)。
2007年、日本がパート1国になることに伴い、国際競走に指定されたが、現在のところ外国調教馬の出走はない。
2016年からは賞金が3億円に増額され、ジャパンカップと並び国内最高賞金のレースとなる。2022年からはJCと共に4億円に、2023年にはさらに5億円に増額。
先述の通り、2017年以降はホープフルステークスのGI昇格に伴う競馬法改正によって、国内中央GIの最終開催が前後するようになった。ホープフルSは基本的に12月28日に開催されるが、有馬記念が29日に開催される、または27日もしくは28日が日曜日となる年度の場合、ホープフルS→有馬の順に開催される(2020年は26日土曜にホープフルS+中山大障害、27日日曜に有馬記念が開催された)。
レース傾向
第1回から第4回までは芝2600m(内回り)、第5回から第10回までは芝2600m(外回り)、その後第11回から芝2500m(内回り)になって現在に至る。
中山競馬場外回りコースの終端部に近い位置にスタートがあり、約200mの直線の後に第3コーナーに入る。そのままホームストレッチを通り、内回りコースを一周する。フルゲート数は他の中山競馬場芝2500mコースと同じく、16頭。
最初の直線が非常に短く、直ぐにコーナーに入っていくために馬群が縦にばらけにくい。このため外枠の馬はなかなかインコースに切り込めず、外外を回らされる。更に発走地点も微妙にカーブしており、外枠の馬はスタートした時点でポジションが後ろ側になる。特に大外16番は超絶不利と言ってもよく、有馬記念史上16番ゲート以降から発走して馬券圏内に入ったのはスターズオンアース(2023年)一頭しかいない[1]。70年代以前は10頭前後の少頭数で行われることが多かったので、この問題が顕在化していなかったのだが……。
開幕直後の先頭争いは激しいが、その後はコーナーを6回も回るため、レースのペースは落ち着いたものになりやすい。基本的には先団好位を確保した馬が優勢だが、飛ばし過ぎて高低差2.2mのゴール前急坂で力尽きたり、後方追走からまくった馬が激走することもあれば、短い最終直線で追い込み切れずに涙を呑むこともある。中山競馬場のコース設計自体、他のJRA主要3場に比べてトリッキーであるため、地力に加えて「中山コース適正」が重要ともいえる。ファン投票1位の声に応えて香港遠征を取りやめ、苦手な中山でラストランに挑んだ02年ナリタトップロード陣営には頭が下がるばかりである。
- 出走馬資格
- 3歳以上(未勝利・未出走馬は不可)
- 負担重量
- 定量 3歳56kg 4歳以上58kg 牝馬2kg減
- 本賞金
- 1着5億円、2着2億円、3着1億2500万円、4着7500万円、5着5000万円
- 出走可能頭数
- 16頭
- 出走馬選定方法
枠順抽選
JRAの競走では通常、出走馬の枠順決定(コンピュータ決定)は非公開で行われるが、2014年以降の有馬記念に関してはエンタメ性を重視した公開抽選会を行っている。フジテレビが中継を担当し、その年のJRAイメージアンバサダーのタレントや俳優も交えて行われるこの「有馬記念フェスティバル」もまた、様々な悲喜こもごもの舞台となっている。
2014年は出走陣営を抽選し、当選した陣営から先着順に希望の枠番を指定していく方式だった。翌年以降はゲスト出演者が出走陣営を抽選し、当選した陣営が枠順の抽選に臨むという方式で行われている。
大外を引いた陣営の落胆、気の知れた関係者同士で交わされる煽りあい、受けたり滑ったりのジョークやコスプレ、日本語が分からず暇そうにしている短期免許の外国人騎手など、見どころは満載である。
- 記念すべき第1回フェスティバルで16番に押し込められた蛯名正義が、その後2年連続で16番に入った(しかも2016年は2番との2択だった)悲劇は競馬ファンの間であまりにも有名。
- キタサンブラックの主戦だった武豊は、2016年に1枠1番、2017年に1枠2番と神がかった引きを連発。
- 3年連続で2桁番号だったシュヴァルグランのラストラン・2019年度では、馬主の佐々木主浩が自らくじを引き、「16」の数字を見て崩れ落ちた。
- 同じく2019年度ではリスグラシューの調教師・矢作芳人が赤ハット・赤ネクタイを着用してくじを引き、狙い通りの赤帽子・3枠6番を確保。本番でも見事優勝した。
- 2022年度は岩田康誠が「昨日買ってきた」トナカイの被り物姿で栗東トレセンからリモート出演。1枠2番を引いてガッツポーズを決めた。
- 2023年度は池添謙一とクリストフ・ルメールの同年騎手コンビが15・16番に入る。ルメールの肩をはたく池添、池添の肩を抱くルメール、死んだ魚の目で記念撮影する両名に競馬ファンは爆笑合掌した。
主な前走・前哨戦
競走名 | 格付 | 施行競馬場 | 施行距離 | 間隔 |
---|---|---|---|---|
菊花賞 | GI | 京都競馬場 | 芝3000m | 9週 |
天皇賞(秋) | GI | 東京競馬場 | 芝2000m | 8週 |
エリザベス女王杯 | GI | 京都競馬場 | 芝2200m | 6週 |
ジャパンカップ | GI | 東京競馬場 | 芝2400m | 4週 |
ステイヤーズステークス | GII | 中山競馬場 | 芝3600m | 3週 |
伝説のレース
年末の大一番、夢のオールスター戦として行われる有馬記念。必然的にライバルの激戦やラストランも多く、伝説のレースを多数生み出した。
歴代優勝馬
歴代ファン投票1位馬
- 現在の最多得票は2024年のドウデュース(47万8415票)。
- ファン投票の票総数は2020年以降、急増している。COVID-19の大流行による公営競技全般の需要増に加え、競馬ゲームから入った新たな競馬ファンの参加が後押しになっているものと思われる。
※馬齢表記は現行表記に統一※
地方競馬の「有馬記念」
ファン投票で出走馬を選ぶアイデアは地方競馬にも導入され、年末になると各地方競馬場の「有馬記念」が開催される。
競走名 | 施行競馬場 | 施行距離 | 概要 |
---|---|---|---|
道営記念 | 門別競馬場 | ダート2000m | 最終開催日の最終競走として施行される。 |
桐花賞 | 水沢競馬場 | ダート2000m | 毎年大晦日に開催される。 |
園田金盃 | 園田競馬場 | ダート1870m | |
(廃止) |
ダート1800m | 年末ではなく年度末(3月)に開催されていた。 2013年3月24日、福山競馬場最後の競走として施行された。 |
|
中島記念 | 佐賀競馬場 | ダート2000m | 有馬記念と同じく佐賀競馬の功労者の名前を冠した競走。 |
関連動画
関連項目
古馬王道中長距離GI | |
大阪杯 - 天皇賞(春) - 宝塚記念 - 天皇賞(秋) - ジャパンカップ - 有馬記念 | |
競馬テンプレート |
---|
八大競走 | |
桜花賞 - 皐月賞 - 優駿牝馬 - 東京優駿 - 菊花賞 - 天皇賞(春) - 天皇賞(秋) - 有馬記念 | |
同格とされた競走 | |
---|---|
ジャパンカップ | |
ジャパンカップ創設後に八大競走に準じるとされた競走 | |
宝塚記念 - エリザベス女王杯 | |
競馬テンプレート |
脚注
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