アガサ・クリスティ(Agatha Christie、1890年9月15日 - 1976年1月12日)とは、イギリスの小説家である。
生涯に長編66、中短編156、戯曲15などを執筆。
『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』『そして誰もいなくなった』などは世界的な知名度を誇り、「ミステリーの女王」の異名を持つ。
概要
1890年、イギリス南西部の町・デヴォンシャーに生まれる。
父フレデリックはアメリカ人の実業家だったが商才には恵まれず、祖父の遺産を投資家に預けて悠々自適の生活を送るディレッタントだった。母クララは彼の従妹だったが、当時の女性としてはかなり独自の価値観を持っていた。
アガサには兄と姉がいたが10歳以上年が離れており、二人とも早くに家を出ている。当時の富裕層の子女はパブリックスクールに入学後、寄宿舎での生活を送るのが常だった。しかしアガサは母の教育指針に基づき、学校に行かず、母から直接教育を受けるという変わった方法で育てられた。
この教育指針はかなり独特なもので「7歳までは字を書けない方が良い」という主張の下、アガサは読む事は出来ても書く事は一般の子供よりも遅かった。満足に文字が書けない娘を見かねた父がこっそりと自分の手紙を書く手伝いをさせた事で弊害は解消したが、スペルミスなどの癖を残す結果となった。
学校に通わないアガサは同じ年齢の友人を得る機会がなく、遊び相手は使用人やメイドだった。彼らが職責を果たす間は、一人きりで空想にふける内向的な少女になった。その一方、父の書斎に入り浸り、膨大な書物を読む事でジャンルに囚われない知識を得たり、礼儀作法を教える私学学校で演劇や音楽に触れる事となった。
ただし、こうした風変わりな教育についてアガサはマイナスイメージを持っておらず、自分が受けた教育について誇りを持っていると回想で述べている。
1901年、11歳の時に父が死去。この頃から彼女は詩や短編を執筆して文芸誌に投稿するようになる。1909年には初の長編小説『砂漠の雪』を執筆し、自宅の隣に住んでいた小説家、イーデン・フィルポッツ(代表作『赤毛のレドメイン家』)から指導を受けている。イーデンはアガサに「小説でしてはいけない事」について語り、未来の女王に助言と励ましを送った。
1914年に結婚。相手はイギリス空軍大尉のアーチボルド・クリスティで、以後彼女は夫の姓を名乗るようになった。第一次世界大戦中には薬剤師の助手として奉仕活動に勤しんでいたが、この時に毒物に関する知識を得たという。
終戦後の1920年、『スタイルズ荘の怪事件』にてデビュー。かの名探偵エルキュール・ポアロのデビュー作であり、彼の魅力的なキャラクター性に加え、戦後間もなくの瀟洒な片田舎を舞台とした長編小説は絶賛された。
アガサは回想において「多くの感想の中でも、調剤学の専門誌から作中で書いた薬物に関する知識について褒められたのが一番嬉しかった」と告白している。
1926年に『アクロイド殺し』を発表。大胆なトリックと予想外の犯人によってミステリ界に旋風を巻き起こし、ファンの間でフェア・アンフェアの大論争が勃発。改めてアガサの名を一躍有名にした。
しかし同年に最愛の母を失い、夫との間に不和が生じ、精神的に追い詰められたアガサは、自宅を出たまま行方不明になってしまう。事件を知ったマスコミの報道によって多数の目撃情報が寄せられた他、ミステリ作家のドロシー・L・セイヤーズや、アーサー・コナン・ドイルが彼女の行方についてコメントを発表するなど、大騒動になった。
失踪から11日後、アガサはとある保養地のホテルに別人名義で投宿していたのを発見、保護された。失踪の理由については夫との不仲による心神耗弱説の他、意図的に彼女が起こしたという説もあるが、本人は生涯この事について語る事がなかった。2年後、アガサは夫と離婚するに至る。
傷心を癒す為か、世間の追及を逃れる為か、1930年にアガサは中東旅行に出る。そこで14歳年下の考古学者、マックス・マローワンと出会って恋に落ち、交際数か月で結婚。世間をあっと驚かせた。この結婚についてアガサは「だって考古学者なら、古いものほど価値を見出してくれるから」と冗談めかして語ったという。
以後はひっそりと表舞台から姿を消し、自宅や別荘で執筆活動に勤しんだ。これにより人前に出る機会も減り、改めて「ミステリーの女王」としての神秘性が高まったと評する向きもある。
1952年には書き下ろしの戯曲『ねずみとり』を発表。これは1947年にBBCの依頼でラジオドラマの台本として執筆した『三匹の盲目のねずみ』を短編小説化し、更に戯曲化したものである。
この戯曲は現在に至るまで上演され続けており、世界最長ロングラン公演としてギネスブックに記載されている。2000年に上演回数2万回を突破、2012年には60周年を迎え、日本でも「マウストラップ」の題名で公演された。
一方で1956年に大英勲章第三位(CBE)、1971年に大英勲章第二位(DBE)に叙勲され、イギリス推理作家クラブの第四代会長にも就任するなど、その名声は押しも押されもせぬものとなっていった。
1973年に発表した『運命の裏木戸』が最後の推理小説となる。
1975年にはポアロ最後の事件である『カーテン』を、執筆から32年ぶりに発表。これは自身の死後に発表すると契約していたが、出版社に催促・説得された結果の発表だった。エルキュール・ポアロ最後の事件であり、事件の顛末に際してはニューヨークタイムズがあたかもポアロが実在人物であるかのように報じるなど、大きく話題を集めた。
それから1年後の1976年、風邪をこじらせて容体が悪化。静養先の自宅で家族に看取られて亡くなった。享年85歳。
死後、契約に基づいて『スリーピング・マーダー』が発表。ミス・マープル最後の事件が語られる事となった。
その他
ファンによって設立されたアガサ・クリスティ協会によると、彼女の作品は全世界で10億部以上が出版されているという。一説には「聖書とシェイクスピアの次によく読まれている」とされ、実際にユネスコの文化統計年鑑では「最高頻度で翻訳された著者」のトップ、ギネスブックでは「史上最高のベストセラー作家」に認定されている。
19世紀生まれ、女流、ミステリー分野という点を考えると、デビューから50年以上、習作から数えて60年を超える執筆活動は異例の長寿ぶりであるといえる。金田一耕助の生みの親・横溝正史は「田中(でんちゅう)さんには及びもないが、せめてなりたやクリスティ」という都都逸をひねった。100歳を過ぎても制作を続けた彫刻家・平櫛田中とクリスティを並べたもので、「100歳は無理にしても、80歳くらいまでは書き続けたいものだ」くらいの意味である。
クリスティ名義の他に、「メアリ・ウェストマコット(Mary Westmacott)」名義で発表されたミステリー色の薄い恋愛小説が6作ある。日本では最初から全てクリスティ名義に統一されているのでわかりにくいが、『愛の旋律』『未完の肖像』『春にして君を離れ』『暗い抱擁』『娘は娘』『愛の重さ』がそれに該当する。『春にして君を離れ』は近年日本で特に再評価が著しい。
日本では早川書房がほぼすべての作品を翻訳・出版しており、そちらの知名度が高い。真鍋博が手掛ける、文庫旧版の印象的なデザインに馴染みのある読者は多い。ハヤカワ文庫においては、クリスティ作品は当初はハヤカワ・ミステリ文庫内で刊行されていたが、2003年にクリスティ作品および関連書籍だけを収録する「クリスティー文庫」が創刊され、現在はそちらにクリスティの全作品および別作者の公認続編や評論本などがまとめられている。
また早川書房はクリスティ生誕120周年を記念して創設された新人賞「アガサ・クリスティー賞」の主催でもある。
アメリカでは「アガサ賞」が1988年に創設。伝統的な推理小説に対して贈られる文学賞で5つのカテゴリに分かれており、毎年春に開催されている。
その人気からたびたび映像化される事が多く、枚挙に暇がない。
ちなみに2014年の映画『サボタージュ』は『そして誰もいなくなった』が原作……なのだが、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の推理(物理)スリラーアクションに仕上がっている。
どうしてこうなった。
青山剛昌の漫画『名探偵コナン』の阿笠博士の名前の元ネタでもある。
伯父の栗介(くりすけ)・伯母の定子(ていこ)と合わせてアガサ・クリスティという小ネタもあり。
主な探偵
- エルキュール・ポアロ
卵形の頭と大きな口髭が特徴の、シャーロック・ホームズと並び立つ名探偵。詳細は個別記事で。 - ミス・マープル
イギリスの片田舎、セント・メアリ・ミード村に暮らす老嬢探偵。詳細は個別記事で。 - パーカー・パイン
「幸せでない方はどうぞこちらへ」の看板を掲げる人生相談所の所長。明るい笑顔の大男。一癖も二癖もある事務員を使って依頼を解決する。コミカルな謎解きものが主体。 - トミーとタペンス
昔は幼馴染、今は夫婦のおしどり探偵(諜報員)。慎重派の夫トーマス(トミー)と、行動派の妻プルーデンス(タペンス)のコンビで、冒険小説としての趣が強い。 - ハーリ・クィン
色黒で痩せぎす、仮面をつけたように見える顔の青年。恋人達が窮地に陥る事件の現場に登場し、語り手たるサタースウェイト氏に事件解決のヒントを与える。事件が解決すると忽然と姿を消してしまう、謎めいた存在。モデルは即興喜劇の道化、ハーレクイン(アルレッキーノ)。
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関連項目
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