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読売ジャイアンツとは、日本のプロ野球セントラル・リーグの球団である。通称は巨人。
現在の監督は阿部慎之助(2024年~)。
概要
セントラル・リーグ | |
---|---|
読売ジャイアンツ | |
基本情報 | |
創設 | 1934年 |
本拠地 | 東京ドーム |
一般略称 | 巨人 |
アルファベット | G |
優勝回数 | |
リーグ優勝 | 47回 (1リーグ制:9回、セ・リーグ:38回) |
日本一 | 22回 |
アジアチャンピオン | 1回 |
日韓 クラブチャンピオンシップ |
1回 |
セ・パ交流戦 | 2回 |
永久欠番 | |
経歴 | |
球団組織 | |
運営母体 | 読売新聞グループ本社 |
オーナー | 山口寿一 |
球団社長 | 今村司 |
プロ野球球団テンプレート |
1934年、メジャーリーグ選抜チームと対戦するために職業野球チームとして結成された全日本選抜チームがその始まり(読売新聞社社長・正力松太郎の招待による日米野球は1931年から行われており、当初は学生選抜チームが対戦していたが、文部省が学生野球の興行化を問題視して学生とプロの対戦を禁じたため、メジャー選抜と対戦するために職業野球チームを作る必要が生じたのである)。同年、沢村栄治、ヴィクトル・スタルヒンなどが参加したその全日本チームを母体として「大日本東京野球倶楽部」が結成され、翌1935年から「東京巨人軍」と改称した。
戦後の1947年から「読売ジャイアンツ」に改称。1949年の毎日新聞加盟を巡る2リーグ制への分裂でセントラル・リーグに所属することになり、以後、日本プロ野球を代表するチームとして君臨。現在に至る。
プロ野球全球団の中で最も歴史が長く、優勝回数も最多の47回(2リーグ分立後は38回)、日本一も最多の22回を誇る球団である。1965年から1973年まで9年連続日本一に輝いた(V9時代)。
古くより長嶋茂雄、王貞治など数多くの名選手が在籍し、戦後の野球人気を大いに牽引。1960年台には「巨人・大鵬・卵焼き」と子供が大好きなものとして挙げられるほどだった。
12球団中、最も伝統があり、人気も高い球団であるが、近年まではFAなど他球団の主力選手を金で引き抜くスタイルをとっており、また江川事件(1978年)など球界を巻き込む騒動の原因となることが幾度となくあったため、アンチが多く存在する球団でもある。
一時期、前者に関しては2005年に育成選手制度が採用されると方針を変え、2008年にはFA戦線不参加を宣言するなど、生え抜きの若手を多く輩出する球団となっていた(この間3連覇も成し遂げた)。しかし2011年頃から再びFA戦線に絡むようになった。
本拠地
- 実は一軍の自前球場を持っていない。本拠地である東京ドームは株式会社東京ドーム所有で年間30億円の使用料を支払っている。阪神・中日・西武・は親会社の関連会社が運営。オリックス・ソフトバンク・DeNAはドーム・スタジアムを買収。広島は市所有ながら特殊な契約を結び新球場を立てるなど各球団取り組んでおり取り残された感がある。
備考
- 監督は生え抜き主義を取っている。歴代監督は全員巨人生え抜き。しかし松井秀喜に監督要請したり、一度移籍している川相昌弘や二岡智宏をコーチとして戻してる辺り、生え抜き一筋でなければいけないという縛りはないようである。
- 仁志敏久が2006年に移籍後はセカンドに悩まされる。木村拓也が2008年に活躍するものの、脇谷亮太、古城茂幸、寺内崇幸、エドガー・ゴンザレス、藤村大介、中井大介、片岡治大、井端弘和、ルイス・クルーズ、辻東倫、山本泰寛と迷走する。2016年には2013年に片岡FAの人的補償で出ていった脇谷をまたFAで獲り、再びセカンドをさせている。
関係者
首脳陣
※就任、退団などでの異動は球団の正式発表があるまで編集しないでください。
一軍 | 二軍 |
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三軍 | 巡回・育成 |
所属選手
※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示があるまで編集しないでください。
※ドラフト指名を受けた新入団選手は入団発表後に追加してください。
支配下選手 | |||
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投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
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育成選手 | |||
投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
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球団スタッフ
- 長嶋茂雄(専務取締役終身名誉監督)
- 高橋由伸(球団特別顧問)
- (206)朝井秀樹(打撃投手兼広報部)
- 隠善智也(広報部)
- (201)小野淳平(打撃投手)
- (209)小石博孝(打撃投手)
- 小山雄輝(ファン事業部)
- 高木京介(球団職員)
- 高木康成(編成本部長補佐)
- 玉木重雄(通訳)
- 中里篤史(スコアラー)
- 長嶋一茂(野球振興アドバイザー)
- 藤田浩雅(社長直属管理担当兼ジャイアンツ寮寮長)
- 藤村大介(スコアラー)
- 宮本和知(球団社長付アドバイザー)
- 横川史学(スコアラー)
- 吉村禎章(編成副本部長兼国際部長)
スカウト
- エドガー・ゴンザレス(駐米スカウト)
- 柏田貴史
- 木佐貫洋
- 岸川勝也(OBスカウト)
- 桜井俊貴
- 高田誠(スカウト部参与)
- 友利結(海外スカウト担当)
- 水野雄仁(スカウト部長)
- ネイサン・ミンチー(駐米スカウト)
ジャイアンツアカデミー
OB
戦歴
2000年代
詳細
2000年(78勝58敗0分、1位、日本一)監督:長嶋茂雄
江藤智、工藤公康、ダレル・メイを獲得し、攻守で大幅なパワーアップを遂げる。高橋由伸、松井秀喜、江藤智、ドミンゴ・マルティネスで形成された打線、ミレニアム打線で他球団を圧倒し、中盤には前年打撃不振に陥っていた清原和博が復調し、打線の層が厚くなる。9月24日の中日ドラゴンズ戦の9回裏に江藤が同点満塁ホームラン、次の打者二岡智宏がライトスタンドにサヨナラホームランを放ち、4年ぶりのリーグ優勝を達成。
日本シリーズは王貞治率いる福岡ダイエーホークスと対戦。4勝2敗でダイエーを下し、日本一を達成した。
2001年(75勝63敗2分、2位)監督:長嶋茂雄
ヤクルトスワローズと首位を争うが、2位に終わり、長嶋茂雄がこの年限りで勇退し終身名誉監督となる。斎藤雅樹、槙原寛己、村田真一もこの年限りで引退する。
2002年(86勝52敗2分、1位、日本一)監督:原辰徳
前年までヘッドコーチを務めていた原辰徳が監督に就任。仁志敏久を2番、清水隆行を1番に入れ替え、仁志が不振に陥ると二岡を2番に入れ替え。清原和博の故障離脱、江藤智が打撃不振に陥ったが、斉藤宜之を5番に固定。この年に復活を遂げた桑田真澄を代打で起用するなど、大胆な起用は的中し、セ・リーグ5球団全てに勝ち越し、2年ぶりのリーグ優勝。
日本シリーズでは西武ライオンズと対戦し、4勝でストレート勝ちし、日本一を達成した。
オフに松井秀喜がFA権を行使し、ニューヨーク・ヤンキースに移籍し、その穴を埋めるためロベルト・ペタジーニを獲得。
2003年(71勝66敗3分、3位)監督:原辰徳
6月に早々と自力優勝が消滅してしまい、数年ぶりに優勝した阪神タイガースとは最終的に15.5ゲーム差を付けられた。
原辰徳はこの責任をとって辞任。セレモニーは行われなかったが、阪神甲子園球場最終戦で異例のセレモニーが行われ、同じくこの年で阪神タイガースを退団する星野仙一から花束を渡された。
堀内恒夫が監督に就任。オフには大阪近鉄バファローズからタフィ・ローズ、福岡ダイエーホークスから右膝の靭帯損傷で出場がなかった小久保裕紀を獲得し、世間の反響を呼ぶ。
なおこの年で引退し、一軍コーチになろうとしていた川相昌弘は原辰徳が辞任したことで引退を撤回し、入団テストを経て中日ドラゴンズに移籍した。
2004年(71勝64敗3分、3位)監督:堀内恒夫
史上最強打線を形成し、プロ野球新記録の259ホームランを記録する。打撃の破壊力は抜群だがセンター・タフィー・ローズ、レフト清水隆行など外野守備に穴があり、かつ投手陣が奮わなかったためチームは3位に終わる。
オフにロベルト・ペタジーニが退団。
2005年(62勝80敗4分、5位)監督:堀内恒夫
この年から導入されたセ・パ交流戦では4位と奮闘したが、8年ぶりのBクラスに転落。任期を1年残し、堀内恒夫は監督を辞任。元木大介、後藤孝志、西山秀二が引退。タフィ・ローズ、清原和博が退団した。
2006年(65勝79敗2分、4位)監督:原辰徳
2002年から2003年まで監督を務めた原辰徳が監督に復帰。オリックス・バファローズを戦力外になったジェレミー・パウエル、FA宣言した豊田清、野口茂樹、李承燁、小坂誠を獲得した。その代わり豊田の人的保障で江藤智が西武ライオンズに移籍した。
セ・パ交流戦で主力選手の故障が相次ぎ失速。入団テストで小関竜也、トレードで木村拓也、ジョージ・アリアスを獲得したが、改善とは至らず、最終的に2年連続のBクラスとなった。
オフには仁志敏久をトレードで横浜ベイスターズに放出、小久保裕紀がFAで福岡ソフトバンクホークスに戻り、無償トレードで大道典嘉、交換トレードで谷佳知、FAで小笠原道大、門倉健を獲得した。門倉健の人的補償として工藤公康を放出、小久保裕紀の人的補償として吉武真太郎を獲得した。
2007年(80勝63敗1分、1位)監督:原辰徳
高橋由伸を1番、故障で遅れていた上原浩治をクローザーとして起用し、これが成功し、安定した戦いを続けた。5月2日にはプロ野球史上初の5000勝を達成、二軍もイースタンリーグ史上初の2000勝を達成した。この年から導入されたクライマックスシリーズの出場権を一番乗りで決め、10月2日に5年ぶりのリーグ優勝を達成。
しかしクライマックスシリーズでは中日ドラゴンズに全敗し、史上初のリーグ優勝しながら日本シリーズに出場できないチームとなった。
2008年(84勝57敗3分、1位)監督:原辰徳
前年度セ・リーグを制覇したにもかかわらずクライマックスシリーズで敗退したジャイアンツは、オフシーズンにアレックス・ラミレス、セス・グライシンガー、マーク・クルーンを補強し、日本一を至上命令として2008年のシーズンをスタートした。
しかし開幕から球団ワースト記録の5連敗を喫し、その後も怪我人や不調者が続出して6月半ばまで負け越しを続けるなど低迷する。それでも一方、大幅な負け越しは避けていた為順位は中盤をキープしていたジャイアンツ。その苦しい時期になんとかチームを支えていたのが木村拓也、大道典嘉、藤田宗一ら他球団出身のベテランのサブプレーヤー達であり、新外国人選手達であった。また主力選手が多数抜けた事は、山口鉄也、越智大祐、東野峻ら若手選手に出場の機会を与え彼らの台頭を呼び起こし、こうした他球団出身者、新外国人選手のめざましい活躍、若手選手の積極起用など近年のジャイアンツにはない戦い方は、交流戦以降のジャイアンツの反転攻勢の流れを確実に作り出していった。
その流れは夏場の、小笠原道大の完全復調、打線の穴であった坂本勇人の加速度的な成長、北京オリンピックによる他球団の主力選手不在などの要因により強まっていき、一時13ゲーム差あった首位阪神タイガースとのゲーム差は、8月末には6ゲーム差にまで縮まった。9月以降は不調が続いていた上原浩治、李承燁も復活。中盤には12連勝、対阪神タイガース7連勝など驚異的なペースで勝ち続け、そして10月10日、首位阪神タイガースとのセ・リーグ史上最大ゲーム差をひっくり返し、セ・リーグ2連覇(メークレジェンド)を達成した。
クライマックスシリーズでは、リーグ3位ながらも第2ステージ進出を果たした中日ドラゴンズと対戦。前年の屈辱を晴らすように、3勝1敗1分(うち1勝はアドバンテージによるもの)で中日を打ち破り、日本シリーズへの進出を果たした。
しかしながら、埼玉西武ライオンズとの日本シリーズでは第7戦までもつれ込むも3勝4敗と破れ、6年ぶりの日本一を果たすことはできなかった。
2009年(89勝46敗9分、1位、日本一)監督:原辰徳
文句なしの優勝街道まっしぐら。2位との差を10ゲーム以上付けていた時期があったが、一時期2位中日に2ゲーム差まで付けられていた。しかし、若手の坂本勇人、亀井義行らを中心に若手が大活躍。特に松本哲也、中井大介らが成長し、生え抜きの選手層も前年以上に分厚くなった。
投手陣にはマイケル中村(登録名:M.中村)らを補強し、相変わらずのセス・グライシンガーの活躍、育成選手から支配下登録された・オビスポ、新外国人投手ディッキー・ゴンザレスなどの補強で投手面でも更に強化され、去年以上の戦力が充実している。
クリーンナップは既に小笠原道大、アレックス・ラミレスの3番4番は固定されてはいるものの、5番が若干固定出来ない部分が去年から続いていたが、亀井を5番に起用して成功させた。
既に8月27日に優勝マジック(M27)が点灯し、2位と5ゲームどころか9ゲーム差をつけて9月23日に優勝が決定。3年連続、33度目の優勝と、3が並んだ。まるで長嶋茂雄にこの優勝を捧げているかのようだ。
クライマックスシリーズは中日ドラゴンズと対戦。中日を得意とするゴンザレスのまさかの乱調により初戦敗北するが、その後は3連勝で日本シリーズ出場権を獲得。
日本シリーズでは北海道日本ハムファイターズと対戦。4勝2敗で勝ち抜き、7年ぶり21度目の日本一「奪回」を果たした。
11月14日に行われた日韓クラブチャンピオンシップでは、韓国王者の起亜タイガースと対戦。
序盤は起亜のペースで試合が進むが、7回に打者一巡の猛攻で7点を奪い9-4で撃破。巨人は史上初となるアジア王者に輝いた。
2010年代
詳細
2010年(79勝64敗1分、3位)監督:原辰徳
昨シーズンの中継ぎを支えた山口が先発転向するも不調、更に先発陣は外国人3選手(グライシンガー、オビスポ、ゴンザレス)がなかなか勝ち星を挙げられず、クルーンも抑えきれない等シーズンを通して投手陣崩壊が目立った。それでも木佐貫洋とのトレードで加入した高木康成、シーズン途中で楽天から移籍した朝井秀樹が活躍。生え抜きでは久保裕也がシーズン通してフル回転するなど光る部分もあった。
野手では小笠原、ラミレスにドラフト1位の長野久義(今期新人王)、怪我から復帰した高橋由伸と昨年よりも戦力が充実。しかし、松本が開幕早々離脱、亀井がスランプに陥るなど、投手陣同様一年間通して苦しい戦いが続いた。ホームラン数は多い(ラミレス49本、阿部44本、小笠原34本、坂本31本)が、チャンスでタイムリーヒットが中々でなかったのも苦戦の要因の1つであった。
それでも首位の座をキープしていたが、夏場に失速。中日ドラゴンズ、阪神タイガースとの三つ巴の争いの末、3位となり4年連続リーグVを逃した。
クライマックスシリーズではファーストステージは阪神に連勝。その勢いで中日もといきたかったが、投手陣から得点が奪えず、敗れた。
オフ、ドラフトで意中の中大・澤村拓一投手を獲得。今季不調だったオビスポを放出し、須永英輝、紺田敏正を獲得。さらに外国人3選手を解雇、更に来季から3軍の導入など大幅なチーム改造を行った。
2011年(71勝62敗11分、3位)監督:原辰徳
東日本大震災の影響で、初めての地方球場での開幕となった。統一球の影響でホームランが激減し、打撃陣が不調に陥り、前半戦をBクラスで折り返した。
後半戦では久保裕也を抑えに固定した事でチームは安定し、最終的には首位と3.5ゲーム差の3位でレギュラーシーズンを終えた。
藤村大介が盗塁王、長野が首位打者、澤村が新人王を獲得。史上初の4年連続の新人王輩出となった。
クライマックスシリーズではヤクルトに1勝2敗で敗退した。
オフには最多勝を獲得したD.J.ホールトン、FA宣言した杉内俊哉と村田修一を獲得した。
2012年(86勝43敗15分、1位、日本一)監督:原辰徳
前年オフの内紛や契約金超過問題などがあったものの、大型補強により前評判は非常に高かった。しかし、2番に据えたジョン・ボウカーが開幕早々不振に陥ると、それにつられる形で打線が機能不全に陥ってしまい、4月は2度の5連敗を喫し、最大借金7、一時は最下位に落ちるなど、大方の予想に反する最悪のスタートとなった。
それでも1番に長野久義、3番に坂本勇人を置く打線改造を行うと、これが当たりチーム状態は徐々に上向いていき、交流戦に入ると前半は無双状態で勝ちまくり、後半も好調を維持してセ・リーグ初となるセ・パ交流戦優勝を果たした。交流戦MVPは内海哲也。
この間に杉内俊哉が東北楽天ゴールデンイーグルス戦でノーヒットノーランを達成、スコット・マシソン、山口鉄也、西村健太朗の勝利の方程式「スコット鉄太朗」、ルーキーの高木京介と田原誠次に福田聡志と高木康成を加えた12球団屈指のリリーフ陣を形成し、久保裕也と越智大祐の長期離脱の穴を埋めることに成功した。
レギュラーシーズンに戻るとマシソンが離脱したが、3割バッター3人(阿部慎之助、坂本勇人、長野久義)を擁し、2年間不調だった松本哲也が復活、春先不調だったホールトンが安定、小山雄輝ら若手先発陣の活躍、西武を戦力外になっていた石井義人が代打として活躍する。
さらにこの年は元々高いレベルにあった阿部慎之助が覚醒。史上最多タイとなるシーズン3度の月間MVPを受賞。自身初のタイトルとなる首位打者と打点王を獲得。シーズン打率.340は捕手としてはNPB史上最高、打点王はセ・リーグの捕手として初獲得。本塁打は惜しくもこの年2位に終わり三冠王とはならなかったがチームを大いに盛り立てた。
そしてチームはそのまま調子を落とすことなく2位の中日を引き離し、8月下旬にマジック30が点灯すると、順調にマジックを減らしていき9月21日に3年ぶり43回目のセ・リーグ優勝を決めた。
クライマックスシリーズでは、エースの吉見らを欠く中日相手に初戦からまさかの3連敗を喫し土俵際に追い込まれるも、そこから3連勝で中日を退けて日本シリーズ出場を決めた。
日本シリーズでは北海道日本ハムファイターズと対戦し、4勝2敗で3年ぶり22度目の日本一に輝いた。
アジアシリーズも制覇し、初のアジアチャンピオンに輝き、セ・パ交流戦、リーグ、クライマックス、日本シリーズ、アジアシリーズの全てを制覇した。
2013年(84勝53敗7分、1位)監督:原辰徳
開幕から7連勝と快調なスタートを切る。一度は阪神に首位を明け渡したが、すぐに首位を奪還した後は最終戦まで首位をキープし、9月22日に2年連続44回目のリーグ優勝を決めた。
この年は村田修一がフォームを変えて覚醒。7月は打率.406、20打点。8月は打率.422、27打点でセ・リーグ新記録の月間46安打を達成(惜しくもイチローが持つ日本記録に2安打足りず)。変えたフォームが内川聖一に近かったため彼が乗り移ったのかとネタにされた。
クライマックスシリーズで3位から勝ち上がってきた広島をも全勝で下し、日本シリーズ初出場を果たした東北楽天ゴールデンイーグルスと対戦する。
しかし日本シリーズでは坂本と阿部が深刻な打撃不振に陥り、2勝3敗と追い込まれた。第6戦、この年無敗だった田中将大からホセ・ロペスが同点ホームラン、高橋由伸が勝ち越しタイムリーを放ち、菅野智之、山口鉄也、スコット・マシソンがリードを守りきり、ついに前年から28連勝中の田中に黒星を付け、3勝3敗のタイに持ち込んだ。しかし第7戦では美馬学、則本昂大に抑えられ、最後は前日160球投げた田中将大に抑えられ、楽天に初の日本一を献上。40年ぶりの2年連続日本一を逃した。
2014年(82勝61敗1分、1位)監督:原辰徳
詳細はプロ野球2014を参照
2015年(75勝67敗1分、2位)監督:原辰徳
詳細はプロ野球2015を参照
2016年(71勝69敗3分、2位)監督:高橋由伸
詳細はプロ野球2016を参照
2017年(72勝68敗3分、4位)監督:高橋由伸
詳細はプロ野球2017を参照
2018年(67勝71敗5分、3位)監督:高橋由伸
詳細はプロ野球2018を参照
2019年(77勝64敗2分、1位)監督:原辰徳
詳細はプロ野球2019を参照
2020年代
2020年(67勝45敗8分、1位)監督:原辰徳
詳細はプロ野球2020を参照
- 序盤から独走し、史上最速でマジック点灯。後半大きく失速したものの2位に7.5ゲーム差で連覇を達成。
- 菅野智之が最多勝、岡本和真が本塁打王・打点王の2冠。坂本勇人が2000本安打を達成。
- 日本シリーズではソフトバンクに2年連続の4連敗。→26-4
2021年(61勝62敗20分、3位)監督:原辰徳
詳細はプロ野球2021を参照
2022年(68勝72敗3分、4位)監督:原辰徳
詳細はプロ野球2022を参照
2023年(71勝70敗2分、4位)監督:原辰徳
詳細はプロ野球2023を参照
2024年(77勝59敗7分、1位)監督:阿部慎之助
詳細はプロ野球2024を参照
年度別球団成績
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順位シーズン最高成績(チーム)シーズン最低成績(チーム) |
関連動画
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関連項目
- プロ野球選手一覧
- サンフランシスコ・ジャイアンツ
- 後楽園球場 / 東京ドーム
- 読売ジャイアンツ歴代4番打者 / 読売ジャイアンツドラフト1位選手一覧
- V9
- 地獄の伊東キャンプ
- くたばれ讀賣
- 史上最強打線
- ストレート 136km/h 真中中央 本塁打(左上段)
- 惨劇の巨人 / 進撃の巨人軍
- ヤングG
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- 巨人の星 / 侍ジャイアンツ
- ミラクルジャイアンツ童夢くん
- 巨人の大爆笑
- ジャビット
- ジャビットDB
- 巨専 / 不謹慎巨専
- 虚塵 / 虚カス
- 野球賭博
- 26-4
外部リンク
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