アメリカ車とは、文字通りアメリカで生産される車の事である。通称「アメ車」
このページではアメ車以外にもアメ車に係る様々な事象も併せて紹介したい。
一般的な概念としては「アメリカの車」と言う事であるが、日本のメーカーの現地生産車(ex:アコードクーペ)やアメリカに本拠地を置くメーカーが北米大陸を除くアメリカ国外で生産した車(ex:フォード・フェスティバ)をアメ車と言う事はほとんどない。言うなれば「アメリカ資本の自動車会社による、アメリカ国内、あるいは北米大陸で作られた車」が適当であろう。
1789年の蒸気機関によるキョニョーの砲車から始まった自動車の歴史は1885年の初のガソリン車であるダイムラーとベンツの自動車の登場で一気に花開いた自動車の世界。アメリカでもまた同様であった。ヨーロッパでは自動車は貴族などの富裕層向けに生産されたのに対して、アメリカでは大量生産による量産化によって、広く大衆の手に渡るように生産がされた。この為、自動車発祥の地がヨーロッパであるならば、自動車産業発祥の地はアメリカと言われる。
1901年に今は無きオールズモビル社が初の大量生産のシステムを取り入れたが、爆発的に広がりを見せたのはヘンリー・フォードによる1908年に登場したモデル・T型である。ベルトコンベアを使用した流れ作業による大量生産システム、それに伴う廉価な自動車の提供によって、広く大衆に行きわたった。その衝撃はフォーディズムと言う言葉に象徴されるシステムの名称として広がりを見せた程である。なお、ヘンリー・フォードはフォード社設立以前にも会社を興しており(1899年)、「ヘンリー・フォード・カンパニー」の名称であったが、経営陣と対立の末にフォードは会社を立ち去り、工場長がその後任となった。その後、この会社は「キャデラック」となる。
同じころ、ビュイックを経営していたウィリアム・C・デュラントによってゼネラルモータースが設立、それから少し経過した1925年にクライスラーが設立、ビッグスリーがここに出そろったわけである。アメリカはこうした大量生産システムを大々的に取り入れた為、モータリゼーションが早くより進み、それを比例するように最新のシステムを自社の自動車に取り入れていった。この頃、日本でもGMやフォードが自動車工場を建造、日本で生産を行い、第二次世界大戦勃発まで存在していた。
1950年代から1960年代はアメ車の黄金期であった。同時代の日欧の車と比べても技術や信頼性、性能は群を抜いており、また国内の発展と比例して、車のサイズもまた大きくなっていった。それ端的に表すのが1959年式キャデラックのテールフィンである。年を追うごとに大きくなったテールフィンは1959年に最大を迎えた。これは当時宇宙時代を向けて発射が多くされていたロケットを意識したものとされるが、さすがにやりすぎとの声もあり徐々に小さくなっていく。日本でも富裕層の乗る車として羨望の的とされた。一方で淘汰も進み、パッカードやハドソンなどと言った、黎明期より生産を行っていたメーカーは悉く消滅かビッグスリーを中心にライバルとの吸収合併で姿を消す事となった。
ところが1970年代に入ると一気に奈落の底へ落ちる事となる。オイルショックが世界を襲い、最大で8000ccにまで達していた排気量は一気にダウンする事になる。そこに公害問題がのしかかるとエンジン出力が軒並み下がる羽目になる。これにより動力性能は大きく落ち、その大きさもあってあまりに鈍重な走りとなった。さらにこれまで歯牙にかけてなかった日本車が経済性と高品質を武器に勝負をかけてきた。ヨーロッパ車もそのコンパクトさを武器に市場に参入するといっきにアメ車メーカーは窮地に立たされることになった。アメリカ系のメーカーはこうしたトレンドの急変化に完全に置いてきぼりになった上、社内の構造改革も出来なかった為、収益が悪化した。クライスラーは特にその影響を受け、経営危機に陥っていた。
1970年代後半から1980年代半ばまではアメ車の暗黒期であった。かねてよりの収益の悪化にもかかわらず、賃金を下げる事が出来なかったので車にかかる部分のコストを削って、利益を確保したのだがそれは即ち品質の低下を意味するものであり、当然ながら故障が頻発して評判を下げていた。そう言った中でもコンパクト化を着実に進めて日欧車に対抗しようとしていたが、コンポーネンツを極端に共通化してしまった為、一つのトラブルが多くの車種に影響を及ぼしたため、ますます評判が悪くなっていた。またこうした車を各ブランドである程度味付けを変えて出したのだが、ブランドのキャラクターを無視した共通化によって、中には明らかにブランドに相応しくない車が世に出された例もある(ex.キャデラック・シマロン)こんな時代なので好き者にとってはこの時代のアメ車は面白みがないと言われる事があるが、混迷の中にあっても次世代につなぐ新型の車も多く登場し、ポンティアック・フィエロやデロリアンの様なカルト的な人気を誇る車も登場した。なおこの頃、日本では車のトレンドはヨーロッパに移行しており、存在感が非常に小さくなっていた。
転機になったのは1980年代半ばからである。電子制御の急速な発展によって、低公害と高出力を両立する事に成功。デザインもまた一気にモダナイズされ、アメ車の面目躍如となった。日本では円高によって1990年代より廉価でアメ車を手に入れる機会が多くなってきた。また日本車や欧州車のノウハウがある程度たまってきたのか、これらへの対向車としてアメ車の小型モデルも日本へ輸入されるようになったり、サターンのような新規ブランドが登場したが、結果はお察し下さい(後述)
21世紀に入るとさらにハイテクノロジーを導入、またガソリン価格も落ち着いてきてより大型化・排気量の増大などが進められてきた。排気量は大きくなったが、その性能はかつての時代のものよりもずっと高性能になっている。このまま安泰かと思われたアメ車であったが、石油が新興国に行った事による不足、投機買いによる暴騰などガソリン価格の高騰はガソリン消費の多い車種の多いアメ車にとってダメージになった。追い打ちをかけるようにリーマンショックからの恐慌によって、ついにGMとクライスラーが経営破たんする事となった。これらの出来事は世界中を驚かせた。かつて我が世の春を謳歌したビッグスリーのうち、2つが経営破たんする事になるとは誰しも想像はしなかった。フォードは破たんこそ免れたが、自身の保有する世界各地の傘下の会社を売却するなど、決してダメージは小さいものではなかった。
2010年以降、GMとクライスラーは経営を立て直し、クライスラーはダイムラーを経てフィアットの軍門に下る。これまでの様にアメリカ国内だけを見てればいいと言うのはもはや通用せず、アメリカ国外へ向けたモデルを開発する事となった。この中でこれまでアメリカンスペシャリティカーの象徴たるフォード・マスタングが右ハンドルを純正で導入するなど、意識の変化が見られた。他方で電気自動車の開発もすすんでおり、新興メーカーのTESLAが市販され、人気を博している。
アメリカ車の特徴はすなわちアメリカと言う国そのものの特徴にもなりうる。まず、日本車と比べても大きな車体である事、排気量が大きい事、軟い足である。
これらは一般的にアメ車を語る際に散見される「無駄」と言われるが、これらの特徴には合理的な理由が存在する。アメリカにおける移動手段のメインストリームは自動車である。無論、あまりに遠い場合は飛行機が出てくるが少なくとも州間の移動においては自動車が使われる事が多い。もっともそれであっても100キロといった距離ではなく何百キロという世界であり、インターステートハイウェイと言われる高速道路を利用する。この高速道路網は全米に整備されており、その距離は長大かつカーブは少なく、ほとんど直線である。道も日本の様に舗装されている所もあれば、ロクに手入れをしていない所もある。こういう道を快適に進む為には快適性を確保するためのある程度の大きさが必要であり、その大きさの車を動かせるサイズのエンジン、凸凹道でも快適に進めるような足周りが必要なのである。
特筆される点として、ピックアップトラックの人気が高い事である。アメリカにおいてはピックアップトラックはそれこそ、野良仕事からモーターホームけん引、足車など1台で何役もこなせる万能車である。これだけではなく、税金が安く、所によっては無税と言う事もあり、大人気となっている。特にテキサス州などアメリカ南部での販売シェア数はどの州よりも高い数字がある。アメリカの人気レースカテゴリーであるNASCARにもピックアップボディのクラスがある事や映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」における主人公の台詞からもその人気ぶりが伺える。現在ではなくなってしまったが、かつては乗用車ベースのピックアップも存在した。
安全対策においても割合に一歩先を言ってるものが大きかった。連邦政府による厳しい安全規制もあり、早い時代にエアバッグが設定されている車種もあった。これに絡む面白い話として自動シートベルトと言うものがあり、シートベルトの着用率が低い事を懸念した政府によって、取り付けが義務化されたものであるが、ドアを閉めると付け根が移動してベルトがたすきのように掛かると言うものになっている。但し、腰の部分は自分でつけるという一種の苦肉の策である。
一般的にオートマに代表されるオートメーション先進のイメージがあるが、小型車、ことにバジェットカーといわれる低価格車には(ハンド)パワーウィンドウや手動調節のドアミラー、マニュアルギアが設定されている事が多い。無論、アメ車のスポーツモデルにはマニュアルモデルはほぼ設定されている。
メーター表記においてはアメリカがヤード・ポンド法を採用しているので速度計はマイル表示となっていたり、温度関係は華氏表示となっている。また、面白い特徴としてエンジンの排気量を示す際はいわゆるリッター表記ではなく、キュービックインチとなっている。例えばシボレーのスモールブロックと言われるV8エンジンは5,7リッター、もしくは5700ccと日本では表記されるが、現地においでは350ci.と表記されるのが一般的である。この他、燃費にしてもガロン表記となっていたりと、単位ひとつとっても大きく異なる事情がある。また部品のねじにはセンチメートルを使用する日本車などに対して、インチを採用するので修理する際に工具類が使えないと言う事もある。
メーカー内に多くのブランドがあるのも特徴である。例えばシボレーはゼネラルモータースの大衆ブランドの一つであり、GMはその他にも高級車部門のキャデラックやワンランク下のビュイック、商用車部門のGMCなどがある。日本では単一ブランドで車種をほぼ一括して取り扱っている傾向が多く、また販売店単位で車に差をつけている事が多いのであまりピンとこない事が多い。
このようにアメ車はアメリカの国土に割合特化したような車づくりであり、また販売も国内販売で十分に利益を生み出せる構造であった為、輸出に対してはあまり積極的とは言えないものであった。左ハンドルゆえに同じような左ハンドルの国への輸出こそあったが、右ハンドルともなるとその数は少ないものである。当然、需要がなければ態々用意する事もないので右ハンドルのアメ車はコンバート改造を除けば近年まではごく限られたものであった。例外としてかつてのジープ・チェロキーがあり、日本では初の右ハンドルのアメ車と言う事で高い人気を誇った(アメ車に限らず、かつての輸入車は代理店の販売施策上、敢えて左ハンドルのみの販売をする事が多かった)この車はアメリカでは郵便車として使う為に歩道側の右側にハンドルがあった。その為、日本へ輸出する際にこの郵便車のハンドルを流用する事で右ハンドル車を容易にラインナップに組み込む事が出来た。近年は輸出を行う事が多くなってきたので右ハンドルの用意もされている事がある。
アメリカ車を語る上では決して欠かせないのがビッグスリーの存在である。
ゼネラル・モーターズ、フォード、クライスラーの三社を指しており、さらに各々には多くのブランドを展開しているのは前の項目に書いた通りだが、その存在は単なる自動車メーカーの枠を超え、アメリカ合衆国の政策にも大きな影響を与える程に大きな存在である。過去、ライバルメーカーに向けて謎の圧力がかかったり、直近ではオバマ政権下における救済策に見る事が出来る。
この他、陰謀論のネタになったり、数々の映画のワンシーンを飾ったりと、文化の面でも大きな側面を持つ。そして自動車のメカや生産体制のオートメーション化に代表されるその技術はかつては世界中のメーカーが範を取ったほどである。
中小のメーカーは数あれど、日本で言う所のトヨタなどのメーカーレベルの規模のメーカーともなると、この3社程度しか存在しない。かつてはアメリカンモータースやパッカードなどのメーカーがあり、個性豊かな自動車が多く存在したが、競争の激化や吸収合併を経て現在の体制となっている。
後述するが収益性の面を重視していた為、数売らないと売り上げにならない小型車の開発には消極的であり、このクラスの自動車は日欧の提携メーカーからの供給で賄っていた。国際展開に際してはこれらの提携を活用し、世界中でバッジエンジニアリングが多く存在した。日本ではいすゞ自動車がGMと提携し、自社の乗用車や商用車をアメリカのシボレーブランドやGMCブランドで販売した。
しかし、それゆえに驕りがあったとも言われ、過去に何度かそれが問題となった事もある。あまりに巨大になりすぎて組織的に硬直し、官僚的になっていった。それを告発した著書もあり、BTTFでおなじみのデロリアン社の社長であったジョン・デロリアンが書いた「晴れた日にはGMが見える」では、GMが外部からの忠告の類を一切黙殺し続けていた事が書かれている。デロリアン自身は若くしてGMの副社長にまで上り詰めた立志伝の人物であるが、社内抗争の末にGMを去らざるを得なくなったがその直後に書いた本である。この他、ラルフ・ネーダーの告発においてもそれを黙殺し続け、探偵を使ってその芽を摘もうとした。これらはGMに関する事であるが、他の2社も事情が似たようなものであり、嗜好の変化に対してかたくなに改革を拒む姿勢を貫いた著書もある。これらがリーマンショック以降の壊滅的なダメージの原因になったとも言えよう。
今日、外車と言ってイメージされるのはベンツなどのドイツ車が多いが、30年ぐらい前における外車のイメージはアメ車であった。戦前より日本で生産していた関係でアメ車が多く走っていたが、戦後も進駐軍がこぞって使用したことや、海外ドラマがアメリカ発のものが多く、そのスクリーンを飾る車はキャデラックであったりとある意味身近な外車でもあった。名だたる有名人がこぞって乗っていた事もあり、金持ちや今で言う所のセレブ御用達のイメージが強かった。
元々、戦前にはアメ車が日本において生産されていたり、都営バスの黎明期はフォードT型をベースとしたバス(のようなもの)が走ったり、戦後は進駐軍のトラックベースのバスが走ったりと生活に根付くレベルでその姿が見られた。現在では輸入車の販売台数の上位はドイツ車や日系メーカーによる現地のモデル導入車を占めており、ジープが上位にいるのみである。それでも唯一無二の個性から人気は根強く、並行輸入も見受けられる。
しかし、残念な事に往々にしてアメ車はヨーロッパ車より格下の扱いで語られる事が多い。前項に書いた「大きな車体・大排気量・軟い足」はある意味環境としては真逆となる日本においては無駄の象徴としてとらえられた。無論、これだけでアメ車が評価を落とすはずもない。そもそも日本の道は混雑とゴー&ストップの多さに加え、高温多湿と低温寒冷という相反する要素が同居する環境であり、アメリカ車以外でも海外の車にとっては過酷な環境である。現にアメ車のみならずヨーロッパ車でも日本車程の信頼性を今もって得られないでいる。
では何故、ここまで評価を下げる結果になったかと言えば1970年代におけるオイルショック後の嗜好の変化や変革に取り残された事がある。1970年代におけるオイルショック以降、消費者は経済性に優れるヨーロッパ車や日本車にシフトしつつあったが、元々ビッグスリーは小型車生産のノウハウに乏しく、また収益的にも利幅が少ない為、その開発にも乗り気ではなかった。また、上層部もまた現場や市場の動向に乏しかったと言われ、無理な拡大路線の展開といった経営の失敗やラインナップの刷新などのスピーディーさの欠如があった。この他にも強力な労働組合の存在があり、非常に厚い福利厚生が確保されていたが、それでもしばしば労働争議が頻発し現場のモチベーション低下が問題となった。経営が傾けば従業員の人件費や福利厚生のカット、またはレイオフなどを実行する所、組合が強いので削る事も出来ず、車の設計や部品にかかるコスト削減でしのいだのだが、これは故障頻発や早期の劣化などでボロが出てしまい、商品の評判に大きな影を落とした。
また、1990年代に日本においてはシボレーアストロなどのミニバンが人気を博し、正規・並行問わずに数多くの車が輸入されたが一部の悪質な販売店がメーター改ざんや事故車の販売などをした結果、さらに評価を下げてしまった点もある。その為、現在においても雑誌や電子媒体では「アメ車はてんでダメ車」であるという評価を成されている事がしばしば見受けられている。ここで改めて言っておく事に現在においては少なくともメカニカルな点では概ね解決されており、本来のアメ車は新旧に関わらず、基本的な整備を怠らなければ非常に頑丈である。何故なら、誰もいない様なハイウェイのど真ん中で故障すると言う事は命にかかわることにもなるからである。何より日本では旧車として珍重されるよう車種であっても、日常的に使用する固体が多い事がそれを証明している。
ここ数年はアメ車に向けられるステレオタイプの評価はあまり多くなくなり、数ある輸入車の中でもひときわ目立つ個性や、人気映画に登場していることから再評価の向きも見られ、静かに注目を集めつつある。特にジープは人気の面で頭一つ抜けており、アメ車で一番売れている車種でもある。ジープ自体がこの手のオフロードカーのアイコンでもあるが、早くより右ハンドルをメインに据えた戦略で着実に知名度を固めていった。一方でこれ以上の販売台数増加を見込めないと判断したフォードが日本から撤退すると言うニュースもある。
自動車産業発祥の地として長く、そして非常に深い文化がある。改造に関しては人種によってもある程度細分化されているのも特徴であり、これもまた人種のるつぼと言われるアメリカを表すものになっている。
一般的に「車は道具」という考えが知られており、走ればオーライな考えがあるのは確かである。錆多数発生で足回りヤレまくりの車、板金後の下地塗装のみのまだら模様な車、ボディの艶なしな車などが見られる。
当然、車は右側通行なので左ハンドルである。沖縄においてもアメリカ占領時代はこれに準じていた。但し、郵便用は車から見て右側にポストがあるので右ハンドルであれば集荷も容易いので右ハンドルとなっている。そしてこれを応用して、当時郵便用車にも使われていたジープ・チェロキーの日本仕様車を作ったと言われる。
大きな特徴として非常に強固なV8信仰があり、アメ車のアイデンティティにもなっている。アメリカでは国籍を問わずエンジン換装が頻繁に行われているが、特にFRは1にも2にもV8と言わんばかりにV8に載せ換える事が多い。V8にしても、DOHCではなく旧態化したと言われるOHVが主流である。無論、OHVにするからには理由があり、長い間リプロダクションされているため、各々のメーカーのアフターパーツが豊富にそろっている事やエンジンヘッドの高さを抑えられる事で重心を低くできたり、パワーバンドを扱いやすい低回転域重視に出来る、整備性の高さ、機械音に起因するエンジンの音が良くなるなどがある。
(例)S14にV8ブッ込んでみた。
V8は大きく重いイメージだが最新のものは大分軽く、物によっては前のエンジンより軽量化する事もあり、またOHVの特性上、ヘッドを低くする事が出来るので、重心を低く抑えられる事によるバランスのよさと言ったメリットもある。面白い例としてFD型のRX-7にV8エンジンを乗せ換えている例が見られる。マニアからすればロータリー捨てるとは何トチ狂った事してるんだというかもしれないが、重量的にそれ程大きく変わらず、割合にデリケートな面も存在するロータリーエンジンからパワーと頑丈さを備えたV8に換装する事は理にかなった事でもある。
この様に一見無駄に見えて、かなり合理的な所も特徴である。
アメリカにおいては日本の車検に相当する制度が存在せず、エンジン交換も特段の手続きがなく、またチューニングに対する敷居も低く、原型をとどめない改造が多い。また、整備においても工場に持っていくような点検もあるが、DIYで整備するケースも少なくない。
日本では廃番になってるような純正パーツもサードパーティによる生産や整備書が非常に盛んになっている。これらの背景にはDIYや自己責任が浸透している事もあるが、前述の通り、整備を怠ったためにもしハイウェイのど真ん中で止まってしまえば命に関わる可能性もある、という事情もある。また自動車部品もモデル廃止になった後も日本と比べてはるかに長期間生産する義務がある。極端な話であるが、例としてハーレーはフレームさえあれば、リプロダクション部品を集めるだけで元通りに出来る程である。その為、日本では廃番になっていても、アメリカでは生産されている事が多く、あえて輸入する旧車乗りもいる。但し、その車が北米仕様をラインナップしている事が前提ではあるが。
往々にして、アメ車のスポーツカーは暴力的なまでの加速と直線番長に代表される乗り味で、ヨーロッパや日本のGTとは様相が大きく異なる。これはホットロッドやドラッグレースが影響している。また、過給機も回さないとパワーが出ないターボチャージャーより最初からモリモリパワーが出るスーパーチャージャーが主流である。
近年NOSと言われるシステムが日本でも知られてるが、これは亜酸化窒素(歯医者などで麻酔に使われる笑気ガス)をエンジンに噴射し、爆発的に出力を上げる機構であるが、取り付けが容易なのでスーパーチャージャーと共に取り付けられる事が多い。なお、このシステムの事を「ニトロ」と言うケースがあるが、これは厳密には誤りである。最初のつづりはどちらも「Nitro-」であるが、NOSは「ナイトラスオキサイドシステム」の略称であり正しくは「ナイトロ」という。特性もニトロのように衝撃や加熱で爆発する不安定な物質ではなく、医療機関などで日常的に使われる安定した物質である。取り付けも容易で手軽にパワーを引き出せるNOSであるが日本で今一つ注目されないのはニトロと間違われる為に爆発の危険があるのではないかと誤解されている現実がある。
そして、アメリカは訴訟大国である。我々の感覚では気にも留めない事であっても訴訟となり、それがビジネスとして成り立っているというお国柄であるので、ちょっとした事でケチがつかない(ex.サムライ訴訟)ような対策がそこかしこに施されている。例えば、自動車のサイドミラーに表記されている「OBJECT IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR」の一文。これ意味自体は「鏡に映ってるものは実際はもっと近い位置にある」程度の意味である。アメ車を始めとしたアメリカ向けの自動車には連邦政府によってこの表記が義務化されている。
この他、最近の車では見られなくなったが「UNLEAD FUEL ONLY」の表記がメーターパネルに表記されており、「無鉛ガソリンのみ」と言う意味であるが、これは有鉛ガソリンがまだ流通していた時代の名残である。
アメ車を語る上でどうしても外せないのは欠陥車の問題である。言うまでもなくネガティブなものであるが、そこから得られた経験は自動車業界のみならず、商売をする者がコンプライアンスを学ぶ上での非常に貴重なケーススタディとして、欠かすものが出来ないものとなっている。
欠陥に伴ういざこざは大なり小なり存在していたが、1970年代頃から1980年代半ばにかけてが非常に多く存在した。この時期におけるアメリカ車は日欧のメーカーの競争にさらされていながらも高コスト体質を脱却できなかった事、それでも目先の収益確保を重視していた事で本来は安全性を重視すべき個所の対策が疎かになっていた事、大きくなった組織ゆえの驕りなど多くの原因が存在していた。
欠陥車にまつわる事故やトラブルにおいては対策に係る部分のコストはごくわずかであったにもかかわらず、それさえも出し惜しんだ結果も多い。
シボレー・コルベアはGMがVWタイプ1の成功に触発されて開発した車両で、同車の影響を色濃く受けたパッケージングで人気を博したが、アメリカの社会運動家で大統領選に立候補した経験を持つラルフ・ネーダーの著書で安定性に関する告発をされた。これによりコルベアは大ダメージを受けた。この顛末には色々な意見があり、それまでFRに慣れ親しんだドライバーやメカニックがRR、それも運転次第でジャッキング現象からの横転を起こしやすいスイングアクスルサスの特性を理解していなかったという意見があるが、最初期の車両においてそれにかかる対策をわずかなコストを惜しんでケチったという事実があり、まるっきりメーカーに非がないとは言えないのである。最終的には車自体の名誉は回復したのだが、それよりもまずかったのはGMは氏の著書の告発に対して黙殺を決め込み、さらに氏を探偵につけさせていたことである。この目論見は見事に失敗に終わり、逆にGMは訴訟を起こされた。
こうした欠陥車問題を語る上で俎上に上がるのがフォード・ピントである。
ピントはフォードが日欧の自動車に対抗する為に投入された車両であり、恐竜とも例えられる他の車から見ても随分とコンパクトに仕上がった車となっている。余程急いでいたのであろう、通常は3年半程度かけて開発する所を2年ちょっとで世に出したのだが、この過程で燃料タンクの位置がバンパーに近くにあり、そしてそのバンパーは強度が不足していた為、衝突の際に燃料タンクから引火して火災に至るおそれがあった。この時点で何らかの対策が施されるべきであったのだが、開発期間が短いために対策を行う時間を割けず、賠償金と対策費用を天秤にかけた結果、前者の方が安いとして、あろうことかその問題を知ってて放置してしまったのである。
しかし、その目論見は見事に崩れたのである。発売の翌年に追突事故が起き、予想通り炎上が起きた。一人が死亡、一人が大やけどを負った。そして裁判の中で元社員のこれらの証言が白日の下にさらされた。その代償は予想以上の賠償金、フォード社の信頼性や信用の大きな失墜で払わされることになった。
これらの顛末は利益優先で安全性をおろそかに結果がどうなるかを端的に表しており、今でも自動車の欠陥だけではなく、企業のコンプライアンスを考える上で題材に上がるほどになっている。
アメリカにおける自動車のジャンルも色々と独自の名称で言われる事が多いが、日本においてそれが紹介されるケースはあまり多くない。ここではそれを紹介する。
日本においては「コンパクトカー」に相当するジャンルである。セクレタリーとは「女性秘書」と言う意味であり、転じて「オサレな女性が好んで使用する車」を意味する。
アメリカでは概ね、コンパクトな2ドア車が該当する。その為、日本車でも本来取り扱いのない車種で2ドアクーペが存在した(ex.ターセル、サニー)
近年はハッチバック等に取って代わられており、このジャンルにおける2ドアクーペは数を減らしている。
サブコンパクトカーは日本におけるコンパクトカー、概ねヴィッツクラスに相当し、コスパ重視であるのでバジェットカーと言われる事もある。バジェット(Budget)、つまり「格安」の意味の通り、小型車の中でもお買い得の面を押し出したジャンルとなっている。
オイルショック以降、燃費に過敏に反応する層が増えてきたため、このジャンルは大きく人気となった。特に日本車はこのジャンルが強く、そして収益性を重視するあまりに開発の立ち遅れたビッグスリーはこのジャンルを不得手としている。その為、ビッグスリーは提携しているメーカーのOEMなどで対抗した。
お買い得仕様である為、マニュアルトランスミッションの設定やパワーウィンドウのオミットなど、快適装備を削ってある面も注目される。
日本におけるコンパクトカーはヴィッツクラスに相当するが、アメリカにおいてはワンランク上のクラス(カローラやアクセラ)に相当する。
この他にも日本ではクラウンなどの車に相当する車はインターミディエイト(中間)と言い、それ以上のサイズ(全長が概ね5.5m以上)はフルサイズと言われる。特にフルサイズの場合はその時代の世相に合わせて相対的に判断される事が多いので、その基準もかなり前後するケースがある。
概ね、小型~中型の2ドアクーペをさす。ポニーのような小ささから取られた。初代マスタングが登場した際にジャンルが出来上がった。小型と言っても、日本車の基準から見ればそれなりに大型である。とはいえ、それまでの2ドアクーペが全長5mをゆうに超える車種が多かった事を考えれば、4.6mちょっとのマスタングは十分に「小さい」レベルである。
マスタングの成功に範をとった車が多く登場したが、モデルチェンジ事に大型化していったのは皮肉である。そして、多くの車種がオイルショックと共に消えていく、もしくは小型化していった。
マッスルカーは大衆車などの安価な車体に大排気量のハイパフォーマンスエンジンを搭載したクーペであり、ドラッグレースやストックカーレースに主眼を置いたものとなっている。1960年代から70年代にかけて、GM、フォード、クライスラーはこぞってこれらの自動車を生みだし、当時の若者に大人気を博した。
マッスルの名の通り、まさに全身筋肉と言わんばかりにハイパワーエンジンを搭載しており、また車体も大型の物を使用していた。ホットロッド文化と切っても切れない関係であり、それゆえに直線番長と言う別称を与えられているが、そもそもワインディングを小気味よく走るような車ではなく、主にドラッグレースをメインにおいている為であり、その点は留意したい。
また、ポニーカーもモデルチェンジの過程で大型化して行った際に、こちらのジャンルに鞍替えしたケースも多い。ポニーカーの項目でも書いた通り、オイルショックが襲うとこのジャンルは壊滅的な被害を受けた。
近年はレトロモダン(後述)の流れでこのジャンルが復活しつつあるが、現代技術の賜物として脳筋なイメージの旧世代マッスルカーとは打って変わって、非常にスマートなものとなっている。
主に中古車市場で買い手が売り手の車の質を見極めづらいと言う状況から、市場に良質な車が流れず、低質な車ばかりになってしまう状況を指している。
これ自体の意味は日本語で言う所の「○×ネーゼ」や「ベッドタウンに住む中流家庭のセレブ()な母親」程度の意味であるが、車のジャンルで言う場合はミニバン辺りを差す。家族で応援に行く事の他にも、余所の子を乗せたり、様々な道具を積むのに適した車種としてミニバンが人気となったのだが、野暮ったくイケてない車の代名詞と言う意味も込められている。
代表的なのは「ホットロッド」である。おんぼろの車から余計なものを取っ払い、派手なファイヤーパターンのデカールなどを張り付けて、必要に応じてV8エンジンに載せ換えてバカっ早な車に仕上げる。主にゼロヨンの様な直線レースの速さを競い、NHRAに代表されるアメリカのドラッグレースの源流ともなったのである。
日本でも油圧族と言う別称でおなじみなのは「ローライダー」である。ホットロッドは白人発祥であるが、ローライダーはロサンゼルスを中心としたメキシコ系移民発祥となっている。ホットロッドに対するカウンターカルチャーの側面もあり、車高が極端に低く、その車高もハイドロリクスを駆使して調整出来たり、または飛び跳ねたりも出来る。ペイントもラメを多用したものとなっている。その文化の成り立ち上、移民の歴史やヒップホップやギャング文化と強いつながりがあり、一口にこのカテゴリーを語るのは難しい。
ワイルドスピードでおなじみなのはスポーツコンパクトこと「スポコン」であり、主に日本製やヨーロッパ製、韓国製小型車をベースとし、外装をバイナルで装飾し、エンジンもハイパフォーマンスにするなどがあるが、明確な定義はない。このジャンルはアジア系などの有色人種発祥である。
また日本車をベースに本国(アメリカから見た日本)仕様に仕立てられたものは「JDM(Japan Domestic Model)」と言われ、日本における「USDM」と対の存在となっている。
アメリカ車が日本における輸入車のメインストリームから外れた現在も、文化の面では未だに根強い影響力をもつのが特徴である。
メルセデス・ベンツにAMGがあり、BMWにアルピナがあるようにアメ車でもチューニングのコンプリートカーが多く発売されている。有名なのはフォードマスタングをベースとした車種で有名なシェルビーである。初代マスタングをベースとしたシェルビー・マスタングは名車の誉れが高く、現在もなお語り継がれる車として有名であるが、現モデルにおいてもキャロル・シェルビーの息がかかっており、500PSという凄まじい性能を誇る。しかし日本には正規輸入されていない事が悔やまれる。
また、スティーブ・サリーン率いるサリーン社はビッグスリーのスペシャリティーカーをベースにコンプリートカーを販売している。
アメリカではレプリカ市場が広く認知されており、大小様々なレプリカメーカーが存在する。
ここで一つの車を紹介したい。ポンティアック・フィエロである。
1984年にGMのブランド、ポンティアックより発売されたこの車は意外に保守的な傾向の強いアメ車としては、異例の革新的な機構を施された車である。そのデザインの流麗さもさることながら、ミッドシップエンジンやプラスチックボディの採用など、これまでのアメ車にはない機構が採用されていた。そして、部品も既存の物を流用することでコストを下げ、非常に廉価な価格で爆発的な人気を誇った。
そして、ボディがポン載せみたいな感じであったので、足回りはそのままにフェラーリやカウンタックのボディに仕立て上げる、所謂レプリカにはうってつけの車種であった。日本においても90年代には多く見受けられた。フィエロはその販売台数ゆえにベース車として多く採用されていた。中には寸詰まりのちんちくりんなものがあるが、上手な所では本物と見間違えるばかりのクオリティでもあった。
この他、フェラーリ・デイトナのレプリカベースにはコルベットが使用された。そしてマイアミ・バイスで使用されたことにより、このレプリカモデルが大人気を博した。ちなみにマイアミバイスで使われたデイトナも正真正銘の「レプリカ」である。また、フォルクスワーゲンタイプ1もベース車として非常に人気で、ポルシェ356やキューベルワーゲンなどが多く作られた。もっとも、キューベルワーゲンもポルシェ356はタイプ1とはルーツは一緒である点は注目したい。
前述した通り、車検制度がない事や法的な制度としても成熟したものとなっているので、レプリカ車に対する敷居は日本と比べても非常に低い。同時にまっさらオリジナルの車を自作できる、所謂「キットカー」も多く存在する。
予めオンボロ車から部品をはぎ取って、メーカーから買い入れたキットを組み上げた上で部品を取り付ける、まさに1/1のプラモデルの世界である。モチーフはレプリカ車のように名車が俎上に上がる事が多いが、オリジナルの物も存在する。そして、組み合わせるパーツによっては元ネタ以上の動力性能を得る事ができ、それこそ魔改造の領域にも踏み入れる事も不可能ではない…と言うか容易に向こう岸へ行ける。
キットカーやレプリカ車の存在はクラシックカーに憧れる人々にとってはうってつけの存在である。と言うのも、クラシックカーと言うのはとにかく故障との戦いであり、ろくすっぽ満足に走れる状況でいられるケースはなかなか存在しない。また、その当時においては第一級の動力性能であっても、時代が下れば平凡、もしくはそれ以下なレベルになってしまう事は決して珍しくはない。そう言った中で現代の標準的、もしくは自らが望めばそれ以上の性能を得る事の出来るキットカーやレプリカ車はええかっこしいしながらも、苦痛を強いることなく走らせる事が出来るとあって重宝される。
アメリカのみならず、ヨーロッパでもこのジャンルは盛んであり、スーパーセブンのキットカーは多く生産されている事はつとに知られている。他方、日本ではレプリカ車はともかく、キットカーに関しては非常に厳格な基準がある為、そうそうたやすくキットカーを組み上げる事は出来ない。しかし、そんな中でも光岡自動車から50ccであるがキットカーがかつて販売されていた。面白い事に在中されている書類の書き方次第では自分の名前をメーカーにしたり、車名をオリジナルの物にしたり出来ると言うものであった。しかし、諸々の事情で生産をやめてしまった為、現在日本でキットカーの生産を行っているメーカーは存在しない。
近年、アメ車のカスタマイズ界隈で広がりを見せているのがレストモッド(Restomod)である。
レストア(Restore)とモディファイ(Modify)を組み合わせた造語であり、新車状態に近い状態に修繕するレストアに現代的な機器類を組み込むモディファイを施すことであり、オリジナル重視派にとっては邪道と言われかねないのだが、これによってガワは旧車でありながら、中身は今時の車という扱いやすさを手に入れることができる。
キットカーやレプリカ車のように懐かしいデザインで現代的なデバイスでええかっこしいができるのだが、こちらは車体や部品の一部がオリジナルであり、キットカーやレプリカ車では限界のあるオリジナリティが段違いとなっている。
黎明期から現在に至るまで、日本車は大なり小なりの影響を受けている。近年はヨーロッパ車人気や提携解消などでその幅は小さくなっているが、完全に潰えたと言う事はない。
ビッグスリーは小型車のノウハウに乏しく、また労働組合との兼ね合いもあってか、こうした利益の見込めない車に対しては消極的な姿勢を持っていた。その為、オイルショックなどで嗜好が変化する際には自社製ではなく、国外の提携先の車を採用するケースが非常に多かった。フォードは小型車を得意とするヨーロッパ部門があったが、そういう地域部門を持たないGMやクライスラーは提携先の車を活用、特に品質が高く、ノウハウが豊富な日本車が多く採用された。また逆にビッグスリーは提携していた日本のメーカーに貿易摩擦解消の名のもとに自社の自動車の販売を押し付けた行うなどもあった。
GMではいすゞと資本提携をしていた為、ジェミニやアスカ、ピアッツァなどがGMの有する各ブランドで販売された。特にアスカはシボレーではキャバリエを名乗っていたが、のみならずポンティアックやビュイック、オールズモービル、果てはキャディラックにシマロンの名前で販売されるまでになった。無論これらは車全部が全部アスカではないが、足回りは共通している。同じく提携をしていたスズキもいすゞ車よりもさらにコンパクトなカルタスやいすゞのラインナップにない小型SUVのエスクードを投入すると言う具合であった。珍しいケースではシボレー・ノヴァがあげられる。資本提携のないトヨタの車種を使っているが、これは貿易摩擦の問題に端を発するNUMMI設立の産物であり、トヨタ・スプリンターベースで制作をされた。その後、小型車ブランドのジオが設立されると、ノヴァの事実上の後継としてプリズムが製造されるようになる。それでもなお貿易摩擦の影響があり、今度はシボレーはトヨタにキャバリエを投入する。この時点で提携先のいすゞは乗用車から撤退していた事は関係ないわけではないと思われるが、とかく日本車と比べても明らかに劣る仕上げやマイナートラブルの為に思うように売れず、覆面パトカー御用達となってしまった。
クライスラーでは三菱自動車と提携していた為、三菱GTOをダッジ・ステルスとして、また三菱・ミラージュをダッジ(プリムス)・コルトとして販売した。なお、提携前から三菱製のOEMは存在し、その中でギャランラムダをサッポロと言う名前で販売していたのは有名である(もっとも、ギャランラムダは輸出名自体がサッポロであり、日本車としては非常に異例な日本語由来、それも地名の車名である)
このように日本車が他社で販売されるケースは1990年代までは多く存在したが、自社である程度は賄えるようになったのと、日系メーカーとの提携解消が相次いだため、日本車がアメリカのブランドで販売されたり、逆にアメ車が日本のブランドで販売されるケースは少なくなっている。この位置に取って代わったのは同様に提携をしている中国車であったり、韓国車であったりする。但し、完全に潰えたわけではなく日本のメーカーが現地法人を持たなかったりする場合はかつてのよしみと言うわけではないが、継続してラインナップされる事もある。この手の事で目新しいのは日産自動車がNV200をシボレー向けに「シティエクスプレス」の名前で販売する事となった。なお、日産はこれ以前には日産・クエストをフォードのマーキュリーブランドで販売している。
日本車の黎明期においてはデザイン面などで影響を受けたはアメ車であった。古くは戦前のトヨダAA型まで遡り、デザインはクライスラー・エアーフローの影響を強く受け、エンジンはシボレーのエンジンをコピーしたものであった。この時代においてはフォードやGMが日本に自動車工場を持っており、それらに対抗する面もあった。
戦後においても影響は強く、端的な例として3代目グロリアや初代セリカがある。前者はタテグロと言う渾名があるがポンティアックGTOを思わせるスタイルで「代用アメ車」というもう一つの渾名が存在した。後者はだるまセリカとして知られるが、そのスタイルや販売手法は程度の差はあれど、初代フォード・マスタングのそれとほとんど一緒のものであった。またスズキ・フロンテなどに見られたコークボトルと言われるコーラの瓶の様なうねりの効いたスタイリングや高級車に代表されるふわふわした乗り心地やメッキの多用もまた、アメ車のそれであった。この他、当時のオプションにはアメリカのストックカーやマッスルカーを思わせるような外装の装備が用意されたり、技術面でもかつてのトヨタ・クラウンが長年にわたり採用したペリメーターフレームはGMの影響があった。
前述した「代用アメ車」はある程度値段のこなれてきたアメ車の影響を受けたであろう型落ちの車のことを指し、3代目グロリアのほか、三菱・デボネアなどがあった。当時の若者はアメ車はほしいけど、高くて買えない、せめて雰囲気が漂うこれらの車に飛びついていた。このようにデザイン・設計思想・文化の面でこの当時のアメ車から受けた影響が大きい事がわかる。
乗用車のみならず、バスもまたアメリカの影響が大きかった。戦後からスケルトン構造が台頭する1980年代まではほぼ例外なくアメリカンバスのトレンドを取り入れたと言っても過言ではなく、富士重工が設計した初のモノコックバスである「ふじ号」はGMCの‘オールドルック’トランジットバスに強い影響を受けたとされ、その後モデルチェンジ版に当たるニュールックバスはさらに多くの影響を日本のコーチビルダー(ここではバスの車体を製造する会社)に与えた。前面窓の拡大や側面の斜めの引き違い窓(俗に「メトロ窓」)はGMC・ニュールックバスに範を取ったと明記しているバス会社もある。バス文化の面でもその影響が色濃く表れ、トロピカルの総本山である関東バスの塗装はアメリカにかつて存在したパシフィック電鉄のバスとほぼ同一である。これには日本の大手私鉄・バスがパシフィック電鉄に影響を受けた面が多く、一種の羨望のようなものもあるが、この塗装が採用されたのが1950年であり、この時代におけるアメリカの影響の大きさが伺える。小田急バスがかつて付けていた犬(シェパード)のシンボルマークも、グレイハウンドのマークにそっくりである。
観光バスの場合はもっと強く印象を与えたとされ、アメリカの長距離バス会社のグレイハウンド向けに導入されたシーニクルーザー(scenicruiser)と言う車両は車体の中央~後ろ部分は前部分よりも高くすることで半2階建て構造を採用、窓をもう一つ設置したスタイル、1950年代前半の設計ながらも「(信頼性を追求した結果としての)ツインエンジン・エアコン完備・エアサス」等々、文字通りクルーザーのような豪華な装備であった。日本の観光バスはスタイルを中心にいくつかの機構を取り入れて、セミデッカーバスとして長らく観光バスのトレンドを占めていた。
日本車はほぼすべての種類で黎明期から1980年代ぐらいまではアメリカ車の影響を強く受けていたが、ヨーロッパ車の台頭が始まると、日本車のインスピレーション先はヨーロッパへ移っていった。
現在において、日本車にインスピレーションを与える対象としてにアメ車が来る事はあまりない。とはいえ、それでもアメ車が人気を得るケースもあり、時として自動車の流れを大きく変える事がある。90年代においてはシボレー・アストロが人気を博し、これによってそれまでのワゴン車の主流であったワンボックスはミニバンへと移行が始まり、競争が激化した。また、最近ではリンカーン・ナビゲーターやハマーが大型SUVで人気を博すなど、アメ車の人気は消えたわけではない。
1990年代におけるアメリカにおいて、とりわけコンパクトカー・サブコンパクトカーのセグメントは日本車の独壇場とも言える状態であった。日本車のアイデンティティともいえるハイクオリティもさることながら、それでいて安価であることが非常に強みとなっていた。
これらに抗するため、GMやクライスラーからいわゆる日本車キラーといわれる車両が登場したが、結果は芳しいものではなかった。
1994年に初代が登場、日本には1996年から輸入が開始された。導入当時130万円で輸入車の中でも破格の価格であり、本国でも最安価のモデルならば100万円を切るということで当初はかなりの人気であったのだが、実際のところはこの時代お得意の徹底的に削れるところは削り、クオリティを無視したつくりとなっており、如何に安価といっても日本車との比較した場合、差額分でクオリティを無視できる出来では到底なかった。
例として、消音材の省略や旧態依然の3速AT、一部塗装の省略という具合に消費者にはいやがおうにも安っぽい車とわかってしまう部分が多かった。この為、日本やアメリカでも当初は人気を博したものの、すぐにそっぽ向かれてしまい、お世辞にも成功とはいえなかった。
その後、2代目に至ってダイムラーとの合併である程度はクオリティ向上が見られたものの、それでも日本車に遠く及ばず、また値段も値上がったため、当初の下駄代わり的なコンセプトもうやむやとなってしまった。
アメリカにおけるカーディーラーは海千山千のやり手が多く、口八丁手八丁・ハッタリ上等・あの手この手でごり押しで車を売り付けようとし、誠実さに欠ける上、売りつけてトラぶっても知らん存ぜぬで信頼できない、横柄かつ威圧的で女性が入りづらいという具合に日本のディーラーとは真逆となっていた。
その悪評は同じ傾向のある弁護士とともにアメリカンジョークの題材に上がるレベルでGMはこの点を非常に問題視していた。
そこでそういった旧態依然の従業員の意識を改め、接客マニュアルの順守を図るとともに不公平感を生みだしかねない値引きの廃止などを実施した。
また日本車の購入層は環境問題などの意識の高いホワイトカラーが多く、この層をターゲットにして環境保護をアピールする宣伝を銘打った。
車自体の出来はそれまでの鉄製の車体ではなく、一部樹脂製の採用といった具合に新技術の採用もあった。
こうした甲斐もあり、サターンは人気を博し、2匹目3匹目のドジョウを狙うべく、そのその手法を真似するディーラーもあった。
日本にも1996年に進出を開始した。アメリカの手法をそのままスライドさせ、ディーラーも自動車関係の会社以外にもJR東日本の関連会社という具合に異業種からの参入もあった。当初はそこそこ人気を博したものの、車自体は凡庸な出来であり、そもそもディーラーの教育が行き届いておりサービスも上な日本車には叶わなかったので2001年には撤退をしている。しかしながら、日本車のディーラーが参考にしたようにサターンが日本に与えた影響は少なくない。
アメ車の商用車に特徴的な事はボンネット付が多いことである。無論キャブオーバーがないわけではないが、広大な土地や衝突安全性や法規の違いによりボンネット付でも差し支えがない為、圧倒的にボンネット付が多い。余談であるが日野自動車ではこうした理由により、アメリカ向けにのみレンジャーのキャビンを改良したと思われるボンネット付のトラックを用意している。
アメリカのトラックはボンネットタイプが大勢であり、コンボイ司令官のようなキャブオーバーは数が少ない。また長距離トラックはけん引のものが多い。これはトレーラーを含めた全長の規制が緩く、ボンネットを設置する余裕が出来る事、リアにスリーパーキャブ(休憩や仮眠に使用するちょっとした部屋のような空間)を設置できる事があげられる。
近年は経済性追求により空力に重きを置いた非常にモダンなボンネットトラックが多いが、そうかと思えばまさに昔のアメリカ映画に出てくるような直線的なトラディショナルモデルも並行して販売されている。エンジンやギアはいくつかの選択肢があり、好みや用途によって組み合わせが比較的自由である。ギアはオートマ先進国にはおおよそ似つかわしくないマニュアル、それも多段ギア・ノンシンクロが多い。無論、これも日本とは比べ物にならないほどの長距離輸送をする事による信頼性の確保によるところが大きい。内装も計器類が多く、運転席と言うよりはコックピットと言うべき様相である。
多くの州を渡り行くので州ごとのナンバープレート(ライセンスプレート)が必要なケースもあり、バンパーにはその州のナンバーをつけているのが常である。
キャブオーバーは主に中型以下で見られる。主に市街地で使うのでデイキャブと言われる寝室部分のないトラックが多く見られる。概ね日系はこのモデルであり、ビッグスリー系は提携している外資系のモデルのOEMである事が多い。例えばかつてGM系はいすゞを採用していた。
アメリカのバスと言えば、ボンネットの黄色いスクールバスが有名である。ピックアップトラックの中でもヘビーデューティーモデルといわれる日本で言えば増トン車クラスのものをベースしている。アメリカにおけるスクールバスは優先順位が非常に高く、乗降中は後続車両は絶対に止まっていなければならないルールとなっている。そのため道路標識と同じ「STOP」マークを掲出できるように車体側面に備えている。
また通常のピックアップトラックをベースにしたマイクロバスが数多く走っている。キャタウェイと言われるリア部のないキャブ付きシャーシが各メーカーより販売され、専門のコーチビルダーが架装をしている。
路線バスは日本と概ね似たリアエンジン構造であるが、GMはエンジンを横置きにして、車輪を駆動するアングルドライブを採用していた。日本のノンステップバス黎明期に日野や日産ディーゼルで採用された形式とほぼ同一である。注目すべき点としてバリアフリーに関しては旧来より進んでいた。まだバリアフリーという言葉が日本に浸透していなかった時代より、リフト付のバスが多数走行していた。他にも自転車を積めるラック付バス、連節バスやトロリーバスなど日本ではあまり見られない種類のバスが各地で見られる。これらの高額な設備を備えられる理由としては、運営が原則公営であり、乗用車を使えない市民のための公共の福祉としての側面が大きいことが挙げられる。
ソフト面でも、女性ドライバーが例えばニューヨークでは早くも1973年に登場している。そうかと思えば、降車ボタンのかわりに紐を引いて知らせる原始的なスタイルが今も一般的であるなど、各所が特徴的である。
長距離バスはグレイハウンドに代表されるステンレス製の車体が有名である。大陸縦断の長距離バスに使われるため、日本のバスに比べても質実剛健の趣が強い。鉄道のアムトラックでも、連絡や代行バスとして各地で補完的役割を果たしている。ステンレス製であるため、腐食にはめっぽう強く、日本では既に鉄くずになってるようなバスが第2第3の人生を送っているケースがある。
バスファンによる旧車の動態保存も、日本ではアキバエクスプレスなど数例があるのみだが、乾いた広大な台地を活かして各地で行われている。この中で名車と言われるのは先ほども説明したがGMCがグレイハウンド向けに設計をしたシーニクルーザーであり、その当時としては内装は豪華絢爛で先駆的な機構を採用していた冷暖房完備、ステンレスの車体、車体後方3分の2がスーパーハイデッカーの高さと言う具合に今でもまったく色あせない機構であるが、長距離バスゆえの故障対策に直4のUDエンジンを2基搭載した非常に独特な機構が採用された。その後、V8エンジンとなったが、総数は1001台製造され、既に登場より半世紀以上経過しているが、熱心なファンが現在も所有をしている。それぞれにシリアルナンバーがあり、動画サイトなどでは「#2525」と表記される。
一方、最近の新車は日本のように塗装されたフラットボディのバスが幅を利かせつつある。なお日本と違い、コーチビルダーとシャーシ・エンジンメーカーの関係が分かれており、シャーシ・エンジンメーカーによるコーチビルダーの囲い込みは起きていない。
アメリカのパトカーについてはパトロールカーの項目を参考にしていただきたい。
面白い点としてカタログモデルとしてホームページで閲覧できることである。ビッグスリーはシボレー・インパラやダッジ・チャージャーなど各社のインターミディエート~フルサイズのセダンを主に採用しているが、その他にもSUVベースや長距離バスベース(主に護送車)のものも存在し、それぞれの当該ページで閲覧する事ができる。メーカーのホームページよりfleet関係のページで閲覧する事ができる。ちなみにシボレーのパトカー仕様はいわゆる白黒パトカーの「9C1」と覆面用の「9C3」と言われる事が多い。
廃車後も大きく異なっており、日本の場合では機密保持や悪用防止の面より原則として全車両解体で、その際もネジ一本たりとも残してはならないという都市伝説が流れるほどに厳重に管理されているのに対して、アメリカの場合は売りに出される事が多く、そして人気を博している。パトカーは使用状況としては過酷であるが、それを差し引いても元々ハードユースを念頭に耐久性が通常の車よりもしっかりしており、メンテナンスもしっかり行われている事や代替の台数口が多い事から、自家用に使用するものや違う街でパトカーとして際活躍するもの、タクシーとして使用するものがある。日本の好事家の中には輸入して、日常の足に使うツワモノもいる。ちなみに廃車にする際は当然のことながら、パトカーと分かる装備や塗装は取り払われるなり、塗り替えられるなりしているが、その上でもう一度復元しなおすと言う手間をしてるとかしてないとか。
アメリカの消防車は日本と同じようにキャブオーバー型が主流であり、赤を主とした色づけになっているが中には黄色などの色もある。緊急走行の際に他の車への注意を引く為、警光灯類が多めに取り付けられる傾向がある。
日本に見られない車種として、トレーラータイプのはしご車がある。tiller truckと言われるが、切り離される事は整備等以外では見られない。我々の知る所のはしご車が一般的になる前に見られた形態ではあるが、トレーラー部分をフルに活用する事で通常のはしご車よりもより大型のはしごを装備出来るので今でも割合に見られる形態である。大きな特徴として、後部のトレーラー部分に車輪操舵用のキャブが設けられている事である。これにより密集地域や隘路でも活動ができると共に緊急走行時でもはしご車と変わらぬ機動性を確保する事が出来る。但し、経験やコツがいるので、素人が運転すると事故の元となる。
消防車のメーカーは数あるが、日本では「アメリカン・ラフランス社」が知られおり、地域によってはラフランスを指して消防車と言う事もある。
アメリカの救急車は日本と同じワゴンタイプもあるが、もっぱらピックアップベースが採用されている。かつては日本と同じようにステーションワゴンタイプが採用されていた。
ピックアップが多いのはお国柄もさることながら、ピックアップモデルに架装専用モデルがあり、また救命行為をしたり、機材の配置、バスボディと共用できるなどでピックアップが好感されたからであろう。
商用車もまた保存活動が盛んであり、日本ではまず見る事ができないような年代の車両であっても個人や有志で保存活動を行っている事が多い。これらの部品にあってもリプロダクションは行われており、何よりこれらを補完できる広大なスペースが存在するがゆえに出来る事でもある。乾いた大地で腐食が進みづらいために高温多湿な日本よりレストアが容易なことや、ペンキ代が安いといった事情もある。
またバスに特に言える事であるが、現地ではバスコン(バス車体を使ったキャンピングカー)が浸透しており、個人ユースから全米各地を回るカーレーサー、芸能人がこぞってこれを使用し、その素材には新車からバス会社の廃車を調達、その市場も出来ているので結果的にではあるが古い車両も現役でいられる事が多い。
アメリカの商用車、特に大型のトラックやバスの場合、エンジンのチョイスが出来る。日本の場合、いすゞ製であればいすゞのエンジンであるのが普通であるが、アメリカではいくつかのエンジンメーカーからチョイスできるシステムがある。主にデトロイトディーゼル社・キャタピラー社・カミンズ社などがあるが、この中で注目したいのはデトロイト・ディーゼル社である。
アメリカの大型トラック・バスでは高いシェアを誇るこの会社のエンジンは少し前までは2サイクルディーゼルを採用していた。日本でもUDトラックスがかつてライセンス生産をしており、甲高いエンジン音が特徴で、低排気量であっても大出力を発生できるエンジンとして知られていた。かつて銀幕を飾った様々な名画の一シーンで明らかに日本のトラックやバスとは違ったエンジン音をけたたましく奏でるものがあり、我々にアメリカを感じさせる一つのアクセントにもなった。かつてはGM系であったが、現在はダイムラー系となっており、系列のフレイトライナー社の標準エンジンとなっている。
他にも今ではあまり採用がない形式であるが、非常に特殊なホイールとハブを採用していた。デイトンスポークホイールと名付けられ、ホイールがリムだけであり、ハブ一体になったスポークとリムとを締める形式(リムクランプ)である。古いアメ車の商用車や南米で見られる形式である。
「日本車とアメリカメーカーとの関係」での項目にも書いたが、ビッグスリーは自社で補えない車種や不得手とする分野では提携している車両を使う傾向があるが、それは商用車でも見られる傾向にある。例えばキャブオーバータイプのトラックは自前のトラックとのバッティングなどから開発には消極的である。
GMは提携先であるいすゞのエルフやフォワードを自社のシボレーブランドやGMCブランドで発売、資本提携が終了するまでこの関係は続いた。しかし、南米などいすゞが直接の販売拠点を持たない国では提携終了後も引き続きシボレーブランドで販売が続けられている。大きな特徴はガソリンエンジンの搭載と主要部分の部品のアメリカ製使用である。
前者はガソリン価格の安いアメリカならではの事であるが、搭載されているのはおなじみの6000ccのV8である。言うまでもなくそのエンジン音はあのドロドロ音であり、GMとの提携が終わった後も引き続きラインナップされている。
後者は主にフォワードに見られる事である。フォワードはキャブやエンジンこそ日本製であるが、足回りやシャーシはアメリカ製となっている。特に足回りはハブボルトが日本のJIS規格8本では対応できないので、ISO規格10本を採用した足回りを組み合わせている。
アメリカ車の特筆すべき点としてあげたが、アメリカにおいてはピックアップトラックが非常に人気である。現在、日本では三菱トライトンをタイから台数限定で輸入する以外では新車販売をしていないが、アメリカではビッグスリーのみならず日系メーカーもピックアップモデルを出すほどに人気である。
1台何役もこなす事や税金の優遇策が取られている事で日本の軽トラックと立場が近く、また保守的な考えの残る南部においてはカウボーイとイメージがかぶり、非常にイカしてる車というイメージがある。特にテキサス州はカウボーイのお膝元であり、また非常に保守的な土地柄であるため、どの州よりもピックアップ人気が突出しており、ローンスターエディションという日本で言うところの軽トラック地域特別仕様車を各メーカー取り揃えている。
またシャーシが架装ベースとしても使われる事も多く、バスの所で前述した通り、これらのベースとしてキャタウェイと言われるモデルが存在しアルミバンや小型バスに改造される。さらにキャンピングカーやウォークスルーバンといった車体全体への架装に対応できる車両としてキャブさえない「ストリップシャーシ」が存在する。
現在のアメリカのピックアップの大きさには大きく分けてミッドサイズのものと、フルサイズと言われる大型のものの2種類がある。明確な線引きがあるわけではないが、概ね前者は全幅が1.8m前後であり、後者は2m以上でありこれは日本で言えば日野レンジャーと言った4トン車と同じサイズである。キャブは2ドアのシングルキャブ、4ドアのダブルキャブの他にも2ドアでありながら、キャブ後部を延長し4人乗車を可能としたエクステンドキャブ(メーカーによって呼称は異なる)がある。そして、架装性を考慮してリアタイヤがダブルタイヤとなっているモデルも存在する。
フロントのデザインの近年の潮流は往々にして我々日本人の感覚からすれば、凶悪という言葉が相応しいぐらいに押し出しの強いものとなっている。主なターゲットである保守的なアメリカ人の持つ「強いアメリカ」のイメージをもっともアメリカらしい車、つまりピックアップトラックを通じて投影した結果なのかもしれないが、例えば最近のキャデラックに見られるエッジの効いた近未来的なデザインやシボレー・インパラのような特徴のないコンサバティブなデザインと並べてみてもその特異性が際立つ。
話を変えて、かつてGMCよりサイクロンというピックアップが販売されていた。この車は大きさこそハイラックスよりちょっとだけ大きいモデルであるが、そのエンジンはターボチャージャーを取り付けられ、ノーマルで0-100km/hを4秒、ゼロヨン13秒台というお化けみたいな性能を持ち、「テスタロッサキラー」の渾名があった。そして、ダッジラムにバイパーのエンジンを搭載したSRT-10というモデルがあり、世界一早いピックアップとしてギネス記録にも載っている。このように一見、結びつきそうにないスポーティな取り合わせもなしえてしまう懐の深さがアメリカンピックアップの醍醐味であり、その究極ともいえるのがNASCARのキャンピングワールドシリーズといえよう。
かつては乗用車ベースのピックアップも存在した。インターミディエートサイズのセダンやクーペの後ろを取っ払い、そのまま荷台に変えたものであり、主にクーペベースで派生したからか、クーペユーティリィティと言われた。
セダンベースなので当然乗降性に優れ、荷台の高さも抑えられるので花屋といった積載に少々難儀するものを取り扱う業者に人気であったが、セダンと顔つきが一緒なので霊柩車のベースにもなった。日本においてもクラウンやコロナといったモデルにまったく同じモデルが存在していた。今持って人気の高いサニートラック(通称:サニトラ)やマー坊で知られるスズキ・マイティボーイもこの範疇に入れられる。
かつてのアメリカ国内ではフルサイズピックアップよりも小型のトラックのポジションにあったが、1980年代になるとベース車両のモデルチェンジや生産中止で設定がなくなったり、より小型で人気が高まりつつあったSUVへの転用が容易なピックアップトラックの台頭でクーペユーティリティは廃れていった。クーペユーティリィティはビッグスリーは全メーカー取り揃えていたが、クライスラーのみは登場が割合に遅かったのでFFベースのものであった。
日本やヨーロッパでもアメリカ向けにクーペユーティリティが販売され、スバルはレオーネベースでブラット、レガシィベースでバハの名称で販売され、フォルクスワーゲンもキャディ(北米では「ラビット・ピックアップ」)の名前で売り出した。
現在はオーストラリアなどのオセアニアにおいてその姿を見る事が出来る。UTE(ユート)のあだ名を持つその車は本場のアメリカでは絶滅しながらも、4ドア化や高性能エンジン搭載といった独自の進化を遂げた。その姿は恰もかつて世界各地で見られながらも、現在では主にオーストラリア大陸に存在し、独自の進化を遂げた有袋類と重なる。なお、かつてGMがホールデンUTEをアメリカに輸入して、ポンティアックブランドで販売される計画があったがリーマンショックとポンティアックブランド消滅の為に中止となった。
近年のアメ車、とりわけスペシャリティーカーで見受けられるのは過去の人気モデルやデザインを現代風に解釈したモデルが多い事である。おそらくこれらの車の所有層はかつて若い頃にマッスルカーやホットロッドに明け暮れた60代前後の世代がターゲットかと思われるが、若い層から見ても新鮮なものに映る。
その走りはクライスラーであり、プリマスブランドにおいて往年のホットロッドをイメージしたプロウラーが発売され、人気を博した。そして、日本でも知名度が高いPTクルーザーが1999年から2010年まで発売され日本を含めて大人気となった。この車のモチーフは1930年代の名車であり、トヨダAA型に多大な影響を与えたクライスラーエアーフローをモチーフに作られた。そして近年ではダッジ・チャージャーやチャレンジャーと言った比較的大型の車を登場させている。これらは1970年代のマッスルカーをイメージしており、特にチャレンジャーは初代を強く意識したデザインとなっている。どちらにもエンジンがMOPAR(クライスラー製におけるマッスルカーの別称)のアイデンティティであるHEMIエンジンを搭載するなど姿だけでなく、中身も往年のものとなっている。
フォードの場合、サンダーバードが2002年にモデルチェンジをした。この新規モデル、11代目サンダーバードは初代のデザインを元に現代風にアレンジしたデザインで人気となった。これ以前にもマスタングでは、5代目マスタングがマイナーチェンジを行った際にリアのエアエスケープやテールランプのデザインなど一部に初代をイメージしたものにしていたが、6代目においてより初代を意識したデザインへ変更した。
GMは2009年にカマロを復活。そのデザインは多少の差はあれど、初代カマロを強く意識したモデルとなった。
これらはすべて現代技術の賜物であり、故障と言ったトラブルからクラシックカーの所有には二の足を踏む素人でも難なく所有できる。特にマスタングと言った比較的大型の車ではかつての暴力的な走り味だけでなく、現代的なスマートな走りも難なくこなせる。また、大排気量+FRという事もあってパワードリフトがたやすく可能であり、アメリカにおけるドリフトのベース車としても非常におあつらえ向きな車種として人気である。
意外にアメ車はテレビで登場する事が多く、特撮では主人公らの乗る車に登場する事が多い。デザイン的にも未来的な物が多かった為か、非常におあつらえ向きな車ともなりえた。
(随時追加をお願い致します)
かつて「輸入車と言えばアメ車」であった時代は多くの芸能人やスポーツ選手が所有していたが、力道山がキャデラックを所有してた事により、プロレス界隈では慣習的にジャイアント馬場やアントニオ猪木らが所有、また三沢光晴も死の前まで使用していた。
現在では所ジョージが特に知られている。世田谷ベースなどに多数の車を所有する等、好き物ぶりに定評があるが、その中でも特にアメ車に精通しており、自身の番組においては熱をあげて語ってる姿が見受けられる。
また、クレイジーケンバンドの横山剣も1960年代のアメ車ファンであり、クレイジーケンバンドの歌の中にも「アメ車と夜と本牧と」という歌がある。
自動車文化が根付いてるので、当然のことながらモータースポーツは盛んである。日欧と比べて、文化的な背景からその成り立ちやスタイルが大きく異なる。細かい部分はアメリカンモータースポーツやその競技のジャンルを参照にされたい。
当地で人気なジャンルとしてNASCARがある。アメリカにおいては他のモータースポーツと比べても頭一つ突き抜けている程である。「月曜日はレースで勝った車の売り上げが伸びる」と言う逸話がある程であり、さらにピックアップトラックをベースとしたレースもあり、傾向としては売れ筋の車を投入する傾向が強い。無論、日系メーカーも目をつけないわけはなく、トヨタ自動車がカムリを投入している。もっとも、車自体はオリジナルとは似ても似つかぬような純然たるレースカー(ストックカーと言われる)である。かつてはビッグスリー全社参加していた、2012年を持ってダッジ(クライスラー)が撤退をしている。
NASCAR以外にもハコ車のジャンルが多く、またレースの伝統もヨーロッパに負けず劣らずに存在しており、車名にそれらのレースにモチーフを得た物が多い。ポンティアック・ボンネビルがまさにそれであり、命名の由来は「ボンネビル・ソルトフラッツ」と言われる塩湖の跡であり、ここにおいて自動車最速を競うレースが行われている事が由来である。
その他、フォーミュラタイプのIndyCarがある。こちらも人気のジャンルではあるがフォーミュラカーなので見た目にはPRしづらい。しかし、インディ500という100年近く存在する伝統のイベントがあり、またハイスピードかつドッグファイトの繰り広げられるレースで、アメリカ勢ではシボレーがエンジンサプライヤー参戦している。
ゼネラルモーターズ | フォード | クライスラー | |||
現行ブランド | 廃止ブランド | 現行ブランド | 廃止ブランド | 現行ブランド | 廃止ブランド |
※それまでダッジブランドで発売されていたピックアップを独立させたもの。
かつては吸収拡大の末に名だたる世界中のメーカーを系列に収めるなど、我が世の春を極めたビッグスリーであるが一方でオイルショックや9.11と言う深刻な危機に直面した事もあった。その為、経営再建の一環としていくつかのブランドを廃止・統合、もしくは売却を進めていったが、小型車や省エネ開発、高コスト体質の改善などの根本的な解決策の模索が殆どされないまま、ついにリーマンショックと言う未曽有の恐慌に耐えきれず、GMとクライスラーが破たん。特にクライスラーはフィアットの傘下となるなど、そのダメージは計り知れないものとなった。
フォードは破綻こそしていないが、マーキュリーブランドの廃止や子会社や系列各社の株式の売却など、大ダメージを被った。そしてヨーロッパフォードの車種を投入して、ダウンサイジングを実行するなど巻き返しを図っている。
商用車はビッグスリー系以外にも商用専門のメーカーが多く存在している。
アメ車の本気
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47 ななしのよっしん
2021/11/03(水) 19:22:14 ID: Baf/bl+wqO
48 名無し
2022/05/22(日) 07:43:50 ID: RCMEJH2Aoe
テスラだけ世界中で売れるのはテスラが自動車企業じゃなくてにIT企業だからだろうね
どう見てもiPhoneみたいな売れ方してるし
49 ななしのよっしん
2022/07/08(金) 01:40:33 ID: ADofx6ZTb8
多分だけど売れない理由は税金制度だもん
アキオが今主張してることを正直歴代大統領からガツンと言って干渉されて変えられそうと思ったが全然期待外れ
フルサイズ置けないよりもV8だと3ナンバーで維持と1ナンバーで維持とで乗れる人数も税金も違うのが痛い
過去アストロブーム有ったこと思い出すと排気量税が非関税障壁として強過ぎるのが原因だと確信してる
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最終更新:2024/12/26(木) 12:00
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